複雑・ファジー小説

Re: ワンホット・アワーズ ( No.22 )
日時: 2015/12/17 01:26
名前: 楠木ひよ ◆IvIoGk3xD6 (ID: DYDcOtQz)

11 『京奈さんは、ダメなんかじゃないよ。』【月曜日編】
 瑛太くんまで、私の居場所を壊そうとしているのかもしれない。
 あと20分くらいでバスが来る。柚寿達は、それぞれに部活の用事があったり、委員会の仕事があったりで、みんな先に教室を出て行ってしまったから、次に合流するのはバスの中だ。
 柚寿と柊治郎くんの楽しそうな会話が聞こえてくる。柊治郎くんは優しいから、ひとりになりがちな晴くんにもちゃんと話題を振ってあげるらしい。呟くような、ただ吐き捨てるような晴くんの声でさえ私の耳に大きく響いてきた。そしてそれは、だんだん遠ざかっていく。5時を告げるチャイムが鳴りだす。

 「……京奈さん。僕はただ、京奈さんともっと仲良くしたいだけなんだ。僕、ずっと気になってたんだよね」

 瑛太くんには柚寿が居るのに。その言葉が喉元まで上がってきていても、最後の最後で出せなかった。
 こんなに男子と密着したのは初めてだった。壁際の席に座る私と、その壁に手を付いてすぐ近くまで身を寄せる瑛太くん。チャイムが鳴っているのに、はっきり声が聞こえるほど近い距離。瑛太くんがなにか動作をするたびに、ふわりといい匂いがした。香水でもなくて、洗剤でもなくて、頭がくらくらしてきそう。すぐ近くで見る瑛太くんはとても綺麗だった。触り心地の良さそうな髪も、優しそうな色の瞳も、きめ細かい肌も。教室で見ている憧れの瑛太くんがすぐ近くにいる、それだけで心臓がばくばくしてるのに、そんなこと言われたら、もう私は何も言えなくなっちゃうよ。
 今日の瑛太くんはおかしい。私の事は「瀬戸さん」と呼んでいたはずだし、突然「5人で遊びに行こう」と提案してくるんだもん。確かに、みんなで遊びに行けるのは嬉しい。瑛太くんの提案も、素直に楽しそうだと思った。だけど、なんで突然瑛太くんがそんなことを言い出すのかわからなくて、なんとなく腑に落ちないでいたら、こうだ。もう全然わからない。頭が沸騰しそうで、今自分がどんな顔をしているのかもわからない。

 「……わ、私も瑛太くんと仲良くしたいよ。だ、だけど柚寿は……」
 「もちろん柚寿のことは好きだよ。でもそれとこれとは、別だろ?」

 柚寿たちはずいぶん遠くへ行ってしまった。もう声も聞こえない。時が止まったような教室で、瑛太くんは私の返事を待っている。
 ここで頷いてしまえたら、憧れの瑛太くんを、一瞬でも私だけのものにできるかもしれない。だけど、「一時間を壊したくない」という気持ちが邪魔をする。私が柚寿と柊治郎くんの関係を怪しむように、柚寿が私と瑛太くんの関係を怪しんで、柚寿が私の事を嫌いになったら、みんなで一緒に過ごす楽しい一時間もなくなってしまう。私が大好きな私の一時間を、私の手で壊してしまう。
 指先が触れあった。ずっと下に向けていた視線を上げると、次に目が合った。瑛太くんはいつものように微笑む。そして数秒後、唇が触れ合う。

 こういう時は、目を閉じるものだと少女漫画で習ってきた。少女漫画みたいなこの時間がいつまでも続いてほしいと思ってしまうほど、甘い味がした。でも瑛太くんはすぐに離れてしまって、柔らかくて不思議な感触だけが残っている。……私、初めてだったんだけどな。気が抜けてしまって、茫然としていると、瑛太くんは壁から手を離して、動揺のひとつも見せずに「帰ろっか」と私に言った。
 ……もう終わりか、と思ってしまった。柚寿たちへの申し訳なさは消えていた。一時間が好き、みんなが好きなんて言っておきながら、私の意志はこんなにも弱い。もっと欲しいと思ってしまう。
 瑛太くんは、ただ黙っている私に言った。

 「……ごめんね、京奈さん。もう帰ろっか」
 「……まって」

 私は最低だ。柚寿や柊治郎くんに、「和を乱さないでほしい」なんて言っておいて、私が一番乱しているじゃないか。でもあふれ出てくる言葉は止まらない。このまま帰りたくないなんて、困らせてしまうけれど、でも。

 「ねえ、お願い。もう一回して」

 振り返った瑛太くんは、少し驚いたようだったけど、「いいよ」と微笑んで言ってくれた。こんどは触れ合うだけじゃなくて、ちゃんと抱いてほしい、なんて大胆なことは言えない。ただ触れるだけでも十分、満たされるから。もう後戻りはできない。
 私ってダメだなぁ、と笑うと、瑛太くんも笑ってくれた。柚寿たちは今何をしているだろうか。

 「京奈さんは、ダメなんかじゃないよ。僕のほうから求めたんだからさ」
 「……でも、やっぱり申し訳なくて。柚寿にも、柊治郎くんにも、晴くんにも」

 そう言うと、「京奈さんのそういう優しいところ、好きだな」と瑛太くんは私の頭を撫でてくれた。嬉しかった。私は常にみんなに劣等を感じて生きてきたから、憧れの瑛太くんがこう言ってくれると、たくさん認められた気がして、すべてを投げ出しても良いとさえ思えてくる。ああ、ごめんね、柚寿。私も好きになっちゃった、かもしれない。

 二度目のキスは、さっきよりもずっと長かった。バスに遅れるギリギリまで、私たちは時の止まった教室に居た。