複雑・ファジー小説
- Re: ワンホット・アワーズ ( No.3 )
- 日時: 2015/12/01 18:39
- 名前: 楠木ひよ ◆IvIoGk3xD6 (ID: DYDcOtQz)
- 参照: 12/1 大幅修整
「なーにやってんだよ、柚寿。花瓶落としたってマジかよ。中野に怒られても知らねー」
「違う、私じゃないわよ。京奈が落としたの」
全然解けない英語の問題にいつまでも取り組んでいても仕方がない。世間話は、クラス内のカップルが別れた話から、柊治郎くんの進路は東京の六大学レベルじゃないとおじいちゃんに怒られるという話に変わり、そして先ほど私が落とした花瓶の話になった。はやし立てる柊治郎くんを、きっぱりと切り捨てて柚寿はこっちを見る。
「そう、私が落としたんだよ。それで、柚寿が片付け手伝ってくれて」
「ふーん、瀬戸だったのか。まぁよく考えると、柚寿は花瓶なんか触らねえもんな」
花なんて興味ないもんな? と、悪戯げに笑って柊治郎くんは柚寿に問う。遠まわしに柚寿に向かって「花を愛でるほどの女子力がない」と言っているのだろう。柚寿は少しむっとして、失礼ね、とだけ返した。
……今日もだ。
柊治郎くんは、柚寿のことを下の名前で、しかも呼び捨てで呼ぶ。私のことは瀬戸と苗字で呼ぶのに。
思うに、柊治郎くんは、柚寿のことが好きなんだと思う。無理はない話だ。柚寿は美人で、頑張り屋で、成績も良いし教師からの信頼も厚い。私が男子だったら柚寿に恋をしてもおかしくないし、柊治郎くんもきっとその一人なんだろう。
問題は、その柚寿には既に交際相手がいることなのだ。それも、バス待ちメンバーの5人の中に。私は誰かと付き合った経験はないけれど、誰かと誰かが付き合った、という話をするのは好きだから多少興味はあるし、柚寿たちのことも素直に微笑ましいと思う。しかし柊治郎くんが柚寿になにかアプローチをかけたりして、5人の仲が崩れてしまったら。というのがここのところ一番の心配事だ。バスを待つあいだの一時間は、どうしても5人で楽しく過ごしたい。
今度、柊治郎くんと話すことがあったら聞いてみよう。そう思いながらふたりの会話を聞いていたら、突然教室のドアがあいて、どこかに行っていた別のふたりが帰ってきた。
「瑛太くんと晴くん! どこ行ってたの?」
バス待ちメンバーの残りのふたり、瑛太くんと晴くんが揃って帰ってきた。「んー、ちょっとコンビニ」と、瑛太くんは少女漫画からそのまま出てきたような爽やかな笑顔で答え、晴くんは無言で自分の席の荷物を取りに行った。この瑛太くんが柚寿の交際相手で、たぶんもう少しで一年になるのかな。瑛太くんは柚寿以上に人脈が広くて、他校にも友達が多い。きっと瑛太くんの人柄がいいからだろう。去年の文化祭で開催されたミスター櫻鳴塾コンテストでは一年生にして優勝し(ちなみに、柚寿は去年ミスコンに出なかったらしい。美人なのにもったいない)、成績も私より遥かに良くて、確かクラスでも一番か二番なので、柚寿にはお似合いな相手だ。私もこれくらいの、アイドルみたいな彼氏ができたらいいんだけど、しばらくはまだ無理そうだ。
晴くんの方は、クラスでも目立たないおとなしいタイプ。私がたまに話しかけるときと、柊治郎くんが絡みに行く時以外、誰かと会話しているのを見たことがないくらい静かだ。中学の頃は何かといじめられたことがあったらしいが、高校にもなるとさすがにそんな事をする人もいない。
そんな正反対の瑛太くんと晴くんが揃ってコンビニに行くのだから、面白いと思う。放課後のこの一時間がなければ、こんなつながりはなかったわけで。バスが来るまで、残り35分。瑛太くんが買ってきたお菓子を5人で食べることになった。
「僕は、『きのこの山』のほうが美味しいと思うんだけどな。柚寿が『たけのこの里』が好きっていうから、どっちも買ってきたよ」
瑛太くんが並べた机にお菓子を広げる。私は、どちらかというと『きのこの山』が好きだ。隣に座っている晴くんにも聞くと、突然話しかけられて驚いたのか「え、えぇ、僕は別にどっちでも」と微妙な返答をされた。晴くんは、お菓子があまり好きではないのだろうか。
「俺もどっちかっていうと『たけのこの里』派だな。チョコの面積が多いし」
柊治郎くんがそう言いながらパッケージを開けはじめる。「まさか餅田くんとかぶるなんてね」と柚寿が言う。柊治郎くんは、わざと柚寿に合わせたのではないだろうか、と私は思ってしまう。ひやひやしながら見ていたが、瑛太くんの方は特に気にする素振りもなく、別のパッケージを開けながら言った。
「たけのこも美味しいんだけど、手が汚れるし。きのこはクッキーの部分を持てば手が汚れることもないからさ」
「手が汚れるくらい気にすんなよなー。拭けばいい話だろ。なあ、黛」
「そうよ、箸でつまんで食べたらいいじゃない」
『きのこの山』を食べ始めた私と瑛太くんと、『たけのこの里』を食べ始めた柊治郎くんと柚寿。瑛太くんの意見に、柊治郎くんと柚寿が反発する。
柊治郎くんは、瑛太くんが居るときは柚寿のことを苗字で呼ぶ。だから、柚寿を呼び捨てで呼ぶときにはとても違和感を覚える。まるで、見てはいけないものを見ているような気分になるのだ。仲良しなはずの5人の裏側を見ているような気がして。柚寿も柚寿でおかしい。「私には瑛太がいるから、そういうのはやめて」って言えばいいのに。柚寿も5人の雰囲気が悪くなることを気にしているのだろうか。
外は、雨が降っている。これから梅雨の季節に入り、それを越えると夏が来る。窓ガラスを打ち付ける小雨の音が不穏に響く。
この3人を見ているのがなんとなく嫌になった。私はただ、楽しそうに会話する3人のすぐ横に、取り残されたように座っている。楽しいはずだった空間に居るのが辛くなってきた。
「……瀬戸さん? お菓子、食べる?」
普段めったに自分から喋らない晴くんが、心配そうにこっちを見ている。「あ、ありがとう! ごめんね」と、私は差し出されたお菓子を受け取る。
……そうだ。このメンバーは、中学校の頃からずっと一緒だ。今更関係が悪くなることなんて絶対にないだろう。きっとこの思いも杞憂に終わる。明日になれば、またみんな仲良くなる。今日は柚寿と柊治郎くんがふたりで居たから駄目だった。明日はきっと最初から瑛太くんが居るから、最初から最後まで楽しいままの気分でいられる。
「瀬戸さん、もしかして疲れてる? 昨日も一昨日も古文の補修みたいだったし……」
「うーん、そうかも。私、古文ってほんとに苦手なんだって。晴くん、教えてよ」
心配そうだった晴くんの表情が、ぱっと変わった。驚いているのか喜んでいるのか微妙な顔で、晴くんは言う。
「……え、僕でいいの? ……ほんとに?」
僕でいいもなにも、私は晴くんに頼んでるんだよ。そう言うと、晴くんは顔を真っ赤にして「ありがと」とぎこちなく微笑んだ。きっと褒められて嬉しいんだろう。晴くんはすぐ顔に出るのでわかりやすい。
晴くんが言ったとおり、二日連続で古典の再試に引っかかるような私は、とにかく勉強しなくてはならない。まだ「きのこかたけのこか」で争っている3人をよそに、私は机の中から古典のプリントを出して机に広げた。