複雑・ファジー小説
- Re: ワンホット・アワーズ ( No.27 )
- 日時: 2015/12/23 01:47
- 名前: 楠木ひよ ◆IvIoGk3xD6 (ID: DYDcOtQz)
その一時間も終わりかけるとき、珍しく僕の携帯に着信が入った。僕の携帯が鳴るのは滅多にないことなので、いきなり流れ出したインディーズロックバンドのマニアックな曲に瀬戸さんや餅田だけではなく当の僕も驚いた。誰からだろうと思って見てみると、櫻鳴塾からはだいぶ離れた新葉区で大学生をやっている兄からだった。僕が携帯を買ったというのを母さんあたりから聞きつけたのだろう。この前も電話がきて30分くらいただしゃべり続けていたのだが、医者になるのを諦めて教師を目指そうとしたり、青山と黛さんをやたら褒めたり、相変わらず出来の悪い兄だなと思った。そんな兄からの着信に今答える必要はないと思い、僕はスマホの電源を落とす。
そういえば、この前瀬戸さんに勝手にLINEをダウンロードさせられた。ダウンロードされてからは一度も開いたこともないのだが、今まで「LINEをやっていないこと」を自らのアイデンティティとしてきた僕はなんとなく嫌だった。瀬戸さんだから大いに許すし、この機会にLINEを利用してみようとも思うけど、瀬戸さんじゃなかったら絶対許さない。
「珍しいじゃん。誰から?」
僕の前の席に座っていた、餅田が僕の着信について言う。珍しいってなんだよ。餅田は悪い奴ではないのだが、時々失礼だ。
「……えっと、兄さんから」
「晴くんってお兄さん居たの? いいなぁ」
僕と餅田の殺風景な会話に、花が咲いたと思ったらそれは瀬戸さんだった。ゆるく結ばれたおさげを揺らして、にっこり笑う彼女は心の底から可愛らしいと思う。顔立ち自体は平凡なのだが、雰囲気や態度は本当に素敵な女の子だ。そんな瀬戸さんに「いいなぁ」と言われるほど、僕の兄は出来た人間ではない。進路は変えるし、僕の事もわかってくれないし、愛想だけは良いから父さんや母さんにも贔屓されてるし、良いところなんてない奴だ。瀬戸さんが羨ましがる要素なんて、ひとつもないのに。
「へー。俺んとこは弟が3人と、妹が2人いるけど」
「えっ、柊治郎くんのおうちすごいね!? 6人兄妹ってすごい!」
「全然すごくねーよ、親父もお袋も家開けてばっかりだから家事は全部俺がやってんの」
えー、柊治郎くんって意外と家庭的なんだね。瀬戸さんの興味の対象が完全に餅田に移った瞬間である。餅田が何かと面倒見がいい理由が分かった。去年の家庭科の調理実習で餅田と同じ班になったとき、軽々とパスタを作ってしまったのも頷ける。僕は料理なんかには縁のない生活を送ってきたし、どちらかというと女の子に作ってもらいたい。
不良みたいな餅田が実は家庭的だったなんて。瀬戸さん、餅田のこと好きになったりするのかな。いやでも瀬戸さんも家でお菓子とか作ってそうだし、瀬戸さんとくっつく男は料理が出来なくても割かし問題ないだろう。
「私からしたらみんな羨ましいわ。一人っ子だもん」
黛さんが片頬を膨らませる。こうして一時間過ごしていてわかったことだが、黛さんは割と茶目っ気がある。クールで完璧で、なんでも淡々とこなすイメージがあったけれど、たまに天然を発揮したりドジをかましたりするところがあって、青山もそこに惹かれたのかと思った。美人は何をしても絵になる。頬を膨らませるという子供っぽい仕草をしても綺麗さがちっとも崩れないのは、ある意味才能的なものだろう。青山のおまけで殺してしまうには、もったいないな。黛さんは助けてあげようかな。でも、青山を苦しませるのに、黛さんを使うのは必要不可欠だろうし、ううん、悩むなぁ。
そんな黛さんは、一人っ子らしい。なんとなくそんな気はした。黛さんと同じくらい完璧な両親に完璧に育てられてきたような印象。小学校も中学校も、絵に書いたようなエリート街道を歩いてきてそう。そしてこれからも、いい大学に合格して、いいところに就職して、青山と結婚して幸せに暮らすのだろう。なんか腹が立ってきた、やっぱり殺そう。
「僕は大学生の姉がいて、今は横浜に住んでる」
青山も話に入りたくなったのか、スマホを触る手を止めて言った。青山の姉は僕も知っている。髪が長くて、小奇麗な格好をしていた人だ。黛さんや餅田も知っているようで、「そうそう、綺麗だよね」と話す。僕も青山の姉は普通に美人だと思ったけれど、どことなく雰囲気が青山に似ているので好きじゃない。
「えっ、そんなにきれいなの?」
瀬戸さんが興味深そうに黛さんに聞く。突然質問された黛さんは、「えー、えっとね」という前置きの後、「そういえば瑛太が写真持ってなかった?」と青山に丸投げした。青山の姉の事なので青山に聞くのが一番だと思ったのだろうけれど、僕からすると黛さんが瀬戸さんを無下に扱っているように見えた。今日の体育のバレーの事もあるし、瀬戸さんと黛さんはどうしても仲が悪く見えてしまう。
「うん、あるよ。前ので良ければ」
青山がスマホを黛さんに渡し、黛さんがそれを瀬戸さんに見せた。青山はよくスマホを人に貸せるな、僕なら他の誰かが触れるのも嫌だ。何があるか解らないし。
夏が近づいてきている。外はまだ明るかった。瀬戸さんの夏服のスカートとハイソックスが眩しい。
「わぁ、成人式? きれい!」
瀬戸さんが感嘆の声を上げる。黛さんも「モデルみたいよね」と笑う。ここまでならただの微笑ましい会話なのだが、この後瀬戸さんがとんでもない問題発言をするとは、夢にも思わなかった。瀬戸さんは立ち上がって、黛さんを飛ばして青山にスマホを返す。そして、こんなことを言った。
「こんなにきれいなら、私にはかないっこないなぁ」
……瀬戸さんは、何を言っているのだろうか。
瀬戸さんは、変わってしまったのだろうか。なんで、青山に気があるような発言ばかり繰り返すのだろう。彼女の黛さんがすぐそこにいるのに。もし瀬戸さんの好きな人が青山で、「彼女が居ても好き」なんて思っていたとしたら、僕はもう平静ではいられなくなってしまう。お願いだから、嘘であってくれ。瀬戸さんだけは変わってほしくない。できることならこのままずっと彼氏を作らないでほしい。僕の特別な瀬戸さんが、僕以外の誰かが好きだなんて考えたくもない。外では野球部が何かを叫んでいる。暑いなら練習をやめればいいのに。
チャイムが鳴る、一時間が終わる。僕だけがいつも通りでいられない一時間が、やっと終わった瞬間だった。