複雑・ファジー小説
- Re: ワンホット・アワーズ ( No.21 )
- 日時: 2015/12/16 01:31
- 名前: 楠木ひよ ◆IvIoGk3xD6 (ID: DYDcOtQz)
10 ひなげし
誰かと恋をして結ばれれば、当たり前のように別れはやってくる。柊くんとの終わりは薄々感じていた。
放課後の教室に呼び出された。2年生の教室に来るのもこれで最後なのかなと思いながら廊下を歩いていると、なんだか寂しくなってきて、まだ何も話し合っていないのに涙で視界が曇ってきそう。廊下には誰も居ないことがさらに、そんな気分を掻き立ててしまう。2年1組の目の前まで来て、私は大きく息を吸った。
「……千夏さん?」
深呼吸して息を整えていたら、いきなりがらりとドアが開かれた。くすんだ白のドアの向こうには、くすんだ色の柊くんが立っていて、そのさらに後ろには放課後特有の、解放された教室が広がっている。驚いた。柊くんも、私が来るのを今か今かと待っていたのかもしれない。
教室の中へ歩いていく。2年1組は、良い場所にある。窓から見える桜の木が夕陽に照らされて綺麗だった。今日から一人で歩くことになる通学路もよく見える。綺麗な黒板に書かれた、今日の日直は瀬戸さん。棚に置かれた花瓶にはひなげし。今で見るのも最後になる。
柊くんの席は窓側の前から3番目だった。景色を好きなだけ独り占め出来てうらやましい。朝のちょっと憂鬱になりそうな青空も、昼のうららかな陽気も、8時間目の講習中の夕焼けも、すっかり暗くなってしまった空に光る星も、全部見れる。柊くんはこれを全部、自分の目で見てきたのかな。柊くんの前の席に座ると、ふいに懐かしい思い出が何個も蘇ってきた。
「柊くん」
好きだった人の名前を呼ぶ。それは放課後の教室の片隅に消えていく。でも、最後くらいノスタルジックになっても良いでしょ、ねえ。これから振られるのが怖くて仕方ないから、現実逃避がしたいの。だけど現実は限りなく無情で、柊くんはいつになく申し訳なさそうな表情で、私に言った。
「……千夏さん。ごめん」
ノスタルジックが音を立てて崩れていく。そんな顔をされると、まるで私が悪くないみたい。柊くんは続けて言う。「俺、誰かと付き合うのって初めてだし、別れるのも初めてなんだよ。千夏さんの気持ち考えたけど、どうなっても傷つけちゃうから……」って。いつも強気で先輩の私を引っ張って歩くのに、だんだん弱くなっていくその声が、その顔が、まだ愛おしくて名残惜しくて仕方がない。別れる原因は解っているのに、それでも離れられない。いっそ私の事を冷たく突き放してくれればよかったのになんてことも考えてしまう。それはそれで、傷ついてしまいそうだけれど。
「柊くんは、その柚寿って子が今でも好きなんだよね」
そんなことない、俺は千夏さんが。そう言いかけたのを無理やり飲み込んだのだろう。私はそれを見て、自分なりに精一杯の笑顔を浮かべた。「自分の気持ちに嘘はつかないで」と言ったのは私だ。柊くんが嘘をついて私だけが満足する交際を続けるより、彼氏が居ても想い続ける一途な気持ちを尊重してあげたい。
「……好き、まではいかないかもしれない。でも、同じクラスで、意識してるってか……」
「うん、わかってる。正直に言ってくれてありがとう」
柊くんはとても辛そうだった。だから私が笑ってあげるしかない。私の方が大人なのだから。私が綺麗に終わらせなければ。
「今日からは、友達。廊下で会ったら手振ってほしいかな。……ふふ。じゃあね。楽しかったよ」
これ以上彼を責める気はない。これ以上聞いてしまっては、私の方が持たない。既に喉の奥で鉄みたいな味がするし、瞳からは涙がこぼれそう。こういう時はクールに去るのが一番かっこいいのだ。私はすたすたと出て行って、もう2度と入ることのない2年1組ののドアを閉める。そして、歩き出す。これからはフリーだ。何をしようかなぁ。とりあえず男女4人くらいで遊びに行ったり、気になってる男子と夜通話してみたり。思えば、青春はまだまだ長い。足取りは軽かった。
でも「2年1組」の標識が見えなくなったとき、ついに耐え切れなくなった。誰も居ない廊下で涙があふれ出してくる。掌に垂れる滴が、私の今の最大の気持ちだった。4か月くらいの付き合いだったのに、ここまで本気だったなんて、と自分で笑いそうになる。
柚寿さんとはうまくいくはずがない。柚寿さんには彼氏がいる。それなのに私を捨ててしまうということは柊くんは本気だ。好きまではいかないなんて言ってるけど、ぜったいぜったい、本気の恋愛なのだ。もう嫌だ、みんな不幸になってしまえばいい。柊くんも柚寿さんも、結局うまくいかないで柊くんは私のもとに帰ってくればいい。でももう、それはかなわない。柊くんが誰よりも素敵な人間だというのは、私が一番知っているから、私なんかのところに帰ってくるわけがない。
2年1組の花瓶に刺してあるひなげしの花言葉は、「慰め」らしい。こんな慰めなんかいらないから、私がまた立ち上がれる強さが欲しかった。