複雑・ファジー小説
- Re: ワンホット・アワーズ ( No.23 )
- 日時: 2015/12/17 01:11
- 名前: 楠木ひよ ◆IvIoGk3xD6 (ID: DYDcOtQz)
ああ、恥ずかしくて死んでしまいそうだ。バスの中で顔を上げられなくて、ずっとイヤホンで同じ曲ばかり再生して聞いている。何をしてもさっきの瑛太くんとのやりとりを思い出してしまって、唇の感触も、背中に回された腕も、まだ鮮明に残っていて離れない。
瑛太くんは私とのことを気にする素振りはまったくなく、柚寿とふたりでいつも通り座っている。さっきちらりと聞こえた話の内容は、クラスの戸羽さんの新しい彼氏のことで。どうして瑛太くんはそんなに冷静でいられるのだろう。私は、思い出すだけでも体が熱くなってしまうのに。
「……えへへ」
それでも、大人になった気がして少しうれしかった。今まで届かないと思い続けていた柚寿たちと、肩を並べた気分になった。キスしてくれたということは、瑛太くんはきっと私の事が好きなのだ。だから、もしかしたら、これからは柚寿じゃなくて私が瑛太くんの彼女になるようなことがあるのかもしれない。それって、もう完璧に少女漫画じゃん。明るさだけが取り柄の女子と、完璧な男子の恋愛なんて、少女漫画ではありふれている。だけど、ありふれているからこそ、それはみんなが憧れる恋愛だ。私も柚寿みたいになれるのかな。
隣に座っていた晴くんが不思議そうに私を見た。長い前髪の奥から覗く瞳は、「どうしたの、瀬戸さん」と問いかけているようだった。本当のことを言いたいけれど、さっきのことは「秘密事項」なのだ。絶対に漏らすわけにはいかない。
……私は今、最低なことをしていると思う。瑛太くんとの関係も持っていたいし、一時間を失いたくない。だから、これは秘密にしなくてはならない。瑛太くんも柚寿のことがあるから、自分から口外はしないだろう。私と瑛太くんの関係は、秘密なのである。
「なんでもないよ、晴くん」
「……なんか、いいことあった?」
平静を装ったつもりなのに。晴くんは珍しいことに悪戯な笑みを浮かべて、「瀬戸さん、わかりやすい」と言った。晴くんもけっこうわかりやすいと思うんだけどなぁ……。晴くんと居るときなぜか仲間意識を感じるのは、お互い顔に出やすいコンビだからなのかも。
「うん、ちょっといいことあった」
「そっか、よかった。……瀬戸さんが笑ってると、僕もうれしい」
矢桐くんにしては、ストレートな言い方だったと思う。矢桐くんは、大人しくて暗く見えるけれど、本当はこうやって人の幸せを一緒に喜べる素敵な人だ。私はそれを見て、すごくほんわかした、和やかな気分になった。私はやっぱり、瑛太くんも一時間も失いたくない。どっちも私のものにしてしまいたい。実際柚寿は、瑛太くんも一時間も持っていてずるい。私だって、もっとたくさん望んでも良いよね。瑛太くんが柚寿よりも私を好きになれば、それは仕方のないことだよね。
「ねえ、晴くん。晴くんってとっても嬉しいことがあった時、誰に報告する?」
このままじゃ、晴くんに秘密をばらしてしまいそう。あのかっこいい青山瑛太くんと、教室でね、なんて言葉が出てきちゃいそう。
「え、誰かな……んー、友達とか、かな……」
「だよねっ」
マナや紗耶香にこれを言ったらどうなるかな。マナは、特に男子に関心はないようだけれど、もう一人の仲良しな女子の木造紗耶香は、前に瑛太くんのことを「かっこいいしほんとにすごいよね、別の世界の人みたい」と言っていた。そんな瑛太君と毎日一時間お話をしている、というだけで紗耶香は羨ましがっていたけれど、なんとキスまでしちゃいましたと報告したら、紗耶香きっとびっくりして倒れちゃうかも。……家に帰ったら電話してみよう。紗耶香の反応が楽しみ。
そんな事を想像してわくわくしていると、通路側に友達と座っていた柊治郎くんも、「瀬戸なんでそんなに笑ってるんだよ」と笑いながら言ってきた。やばい、そんなに出やすいのかなぁ。でも嬉しかったんだから仕方ない。しばらくは程遠いと思っていた、少女漫画みたいな恋愛がすぐそばにあるのだから。
バスを降りたら、もう夕日は沈みかけていた。家に帰ったらまず、紗耶香に電話して、あとは瑛太くんにも連絡してみようかな。こんなことしてると浮気みたいだけど、ただばれないようにやればいい話だし、いつかちゃんと私と付き合ってくれたら浮気じゃなくなるだろう。そう思いながら、坂道を下っていった。家は、もうすぐそこだ。