複雑・ファジー小説
- Re: ワンホット・アワーズ ( No.7 )
- 日時: 2015/12/01 18:46
- 名前: 楠木ひよ ◆IvIoGk3xD6 (ID: DYDcOtQz)
- 参照: 12/1 誤字修整
その日の帰り道のことである。
スクールバスに乗り込んだら、あとは5人とも思い思いの席に着く。青山や黛さんは別のクラスの友達と相席するので、僕らが一緒に過ごす一時間はここでおしまいだ。ただ今日は運が悪いことに、隣に餅田がいる。餅田といつも座っている隣のクラスの男は今日欠席しているらしい。「あいつ、胃腸炎になりやがって、ほんと情けねえな。そんな季節でもないのに」と悪態をついている。
ついてないなあ、と思いながら僕は窓の外を見た。櫻鳴塾高校は、都心からは少し離れた場所にある。ほとんどの生徒は電車や自転車で通えるのだが、僕たちが通っている王原第二中学までは車で行っても一時間弱はかかる。そこから僕の家まで、しめて一時間半。とても時間を無駄にしている気がするので、僕はよくバスの中で単語帳を捲ったり携帯ゲームをしたりするのだが、餅田が隣にいられては集中力も切れる。餅田のことはさして好きでも嫌いでもない。いつだったか、確か先月あたり。僕がコミュニケーション英語の時間で先生に「二人組作って」と言われたとき、誰と組むか決まらなくて孤立していたら、餅田はもう友達と組んでいたのにそれを振り切って僕と組んでくれたな。瀬戸さんから聞く話によると、青山の方が優男だとかイケメンだとか言われているらしいけど、僕は青山に比べたら餅田の方がまだ好感は持てる。
「矢桐、ホットココアとか好き?」
「……え?」
そんな餅田が急にこんな事を聞いてきたので困る。
餅田の左手には、「贅沢ミルクホットココア」が握られている。さっきのたけのこの里事件といい、なんて餅田は甘いものが似合わないんだ。僕や黛さんに「そんなキャラじゃない」と思わせたというのに、まだそのネタ引きずるか。と僕は心の中でツッコミを入れる。あと僕は世界で認められたココアのほうが好きだ。
「……そんな嫌そうな顔しなくてもいいだろー。矢桐、よく昼休みココアとかカフェオレとか飲んでるだろ。これ、さっき瀬戸からもらったんだけど、俺どっちかっていうと炭酸のほう好きだし。お前にあげるよ」
餅田は僕にココアを渡す。まだちゃんと暖かいそれは、瀬戸さんが餅田に買い与えたものらしい。なぜ瀬戸さんが餅田に? と、僕は考えてしまう。ふたりがそこまで親密だとは思えない。僕の知らないところで何があるかはわからないけれど、なんとなく瀬戸さんは僕を好いているような気がしないでもないのだ。たまにそんな根拠のない自信が、ふらっと現れる事がある。さっきは「瀬戸さんは僕に1ミリも気はないだろう」と言ったが、よく考えてみると1ミリも気がない男子のことを下の名前で呼ばないし、お菓子を渡したり将来の悩みを話したりしない。つまり、瀬戸さんは餅田ではなくて僕の方が好きなのだ。そんな瀬戸さんが、なんで餅田にココアなんか買ってあげてるんだよ。
「……瀬戸さんと仲良いの?」
「別に。今日もお疲れ様、って貰っただけ」
「……」
餅田に対してずるい、と思ったのはこれが初めてだ。餅田は運動こそできるものの、成績は僕より少し下だし、英語なんて毎回補修だし、すぐ生徒指導部に捕まったり、不良の真似事みたいなことをしたり、はっきり言って見下していた。僕のことを散々いじめてるくせにのうのうと生きているどころか、なんでも器用にこなしてしまう青山には殺したいほどずるいと思っているけれど、まさか餅田をこんなふうに思う日がくるとは思わなかった。
「瀬戸ってさ、ふわふわしててわかんねーよな。お前にも普通に話しかけるし、俺のこともこうやってキープしてるだろ。あーみえてあいつ、ビッチだったりして」
「そ、そんなわけないじゃん!」
思考が追いつかなくて、思わず大声を出してしまった。いきなり何を言い出すんだ。めったに表情を変えない、常に気だるげな餅田が珍しく驚いて、口を開けて僕を見ている。斜め前の席で別のクラスのDQNと話をしていた青山がちらりとこっちを向く。「わ、びっくりするだろ!」とようやく我に帰った餅田が言う。
「……わ、わかったって。今のは取り消す。瀬戸はお前が好き、それでいいだろ」
瀬戸さんは、そんな人じゃない。そう言おうとしたけれど、言葉が喉のあたりでひっかかって出なかった。「お前って冗談通じないよなぁ、ジョークだよ、ジョーク」と餅田は笑っている。笑い事じゃない。一気に気分が落ち込んでしまった。冗談にしてはひどすぎる。「瀬戸さんは誰にでも優しい」それでいいじゃないか。餅田に何の権利があって、僕の瀬戸さんをディスるんだよ。
「じゃあさ、話を変えようぜ。瀬戸じゃなくて、黛の方は?」
「……」
やばいと思ったのか、餅田は話題を変えようとしてきた。餅田にとって話題とは、女性のことしかないらしい。このまま瀬戸さんの話を続けられるよりはマシだが、なにが悲しくて青山の彼女の話をしなきゃいけないんだ。
一番大きな駅を通過する。外はもう少し、暗くなってきている。興味ありません、といった感情を前面に押し出したであろう表情で餅田の話を聞いていると、餅田は突然、イタズラを考えついた子供のような表情で、あることを僕に聞いてきた。
「そういえばさぁ、お前って青山と絶対なんかあっただろ?」
それを聞いた瞬間、頭が痛くなって、吐き気がしたのは言うまでもない。
バレてしまった。何をしたかはバレていないにせよ、何かあるということはバレてしまった。餅田は変なところで優しい。僕がいじめられている事を知ると、餅田はすぐに先生に相談して、青山には処罰が下る。それは絶対に嫌だ。青山を突き落とすのは僕だ。僕が最初から最後まで、あいつに罰を与えないと気がすまない。今はそれの準備期間なのだ。餅田なんかに、それを邪魔されてたまるものか。
なんだか、今日は僕は餅田と話さないほうがいいらしい。バスの揺れが気持ち悪くて、だんだん意識が薄れてきた。
「図星。お前ってほんとわかりやすいなぁ。青山が嫌いなんだろ? 気持ちはわかるよ。わかるわかる」
「……わかるって、何を……」
「大丈夫だって。お前に何があったかは知らないけど。近々、お前は俺に感謝することになるだろうな」
頭の中がぐちゃぐちゃになって、何もわからない。餅田のこの言葉はどういう意味だろう。餅田もまさか青山が嫌いで、近いうちに復讐しようとしているのだろうか。それは絶対に嫌だ。餅田のいう「嫌い」なんて、真面目で堅物な英語の先生を「嫌い」と言う事と同じだ。僕が青山に言う「嫌い」は、もう抹消したくて仕方なくて、昼も夜も、どうやって殺そうか、とかどうやって痛めつけようか、なんて考えるレベルの「嫌い」である。だから、餅田にそんな権利はない。お願いだから、何もしないでくれ。
しかし、餅田がしてきた「提案」は、僕にとっては拍子抜けするほどあっけないものだった。
「俺は柚寿が好きだ。俺が柚寿と付き合えば、矢桐も嫌いな奴が不幸になって幸せだろ?」
バスは相変わらず揺れ続けている。餅田の目は勝利を確信している。
僕はあまりの展開に頭が追いつかず、ただ餅田を見ていた。