複雑・ファジー小説
- Re: 当たる馬には鹿が足りない ( No.1 )
- 日時: 2019/02/10 02:33
- 名前: 羅知 (ID: u5ppepCU)
prologue〜当たる馬には××が足りない〜
私立貴氏高校1年B組の馬場満月(ばばみずき)は、極度の当て馬体質である。
彼自身は己のその性質をいたって真っ当なものであると考えているが、彼のその性質は常人の域をとうに超えている。
彼の想い人へのアプローチは凄まじい。花束を渡したり、ガードマンという名のストーカー行為をしたり、ラブレターといって、十数枚にも及ぶ謎の暗号を下駄箱においたりと、細かいものを含めればそのアプローチは千を軽く超える。
これでは彼の想い人も困りものだろう。
しかし彼のこういった数々のアプローチは、彼の想い人にとっては良い方向に、彼にとっては裏目に”必ず”作用する。彼のアプローチは決まって所謂”もどかしい奴ら”や”くっつきそうな奴ら”にとって、素晴らしすぎるアクシデントとなりーー
「ま、た、フラれたっーー!!」
ーー彼の失恋へと繋がっていくのだ。その確率驚異の100%。
しかしながら、彼がこの学校に来たのは、ほんの一ヶ月前。
この”彼”の存在を知らない奴はいないが、かつての”彼”のことを知る者はいない。
かつて”彼”の隣りにいた”彼女”のことを知る者は誰もいないのだ。
この物語は、当たる馬というには、鹿が足りない。
実に馬鹿馬鹿しい物語だ。
ーーーー馬鹿馬鹿しくて、痛々しい物語だ。
+馬場 満月+ ばば みずき
貴氏高校1年B組に属す。驚異の当て馬。厨二病がかっている。
転校以前のことを知る者は誰もいない。主人公。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない ( No.2 )
- 日時: 2019/02/10 02:32
- 名前: 羅知 (ID: u5ppepCU)
- 参照: http://http://blogs.yahoo.co.jp/ilovesekai/63729417.html
【第一馬 人類万事塞翁が馬】
「ああっ!!また俺の、この暗黒の波動に耐え切れず一人の少女が俺の元から去ってしまった、か……」
「おい馬場。お前の発言で僕の耳が腐るから普通に言え」
「悲しいなあ……、濃尾君慰めてくれないか」
「よしよし」
コイツーー馬場満月の周りでは、こんな風景が毎日繰り返されている。
ほぼ一ヶ月、彼はこの学校へ転入した。
「このクラスに今日から転入させてもらう馬場満月だ!!みんな仲良くしてくれ!!」
転入初日彼はそう言って黒板に自分の名前を達筆な字で大きく書いた。 そしてクラスの皆の方を向いてにっこりと笑った。彼のそんな柔和な態度にクラスの皆はすぐに彼と打ち解けた。少し変わっていて、いちいちオーバーな反応が目立つ彼はまるでテレビに出てくるコメディアンのようで"転校生"はあっという間に"人気者"となった。
正直言って、"どうでもよかった"。
僕は当時学級委員で、学級委員の立場として彼にこの学校のことを教えたり、案内等を任されたがやっぱり"どうでもよい"のには変わらなかった。僕は学校の"情報屋"だ。僕にとって"価値"のあるもの。それは僕の"興味"を沸かせられるものだ。馬場満月は、その点ただの"転校生"でしかなかった。
否。
彼の"笑顔"には、若干の苛立ちを感じてはいたけれど。
しかしその"印象"は、がらりと変わる。
コイツが転入して、二週間程経った頃だ。
「ああ、また一人の少女が俺の元から去った、か…」
という言葉を二週間で二十回近く聞いてる事に気が付いた時には、自分の耳を疑ってしまった。
(アイツ、一日に何回フラれてんだ……?)
気になって調べてみると、驚くべき事が分かった。
コイツが告白して、そしてフラれてきた女子達は、必ず別の噂されていた男子と付き合っているのだ。それもコイツが告白してから一週間以内に。
一体どんな奴なのだろうと思った。学校随一の情報網を持っている僕以上に早く、だれよりも早く”くっつきそうな二人”を”くっつける”コイツは。
(……まあ、只の”馬鹿”だったんだけど)
”コイツ”はただただ惚れやすいだけだ。そしてよく当たる馬なぶん。
それは、コイツに近付いて、腐れ縁のように同じクラスになって、普通に一緒に馬鹿やって、こうやって昼食一緒に食べて、コイツの”親友”といえるポジションについて。早六月。
よく分かった。
「あはは…濃尾君ありがとな。元気出た」
「…つーかお前。よくそんな馬鹿みたいに当たってられるな。そんあ当たってたら、リアルな馬だったら死んでるぞ」
「?……言ってる意味が分からないが…俺は死なないぞ?」
”コイツ”の馬鹿さ加減には、いい加減腹が立つ。僕が言ってるのはそういう事じゃなくて。
「…お前、そんなにフラれまくってんのに、傷つかねーのって聞いてんだよ。クソ野郎」
僕がそう言うと”コイツ”は一瞬真顔になり、そして噴き出して笑った。
「心配してくれていたのか?濃尾君は分かりにくいからな…もう少し優しく言ってくれないと俺だって分からないぞ?」
「別にそんなんじゃ」
「それに、大丈夫だ」
「……」
「傷付いた分だけ人は強くなれる。それにその傷だっていつかは治る。
…濃尾君、心配してくれてありがとな」
(分かってたよ…。”コイツ”がそういう人間だって)
だからこそ僕はコイツが心配で堪らない。
この学校の情報屋たる僕は、人の事を知らないと安心できない。むしろそんな性格だからこそ僕はこの学校随一の情報屋になったのだから。
だけどコイツは別だ。僕はコイツのことはほとんど知らない。コイツが転校してきたその日から僕はコイツのことを調べ続けてきたけれど、前いた学校、家族関係、何県に住んでいたかさえ〝過去”のことは全然分かっていないのだ。
ふとした瞬間コイツと一緒にいると安心する。だけど心のどこかで不安になる。
ーーーこれが全部”ウソ”だったら、と。
安心できるのに安心できない。こんな感覚は初めてでとてもーーーー
コイツの腕には白い包帯が二重、三重にもグルグル巻きにされている。
きっと、多分、僕がこんな風に思うのは”あの日”の出来事が要因しているのだろう。
ーー”あんな姿”を見てしまったから。
降り始めた雨を見ながら、僕は一ヶ月前の”あの日”を思い出す。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.3 )
- 日時: 2017/08/19 15:40
- 名前: 羅知 (ID: bCe2zMsP)
七か月前の”あの日”も今日と同じように雨が降っていた。ざあざあと自分に降りかかってくる風雨から逃げるように僕は倉庫に入る。
この時僕は体育祭の実行委員をしていて、物を運ぶために倉庫にいかなければならなかったので図らずとも目的は達成したのだがーーーこの雨だ。
どうやって戻ろうか。
「……濃尾君か?」
ふと名前を呼ばれ、倉庫の奥の方を覗くと”馬場満月”はいた。
雨宿り仲間を見つけた事が嬉しかったようでにっこりと笑って。
「その声は……馬場満月…だったっけ?…僕の名前、覚えてたんだ?」
対する僕も笑顔で対応する。彼とは違い完全な作り笑顔で。
”人には基本笑顔で接して、一線に踏み込みながら、踏み込ませない”この十六年間で学んだ処世術だ。この”笑顔”で僕は情報を集め、そして売りさばいてきた。なのにーーーーー
「勿論だ!!大事な仲間達の名前を忘れる訳ないだろう?」
ーーコイツの”笑顔”の前では、僕の”偽物の笑顔”は霞んでしまう。
その”笑顔”を見て、歪みそうになる口元を抑えながら内心毒ずく。
(愛とか、恋とか、友情とか。なんてしょうもないものに、コイツは”全力でいるんだ?…本ッ当に”気色悪い”……)
そう、この時点では僕はこの”馬場満月”という男が大嫌いだった。
"愛情友情至上主義の博愛者"----それが僕が馬場満月のことを調べる中でついた"印象"だった。興味がなくあまりコイツのことを知らなかった時には分からなかったけれど、コイツの"ソレ"は他の人間と一線を越えて"異常"だ。
例えば、数日前のことだ。
明らかに"目立っていた"コイツは、やはり"悪目立ち"もしてしまっていたようで、素行の悪い上級生数人に囲まれていた。どうやら、その数人の一人の彼女?に告白してしまったらしい。その話が事実かどうかは分からない。ただ明らかに目立っているコイツをソイツらが殴りたがっていたのは分かった。
周りの人間が心配して見守る中、コイツはいつものように馬鹿みたいに笑ってその上級生共へ言った。
「先輩方も、俺の"アプローチ"を受けたかったのか?」
「「「は???」」」
「恥ずかしがらなくてもいいぞ!!俺の煌めく魅力に惹かれてしまう気持ちは分かるからな!!安心してくれ!!俺は全人類を愛している!!!先輩方にも随時アプローチをかけにいくからな!!!」
その場にいた全員の口が、コイツのその発言でポカンと開いた。何を言っているんだコイツは。誰もがそんな目をしてコイツを見た。あまりに場違いなその発言と、態度に素行不良な上級生共は"気色悪さ"で後ずさってそのまま逃げていった。
結局その騒動は、その先輩達への教師による指導で幕を閉じた。当の本人は分かってるのか分かっていないのか「今度は俺から会いに行くからな!!」なんて快活に笑って、教師に連れてかれる先輩共に手を振っている始末だ。
こんな奴はおかしい。どうして周りの人間は、"明るくて良いやつ"だけでコイツのことを済ませられるんだ?
”驚異の当て馬”であるコイツの体質には興味があったが、あくまで”体質”にだ。個人的な性格については一切馴れ合えない。
愛とか恋とか友情を至上とするコイツの人間性を軽蔑していた。
”驚異の当て馬”であるコイツの体質には興味があったが、あくまで”体質”にだ。個人的な性格については一切馴れ合えない。
と、そんなことをコンマ一秒で考えて。
僕は”馬場満月”と会話する。内心を悟られぬように。
「…はは、ありがと。ところで馬場はどうして此処に?実行委員じゃなかったよね?」
「ああ、俺は…”アプローチ”の準備をしていたんだ。少女達をガッカリさせる訳にはいかないからな」
-----僕はお前の人間性にガッカリだよ、と零れそうになる言葉を飲み込んで、もう一度”笑顔”を繕う。
”この男”はどれだけ僕の”笑顔”を崩させる気だろう。
この頃から既にコイツは”当て馬”として学校中に知られていた。
当然だろう。何せコイツは転入初日から、”アプローチ”を行っていたのだから。
「…馬場、そんな事してて楽しいの?」
ふと疑問に思った事を聞いてみる。きっと期待するような答えは返ってこないと分かっていながら、それでも。もしかしたら少しは楽しいことが聞けるかもしれない、そんな風に思ってなんとなく僕はコイツに聞いた。
案の定。
「ん?…楽しいかどうかはわからないが、コレは俺にとって生きがい
だからな。生きているからには、人を愛さなければな!!」
(……聞いた僕が馬鹿だった)
分かっていた癖に、無様にも何か違う返答を期待していた自分に絶望して、隠しきれず頭を項垂れる。
そして。
項垂れた頭を上げた先に映ったその。
白い白い包帯に。
------------僕は引き寄せられてしまったのだった。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.4 )
- 日時: 2019/02/27 06:35
- 名前: 羅知 (ID: nQ72gOzB)
「馬場、その包帯、何?」
頭を上げた先の袖から少し見えるその白い白い包帯に、疑問を感じ思わず問う。
何となく”そこだけ違う”と思った。確かにこの男は厨二が入っているけれど、”そういうの”ではないのだ。
いや、そもそもそういう意図なら袖の中に隠している必要はない。もっと分かりやすい部位にする筈なのだ。
ーーそれならば何故隠しているんだ?
(…これは、チャンスかもしれない)
この男の”弱み”を知ることができる。そう思うと胸が高鳴った。
これで、あの”完璧な笑顔”を、歪めさせれる。
僕の、言葉、一つ一つに、”あの顔”が崩れる。
ーーーなんて素晴らしいんだろう!!
「……ねえ馬場、早く答えなーー」
が、その刹那。
僕は自分の考えがあまりにも”甘すぎた”ことを知る。
「”ヤ メ ロ”」
初めその声が誰のものか、認識できなかった。
だけども認識する必要はなかった。
声の持ち主は、”目の前”にいたのだから。
”目の前で僕の首を絞めているのだから”
え 嘘 やめて
死んじゃう 痛い 痛い い き
くるし
い た も
誰か
た す けて ち
ごめ ん なさ いや
まだ し
に たく 誰か
ーーー死にもの狂いで暴れてもなお”目の前の男”はその首に込める力を緩めなかった。声にならない叫びも、許しを乞う声すら、目の前の男には届かない。
涙も 涎も 汗も 排泄物も 全部が混ざる。
もうなにもかんがえれない あれ まっくろい め が
こっ ち を むい た ?
**********************************
「まあ、これくらいでいいだろう」
と、”力を緩める”男ーーーー馬場満月。
しかし、今の”彼”を見て”馬場満月”だという人間は恐らく一人もいないだろう。
火傷してしまう程に冷め切った目。
人間であるか疑ってしまうような無表情。
ーーーーまるで別人だ。
「…なんで首絞められていたのに”笑ってた”んだ。濃尾君。」
人形のようにだらりと腕をぶら下げ、開いたままの口でうわごとを言い続ける、もう焦点も合わなくなった”クラスメイト”に聞く。
返事なんか返ってくるわけないけど。
そう理解しながらも、気になって聞いてしまう。
自分でも馬鹿馬鹿しいと思った。
「………………本当白くて、細くて----女の子みたいな体だな」
全身を脱がせ、写真を撮る。
この写真で脅せば、”コレ”の事はもう嗅ぎまわらないだろう。
正直言って、一目見たときから"コイツ"のことはあぁ嫌いだ、そう感じた。そんな感情は初めてで、"馬場満月"の中に、そんな感情があることを恥ずかしく思った。そんな感情を目覚めさせたコイツのことが余計に嫌いになった。コイツが離れた所で自分のことをずっと見ているのは知っていた。痛いほどその視線は刺さっていた。気持ち悪かった。自分のことを探ろうとするとその目を抉ってしまいたいとさえ思っていた。コイツの目を見ると、無性に苛つく。嫌悪だけだったらいい。そんな視線ここに来てから何度も浴びているのだから。ただコイツの目は---------
(だからって、ここまでするつもりはなかったんだけどな)
少し痛い目に合わせようと思っただけだった。こんな顔を出して首を絞めるような浅はかな真似するつもりじゃなかった。ただあの目でこの包帯をじっと見られた時、自分の中で何かがぷつり、と切れた。どうしようもなく、自分の中のコイツに対する"嫌悪"が溢れてしまって------まぁ、このくらいしなきゃきっとこの男は黙らなかっただろう。結果オーライだ。
でもうっかり強く絞めすぎてしまった。その首にはくっきりと紅黒い跡が浮かんでいた。真っ白な顔で動かないその姿は死体と相違ない。唯一違うのは、息をして心臓が動いている所だけだ。さっきまで泣き喚いていたのが嘘みたいに静かだ。
ざあざあと雨の音だけが聞こえる。今、ここには俺とコイツの呼吸の音しかしていないめじめとした空気が肌を包んで、首を絞めた俺の手にどうしようもない不快感を感じさせた。
(なんなんだよ、この感情は…………)
あぁじめじめしていて本当にうざったらしい。いっそのこと全てこの雨粒に流してしまえばいい。そう思って体育倉庫のドアを開けようとしたその時。
力強い意思を持った手ががしり、と俺の足首を掴んだ。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない【狂気注意】 ( No.5 )
- 日時: 2017/08/19 17:03
- 名前: 羅知 (ID: bCe2zMsP)
先程まで呆けていたとは思えない程、その手の力は強い。ぐいぐいと足に爪が食い込んで、血が出てしまいそうだ。反撃されるのだろう、そう思った。まぁ仕方がない、あんなことしたら誰だって相手を殴りたくなる。写真は撮った。弱みはこちらが握っている。あんな小柄な男の弱々しいパンチなんて、ダメージにもならない。
そう思って、身構えたのに。
”彼”は。
「…あは」
と、確かにそう声をだして彼は笑った。
”堪えていたものを吐き出す”ように。
瞬間先程の彼の”表情”を思い出す。
苦しそうにもがく彼が瞬間見せた、”あの”表情。気味の悪い、嫌悪の中に見せたあの--------"何かを期待するような瞳"。見間違いではなかった、勘違いじゃなかった。あの鳥肌が立つような"気持ち悪さ"は!!!
そうこうしてる間にも彼は”笑い続ける”。狂ったように"笑い続ける"。まるで壊れた機械のように、鐘を鳴らした時の残響のようにその声は俺の頭の中に響いてくる。気持ち悪い。気持ち悪い。入ってくるな。そう思っていても、耳を塞いでいたとしても、その声から逃げることは出来ない。
顔は、まだ見えない。だけどもう分かりきっている。
こんなにも笑い声は、響き続けているのだから。
「…なあ、もうやめてくれ」
「あははははははははははッ!!」
「……もう、分かったから」
「あはははははははははははははッ!!!」
「………あやまるから!!!」
呪いのようなその笑い声に耐え切れず、思わず叫ぶ。
雨の音は聞こえない。
止んだのではなく、その笑い声のせいで。
しかし、そんな状態でも俺の精一杯の叫びは届いたらしい。
そこでようやく彼は笑うことを止めた。
真顔でまっすぐこちらをみて首を傾げる。笑い過ぎて涙も出てきていたのだろうか。その目は真っ赤だ。何を言っているのだろう、そのような顔で彼は純粋に、子供が親に質問するかのような純粋さを持ってして俺に言った。
「………なんで?」
あっさりしたその言葉に拍子抜けした。
のもつかの間。
俺が反論する間もなく彼は次の”言葉”を口にした。
否。
”それ”を”言葉”と呼ぶのは些か甘くみた表現だろう。
それは。
「ボクは馬場に首を絞められて本当に気持ちよかったのになんでそんなコトいうのさ別にボク本当はあと五分くらい首絞められててても平気だったのになーんて嘘嘘流石に死ぬよあと五分も首絞められてたらどう?いまの冗談面白かった?馬場には面白くないよね分かってるよああッその顔本当にイイもっと蔑んでもっと軽蔑してうんさっきはごめんね本当に死ぬかと思って思わず抵抗しちゃった恐怖しちゃった全然死んでもいいのにねむしろ殺して今の馬場なら全然オーケー!!歓迎するよああっ本当素晴らしいよね嫌悪って嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪さて今何回嫌悪といったでしょう?」
先程の”呪いの言葉”と何ら変わらない。
むしろ明確にこちらに向けられている分悪意が増してると思った。
嬉しそうに、楽しそうに、悦びに溢れた顔でこちらを見る目。
気が付けばこちらの顔も笑っていた。
あれほど感じていた嫌悪感も、鳥肌立つような寒気も、いつの間にか消えていた。一周まわって全てがどうでもいい。ああコイツは"こう"なんだ。そう理解することで、自分の中にあったそれらはどろどろと溶けていった。
「あは、は、は…………」
今だけは。
笑っていようと思った。
”自分と同じように”壊れてしまった彼と一緒に。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.6 )
- 日時: 2016/08/06 16:05
- 名前: 羅知 (ID: HCf49dnt)
****************************************************************
頭が冷えて、冷静になってみると先程の自分の様子を思い出して血の気が引いた。
”また、やってしまった”、と。
僕ーーーー濃尾日向は”嫌悪”に興奮する特殊嗜好を持っている。
一度、興奮してしまうとその熱はすぐには収まらない。我を失い、理性は砕け、先程のように笑いが止まらなりくなり、異常な程饒舌となる。
自分ではどうしようもできないのだ。この”衝動”は。
(クソ……高校に行ってからは”成って”なかったんだけどな)
「随分と表情がクルクル変わるな。さっきまでの君は演技だったのか?」
その声で気付く。自分が先程”馬場満月”に首を絞められていたという衝撃の事実に。
というか”アレ”は本当に”馬場満月”なのだろうか?
姿形は確かに馬場だが、雰囲気と表情がまるで違う。
表情は、さっき自分の首を絞めていたときまったく変わらず冷め切っており、雰囲気は普段の明るいオーラが嘘みたいにない。
「……お前、本当に、馬場?」
「それ以外の誰だと?…君こそ、本当に濃尾君なのか。さっきの”狂人”のような君は一体何者なんだ?」
「………お互い、結構な”モノ”抱えてるみたいだね?」
僕がそう言うと馬場は心底嫌そうな顔をしながら、こちらを一瞥した。
ああ、ダメだ。
そんな顔で見られたらーーーーー興奮してしまう。
さっきみたいに、僕が”僕”でなくなってしまう。
ーーーー気持ちいい。その視線が、その蔑ずんだ目が、最高に!!
「−−−もう一回”絞めて”やろうか?」
そんな僕の思考を見透かしたかのように、そう言う馬場。
その言葉に全身が歓喜する。
「本当、に?」
「ああ。けど”条件”があるーーー今日”見たこと”を全て忘れろ。あともう俺の事は詮索するな」
やはりそうきたか。ある程度予測はしていたけどーーーーこんなショッキングな出来事、忘れたくても忘れることができなそうだ。
それにーーーーー
「もしーーーNOと言ったら?」
「そうだなーーーーまあ、首は絞めないし、”コレ”が学校中にばらまかれることになるだろうな」
そう言って、呆けた表情のまま半裸で座っている僕の写真をチラつかせる馬場。
わざとなのか、その表情はいつもの”馬場らしい”笑顔だ。
ーーー目の前の”この男”と”馬場満月”が確かに同一人物だと思い知らされる。
「ははーー断らせるつもりはない、ってことか」
「断るつもりだったのか?」
牽制するかのように、そう威圧する馬場。
クラスの中でも高い部類に入る馬場の身長。それに比べ、頭二つ分小さい僕。
体つきだって完璧に負けている。
腕の一本二本折られるかもしれない。”コレ”を言ったら。
ごくり、と生唾を飲み込む。
「いやーーそんな訳ないけど。譲歩させてくれてもよくない?」
「−−−何がお望みだ?」
意外にも譲歩は可能だったらしい。その返答に少し顔を綻ばせる。
ーーまあ、提案が受け入れられるかどうかは別だが。
「まあ、ちょっとしたコトだよ」
「僕、濃尾日向は”馬場満月”というイメージを守るために全面的に協力しよう。僕の持てる全ての情報をもってフォローしよう。今日あったことは絶対に誰にも喋らないし、詮索もできる限り、最低限におさえよう、なにイメージ保護に必要な最低限の情報だけさ」
「だからさ」
「−−−−お願い二つ聞いて欲しいんだ。一つは”首絞め”をあと一回じゃなくて、週に一回、いや二週間に一回行ってほしい。こう見えてもうら若き男子高校生だから。そこら辺の事情は察してほしい。あともう一つーーーー」
そこで大きく息を吸う。
心なしか馬場は少し笑っていた。僕の”譲歩”に笑っているのだろうか?
「…”馬場満月の親友”というポジションを僕に贈呈してくれないか。頼む、お前という人間の傍にいたら、きっと、世界がもっと面白くみえるようになる気がするんだ、ねえ、頼むよ」
「”ミズキ”」
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.7 )
- 日時: 2019/02/10 02:36
- 名前: 羅知 (ID: u5ppepCU)
その”言葉”に馬場は小さく肩を揺らし僕に問う。
いつの間にか笑顔は消えていた。
「…その、”呼び方”、なんだ?」
「コレ?…やっぱりお前を”馬場満月”っていうのは、ちょっと抵抗があってさ。お前が嫌ならやめるよ?」
「いや…別にいい。……譲歩の話に戻るが…”受け入れよう”」
「ホント!?」
そう言って喜んだ僕を鼻で笑いながら、話を続ける”ミズキ”。
どこか、あきらめたような、空気が抜けたような乾いた笑い方でこちらを見る。
「そういうことなら、俺も筋を通さなければならない。”ヒナタ”は俺の”親友”になるのだろう?なら」
「これくらいの”ご褒美”はあげなきゃーーーな」
その瞬間、彼は腕に巻いていた”包帯”をほどいた。先程あそこまで隠していたのにもかかわらず、なんの躊躇もなく。
ああそうか。
彼はコレをするために、”あきらめた”のか。
”僕に包帯の下を見せないこと”を。
こんなにもおかしい僕のために。
「気持ちいいか?……”ヒナタ”!!」
”ミズキ”は首を絞めてくれる。
その”白い白い包帯で”
”ミズキ”は高らかに言う。首を絞めながら。
本当に本当に”優しい”顔で。
「お前は”おかしい”!!どうしようもなく”おかしい”!!…でも、それは俺も”一緒”だ…俺はその”おかしさ”に賭けようと思う…俺はお前を信じるよ……”濃尾日向”ではない”ヒナタ”…」
意識が飛びかけるなか、少しだけ。
彼の”何者でもない”笑顔と、包帯のしたの”ソレ”が見えた。
*******************************
降りしきる雨の中、遠い”あの日”を思い出す。
今でも、あの日の出来事を信じられずにいる僕はその”姿”が”ウソ”ではないと信じるために”彼”を揺さぶる。
「…お前、そんなにフラれまくってんのに、”傷つかねー”のって聞いてんだよ、クソ野郎」
”傷”という言葉に反応し、真顔になる”彼”。
”ミズキ”の眼がコチラを静かに睨む。
”あの日”包帯のしたに見えたもの”ソレ”はーーーー無数の”傷”だった。
ありすぎて、どれがどの年代にやったのか分からない程の。
だから、僕は確かめる。その”傷”を使って。
”馬場満月”という”コイツ”は馬鹿に違いないーーーーーーーだけど”ミズキ”は違うのだと。
僕だけが知ってる”ミズキ”は違うのだとーーー確かめたいのだ。
僕たちの”関係”は誰かが見たら、酷く歪で狂っていて不安定なものにみえるかもしれない。
でも誰にも知られていないんだ。
僕だけが知ってるんだ。
だからーーーーいいんだ。
この不安定な感覚を抱きしめながら、僕は今日も振りしきる雨を見つめる。
また放課後”彼”にあの倉庫部屋で会えることに、歓喜しながら。
++++++++++++++++++++++++++++++++
ーーーー第一馬【人類万事塞翁が馬】 一話【止まない雨】→【病まない編め】
+馬場満月+ ばばみずき
貴氏高校1年B組に属す。驚異の当て馬。厨二病がかっている。
転校以前のことを知る者は誰もいない。濃尾日向が親友。主人公。
*濃尾日向* のうびひなた
貴氏高校1年B組に属す。学校一の情報屋。愛想もよく、学校の先生生徒からも信頼されている。馬場満月が親友。語り部の一人。
+ミズキ+
馬場満月の”もう一つの姿”。二重人格ではない?冷酷で目的のためなら手段は選ばない。”おかしさ”に反応する。語り部の一人。
*ヒナタ*
濃尾日向の”もう一つの姿”。二重人格ではない?嫌悪を愛しており、痛めつけられることが好き。”嫌悪”に興奮すると”成る”。語り部の一人。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.8 )
- 日時: 2016/05/04 15:54
- 名前: 羅知 (ID: ycR5mxci)
- 参照: http://www.kakiko.info/bbs2a/index.cgi?mode=view&no=564
○報告と挨拶
現在機械が壊れてめちゃくちゃあせっている羅知です。ここまで読んで下さった皆様、本当にありがとうございます。
最初のタイトル→本当のタイトルのようにラストでまとめてみたのですがいかがでしょうか。次からは話の最後の部分にまとめの一文をのせたいと思います。
今回はこんな感じです。
ちじれてしまった糸と糸。縦と横のその糸を、編んでも編んでも出来上がるのは歪な出来損ない。止まない雨など存在しない。病まない編めなど存在しない。
訳わからないとは思いますが、一応、話のオチ、真相として書いてるつもりです。その下にあったキャラ紹介は毎回少しずつ増やしていく予定です。
一つ宣伝を。上記のURLでこの話のキャラ募集のスレに飛びます。
いつもよりテンションの高めの羅知が、出迎えておりますので興味が沸いてくれた方はぜひ投下していただけるとありがたいです。
どしどし応募待ってます。
次回からは、そのスレで投下されたキャラが出てきます。
それではまた、第一馬の終わりで。
失礼しました。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.9 )
- 日時: 2016/05/01 00:25
- 名前: 日織 (ID: x2W/Uq33)
はじめまして!
オリキャラを投稿させていただいた者です。
小説読みました。ミズキとヒナタのちょっとヤバイ感じがツボで、とても読んでいてドキドキしました!
次回も楽しみにしてます!
- 返信 ( No.10 )
- 日時: 2016/05/01 08:46
- 名前: 羅知 (ID: ycR5mxci)
>>9 えと…、あの…、この小説内ではまともに喋ろうと思ってたんですけど……いいですか?
羅知「ありがとうッ!!!嬉しいよ本当にッ息ができなくなりそうだよ!!あはははッ!!寂しくて寂しくて死にそうだった…俺の小説なんて誰も見てくれてなんかない…って、もうあきらめれば?…ってずっとずっとずっとずーーーーっと!!!ありがとう、君がいてくれて俺はーーーー本当に幸せだ!!!」
と、感謝を”ヒナタ”風に伝えてみる。はい、ヤバいのが好きなんです。ドキドキして下さったなら幸いです。オリキャラありがとうございます。小鳥ちゃんのキャラは個人的に好きです。これからも頑張りますので応援よろしくお願いします。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.11 )
- 日時: 2016/06/08 02:04
- 名前: 羅知 (ID: ycR5mxci)
更新遅れて大変申し訳ありませんでした。
↓二話になります
第二話「重い愛」
「日向くんッ!!ボクと協力しない?」
僕の目の前でそう言い放った少女にしか見えない”少年”−−−椎名葵のその一言により僕達は巻き込まれる。
−−−くだらない青春時代に。
これはそれなりに平和だったかもしれない僕と馬場の七か月間。
その始まりのはなし。
****************
ーーーとある昼放課
「は??…えっと、シーナ、何言ってんの?」
「だーかーら!!言ってるでしょ、協力してって」
「うん……それが分かんないんだけど」
シーナこと椎名葵は、変わり者ばかりいるこのクラスの中でも特に目立つ存在である。
見た目に問題は…ない。”女子の制服”を校則を守って着こなしている。問題は”彼”の性別だ。彼は男だ。れっきとした。つくべきものはついているし、ついてないものはついていない。
所謂”男の娘”という奴だ。
「あのね!!日向君さあ、二週間くらい前から満月くんと仲イイじゃん、気持ち悪いぐらいに!!…んもう、悔しくないのッ??」
「…何が?」
「…馬場くん、最近ケートとつるみだしたでしょ!!取られちゃうよ!?…っていうかボクが耐えられないんだけどー!!」
二週間前の”あの日”、僕と馬場は”親友”になった。
そして次の日から、僕と馬場は一緒にいるようになった。周りに自分達が”親友”だと認識させるために。
(ケート……ああ尾田慶斗ね。確か幼馴染なんだっけ…。でもその件については僕もあんま分かってないんだよな…)
尾田慶斗と馬場が最近よくつるんでいることは勿論僕も知っている。…僕だって耐えれてる訳じゃない。馬場本人にだって聞いてみたのだ。なのに。
(…アイツってば、僕がそっち向いてても、直接聞いても、”苦笑い”するぶんなんだよな…。”ミズキ”も最近出ないし)
苦笑いしているってことは、詮索するなってことなのだろう。
”それ”を僕が詮索するのは、”約束”を破ることになる。
だけど。
「−−−シーナ、昔、尾田慶斗となにがあったの?そんなに拘っているのなら、ずっと近くで見てればいい。なのになんでそれをしないの?」
「それ、は…」
「−−−−−いつまでそんな”振り”をするつもりなの?」
”偶然”知ってしまったのなら問題はないはずだ。
ーーー僕は”情報屋”。”依頼”には応えるべきだ。
「いいよ。”依頼”を受けてあげる」
「……」
「お代は、君の持ってるその”情報”。君と尾田慶斗の昔のはなしでも何でもいいよ。…安いもんでしょ、っていうかほぼほぼタダだよね。誰かの弱みが知れるわけでもないんだから」
少し怯えた顔でこちらをみる椎名葵。同じクラスなんだから知ってる筈だ。”情報屋としての僕”の苛烈さなんて。
いつもの態度が”素”ではないことなんて分かっているだろうに。
僕は笑顔で椎名葵に言った。
「知ってる事、全部話せ」
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.12 )
- 日時: 2016/06/06 02:33
- 名前: 羅知 (ID: ycR5mxci)
「ホントにさ…日向君って”ギャップ”がありすぎ」
そう言って諦めたように、僕の目を見つめる椎名。先程までの怯えた表情はただ顔がこわばっていただけだったらしい。
その顔はさっきまでの彼より、自然に見えた。
「…ギャップ?」
「そう”ギャップ”。…そんな女の子みたいな可愛い顔してて、それこそボクみたいな恰好したらまんま女の子!!って感じなのにさあ……急にとがったナイフみたいにボクの”大事なトコロ”刺してくるんだもん。びっくりしちゃった」
「……女の子みたいとか言わないでよ。気にしてるんだから」
僕のその言葉に噴き出す椎名。
…どうやら僕の”ナイフ”はとんだなまくらだったようだ。
じゃなきゃこんな顔されるはずない。
もっと苦しそうな顔にさせるはずだったのに。
ーーーーもっと僕のことを”嫌い”になるはずなのに。
「それで?早く話してよ……”お代”の話」
自分のそんな動揺を誤魔化そうと、話を急かす。
それでようやく彼もその”顔”を止め、真面目な顔になり。
話し始める。
「…ボクとケートの話ねえ…。ふふふ今でも思い出すと笑えてくるんだ。一緒にいた頃は幸せだったから」
「………」
「あの頃に死んでれば、今でも幸せだったのかな?…ケートは優しいからなあ…毎日墓参りにきてくれるんだろうなア…ふふ」
うっとりした顔でそう話す彼は”異常”だ。
いつも変わってる彼だけれども、その〝眼”はいつも”光”に満ちていた。
だけれど今の彼の”眼”には明らかに、心の奥底の”闇”ーーー病みというべきかーーーが漏れている。
「ボクとケートは保育園から一緒でねーーーケートは人付き合いの苦手だったボクの手をいつも引っ張ってくれたんだ。小学校に行ってもそれは変わらなかった」
「………」
「この頃はまだ、この”性質”隠しててさ…だけどケートにはーーケートにだけは話そうと思ってそれでーーー小学三年の冬、ケートに話した」
そこで話を切り、僕ににっこりと笑いかける椎名。
「どうなったと思う?」
「どうなったって………今こうなってるんだから、クラスの皆にバレたんでしょ?…尾田が言ったの?」
だいせいーかーい!!と、言いながらニヤニヤとする椎名に違和感を感じる。
「…ふふふ、ケートはね、とっーても優しいんだア…」
「は?何…どういうこと」
椎名の真意の読めない発言に思わず苛立ちもあらわになる。
いやーーーー違う。
僕が苛ついているのは”そこじゃない”。
先程からずっと漏れ続けている”彼”の”彼”に対する”感情”。
一人の人間が一人の人間に渡すにはあまりにも重すぎる”ソレ”
「…ケートは、僕のこの”性質”を知っても、僕の事を気持ち悪いなんていわなかったよ。それどころか」
「ケートは”ソレ”が”周りの人間”にも”受け入れられる”−−−−−そう思ったんだ。…そんな訳ナイのにね」
少年と少年のお互いの”ズレ”が、彼をここまで狂わせた。
ーーー人が人を思う”愛”のせいで。
だから僕は嫌いなんだ。この”愛”が。
最初から嫌ってしまえれば何も問題はないのに。
「結果は大惨事。…ボクはクラスから孤立した。まあわざとでもあったよ、こうなってしまえば下手すればケートにまで被害が及ぶからね。−−−−それだけは避けたかった」
「…馬鹿だね、君をそんな目に合わせたのは”彼”だっていうのに」
”彼”を侮辱されたと思ったのか、椎名は僕を睨む。
ーーー明らかにその目には”殺意”がこもっている。
(狂ってるな…どこまでも)
その程度のことで”殺意”が生まれる”彼”も。
その視線をどこか心地よく感じてる”僕”も。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.13 )
- 日時: 2016/06/08 02:29
- 名前: 羅知 (ID: ycR5mxci)
「…まあいいや、日向くんにはこれから”借り”をつくることになるもんね…許してアゲル」
「は、は…そうしてくれればありがたいよ」
そう言って椎名は僕を睨むのを止めた。それと同時に”ヒナタ”になりかけていた僕の精神も現実に戻される。
(……危ない危ない)
”あんな姿”クラスの皆にみせたらもうこの学校に来れなくなる。
”中学生の時”みたいに学校に行けなくなるのはもうごめんだ。
ーーーーまたあの”白い部屋”になんか戻りたくない。
「…日向くん?どしたの?」
「…う、あ、ごめん。ボーっとしてた」
考え込んでいると、外の感覚が曖昧になっていたようで椎名が心配そうに僕の顔を見つめていた。
その表情には、さっきまでの”殺気”はない。
彼は”許す”と言ったあと本当に気持ちを切り替えたらしい。
ーーー極端すぎてびっくりする。
「顔が真っ白。…体調でも悪いノ?」
「ん、いや大丈夫」
「ふーん、それならいいけど…あ、そうだ」
そう言うと椎名は意地悪そうににいーっと笑い、器用にその場でくるっと回り僕にびっと指をさす。
……なんだか悪い予感がする。
「イイ事思いついちゃった♪今日放課後、一緒に帰ろうよ?……来なかったらユルサナイから」
なんだかよく分からないけれども、僕は放課後トンデモナイ目にあわされるのかもしれない。
運悪く予冷のチャイムも鳴ってしまった。
覚悟しなければならない、そう思いながら僕は静かに自分の席に着いた。
********************************
−−−同時刻。
馬場満月は、一人堂々と廊下を歩いていた。向かう場所はただ一つーー屋上へ行く階段の踊り場。
そこには一人の男子生徒が待っている。
茶髪に染められた一見軽薄そうに見えるその生徒は、馬場を見つけるとニカッと笑い手を大きく振った。
「ごめんなー、馬場?」
「大丈夫だ。そろそろ俺も慣れてきたしな」
そう言って、申し訳なさそうに頭をかく男子生徒。
彼の名は尾田慶斗。椎名葵の親友であり、現在はーーー
ーーー馬場満月の”依頼主”である。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.14 )
- 日時: 2016/06/10 00:43
- 名前: 日織 (ID: x2W/Uq33)
おひさしぶりです!
見に来たら更新されていてテンションが上がりました←
このなんとも言えないドキドキ感がたまらんです!(笑)
続きも楽しみにしております!
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.15 )
- 日時: 2016/06/11 07:25
- 名前: 羅知 (ID: ycR5mxci)
>>14 ありがとうございます(o^—^o)ニコ
今年一年はじで始まりんで終わる奴があるのでなかなか更新できませんが、一週間に一回はせめて更新したいです。
小鳥ちゃんはもうすぐ出ます!!メイン回はもう少し先になりますが…。ご期待に応えれるような作品に仕上げたいです。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.16 )
- 日時: 2016/06/11 18:26
- 名前: 日織 (ID: TPHhLows)
メイン回作ってもらえるだけで嬉しいです><
楽しみにしております。
更新頑張ってください!
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.17 )
- 日時: 2016/06/25 01:02
- 名前: 羅知 (ID: ycR5mxci)
あわわわ…すいません。
投下したようで出来てなかったようです。
今から書き直します。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.19 )
- 日時: 2017/11/05 12:18
- 名前: 羅知 (ID: m.v883sb)
マイパソが壊れて、ネットに接続することが今現在難しい状況になっています。安定した更新が出来るのは一年後くらいになりそうです。それでも出来る限り更新していきたいと思うのでどうかよろしくお願いします。
********************************
帰り道。スカート姿の高校生‘四人‘が横列になりながら歩いている。何気ない日常。何気ない風景。
しかし"彼"にだけは違った。
「ねえ…。僕は帰り際、"今から作戦会議しよう!"…そう言われた筈なんだけど……この"格好"は何?」
「…ん?大丈夫大丈夫!!…似合いすぎて引くくらい!!トモちゃんもそう思うでしょ?」
「…はい私もそう思います。……嘘です。引いてはいません。岸波さんはどう思われますか?」
「ボク?んー、まあ似合ってるんじゃない?…ところで今から何しにいくんだっけ?忘れちゃった…えとあと名前なんだったっけ?」
「菜種知です」
「椎名葵だよッ!!…もう忘れんぼさんめー!!」
帰りになる前に椎名の"尾田慶斗奪還メンバー"は、椎名の誘いにより、四人に増えた。人数が増えると仕入れれる情報が増えるので喜ばしい限りだ……普通ならば、そうなる筈だった。
だがしかし、椎名の手により僕のその喜びはばりばりに壊される。
(こんな格好、なんで僕してるんだろ……)
授業後、教室から僕が出ると椎名がちょいちょいと手を振ってきたので何気ない気持ちでついていったら、その華奢な腕からは想像もつかない程の物凄い力で男子更衣室までひっぱられ…気付いたらこの有様だ。
「…もう嫌。お婿にイケナイ…スカート、スースーする。気持ち悪い気持ち悪い…ああ…」
「もーッ!!男子のくせに女々しいぞ、日向くん!!…どうせこのメンバーの中で一番小さいし、軽いでしょ…今から作戦会議する喫茶店のオーナが無類のJK好きなんだから仕方ないじゃん!!安く済ませたいじゃん!」
「…でも葵、かなりノリノリで濃尾さんの制服借りに行ってましたよね。……濃尾さん、これは本当です」
メンバーの一人、菜種知がボソリとそう言った。…どうやら彼女は、椎名と仲が良いらしく僕と椎名の話し合いの後、椎名の誘いを二つ返事で了承していた。椎名と話が合うなんておとなしそうに見えて椎名と同じタイプか…?と危惧していたけれどそんなことはなかった。きっと性別も性格も何もかも反対だからこそ合うものがあったのだろう。
「…シーナ」
「ご、ゴメンって!!そんな怖い顔しないでよ…だってそんなに可愛いのに勿体ないジャン…情報集めで色仕掛けとかしないの?」
椎名は一体僕を何だと思っているのだろう。…健全な男子高校生に何を想像してるんだろう。椎名も男子高校生…まあ例外か。
「しないよ。…僕は情報集めにはそれなりのプライドがあるんだ。気になった情報をもらうには情報で対応する。…そもそも男子高校生の色仕掛けに反応する馬鹿がどこにいるのさ…馬鹿馬鹿しい」
「「………え」」
僕がそういうと椎名と菜種は黙ってしまった。何故だろう。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.20 )
- 日時: 2016/07/17 15:52
- 名前: 河童@スマホ (ID: MXjP8emX)
更新されていたので見にきました。
そしたらなんと、知が出ているではないですか! 吃驚して噴き出しました。……嘘です、噴き出してはいません。でもびっくりしたのは本当です。
それはともかく、これからお話がどうなっていくのかとても楽しみです! 続きを楽しみにしています。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.21 )
- 日時: 2016/07/17 18:17
- 名前: 羅知 (ID: 3/dSGefI)
>>20 お久しぶりです。彼女の喋り方こんな感じでよかったですかね?
宣言通りトモちゃんって呼ばせてます。知の喋り方、俺も真似しようかな…。…これは本当です。
一応募集したキャラ全員にメイン回というものを作ろうとおもうので、まだまだ知ちゃんには活躍して貰いますよー。
彼女にはせいいっぱい青春して欲しいです。普通のね…。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.22 )
- 日時: 2016/07/20 13:38
- 名前: 日織 (ID: TPHhLows)
よかった!更新されてますね><
心配してましたー
ネット環境崩れちゃうと大変ですね。
続きも待ってますね!!
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.23 )
- 日時: 2017/11/05 12:20
- 名前: 羅知 (ID: m.v883sb)
>>22 液晶割れって怖いんですよ…、少しずつ進行してくんで。最後には何も画面見れなくなった…(@_@)
********************************************
「あのさ、盛り上がってるトコ悪いんだけど…ココじゃないの?目的地」
閉口してしまったこの空気の中、岸波小鳥が空気を読まずにそう言い、色とりどりの薔薇が植えられたシックでレトロな建物を指さす。
そこは確かに僕達が目指してた喫茶店-------『星ーsutera-』だった。
∮
「馬場って、いつもあんな視線浴びてるのな…。特に…お前の”親友”…俺、お前尊敬するよ…」
「そちらこそ。…君の幼馴染…人を殺しそうな目をしてたぞ…早く”仲直り”して注意してあげたほうがいい」
俺------尾田慶斗は、現在”驚異の当て馬”馬場満月に”神頼み”中である。
事態は一週間前に遡る。
∮
「頼むッ、馬場…お前が最後の希望なんだよ…」
馬場を屋上に呼び出した俺は、彼が来た瞬間一世一代の土下座を繰り出した。俺にとって”この件”はそれ程までに大事だった。
小学校三年の夏、俺は幼馴染である椎名葵に悔やんでも悔やみきれない酷い事をした。彼の信頼を裏切る真似をした。
俺は彼の人生をぶち壊した。粉々に。
その事件以来、彼は俺から離れた。
その行動の理由が、俺を嫌いだからではなく、むしろその反対の気持ちから行われたことに俺は気付いていた。彼はとても優しいのだ。
だからこそ俺は彼に謝ることがいまだ出来ずにいる。心の中では謝り続けている、でも彼の目の前に行こうとすると足がすくんでしまうのだ。
俺が彼に近付いたら、また彼の人生を台無しにしてしまうのでは--------と。
中学を卒業し、高校生になったそんな時”馬場満月”が転入してきた。彼は瞬く間に”当て馬”としての伝説をつくっていき、その噂は俺の耳にもすぐ伝わった。
運命だと思った。神様が俺と椎名を仲直りさせてくれるためにくれたチャンスだと。
「------という感じなんだけど……笑っちゃうよな、大事な奴に、ごめんという一言さえ一人では言えないんだから」
俺がそう嘲るように嗤うと、馬場は思いのほか真面目な顔で返事をした。
「いや…尾田君の椎名君への思いはよくわかった。喜んで協力するよ。…ただ、”神頼み”位の認識におもっといてくれよ?二週間たったら諦めてくれ」
俺はその言葉に小さく頷いた。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪狂気注意≫ ( No.24 )
- 日時: 2017/11/05 12:22
- 名前: 羅知 (ID: m.v883sb)
∮
「------で、なんだかんだで二週間いまだに進展欠片もなし…うわーん俺の意気地なしーーッ!!」
「…睨まれただけだったな、お互いに」
二週間というのは早いもので、そうこうしてる内にあっという間に終わってしまった。…椎名に蔑んだ目で見られる二週間はそう悪くはなかったけど…いやいやそうじゃなくて。
頭を抱えて叫んだ俺に対し、馬場が独り言のように呟く。
「…たとえばもし、明日君の幼馴染が命を落としたら」
「は?」
驚いて馬場の方を見ると、馬場はこちらの方を見ておらずただただ窓を見つめていたーーーーその表情は見えない。
「いや明日ではなく今日かもしれないな------たとえば”今現在俺の親友濃尾君と一緒に喫茶店『星ーsutera』に君の幼馴染がいるとしよう----もしかしたら、濃尾君は君の幼馴染が飲んでいるカフェオレに毒を入れるかもしれない、帰り道突然殴りかかるかもしれない”------それで君は謝ることもできずに、明日椎名君の死を知ることになるーーー君が弱虫だったから。君が二週間もあったのに何もしなかったから」
「…な、なんだよソレ…その冗談、笑えね「冗談じゃなかったら?」
そこで馬場はゆっくりと振り向く。その顔には感情というものが全て抜け落ちていた。
いつもの満ちた月のような明るさが嘘のように、その目には光がない。まるで新月の夜の空のようだ。
「…も、もし本当だった、として…さ、なんで濃尾がシーナを殺すんだよ!?…イミわかんねえ…」
自分をからかってるのだ、そう思いたいのに声が震える。声だけじゃない、さっきから全身の震えが止まらない。
絶対零度のその瞳から、逃れられない。
「…濃尾君は俺の言うことに逆らえない。俺が殺せ、と言ったら濃尾君は椎名君を殺す」
「それこそ訳わかんねえよッ!!…どうして…馬場が…シーナを…?」
俺がそう叫ぶと、馬場はさっきから言っているだろう?という顔をして、先程から言っているその一言を口にした。
「…だから”君が弱虫だったから。君が二週間もあったのに何もしなかったから”…だよ。俺は初めから言っただろう?二週間経ったら諦めろ、と」
そん な
マタ オレ ノ セイ デ シーナ ガ ?
そう思った瞬間、頭の中が真っ白になった。
「う、う、う、う、う、う、う、う、う、う、う、う、」
「…」
「…どうして、どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてなんでいつもシーナのあいはおれのあいはひていされるのひていされてしまうのシーナはあんなにかわいいのにあんなにあんなにあんなにあんなにあんなにあんなにあんなにあんなにどうしてだれもわからないんだろうねえシーナシーナシーナどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてシーナはころさせないシーナのせいもしもぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶおれのものだわたさないわたさないわたさないああシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして…こんなにだいすきなのに」
前を向き、呟く。
この、思いを。 この七年間の思いを。 アルバム二十五冊 ノート三十五冊 部屋中に張りつくされたシーナのベストショット タンスに詰まったシーナが捨てたシーナの私物 シーナの爪 皮 髪の毛 その全てにこもった俺のこの重い重い愛を。
「それだけ分かっているなら、動けばいい。まだ日は落ちていない。十四日目はまだ終わっていないのだから」
馬場がそう言い終わる前に俺の体はもう動いていた。
走り出す。 早く 早く。
俺は早く彼に伝えなければならない。
謝罪と、この精一杯の愛を。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪星さんは狛枝イメージ》 ( No.25 )
- 日時: 2016/08/08 21:21
- 名前: 羅知 (ID: 835DLftG)
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「ハーイ、いらっしゃ〜い♪ …あらヒナ君、可愛い恰好してるわね…もしかして、”目覚めちゃった”?」
「…目覚めてません。無理やり着せられました。…わかってて聞いてますよね、星さん」
店内に入ると、店の店主、金月星(かなつきすてら)さんに蛍光イエローの腰エプロンに黒マスクという”いつもの恰好”で出迎えられた。
肩までの少し寝癖がかったマスクと対照的な白い髪がきらきらと日光に反射し輝く。
(…二次元レベルのTHE八頭身イケメンなのに、オネエ口調なのも相変わらず変わらない…)
「え、え!?…日向くん、ステラさんと知り合いなのッ…??え、ウソ、接点なさそう……」
「まあ、僕よりはシーナの方が接点ありそうだけど…別に。親戚のお兄さんみたいなもんだよ星さんは」
椎名から、『星ーsutera‐』の名を聞いたときは正直僕の方がびびった。まさかクラスメイトから身内の名前がでるとは思わなかった。
星さんは、僕の育ての親である。
星さんは、現在とある事情があって一人暮らししている僕の面倒をたびたび見に来てくれている。血がつながってもいないのにどうして来るのだろうと思って本人に聞いてみたが、星さんは笑って誤魔化すだけだった。
この質問をすると、星さんはとても悲しそうな目をするので、その最初の一回以来僕は星さんにこの質問はしていない。
「…あ、そーいえばヒナ君。なんか奥にお友達?きてるわよ」
「え…他呼んだやつなんて……あ!!」
こういうとき必ず来る奴が一人いた。
********************************
ちらりと奥を覗くと、浮世離れした金髪の見覚えある少女が怒ったようにピョンピョンと飛び跳ねていた。
…胸が重そうだ。
「遅いぞ!!そなた達!!…わらわを待たせるとは万死に相当するぞ!」
「…いや、呼んでないし。勝手に待ってたのそっちだし」
「あ、女神ちゃんも来てたんだッ?協力してくれるの?」
「…わらわの力を使えば、そなたの悩みなど一瞬で解決する…さあ、お供え物を用意するのじゃ!!」
女神ちゃんーー本名、大和田雪(おおわだゆき)は重度の電波少女である。自身を女神と称し、お供え物をよこせと言って甘味を要求する。
そして極めつけはーーー
(神の視点、なんていうからね……なまじ”当たっちゃう”からなのか…ここまで”重症”なのは)
彼女の言う”神の視点”からの意見というのは、何故かしらよく当たる。…もはや偶然とはいえないレベルに。
……いやいや信じてなんかないけど。
「…ナントカくーん、考え込んでるのもいいけどボク達、先食べてるからねー?」
岸波がパフェを食べながら、椅子にも座らず立ち尽くしていた僕にそう声をかける。
…こいつらは一体何しに来たのだろう。そして岸波はいつになったら僕の名前を覚えるのだろう。
はあ…。
ヤンデレ女装男子に、その友達、記憶能力ゼロのボクっ娘、それに自称女神の電波少女…こんなんで本当に何かが解決するのだろうか。
僕のそんなため息を見て、大和田が口一杯にパフェをほおばりながら、余っていたパフェを僕に差し出す。
「ほほままやずほもほい(そう悩まずともよい)ひはふはふへへほはいへふふる(時間が全てを解決する)」
「は?」
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.26 )
- 日時: 2016/08/06 14:38
- 名前: ヨモツカミ (ID: 3dpbYiWo)
こんにちは、リク掲示板の方での投稿有難う御座いました。
もう、本当に狂ってる人大好きなので、思わずコメントさせていただきました。
めったにコメントすることないので、何を言っていいのか……(´・ω・ `)
とりま、パソコンの不調と闘いながらも頑張ってください。応援してます!
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.27 )
- 日時: 2016/08/11 04:39
- 名前: 羅知 (ID: kTX6Wi1C)
大和田がそう言うと同時に聞き覚えのあるメロディーが店内に鳴り響く。僕の携帯の着信音だった。
宛先はーーーー馬場満月。
「…もしもし」
ーー少し、緊張した。ここ最近全然、喋ってなかったから。
『濃尾君、朗報だ』
いつものーーいつもの”馬場満月”の声の筈なのに体全身が愉悦で震える。悦んでる。久しぶりの”あの感じ”に。
(ああ…笑っちゃいそう……)
皆、いるのに。こんな所で”こんな顔”したらいけないのに。
どうしても抑えきれないーー”衝動”
だってーーだって”お前”は知ってるから。僕の一番”好き”なコト。僕が嬉しいコト、僕が悦ぶコト。
”あんなコト”出来るのは”お前”だけだから。
『−−−−今から君は殺される』
ーー低い、感情の抜け落ちた声。
その通話が切れると同時に入口のドアが乱暴に開けられた音と、誰かがこちらに向かってくる足音を聞いた。
********************************
「−−−−×××ッ!!」
獣の咆哮のような叫びと共に、僕の真後ろで止まる足音。
聞き取れなかったけれど何と言ったかは、目の前の椎名の顔を見れば一目瞭然だった。
彼は名前を呼んだのだ。ーーシーナと。
そうなれば必然的に僕の後ろにいるのは”尾田慶斗”なのだろう。ーーこの殺意を振りまいてる人物は。
…あはは。ねえシーナ。君と尾田慶斗はお似合いだと思うよ。君達は本当に似た者同士だ。
僕、振り向いたら多分眼球抉られるよ?
互い以外の害する者にここまで殺意をぶつけられるんだ。君達は絶対仲直りできるって。
だからさ。
「……痴話喧嘩に巻き込んでんじゃねえよ、糞が」
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪濃尾が空気≫ ( No.28 )
- 日時: 2016/08/11 07:26
- 名前: 羅知 (ID: kTX6Wi1C)
僕がそう言うのと同時に、何かが僕の頭に振りかぶられるのを感じた。…殴ったら頭の方がへこむ系の”何か”だろう。
しかし僕の頭はへこまなかった。
「……ケート」
椎名が尾田慶斗の腕を掴んでいたーーーその手は細かく、弱々し気に震えている。
「…ケート、はさ。とっても優しいんだから…その手をこんなコトに使っちゃダメだよッ…この手はね」
腕をゆっくりと自分の頭に乗せる椎名。
「………ボクを撫でるためにあるんだから、ね?」
後ろからすすり泣くような声が聞こえる。僕を殴ろうとした”何か”が床に落ちた音がした。…あ、鉄製バット。
「…シーナ、ごめんなあ…俺があの時、考えなしにあんなコトになっちゃって…シーナの人生台無しにしちゃって……でも、限界なんだ……俺やっぱり」
「シーナ無しじゃ生きてけな「ケート!!!」
抱擁を交わす二人。…そしてその間には存在が空気となった僕が挟まっていたのだった。
+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*
『どうだったか?……放置プレイを食らわされた気分は』
「どうもこうも。…ったく馬場は僕を誤解してるよ、僕が欲しいのは”純粋な嫌悪”だよ?…これじゃ僕が痴話喧嘩に巻き込まれて殺されかけただけじゃないか」
『巨大な愛の前では、人は時に空気になる……”存在感”は明らかにあの二人に”殺されて”たな』
全てが終わった後、馬場に電話を掛けなおすとのっぺんくらりとそう言われた。
どうやら僕は馬場の策略に知らぬ間にまんまと嵌っていたらしい。
「……どうやって、僕の動向を知ってたの?この二週間ほとんど会ってなかったのに」
『ああそれは。……ほら、濃尾君毎日着てるインナーあるだろう?それにちょっと…”仕掛け”を。濃尾君が尾田君のコトを聞きに来たときに』
「…盗聴器か。…馬場、情報屋の才能あるよ」
『それほどでも』
尾田慶斗には僕から説明をし、さっき馬場が言ってたことは冗談で、今回の事は僕と馬場が企てたことだ…ということにしておいた。
疑わし気な目で見られたが、そう説明するしかない。
「一番の疑問……どうして馬場は尾田慶斗の”異常性”に気付けたの?…僕ですら気が付かなかったのに」
尾田慶斗は学校では只の平凡な一般生徒でしかなかった。
普通に生きて、普通に遊んで、普通に勉強してるーーそんな普通で、普通の生徒だ。椎名葵と関連性なんて見当たらない。
幼馴染であることすら、ほとんどの生徒は知らないのだ。
『それはーーー』
ごくりと息をのむ。
『−−−禁則事項だ。”約束”はーー覚えてるよな?』
「…なんだよソレ。どこぞの未来人じゃないんだから」
まあ今はいいや。…僕の憂鬱も驚愕も消失も全てはこの男に懸かっているんだ。もう少しくらいこの”日常”が続いても問題はないだろう。
そう言って僕は静かに電話を切った。
+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*
騒動も終わり、『星ーsutera-』の閉店時刻になり、店主の金月星は小さく息を吐いた。
「…今日も忙しい日だったわねー」
そうぼやきながら金月はダイヤルを打つ。…今日の最後のお勤めだ。
「…ああ、もしもし。先生。…星(せい)ですよ。今日はとても騒がしい日でしてね、ヒナ君もとても楽しそうでしたよ」
「……”記憶の兆候”?なかったですね…まあ、あんなコトがあったんですし、思い出せなくて当然ですよ、ゆっくり戻ればいいんです」
「そんなに心配なら……”僕”としては会いにいけばいいと思うんですけどね、だって貴方は」
「−−−−ヒナ君の”父親代わり”なんですから」
*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+
【重い愛】→【想い合い】
一人で持つには重すぎた想い。…けれどその想いの天秤が釣り合ったときその想いは”愛”となって、彼らを幸せにするだろう。
…一人じゃダメでも、二人ならきっと運べる。
+馬場満月+ばば みずき
貴氏高校一年B組(この時点)に属す。驚異の当て馬。頭は働く。”当て馬”になってる理由は不明。身長180で体格はいい。濃尾日向が親友。
*濃尾日向*のうび ひなた
貴氏高校一年B組(この時点)に属す。学校有数の情報屋。身長自称151だが本当は150切っている。かなり細く、女装が似合う。インナーを愛用してる理由は首の跡を隠すため。一人暮らし。馬場満月が親友。何かの記憶を忘れてるらしい。
+椎名葵+しいな あおい
貴氏高校一年B組(この時点)に属す。男の娘。ヤンデレ。怪我の治りが異常に早い。あだ名はシーナ。濃尾曰く「危険地帯にある落とし穴」みたいな人。尾田慶斗が幼馴染。白菜ッ!様投下キャラ。
*尾田慶斗*おだ けいと
貴氏高校一年B組(この時点)に属す。茶髪で軽い雰囲気。優しいらしい。あだ名はケート。馬場曰く「一般道にある落とし穴」みたいな人。椎名葵が幼馴染。白菜ッ!様投下キャラだが、投下時点で彼のヤンデレストーカー的設定は無かった。作者が思った以上にこのキャラに嵌ってしまったため設定が追加された。ごめんなさい。
+菜種知+なたね とも
貴氏高校一年B組(この時点)に属す。肩くらいまである黒髪。けだるげな雰囲気。ウソと本当をいり交ぜて喋る(直後ばらす)椎名葵と仲が良い。河童様投下キャラ。
*岸波小鳥*きしなみ ことり
貴氏高校一年B組(この時点)に属す。死ぬほど忘れっぽいボクっ子。勘は良い。クラスメイトの事はそれなりに大切に思っている。日織様投下キャラ。
+大和田雪+おおわだ ゆき
貴氏高校一年B組(この時点)に属す。女神ちゃん。神視点は本当に持ってる。金髪グラマー。この中で唯一濃尾より背が低い。高坂 桜様投下キャラ。
*金月星*かなつき すてら
喫茶店店主。二次元イケメン。白髪に黒マスク。オネエ喋りだけど恋愛対象は女性。本名は星(せい)こちらの名前を名乗ってる時は普通に喋って一人称は僕。濃尾日向の育ての親。
+先生+
金月がそう呼ぶ。正体は不明。濃尾日向の父親代わりらしい。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.29 )
- 日時: 2016/08/12 04:28
- 名前: 羅知 (ID: kTX6Wi1C)
○二話のまとめ&三話について
No,24からノリノリだったのは、皆気付かれてましたよねww
今回はこんな感じだったけど、次回からは割かし普通な感じになります…。普通な人は普通な感じで、おかしい人はおかしくて。
三話前に、一旦別の話書きます。
二話の後日談…?みたいなものを。
>>26 小説内へのコメント感謝です!!頑張りたいと思います!!
では。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.30 )
- 日時: 2016/09/10 08:00
- 名前: 羅知 (ID: bs11P6Cd)
閑話休題【もしも願いが叶うなら】
*********************************
目を開けると闇の中でぷかぷかと浮いていた。僕ーー濃尾日向にとってこのことは初めてではなかったのですぐに分かった。
ああ、此処はいつも見ている”夢の中”だーーと。
いつも朝が来るまで、こうやって浮いてたり泳いだりして過ごすのだーー誰もいない闇の中で。僕以外誰もいない闇の中で。
”此処”にいる時間は僕にとって安息の時間だ。誰にも邪魔されず、何も考えず、ぼーっとしていられる。
しかし今回はいつもと少し違った。
「あ、ねえっ…?…えっと…久しぶり?だね……”僕”」
『……チッ』
「ひっ!!?」
後ろから、遠慮がちに弱々しくかけられた声に思わず舌打ちしてしまう。聞きなれた声ーーーー当たり前だ。
後ろにいる少年ーーーーこれは。
(なんで”此処”にいるんだよ……中学時代の僕!!)
********************************
「な、なんでって言われても……えと、あの…っていうか僕だけじゃないよ…”ボク”もいるし、”あの子”もね…」
「”あの子”?」
「…あ、今の君は知らなかった、か。ごめん……忘れて。と、ともかくさ!!僕、話したいことがあるから…!!…”アイツ”呼んでくるから、待ってて!!」
そう言って、僕の後ろから気配を消す”僕”。数秒後、目の前からニヤニヤした”ボク”と、相変わらずおどおどした表情の”僕”が現れる。
同じ顔が目の前にあるのを見るのは不快だ。ましてや”こんな奴ら”の顔なんて。
吐き気がする。
「お久しぶり、僕」
そう言って”ボク”はにたりと笑った。
********************************
「「…気持ち悪いよ、”ボク”」」
僕と”僕”が、心底そう思いながらそう言うと、彼は気持ち良さそうに身をよじらせながら、じとじとした湿っぽい目をこちらに向ける。
「うふふふふふ、相変わらずボクには辛辣なんだね二人ともッ…いいよいいよ気持ちいいよ本当に興ッ奮するようん本当にいやいやいつも思ってた亊なんだけどさ君達二人に共通してるのは”ボク”だけのハズなのにどうして君達はボクには冷たいんだろうなーってまあ本当はどうでもいいから別に答えなくてもいいんだけどさあッもしかしてあれかな?自分たち二人ともに共通するからこそ自己嫌悪?とか?とか?しちゃったりしてんの?図星かな?いやーそんな顔しないでよまた興奮しちゃ」
本格的にムカついてきたので殴った。僕と”僕”のダブルパンチだ。ちなみに殴られた本人とはいうと、陸に揚げられた魚みたいに遠くの方でぴちぴち蠢いていた。顔はよだれをたらしながら白目をむいてしまっていて、やっぱり気持ち悪かった。
殴っても、こんな気持ちになるなら殴らなければ良かったと後悔した。
横に立つ”僕”も僕と同じような表情を浮かべているーーーーそして、気が付いたようにこちらを見た。
「…えーと、まだ僕の事、思い、出せない?かな…」
「残念ながらね」
「……そう。まあ無理に思い出すことはないよ。…思い出したい記憶があったらまた”あそこ”に来ていいから、さ。今日はそれだけ伝えたかったんだ…。まあ…君は僕達になんか会いたくないだろうけど……」
そう言って、ポリポリと頭をかく”僕”。
その表情はまだまだ何やら言いたげそうだったが、今回は言わないつもりらしいので、最後の言葉は僕から言わせてもらった。
「君らが何考えてるかなんて、全然わかんないけどさ……僕は今現在でそれなりに幸せなんだ…馬場みたいな面白い奴もいるしね」
「……………馬場、くん、ね」
”僕”が息を飲んでそう言うのと同時に、僕の意識は目覚めへと向かっていった。
++++++++++++++++++++++++++++++++
明朝。
目をこすりながら、一言。
「鏡は見たくねーなー………」
そう、呟いた。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
少し今回の話は分かりにくかったかもなので補足。
僕…現在の濃尾日向
”僕”…中学時代の濃尾日向
ボク…ご存じヒナタさん
【もしも願いが叶うなら】→【望まない夢】
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.31 )
- 日時: 2016/09/10 21:43
- 名前: 羅知 (ID: CXVRcwYu)
第三話【Aliceinwonderland】
僕と馬場が椎名葵と尾田慶斗の痴話喧嘩に巻き込まれている間にも、早くも季節は十二月になっていた。しかし凍えてしまいそうな風が吹くなか、貴氏高校の生徒達の表情は妙に浮足立っている。
まあ理由は明確だ。
貴氏高校の文化祭ーー通称、貴氏祭ーーは、十二月半ばに行われる。だから皆浮かれているのだーーこれが終わったら、クリスマス、冬休み、正月ーーまさに盆と正月がいっぺんに来た気分、いやそれ以上の気分だろう。
文化祭なので、当然クラスでも出し物などが行われる。くじ引きの結果僕達のクラスは演劇とクラスの出し物が併行して行われることになった。
「カフェ!!カフェがいいよ、絶対ッ!!」
「わらわもカフェがいいぞ!!神もそれを望んでおる!!」
椎名と大和田の謎のカフェ推しにより、クラスの出し物はカフェをすることに決まった。お前ら自分が食べたいだけだろ。
「濃尾クンの親戚のお兄さんって喫茶店やってるんだよッ!!きっと手伝ってくれるってッ!ちなみにイケメン、だよッ…?」
椎名のこの発言により、女子の圧倒的支持を得たのだ。…くそ、椎名葵許すまじ。星さんに迷惑かけたらただじゃおかないからな。
(…うわ)
僕がそう考えた瞬間、背中に突き刺さるような視線を感じ、振り返ると尾田慶斗が人殺しみたいな目でこちらを睨んでいた。思考を盗み見るなんてお前はどこの国の暗殺者だ。
”あの出来事”以来、尾田慶斗は己を隠すことをやめた。
要するに、学校でも人の目を気にせず椎名とくっつくようになり、椎名葵のセコムと化したーー今現在も、席順など気にすることなく、椎名を膝に乗せ満悦そうな顔をしているーーご愁傷様、尾田慶斗もこの学校の変人リストの仲間入りだ。
なんて考えながら、ぼうっとしていると馬場がちょいちょいと僕の肩をシャーペンでつついた。
凄く今更な気がするが、実は馬場の席は僕の真後ろである。……別に前回の席替えの時にくじ引きをいじってなんかいない。運命が僕に味方してくれただけだ。
「……なに?馬場?」
「随分と考え込んでるみたいだが……”アレ”いいのか?」
珍しくニヤニヤとした笑い方をした馬場を気持ち悪く感じ、馬場がシャーペンで指した方を見てみると、そこには驚くべきことが書いてあった。
黒板に、赤と白の目立つ色で書かれた文字。
『劇は”不思議の国のアリス”に決定!!
↑カフェはその設定に則ったもので!!
濃尾日向君は”赤の女王”役で、確定!! 』
そこに書かれた文字を見て、肩がわなわなと震える。どうしてどうしてどうしてーーーーいつの間に!!
「濃尾君が考え込んでいる間に決まったんだ」
「ど、どうして教えてくれなかったんだよっ!!」
「勿論ーーーーそちらの方が”楽しそう”だったからに決まってるじゃないか」
そう言いながら、馬場はおもむろに僕の頭を撫でる。そしてこう言ったのだーーーーそれはもう優しい顔で!!心底楽しそうに!!
「楽しみにしてるぞーーーー”女王様”?」
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.32 )
- 日時: 2016/09/26 12:28
- 名前: 羅知 (ID: aA1Ge9gp)
*********************************
「…普通に考えて。普通に考えて、男が”赤の女王”をやるのはおかしいよね……え、何?僕がおかしいの?」
「はい。濃尾さんがおかしいです………嘘です、濃尾さんの感覚が正しいです。…また、葵のせいで濃尾さんが女装することになりましたね。代わりに謝ります、すいません」
「いやいや。別に菜種は悪くないから。……悪いのは全部あの、僕にどうしても女装をさせたい、女装男のせいだから」
文化祭の出し物の内容が決まったその日の昼休み、凄く眉間にしわを寄せながら、濃尾さんはそう言った。どうやら、自分が”女王様役”になった原因が葵であると分かったので、追いかけたけど、逃げられたらしい。
しかし諦めて、教室に戻ってきてーーたまたま、そこにいた私に愚痴ったようだ。
私ーー菜種知が属する、一年B組ではほぼ毎日と言っていいほどに”普通”のクラスでは起こり得ない奇想天外なことが起こる。
教室では毎日何かしらの凶器ーー狂気もだけれどーーが飛んでいるし、愛と殺意がいつも満ち満ちていて、昨日まで仲良くしていたのに今日は殺しあっているーーなんてことがざらにある。
普通の教室では、”そんな事”は絶対に起こらない。
そして、そんなクラスの”狂気の核”となっているのがーー濃尾日向と馬場満月ーーこの二人だ。
濃尾日向ーー、”一見”普通に見えるのだけれど、彼こそがこの狂気の固まりをまとめている、と言っても過言ではない。何か見えない網でこのクラスを包んでいるーーそんな感じがする。そしてその網に彼自身が、からまっているようなーーそんな気がするのだ。
そして馬場満月ーー彼の方は、私には分からない。彼はいつも”笑顔”だ。どんな時も。この学校に転入して数か月で、瞬く間に名が知れ渡った。その”影響力”を彼が意識して使ったのか、無意識に行ったのかすら分からない。
いつも”笑顔”の人間はどうも苦手だーー母さんに似てるから。
つい先日の葵と尾田君の”事件”の後、一諸について来ていた岸波小鳥は、ふと何かを絞り出すような声で、私にこう言った。
「ボクさ…今回の”事件”の解決、”あの人”………そう、”満月君”が関係してたような…そんな気がするんだ」
「何故ですか…?」
「…ううん分かんない。思い出すと頭が痛くなるんだ…、こんな事今までなかったのに…なんでだろ…?」
そう言う彼女は、普段とは違う酷く苦し気な顔をしていたーーーー思い出せないことに焦りを感じているような。そんな表情。
普通の状態じゃないのだーーやはりこの状況は。
あの二人が仲良くしだしてから、このクラスは空気を変え、狂気が塊となって動き出した。
あの二人には何かある。それを解明しないとーー今は例え良い方向に動いていたとしてもーー私の、私の大切な”日常”が壊されてしまう。
私は恐ろしいんだーー少しずつ”今”が壊されていくのが。
こんな風に、変えられたくなんかない。
現状維持で、いい。
だからこそ私は動かなきゃいけない。
だから。
「あの……濃尾さん」
「ん?何?」
「私とーーーー”演劇”の練習をしませんか?」
まずは、”片方”から”調査”しなければ。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.33 )
- 日時: 2016/10/04 16:59
- 名前: 羅知 (ID: BzoWjzxG)
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
(…あれ、なんだこれ…”さむい”…)
最初その言葉、身振りになんというかーー”寒気”を感じた。
”菜種知”が菜種知ではなく、”別のだれか”になり変えられてしまったしまったようなーーそんな感じ。”ソレ”を”僕”はどうしようもなく”気持ち悪く”感じて。
「ね、ねえ…”菜種知”だよね…”本当”だよね…」
気が付いたらーー震えそうになる声で菜種にそう、聞いていた。
自分でも分かりきった質問だったと思う。
なのに、聞かずにはいられなかった。
「え…あ、はい。菜種知です、けど……あの、濃尾さん大丈夫…ですか?物凄く顔色が悪いですし…さっきからずっと上の空で…話もあまり聞けてないですよね…?」
「大丈夫…えっと、”演劇の練習”だよね、菜種はチェシャ猫だっけ…何か指導してくれるアテでもあるの?」
菜種がーー自分を心配している。その姿を見てようやく落ち着くことができたーー今の僕は、”普通”じゃない。おかしい。何を言っているんだ、僕は。
今、目の前にいる人間が”別人”の訳ないじゃないか。
そう、自分に言い聞かせる。
ざわざわと騒ぎ立てる胸の鼓動をぎゅっと抑えて。
まだ相変わらず、顔色の悪い僕に菜種はしばらく心配そうな顔をしていたがーー僕が強がっているのを見て、諦めたようにゆっくりと口を開いた。
「私の、親の”知り合い”なんですけどーーーー」
++++++++++++++++++++++++++++++++++
一方、その頃。
「やっ、ふー…日向クン、撒けたみたいだね…ありがと、ケート。途中運んでくれて…」
「どういたしまして」
「…満月クンも、ありがとねッ。満月クンのサポートがなきゃ、逃げきれなかったよ…」
椎名葵が、そうにこっと馬場満月にも笑いかけたのを見た尾田慶斗は、思わず顔を顰めた。椎名は純粋な心の持ち主だから、”あんな説明”で信じることができたが、自分は到底納得することなどできない。
あの”言葉”が只の冗談だった、なんて信じられるものか。
あんな”目”が、あんな”顔”が、あんな”言葉”がーー冗談で言えるわけがない。きっと、椎名のその言葉ににこりといい笑顔で「役に立てて何よりだっ!!」と言っているその裏でも、この男は何も”感じてない”のだろう。
尾田慶斗は馬場満月の”真意”が知りたい。
この前の”あの事件”は、結果こそうまくいったが、”真意”が掴めなければ次、アレと同じような事が起こる時ーーその時こそ、今度こそ殺されてしまうのかもしれない。俺の大切な椎名が。
馬場満月はナイフと同じだーー普段は役に立つ道具だが、使い方を間違えれば一瞬でそれは凶器と化す。だから俺は知っておかなければならない。
”馬場満月の取扱説明書”を。
「…そう言えば、椎名君は”アリス”、尾田君は”帽子屋”の役だったな?二人とも”演技”に自信はあるか?」
「…馬場こそ。ただでさえ”三月ウサギ”の役があるのに、”脚本”と”監督”まで立候補しちゃってさ…他に立候補者がいなかったからいいものを俺は正気を疑ったよ…よほど”演技”に自信があるんだな?」
そういって、チラリと馬場の方を見ると、先程と変わらない笑顔でだまっていた。ーーなるほど、相当自信があるようだ。
「心配しなくても、やるからには”最高傑作”にしてみせるさ。誰も見たことのない脚本、誰も見たことのない演技ーーああ、胸が高鳴るな!!」
そう言う馬場の顔は珍しく、年相応の無邪気な笑顔を見せていた。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.34 )
- 日時: 2016/10/22 19:23
- 名前: 羅知 (ID: mz5fzJMK)
+++++++++++++++++++++++++++++++++
「…つまらない」
少女は、自分以外はいない屋上でそう呟いた。
”彼”がいない日常、それは彼女にとって”モノクロの無声映画”のようなものだ。
彼がいなければ、世界に”色”なんて存在しない。
彼がいなければ、世界に”音”なんて存在しない。
今の日常は、本当に、本当にーーつまらない。
そして、とても、とてもさみしかった。
「…一人で演劇は出来ないんだ、早く帰って来てくれよーー×××」
そう涙ながらに、言葉を吐いて。
彼女は掛かってきた電話に出た。
「ーーはい、愛鹿社(めじかやしろ)ですが…」
++++++++++++++++++++++++++++++++
「皆、待たせたな……台本ができたぞ、ぜひ今日から練習を始めてくれ!」
「待たせた…って、まだアレから二日しか経ってないじゃん。そんなに急がなくてもよかったのに」
「明日は休みになってしまうだろう?その前に完成させておきたかったんだ」
金曜日のHRで、馬場は僕達に紙とホチキスで丁寧に作られた台本を配った。
そういう馬場の顔には、きっと遠くから見ても分かるほどに大きな隈ができていた。これだけの量だ。寝る間も惜しんで作り上げたに違いない。いつも通りの”完璧な笑顔”も、この状況を考えると少し不気味に見えた。
それはクラスの皆も同じように感じたようで、不安そうな顔で皆彼を見た。岸波が眉を寄せ声をかける。
「…えっと…”満月”、くん?だっけ…?こう言うとなんだけど、ボクらはそんなに急いでないから、そんな体調を崩してまで焦らなくていいんだよ?…って、何してんの?」
岸波が喋っている最中に、唐突に動き出した馬場はどうやら自分の机に何か取りにいったようだった。その足取りもどこかふらふらとしている。
「…だ、大丈夫だ…ちょっと待ってくれ」
そう言い、しゃがみ込み自分の机をのぞき込む動作をとる馬場。
真後ろの僕の席から見ると、その顔は余計青白く見えた。
ふと、目が合う。
何気なく、本当にたまたま目が合った分なのだ。
けれども馬場の顔は。
「ひ」
”その瞬間確かに恐怖に染まった”
スローモーションのように真横に倒れる馬場。
駆け寄る皆。
だけど僕は立ち尽くすことしかできなかった、それどころじゃなかった。
まさに倒れるその瞬間、馬場は僕の目を見て。
『にい、さん』
確かにそう言ったのだ。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.35 )
- 日時: 2016/11/06 20:50
- 名前: 羅知 (ID: aTTiVxvD)
******************************************************************
馬場は、倒れた後すぐに先生とクラスの皆の手により保健室に運ばれた。別に僕は体調が悪いわけではなかったのだが、菜種の提言により僕も保健室へ行くことになった。馬場が倒れた後、立ち尽くしていた僕を心配した菜種の配慮だろう。
「濃尾さんも、無理はなさらずに」
「……うん」
無理はしていない。
ただどうしようもなく戸惑っているだけだ。あんなことを言われて。
(あの時の馬場は、いつもの馬場でも、”ミズキ”でもなかった----そう、しいていうなら)
僕の首を包帯で絞めていた、何者でもない、彼。
だったように思える。
思い出す、べきなんだろうか。
僕が忘れていることを。
「……先生、僕も少し気分が悪いので寝てもいいですか」
”あの場所”に行くべきなんだろうか。
****************************************************************
そこはほんとうにしろくてしろくてなにもないへやでした
せんせいやせんせいのおともだちがときおりのぞきにきてくれたけどとてもつまらないへやでした
でも××はそんなことはいいません
××はいいこだから
いいこはそんなこといわないのです
いいこでいればいつかだれか、××のことをむかえにきてくれるのです
ぜったいに
あるひのことです
このしろいへやにおともだちがふたりまよいこんできました
ふたりがきてくれたおかげでこのおへやはとてもにぎやかになりました
ふたりは××にとってはじめてのおともだちです
××はふたりのこととてもとてもとてもあいしています
とてもたいせつなひとにつたえることばをあいしてるというのだとせんせいはおしえてくれました
だから××はふたりのことをあいしています
きょうはおわかれのひ
ふたりはもうここにこなくなるそうです
でもふたりはいいました
またね、と
だから××はまたこのふたりとあえます
だからさびしくなんかありません
さびしく、なんか、ないのです
ふたりがこのへやからでてくときとびらのむこうにふたりとおなじくらいとしのこがこちらをみていました
こちらをにらんでいました
そのこのかおは
そのこの かおは
****************************************************************
「”馬場と同じ顔”、だった……」
僕には中学生時代の記憶が”存在”しないーー否、それどころか”高校以前に学校に通っていた記憶”が”存在”しない。
15歳の冬、僕は恐ろしく白い部屋で目が覚ました。周りには、星さんや、白衣をきた端麗な顔立ちをした男の人、看護師さんが立っていて。
その時の僕は、星さんのことも誰一人の事すら何一つ覚えていなくて。
ただただその状況を理解できず、”気持ち悪く”感じていたのを覚えている。
目を覚ました僕を見て、星さんは涙を流しながら叫んでいた。
「先生!!ヒナ君が…!!」と。すぐにその白衣の人は、僕を検査して、そして「何も心配しなくていいんだよ」と僕を励ました。その優しさ、その優しさすら”気持ち悪いもの”にしか感じられなかった。
そんな自分が、一番気持ち悪く感じた。
その数日後の事だった。僕が”とある夢”を見たのは。
その夢の中では、”中学生時代の僕を名乗る人物”と”いつもの自分とはまったく違うもう一人のボク”がいた。彼らは色んなことを教えてくれた。自身が感じているこの気持ち悪さの正体。僕自身が持つ性癖。
その夢の最後で、”中学時代の僕”はこんな事を言った。
「…あのね、昔の事は”君が思い出したくなった時に”思い出せば、いいと思う。けっして”いい記憶”ではないから。そんなもの、君も思い出したくないでしょ?」
「……うん」
「あとさ。君には、僕は幸せになってもらいたんだ…僕の選ばなかった道を、選んでほしい、だから」
「どうか僕のことは嫌っていて頂戴?」
「うん」
そう頷いた僕を見た彼の、嬉しそうな、悲しそうな、なんともいえない表情は今でも忘れられない。
冬休み、精一杯勉強して、僕は無事○×市立貴氏高校に合格した。
点数とか色々大丈夫なのだろうか、と心配したけれど案外中学時代の僕は成績優秀だったらしい。割とすんなり合格出来た。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.36 )
- 日時: 2016/12/26 21:54
- 名前: 羅知 (ID: cFBA8MLZ)
「ねえ、僕」
いざ明日から高校生だ、というその日の夜。僕はまた夢を見た。
中学時代の僕はいない。そこには、僕と正反対の”ボク”が真顔でこちらをみて立っていた。…いや、少しだけ。ほんの少しだけ。
その顔には”翳り”が見えた。
「なあに、”ボク”」
僕がそう声をかけると、真顔を崩しニヤニヤと笑う彼。やっぱりその顔はどこかぎこちない。
…泣いている、みたいだった。
「ねえ、本当にだいじょうーー「あのさあ!!」
急に大声を出されたので、足が竦む。
その剣幕に声が、出ない。
「君は全然変わってなんかない!!変われ、ってあれだけ言ったのに!!何も気付かないの!?…なあ!?嫌えよ!?こんな気味が悪い奴!!テメエは本当に気持ち悪い人間なんだよ!!?中学校生活がなんで強制的に終わったのか思い出せねえのかよ!!?…なら、ボクが教えてやるよ!!?」
「”ボク”のせいなんだよ!!?」
「高校生活で同じ失敗をする気か!!??また、”人を愛する”気か!!?あんな”おぞましい”モノを!!?馬鹿かよ!!?…世界を嫌え!!人を嫌え!!自分を嫌え!!”ボク”を嫌え!!」
支離滅裂に叫ぶそんな彼の言葉は、僕にとって意味不明で。
ただただ感覚的に”裏切られた”という意識だけが自分の中に残った。
その感覚は僕にとって”気持ち悪い”モノで。
だから、僕は彼の言葉通りに嫌ったんだ。”彼(ぼくじしん)”を。人を。世界を。
*****************************************************************
結局。
あの時の”彼”が、叫んでいた言葉を理解することは今でも出来ない。あの時から、僕と”彼らたち”の間には”埋められない確執”のようなモノが出来てしまった。今更聞いたところで、”彼”はまた、あの気持ち悪い笑みを浮かべるのだろう。
自分自身のことが、一番よく分からない。
今更聞く勇気なんて、ない。
「馬場も、そうなのかな……」
あの”白い部屋”の扉から、小さな馬場がこちらを睨んでいる記憶。…あれ、待てよ。少なくともアレは僕の昔の記憶であるはずで。愛とか愛してるとか気味の悪いこと言っててもそれでも僕の記憶であるはずで。
ならば。
僕と馬場は”小さい頃”に会っていた?
いや、そんなはずはない。だってだって馬場はヒナタを見たとき確かに動揺していたのだから。僕とミズキはあの時確かに初めて”会った”のだ。
ちょっと待て。
小さな馬場のあの表情。どこかで見たことがある。そうだあの時。馬場が僕の首を初めて包帯で絞めたときと、さっき倒れたあの顔。あのどこか諦めたような表情は。
(じゃあ、アレが馬場の”根底”にはあるってことなのか?)
ならば、ならば。
”ミズキ”は?
僕の事を心の底から嫌悪して、思いっきりの殺意で僕の首を絞めた”ミズキ”は馬場ではない偽物だっていうのか?そんなはずはない、そんなはずは。
だってそれじゃあ。
僕は また 裏切られた ?
「……あっ」
その言葉が頭に浮かんだ瞬間、喉になにかがつっかえてしまったかのように息が出来なくなった。苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい馬場に首を絞められていたときにはこんなに苦しかったことなんてなかったのに。
その、あまりの苦しさに僕の意識が飛んでしまいそうになったその時。
「…大丈夫かい?ヒナ君」
「……先生。どうして」
保健室のカーテンが少し慌てたように開き、そこから一人の男性----紅灯火先生が現れた。
紅先生は、僕達のクラス1年B組の担任だ。担当教科は国語の現代文。普段はへらへらとしていてヘタレ気味なのだけど、授業では物凄い熱血指導。そんなギャップが女子には受けるのか、人気者の紅先生。だから僕は担任であっても、紅先生とは話したことがほとんどない。
そんな人気者が、何故僕に構うのか。
監督も、脚本家もダウンしている今。頼りになるのは先生しかいないというのに。
「クラスの事を心配しているの?…大丈夫、椎名君辺りがうまくやってくれているよ。あの子は案外しっかりしているからね。今頃各自で進めてくれているよ。…それより君は大丈夫?よく寝ていたようだから、少し目を離していたら急に息苦しそうな声が聞こえてきてびっくりしたよ。怖い夢でも見たのかな?」
「………先生は僕を何歳だと思ってるんですか。子供じゃないんですからもう怖い夢なんか見ませんよ」
少し冗談ぽく、そう言う先生に僕はそう言った。嘘だけど。
「そうかな。…僕は今でも見るよ、怖い夢。恐ろしい、って思う気持ちに年齢とかどれだけ経ったかなんて関係ないんじゃないかな。少なくとも僕はそう思う。……さて、ヒナ君が怖い夢を見たかどうかは別にして、今後の為に先生から一つ”怖い夢を見たときの対処法”をご教授してあげよう」
「…………………」
「”気にしないこと”、だ」
「どんなことが、過去にあったって。どんなものを見たって。自分の信じていたことが裏切られたって。君が変わる必要なんてないだろう?無視すればいい。君がどうするか決めるのは君自身。他人の発言に君が振り回されなくたっていいんだ。君は君の信じるものを信じてごらん」
「…………………」
「…以上!先生からのありがたぁーいご教授でした!!……どう?参考になったかな?」
「…………はい、とても」
「そう、それなら良かった。君は真面目過ぎて、僕少し心配だったんだよね。……まぁそれは馬場君にも言えることだけど。…いつか、あの子の”笑顔”以外の顔を見たいものだねぇ」
先生はそう言うと調子が良くなるまで安静にしてるんだよ、と言って保健室から去っていでた。どうやら急いでいるようで、出て行く時に先生のふわふわとした朱っぽい髪が小刻みに揺れていた。
気にしない、か。
確かにそれが一番なのかもしれない。僕は馬場の”ミズキ”だけを信じていたい。それ以外の何かなんて信じたくなんかない。
僕は”僕”だ。
そう、言葉にすることによって何故だか息がしやすくなったように思えた。
********************************************************
紅灯火は、少しずつ黒くなっていく自分の髪色を押さえながら表面だけで笑った。濃尾日向のような時期が自分にもあったな、と。あの頃は自分の”異常”が恐ろしくて恐ろしくて仕方がなかった。でも今は違う。
僕は”異常”だ。
そう、受け入れている。きっとあの頃共に過ごした仲間たちも同じ風に考えていることだろう。
「…白星君に伝えなきゃなぁ、ヒナ君の現状」
過保護な白星君のことだ。きっと僕の事をどうしようもなく詰るのだろう、あの普段は隠されている薄い唇から。相手の気に病む程の暴言を。
そして次の日には。
またあの美しい顔で、僕に向かって微笑むんだろう。
僕に向かって言ったことなんて、気にもせずに。
あぁなんて気持ち悪い。なんて可笑しい。
「僕達を”こんな風”にしちゃって。責任取って下さいよ、”先生”?」
そう、心の底から、表面だけで呟いた。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.37 )
- 日時: 2017/03/08 01:00
- 名前: 羅知 (ID: .KuBXW.Y)
「はい!!貴氏高校の皆さん、本日は私立彩ノ宮高校へようこそ!先生がこの学校の演劇部の顧問、秦野結希(はたの ゆうき)です!!早速だけど自己紹介してもらっていいかな?軽くでいいから」
「…貴氏高校1年B組濃尾日向です。『不思議の国のアリス』の劇で………『赤の女王』役をやるので、演技の指導をして頂けて嬉しく思います」
「……同じく貴氏高校1年B組菜種知です。『不思議の国のアリス』の劇で『チェシャ猫』役をやることになりました、本日は突然の頼み事を了承して頂き本当にありがとうございます」
そして週末。菜種の知り合い?は”先生”らしく、そのツテを使って今回のこの演劇指導は成立したらしい。確か彩ノ宮高校の演劇部は毎回県大会に行っていたはずだ。その演劇部でこうして指導してもらえる経験はなかなかないだろう。…僕の演技は置いといて、ここでこうして指導を受けることに損はない。
やるならしっかりやる、それが僕の信条だ。
顧問の秦野先生は二十代半ばの中性的な顔立ちをした明るそうな先生だった。しかしこの秦野先生が相当な切れ者らしく、彼女はどんな役でも演じることが出来るということでとても有名で、元々演劇強豪校だった彩ノ宮高校も彼女が来てから、益々勢いが増してきているらしい。才能と言うのは本当に凄いと思う。
「あはは!!二人ともそんなに堅苦しくしなくても全然いいよ!!…さあさあ奥でうちのエースちゃんが待ってるから!ちょっと個性的な子だけど、凄い努力家で先生なんかやりも二人にうまく教えてくれると思うから」
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「…さぁ!!この深い深い森に、迷い込んできた旅人達に救いの手を、さぁ!!その赤い赤い果実を私の手に乗せて、そう!!その果実の名は『愛』!!どうか私にその愛を!!」
「ね、凄いでしょ?愛鹿社ちゃん」
演劇部のエース、愛鹿社は僕達と同じ1年生らしい。幼い頃から演劇を続けてきた彼女は演劇部の中でも圧倒的な演技力を誇っており、他の一年生からも一目置かれているのだそうだ。
ショートに短く切りそろえられた髪は、彼女が動く度に小さく揺れ。
また、額に煌めく汗は森林の中を走り抜ける剣士を想像させた。
なるほど。確かに彼女の姿には、目を惹かれるものがある。きっとこの調子なら彼女はきっと女子にも好意を寄せられているのだろう。一年でエースなんて、周りの人間に虐められないのだろうかなんて考えたのだけれど、杞憂だったようだ。彼女の姿を見たら、納得せざるを得ない。
彼女が絶対的エースであることを。
彼女にはそれほどのオーラがあった。……だけど。彼女の姿を見て初めに思ったことは今まで長々と連ねてきた言葉とはまったく違うものだった。
そう。彼女の持つ雰囲気は。
「ねえ、菜種…。あの人………」
「…そうですね。そっくりです」
---------馬場満月の雰囲気に酷く似ていた。
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「二人とも初めましてだな!!私は愛鹿社、このゲキブの、しがない一団員だ。私などが、演技を教えるなんておこがましいと思うが、今日はよろしく頼む!!」
一通りの演技が終わると、愛鹿はそう言って僕達に眩い笑顔を見せた。…同じだ。”馬場満月”の”完璧な笑顔”と何一つ変わらない。心からその笑顔が出ているというのなら心底気味が悪いが、もしも”愛鹿社”も”馬場満月”と”同じ”だとするのなら。
「どうかしたか?」
「……いや、なんでも」
「そうか!!それならいいんだ!!…なんだか考え込んでいる風だったからな。体調でも悪いのかと思ったんだ。同学年なんだ、何か困った事があったら何でも言ってくれ!!」
そう言って彼女はまたにこりと笑う。その顔を見て僕は先程まで頭に浮かんでいた下らない妄想をかき消した。爽やかな笑顔。裏なんてなさそうな屈託のない表情だ。……よく考えたら、馬場のような人間がそんな二人も三人もいるわけがないのだった。それに愛鹿社と僕は合って間もないのだ。彼女も他校からやってきた訪問者に全力の対応をしているだけなのだろう。なにせ彼女は演劇部のエースだ。僕たちに対して”最高の笑顔”を浮かべる演技なんていとも簡単に出来る。そしてそれは何かを隠してるのではなくて、”わざわざわが校にやって来てくれたお客様”に対する礼儀に過ぎないのだ。
色々考えすぎて馬鹿を見たような気がする。
(それによく見たら、馬場にも似てないんだよな)
勿論先程言った通り、笑顔の浮かべ方や喋り方は出会った頃の馬場にそっくりだ。けれど彼と彼女の”笑顔”には完全な違いがあった。
演劇部のエースとして浮かべる彼女の笑顔。
僕はそれに、馬場に感じたようなあの凄まじい”嫌悪感”を感じなかったのだ。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.38 )
- 日時: 2017/05/03 17:09
- 名前: 羅知 (ID: fPljnYyI)
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濃尾日向と菜種知に発声練習のみ教えると、秦野結希と愛鹿社は休憩するといって、彼らのいない体育館裏へ言った。
ぽつり、と口を開く愛鹿。その表情は暗い。
「……先生、それであの子達は一体何を演じるんですか?先生は初めから知ってたんですよね。それでも敢えて先生は私に何も言わなかった。何の”意図”を持って黙ってたんですか?」
「”意図”だなんて酷い言い方だなー?先生は別に誰かに何かをさせたい訳じゃないよ。社ちゃんが驚く顔が見たかっただけ。ただそれだけだってば」
「…………そうですか。私をただ”苦しめたい”だけですか。良いですよ。心構えは出来ました。どうとでも酷いことを言って下さい」
「……はは。凄く冷たい顔。さっきとは大違いだね。…”自分すら騙す演劇部のエースさん”先生の前では”演技”しなくていいの?」
————愛鹿社は知っている。この”演技の天才”の前ではどんな”演技”も無意味なのだと。自分すら気付いていなかった無意識の”演技”を彼女に気付かれた時から、彼女は彼女の前で”気取る”のを止めた。
やったって無駄なことをする意味なんて、無い。
「……じゃあ言うよ。彼らがやるのは”不思議の国のアリス”だ。まぁ脚本を担当した子のこだわりが強かったのか大分改変されてて原作とはほぼほぼ別物だけどね。たしか改変したタイトルが……【嘆きの国のアリス】だっけ?アリスという名前の少女が迷い込んだ世界は、不思議の国のアリスのキャラが皆鬱みたいになってましたー!!って言う話。よくこんな話思いつくよね。感心しちゃうよ」
渡された台本を開きページをぱらりとめくる。確かによく出来た話だ、と思う。不思議の国のアリスは昔演じたことがあるが、物凄く難しかったのを覚えている。……あぁ、あの頃一緒に練習してくれた”彼”は元気にしてるだろうか。高校に進学してから会えていないが”彼”のことを忘れた日なんて一度も無い。
また、会いたい。そう強く願う。
「あは、懐かしい?先生も覚えてるよー。社ちゃんの演技。凄く上手かったもん。……さてあの子達の役名を発表するよ、菜種ちゃん…女の子の方は【希望をなくしたチェシャ猫役】それで濃尾君……あの可愛らしい男の子の方は【元の赤の女王を殺して現赤の女王になった白の女王役】…だよ。どう?驚いた?」
姉。愛鹿社には姉がいる。同じように演劇をやっていた姉。
昔やった演劇の配役は、自分が白の女王で姉が赤の女王だった。
「……は。なんですか、ソレ。私が姉を殺したっていいたいんですか。えぇ!!それはもう殺したい程憎かったですけど、姉が”死んだ”のは事故ですよ。私のせいじゃあありません」
「”死んだ”じゃなくて、”意識不明で目覚めない”でしょ?まだ死んでない」
「私に毒を吐かない姉なんて、死んでるも同然です」
半年間姉は目を覚まさない。なまじ顔のパーツだけはそっくりだったものだから、見に行く度に自分が死んでる姿を見るようで気分が悪い。
私は”私”だ。
そう言い聞かせていないと、自分が”姉”であると混同してしまいそうで怖かった。
「…まぁなにはともあれ。その顔は直してからあの子達の前に行ってね。特に濃尾君の前では顔を作っていって」
「…自分でそういう風に仕向けた癖に何を言っているんだか。薄ら寒いですよ。………まぁ心配しないで下さい。どうせもう」
そういって彼女は言葉を続ける。
「……彼は”私”のこと見抜いてますから。さっきから”そういう”顔してましたからね。あの子」
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.39 )
- 日時: 2017/03/15 07:44
- 名前: 羅知 (ID: UmCNvt4e)
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「やぁ尾田くん、待ったかい?」
「いえ……つーか、わざわざ休日に出勤させちゃってすんません……」
「ふふ……いいんだよ。悩める生徒を助けるのが教師の役目だからね」
そう言って紅先生はふにゃりと気の抜けた笑顔で笑う。そんな先生の顔を見ていると、最近ささくれだっていた自分の心も和んでいくような気がした。
今日は土曜日。
俺----尾田慶斗が、こうして休日に先生と面会しているのには並々ならぬ訳がある。
昨日のHM、馬場が倒れた。およそ倒れるなんて誰も予期していなかっただろう馬場満月が、まるで漫画のように倒れた。真横に。ばたりと。
しかし、俺は見ていたのだ。馬場が倒れる直前、濃尾日向に何かを呟き----それを聞いた濃尾も、顔を真っ青にして、馬場と共に保健室へ向かった。
これがおかしいと思わない訳がない。
そういえばあの時馬場は、言っていた----濃尾君は、俺に逆らえない。俺が死ねといえば、死ぬだろう。と。そこで俺はある可能性に思い立ったのだ。
もしかして濃尾は馬場に弱味を握られていて、脅されているのではないか----と。
馬場と急に"親友"なんかになったのも、濃尾が何か下手なことを言わないように--見張ってるんじゃないかと。
これはあり得ない可能性なんかじゃない。確かに情報家である濃尾を出し抜くには相当の技量が必要だが、あいつなら----馬場満月なら、出来るかもしれない。
それなら確認しなきゃいけない。保健室に向かった二人の行方を。
俺はそんな志を持ってそっと教室を抜け出し、保健室の扉に手を掛けた----ところで、後ろからがしり、と俺の肩を掴む手があった。
「どうしたの?尾田君?」
「せ、先生--------」
驚いた。気配が感じとれなかった。……いや、そうではなく俺がそれほどまでに集中していたということだろう。
落ち着いて深呼吸をし、予め用意しておいた台詞を先生に言う。
「----心配になったんです。馬場と、濃尾のことが。馬場なんか、今日は朝から青かったし。だから様子を見にきたんです」
「そうかい?でもそれなら今は止めておいたほうがいい------馬場君も、濃尾君もぐっすり眠っているところだから。病人を起こしちゃ悪いだろう?」
でも心配してくれて二人とも喜んでると思うよ、ありがとう--そう言いながら優しい笑顔で先生は俺の頭をわしゃわしゃと撫でた。
紅先生は人気者だ。その理由の一つが、ことあるごとに褒めてくれるこの優しさだ。先生なら----先生ならば俺の抱えているこの悩みを解決してくれるかもしれない。そう思って俺は。
「あ、あの先生----!!」
「うん?」
--------そうして今に至る。目の前の紅先生はぽつりぽつりと話す俺の言葉を嫌な顔一つせず、にこにこしながら聞いていた。全て話を聞き終えると、先生はうんうんと頷きながら俺の目を見た。
「そうか。そんなことがあったんだね----最近尾田君は何か考え込んでいるから、何かあるとは思ってたんだけどそんなことがあったとは」
「俺の話を信じてくれるんですか!?」
自分で話していても、この話はとても荒唐無稽だな、と感じていた。もし同じことを人から言われたら俺は信じることが出来ないだろう。
「信じるよ?生徒の話は誰でも無条件に信じるさ----それに、僕も気になってたからね。馬場君のことは。今の尾田君の話を聞いて、あぁ馬場君も人間だったんだなぁとしみじみ感じてるところだよ」
「……?今の話に馬場の人間らしいエピソードなんてあったっすか?むしろ人間性を疑うようなエピソードしかなかったように思うんすけど……」
俺が不思議そうにそう言うと、紅先生は楽しそうに笑いながら。
「情報を整理してみようか?」
そう言って紙とペンを用意した。
紙にペンでさらさらと何かを書きながら先生は説明を始める。
「まず、馬場君が尾田君にしたことから振り返ってみよう。君から考えたら酷いことをされたとしか思えないだろうけど……結果としてはどう?君は椎名君と仲直りできた。椎名君は殺されなかった。ほら?良いことづくめじゃないか」
「そう……すけど、でもそれはたまたまで!!」
「ふふ……じゃあ視点を変えてみよっか。そうだね…例えばだけど、もしも尾田君が取り返しのつかない大失敗をしたとする。そんな君の目の前にかつての自分と同じ失敗をしようとする君の知り合い……そうだね、椎名君だと仮定しようか。椎名君がいる。さて、君はこの後どうする?」
そこで先生はペンを書く手を止め、もう一度俺の目を見た。どういう意味だろう。
「どうするって……そりゃ止めますよ。大切な人に自分と同じ失敗はしてほしくないっすからね。当然じゃないすか」
「だよね。じゃあ話を戻すよ。これはあくまで僕の下らない妄想だけれど…"馬場君は昔取り返しのつかない大失敗をした。それは尾田君と同じように自分の気持ちを相手に伝えなかったから生じた。そんな時に同じように片思いに甘んじようとする尾田君が目の前にいる。思わず馬場君は感情的になって、尾田君を止めるために荒療治をした。"」
「………………」
「信憑性がない?あくまで妄想だ?…そうかな。だって理由がないじゃない。馬場君がわざわざ尾田君の前で本性を晒した理由がさ?"弱味を握られているならともかく"尾田君の前で本性を晒して、自分のリスクを増やして馬場君の得になることなんて何一つないんだよ。そうなったらそうした理由は一つ、"感情的になってしまったから"だ」
そうして先生は書いていた紙をゴミ箱に捨てて、ペンをもとの場所にしまった。
「ま。あくまで僕の妄想だからね。あとは尾田君の好きにするといいよ。おや?」
「……………なんですか?」
「ゴミ、付いてるよ。後で僕が捨てておくね」
「ありがとう、ございます」
色々と。そう言って俺は教室の扉を静かに閉めた。
これからどうするのか考えながら。
*********************************************
尾田慶斗の足音が遠ざかったのを確認すると、紅灯火は持っていたゴミ------盗聴機に向かって、この盗聴機を仕掛けただろう人物に話し掛けた。
「馬場君だよね?」
盗聴機なので、無論返事は聞こえるはずがない。しかしそんな事を気にすることもなく、紅灯火は話し続けた。
教師が生徒を諭す声とは違う声で。
「残念ながら、君の野望は崩れさったよ。君は尾田君にこれからつきまとわれることになる。心配されることになる。僕のことが憎いかい?」
無論返事はない。
「一人でどうにかなるなんて思わない方がいいよ。"僕達"は君達子供と違って沢山のツールがあるんだから。君がどんなに足掻こうが、いずれ君は現実を知ることになる。どうにもならない、って」
無論返事はない。
「どうしてこんなに構うのか、って?そりゃあ君が"僕達"の愛すべき天使様である"ヒナ君"の親友だからだよ。あの子はあの子が思っている以上に愛されている。あの子がそれを拒否していたとしてもね」
無論返事はない。
「…もしも、あの子を傷付けるようなこと君がしたとき、"僕達"は全力を持って君を"潰す"。生きていることを後悔するような手段を持ってして」
無論返事はない。
「……最後に。これは教師としての忠告だけれども、本当にダメになったときには"彩ノ宮病院"の"濃尾彩斗(のうびあやと)先生"のところへ行くといい。きっと君の力になってくれるよ」
それだけいって、彼はその盗聴機をぐしゃりと踏み潰す。
無論返事はなかった。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.40 )
- 日時: 2017/03/16 09:10
- 名前: 羅知 (ID: M0NJoEak)
**********************************************
(あの、クソ教師………)
尾田慶斗と紅灯火の会話を聞きながら、馬場満月は一人小さく溜息を吐く。
馬場満月の"計画"はこういうものだ。
尾田慶斗が自分達、特に自分に不信感を抱いている事は分かっていた。今回の"計画"は、その不信感を払拭させるためのものだった。 だからわざわざ"あの時の冷たい自分"と似たような役にしたのに。脚本を担当したのも、わざわざあの役に立候補したのも、全てはその為。
しかし、それもこれもあの教師のせいで全て台無しだ。
"演技"という名目で、あの"冷たい馬場満月"を公衆の目前で演じ切れば、俺達の"嘘"の信憑性がぐんと増す。尾田慶斗との関係も元の形に戻り、俺はまだまだ"馬場満月"をし続けれる。
そうなるはずだったのだ。そうなるはずだったのに。
(最悪だ……この俺が、出し抜かれるなんて)
『馬場君だよね?』
ふと盗聴していたイヤホンから、あの憎たらしい声が自分に語りかれられるのを聞いて背筋が凍る。
気付いていたのか。
気付いていた上で、あんな"出鱈目"をのうのうと口走っていたのか。俺が"大失敗"を犯した、なんて大嘘を。
俺はそんな人間じゃない。
あの時の俺は感情的になんてなってなんかいない。あれは全て"計画通り"のことなのだ。絶対にそうに決まってる。そうじゃなきゃおかしいんだ。だってだってだってだってだってだって俺は"馬場満月"なんだから。"馬場満月"は誰とも結ばれない"当て馬"で、いつだって明るくて、笑顔がとびきり素敵だった"あの人"のように、あれ、あれ、あれあれあれあれあれ"あの人"って誰だったんだっけ?"オレ"は元々"誰"で、いや違う。ちがうんですってば。こんなのは"オレ"じゃない。違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!!!!
様々な雑念が頭の中を暴れまわる。もうまともに周りの音なんか聞こえないくらいに荒い呼吸をしながらそれでも、それでも。聞き続ける。もうイヤホンを外す余裕もないほどに、ただただ惰性的に聞く。その"言葉"を。
『------------いずれ君は現実を知ることになる。どうにもならない、って』
何を、言っているんだ。これが"現実"だ。俺の信じていることこそが"真実"で"現実"なんだ。何も知らないくせに勝手なことを言わないでくれ。
どうにかなるんだよ。"こう"していれば。きっと"何か"が"どうにか"なるはず------------
『--「五月蝿い!!!!」
まだあの男は何か言っている。なにがヒナ君だ。何が天使様だ。あれは"濃尾日向"だろ?以上でも以下でもなくそうなんだ。愛してなんかやるなよ。アイツは"今のまま"が一番"幸せ"なんだから。ああああああもう全部全部アイツのせいだ。アイツのせいで全ての計画が狂ったんだ。アイツが"ミズキ"を望むから。"馬場満月"は崩れ始めた!!
初めて見たときから"大嫌い"だよ、あんな奴。
生きていることを後悔するような手段?生きていることを後悔なんて初めからしているさ。ずっと消そうとしてるのに消えないんだ。"俺"の中から"オレ"が!!!!ねぇ早く消してくれ、早く消してくれなきゃ。
「あは、は、は、ははは……」
渇いた笑い声を上げながら、一人でに手が動く。何か切れるモノを。己に"痛み"を与えられるモノを探し求めて。
手に何か当たる--------少し錆びた、カッターナイフ。
「ひひ、ははは…ははははははッ!!あはは、はははッ」
まるで金のない麻薬中毒者が、使いかけの麻薬を見つけた時のように------いや、もう、それそのものなのかもしれない------狂喜に満ちた目で、馬場満月はそのカッターナイフの刃を一気に押し出した。"自分の肌"に向かって。
そしてそのままそれを横に滑らす。何度も。何度も。その度に腕からは真っ赤な血が噴き出す。ざくりざくりと今度は垂直に太腿に刺してみた。途端に、感じる気の遠くなる程の鋭い痛み。
「ははッ………………!!」
痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。頭の中がただその言葉に侵食される。嫌なことも。辛いことも。思い出したくないことも。考えたくないことも。全部全部"痛み"に変わっていく。
あぁなんて素晴らしいんだろう。
この時だけは、俺の中から"オレ"が消えてくれる。
しかし、その時彼は確かに聞いたのだ。
「やし、……ろ……?……んで、…そこに?」
もう意識も飛びかけ、手に持っていたカッターナイフも血溜まりに落ち、夢の中で彼は"繋いでいたもう一つの盗聴機"から、"愛しかった彼女"の懐かしい声を。
**********************************************
第三話【Aliceinwonderland】→【Aristo myself】
何もかもが狂ってしまった世界の中で、とびっきりの自分を演じていた。
笑っていれば何とかなるとか、そんな儚い希望を胸に抱いて。だけど、それただ自分が狂ってしまっていただけなのかもしれない。
今でも自分はこのおかしな世界から出ることが出来ない。
+馬場満月+ばば みずき
貴氏高校一年B組(この時点)に属す。驚異の当て馬。頭は働く。”当て馬”になってる理由があるらしい。身長180で体格はいい。濃尾日向ののとが大嫌い。リストカッター。兄?がいるらしい。
*濃尾日向*のうび ひなた
貴氏高校一年B組(この時点)に属す。学校有数の情報屋。身長自称151だが本当は150切っている。かなり細く、女装が似合う。中学以前の記憶がないらしい。夢の中で二つの人格と語り合っていたが、仲違いした。馬場満月が親友。
*尾田慶斗*おだ けいと
貴氏高校一年B組(この時点)に属す。茶髪で軽い雰囲気。優しいらしい。あだ名はケート。馬場曰く「一般道にある落とし穴」みたいな人。椎名葵が幼馴染。白菜ッ!様投下キャラ。馬場との件を紅灯火に相談した。一体彼はこれからどう動くのか。
+菜種知+なたね とも
貴氏高校一年B組(この時点)に属す。肩くらいまである黒髪。けだるげな雰囲気。ウソと本当をいり交ぜて喋る(直後ばらす)椎名葵と仲が良い。母親の影響でいつも笑顔の人間が苦手らしい。馬場満月と、濃尾日向のことを怪しんでいる。河童様投下キャラ。
*秦野結希*はたの ゆうき
彩ノ宮高校演劇部顧問。演劇の天才。初対面で愛鹿社の地を見抜いたらしい。
+愛鹿社+めぐか やしろ
一年生にして彩ノ宮高校演劇部エース。小さな頃から演劇をやっているらしい。姉がいるが、現在意識不明。姉のことが嫌い。馬場と雰囲気が似ているが、濃尾日向は彼女の笑顔には嫌悪感を感じないらしい。表裏が激しい。
*紅灯火*くれない ともしび
貴氏高校一年B組の担任。担当教科は国語の現代文。ふわふわとした朱っぽい髪が特徴的。何か目的があるような動きが目立つが、その目的は濃尾日向に関係があり、彼以外にも数人が濃尾日向の為に動いているのだという。
+濃尾彩斗+のうび あやと
彩ノ宮病院の精神科医。名字からして彼の関係者ではある模様。色々と不明。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.41 )
- 日時: 2017/03/20 07:06
- 名前: 羅知 (ID: ysgYTWxo)
第四話【AliceinKingdomofmirror】
夢を見た。
「…いい夢見たか!!×××!!……今日も楽しんで行こうな?」
オレの隣で社が、笑っていた頃の夢。
「…この喋り方、か?……ふふ×××のお兄さんのマネをしてるんだ。学校で王子様役をやることになったから。あの人ってまさにそんな感じだろ?」
君はいつでも微笑んでいてくれて。
「無理なんかしていないよ、×××。…これは私にとって"けじめ"なんだよ。色んな意味でね。……凄い?私が?……ううん、×××の方がよっぽど凄いと私は思う。何で皆×××の演技の旨さ分かってくれないんだろ」
オレはそれにただ頷いて、笑い返すことしか出来なくて。
「ねぇ高校生になっても、また一緒に演劇しよう?違う学校に行っても、お互いにまた力をつけて………今度は私と×××二人主演の、主人公の!!そんな演劇をしようよ!!その時は、×××が脚本を作ってね?」
オレはその問いかけに頷くことができたのだろうか。
そんな思い出すら、蜃気楼のように掻き消してしまうんだ。今のオレは。
今のオレを見ても、君は笑ってくれる?
*************************************
つんとくる薬剤の匂い。此処は病室なのだろうか。
「……ん」
「あは………起きたんだ。さっきまで死にかけてたのに凄い生命力だね。君としてはそのまま死んでしまいたかったくらいなんでしょ?」
目を開くと朱色のふわふわとした髪が映る、あの憎々しい声と共に。
「あんたが……俺の邪魔を…し、たのか?」
「いや?君を助けたのは"匿名の通報"さ。ご丁寧に彩斗先生と僕達にご指名をしてね。どこかの誰かさんだか知らないけど、どうやら君も愛されているようだよ?だけどさ」
そう言ったか否か、紅灯火は俺の胸ぐらを掴み無理矢理上に引き上げる。
「何"勝手に死のうとかしてやがる"のさ。君が死んだら悲しむ人間がいることを忘れるなよ」
「………父も、母も、俺とは、絶縁している」
髪はこれまで以上に朱く輝き、口元は笑いながらも目は見開き爛々としている。
その顔はまさに"化け物"のようで。
全身が、ぞくり、と震える。
「…違ぇよ。それは君の勝手都合だろ。君は本当に考えなしだ、本当に本当に---------「駄目でしょ?ともくん?」
このまま取って喰われるのではないかと、額に汗が一筋浮かんだとき、ふと子供のような可愛らしい声が部屋に響き渡る。
「…………茉莉(まり)」
「自分より、年下で、弱い子を怖がらせちゃ駄目だよ、ともくん。あたし達はお兄さんでお姉さんなんだから」
そうして紅灯火の後ろからひょっこりと顔を出した少女は、紅灯火の前を悠然と通ると俺の方を見てにっこりと微笑んだ。
今、彼女は自分のことを"お姉さん"と言った。
しかし刈安色の髪をツインテールにくくった少女は、とても小さく幼く見えて、中学生、いや小学生にしか見えない。
もしかして紅灯火はロリコ--------
「こんにちは、馬場君。あたしは黄道茉莉(こうどうまり)。ここにいる灯火君の幼馴染で、同い年。こう見えて二十歳越えてるんだよー?」
「……今、僕のことロリコンだと思ったろ。馬場君。分かるからな。そういうの。よくそういう目で見られるから」
「………合法ロリ「だからそういうの止めろってんだろ」
紅灯火の目が死んできたので、これ以上言うのは止めることにする。この男もこのような顔をするのかと思ったら何だか気分が良くなった。
「…ふふ、馬場君さっきより良い顔になったね」
「…………?」
良い顔?良い顔とはなんだろう。俺が不思議そうに首を捻ると黄道は花が咲いたように笑う。
「さっきまで君、死にそうな顔してたから。でも今の君は生き生きしてる。…それがいいと思うよ。生も死も人間はたった一つしか持ってない。貴方達はそれをもっと大切にするべきだよー」
「……………」
こういう人間は苦手だ。とびっきりに明るくて、心の底から他人のことを心配して、おまけにこういうことを言えてしまう人間が。
こちらがどれだけ壁を作ろうが、そんな壁等簡単に飛び越えてしまう。
ふと紅灯火が、思い出したように口を開く。
「あぁそういえば馬場君、三日間だから」
「…は?」
「君の入院期間。これでもかなり短縮したんだよ?君だってあまり休みたくないんだろう?」
三日間。今日が日曜であるはずだから、少なくとも火曜までは休まなくてはいけない、ということ。
冗談じゃない。
今週の日曜日には、もう本番なのだ。それまでにやらなければいけないことも、整えなきゃいけないことも山ほどあるのだ。そんなに休んだら作業が滞ってしまう。
「安心しなよ。馬場君。仮にも僕は君の担任だ。君がいない間のサポートくらいは、僕と僕の仲間がやってあげれるよ」
「……だが」
「今は傷を治すことに集中しな。破傷風とかって怖いんだからね?」
そこまで言うと、さて、と言いながら紅灯火は病室の扉に手を掛ける。それを見て紅灯火についていく黄道茉莉。
「また、見に来るよ。馬場君。……僕の仲間達も此処に来るだろうけど、適当に愛想良くしておいてくれればいいから」
「……お大事に、ね!!」
「……………」
そうして嵐のような二人は、忙しなく病室を去ったのだった。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.42 )
- 日時: 2017/04/15 21:43
- 名前: 羅知 (ID: fPljnYyI)
*************************************
まっさらとした白い病棟には、まるで似合わない赤と黄色の影。
「あの子、おかしいね」
「…………茉莉、それには確かに同意するけれど人には言って良いことと悪いことが」
「だってあの子"死のうとしてた"はずなのに、たったの三日間休むのは嫌だなんて、おかしいよ。死んだらそれ以上に休むことに………ううん、もう二度と来れなくなってたのに」
その幼い姿に似合わない大人びた表情の黄道茉莉に、心惹かれながらも紅灯火は彼女の問に静かに答える。普段へらへらとした口元をきゅっと閉めながら。
「あの子は、ヒナ君と一緒なんだよ。………馬場君のあの言動見たでしょ?ヒナ君が嫌なことを"忘れる"
のだとしたら、馬場君は嫌なことを"なかったことにしてる"。記憶はあるけれど、それを自分の記憶と認識していない。ある意味ヒナ君より重症だよ」
「ふーん……」
そういって彼女は何か考え込んだように、腕を組む。そして暫く経つと何か思い付いたようにぽんと手を叩きまたいつものようににっこりと笑って紅を見た。
「じゃあ、あたし達頑張らなきゃだね!!」
「……………」
「先生とヒナ君は、"あの頃のあたし達"を救ってくれた恩人だもん!!同じように悩んでる子がいるのならあたし達も助けてあげなきゃ!!……ともくんもそう思うでしょ?」
紅灯火は、良い人間ではない。
自分でもそう自覚しているし、黄道以外の仲間もきっとそう思っていることだろう。そんなことは分かっている、けれども。
(君が笑って、そう言うから)
「……うん、そうだね」
いつだって彼女はとてつもなく輝いていて、自分はどこまでも汚れていた。酸化した血液の様に黒く、黒く。
それでも。
彼女がそんな自分の中から、光を見出だしてくれるのなら自分は"良い人間"になれる、のかもしれない。
そう感じながら、紅灯火はその掛け声にゆっくりと頷いた。
*************************************
馬場満月が、入院してから二日目。
彼の病室には、昨日紅が言った通り二人の来客がいた。
「…はーい、こんにちは馬場君。アタシは海原蒼(うなばらあお)。紅の……うん、知り合いよ。知り合い」
「……蒼姉(あおねえ)、面倒くさそうにしないで。多分馬場君の方が面倒くさいって思ってる。……この"性格"の時では初めまして、かな。馬場君。僕は金月星(かなつきせい)。ステラ、とか。白星(しらぼし)。ってよく言われる。……"いつもの"感じがいいなら、そうするけど。どう?」
海原蒼は、深い海の底の様に青い髪をした、紅灯火と殆ど変わらない年齢の女性だった。切れ長の目をしたかなりの美人なのだが、無気力そうなその表情が三割減で彼女の魅力を損なっている。
対して金月星は、光を透かしてキラキラと輝く白い髪をした青年だ。黒いマスクをしていて表情がうまく読めないが、こちらに敵意はないように思える。
というか。
「"あれ"って、演技だったのか!?…っていうかアンタも紅灯火の仲間……………!?」
「あはは"演技"っていうか、性格の一部………せっかく生まれてきたのに一つの人間の人生しか生きれないなんて損だと思うんだ。まぁ"ステラ"の性格は自分でもかなり無理があると思ってたけど…でも馬場君が分からない程度には馴染んでたみたいで、嬉しいね」
そうして彼は目だけで笑ったが、馬場満月は動揺を隠すことが出来なかった。
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「えー…、馬場クン休みなの!?やっぱ無理してたんだ……」
「うん。そういうことだから馬場君は今日は風邪でお休み。幸い台本はもう完成してるからね。馬場君の為にも僕達皆で文化祭を成功させよう!!」
紅灯火が、クラスの皆々にそう伝えると椎名葵を始めとする様々な生徒がざわつきはじめた。いくら金曜日に倒れたとはいえ、明るくいつも元気で健康的なイメージの強い馬場が土日を挟んで休むのは意外だったのだろう。誰も彼もが彼を心配する発言をし、不安げな表情をしていた。
"彼ら二人以外"は。
(尾田くんとヒナ君…………)
何かを考え込むように俯き、唇をぎゅっと結んでただただ黙りこんでいる尾田慶斗。その姿は、紅灯火の言葉を聞いた後と被る。彼はきっとまだ考えている。これから自分はどう動くべきなのか。何をするのが正しいことなのか。
彼がそう考えるように誘導はしたけれど、最終的な判断を下すのは彼自身だ。決めるのは彼だ、例え彼が今までと同じように馬場満月を邪険にしたとしてもそれはそれで良いと紅灯火は思う。
あの言葉を聞いて、少なくとも彼の心の中には確かに変化があった。その事実だけで十分だ。邪険にしたとしても、それはきっと今までとは違う。その態度にきっと"馬場満月"は何かを感じるはずだ。
"壊れてしまった心"にでも、何か感じるものがあるはずだ。
問題は"彼"の方だ、と紅は考える。
(ヒナ君…………………)
目は見開き、顔面は蒼白で、口を半開きにして、こちらをまっすぐと見つめてくる彼は他の生徒達とは明らかにショックの度合いが違った。魂が抜けた脱け殻のようだった。そりゃあそうだろう。"馬場満月の異常性"を、"強さ"を、誰よりも盲信していたのが彼だったのだから。馬場満月が倒れた瞬間もそうだった。彼は誰よりも馬場満月が倒れたことに衝撃を受けていた。だからこそ紅は彼が保健室に向かった後すぐフォローに向かったのだから。本来紅は彼との関わりを極限まで控えている。抑えようとしても、確実に彼のことを贔屓してしまうからだ。教師として最低限のルールは守らなければいけなかった。
でも、あの時はそんな悠長なことは言っていられなかった。
彼のあの表情は、あの反応は"彼が記憶を失う前の症状"に酷似していた。自分の目の前で"また"あんな悲劇を起こさせてはならない。ただそれだけを思って紅は彼に助言した。あんな言葉はただの気休めだ。彼が完璧に"壊れてしまう"のを、ただ延長させたに過ぎない。けれども。
そう言ってあげるしかなかった。
また、あんな風になってしまったら。今度こそ、今度こそ彼の心はバラバラになって、もう二度と戻らなくなる。それだけは防がないといけなかった。
"治す"余地がなくなってしまったら、次に壊れるのは今度は僕達の方なのだろう。
(取り合えず……隙を見て、フォローしにいこう。誤魔化しでも何でもいいから、今の彼の心境から脱しないと……)
一人、そう考えた紅灯火だったがその必要はなかった。
何故なら。
「先生…………ちょっと良いですか?」
授業が終了しHRも終わると、濃尾日向はそう言って紅に話し掛けてきた。予期していなかった出来事に少々慌てながらも、対応する。
「…え、あ、うん!!何かな?授業で分からないところでもあった?全然時間あるから大丈夫!!どんどん質問して!!」
「?……忙しいんでしたら、別にいいんですけど…」
「いやいやいや!!!本当に大丈夫だから!!!なに!?」
少々どころじゃなかったらしい。怪しまれてしまった。落ち着いて、落ち着いて、なに?と彼にもう一度問いかけると、彼はゆっくりと一枚の封筒を差し出した。
「これ、馬場に渡して欲しいんです」
封筒には、小さなディスクと手紙が入っている。
「い、いいけど……、これ、どうしたの?」
「菜種と僕で土曜日、彩ノ宮高校へ演劇を学びに行ったんです。…馬場、案外文化祭楽しみにしてるみたいじゃないですか。これは休んでる場合じゃないぞ、っていう宣戦布告です」
そう言って、彼は小さく笑った。その目は"空っぽ"等ではなかった--------反対に、満たされているようにも思えた。満たされているとしたら、それは----
「先生、言ってくれたじゃないですか。"気にするな"って。だから僕もう決めたんです。"馬場が別人であろうが、知り合いであろうが、他の誰が否定しようが、馬場は馬場なんだって"。それ以外はどうでもいいんだって」
そうじゃない。自分が言いたかったことはそれではないのだと。そう言おうとするのに声が出ない。
「ありがとうございます、先生。…最初から考えることなんてなかったんですね。アイツが何者かなんてどうでもいい。……アイツが"僕の所有物(ばば)"であれば」
そうして立ち去る彼に、紅灯火は何も言うことが出来なかった。
もう、"どうすることも出来なかった"。
(僕は、取り返しのつかないことをしてしまったんじゃないだろうか)
そんな言葉が頭の中をぐるぐると回った。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.43 )
- 日時: 2017/04/15 23:39
- 名前: 羅知 (ID: fPljnYyI)
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「……うわ、黄道ちゃん」
「やだなぁ蒼ちゃん、何年一緒にいると思ってんの。あたしのことは茉莉って呼んで!!」
金月星と馬場満月が話し合っている隙に、海原蒼はそっと病室を抜けていた。元々人と話すことがあまり得意ではない海原にとって、あんな風な場にいることはただの苦痛でしかない。コミュニケーションは金月に任せて自分はとっとと帰ってしまいたかった。
だが、抜けた先で"コレ"だ。
「…まったく、全然慣れないねぇ蒼ちゃんたら!!12の頃からの仲じゃん!!そろそろ慣れたっていいんじゃない?」
「…………アタシはこういう性格なの。黄道ちゃんもそれは分かってるでしょ」
そうだね!!と彼女はそう言ってあっけらかんと笑った。自分とは本当に正反対の子だと会うたびに感じる。12の頃からの仲だ。彼女の生まれた環境が決して明るいモノではなかったことを海原は知っている。自分の過去も相当酷かったけれど彼女はそれ以上だ。
けれども、彼女は無邪気に笑う。
そんな過去を吹き飛ばすように、清々しく。
どうしてそうしていられるのか、と昔彼女に聞いたことがある。
「…どうして、って?勿論ともくんがいるからだよ。あたしなんかよりもともくんはもっとつらい、って感じてるはずだから。まずあたしが笑ってなきゃ、ともくんはきっと心の底から笑えることなんてないでしょ?」
その時ばかりは彼女は少し困ったような表情をしていた。明るい彼女にそんな顔をさせてしまったことを心苦しく感じて、そこで話は止めにした。
ああそういえば。
「…そういえば、紅見かけないけど今何処にいるの?もう帰ってきていていい時間よね?」
「あ、それは…」
そう言って言葉を詰まらせた彼女の様子に否応なしに察せられる。
「アイツ…………"また"なの?久しぶりね」
「…うん。だからごめんね、あんまりあたし此処にいられないんだぁ…ともくん"部屋に鎖で縛り付けたまま"だから、さ」
紅灯火。初対面の時から気に入らなかったけれど、会ってから十三年経った今、余計癪に触る存在になったように思う。へらへらとした態度、人間性の欠片もない人格、それらはまだ許せる。気に食わないけど。だけど。
こういう純粋な女の子を困らせるな。
そう、思う。
「…そりゃあアタシだって、アイツが良い奴だなんて思ってないわよ。だけど…さ、アイツがアタシ達の中で誰よりもあの子の為に働いてることも、一番大変な仕事をしてることも…………それに責任を強く感じてることも、気付かない訳がないじゃない。責めれる訳、ないじゃない。…………どうしてそんな簡単なことに気付かないのかしら」
「……ともくんは、昔からそうだから」
「…………黄道ちゃん、今回も行く気なの? 」
「うん。ともくんを一人になんて出来ないから。一人で傷つく姿なんて見たくないから。だから…………悪いけど、救急箱の準備、よろしくね?」
何度この顔を見たことだろう。
昔と比べて大分頻度は少なくなった。
だけど、彼女のこの顔を見る度に思うのだ。
アタシ達はまだ"幸せ"になんて、なれてないことを。
人は簡単に"幸せ"になることはできない。でもだからこそ。
(彼らには"普通"を手にして欲しい。時々つらくて泣きたくなることもあるけど、なんだかんだ楽しくて、ふと笑顔が零れちゃうようなそんな"日常"を)
そう、心の底から強く願うのだ。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.44 )
- 日時: 2017/05/03 21:22
- 名前: 羅知 (ID: fPljnYyI)
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「…………どーぞ」
「なんだコレは……」
日が落ち始めた頃、紅灯火はまた病室に訪れた。手には茶色の封筒を抱えている。
「"濃尾君"が、"君"に、って」
茶色の封筒を乱暴にベッドの上に放ると、紅は病室の中をぐるりと見渡し、温度のない瞳でぼそりと呟く。
「…………蒼ちゃんと、星君は?」
「…二人とも飲み物を買いに、自販機へ丁度向かったところだ。タイミングが悪かったな」
「……いや。丁度良かったよ。二人にこんな顔見せたら、絶対に心配されるし」
何があったのかは知らないが、明らかに紅は"落ち込んでいた"。そんな顔をどうやら付き合いが長いらしい二人が見たら、心配することは間違いなかった。
「…僕にはもったいないくらいイイ人達だよね。僕みたいなのに付き合わなければ、もっと楽に生きれるのに、さ」
「………………」
「正直なんで彼らがまだ僕に、ついてきてくれるのか不思議でたまらないんだ。僕は彼らを"比喩じゃなく"傷付けた。それがこんな簡単に許されるわけないのに」
冷たい声質に、少しばかりの哀しさが混じった言葉。己を嘲るように嗤って紅は俺に言う。
「…本当は僕だってね。君のこと言えないんだよ。死にたくて死にたくてたまらない。……でもさ、彼らがいるから、皆がいるから、まだ"生きていよう"って、そう思っていられる。君にも、そんな子が"いた"はずでしょ?」
紅のそんな言葉に心が揺さぶられる。その姿が、鏡の中の誰かと被る。
「独りぼっちは、寂しいんだよ。馬場君」
そこまで言って、彼はそこから立ち去った。
『独りぼっちは、さみしい』それは誰に向けられた言葉だったのだろう。
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憂鬱な月曜日が終わり、愛鹿社は一人誰もいない屋上で過ごしながら、土曜日の演劇指導会について思い出していた。愛鹿社は結局二人のうちの一人----濃尾日向に、帰り際自分の"本性"をバラした。てっきり気付いてるものだと思っていたけれど、彼の反応は意外なものでただただ戸惑うような顔を見せた。
「そう………なんだ、全然分からなかった」
「………あぁなんだ、これじゃあ私のバラし損じゃないですか。私の勘もあまり当てにならないですね。貴方はてっきり気付いてるものかと」
私がそういうと、彼は私に不思議な質問をした。
「いや……全然。最初はそう感じた時もあったけどね。……なんか違うなって思ったんだ。まぁその予感は外れた訳だけど。……あぁじゃあ質問してもいいかな?どうして君は"そんな風にして"いるの?秦野先生に聞いたんだけど……君って、"王子様"役ばかりしてるらしいじゃん。でも君の"素"は見ての通り"ソレ"だ。まったく王子様って柄じゃない。それなのに"王子様"役を演じ続ける訳は何?」
「………………それを何故答えて欲しいんですか?」
「只の興味からだよ。別に答えたくないなら答えなくてもいいよ」
そうやって彼はにっこりと可愛らしい笑顔を作ったけれど、どうにも嘘くさかった。というか多分彼のそれこそ"演技"なのだと思う。この場所に足を踏み入れた時、彼はどこか不機嫌そうな顔をしていた。後から分かったが、彼はどうやら自分が"女王役"をすることを随分と嫌がっていたらしい。演劇の世界に足を踏み入れた人間ならまだしも、彼はその方面では素人だ。私情が入って嫌がるのも無理はない。……しかしそんな態度も、時間が進むにつれ見せなくなった。元々そうやって笑顔を繕える"タイプ"の人間なのだろう。演劇向きて好ましい。だけれども、初めに"あの嫌そうな顔"を見せてしまった辺り詰めが甘いなぁと思う--------話を戻そう。確か質問の話だったはずだ。私が演技している訳。それは。
「……………色々と理由がありますけど、一番の理由はそれが"役に一番ハマれる"からです」
「役に"ハマる"?元の性格に近い方がハマれるんじゃないの?」
「そういう人もいます。だけど私の場合………これは本当に特殊なんですけど、私のあの性格、モデルになった人物がいるんです」
「……へー………」
「その人は私と違ってとても明るい人でした。………人間って、誰しも自分の嫌な所っていうのがあると思うんです。だから"変わりたい"と願う。私はその人のように、その人のようになりたいと思ったんです」
「どうして?」
その当時は気付かなかったけれど、つまりは"こういうこと"だったのだと思う。我ながらなんとも情けない話だとは思うけど。
「---------私の好きな人が、その人のことを好きだったからです」
「好きな人の好きな人になれれば、好きになって貰えるなんて信じてる訳ありませんよ。だけど、私にはもうそれしかなかった。そうするしかなかったんです。ただその思いで、ひたすらに自分の中に"役"をなじませた。思い入れの強さは元の性格を凌駕する。つまりはそういうことです。そして」
「私には最初そうしている自覚がなかった。ハマってしまえば、もう戻れないんです。役って。私にはもうどっちの私が"私"なのか、もうよく分かっていません。だって"アレ"だって私の中にあったものを捻りだしただけなんですから。あれも私なんです。きっと」
私がそう吐露すると、彼は静かにありがとうと呟いた。
初めの嘘臭い笑顔じゃなくて、ただただ静かに微笑んだ。
「結構、プライベートな話ありがとう。そこまで話してくれたなら、僕の方も話さなきゃならないね。本当の理由って奴を。……………"親友"がね、"君"みたいな奴なんだ」
「……………?」
「君みたいに"演技"をしてる、そういう奴なんだ。ふと疑問に思ったんだよ、アイツはどうしてあんな演技をしてるんだろうってね。だけど余計に分からなくなった。アイツは君とは全然違うからさ。思い入れとかそんなので動く"タイプ"でもないし」
「………素敵な"親友"さんを持っているんですね」
「……………はは」
そこまで言って彼はくるりと方向転換し、私にゆっくりと手をふった。私も手をふろうとして、ふと忘れていた"ある質問"を思い出して彼を呼び止めた。
「最後に一つ、いいですか?」
「……………何?」
「あの台本とても素敵でした。ぜひ今日のことを皆さんにも伝えて、劇成功させてください。必ず見に行きますから。あの脚本を担当した人の名前を……………教えてくれませんか?私はその人に敬意を送りたい」
彼は答える。
「馬場満月っていう奴。………癪だけど、アイツにもそう伝えとくよ」
そうしてまた歩き始める彼の後ろ姿を見つめながら、私は最後に彼の言った名前を何度も何度も反芻していた。馬場満月。馬場満月。馬場満月………。
私の目標にしている"あの人"の名前とよく似ているな、と何故だか見たことのないその"馬場満月"という人に親近感が湧いていた。
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(とても疲れた………)
一人部屋のドアを開けシャワーも浴びずに、ベッドの上へ寝転ぶ。演劇部の本気の指導は普段はインドア派である僕には少々キツイものだった。とにかく体の節々が痛い………。明日はきっと筋肉痛だろう。もうこのまま眠ってしまいたい………。
寝る前にふと、今日の出来事を回想する。
(愛鹿社………彼女もまた、"演技する"人間だった………)
もっとも馬場満月とは違い、彼女の演技はまっとう(人が好きとかそういうのは理解出来ないけれど、普通に考えてそうだろう)な理由からであったし、またその正体もただの普通の女の子だった。
"ミズキ"のことを少しは理解できるような気がしたけれど、駄目だ。彼女と"ミズキ"はあまりにも根本的に違いすぎた。紅先生はああいったけれど情報屋たる僕にとって
"ミズキ"の過去、"ミズキ"の中心にくるものということを知ることは非常に興味が湧くことだ。この数日間、"過去"のことを思い出しそうになって怖がってばかりいる---------そんな"自分"に、そろそろ嫌気がさしていた。僕は学園の皆の秘密を握る影の支配者なんだから。そんな僕かこんな過去くらいで揺るがされるなんて……………馬鹿馬鹿しいにも程がある。
嫌な所があるから、変わりたいと願う、彼女もそう言っていた。
過去を少しずつ思い出す度に弱くなってしまう自分から脱したい。元々の自分はこんな弱い人間ではなかったじゃないか。
少しずつでいい。思いだそう。
僕が記憶をなくしてから、一年間ほど経ったその日僕は改めてそう思った。何故急にそんなことを考えるようになったのだろう。…………………あぁ彼女だ。彼女の演技を見た時涙が出そうになった。まるで"それをずっと待ち焦がれていたかのように"。彼女の演技には"強さ"を感じた。今の"弱い"自分が恥ずかしくなった。そしてその感覚を僕は。
前にも味わったことがある。
自分のぐちゃぐちゃとした何かが溶かされてく感覚。
(シャワーだけ、浴びてこよ……………)
この後起こることを、僕は一ミリも想定してなんていなかった。
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(はぁ……………さっばりした……………)
湯にはすくまず手早くシャワーだけ浴びてしまうと、先程までは何も届いていなかったFAXに数枚の紙か届いていた。こんな夜分遅くに来るのは珍しい。FAXには度々星さんから料理の話や他愛ない話が書かれた手書きの手紙が届く。そんな何度も送らなくても大丈夫だし、通話でいいと僕はいいと言ったのだけれど、星さんが残せるものがいいからといって聞かなかった。
しかし、いくらなんでも送ってくる頻度が早すぎる。前回送られたのはまだ昨日のことだ。何か言い忘れていたことでもあったのだろうか?
送り主を確認すると、そこには思ってもみなかった人物の名前が書いてあった。
「秦野優希……………あぁそういえば今日の要点を送ってくれるって言ったっけ」
こと細やかに書かれた説明に感動しながら、その紙が何枚も重なってることに気付く。そんなに書くことがあったか?
不思議に思いながら紙を取る。
「え」
それは文字なんかじゃなかった。
それは。無数の写真。
それは。
「×××××?」
それは。
「 」
-------------それは、見るからに可哀想な、少年の記録。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.45 )
- 日時: 2017/05/04 11:17
- 名前: 羅知 (ID: fPljnYyI)
*************************************
「そもそも"悪"っていうのは何だろうね?だって先生は真実を教えてあげただけじゃん。それの何が悪いっていうのさ?」
「……望んでいない"真実"は、やっぱり"悪"なんじゃないのかな。優希」
「えーでもあの程度で"壊れる"とか壊れる方にも責任があると思わない?というかむしろ教えてあげた先生に対して失礼だと思わない?優始」
混雑して賑わうファミレスの喫煙席で、アイスコーヒーを口にしながら彼らはそんな"他愛ない"話を続ける。
それが、誰かにとっては"他愛ない"で済まなかったとしてもそんなものは彼ら姉弟には関係ないのだから。
「……………そうかもね」
「あー!!適当に流そうとしてるでしょー優始。んでついでにその今くわえてる煙草今どこにやろうとしたー?先生にはお見通しだぞー?」
「…優希には関係ない。普段は気付いても見逃す癖に何言ってるの」
そう言いながら優始は、まだ火の灯っている煙草をじゅっと"自らの手の甲で"消した。微かに肉が焦げる匂いと、彼が声を少しあげたがこの喧騒の中で気付くものは誰もいなかった。
「ねー優始。来年は優始も、もう教育実習生だねー。どこに行くかもう決まってるよねー?どこ行くのー?」
「………知ってて聞いてるよね。例の"あの子"のいる学校。………何まさか優希もその学校に行くことになったとか言わないよね?」
「そのまさかなんだよねー。おそらくその学校だと思うー」
「……………………そういうのって普通はまだ分かんないよね。どうやって知ったの……………いや、聞く必要はないか、どうせ」
「先生を、誰だと思ってるのさー?そんくらい普通に耳に入ってくるよー」
そうやって普通にけらけらと笑う姉を見ていると、飲んでいたアイスコーヒーを口から垂れ流しそうになる。この姉はいつだってそうだ。どんな時だってどんなことをした時だって、けらけらと笑う。きっと目の前で、自分が急に血を吐いて倒れたとしても顔では心配そうな面持ちをしながらいつもと変わらない平常心で明日の晩飯のことを考えるのだろう。なにせ親が離婚して離ればなれになる時だって涙の一つも流さなかった冷血漢なんだから。まぁそれは自分も同じだったけれど。
本当に姉弟で良かった。
もしも、"コレ"が他人として存在していたら。
(--------殺していたかもしれない。いや殺されていただろう)
そんなことをやはり"他愛なく"考えながら、彼らまたアイスコーヒーを一口啜って「美味しい」と
呟く。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.46 )
- 日時: 2019/02/16 12:57
- 名前: 羅知 (ID: 7JU8JzHD)
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入院して三日が経った。ついに今日の夕方には退院が出来るのだ。病院内なのでおおっぴらに叫ぶことは出来ないが、今すぐ窓を開けて大声を出したいくらいに気分は爽快だ。退院の準備をしながらも、つい浮き足立ってしまう。
そんな自分の前に、その男がやって来たのは、昼頃のことだった。
「おはようございます。馬場満月君。遅ばせながらお見舞いに、参りました。後加減はよろしいでしょうか?」
突然現れた男----銀縁の眼鏡を掛けたいかにも秀才そうな男だ---は、一言そう言うとにっこりと爽やかな笑顔を張りつけ笑った。
胡散臭い。それがその男に対して思った第一印象だった。
何故だろう…。爽やかそうな雰囲気なのにそう感じてしまうのは。もしセールスマンなんかをやってたらきっとどの世代からも好かれているだろう。そのくらい人の良さそうな。
そんな風体をしているのに。
「あはは。そんな身構えなくても大丈夫ですよ、馬場君。…おそらく貴方の予感は当たっていますから。紹介が遅れました。私は荒樹土光。紅達の"友人"にあたります」
「………………はぁ」
「ちなみに仲間内では"詐欺師"と呼ばれていますね。ですが信用して下さって結構ですよ」
彼はそう言って誇らしげに眼鏡のフレームをかちゃりと動かした。
「………………………………………………はぁ」
今の発言により信用は底まで落ちた。仲間内から言われるなんて相当に人として落ちていると思う。しかも何故誇らしげに言うのだろう。人として最底辺の名前で呼ばれていることに気付いていないのだろうか。というか仲間内って。"友達"だとか言っているが、それは一方的にそう思ってるだけなんじゃないんだろうか。
そんな自分の思考に気付いてるのか、ないのか、先程と変わらない笑顔を浮かべながら話し続ける荒樹土。
「…随分と楽しそうですねぇ。普通は学校にまた行かなければならないとなると憂鬱な気持ちになりそうですが。察するに、"何もしていないのが、落ち着かない"んじゃないんですか?」
「………………そうだが。悪いか?」
「いえ。むしろ大変素晴らしいことだと思っておりますよ。"私のように"優秀な人間が、働かないなんて、無価値な無能がそこら辺で呼吸してるのと同じくらい無利益なことですから」
要は貴方は優秀だ、と誉めてくれてるんだろうが、その後の台詞のせいで荒樹土光という人間の異常性か浮き彫りになった。異常性というか普通にクズだろう。その発言は。
「………その言い方。アンタもブラックな仕事をしているのか」
「ふふ。企業秘密です」
「………………………」
「ああ!!そんな顔しないで下さいよ。楽しくなってきちゃうじゃないですか」
やっぱりこの男は、おかしい。流石紅の友人、精神が狂っているようだ。じゃなきゃそんな発言してにこにこ笑えるわけかない。
なんてそんな風にこのままはぐらかすのかと思ったが、存外彼はまともに答えた。
それが"真実"なのかどうかは、分からないけれど。
「…んー。そうですねぇ。そもそも私達には"定職"というものがありませんから。どの仕事に就いているかと言われても、しっかり答えれるものがないのですよ。勿論どの仕事も全力でこなしていますが」
「………」
「………まぁ、そもそも"仕事に就けるような身分"ではないんですけどねぇ。こうして仕事出来てるのも全ては濃尾先生のおかげ!!ありがたやありがたや」
「………………………どういうことだ?」
俺がそう問うと、荒樹土は全身を嘗め尽くすような気持ち悪い目でこちらをみやるとにやーっと、ぞわりと寒気がするような表情を浮かべて嗤った。
笑った。のではなく確かに"嗤った"。
「……あは。なーんて。ただの詐欺師の戯言ですよ。気にしないで下さい」
(なるほど。確かにこの男は"詐欺師"だ)
その血の気が引いてしまうような不気味な表情を見ながら、先程の男の流し名を反芻する。詐欺師。詐欺師はただの嘘つきではない。"どれが嘘なのか分からない嘘をつく"それが詐欺師だ。相手がとにかく嘘をついているということが分かっても、どれが嘘なのか分からなければ全て無駄だ。この男はそれを分かった上で言葉を発している。
それならば、この男と話を続けるのはきっと無謀なことなのだろう。どれだけ話していたってきっとそれは夢物語の延長線上の何かにしかならない。
「………さて。私はそろそろ帰るとしましょうか、馬場君も帰って欲しがってるようですし」
俺がそう思った辺りで、丁度そう言って扉に手をかけ出ていこうとした荒樹土はふと何かを思い出したように帰り際くるりと振り返った。
「金月星には気をつけて下さい。あの子は私達の中で誰よりも過激なんです」
「あの子の黒いマスクは、あの子の中にいる"どす黒い悪魔"を抑える為にあるんです。……あの子のマスクの下を見たことがありますか?見たことがないんだったら、決して見ない方がよろしいかと」
「紅達によろしくお伝え下さい。"化物が人間の振りをして何が楽しいんだ"って。それでは」
そうして、突如現れた胡散臭い詐欺師は来たときのように、胡散臭い台詞と共に忙しなく帰っていった。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.47 )
- 日時: 2019/02/16 13:00
- 名前: 羅知 (ID: 7JU8JzHD)
(………あぁ空気がうまい)
なんて刑務所から出てきた囚人のようなことを思いながら、腕をぐいっと伸ばす。空の青、草花の緑、町の彩りは、三日間"白"しか見つめてなかった目には少しちかちかして見えた。
(空は………こんなに"青"かっただろうか…)
天空に広がる紺碧色の空。雲一つなくさんさんと輝く太陽。
"オレ"が見た空は。
(違う。"昔"見た空は、もっと澄んでて、それで、もっとどこか"ぐちゃぐちゃ"で、それで、こんな"近く"になんて--------------------------)
「どうかしたかな?馬場君?」
「星、さん…………」
中性的なアルトボイスが響き渡り、ぼぉっとしていた脳が途端に行動を再開する。相変わらずの透明感のある白髪が太陽を反射し、きらきらと煌めいている。
マスクで隠れて表情ははっきり見えないが、目元だけを不思議そうに動かし彼は言う。
「空なんかじーっと見つめちゃって、どうかしたの?」
「………いや、星さんこそどうしてこんな所にいるんだ」
「僕は君を迎えに来たんだよ。まだ怪我が治りきってない病人一人で帰らせれる訳ないじゃない。嫌だ、っていっても送らせてもらうからね?」
そう言ってこっちに来て?と手招きをする星さん。そこまで言われてしまっては、こちらも断る手段がないので気は引けるが乗せて貰うことにした。別に乗せて貰っても不都合は特にないのだから。連れてこられた先にあった車は真っ白で傷一つなく見たことのない車種だった。それでも、値段が高いということだけは中の細かい縫製、スイッチの沢山付いた運転席から嫌というほど伝わった。
「………随分、高そうな車なんだな」
「そう?僕が買った訳じゃないからよく分かんないんだよね。これ、濃尾先生に誕生日プレゼントで貰ったんだ。僕をイメージして"デザイン"してもらったらしいよ?大袈裟だよねぇ………」
彼はそう言いながらけらけらと可笑しそうに笑っているが、笑いごとではないと思う。普通誕生日プレゼントにこんな物を送るか?ただの元"患者"に?オーダーメイドで?そんなのは普通じゃない。ありえない。
"濃尾先生"----濃尾日向の叔父で、紅達の"恩人"であるらしいが一体どのような男なのだろう?こうしたプレゼントを買ってやるほどの仲なんてまるで普通ではない。ただの"患者"と"先生"の関係では到底ありえない。それに。おかしい所が一つある。
何故それだけ安定した"財産"を持ちながら、彼は濃尾日向を引き取らないのだろう?
"例の関係"を始めて数ヶ月経ったとき、濃尾日向に家のこと、親のことについて聞いたことがある。少し笑いながらアイツは答えた。
「…あー、僕独り暮らしなんだ。マンションの一室で一人暮らし。お金が時々振り込まれてくるから、楽勝に生活出来てるけどたまには顔を見せろって思うね、僕の"親"」
「………お前の今の姿見たら、親御さん泣くだろうな」
「………………………そう、だろうね」
思い返してみれば、あの時の濃尾日向はどこかそわそわしていて落ち着きがなかった。"親"に思うところが色々あったのだろう。今までの話で一度も出ることのなかった"親"の存在。会うことはせず、自分の近しい者を周りに置いて様子を見守る叔父。考えれば分かることだった。濃尾日向の"親"は恐らく--------
「なぁ」
「………なぁに?ヒナ君のお父さんお母さんのこと?"君の想像通り"死んじゃってるよ。それで"君の想像通り"ヒナ君はそのことを知らない。ただ何処か遠い所で仕事してるだけって思ってる」
……ここまで明確に当てられてしまうと少し気味が悪い。貴方はサトリか、なんて思ってしまう。しかし濃尾日向は親がいないことを不思議に思わないのだろうか、いくら仕事とおっても数年に一度も帰ってくることがなかったら流石に疑問に思うはずだ。
「あー、あの子高校以前の記憶がないからね。一年くらいいなくても全然不思議に思わないし、もしかするとそういう倫理観とかも少しズレてるのかも」
「は?」
今この人はさらりと何を言った?そういうことは普通当人のいないところでは言わないものなんじゃないのか?…"濃尾日向"が記憶喪失だということは少なくともうちの学校の生徒では誰も知ってる人間はいないだろう。この俺が認識していないのだから確かなはずだ。それを、何故?何故この"俺"に------------
「君がヒナ君の"親友"だからさ、馬場君」
前にも紅から同じことを言われたことがある。俺が濃尾日向の親友だから、だから俺の世話も焼くのだと。だが、どいつもこいつも頭がおかしい。あんなに濃尾日向のことを調べていたのだったら"知っている"はずだ。俺と濃尾日向の"関係"。俺が濃尾日向にしたこと。あんなものを、あんなおぞましいものを知っていて、なお俺と濃尾日向の関係を"親友"と呼べるその神経が理解できない。
俺が心の中でそう悪態を吐いているのを知ってか知らずか、星さんはまるで本来のおもちゃの遊び方を知らない子供を見るかのようにくすりと笑う。
「"そういう所"だよ。馬場君。君は君が思っている以上に"優しい人間"だ。ちゃんと"自分"を認識しな。鏡は全てを裏返しにするけれど、真実だって確かに写してくれてるんだから」
その言葉を最後に車のスピードはゆるゆると落ちていき、ついにはその動きを止めた。見慣れた景色だ。いつの間にか目的地に着いていたらしい。高層マンション玄関前。
「さぁ着いたよ、馬場君-----「待ってたよ」
聞き覚えのある、女子みたいな高い声。
見慣れたマンションの扉の前には、そこいるはずのない"アイツ"が冗談みたいに、にこにこしながら立っていた。
「おかえり」
そこには、濃尾日向が、いた。
「な、んで………此処を………………?」
------------それは、悪夢のような光景だった。否、夢であってほしいと心の底から強く願った。
*************************************************
冬だというのに、生ぬるい気持ち悪い風が吹く。
「あは?ずーっと、ずーーーーーーーっと待ってたんだよ?お前が帰ってくるのをずーーーーーーーーーーーーっと!!!!……………あーあ、おかしいと思ってたんだぁ……………お前が体調不良なんて絶対に!!!だからさ!!僕、頑張って調べたんだよ!!僕の情報網はネットは専門外なのに、もうすごーーーーーーく!!!頑張ったんだから!!!だから僕知ってるんだから!!………誉めてくれよ!!お前の為に労力を使ったんだからさぁ!!!」
「………………………なぁ」
「ねぇなんで何も僕に言わなかったの?」
「………………………なぁ!」
「僕、電話したのに!!!!!何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も!!!!ずーーーっと!!!ずーーーっと!!!ずーーーーーーーーっと!!!!」
「…………………おい!!」
「お前はそんぐらいで倒れる人間じゃないでしょ?何"人間"みたいなことしちゃったんだよ?なぁもっと嘲笑えよ、もっと軽蔑した目でこっちを見ろよ、人間みてぇな顔してんじゃねぇよ!!!!!!!!!なぁなぁなぁなぁなぁなぁなぁなぁなぁなぁなぁなぁなぁなぁなぁなぁ!!!!!!!!!」
「………………………………おい!!!」
「………僕の元から離れる気?いいかげんこんな変態は嫌になった?なぁどうして僕に隠し事するんだよ、どうして僕のことを裏切るんだよ?そんなことしたら絶対に許さないその時は僕はお前を殺してやるお前を殺して僕も死んでやるんだから何?それとも社会的に殺される方がいい?あはそれもいいかもね僕とお前の二人きりで社会的に殺されるのもあぁでもその時はもういっそ死んだ方がマシかあはははははははははその時はお前が僕を殺してくれるんだよなぁ勿論あぁでもお前も死ねよ?人一人殺しといてのうのうと生き続けるとかクズの諸行だからね?ねぇだから死のう?ね?ね?ね?ね?ね?ね?」
話が、通じない。
目がこちらを見ていない。
やっぱりここは"夢"の中だ。
だって、叫んだって、手を伸ばしたって絶対に届かないんだから。
あぁもう。
誰にもこんな顔させたくなんか。
「………………"ヒナ"」
口から知らず知らずの内に音にならない言葉が零れて。
「…もう、絶対に置いてなんか、いきませんから、安心して、下さいよ」
置いてかれるのは"オレ"だって、もうこりごりなんだから。
掠れた声で呟いたその"言葉"は、風に流されて誰にも聞こえることはなかった。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.48 )
- 日時: 2017/06/08 21:18
- 名前: 羅知 (ID: fPljnYyI)
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「…おはよ。"シーナ"」
尾田慶斗の一日は、親愛なる"彼"への"朝の挨拶"から始まる。
部屋中に"彼"の顔が見えているので、どんなに寝相が悪かったとしても見逃すことはない。例え前日寝るのが遅かったとしても、"彼"の顔を見ればすぐに目が覚めてしまう。自分にとって何よりも効果的な目覚ましだ。朝の挨拶を交わすと、部屋中の"彼"が自分に笑いかけてくるような気がする。あぁ幸せだ。
ひとしきり幸せを噛み締めると、朝食の準備を始める。ふと、台所の隅にある"彼"の爪や髪やらが目に入り………少し迷ったが止めておいた。彼の体の一部を体に取り入れたところで体調を崩す訳がないが、あまり豪快に使い過ぎるものではない。いくら幼馴染という関係とはいえ、なかなか手に入るものではないのだから。
スクランブルエッグにウインナーにインスタントのコーンスープ。平凡だが、まぁ普通にうまく出来たと思う。彼の朝の様子をこっそり彼の部屋に仕掛けた盗聴機で聞きながら、美味しく頂いた。色んな意味で。
そんなこんなでのんびりしていたら、登校時刻になってしまった。窓の外が随分と騒がしい。徒歩二十分程で着くうえ、今の時間に出ても十分余裕のある時刻だが、彼を余裕を持って教室で迎えるにはこの時間がベストだ。ちなみに家まで彼を迎えに行くことはしない。遅刻寸前で慌ててる彼の声を聞くのはとても興ふn………いや、とても微笑ましい気分になるし、あまり彼の家に近付き過ぎると共鳴効果で自分の持っている盗聴機からノイズが鳴り響くのだ。
いつの間にか教室手前まで歩いていた。時計を覗けばジャスト八時を指し示している。いつもなら、このまま何も気にせず教室に入っていくのだが、今日は少し躊躇ってしまう。三日間空だった下から二番目、右から六番目の下駄箱に今日は靴が入っていたからだ。
この数日間、考えていた。紅先生が言ったこと。馬場満月のこと。濃尾日向のこと。そして、"あったかもしれない誰かの伝えられなかった思い"のこと。それは自分の貧相な頭じゃキャパが全然足りないくらいの重い"問題"で、やっぱりこの数日じゃ結論なんて出せる訳がなかったのだけど、それでも、それでも。
それなりの"覚悟"は作ったつもりだ。
意を決して扉を開く。ゆっくりゆっくり息を吸い込んで、吐き出す。顔ににっこりと笑顔を貼り付けて、いつも通りにがらがらとドアを開ける。
「みんなはよー!!馬場復活したんだってな!!久し振り!!来週末には文化祭だぜ!頑張ろーな!!」
「………………………………」
「………ありゃ?みんな元気ないのかな………?」
………おかしい。確かに早朝の為来てる人数は少ないのは事実だが、いつもだったらまばらに返事が聞こえてくるはずなのだ。こんな、誰も、返事がないのは、おかしい。
教室にいる数人と目が合うと、すぐに目を逸らされ--------いや、逸らされたのではない、"とある人物"を目で指し示されたのだ。
みんなの視線の先。そこには。
「馬場………………?」
馬場満月が、机につっぷしていた。
死人の様に動かない馬場。彼がこんな姿を学校で見せることはなかった。驚きやら何やらでクラスにいる全員が言葉を失い、奇妙な空気が流れている。
「………………ん…」
再び訪れた静寂から数秒経って、気だるげに顔をあげた馬場満月。そうしてあげられた顔は真っ白で、血の気がなく、焦点の合わない視線がこちらに向けられる。
「………………だ、れ………」
ようやく目線が合ったが、その目は明らかに眠そうで、いつものような覇気はなく、どこか虚ろで、誰が誰だか------いや、今"自分がどこにいる"かも認識出来てないように思えた。
まるで"人が変わった"ような馬場満月。休んでいた側が久し振りに学校へ来て、以前とクラスの雰囲気が変わったように感じるのはよくある話だが、その"反対"というのは、あまりにも珍しい。
「おい、馬場--------「馬場!!!」
オレが馬場に声をかけようとすると、一際大きな少し高めな声が教室中に響く。その声に反応して、びくりと大きく肩を震わす馬場満月。先程とは違う確かに意思を持った目でこちらを一瞬見やると、唇をぎゅっと噛み締めてその声の"持ち主"------------濃尾日向の方へ向かっていった。
「馬場!!僕が話しかけてんのに、無視するなんて酷いんじゃないの?」
「…はは!!悪い!!少し呆けていた!!濃尾君おはよう!!」
いつも通りの"彼らの会話"。それを見て、クラスのみんなは安心したように息を吐いて、教室内にざわざわとした喧騒が戻っていく。あぁあれは夢だったのだ。たまたま少し調子が悪かっただけだったのだろう。そんな理由をそれぞれの心の中で折り合いつけて。元の"日常"へ戻っていく。
"オレ"だけを取り残したままで。
("馬場満月"は、あんな"笑い方"をしない)
(あんな、困ったような、そんな"笑い方"はしてなかった)
(それに----------)
先程の、こちらを見つめた"目"を思い出す。
(----------あの"目"は、確かに、"助け"を求めていたんだ)
彼らの中で、"何か"が反転した。
この数日間で彼らに何が起こったのかなんて、分からない。だけど、だけど、だけど。
「………………オレは"諦めねぇ"からな」
喧騒の中、ぼそりと呟いたその言葉は、すぐにかき消される。別にそれでいいのだ。自分で"聞こえて"いれば。
様々な思惑が飛び交う中。
狂っていても。壊れていても。
薄情な現実は、全員に平等に向かってくる。
--------------"運命の文化祭"まで、あと十日間。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.49 )
- 日時: 2017/06/17 17:36
- 名前: 羅知 (ID: fPljnYyI)
第5話『yourname』
「………お兄さん、大丈夫ですか?」
それが僕、金月星と当時小学生だった"彼"との出会いだった。いや、"出会い"というのは大袈裟な表現なのだろう。きっと彼は当時のことなど何も覚えていないのだから。彼からしてみれば、『公園でたまたま具合を悪そうにしていたお兄さんを少し気遣っただけ』きっとそれだけだ。
だけど、僕にとっては違った。
たった数分の会話。それに僕は確かに"救われた"んだ。
「……別に、大丈夫、だけど?」
長い前髪。肩まで伸びた艶のある黒髪。一見女の子に見えた。だけどひょろひょろしてるけれど少し筋肉の付いた体、そして声変わりし初めの出しにくそうな低い声。無意識的に顔を上げると、そんな全体的に陰鬱とした雰囲気のランドセルをしょった男の子が目の前にいた。大丈夫。そう答えた僕に少し安心した顔をした彼。変な子だな、そんな風に思いながら数秒彼の顔を見つめると、こちらの意図が伝わったのだろうか、彼は顔を真っ赤にして慌ててまるで弁明するかのように話し始めた。
「あ!!あの、オレ、この近所に住んでるんです!!えっと…それで、ここをたまたま通ったら、あの、お兄さんが、なんだか………辛そうに、見えたので…あの………………すいません。突然失礼でしたよね…」
そう言って肩まで伸びた黒い髪をぎゅっと握りしめてしゅんとする彼。その姿はまるで餌を貰い損ねた犬のようでなんだか可哀想で、少し---------可愛らしかった。
それを見て少しだけ気分の良くなった僕は彼に言った。
「ごめんね、さっき嘘ついた」
「………へ?」
「本当は………本当は、少しだけ嫌なことがあったんだ。それで………ちょっと辛かった」
「………………」
「でも、君に話し掛けられて少し気分が良くなったよ。………………君さえ良ければなんだけど、僕とお話してくれないかな?ちょっとだけでいいから、さ」
僕のその問いに彼は静かにこくりと首を前に動かした。それを確認して、ゆっくりと話し始める。
「僕にはね、君と同じぐらいの年頃の………"家族"みたいな人がいるんだ。血はつながってない。だけど僕のことを本当に慕っていてくれた」
「………………」
「…なのに、僕は、その子が本当に辛い目に合っている時に、助けてあげることが出来なかった。苦しい、って声を聞いてあげることが出来なかった。その"報い"なのかな………次会った時、その子は"変わって"しまっていた。"家族"、じゃなくなってた。僕の知ってる"その子"はもう、"死んじゃった"んだ」
「………………よく、分からないです」
僕がそこまで話したところで、彼はそう言って首をひねった。当たり前だ。僕は何を言ってるんだろう。初対面の人間に。ましてや小学生に。こんなの訳が分からないに決まってる---------
「……よくは、分からないんですけど、だけど、"それ"--------死んじゃった、ってのは違うんじゃないでしょうか」
「………どういうこと?」
彼のおどおどとした言動は、いつの間にか決して曲がることのない語気の強い口調に変わっていた。ずっと伏せ目がちだった目がきらきらとまるで星空の様に煌めく。
「"生きてる限り人間はどんな風にだってなれるのさ!!"------オレの兄の言葉です。その通りなんじゃないか、ってオレ思うんです。………お兄さんの"家族"の方は少なくとも死んではないんですよね。その子はお兄さんのことを確かに"慕って"くれてたんですよね。………その子の中にはまだきっとそんな"思い"が残ってるはずです。だから………お兄さんの大切な"その子"は死んでなんかいないんです。見えなくなってるだけなんです。"変わる"ってことは………"死んじゃうこと"じゃないんです。"生まれ変わる"ってことなんです。いつか、もっと素敵になって"帰って"くると思います。お兄さんの"家族"」
なんてオレが言える筋合いなんてないんですけどね----そう言いながら苦笑して恥ずかしそうに彼ははにかんだ。
「…それに"変わる"ことってあんまり悪いことじゃないと思うんです」
少し表情は翳らせて彼は言う。
「…オレは"出来損ない"なんです。オレ以外はみんな"優秀"で、彼らみたいになれたらな、っていつも思うんです。………こんなんじゃ"彼女"に笑われちゃいますね」
「"彼女"?」
「………昔"約束"をした"友達"です。オレ達は"太陽"だから。だから次会う時には"太陽"みたいになって帰ってくるからって。このままじゃオレ名前負けですから………」
そう言って不器用そうに僕の方を見て彼は笑うと、小さな声で僕に"その名"を告げた。彼によく似合う永久に地を照らす暖かい仄かな光の名だった。
「いい名前だね。君によく似合ってる」
「そう………ですかね。そうだといいんですけど」
お互いに顔を見合わせて笑い合って、僕達はいつかまた会えるといいねなんてそんな曖昧な再会の約束をして別れた。
(………だけど、こんな"再会"なんて望んじゃいないぞ、神様)
"彼"に何があったのかなんて知らない。変わりたい、そんな風に話していた彼は確かに彼の言っていたようにあの頃の彼は正反対に"変わって"いた。
でも、"こんなの"は君の言っていたものとは違うはずだ。
馬場満月。濃尾日向。
救ってくれた"彼"と救えなかった"彼"。そんな彼らのいる教室に本日貴氏祭八日前、僕は出向くことになる。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.50 )
- 日時: 2017/11/05 12:36
- 名前: 羅知 (ID: m.v883sb)
「久し振りですね。紅先輩。いやー…先輩が働いてる学校に来ることになるなんて昔は思いもしなかったですね…」
「僕もまさか白星君呼ぶことになるなんて思わなかったよ…椎名君が君に助っ人頼んでただなんて全然知らなかった…教室内、相当"酷いこと"になってるけど本当にいいの?」
いざ学校へ辿り着くと先んじて連絡していた、依頼されていた1のB組担任であり僕の尊敬すべき先輩である紅先輩--------もとい紅灯火先生が玄関で出迎えてくれていた。困ったような顔を浮かべてそう言う彼にどういうことですか?と問うと、困ったような顔をもっと困らせて苦笑しながら一言だけ言った。
「………見れば分かるよ」
「だから、どういうことなんですってば---------」
僕が彼にそう聞いたか否か、急にざわざわとした喧騒が廊下に響き渡り僕の声は彼に聞こえなくなってしまった。
喧騒の内容を聞いてみると、おおむねこんなことを言っていたように思う。
「料理班!!レシピは作れたの?」
「料理班こちらただいま作成中!!現在目標の十レシピ中三しか出来てません!!」
「服飾班!!キャスト班!!進行どうですか?」
「「双方時間が圧倒的に足りない!!!特に服飾!!手が空いてる人がいたら救援頼みます!!」」
「リーダー!!馬場がさっきから目座っててめっちゃ怖いよぉ…!演劇ガチ勢なんだけど!!超スパルタなんだけど!!キャラ違うよぉ…!!」
「……無駄口叩いてる暇があるなら、台詞の一つでも覚えてくれないか?」
「はいぃぃい!!!了解しましたぁ!!そんな目で睨まないでぇ…」
扉を開ける前からそんな声が聞こえてくるので、僕は思わず溜め息を吐いた。
「………"酷い"ですね、これは」
「ある意味文化祭の正しい形なんだろうから、教師としては皆が満喫してるようで嬉しい限りなんだけど。………君に"これ"を任せると思うと少し心苦しいや」
なんだかとても申し訳なさそうな顔をする彼。…そういえば昔から人に何かを少し頼むことでも物凄く罪悪感を感じる人だった。何でも一人で背負い込んでしまうので彼のそんな"癖"を止めるのに僕等は必死だった。
この教室の中にいるだろう"彼"も、きっと根本ではそんな性格に違いない。
じゃなきゃ"僕達"の中で、どこまでも"ことなかれ主義者"の彼を怒らせれる訳がないのだ。所謂"同族嫌悪"。つまりはそういうことなのだろう。
不安そうな彼にふっと笑って僕は言った。
「僕を誰だと思ってるんですか、先輩」
僕は。
「---------喫茶店ステラのマスター、金月星ですよ」
僕のそんな台詞を聞いて、彼はそうだったねと言って安心したように笑った
*
「----そんな訳で、今日は現役の喫茶店店主の人に来てもらってるよ。皆聞きたいことがあるなら、彼に迷惑をかけない程度に質問してね」
そんな彼の言葉を聞いてるのかいないのか、むわっと大勢で一気に集まってくる生徒達。その生徒の波に飲まれて少し転びかける女子生徒が一人…大丈夫だろうか、と思ってしばらくそちらの方を見つめていたが、どうやら近くに立っていた男子生徒が助けてくれたらしい。女子生徒は無事だった。
(…っていうか、あの子は…)
よく見ると女子生徒の方は、先日店に来ていた菜種知だ。男子生徒の方は…面識はないが、眼鏡を掛けた生真面目そうな留学生だった。目と髪の色素が薄い金髪で生粋の日本人ではない、ということだけがかろうじて分かる。菜種知はその男子生徒の方を見て、忙しなくぺこりと頭を下げるとどこかへ行ってしまった。逃げ行く彼女の耳はほんの少し赤く染まっていて、それを見送る彼の頬も赤い。あぁこれはそういうことなのだろう。と恋愛方面には疎い僕にでも痛い程伝わった。
そして、それは当然人混みの後ろでぽつんと立ち止まってこちらを見つめている゛彼゛にも伝わっていることだろう。
(さて、どう動くのかな。驚異の当て馬さん?)
そんな僕の意志が伝わったのか、僕の目をきっ、と睨んで彼は教室の外へ向かってしまった。なんだか以前より彼に嫌われてる気がする。僕はどんな形でさえ君と仲良くなりたいと思っているのに。
これからのことを考えると、子供達の手前顔に出すことは出来ないけれど溜め息を吐きたいような気分だった。
*
「馬場くーん」
「……」
「馬場満月くーん?」
「………」
「神n----「止めてくれ!!」
教室から出ていってしまった馬場君を追いかける為に、ちょっと荷物を取りに行ってくるねと言って外に出ると、すぐそこに馬場君はいた。僕が追いかけてることにだって気付いてるだろうにどんどん先へ行ってしまう彼。しかし僕が”その名前”を口にしようとすると彼の態度は一変した。
「やっとこっち向いてくれたね」
「……その名前は、もう捨てたんだ。もう俺には構わないでくれ」
「素敵な名前なのに」
「……………」
彼は、まただんまりを決め込んでしまった。だけどその表情はどこか複雑そうな面持ちで、ちょっと背中を押したら崩れてしまいそうだ。
「…君言ってたじゃないか。この名前は゛友達゛と同じ太陽の名前なんだ、って。その名前にはふさわしい自分になるんだって!!あの言葉は嘘だったの?」
「………あれは、゛俺゛じゃない」
「君だよ。僕を救ってくれた優しい君の言葉だ」
「……………俺は、優しくなんて、ない!!!!」
そう言ってずかずかと彼は僕の方へと近付くと、胸元の服をがっと掴むんで僕を引き上げると、反対の手で拳を振り上げた。しかしいつまで経ってもその拳が降り下ろされる気配はない。胸元を掴むその手はがくがくと震えていた。振り上げる拳も。荒い息をはーはーと吐きながら僕の目すらまともに見れずに彼は絞り出すように言葉を溢す。
「…優しかったら、俺は、彼に、あんなことをしていない」
「…………」
「近付いたら、いけない、彼を見たとき、それには気が付いていたはずなんだ。なのに、俺は、彼に…………近付いた」
「…………」
「アイツは、情報屋だから、今黙らせとかないと、とかそういうのは全部後付けの理由なんだ……本当は分かってる。彼の目は、゛兄さん゛にそっくりで、俺は、オレは、無性に懐かしくなってしまって、衝動的に、あ、ああ、オレは、俺は゛兄さん゛にやってた、みたいに。彼の首を、あの細い首をぎゅっと、絞めて」
ぽろぽろと、涙と言葉を溢しながら、堰が切れたように話し続ける彼の手にはもう力は入っておらず、何もかも、目の前にいる僕の姿すら見えていないようだった。そろそろ人が通る時間だろう。そっと彼の手を引っ張って空き教室に引っ張ると、力のはいっていない体は、簡単に教室に引き入れることが出来た。
「……どうぞ。続けて?」
「…二人とも可笑しいんだ。どうして笑うんだよ、どうして首を絞められてるっていうのにあんな顔するんだよ。どうして、どうして、オレなんかに首を絞められて、俺は、オレは、必要ないのに、なんで、あんな」
「オレがいないと、死ぬみたいな顔、するんだ?」
そこまで言うと彼は声にもならないような泣き声をあげて、ぐちゃぐちゃになった顔を隠すように、床に突っ伏した。ただただ唸るような声をあげている彼を見ながら少し切なくなる。
こんな風に本音を吐き出した所で、きっと次会う時彼は何もかも覚えていない。なんにもなかった。なんにもなかったような顔で、また普通にあの店を来るのだろう。僕は覚えているのに、彼らは何にも覚えていない。それが僕は悲しい。どうしようもなく辛い。
゛あえて壊れる程傷を抉ってみたけれど゛、なんにもならないみたいだ。
(゛忘れられない為には゛どうすればいいのだろう)
もう二人の息の根を止めるしか、彼らの中に残れる方法はないんじゃないのだろうか。なんて。
とうに壊れた精神で、考えていた。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.51 )
- 日時: 2017/06/29 16:21
- 名前: 羅知 (ID: 7pjyJRwL)
*
(逃げてしまった……変な風に思われてないかな)
久し振りに走ったせいで、息が上がってしまった。顔が熱い。頭がショートしてしまいそうだ。脳内を急速に冷却するために知らず知らずのうちに頭の中で理性的なことを考える。
私、菜種知を助けてくれた彼--------ウラジミール・ストロガノフ君は、ロシアからの留学生だ。三年前くらいから彼の両親の働いている会社の日本の支店に彼の両親が呼ばれた働くことになってその影響で彼も日本に来たらしい。彼自身、前々から日本に興味があったらしくロシアにいた頃から日本語はお手のものだったそうだ。
世界人口で一割程しかいないと言われている純粋な金髪、色素の薄い瞳、端正な顔立ちをした彼は始めこそ、それはもう女の子が集まっていた。
とうとう告白する子まで現れた時。彼は女の子の顔をその端正な顔でじっと見つめていった。
「お前は俺のどこを好きになったんだ?」
「…………え?」
「お前は俺のどこが好きか、と聞いている。質問に答えろ。…俺はお前と話を交わしたことなど一度もない。話したこともない相手をどうして好きになるんだ?答えてくれ」
「……え、…………えっと」
「告白したのに答えられないのか?訳が分からないな」
彼がそこまで言うと、告白した女の子は、ぽろぽろと涙を流してそのまま隅で隠れていた友達の方へ逃げていってしまった。逃げてきた女の子をぎゅっと抱き締めるとその友達達は、彼の顔を親の仇でも見るかのような目で睨んですごすごと帰っていった。
次の日になれば、彼の回りに女の子達が集まることはなくなった。それを見ていた人達、逃げた女の子、その子の友達、彼らがきっと事実を誇張して広めていったのだろう。彼の周りの人々は一人、また一人と消えていって------最後には誰もいなくなった。
だけど彼は変わらなかった。゛自分゛を曲げようとはしなかった。その姿は、嘘だ本当だと言って発言を誤魔化す私とはかけ離れてまっすぐで--------憧れだった。
そう。あくまでも゛憧れ゛だったはずなのだ。
゛あの時゛までは。
その日私は、日直の仕事で居残って先生に頼まれた荷物を教室に取りにいかなければならなかった。教室につけば大量の冊子物。とても一回では運びきれなさそうだ。生憎葵は、その日家の用事で先に帰ってしまって教室には誰もいない。ほとほと困り果てて仕方がなく二回に分けて運ぼうと荷物を手に持った時、がらがらと誰かが教室のドアを開けた。
「……誰だ?」
「あ、菜種です」
彼だった。どうやら忘れ物をしていたらしい。机 の横にかけてあった袋をとると、また彼は早々にドアの方へ戻っていた------かのように思われた。
「?……帰らないんですか?」
「……お前こそどうして帰らない」
「私は日直なんです。先生に荷物を職員室まで運ぶように頼まれてしまって。これは本当です……けど、どうしました?」
「…………」
私がそう答えると、彼は何を思ったのか私の運ぶ冊子物の半分以上を持って私にこう言った。
「その量なら俺とお前で持っていった方が効率がいい。半分渡せ」
「……え?」
「なんだ?運ぶのはこれじゃないのか」
「…いえ、それで合っています。だけど……それだとガノフさんが帰る時間が遅くなってしまいます」
その言葉を聞いて途端に大きく溜息を吐く彼。何か怒らせてしまったのだろうか、とびくびくしていると彼は呆れたように私に言った。
「…お前はレディで、俺は仮にも男だ。レディを一人で遅くに帰らせる男はいない。すぐに終わらせて帰るぞ」
そう言って急かすように彼は荷物を持って、教室の外へ出ていった。置いてかれてしまうと思い、私も急いでそれについていく。
「「…………」」
終始無言である。
何か話そうと思っても言葉が出てこない。気まずい。私がそう思っていることに感づいたのか自ら話を切り出す彼。
「…菜種、だったか」
「はい」
「………お前は俺をあまり怖がらないんだな」
「どうして怖がる必要があるんですか」
「……周りは俺を怖がっているだろう。知らないとは言わせないぞ」
「そうかもしれません、けど……」
私にとって彼は最初から憧れの対象で、恐怖の対象ではなかった。彼に私が彼を怖くないと思ってるのを伝えるにはこれを言うしかない。…けれども貴方にずっと憧れていました、なんて言える訳がない。そんなの恥ずかしすぎて死んでしまう。
ふと、横の彼を見ると彼の表情は暗いものに変わっていた。
(……あぁ、そっか)
いつまでも黙っている私を見て、彼は私の胸に秘める解答を悪いものだと思ったらしい。少しずつ、少しずつ彼の瞳には哀しみが色濃くなっていった。見せていないだけで、彼はずっと。
こんな゛哀しみ゛を。
「……貴方は、私の憧れなんです」
「……は?」
「…言いたいこともはっきり言えない私にとって、なんでも誤魔化さず真っ直ぐに物事を伝えることが出来る貴方が羨ましかった。貴方は私にとって恐怖じゃなくて----ずっと憧れだった」
恥ずかしくて彼の顔を見れない。でもこんな恥ずかしさ、彼にあの顔をさせるよりはマシなはずだ。ちらっと彼の方を見上げると、彼は笑うのを堪えるように口を噛み締めていて、私の顔を見ると堪えきれず吹き出した。
「わ、笑わないでください」
「あ、ははは……日本のヤマトナデシコは面白いことを言うな?」
「……何が面白いんですか。私は恥ずかしいです」
まだ飽きずに笑っている彼に私が不満げにそう言うと、彼は笑いながら私へこう言った。
「伝えれてるじゃないか、お前の思いをちゃんと。……貴方に憧れています、なんてなかなかどうして言えるものじゃないぞ?誇りに持て」
そうして笑う彼の顔は、普段教室で見せる顔とは随分違うものだった。彼の周りに人がいた頃も、いなくなった今も彼がそのように笑うことはなかった。誰もかれもが彼と本音で話すことをしなかったからだ。踏み込めば彼はこうしてまっすぐに向かい合ってくれたはずなのに。
(だけど…………)
私以外が、彼のこんな顔を見ることなんてなければいいのに、なんて思ってしまう私は性格が悪いのかもしれない。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.52 )
- 日時: 2017/07/16 09:43
- 名前: 羅知 (ID: Bs0wu99c)
*
あのまま泣き崩れて動かなくなってしまった馬場君を保健室まで運んだあと、僕はまた教室へと戻った。だけどなにやらさっきまでと様子が違う。教室の中央に人のかたまりが出来ている。教壇に置かれた何かを皆で見ているようだ。背伸びをしてその人混みを覗き込むと、その真ん中には椎名君とヒナ君がいた。
「ほへェー!!こんなことまでするんだねぇ、演劇って!!ボクこんなに動いたら倒れちゃいそうだよ!!」
「……実際すごくきつかったよ。体の節々が痛くて僕しばらく筋肉痛て動くの辛かったんだから」
「へぇ?……あれ、でもこの動画、日向クンとトモちゃん以外誰も写ってなくない?指導してもらってたんだよね?」
「あぁそれは------「ちょっとストップ、ストップ!!!」
どんどん流れるように進む話に理解が出来ず、話を続ける彼らに止めを入れる。突然話を止められた二人はきょとんとした顔でこちらを見た。彼らだけじゃない、その場で彼らの会話を聞いていた生徒達全員が大声を出した僕を不思議そうな目で見つめている。大勢の人の目。こんなに沢山の人に見つめられることなんて久し振りなので、緊張して喉がきゅっと締まり思わず僕……と言いそうになって、自分が彼らの前では″ステラ″だったことを思い出す。
「……ふぅ、二人ともどんどん話が進みすぎよ。一体何があってこんな人混みが出来るわけ?説明して頂戴?」
僕がそう聞くと椎名君があれ言っていなかったっけ?というような表情を作りヒナ君の方を見る。対する彼も僕がいなかったことはすっかり忘れていたようで似たような表情をして首をひねらせた。
「僕がこの前彩ノ宮高校へ行った時の動画を皆に見せていたんです。本当は馬場だけにあげてたんですけど、馬場が皆にも見せてあげろって言うから」
「それで…………この人だかり?」
「はい」
人だかりの理由は分かった。思っていたよりまともな理由で良かったと思う。しかしこの状況じゃキャスト班以外の進行が進まない。どの班も余裕があるわけではないのだ。早急に元の作業に戻らなければ間に合わなくなってしまう。紅先輩はこの状況を止めることをしなかったのだろうか。
「……って、紅先ぱ……紅先生?どうしたんですか?」
見当たらないと思っていたら、先輩は教室のドアをほんの数ミリ開けて教室の外側からこっちをじーっと覗いていた。どうしたことかと思って駆け寄る。
「……ぜーんぜん、僕の力じゃ有り余る高校生のパワーを止めることは出来なかったよ。僕、教師向いてないのかなぁ……」
力ない声でそう言う先輩は、本当に自信を喪失しているようだ。先輩はダメな所はダメだと人にはっきり言えるしっかりした人だ。僕なんかと違って教師に向いてる性格だと思う。だけど先輩は優しいから、学園祭準備に盛り上がって楽しんでいる彼らに水を差すことなんてできなかったのだろう。
「……大丈夫ですよ、先輩。先輩は教師に向いてるな、って思います」
ぼそっと彼にだけ聞こえるようにそう告げると、ありがとうといって先輩は優しく微笑んだ。その表情を見て安心した僕は、くるりと方向転換をし------------「えーー!!!!誰このイケメン!!!」
----------作業に戻ることは出来なかった。今度はなんだと言うのだろう。
「だから、さっき言った僕達に指導してくれた彩ノ宮高校演劇部エースの愛鹿社さんだって。イケメンじゃないよ、女の子なんだから」
「いやいや…これは女の子にしとくには勿体無いイケメンだよ……」
そう言って写真を食い入るように見つめる椎名君。男性には出すことの出来ない儚さ、切なさ、などの女性特有の美しさ、格好よさが、その写真には滲み出ているのだろう。どうやらその写真は愛鹿社が劇か何かで男装した時の写真の様だった。いっそ非現実的な美しさに目を惹かれ、彼は気付かなかった。
彼の持っている写真を取ろうとする、"後ろから近付く長い手"に。
「……シーナ」
「わわッ、ケート!!どーしたの急に、びっくりするでしょぉー!!!?」
そうしてぷんすかと幼子の様に頬を膨らます椎名君にごめんごめんと笑って謝りながら、しかし手に持っている写真は手放さずに"長い手の持ち主"、尾田慶斗は、それこそ子供を諭す風な語調で話す。
「…だけど、シーナ酷くないか?オレがいるのにあまり良くも知らないイケメンに目移りしてさ?オレちょっと悲しくなったぜ?」
「む!!……ん、それは確かにボクも悪かったけどぉ……でも女の子じゃん!!あの子!!だからノーカンッ!!」
「ダーメ、とりあえずこれは没収だからな」
尾田君を恨めしげに見る椎名君。そんな視線を気にすることなく、彼は濃尾君ににこにこしながら話しかける。
「濃尾、この写真借りてくぜ」
「?……別にいいけど、何に使うの?」
「あー!!ケートこそ酷いよ!!ボクにはダメって言ったクセに自分が欲しいだけ-------------」
「シーナ」
手足をじたばたさせて暴れ、怒り狂う椎名君。そんな彼にそっと名前を呼び掛け何かを耳打ちする尾田君。
「 」
遠すぎて何を言ったのかは分からなかったけれど、その言葉を聞くや否や、さっきまで暴れていた椎名君は次第に平静を取り戻し、尾田君が耳から顔を離した時には、にっこりと笑って彼の目を見つめていった。
「えへへへ!!!そういうことなら仕方ないね!!!」
「ありがとな、シーナ」
「いいよォ!!シーナ君にお任せあれ!!!」
どんと胸を叩き、胸を張ってけらけらと笑うと、次の瞬間には彼は次の行動に出ていた。
「へ?」
「じゃ、そういうことだから!!!日向クン、動かないでね?」
ヒナ君の腕をがっちりと掴み、離さない椎名君。ヒナ君は状況が掴めずにうろうろとしている。そんなヒナ君を気にすることなく、椎名君はそのままヒナ君を引き摺っていく。確か、あの方向は……更衣室。
「被服班!!確か日向クンのは出来てたよね!!ちょっと借りてくよー!」
「え、あ、え、やだ、やだってば!!!ちょっと!!はなせよ!!ちょっと、ちょっと!!?」
その姿を確認すると、尾田君は安心したようにどこかへ向かっていった。あっというまに物事が始まって、終わって何がなんだか分からないけれど、文化祭の準備には無事戻れたようなので、僕と先輩はお互いのぽかんとした顔を見合せ、安心したように息を吐いた。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.53 )
- 日時: 2017/07/17 17:13
- 名前: 羅知 (ID: LpTTulAV)
∮
誰もいない廊下にコツコツと自分の足音が反響して聞こえる。階段を降りてすぐ左、そこが保健室の場所だったはずだ。なぜだか分からない。だけど馬場はそこにいる、そう確信を持ってオレは保健室へ向かった。ドアをがらがらと開けると案の定そこには、馬場満月がいた。
「馬場、やっぱりそこにいたんだな」
「…………」
「やっぱお前最近調子悪すぎじゃねぇの?相談乗るぜ、クラスメイトなんだから」
「…………」
「…ま、確かに。オレの言えた台詞じゃあ、なかったな」
ただひたすらに仰向けに保健室の白いベッドに寝転がり天井を見つめる馬場。オレが話している最中も、こちらの方を見ることすらしやしない。完全に無視されている。でもこれでもまだいいのかもしれない。教室での"馬場満月"みたいに繕られたら、それこそどうしようもなかっただろう。
ただ話しかける。返事がなくとも、ただ。ただ。
「…分かってるよ。だから今日は"お土産"を持ってきたんだ、だからちょっとだけでいい。オレに話をさせてくれ」
そう言って、さっきシーナから貰った写真を取り出す。そんなオレを見て馬場は顔だけをゆっくりとこっちに向けて、黙って手を伸ばした。よこせ、ということだろう。オレは写真を馬場に渡した。
「……凄い美少女だよな、その子。お前最初来た頃は、そんな子見つける度に告白して……玉砕して。アプローチしてるお前、そんなお前を思い出して欲しくて、持ってきた」
「…………」
「……お前さ、最近変だよ。いや、最初から変だったけどさ。当て馬だ、なんだって言ってた頃は、もっと……目が輝いてた」
「…………」
「今のお前が本当の"お前"なら、それでもいいんだ。…でも、それならオレ達に相談してくれよ!!もっと!!お前、最近ずっと無理してるだろ!?」
「…………」
「……紅先生に言われて、オレ思ったんだ。オレ達は、お前のこと、全然分かってなかったんじゃないかって。"当て馬"であるお前にずっと甘えてたんじゃないかって」
「…………ぁ」
「………………馬場?」
様子が変だ。写真が歪む程、握り締めて、目の瞳孔は開き、呼吸は荒く、息がまともに吸えていない。発汗の量も異常だ。
「ぁ、ああ、……あ、あ、あ、あ、なんで、どうしてどうして……ぁあ……」
「……お、おい!?馬場どうしたんだよ!!何があったんだよ!?返事しろよ!??」
オレが馬場の肩を掴み、肩を揺らすとようやくこっちにまで意識が回ってきたようで、途切れ途切れの言葉ながらも馬場は、オレに話し始めた。全身をがたがたと震わせながら。
「…なあぁ………、この写真、ど、こで……?……おぃ……?」
「……は!?いや、オレも詳しくは知らねぇけど、確か濃尾が、持ってたはず…………」
「…………そ、か…………そうか、……ァイツが……いつも、アイツが"壊して"くる、よなぁ……」
何かに納得したように、がたがたと震えながらも、首を前に頷く。まるで壊れた人形のようにがくがく、がくがくと。
「……"オレ"は……慶斗君が、……羨ましい」
ぼろぼろと涙を流し、息をゆっくりと吐きながら、極めて静かに馬場はオレにそう言った。
「……伝えれば、良かったのかなぁ……"オレ"も……いや、"オレ"が言った所で、どうにもならなかったんだ、……オレは"主人公"じゃ、ないんだから」
「…………は?"主人公"?……いや、そんなん関係なく伝えればいいじゃねぇか!!オレは伝わった、お前も-------」
「もう"手遅れ"なんだよ!!!!!」
哀しみに哀しみを重ね塗りしたような悲痛な叫び。手遅れ。手遅れってなんだ。そんなものなんか。
「そんなの!!!!」
「……あるんだよ。オレはもう、とっくの昔に"手遅れ"なん、です……どうしようもなく……」
口調が少しずつ、崩れていく。"馬場満月"が、崩れていく。
「…………」
「……ねぇ、どうすればよかったんですか?…"あの時"どうすれば、皆は助かったんですか?…誰も傷付けたくなかったはずなのに、結局全員を傷付けてしまった……こんな"オレ"に幸せになる資格なんてない……絶対に」
"馬場満月"ではない"誰か"が目の前で喋っている。悲しい、苦しい、と叫んでいる、名前も知らない、"誰か"。
思わず、聞いてしまう。
「……なぁ、お前は"誰"なんだ?」
「………………"オレ"?」
何かを思いだそうとするように、頭を抱え込み、そして数秒経って"彼"は口をおもむろに開く。
「……"オレ"の、名前は」
「…………」
「……"オレ"の名前は、神並------------」
そこまで言って、彼は突然話すことを止めた。そしてまた頭を抱え込み、唸る。今度は、これ以上思い出さないように。溢れ出す何かを抑えるように。
だけど半開きになった口からは狂ったように言葉が漏れて。
「にい、さん。にいさんにいさんにいさんにいさんにいさんにいさんにいさんにいさんにいさんにいさんにいさんにいさんいかないでおれをおいていかないでごめんなさいごめんなさいごめんなさいわかったからわかったからゆるしてゆるしてもうにいさんのいうことをうたがったりなんかしないからずっとにいさんのそばにいるからだからだからだからだからだからだからおいてかないでおいてかないでおいてかないでやめてやめてやめてやめてやめてやめてねぇおれたちはふたりでひとつだったはずでしょうひとりになったらどうすればいいのいきができないよじょうずにいきができないんだよ、ねぇ」
「"みずき"、にいさん」
見えない"誰か"にそう言い続ける"彼"を見て。
オレは、ただそこに立ち続けることしか出来なかった。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.54 )
- 日時: 2017/07/19 22:38
- 名前: 羅知 (ID: fPljnYyI)
∮
「……また、負けちゃいました」
うるうるとした涙目で、悔しそうに下唇を噛み、まだ幼い少年はしゃくりあげながら呟いた。そんな少年を見て、慌てたように少年に駆け寄る少女。そんな二人をにこにこした顔で見守る、少年と少女の兄姉達。四人は同じ年に生まれたけれど、見守っている二人は後の二人より落ち着いた雰囲気を醸し出している。
「……ば、ババ抜きなんて運なんだから!!……泣かないでよ、××」
「……でも」
「…あら、そう?ワタシは、そうは思わないけど。××の動きには無駄が多かった、それは事実でしょう?」
「お姉ちゃんは黙ってて!!」
妹にそう言われては仕方ないと、お姉ちゃんと呼ばれた少女は口を閉ざした。勿論その顔には、にやにやとした微笑みを消さないままで。そんな姉をきっ、と睨んで、妹はそこで泣いている少年の兄に助けを求めた。この兄は弟に対してすこぶる優しい。弟が泣いていれば、この兄は少年にとびきり優しい言葉を投げ掛けてくれる、少女はそれを知っていた。
「みずきくんは、どう思う?」
案の定、兄は暖かい微笑みを浮かべて少年に優しく言葉を掛けた。だけどその後に彼が言った言葉は、普段の彼とは少し違っていた。
「…××、ババ抜きのルールは知ってるか?」
「?……知って、ますけど?」
弟がそう言うのを見て、兄はにっこりと笑って彼の頭を撫でた。
「同じ数字のカードを揃えて、捨てる。ババが余った人が負け--------至極簡単で、単純なゲームだ。誰もが知っている当たり前のルール、そうだよな?」
「…………」
「だけど、俺はそんなの間違ってると思う」
口元は何時ものように笑っていた。しかしその目は真剣そのものだった。そんな可笑しな顔のまま、彼は話し続ける。実に可笑しな話を。
「どうして人と違うだけで、可能性を諦めなきゃいけないんだ?それを"負け"だなんて誰が決めた?そんなの俺が変えてやる…………人生は、そんな単純じゃないはずだろう?」
「「…………??」」
願うように放たれたその言葉は、少女と弟には伝わらなかったようで、目にハテナマークが浮かんでいた。ただ一人、少女の姉だけは何かを感じ取っていたようで複雑そうな顔をして、少年の兄を見つめている。
分かっていない二人を見て、残念なような安心したようなそんな感傷を隠すように彼は先程よりも大きな声で笑う。
「……なんてな!!訳の分からないことを言ったな。………でも、もう涙は収まったじゃないか。××、今度は俺の動きをよく見てやればいい。お前は物真似が得意だろう?」
「……"兄さんの"、だけですけどね」
少年がそう言うと、兄はまた嬉しそうに大声で笑った。二回戦だ、今度は勝つぞなんて馬鹿みたいに騒いで。こんな日常が終わることなんて想像もせずに。
トランプの空箱に一枚残った、使われなかったジョーカーがニヤリとそんな彼らの未来を暗示するかのように涙を流して、笑っていた。
∮
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.55 )
- 日時: 2017/08/30 18:14
- 名前: 羅知 (ID: djMAtmQc)
結局その日、そんな風になってしまった馬場を止めることなんて出来ず、衝撃の光景に半ば腰が抜けそうになりながらオレは先生を呼びにいった。あまりにも帰ってこないオレを心配してか、紅先生は保健室のすぐ近くにいた。オレが行くなら此処だということがなんとなく分かったらしい。紅先生が目の前にいても、馬場はぶつぶつと何かを呟くのを止めなかった。もうなにもかも目に入ってないようだった。
そんな馬場を見て、先生はすーっと息を飲むとずかずかと馬場の方へ近づいた。先生がどんな顔をしているのかは分からなかったけれど、おそらくどうしようもない顔をしているのだろう、そんな語調で先生は馬場に言った。
「そんな風に……そんな風になる前に相談してくれって言ったじゃないか!!」
「…………」
「文化祭を成功させたいのは、"君"の本心だったはずだろ……?だから、僕は無理を言って君の退院を早めてもらった…本当は入院してなきゃいけないくらいに、"君"は壊れてしまっていたのに……」
「…………」
「違う……僕の、せいだ。僕が、気付いて、あげられなかったから……先生、なのに。君がそんな簡単に弱音を吐ける子じゃない、って知ってたのに……」
微かに涙を堪えるような声が聞こえてくる。先生は泣いていた。拳を血が出てしまうのではないかという程、強く握りしめて先生は泣いていた。真っ赤になった目を隠すこともせず、無理矢理作ったような優しい笑顔で先生は振り向き、優しくオレに言う。
「あとのことは、僕に任せて」
「……先生」
「君は何にもしなくていい。"此処"では何もなかったんだ。ただの"悪夢"だ。そう思えばいい。……今日此処で起こったことは、忘れて欲しい」
「でも、先生……!!」
「絶対にだ。…………僕も最善を尽くすけど、もし、馬場君が文化祭までに帰ってこれなかったら…………その時は、ごめんね」
悲しく目を伏せ、先生はオレを追い出すように保健室から退出させた。オレはしばらくそこから動くことが出来なかった。すぐに白衣を来た人達がそこにやってきた。全てがオレを蚊帳の外にして行われていた。オレは何もすることが出来なかった。ただ見ていることしか出来なかった。
次の日、馬場は学校を休んだ。その次の日も、そのまた次の日も。濃尾は明らかにずっと不機嫌で、先生は放課後いつもそんな濃尾をどこかへ呼んでいた。先生は変わらなかった。ただ、その目の下にどす黒い隈が出来ていたし、目の縁は赤くなっていた。
馬場が休んでから一週間が経過した。馬場はやっぱり学校へ来なかった。皆が心配して馬場の所へお見舞いに行こうという話が出た。その話を聞いた先生は皆に馬場はインフルエンザで休んでいるのだと嘯いた。皆に心配をさせたくないから今まで黙っていたのだと。先生は変わらなかった。目の下には隈、縁は赤く染まったままだった。濃尾はもっと不機嫌になった。情緒が不安定なようで、簡単に怒ったり、泣いたりしていた。そんな濃尾を先生はやっぱり放課後どこかへ呼んでいた。
この一週間、オレは先生の言った通りにあの日あった出来事を忘れたかのように生活していた。勿論あのことを忘れることなんて出来ない。でもあの日の出来事を他の誰かに言うことなんて出来るはずがない。誰かと喋っていると、あの日の出来事を口に出してしまいそうで、オレは口数が少なくなっていた。
「ケート、一緒に帰ろ?」
いつも通り帰ろうとすると、シーナがオレをそう誘った。あの日の出来事はシーナにも言っていない。少し後ろめたい気持ちを抱えながらも、オレはその誘いに乗った。
まだ時間は早いのに空は燃えてるみたいなオレンジ色に染まっていた。所々日が落ちて紫色も混じっている。そういえばこの一週間、椎名と一緒に帰っていなかった。あの日までは毎日のように一緒に帰っていたのに。
「ねぇ、ケート」
「……何?」
「ボクに何か隠してること、あるでしょ」
「…………別に、ないよ」
オレがそう答えると、嘘が下手だねと言って楽しそうにシーナは笑った。
「別に何があったかなんて、聞きたかった訳じゃないからそんな身構えなくてもいーよ。それにね」
「…………?」
「ボクも、隠し事してたから」
そう呟いたシーナの方を見ると、シーナはやっぱりにこにこ笑いながらオレの顔を見ていた。
「…本当はもっと前に気付いてたのかもしれない。でも、ありえない、そう思って、なかったことにしてたんだぁ」
「…何のことだよ?シーナ」
「日向クンのね」
それは、衝撃的な告白だった。
「日向クンの首、誰かに絞められた跡があったの」
∮
「あのね!!ちょっと前に日向クンを女装させた時があったんだ。絶対似合うと思って!!」
ものすごく良い笑顔でシーナはそう言った。いっそわざとらしいくらいに大袈裟に笑って。なんとか笑おうとして、大きな声で彼はそう言った。
「それで?」
「…………それで、その時に首に跡があるのを見つけた」
少しだけ、表情を歪ませるシーナはそう小さな声で呟く。友人のそんな秘密を知ったシーナは、その時どう思ったのだろう。きっと"どうしようもなく"思ったに違いない。馬場のあんな姿を見てしまった、あの時のオレのように。
「見間違いだ、そう思ったよ。日向クンに限ってそんなことあるはずない、あんな跡、あんな痛そうな跡付けられて、彼が黙ってるはずがない、あんな"普通"にしてるはずがない」
「…………」
「でも、違った」
「…………」
「ケート、この前言ったよね。"濃尾を足止めして"って。何の意図があってか分かんなかったけど、ボク足止めしたんだ。衣装合わせ、って言って。……その時やっぱり彼の首には跡があった。前よりも赤くて、黒い、濃い跡が」
涙は流さない。シーナは女の子の格好をしているけれど、昔から根本的な所で誰よりも男前だった。人前でめったに泣かない子供だった。下唇をぎゅっと噛んで、下を向くこともせずに、涙を堪える--------時は経ったけど、変わらない。
「……言って、欲しかったよ。だって友達じゃん!!クラスメイトじゃん!!ボク達がそう思ってただけなの!?ボク達はそんなに頼りない!?"苦しんでた"なら----」
「----待って!!シーナ!!」
シーナのその"苦しんでいた"という一言に違和感を覚える。……本当に濃尾日向は----"苦しんでいた"のだろうか?確かに時々情緒不安定な時もあった。だけどもそういう風になった時期から"表情が豊かになった"のも事実で……。もしかして、オレ達は最初の前提から、とんでもない"勘違い"をしてるんじゃ---------
「…濃尾が自分からそれを望んだんだとしたら……」
「……どういう、コト?」
「……濃尾が"わざと誰かに首を絞めさせていた"としたら?……濃尾はそこまで人と個人的にに誰かと深いつながりをつくる奴じゃなかった。誰かとつるむようになったのは…………馬場が転入していくらか経ってからだ……」
「…み、満月クンがやったっていうの?ありえないよ!!……それに!!例えそうだったとして、日向クンはどうしてそんなことを!!」
「……分からない!!!」
急激に仲良くなった馬場と濃尾。その直後に発見された跡。倒れた馬場。情緒不安定な濃尾。様子のおかしい濃尾。様子のおかしい馬場。そして----"アイツがいつも壊していく"と言った馬場のあの言葉。分からない。どうしてそうなったかなんて分かるはずがない。だけど、アイツらを"繋げている理由"、それが、その"跡"だとしたら。
(……あぁ)
"アイツら"は本当に救いようがないほど、お互いに縛られていて。
その縄が今、がんじがらめになって、もうアイツら自身でさえ抜け出すことができなくなってしまったんだろう。
(本当に、お前らは)
「……"仲良し"だなぁ」
繋ぎ方を間違えたのなら、またほどいて正しく繋ぎ直せばいいだろ?ほどくのだって、手伝ってやる。皆で手伝えばきっとほどけるさ。
なのに、どうして。どうしてお前らは!!!!
「頼って、くれよ……!!オレ達はただのモブキャラじゃねぇんだぞ!!!馬場、濃尾…………」
叫んだ声も、押し殺した泣き声も全てがあの夕焼けのオレンジに溶けていく。寒空の下、冷えきった掌をぎゅっと握り締め、お互いの体温を確かめるように繋いだ。
叫んで、叫んで、喉が冷えきって、どうしようもなく痛い。それでもオレ達は涙を止めることなんて出来ずに、泣き叫んだ。
文化祭まで、あと三日の夕方のことだった。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.56 )
- 日時: 2017/08/03 19:29
- 名前: 羅知 (ID: fPljnYyI)
∮
あれよあれよと三日過ぎ、ついに来るべき当日。結局今日まで馬場が学校へ来ることはなかった。あの日の翌日泣き腫らしたオレとシーナの顔を見て、クラスメイトは勿論のこと、紅先生はオレ達のことをとても心配した。特に紅先生はかなり取り乱していて、オレ達の話を聞くと、迷惑をかけたねといってとても落ち込んでしまった。前から思っていたけれど、あの人は責任感が無駄にありすぎだと思う。そんな顔しないで下さいよ、と二人で先生の頬をぎゅーっと引っ張るといひゃいいひゃいと言いながら、先生は少しすっきりしたように笑った。
そういえば今日は濃尾の機嫌が良い。ここ最近はかなりイライラしているように見えたのにどうしてだろう。不思議に思って、今日は随分ご機嫌なんだな?と聞くと、濃尾はやっぱり機嫌良さげに愛想よく答えた。
「今日、愛鹿が見に来るんだ」
「愛鹿、って……この前の写真の」
「そう。だから女装は嫌だけど頑張ろう、って。あんだけ熱心に教えてくれたのに半端な演技したら格好悪いからね」
愛鹿社。それがこの前の写真の女の子の名前だった。調べてみると結構大きな会社の社長の娘で、小さな頃から名のある劇団に所属しており、賞もいくつか貰っているらしい。思えば、彼女の写真を見せた瞬間から馬場の様子はおかしくなった。一体彼女と馬場はどんな関係なのだろう。それに馬場が"本名"と言っていた"カンナミ"という名前……あぁ、色んな事がありすぎて、頭が痛くなりそうだ。今日は楽しい文化祭、問題は山積みだけど今日明日はそれを後回しにして楽しんだっていいだろう。
「よっしゃぁぁああッ!!!お前ら今日は楽し--------」
オレがそう言おうとした瞬間、教室の扉ががらがらと開き、オレより一際大きな声が教室中に響き渡った。
「みんな待たせたな!!!!」
一週間ぶりの懐かしい声。そこには馬場満月がにっこりとわらって、休んでいたなんて到底思えないような変わらない姿で立っていた。
∮
「本当にそうですよ、馬場くん。これに懲りて体調には気を付けるように」
「あぁそうだな!!以後気を付ける!」
そしてそんな彼の隣には、爽やかな雰囲気の眼鏡を掛けた若い見知らぬ男性が一人。馬場とその人は、親しげに話している。一体誰なんだ、その人は。そんなこちらの視線に気付いたのな、男性はにこやかに笑って挨拶する。
「不審者ではありませんから、ご安心を。私は紅の旧友、荒樹土光という者です。今日は文化祭という事でこちらに来たのですが……まだ早かったようで誰もおらず、迷っていた所を馬場くんが助けてくれたのです。そういえば、紅は?」
「……あ、まだ来てません。何か用事があるって」
「そうですか。まったく、あの男は楽しい楽しい文化祭の日に何をやっているんですかね」
不快そうに眉を寄せて荒樹土さんはそう言った。人の良さそうな顔だと思ったけれど、その時の彼の目はとてもギラギラとしていて何だか別人みたいだった。もしかしたら紅先生とは仲が悪いのかもしれない。
(いや、でもそうだったらわざわざ文化祭になんて来ないよな……?一体どういう関係なんだろ)
それに。
(馬場も"変わらない"。不自然なくらいに、そのまんまだ)
まるであんな"出来事"がなかったみたいに、馬場満月はいつも通りだ。にこにこと笑っていて、むしろ休む前よりどこか楽しそうである。そんなに楽しそうな姿を見てしまったら、色々気になることはあるけれど全部なかったことにしてもいい気がしてきた。あの笑顔に水をさす必要なんてない、そう思った。
何はともあれ馬場は今日という日を楽しむため、成功させるためにこの日だけはなんとか出てきたのだろう。その想いをどうこういうことなんて、オレには 出来るはずがなかった。
人の波を掻き分け、馬場の肩を力強く叩く。
「今日は、めいっぱい楽しもうぜ!!」
オレがそう、にかっと笑ってみせると馬場は一瞬だけ驚き、きょとんとした顔をしたが、すぐにオレと同じように笑った。なんとなく、いつもより優しい笑顔だったような気がする。
「……あぁ、勿論だ!!」
今日は楽しい文化祭。楽しんだもん、笑ったもん勝ちなんだから。
∮
専用タクシーに乗るまだ年若い背の高い少女と低い少女、二人が話している。最初に口を開いたのは背の低い少女の方だった。
「嬢ちゃん、相変わらずイケメンだねぇ?こんな日くらいはハメ外したっておれは良いと思うぜぇ?」
鈴のなるような可愛らしい声に似合わない粗雑な口調。ぱっちりとした水晶のような目は煽るように、もう片方の少女の方を見ており、くるりんと巻かれた、ふわふわとした茶色の髪は、黒色の猫の耳が付いたパーカーから零れ出ている。
そんな男勝りな彼女を嗜めるように、これまた別の意味で女の子らしくない格好をした少女は言う。
「観鈴がハメを外しすぎなんだよ…。仮にもアイドルなんだ。どこでファンが見てるか分からないんだから、しっかりしてくれよ…」
「へーへー。分かってますよー、っと。…でもまぁ、社嬢ちゃん、口調くらい"本来の喋り"に戻せばいいだろ?ストイックすぎやしやしないかい?」
今日の社の格好は、オフホワイトの長袖シャツに紺色のタイ、そして黒色のスキニーパンツという、パッと見では女性にはとても見えない格好だ。観鈴がそう言うと、社は観鈴の目を見ずにうつむきながら答えた。
「これは……私の"けじめ"だよ。この服も、口調も、全部……己を戒める為にある。二度と思い上がらないように」
「…………チッ」
「それに、私なんかが可愛い格好しても全然可愛くないだろう?…誰にも需要なんてないし、誰にもそんな私…好きになってもらえない」
「…………」
「だから、いいんだ!!私はこのままで」
そんな彼女の言葉を聞いて心底不快そうに、舌打ちをする。……何を言っているんだ。そんないじらしいことを言って。アンタのことを見ている男共なんていくらでもいる。おれがそういう人間を何人蹴散らしたと思ってるんだ?自分の価値を理解しろ!!アンタは、アンタは!!!
「………………十分、可愛いだろうがよ」
「?……何か言った?」
「別に!!何でもねぇよ!!!ほら!!目的地だ、降りるぞ!!」
目的地は貴氏高校。
「は!!生のアイドルなんて見たこともねぇシロート共に目に物見せてやんよ!!」
運命の出会いは、すぐそこにある。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.57 )
- 日時: 2017/08/13 20:43
- 名前: 羅知 (ID: 9KPhlV9z)
∮
「い、意外と派手なんだな……衣装」
「そーう?ボクは普通だと思うけどなッ!!それよりサイズはどう?問題ない?」
「いや、それは別に大丈夫だが…」
休んでいたせいで衣装合わせが終わっていなかった馬場は、まず始めに衣装合わせを衣装班とシーナの手によって、されることになった。シーナはキャスト班だったが裁縫の知識を持っている貴重な男性陣だということで衣装班と兼ねている。劇は午後2時から。それまでに不具合があれば調整をしなくてはいけない。大きなうさ耳に、ハイカラな柄の帽子。そして可愛らしいウサギ尻尾を付けた馬場は、なんだか滑稽だった。微妙な顔をしている馬場を見て、濃尾は指を指して大爆笑している。
「あはははははははっ!!馬場、なんだよ、その格好!?面白、面白すぎでしょ……ふふふ……」
「の、濃尾……、そんなに笑ってやるなって……」
「は?うさ耳も女装もしない帽子屋さんは黙っててよ」
あまりに馬場が可哀想だったので
、少し嗜めたら睨まれてしまった。まぁ確かにオレの格好は比較的無難で、特に突出した所はない。そんなオレから何を言われたって嫌味にしか聞こえないのだろう。甘んじて濃尾の叱責を受けていると、後ろからクスクスという馬場の笑い声が聞こえてきた。
「ふっ……ふふふ……はは…面白いなぁ、相変わらず」
見ると馬場が手で顔を隠すようにしながら、声を抑えて笑っていた。口はこれ以上笑うのを堪えるかのように噛み締められていたが、それでも抑えきれず笑い声が漏れている。
(こんな笑い方する奴だったっけ)
以前の馬場はもっと快活に、笑うことをあえて見せているかのような笑い方をする奴だった。いつも笑顔といえば聞こえはいいけれど、逆に言えば笑顔以外の表情を見せず、感情的とは言いがたかった。
だけど今日の馬場はどうだろう。なんだかいつもより色んな表情を見せてくれている気がする。少し戸惑ったような顔。顔を隠す程に破顔して笑う様子。それは今までの馬場では見れなかったことだ。
よく分からないけれど、この一週間で馬場の中で何かあったのかもしれない。もしかしたら今日限りの文化祭効果かもしれないけど。
でもどちらにしたって馬場もオレ達と同じように今日の文化祭を楽しみにしていたってことなのだろう。オレはそれを嬉しく思う。あっー!!と叫びたくなるような気持ちを言葉に変えてオレは馬場に言う。
「馬場!!今日の劇、頑張ろうな!!」
突然大声を出したオレに、また驚いたような顔をした馬場。そしてまた同じように、いやそれ以上に馬場はオレのその言葉に笑顔でオレの目をまっすぐに見て答えた。
「…………ああ!!!」
濃尾がオレ達のそんな様子を見て、不満そうに頬を膨らませている。仲間外れで寂しいんだろ?とオレが冗談混じりに言うと、別に、といってぷいとそっぽを向いた。
あぁもう素直じゃない奴ばっかりだ。
そっぽ向く濃尾を無理やり輪の中に引っ張りこんで、オレはまた大声で笑った。
∮
「え、え!?また品薄ゥ!?ちょっと待ってよ、今から買ってくるから!!」
「何故女神がこんなに働かなくては、ならぬのだ!!わらわもお菓子食べたいぃ……」
「ボクもう疲れたよ……なんでこんなことしてるんだっけ。忘れちゃった」
キャスト班が大詰めの練習をしている午前中、それ以外のメンバーは教室の方の展示であるカフェの運営に勤しんでいた。キャストが抜けているせいで、ただでさえ忙しいのが余計に忙しくなっている。
この"オレ様"、荒樹土光が出張らないといけないくらいには。
(ったく……紅の野郎、マジで何してやがんだ…。知らねぇ餓鬼共にヘコヘコすんのは疲れんだよ!!あぁクソったれ!!)
厳密に言えば、紅が来れなくなった理由は知っている。体調を崩したのだ。無理もないだろう、なにせここ数日ずっとあの男は寝ていなかったのだから。そして餓鬼にヘコヘコをするのだって本当はそこまで苦じゃない。全てを欺いて、爪は隠して、過ごす。それがオレの生き方だ。だから今更疲れなんかしない。オレにとってそれは呼吸するのと同義なんだから。
無性に苛々する理由は別にある。
あの男。オレに"ココ"を任せる時、へらへらと笑って……ごめん、と言いやがった!!オレはお前と違う。お前みたいに、不器用にオレは生きていない。お前と違って、オレは、オレはずっと一人で生きてきたんだ。このくらいのことぐらい簡単にやれる。お前はずっと仲間と共にいた。あんなお人好し共だ。お前が頼めばきっと力を貸してくれただろう。
なのに、お前は!!
「……荒樹土、とやら。どうしたんじゃ?」
「……は……あぁすいません!!あまりの忙しさにぼぅとなっていました」
「それならいいが……おぬしは別にうちのクラスの人間じゃないからの。体が優れないのなら裏に回っていてもいいんじゃぞ?」
いつの間にか動きを止めてしまっていたらしい。口調のおかしな金髪の小柄な女子生徒に心配されてしまった。そんな変な奴に心配される筋合いはない。オレは女子生徒に笑顔で答えた。
「ふふ。……大丈夫ですよ。今私が抜けたらこの教室、回っていかないでしょう?それに人の役に立つこと、私好きなんですよ」
オレがそう言うと、女子生徒は無表情でオレの顔をじっと見てぼそりと言い放った。
「薄っぺらな奴じゃの」
「…………はい?」
「まるでこの今焼いてるクレープの生地のように"薄っぺら"じゃ。全てを偽って生きて、何が楽しい?仲間を軟弱と言い捨てることで何が救われる?……もっと素直に生きればよい。さすればおぬしは救われるであろう」
それだけ言うと少女はまた自分の作業に戻ってかしゃかしゃと生地を混ぜ始めた。……不気味な女だ。まるでオレの人生を見てきたかのような物言いだった。気味が悪い、それに尽きている。
「……えーと、何さんでし」
「大和田雪じゃ。女神と呼ぶがよい」
「…………えっと、大和田さん。さっきの言葉、冗談ですよね?」
かしゃかしゃと混ぜる手を止めず、大和田雪は首を横にふった。
「"真実"で、あったであろ?」
「……それに、正直に答えるとでも?」
そう言ったオレを、ちらりと一瞥すると大和田雪はまた作業をしながら首を横へふる。そしてぽつりと誰に言うでもなく呟いた。
「別に、神の下で蠢く有象無象どものことなど気にもしない。わらわはただ"見えたもの"を言葉にしているだけじゃ」
「だから、この教室でどんな"惨劇"が起ころうとも」
「わらわには、関係ない」
それは酷く冷たい声色だった。一瞬の静寂。しかしそれはすぐに崩れる。
がしゃんと金属の割れる音が響く。
どうやら教室の中央で割れたらしい。客と沢山置かれた机の間にバラバラに割れたコップがあった。近くには客として来たのであろう、まだ高校生ぐらいの女子二人組と、店員用のエプロンをした茶髪の髪の女子生徒がコップを挟むようにして立っている。
「あぁ!!大丈夫ですか、御二人とも?すぐに片付けますから--------」
「---------小鳥ちゃん?」
客として来ていた少女の片方の方が、そう尋ねるように言う。何を言っているんだと思い、上を見るとそれはどうやらエプロンを着けた女子生徒の名前らしい。エプロンの女子生徒の方をしっかり見て、続けざまに彼女は言った。
「……小鳥ちゃん、だよな?中等部の時、同じクラスだった」
「…ボクは、小鳥だけど……」
それを聞くや否や彼女は嬉しそうに笑う。
「私だよ!!愛鹿社だ!!ほら、変な双子が四人いただろ?男の双子と女の双子!!その中の一人!!忘れっぽい小鳥ちゃんでも覚えてるはずだろ?なにせ小鳥ちゃんは--------」
「止めて!!!!」
愛鹿社。確か、紅がこの数日調べていた少女の名前だ。ということはこの少女が愛鹿社なのだろう。旧友に会えたことが嬉しいのか随分朗らかに笑っている。しかし対するエプロンの女子生徒は久しぶりの旧友に会えたというのにどこか困惑した表情を浮かべている。その顔のまま、小鳥ちゃんと呼ばれた女子生徒はゆっくりと口を開いた。
「…………君のことなんて、覚えてない」
その言葉はとても悲痛なものだった。
「でもそれ以上は言わないで」
そう言ってエプロンを脱ぎ捨てると彼女は教室から出ていった。その目には涙が浮かんでいた。
あんなに楽しそうに笑っていた愛鹿社は、何が起こったのか分からないようで呆然とした様子でその場に立ち尽くしていた。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.58 )
- 日時: 2019/02/28 07:29
- 名前: 羅知 (ID: MTNmKKr2)
∮
これはいつかの教室の風景。花香る14歳の春。
「…社ちゃん、楽しそうだね」
「そ、そう見える?じゃあ私、楽しいのかもしれない」
「……ふふ、なにそれ。社ちゃんが楽しそうで、ボクも嬉しいよ。で、××君と何喋ってたの?」
ボクがそう言うと社ちゃんは顔を真っ赤にした。バレバレだ。社ちゃんが楽しそうな時は大体"彼"が絡んでるんだから。
「……××がね、前髪切ったの気付いてくれて……可愛いね、って」
「………そんなこと?」
「そ、そんなことって!!私にとっては凄く嬉しいことなんだよ!!小鳥ちゃんだって、満月さんにそう言って貰えたら嬉しいでしょ?」
満月さんに?そんなことあるはずがない。だってあの人がボクのことを気付いてくれてるはずがない。あの人は人気者だ。ボクみたいな多数大勢の一人に目を配ってる暇なんてない。でももしそんなことがあったなら。
「……うーん、やっぱりボクには分かんないや」
「…………えー??分からない?」
「うん。ボクのキュンキュンするツボってちょっと人とは変わってるのかもね」
そうやって顔を見合わせて笑う。そんな毎日をボク達は送っていた。楽しかった。凄く楽しかった。忘れっぽいボクでも、あの日々は絶対に忘れることができない。
"あんなこと"が、なければ。
「…………やっぱりフラれちゃうんですね、ボクは」
「」
「別に良いですよ、満月さんと雪那さん。美男美女のカップルで二人お似合いでしたから」
「」
「…………どういうことです?」
「」
「ッ!!……信じないッ!!信じませんよボクは!!だって"そんなの"は"間違ってる"!!"お二人"だから!!"お二人"だからボクは許せたのにッ!!そんなんじゃ!!」
そう言ってボクは走った。何処までも何処までも走った。目の前にある現実から逃げるように、その事実を否定するかのように。走った。がむしゃらに走っていった。
何処へ向かおうとしていたのだろう。そして、きっと何処に行くことも出来なかったのだろう。
何処にも行くことの出来なかった、ボクの心は。記憶は。
耐えきれず、その"事実"を忘れることを選んだのだ。
∮
「どうして…………?」
「…………」
「喋り方が、変わったから?髪が前より短くなったから?何年か経って私のことなんか嫌いになったから?」
「…………」
「だから……だから、あんな風に言ったの?」
結局、近くに立っていた眼鏡を掛けた大人が差し出してくれた紅茶を一杯だけ飲んで、おれ達はあの場を後にした。人前では随分気を張っていたようだけど、社は泣く寸前だったのだろう。今横で歩きながら涙をぼろぼろ流す彼女を見てそう思う。
社は誰よりも格好いいけど、とても女の子だ。だからこそおれが、アイドルとして周りに媚を売ってでも、社を傷付ける者から守る壁を作り、社を守っていけたらいいと思う。
「……嬢ちゃん、気にすることないぜ」
「…………」
「忘れっぽい子なんだろ?またうっかり忘れてるだけかもしれねぇじゃねぇか」
「…………」
そう慰めるけれど、彼女の悲しそうにな顔は晴れない。鼻をすすり、俯いたままでいる彼女を見てるとこっちまで辛くなってくる。
「………なぁ、笑っててくれよ。嬢ちゃんが泣いてるとこっちまで悲しくなっちまうぜ」
おれがそう言っている間にも社の目からは涙が零れ続けていたけれど、それをぐいっと拭って社はおれの方を見た。
「……ごめん。顔洗ってくる」
それだけ言って、社はすっくと立った。
「……先に行ってて、いい。間に合うように、行くから」
そう言って社は何処かに走り抜けていった。
∮
「もう、本番かぁ……緊張するねッ!!」
「……でも、良い緊張感だ」
本番まで十五分前。体育館の舞台裏ではぴりぴりとした緊張感がオレ達の周りを包む。だけど不思議と笑顔が浮かんでくる。大丈夫、何故だか根拠のない自信がオレ達にはあった。
「僕の女装がこの学校中の人に見られるとか……正直言って死にたいけど、まぁ頑張るよ」
女装を嫌がってたりなんだかんだあったって、最終的に濃尾の演技が一番様になっていた。練習を乞いにいっていただけある。
「って…………あれ?」
そう言って鞄をガサガサと何かを探す濃尾。きょろきょろと慌ただしく動き回っている。
「?……どうした、濃尾?」
「…………赤の女王の、王冠が、ない。……ごめん、教室に忘れた、かも」
そう言う濃尾の目はうるうるとしている。女王の王冠は赤の女王を象徴するアイテムだ。それがないとどうしても、赤の女王というには足りないといった風になってしまう。明らかに濃尾は焦っていた。当たり前だ。自分のせいで劇が駄目になってしまうと思ったら、誰だって焦るだろう。濃尾は誰よりも真面目に練習をしていた。直前にこんなミスがあったら、気に病んで台詞に影響が出るかもしれない。
場が騒然とした、その時。
「大丈夫だ。濃尾君。俺が取りに行ってくる」
騒然としていた場は静まりかえり、凛とした声が響く。
「俺と濃尾君の出番は後だ。それまでに戻ってくる、安心してくれ」
そうやって濃尾の顔を見て、優しくにっこりと笑った馬場は、そっと濃尾の頭に手を乗せると、素早い所作で教室へと走り抜けていった。
∮
「……なんですか、ガノフ君。本番前ですよ」
「…あぁ、忙しい時にすまなかったな。でもどうしても今言いたかったんだ」
体育館から少し離れた手洗い場で菜種知とガノフは、集まっていた。本番前だから時間がない、そう言ったのだけれど、すぐに済ませる。彼がそう言ったので菜種知はその誘いに了承した。
「"言いたいこと"?なんですか……それ?」
「ああ」
彼は、彼女の目をしっかりと見て至極真面目にこう言った。
「文化祭が終わったら、伝えたいことがある」
その瞬間まるで時が止まったような感じがした。しかし、目が合ったのは数秒だけで、すぐさま彼は顔を赤くして目を逸らしてしまった。
「……そ、それだけだ。劇、頑張ってくれ。客席で応援している」
そのまま逃げるように客席の方へ走り抜けてしまった彼に、菜種は彼よりももっと赤い顔でぼそりと呟いた。
「…………それだけ、って。本当に"それだけ"ですか。ばぁか。ヘタレですね。これは本当ですよ。ばぁか、ばぁか!!」
赤い顔を誤魔化すように、頬をぱんぱんと叩いて彼女は体育館に戻った。
「……本番中に、赤くなっちゃったら、どうしてくれるんです」
赤く、熱くなった頬はまだ冷めそうにない。
∮
何故だか分からないけれど、泣かせちゃいけないと思った。どこか兄と似ているあの子に、あんな顔をさせるのは間違っていると思った。そう思った瞬間、行動していた。喋っていた。無意識に走っていた。
(全部、あの男のせいだ)
"俺"は"馬場満月"でいなくちゃいけないのに。"オレ"はいてはいけないのに。ずっとそれだけの為に生きていかないといけないのに。
『…テメェが、"何者"になりたかろうがオレ様はどうでもいいけどなぁ。テメェが今回の為に書いた脚本はどうした?書いたら、それで他人にポイなのか?ちげぇだろ。なら今回だけは、文化祭の時だけは、テメェは"テメェ"でいろ。そのあとはどうしたって構わねぇ』
『……どっかで聞いた話だがな、演劇は楽しむもんなんだってよ。演じてる側が楽しまなきゃ、観てる側は楽しくなんねぇんだと。聞けばお前、脚本を通常じゃあり得ねぇ速度で書ききったって言うじゃねぇか。やる気満々だなぁ、オイ。……それなのに"無理矢理演じた性格"で楽しめるのか?お前みたいな真面目人間が。出来る訳ねぇよなぁ?』
『……せいぜい楽しんでこいよ。"神並クン"。この病院に籠って、テメェの帰りを待ってる連中を泣かせるよりかはよっぽど有意義なことだと思うぜ?……まだ"演劇を楽しむ心"は忘れてねぇんだろ』
あの胡散臭い男は急にそうやって口調を変えたかと思うと、そう言って"オレ"を勢いよくぶん殴った。とんだ詐欺師だと思う。こんな知り合いを持っている紅のことが余計に嫌いになった。そして、そんな"提案"に乗ってしまった自分が余計に嫌いになった。だから何度も何度も自分を傷付けた。そんなオレを見てあの男は言った。
『そんなに自分を傷付けるのが楽しいのかよ、紅みたいな奴だなぁ、気味が悪い。……そんなに"自分"が、嫌ならこう考えろ。テメェは"神並の振りをした"馬場満月"だ。それならテメェは"テメェ"じゃねぇ。"馬場満月"だ。そうだろ?』
馬鹿みたいな作戦だと罵ってやりたかったが、悔しいかなオレはそうすることで確かに心が楽になった。何より演じることがも大好きだった"オレの心"が、沸き立っているのを感じた。
だから。今回限りは俺は"オレ"なのだ。濃尾日向の悲しい顔を見たくないのも、演劇を成功させたい気持ちも、どうしようもなく演じてることを楽しんでる気持ちも全部全部全部。
……演技だ。演技なんだ。そうじゃなきゃやってられない。自分でもおかしなことを言っているのは分かっている。だけど。だけど。だけど。
"オレ"は。
「……白夜?」
聞き慣れた、声。ずっとずっと、待ち望んでいた声。
愛しい人が、"オレ"を呼ぶ声。
「ね、ねぇ!!白夜だよね!!私だよ!!社!!か、髪短くなったんだね……満月さんにそっくりで、私間違えそうになっちゃった……でもすぐ分かったよ!!だって私ずっと白夜の近くにいたんだから!!」
振り返っちゃいけない。
「えっ、と…………その格好何?こ、コスプレなの?でも、白夜は満月さんと一緒に別の私立に行った……って聞いたんだけど?…この学校の、生徒なの?もしかして」
振り返ったら、戻れなくなる。
「……お嬢さん、どうしたんだ?誰かと間違えてるんじゃないか。俺の名前は"馬場満月"。一年B組の馬場満月だ」
「な、何言ってるの!?白夜!!分かんない、私分かんないよ!!"馬場満月"って何?それにその格好、アリスの三月兎の服でしょ?じゃあ、なに?白夜があの脚本を書いたの?……ねぇ答えてよ!!」
振り返らず、そのまま言う。
「…………じゃあ、劇があるから俺はもう行くな」
「待って!!待ってよ、白夜!!やっと会えたのに!!ずっと待ってたのに!!……約束は?私と一緒に演劇してくれるっていう約束はどうなったの?どうしてこんな所にいるの?ねぇ待って、待って、待って、待ってよぉ…………!!」
オレは彼女から逃げた。
"あの時"と同じように、"演劇"を理由にして逃げていった。
悲しいくらいにあの時と同じで、今はただ演劇に入り込んでこの胸のざわめきをふさいでしまいたかった。
第五話【yourname】→【whitenight】
- 神並兄弟お誕生日おめでとう ( No.59 )
- 日時: 2017/08/15 12:05
- 名前: 羅知 (ID: 9KPhlV9z)
●第一馬を終えて&読者の皆様へ
当たる馬には鹿が足りない、をここまで読んでくれた皆さん本当にありがとうございます。作者の羅知です。諸事情により、更新を停止させて貰ったり、なかなか更新出来ないことも多くありましたが、それでもこの作品を見捨てることなく見続けてくれた読者の皆さんには感謝してもしきれません。
四章構成でお送りするこの作品は、第一馬を終えたことにより、この作品の起承転結の"起"が終わりました。一段落はつきましたが、この話はやっと始まったばかりなのです。馬場も、濃尾も、そして愛鹿の物語も、やっと第一歩を踏み出しました。彼らの行く道は茨だらけで、決して幸せなものではありません。しかし私は苦しみの先にこそ、光が希望があると思うのです。絶望があるからこそ、希望がよりいっそう輝くのだと思います。
これから、読者の皆様が見ていて痛々しいと思うような描写が多くあります。それだけは予め予告します。
それでも良いといってくれる読者の皆様がいる限り、私は頑張りたいと思います。なにより、この作品を完成させることは私の悲願です。
長くなりましたが、当たる馬には鹿が足りないをこれからも応援宜しくお願いします。
補足。タイトルにもありますが、八月十五日は作中に出てきた神並兄弟の誕生日だったりします。彼らのことを心の中だけでもお祝いしてくれたら嬉しいです。次回第二馬は、幕間の話を書いた後に始まります。お楽しみに。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.60 )
- 日時: 2017/08/29 06:15
- 名前: 羅知 (ID: /BuoBgkT)
幕間【文化祭後日譚】
過ぎ去ったことはもう戻らない。
それを僕達はとうに知っているはずなのに、どうして何度も同じ過ちを繰り返してしまうのだろう。どうしてまた、馬鹿みたいに涙が止まらなくなるんだろう。
∮
「みんなお疲れ様!!劇も教室もオレ達が一番大盛況だったと思うぜ!!」
文化祭が終わったその日の夜の打ち上げで、焼き肉の匂いが立ち込める店の個室の中、開口一番に尾田は笑顔でそう言った。あほ丸出しな気の抜けた笑顔だった。だけど見ていて不思議と苛々しなかった。むしろどこか心が安らいでいくような---------そんな笑顔だった。
結論から言うと文化祭は大成功だった。僕達の劇に見ていた観客は拍手喝采を起こし、何人か泣いている人もいたかもしれない。それを見て、こんなものが見れるなら女装も少しいいかもしれないな、なんて僕が冗談混じりに言うと椎名が食いぎみに同意してきたので、やっぱり女装はもうしない。
まぁ、でも、やっぱり。
凄く、楽しかった。そう思ったことは紛れもない事実として僕の心に刻み付けられたのだった。
(…………)
ただ一つ心残りがあるとすれば、愛鹿社と会うことが出来なかったことだ。劇が終わると見知らぬ僕達と同年代の少女が愛鹿からだと手紙を渡しにきた。可愛いのにやけに眼光の鋭い子だったと思う。不機嫌そうに僕に手紙を渡すとそそくさと彼女はその場を後にした。後から聞いたことなのだけれど、彼女は当日飛び入りで参戦した超人気アイドルの『新嶋セズリ』だったらしい。椎名辺りから大変羨ましがられた。アイドルというには笑顔の欠片もなかったような気がするけど、きっとアイドルにも色々あるのだろう。そこら辺スルーしてあげよう。
それにしてもアイドルの友達がいるなんて、愛鹿は何者なのだろう。もしかして家族が芸能関係だったりするのだろうか。何にしてもアイドルをそんな小間使いにするような愛鹿は相当の大物だろう。
『良い劇だった。 愛鹿』
手紙には簡潔にそう書かれており、裏には彼女の携帯の連絡先が書かれていた。彼女ならここをこうしろとか、あそこは良かっただとかを色々言いそうな気がしていたので少し拍子抜けだったけれど、きっと疲れていたのだろう。彼女は演劇の練習で忙しいのだ。
「何難しい顔してんだよ!!濃尾!!」
「……あ、ごめん」
「馬場も濃尾も打ち上げだっつーのに暗い顔してんなよ!!特に馬場!!ほら笑顔笑顔!!」
そうだった。今は打ち上げの最中だった。なんだかぼーっとしている僕達に、そう言って尾田はいーっと口を引っ張って僕に無理やり笑顔を作らせた。横を見れば僕と同じように浮かない顔をした馬場がいた。伏せ目がちに下を向き、口元はかろうじて笑ってはいるがどこか不自然だ。
そんな僕達を見て尾田は、はー!!っとため息を吐くと仕方がないなぁ、と言ってぱんぱん!と手を叩いた。
「「え」」
尾田のその拍手を合図に、いつの間に準備していたのだろう。わらわらと花束を持って現れたのは一年B組のメンバー達。バラ、アイリス、デイジー、パンジー、チューリップ、青いボンネット、スミレ、オランダカイウユリ、等々色とりどりの花がその腕に抱えられている。
「馬場。今回の一年B組の出し物が大成功したのはお前のおかげだよ。馬場が体力を削ってでも書き上げたあの台本がなかったらここまでのものはできなかった」
「---------本当に、ありがとう!!」
(……恥ずかしい奴ら)
そんな赤面間違いなしの台詞を台本を読むわけでもないのに素面で言えてしまうなんて。コイツらはなんて馬鹿なんだろう。ねぇ、可笑しいよね馬場。何言ってるんだって嗤ってやろう---------。
ほろり。
ほろり?
(---------------あ、れ?)
馬場は、泣いていた。
自分でも泣くなんて思ってなかったようで、落ちた涙を口をぽかんと開けたまま、驚いたような顔で見つめている。そんなちんけな台詞で泣くような奴じゃないだろ?何、何でそんな顔してるんだよ馬場。嗤おうよ?なぁ?
「…………あれ、なんで…」
(……おかしいよ)
馬場。どうしてそんな顔するんだよ。止めてくれよ。お前はこんなときでも"馬鹿みたいな笑顔"でこたえて、そんな、そんな"本気"みたいな涙を見せる奴じゃ-----------------
(違う、違うんだよ。これじゃあ)
"僕の馬場満月"はこんなんじゃない。目の前にいる"馬場満月"は"僕の"じゃない、ちがう、ちがうちがうちがうやめてやめてやめて。僕の"理想"を壊さないで。
(いつからだった?)
"馬場満月"は変わっていた。気が付いてた。本当は気が付いてたんだ。だけど僕は"コイツ"を手放したくなくて。"コイツ"がいなくなったら僕は。
(……"コイツ"って誰だ?)
僕は、誰のことを言っている?笑顔馬鹿野郎のコイツ、首を絞めていたコイツ、文化祭の時の妙に優しかったコイツ、……今目の前で涙を流しているコイツ。
そして。
『……また、あいましょうね。"やくそく"、ですからね?』
(違う、これは"コイツ"じゃない)
『…もう、絶対に置いてなんか、いきませんから、安心して、下さいよ』
(……違う、僕は"そんな言葉"聞いていない)
僕は、濃尾日向は、そんなこと"覚えちゃ"、いない。あんな優しい声なんて知らないし、あの温もりだって感じたことなんてないし、あの"記憶"だってきっと"他の誰かの記憶"なんだし、だから、違う。違うったら違う。違う違う違う違う違う。僕は僕は。
(…………"ヒナ"、は)
"ヒナ"はずっときらわれていきてきた、だからあんな"いとしさ"がだれかからむけられるわけないんだもん。ヒナはわるいこだからみんなすきになってくれるはずがないんだから。だからあいなんていらない。なくなってしまうあいなんていらない。ヒナがわるいこだからヒナがわるいこだからみんなどこかにいっちゃうんだから。それならヒナは、ほしがらない。ほしがるわるいこにはならない。なのに。
(…………ここ、は)
あったかい。
こんなの、ヒナは
しらない。
ここはヒナのいていいばしょじゃない
もどらなきゃ
もどらなきゃ
「…濃尾?そんなにふらふらしてどこに行くんだよ?便所か?」
ヒナの"いばしょ"はここじゃない
いかなきゃ
あのばしょに、いかなきゃ
∮
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.61 )
- 日時: 2017/11/28 23:23
- 名前: 羅知 (ID: yWjGmkI2)
劇が終了し、ようやく合流出来た社は別れた直後よりも泣いていた。ぐしゃぐしゃの顔でおれの胸に飛び込んだ社の肩はぶるぶると小さく震えていて、何があったか分からないけれど社をこんな風にした人間をぶん殴ることを心に決めた。
「…………演劇……すごく、よかった……ひっく……あんな演技……私には見せて、くれなかった、のに……」
泣きわめく社はぶつぶつとこんなことを呟いていた。つまり社にこんな顔をさせた奴はさっきまであそこで演劇していた連中の誰か、という訳だ。許さない。社にこんな顔をさせた奴はただではすまさない。本当は顔を見るの嫌だったが、社の願いは叶えてやりたい。ただその一心でおれは社を泣かせたかもしれない連中の所へ行ったのだ。
出迎えたのは、女みたいな顔をしたなよなよした男だった。おれより背も凄く小さい。弱々しい虫けらみたいでおれは拍子抜けした。……だけど、何と言うか、"変"な奴だと思った。言葉でそれを言い表すことは出来ない。強いて言うなら-------------"気持ち悪い"。
なんだか色んなものが"ぐちゃぐちゃ"してる感じがして、ソイツは気持ち悪かった。
向こうにもおれのそんな内心が伝わったらしく、変な顔をしていた。アイドルのくせに作り笑顔も出来ない奴だとでも思われただろうか。まぁ別にいい。おれが本当に笑顔を見せたい相手は社だけだ。こんなことを言ったらアイドルとして意識が低い、と社にまた怒られてしまうかもしれないが、事実だから仕方ない。元はと言えばアイドルを始めたのだって、こうして今の今まで続けられているのだって、全部全部、社のおかげなのだ。だから、誰よりも一番社が笑ってくれてないとおれがアイドルをやってる意味なんて無いに等しい。
人はこういった感情を"恋"とか"愛"とか陳腐な名前で呼ぶのだろうが、おれにとっての"これ"はそれらをとうに越えている。名前なんかで表すことが出来ない、複雑で訳の分からないものがおれの持っている"それ"だ。
(……なんて。こんな"気持ち"、社に言える訳ないけどな)
彼女は優しいから、きっと気持ち悪いなんて言わないだろう。困ったように笑って、それで相手を傷付けないように捻り出した断りの言葉を、静かにおれに告げるのだ。そのあとはきっといつも通りに彼女はおれに話し掛ける。おれの告白なんてなかったかのようにきっと、ずっと、振る舞い続ける。上手くやるだろう。彼女はとても優秀な"女優"なのだから。
その姿を見て、おれは耐えきれるのだろうか-------------いや、耐えきれない。耐えきれるはずがない。一緒にいる限り、ずっと彼女に"本心"を言ってもらえずに、"演技"をし続けられる---------きっと"生き地獄"だ。死んだ方がマシみたいな毎日だ。そうしてそれは日々じわじわと毒が染み込むようにおれの心を蝕んで、最期にはぐちゃぐちゃに壊して、おれを殺す。
だから、おれは絶対に彼女に気持ちは伝えない。彼女に嘘を吐いてでも、おれは彼女の横で、彼女を守り続ける。
∮
「……本当に大丈夫か?観鈴」
「心配すんなよ、こう見えてもアンタに言われて武道は一通りこなしてっから、変な奴が現れたら倒しちまいますよ」
「………………でも」
「アンタこそ、そんな顔じゃ外出れねーだろ。腫れを抑えるもの買ってくっから大人しく待っててくれよ」
帰って暫く経ったが、泣きすぎて赤く腫れた痕はひくことがなかった。あれだけ泣いたのだから当然だ。しかしこれだと明日万が一、外で彩ノ宮高校の生徒に会ったとき、学園の王子様が目を赤く腫らしていたなんて知られてしまったら大問題だ。熱心なファンが卒倒してしまう。腫れを引かせる為にはコットン等で目を押さえて氷水で冷やすと良いらしい。社の今住んでる家にはコットンが見当たらなかった。だからおれが買いに行くといったらこのザマだ。
「……ったく心配しすぎだっつの。不審者なんてそんなわんさか出てこねーよ」
空は紺色に染まり、星が煌めいている。時計を見てみると午後8時を指していた。まぁ確かにおれみたいな年頃の女が一人で歩くのにふさわしい時間ではなかっただろう。だけど社の心配はあんまりだと思う、薬局までたかだか5分程度だ。それにこの道は人通りもそれなりにある。こんな環境下で不審者が出るとしたらソイツは相当な猛者だ。……まぁ、社に心配されて悪い気はしないけれど。
「……なんてな」
ただの意気地無しの独り言だ。こうアレコレ思ってたって本人に直接言うことなんか出来やしない。きっと一生彼女の前ではへらへらと笑って取り繕って生きていくんだろう。とんだお笑い草だ。
「…………」
はぁ、と吐いた息が白く染まり、凍えるような寒さが後から襲ってくる。もう冬だった。身体の冷たさより、心の冷たさの方が身に染みて苦しい。今年の冬もそんな季節だった。こんな年もあと数日で終わる。そしてまた次の年がやってくる。来年もきっとこんな感じだ。変わらない。……変われない。
現実はどこまでも無情ないきものだった。
∮
「……これでいいか」
コットンに、美容液、あと氷に、少しつまめるお菓子。夜分の糖質は太る原因だとか、また社に怒られてしまいそうだが別に今日くらいいいだろう。ストレス解消にはやっぱり甘いものを食べた方がいい。買うものは買えた。早く帰ろう。行った道をてくてくと戻る。もう大分人の通りも少なくなっていた。少し買うのに時間をかけすぎた。歩く足も自然と早足になる。だから気付かなかったのだろう。
目の前から走ってくる"誰か"に。
「わぁ!!」
そんな声と共に身体に小さな衝撃を感じる。舌ったらずで高めの可愛らしい声だ。ぶつかってきた衝撃からして子供が走ってきたのだろうと思った。明らかにおれより小さな子供だ。こんな時間にいるのは危ない。親はどうしているのだろう。そう思った。だけども、いざその姿を確認すると目の前にいたのは意外な人物だった。
「……お……まえ、は……!!」
そこにいたのは、昼間社からの手紙を受け取った女々しい男だった。でも明らかに様子がおかしい。昼間会った時、確かに正直気持ち悪いと思った。何か得体のしれないものが、その可愛らしい顔の内側にぐちゃぐちゃに混ざっているのを感じたからだ。だけど今のコイツは。"ぐちゃぐちゃ"どこなんかじゃなく。もう、明らかに。
"壊れて"いる。一目見てそう思った。おれが"気持ち悪い"と感じた"ソレ"が、もう何も隔てることなく露呈されていて。"まとも"はどこかに消えてしまっている。
驚きでぽかんと口を開けたままでいるおれに、ソイツはまるで小さな子供のように無邪気に笑った。
「……おねぇちゃん、どこかいたいの?」
「ヒナがいたいいたいのとんでけしてあげる!!」
「いたいのいたいのとんでけー!!」
「……もういたくないよね?」
そう言って背伸びをして、手を伸ばし、おれの頭を優しげに撫でてくる純粋な手を払いのけることも出来ずに、おれはただ黙って今から何をすればいいのか考えていた。身体中から出てくる冷や汗もそのままに。脳内で鳴り響く警鐘音を聞きながら。
- グロ注意!!犯罪を仄めかす酷い描写があります ( No.62 )
- 日時: 2017/09/25 07:12
- 名前: 羅知 (ID: UIcegVGm)
∮
『人一人壊れるのって、案外簡単なんだよ?』
姉である結希は笑ってそうよく言っていた。
まるでなんでもないことのように。
∮
まだ弟と自分が高校生だった時のことだ。
その頃の自分はなんだか変な"暇潰し"にはまっていた。夜、人通りのない時間にあえて歩くのだ。ほとんどの場合は何も起こらないのだけれど、ごくたまに馬鹿な人間が変な気を起こして襲いかかってくる。不規則に乱れた呼吸。背中に己のその"ブツ"を当ててくる者もいただろうか。酷く身勝手な愛の言葉を押し付けてくる者もいた。自分の欲求を隠そうともせずに自分に欲情してくる人間を見るのはとても滑稽だった。
何をされたとしても始めは"ただの大人しい女子高生"を演じるのがコツだ。そうすると相手は付けあがって大胆な行動を取ってくる。こちらが大人しいと思って油断するのだ。その隙を狙って一気に相手を押し倒す。突然のことで相手は何が起こったのか分からずに動けない。当たり前だ。"襲った"はずが自分が"襲われて"いるのだから。きっとそのあとに"何をされる"かも分かっていないのだろう。理解させる必要はない。相手が動かない間にあらかじめスカートの中に仕舞っていた鋏を取り出す。それを見ると、勘の良い人間は"これから自分に起こる惨劇"を察知して泣き喚いたりした。くるくると表情が変わる様子を見ても面白くも何ともないのでさっさと終わらせてしまおう。命乞いしてくる人間、頼んでもないのに懺悔してくる人間、意味もなく罵倒してくる人間。色んな人間がいる。せめてもの慈悲として、その全ての人間にこう言ってあげた。手には鋏を持ったまま。
「なんの意味もないよ、それ。だってこれ"ただの暇潰し"だもの」
変な感触だ。
料理してるのとあまり変わらない。差はそれが包丁なのか、鋏なのか、食材に向けるか、人に向けるかだけだ。たいして変わらないだろう。血が飛んだ。肉が散った。ただそれだけだった。終わる頃には相手は何も話さなくなってしまうので、最後はいつも静かだ。目の前にはぐちゃぐちゃの相手の性別の象徴だった筈の肉塊と、生きてるかも死んでるかも分からない人間の身体だけがある。何度やっても何かを感じることはない。達成感も後悔も何も湧かない。意味のない行為だ。だけど時間を潰すのには最適だった。ただそれだけだった。
高校を卒業するまで、夜は専らそんな"暇潰し"をして過ごした。卒業した途端に飽きてやらなくなってしまったけれど。
∮
「あ、優始?……また"そんなこと"やってるんだね。意味分かんない。そんなのに意味求めてる所とかが特に」
それはいつも通りの"暇潰し"の後のことだった。この暇潰しの後は毎度なんとなく弟に電話している。弟も"日課"の最中だったらしい。電話口から変な音がしている。まぁ別にどうでもいいので無視をした。弟といっても小さな頃に親が離婚したので月一度会ったり、こうして電話したりする、"血が繋がってるだけ"の弟だ。お互いにお互いの行動がそこまで影響することなんてないのだから、気を使う必要はそれほどない。
「結希の方が頭おかしい、って?意味を求めない方がおかしい、って?……まぁどっちでもいいや。こんな時間に外出歩いてる時点でどっちもどっちだし……」
そこまで話した時だった。
向こうから自分の背の半分もないような小さな子供がふらふらと歩いてくるのが見えた。遠くから見えた時点でその少年はすでに"異様"だった。まだ幼かった頃の"かの少年"は、自分と出会った時点で既に"壊れきっていた"。ボロ切れのような服を着ていて、白く痩せ細って骨の浮き出た身体には青や赤の痣が至るところにある彼の姿はきっと通常なら、確認した時点で通報するのが"正しい人間のとる行動"だったのだろう。だけども自分はただいま電話をしていたし、そしてきっと電話をしてなかったとしても通報はしなかっただろう。
あんな"面白そうなもの"、誰が警察に任せるか。
ふらりふらりとおぼつかない足取りで裸足のまま、此方に向かってきた少年は前が見えていなかったのだろう。ぽす、と自分にぶつかってきた。
「ごめん、なさい」
そう淡々と己に謝ってくる少年。近くで見ると余計にその異様さは目立つ。まだ年齢は十もいかないだろう、少年の目はその年齢に似合わず憔悴しきっていた。そして何よりも異様だったのはその"匂い"だった。
一ヶ月に一回弟と会うとき、たまに弟はその"匂い"をしていたからよく分かる。生臭い生物が腐ったような匂い。よく見れば少年の身体も、髪も、かぴかぴな"何か"がこびりついており、匂いはそこから発せられているようだった。間違いなく少年が何らかの犯罪に巻き込まれていたことは確実だった。そしてそれが原因で少年の心が"壊れかけている"ことも。
「別にいいよ。謝らなくても。お姉さんも前見てなかったしねー。…………ところでさ君のお名前は何かな?」
しばらく何を言ったのか分からないという顔でぼぉっとしていた彼だったが、幾分かしてようやく何を言ったのか飲み込めたらしく、くしゃっと笑って彼は自分に名前を告げた。実に誇らしげに。
「恋日ヒナ!!ヒナの名前は恋日ヒナだよ!!」
「……へー。そっかぁヒナ君って言うんだ。女の子みたいな可愛い名前だね」
小さな子供でも分かるようにあからさまに誉めたつもりだった。しかしやはり男の子に可愛いはまずかったのだろうか。目の前の少年は明らかに何を言われたか分からない、というような不思議そうな表情をした。
少年に言われたのは予想外の言葉だった。
「………………ヒナは、"女の子"、だよ?」
目の前の"少年"であるはずの子供は確かに自分にそう言ったのだった。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.63 )
- 日時: 2017/11/28 23:34
- 名前: 羅知 (ID: yWjGmkI2)
∮
「…………ただいま」
「あ……お、おかえり。遅かったな!!一体何処で寄り道してるのかと心配したん--------」
きぃとドアの開く音がしたので、いそいそと早足で玄関の方に向かう。出掛ける前、彼女に少しぶっきらぼうな態度を取ってしまった。今回のことで随分と心配をかけてしまった。だからこそ笑顔で-------自分の出来る、精一杯の顔でおかえり、と言いたかった--------------けれど、それは果たすことが出来なかった。目の前にある光景、それを見た瞬間に目の前が真っ白になった。
彼女の連れている、"見覚えのありすぎる顔の少年"。"彼"を見た瞬間に。
「?……おねーさん、こんにちは!!」
「……は、え……?どういう、こと……何、何これ……」
ついていけない私に対して、少年が返したのは"純粋無垢で花が咲いたような笑顔"だった。
(分かんない、ってば)
一瞬、遠い昔に会った"友達"とその笑顔が、被る。
…………なんだ。なんなんだこれは。何で目の前に彼が、濃尾日向君が、いるの。それで私はそれを見てどうしてこんなこと考えて、どうして、いや違う、そういうことじゃなくって---------おかしい。おかしいんだ。この状況が、全てが。狂ってる。狂ってるんだ。だから私も脳が正常に働いてないんだ。だってそうじゃなきゃ、そうじゃなきゃこんなことあるはずがないんだ。間違ってる、間違ってるんだよ"これ"は。なんでどうしてどうして"あの子"と被ってみえるの、だって"あの子"は"女の子"だった。それに、それにそれにそれに性格が全然違うでしょ、"あの子"は人を疑うことを知らなくて、本当にまるで天使みたいな子で、……あぁそんな"あの子"そっくりな顔して笑わないでよ。違うんだから、絶対に違うんだから。違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!!!!!!!!
「社!!!」
「………………え?」
「……落ち着いてくれよ。おれだって、まともで、いられてるわけじゃ、ないんだから」
そう言う彼女の顔は蒼白で、冷や汗を浮かべてはいたけれど、私よりは随分と落ち着いてるように見えた。……そりゃあそうだ。彼女は"あの子"のことを知らない。彼女から見たら、彼が様子がおかしくなってる程度の認識なんだろう。
「……なぁ、社。どういうことなんだよ。コイツどうしちまったんだよ」
……でも、私は違う。私は"あの子"を知っている。だからその仕草が、笑顔が、全部"あの子"に見えてしまって。違う。違うのに。
「……その反応、社はなにか知ってるんだろ。……なぁ今の"コイツ"は"誰"なんだよ。教えてくれよ!!」
そう怒鳴る彼女の問いには答えず、私は静かに極めて落ち着いた声色で、最早"彼"ではない"彼女"に話しかけた。懐かしさはなかった。懐かしさよりも、何よりも、どうしてこんな風になってしまったんだろうという後悔ばかりが頭を埋めて。心臓が煩いくらいにバクバクといってるのをどうにか抑えようとするので必死だった。
"彼"に、問う。
「……恋日、ヒナ、ちゃんだよね」
喉がつまってうまく声が出ない。そんな中でようやく出た、その小さな問いに"彼"は----------いや、"彼女"は不思議そうにこう答えた。私と違って迷いなんて一切もない清々しい声だった。
「そうだよ!!……でも、どうしておねーさんはヒナの名前を知ってるの?」
次に会った時は、嬉し涙が出るんだろうな、なんて考えていた。幼心に"彼女"のことを憧れていた自分がいた。また会えたら、きっと私は彼女に言うんだ。私は、貴女みたいになりたくて、頑張ってきたんだ。貴女の言うとおりだったよ。って。今の私は素敵でしょ。って。たくさんたくさん言いたいことがあった。
だけど今の私から出るのは、ただの冷たくて哀しい涙と嗚咽だけで。
「……社、シロだよ。ヒナ……貴女の"友達"の、シロ、だよ…………」
かろうじて、それだけが、言葉になった。
∮
「……うん、大体分かった。ありがと"愛鹿社"ちゃん。びっくりしただろうにここまで"あの子"を連れてきてくれて」
「…………」
「…本当は。本当はね、アタシだってもう手遅れだって知ってたの。だけどあの子にせめてアタシ達は"普通の高校生活"ってモノを送らせてあげたかった……その結果が"これ"よ。笑っちゃうわよね。何度失敗してもアタシ達は学ぶことをしない。また見逃した……あの子からの助けのサインを……」
"彼女"と初めて会った場所は彩ノ宮病院の精神科病棟だった。そのことを思い出した私は、すぐさま病院へ電話をした。事情を説明すると病院側はすぐに迎えの車を手配してくれた。そこに乗ってきてくれたのが、今目の前で話している女性、海原蒼さんだ。憂いを帯びた瞳が神秘的で、まるで深い海の底のような色の髪が腰までうねっている。車に腰掛けると、まだ頭の整理のつかない私に海原さんは優しく声を掛けた。
「初めまして……じゃないわね。愛鹿社ちゃん。でもまぁ覚えていないだろうから自己紹介するわ。アタシは海原蒼。彩斗先生の助手……みたいなものよ。彩斗先生は覚えているでしょ?」
その問いにゆっくり頷くと、海原さんはにっこりと笑った。どこか寂しげな笑い方だった。
「濃尾先生はアタシにとっても恩人なの。だからこうして時々"仕事"をボランティアでやってるのだけど……本来アタシはこういうことを任されないのよ……だけど、もう、アタシ以外誰も"動けない"の。皆パニックになっちゃって……情けないわね。貴女みたいな若い子でも、まだ、落ち着いてるのに」
「いえ…………落ち着いてなんか、いません。もう何がなんだか分からなくて……逆に」
淡々と彼女との義務的な会話が続き、そして静かになった。濃尾君は--------"彼女"は助手席ですやすやと眠っている。小さな子供のように可愛らしい寝息をたてて。その姿を見ていると、ほんの少しだけ安心した。窓の外は真っ暗で窓に酷く不安げな顔がして、なんだかおかしい。夜空には三日月が怪しげに光っている。人は誰もいない。当たり前だ、もう深夜だ。だけどちっとも眠たくない。おかしかった。けれどもちっとも笑えなかった。
「……あの」
数分の静寂の後。最初に口を開いたのは私の方からだった。色々ありすぎて忘れていたけれど、どうしても聞きたいことがあったことを思い出したのだ。
「……海原さんは、白夜のこと……その、"知ってた"んですか。"あんな風"になってる、って」
「えぇ、知ってたわ」
即答だった。そして軽く笑って、どこか遠いところを見ながら、彼女は話す。その目には一体今何が写っているのだろう。そんなことが気になった。
「…あの子も難儀な子よね。元から不器用な子だとは思ってたけど、まさかあんな風になっちゃうなんて。…どこから間違ってたのかしら。小さい頃に見たときは、まさか、貴方達がこんなことになるなんて思いもしなかった。こんな"再会"の仕方なんて、運命の神様は残酷みたいね……」
それには私も同意だった。神様なんて信じていないけれど、もしも運命の神様というものがいるのだとしたら、その人は本当に性格が悪い。根性がひねくれてるんじゃないかと思う。私がそう言うと海原さんは可笑しそうに笑った。ちょっと大袈裟なんじゃないかというくらい笑った。そしてひとしきり笑うと、目に涙を貯めたまま独り言のように呟いた。
「……はぁ」
「ヒナ君にも、白夜君にも、紅にも、黄道ちゃんにも、星にも、光にも、ただ"普通の生活"を送って貰いたかっただけなのにね」
「……どうして、こんなことになるのかしら」
誰に宛てたものでもないその呟きは、誰に返すこともされず、そのまま夜の闇の中に吸い込まれていった。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.64 )
- 日時: 2017/10/08 17:22
- 名前: 羅知 (ID: caCkurzS)
∮
「…………駄目だ。連絡つかねぇ」
冷たい風の吹く打ち上げの店の丁度裏側に位置する所で、俺と尾田慶斗は立っている。何度目かのコールの後、また静かに尾田慶斗は俺にそう言った。濃尾日向がこの場を離れてから、もう一時間以上になる。初めはトイレかどこかに買い物にでも行ったのかと思っていたが、それにしては時間がかかりすぎだ。連絡がこんな長い時間取れないのもおかしい。思い返してみれば、おもむろに店を出ていったアイツの顔はどこか変だった気がする。考えれば、考える程に悪い方向に思考が向かっていく。こんな時こそ冷静にならなければいけないのに、冷や汗が止まらない。
そんな俺を見て、何を思ったのか尾田君はこう言った。
「…お前も心配だよな。オレも心配だ。でも落ち着け。落ち着かなきゃどうにもならねぇ」
「……あぁ」
「………やっぱりオレには信じられねぇな。そんなにアイツのことをに熱心になってるお前が、アイツに"あんなこと"するなんて」
「……!!」
尾田慶斗が、俺と濃尾日向の"関係"のことを知っている。その事実に戦慄し、思わず身体が震える。まさか、誰かに知られてるなんて思わなかった。どこで知ったんだ、あんなこと。もし、バラされたら、俺は、濃尾日向は。
俺のそんな心配を余所に、少し呆れたように尾田慶斗は言った。
「……そんなに驚くことかよ。たまたま知っただけだ。心配すんな、誰にも言わねぇ。ただちょっとは"そんなこと"になる前に相談して欲しかったとは思うけどな」
「…………」
「……今の反応を見て正直安心したよ。お前はやっぱり"馬場"だ。正真正銘"濃尾日向の親友"だ。まぁそんなことになる経緯は理解出来ねぇけど」
それだけ言ってしまうと尾田慶斗は、また何事もなかったかのように電話を掛け始める。
……不思議な感覚だった。もっと、もっと軽蔑されると思っていた。あり得ないものを見るような目で見られるのかと思っていた。俺のやったことは到底許されることじゃない。許されるつもりもない。その行為をコイツは"ただそれだけ"で済ませたのだ。拍子抜けだった。それと同時に思った。コイツなら、コイツらなら-----------どうしようもない"神並白夜"でさえ受け入れてくれるんじゃないか-----------なんて希望的観測を-------------願ってしまった。
(……そんな訳ない)
でも一瞬だった。そんな希望は"俺自身"の意志が否定した。例え周りに許されたとしても、そんな生ぬるい結末は"俺"が許せなかった。周りが"オレ"を受け入れてくれたとしても、"オレ"がコイツを受け入れれないのだ。周りが優しければ、優しくするほど"オレ"は悲しくなるだろう。"オレ"のそんな"弱さ"にこのお人好し共を付き合わせる訳にはいかなかった。
「……まだ出ねぇ」
苦虫を踏み潰したような顔で何回目かのその台詞を尾田慶斗が口にする。その言葉を聞くたびに胸がざわざわしていてもたってもいられなくなる。そのムシャクシャに耐えきれず、俺は尾田慶斗に頼んだ。
「今度は、俺の携帯から、掛けさせてくれないか」
「…………あぁ、いいぜ。立ってるだけじゃ待ちぼうけだものな」
そう言って尾田慶斗は持っていた携帯を自分のポケットにしまう。俺は自分の携帯を取り出し濃尾君の電話番号に掛け始めた。一度目の呼び出し音。二度目、三度目…………もうダメかと携帯を切ろうとした時------音が止まった。
一気に血液が沸騰したかのような衝撃が全身に広がる。安堵やら喜びやら嬉しさで声は裏返り、まるで捲し立てるように次々と言葉が出てきた。
「もしもし!!濃尾君か!?なぁ今何処にいるんだ?皆心配してるんだ、電話くらい出てくれないと困る----------」
『-------------------白夜?』
その声は濃尾君の声ではない。しかし聞き覚えのある声だった。
「…………や、し……ろ。……なんで」
『…………』
相手の息を飲む声が聞こえる。俺は反射的に電話を切ろうとした。しかしそれをする前に向こうから制止の一声が入った。
『待って。切らないで』
「…………」
『……よく考えてよ?どうして私が濃尾君の携帯に出たと思ってるの?その理由を聞いてからでも切るのは遅くないんじゃない?』
少し焦ってはいるが、以前会った時と見違えて彼女の声は随分冷静で毅然としていた。そして思い出す----------------彼女がそういう話し方をするときは決まって"緊急事態"のときだったことを。
『……懸命な判断に感謝するね』
「…………」
『落ち着いて聞いてよ。……私は今、濃尾君と一緒に彩ノ宮病院にいるの。私の友達が、"まるで別人みたいた状態の濃尾君"を見つけたみたいで……』
「…………!!」
『……ねぇ覚えてる?私達が小さな頃、怪我で二人ともここに入院したときのこと』
「…………」
『……"ヒナ"を、覚えてる?』
何故ここでその名前が出てくるんだろう。"ヒナ"と"濃尾日向"はなんの関係もないはずだ。そして少し言い淀んだ後、彼女は驚くべきことを口にした。
『……濃尾日向と、ヒナが、同一人物だって言ったら?』
「!!…………っな訳ない!!だってヒナは……!!」
『そう。女の子。…………だから私も信じられなかった。だけど今の濃尾君は発言、行動、その全てが----------』
『----------ヒナ、なの』
そんなはずがない。冗談は止めてくれ。そう言いたかった。だけども彼女の声は真剣そのもので。一笑することもできなくて。
「……それ、で?」
『ねぇ白夜。私思ったんだけど…………白夜は濃尾君と何ヵ月かは一緒にいたんだよね?気付いたんじゃないの?何か』
「そんなのッ…………!!」
気付く訳、と続けようとした。だけど言えなかった。その代わりにここ数ヶ月の思い出がじわじわと頭を蝕んでいった。
『…もう、絶対に置いてなんか、いきませんから、安心して、下さいよ』
『"ヒナ"』
俺は------------俺は、気が付いていた?
気が付いた上で、あんなことを----------あんなおぞましいことを?
(……やっぱり、こんな、自分を、許せるはずがない)
「…………今から、そっちに向かう」
俺は押し潰れそうなその一言をなんとか口にした。とめどない後悔に苛まれながら。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.65 )
- 日時: 2017/10/09 12:22
- 名前: 羅知 (ID: UTKb4FuQ)
∮
「なんだ?……馬場の奴、急に"病院行く"とか言って……頼むからお前も連絡取れないとかはよしてくれよ?」
何はともあれ濃尾がどこにいるかは分かった。馬場が"俺が一人で行く"と言っているので、そちらは任せていいだろう。そういえば店内の方をほったらかしにしてしまっていたが、大丈夫だろうか。そう思って店内にいるシーナの方へ連絡を取ると、人数が大分減ってしまったが、まだ数人は残っているらしい。向こう側も心配して随分と気を揉んでいたらしく、無事だと伝えるとほっとした声が聞こえてきた。
『……じゃあそろそろ帰るー?もう時間も遅いしー』
「そうだな。オレは会計しないといけないからシーナ先帰っててもらってていーぞ?あの人数分じゃ時間もかかるし」
『あー……ケート幹事だもんねぇ。じゃあ、お言葉に甘えさせてそうさせて貰うッ!!ケート、今度は二人で美味しいもの食べようねッ!!』
「あぁ」
シーナの明るい声に心癒されながら、オレは電話を切った。この時間だ。不審者が出て、シーナに襲いかかるかもしれない。一応シーナに防犯の為の道具は持ってもらっているが、念のためだ。オレは盗聴機の電源をオンにした。これでいつなんどきシーナに危機が迫っても対応できる。安心だ。
色んな意味でほっと胸を撫で下ろし、オレは店を戻った。
∮
「お会計××××円になります」
「…………はーい」
…………一人ぼっちで虚しく会計するのは結構寂しいものがあったので、今度からは誰かに付き添ってもらおう。オレはちゃりんちゃりんという小銭の音を聞きながらそう心に決めた。今さっきまで人が沢山いて騒がしかったせいか、寂しさをどっと感じる。ちょっと涙が出ちゃいそうだ。
店を出てドアを開けると、冷たい風がびゅおーと吹いて痛いくらいだった。さっきまではここまで寒くは感じなかったのに、一人になると寒さが余計に身に染みる。人通りの少ない街頭も少ないそんな道に入ってくるとその言い様のない"寂しさ"はもっと増してきたような気がした。そして頭の中で何故だかこんな言葉が浮かんだ。
(……人は一人では生きられない)
こんな少しの時間でも人は孤独を苦しく感じる。一生なんて耐えれる訳がない。強い人間も、弱い人間も、誰しもがお互いに影響されて、もたれ掛かって生きている。それは"弱い"なんてことではなく、きっと当たり前のことなんだ。
だから"アイツら"も。
もっとオレ達に頼ってくれればいい。一人で抱え込まなくたっていいんだ。甘えたって、何したって、オレ達はそれを弱いだなんて言わないんだから。お前達が甘えてくれないと、オレ達も甘えることが出来ないじゃないか。いつかそう言ってやれればいいと思う。
だから"気が付かなかった"。"危機"はもう"間近に迫っていること"を。
どすり。
あ、
れ、
い し
き
が
せ
な か
が
い た い
しぃ な
∮
「……あれ?ま、"間違えちゃった"のかな……あの、"ハーフの男の子"じゃない……」
フードを被った気弱そうな男--------------椋木優始は、先程自分が"刺した"少年の顔を見ておどおど、っとそう言った。まるで"教室で座る席を間違えた程度"の反応だった。
「……こっちに向かったと思ったんだけどな」
刺したナイフを勢いよく、その血の気もなくなった冷たい身体から抜いてしまうと、どくどく溢れる真っ赤な"それ"には目もくれず、男はどこかへ歩いていった。
"自分が刺した少年"が、"ぎりぎり残った意識"で"何をした"のかも、何も気が付かなかった。
ただただ男は二つのことだけを考える。
(------------あぁ、"あの子"を殺さなきゃ。二度と"あんなこと"言わないように)
そして。
(---------どうして結希は"女の子"の方を突き落としたんだろう。それに僕の話をやけに乗り気で聞いていたし…………変な結希。いつもだけどさ)
∮
「〜〜〜♪」
"仮にも見知った少女を歩道橋から突き落とした"というのに彼女--------秦野結希は、やけにご機嫌だった。退屈だった毎日に刺激が出来たことに、彼女は心底昂っていた。
(だって目当ての子をそのまま殺すより、"その子の好きな子"をどうにかした方がよっぽど楽しいじゃん。……気になってたんだよねぇ、"どう考えても両思いの二人の内一人をもう一人の目の前で殺したらどうなるか"。……長年の謎がようやく解明されてスッキリしたよ。……あんな風になるんだねぇ、"人"って。やっぱり面白いなぁ……はは)
(……まさかお相手が"菜種先生の娘さん"だなんて思わなかったけどね。どうせなら見とけば良かったかなぁ……"落ちる瞬間の表情"。あんまりよく見えなかったんだよなぁ)
(……ま。どうせ、あの程度じゃうっかり"死なない"こともありそうだし。いくら変装してるとはいえ顔見られなくて良かったとしよーかな。……生き残ったらあの子どう思うんだろうなぁ。「やった!!生きてた万歳!!」?「あのまま死んでしまえれば良かったのに…………嘘です。本当は凄く嬉しいです」とか?はは!!どっちも一緒だねぇ)
(……まぁきっと"これ"なんだろうなぁ。"あの子"なら)
(「"お母さんは今度こそ心から私を心配してくれるんじゃないか"」)
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.66 )
- 日時: 2017/10/24 21:02
- 名前: 羅知 (ID: m.v883sb)
∮
事態は9時間前に遡る。
貴氏祭が始まって何時間か過ぎ、一番盛り上がっている時間。彩ノ宮高校演劇部顧問である秦野結希は、"ちょっとした暇潰し"で一年B組のやる劇を観に来ていた。自分が"記憶の爆弾とも言うべき黒歴史"を爆発させた少年がどうなっているのか少し気になったのだ。壊れていればその程度だと思ったし、壊れていなければまだまだ壊しがいがあるだろう----そう、考えて来た。別に少年に恨みや憎しみがある訳ではない。彼女の行動原理は"面白そうだから"----ただそれだけである。彼女にとって"少年"は比喩ではなく玩具だった。まぁ最も彼女が"人を人だと思ったこと"なんて一度もなかったけれど。
そんな彼女だけれど、目の前にある光景には、これはまた酷い有り様だなぁ-------そう思った。
文化祭の喧騒から、かなり離れた使われていない倉庫----そこに彼女はいた。まだ劇までは三時間程あった。これなら余裕を持って観に行くことができるだろう。……劇を観る前に"とある用事"を済ませる為、彼女は此処に来た。中は埃臭く、昔使われていたのだろう体育用の道具などはぐちゃぐちゃで整理などされていない。倉庫の真ん中にある小さな窓からほんの少し光が差し込んではいるが、薄暗く視界良好とはいえない照明環境だ。
そして、その丁度光の差し込んでいる位置に"彼女の用事を済ませなければいけない相手"はいた。
「気分はどう--------」
そう声を掛けたけれど返事はない。まぁそうだろうなということは最初から分かっている。目の前の人間は、どう見たってまともに話せる状況じゃなかった。上半身のみ布を纏っており、下半身はあられもなく通常なら隠すべきものが見えている。ほぼ見えている血の気のない細身の身体には青痣や擦り傷、そしてずっと消えることはないのだろう----根性焼きが背中にくっきりとあった。それ"を初めて見た時、あぁまたか----そう思った。だから今回のことも同じようにそう思った。
「---------優始」
長く伸びた爪をがりがりと血が出るほどに噛み、もう片方の腕はただでさえ傷だらけの肌をかきむしっている。目は血走って、身体は時折壊れたように痙攣していた。よく聞けば、籠ったようなバイブ音が聞こえる。何かに繋がってるようには見えないので、遠隔操作するタイプなのだろう。
喘ぐような声と共に聞こえるのは誰かを恨むような呪詛だった。
「っあ……してやる。う……やる。僕の……っていを……すやつ……は……してやる」
「……あのさー、聞いてよ!!先生も驚いたんだよー??突然電話から"真面目そうな学生"さんから"……ご家族の方ですか?"なーんて言われちゃってさぁ?とうとう身内から犯罪者出しちゃったかぁ、と思って焦っちゃったぁ!!」
仮にも"血のつながった弟"のそんな姿に対して、彼女はけらけらと笑ってそう言った。
∮
「ふーん、つまり優始は邪魔されちゃったんだ。さっき電話してきた"真面目そうな学生"さんに。いいんじゃない?通報されなかっただけ」
「よくない。…全然"良くない"んだよ結希。だってあの子は"僕"を……"僕"を否定した」
しばらくして落ち着くと心底気味の悪い弟はそう答えた。その言葉はきっと"常人"には理解出来ないだろう。けれども彼女には何を言っているか分かった。仮にも彼女は彼の姉であるし、それに彼女自身が疑いようのない"異常者"だ。
「……最底辺から引き上げてくれちゃ困るんだよ。最低が僕の居場所だっていうのに」
彼にとって"救い"は"巣食い"であって"救い"ではない。誰かの差しのべてくれた手でさえも彼は敵とみなして食らいつく。彼女は知っている。こんな性格だから小さな時から社会のカースト最底辺にいた弟だけれど、弟はその状況に不満など一度も呟いたことなどないのだ。むしろ僥倖、その場所に好んでしがみついている。あえて下へ下へと堕ちていく弟。救いの手は何度も伸ばされた。それを手折ったのは他ならぬ弟自身だ。自身を最低から引き上げようとする者を何よりも許さない、それが弟という化物といった方が適切かもしれない人間だった。正直血が繋がっていなかったら一番近付きたくないタイプだ。多分他人として生まれていたなら殺していただろう。彼女でさえも理解出来ない弟。ある点に関しては彼女よりも過激な弟。
けれど忘れてはいけない。彼女はそんな彼の"姉"だということを。
「えー、じゃあ"殺しちゃう"?」
弟が弟なら、姉も姉。もはや血も涙もない、化物と言いたいくらいだけれど、正真正銘、彼と彼女には同じ遺伝子から生まれた血が通っているし、目の涙腺から分泌される体液だなんて、出すだけならいくらでも出すことが出来る。
∮
サイコパス診断、というものがある。
その中の一つを紹介しよう。付き合う男、付き合う男に酷い目に合わされてきた女がいた。そんな彼女だけれどようやく運に恵まれ優しく真面目な人間に出会うことが出来た。そうして彼女は彼からプロポーズを受けた。普通の女性なら喜び、飛び上がるような場面。しかし彼女はそれを受け入れず、彼をその場で刺し殺してしまった。何故か?答えは簡単『自分が自分じゃなくなるような気がしたから』だ。普通の人間なら理解できない思考回路。しかし異常者はそれをやってのけてしまう。彼らは『自分らしさ』というものに異常に拘る。それを崩す人間を彼らは絶対に許さない。そして彼らはその類い稀なる異常を周りにも適用してしまう。
そうして、あっという間に普通だった日常を"異常"に彩っていくのだ。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.67 )
- 日時: 2017/10/25 20:15
- 名前: 羅知 (ID: m.v883sb)
∮
気が付けば僕----濃尾日向は、またいつもの空間にいた。"此処"に来るまでの記憶は曖昧で、なおかつ頭はまるで靄がかかったようにそのことを考えることを拒否している。何があったか思い出すことを諦めて周りを見回す。いつものパターンなら、ここらでそろそろ"中学時代の僕"や"ボク"が出てくる頃合いだ。けれども、いまだこの闇の中では静寂が広がるだけ。
「誰も……いない」
そう呟く声すらも、ただ暗闇の中に反響して聞こえるのみだ。自分以外誰もいない暗闇の中では、まるで自分自身が暗闇になってしまったように錯覚させられる。なんだかぽっかりと胸に穴が空いてしまったような感じがする。これが"寂しい"という奴だろうか。それに気付いた瞬間、途端に僕は身体に力が入らなくなってしまって、その地面とも分からない空間に座り込んだ。
「なんだよ……僕、だけ、かよ……」
闇の中でただ一人で過ごすという行いは酷く途方に暮れそうだった。自分の身体がいつ目覚めるかも分からない状況で、終わりの見えない時間を、何もないこの場所で、ただ一人で過ごすのだ。それは拷問のようなものだろう、と僕は一人で悲観した。
よくよく考えてみると、この場所で一人で過ごすことは初めてじゃないはずなのに。確かにここ最近は"中学時代の僕"や"ボク"が顔を出しに来てたけれど、それはイレギュラーなことだったはずだ。なのに何故だか今はとても不安だった。あの"煩さ"に慣れ親しみすぎてしまったのだろうか。あんな奴らうざったかっただけなはずなのに。一人なんて平気だったはずなのに。
よく分からないけれど、今回はあの"喧騒"にすぐに戻れる確証がないと心のどこかで予感していた。きっとそれが僕を余計に不安な気持ちにさせているのだということも心のどこかでは本当は理解していた。
∮
「こんにちは!おにーさん!」
「?…………君は誰」
「ヒナは、ヒナだよぉ?おにーさん!」
暗闇の静寂にどれくらいいただろうか。時間の感覚も曖昧で自信を持って断言は出来ないけど、長いこと此処にいた気がする。待っている間に僕は随分と疲弊してしまっていた。その可愛らしい子供のような声の方を向くと、案の定そこには僕によく似た小さな子供がいた。僕には似ても似つかない快活な表情だけれど、きっとこれも"僕"なのだろう。
「…君はどうして、此処にいるの?」
「わからない。きがついたらここにいたの」
子供は不思議そうに首を捻ってそう答えた。本当に何も分からないようだった。子供の扱いになんて慣れていないけれど、とにかく笑顔を心掛けて僕はなるべく優しい口調で彼に言った。
「そっか……僕も一緒だよ。気が付いたら此処にいたんだ」
「……そーなの?」
きょとんとした顔でそういう"僕"。覚えはないけれど、きっと僕にもこんな時代があったのだろう。何も知らずに純粋無垢に生きていた時代が。それはどんなに幸せなことだっただろうか、と一人勝手に想像して笑った。
「ねーねー、ヒナのおはなししていーい?」
「…………うん、いいよ。どうしたの?」
僕がそう言うと、子供は嬉しそうににっこりと笑って話をし始めた。この前あった面白い出来事のこと、空が綺麗だったこと、今日は外に出て遊んだこと、小さな花が咲いていたこと--------とりとめのない話だった。きっとこれは僕自身が体験した話なのだろう。だけどもどれだけ話を聞いたところで僕の記憶に引っ掛かるものは何もなかった。最後に子供はこんな話をした。
「ヒナはね。いいこでいなきゃいけないの。いいこでまってればきっとパパとママがむかえにきてくれるから」
「…………パパとママのことが好き?」
「うん!だいすき!」
「…………君をずっと置いてってちっとも迎えにくる気配のないパパとママでも?もしかしたら迎えに来る気なんて本当はないのかもしれないよ」
「それでもすき!パパとママはうそつかない!ぜったいにむかえにきてくれるよ!」
自分の言っていることに確信を持った、真っ直ぐな言葉だった。そのことを信じて疑わない芯の通った目をしていた。この子は、きっと裏切られるその日までこのまま信じ続けているのだろう。いや、きっと裏切られても信じ続けるのかもしれない。それは幸せなんだろうか。いやこの子の顔を見る限りきっと幸せなことなんだろう。多分。
「そっか……そうなんだね。君は、幸せななんだ」
「……しあわせ?うん!しあわせ!ヒナはとーってもしあわ----」
せ、とその子が言い切る前に、その子の身体が目の前で縦に真っ二つに別れる。
「--------------え?」
「……まったくもうなぁんでコイツがまだ生きてんのかなぁッ!!!!!とっくに死んだと思ってたのにさぁ???ふざけるなよ?本当に?お前なんか生きてる価値がないのにさぁ!!!???なぁ!!!!どうして!!どうしてだよ!!!なんでお前は消えないんだよ!!!?早く消えろ早く消えろ早く消えろ早く消えろ!!!消えろよ早く!!!!」
少しずつ、少しずつぐちゃぐちゃになっていく身体。溢れる紅い肉片、さっきまで喋っていた、声が、顔が、身体が、笑顔が、少しずつ、真っ赤に染まって、なくなっていく。ぐちゃぐちゃに、ぐちゃぐちゃに、壊れて。世界は紅く染まって、目の前の"人間"だったモノは、もうただの物言わぬ肉になったっていうのに。
「---------"ボク"?」
「どうして、どうして消えてくれないんだよ……お前なんかいらないのに、どうして、どうして、どうして……!!」
げほり、と血を吐きながら、真っ赤に充血した目もそのままに血色混じりの涙を流す"ボク"。身体は返り血なのか、自身の血なのか真っ赤に染まっている。もう完全に生きてはいないソレを、ただ"消す"ことに熱心になって、周りは目に入っていない。一刺しごとに彼自身の身体からも血が噴き出している。きっとそれすらも関係ないんだろう。
今の"彼"には。
(あぁ、意識が遠退いていく------------)
一際強い血の香りが鼻から頭に抜けていって、僕は目の前の光景から意識を手放した。
∮
「……入るぞ」
濃尾日向が寝ているという病室に着くと、そこでは社と海原蒼と濃尾日向によく似た白衣を着た細身の若い男が椅子に座って待っていた。個人病室だというのに随分と広いし、設備が整っている。俺が入ってきたと分かると、すぐさま白衣の男が立ち上がり俺に駆け寄る。
「あぁ!久し振りだねぇ、神並くん!……いや、それとも今は"馬場満月"くん、って呼んだ方がいいのかな?」
「…………」
「そんなに怒らないでくれよ?"こんな形でさえ"私は君に会うことが出来て大変嬉しく思っているのだからさ?」
そのまま無視を続けるが、白衣の男にとっては俺がなんと答えようと関係なかったようで男は何もなかったようでにこにこと笑って話を続けた。
「改めて自己紹介させて貰うよ。私は濃尾彩斗、この病院の精神科医で、自分で言うのもなんだが能力だけでいえば結構優秀な方の医者だ……まぁ、精神がまったく医者に向いてないと言われるけれど」
「…………」
「そして、そこで寝ているヒナくんの叔父でもある」
ちらりといまだ座っている海原蒼と社の方を見ると、海原蒼がまるで何にも考えていないようにただただ無機質にこちらを見つめていた。この男が何か言うまでは何をする気もないのだろう。以前会った時は猫のような気まぐれさを感じさせたが、今の彼女は一転変わって飼い主に忠実な番犬のような印象を抱かさせた。
(……社)
一方社の方は、終始黙っている俺を複雑そうな顔で見ていた。嬉しいのだけれど、悲しいような、そんな色んな感情がまぜこぜになったような表情だった。社のそんな顔を見るのが苦しくなって、俺は社から目を逸らした。
そんな俺の様子を見ていたのか、いないのか濃尾彩斗は急に真面目な顔になって話し始めた。
「私の見解では、ヒナくんの"コレ"は一時的なものだと判断する。少なくとも"中学の時"や、"あの時"のようにこの状態が数年続くとは考えられない。せいぜいあと二日、三日、もしかしたら明日には元に戻っている可能性だってある。……記憶の齟齬はあるかもしれないけどね」
「……甥っ子が"こんな風"になっているっていうのに随分余裕なんだな」
「君にはそう見えるんだね。……なら良かったよ、私まで冷静さを欠いてしまったら治るものも治らなくなってしまう」
そこまで話すと濃尾彩斗はふぅ、とため息を吐いて真面目な表情を崩した。そしてまたニコニコと笑ってこう言った。
「私から君に今言えることはこれだけだよ。今の君に何を言っても困らせてしまうだけだからね。…………さて、若い者同士で積もる話もあるだろう。……海原くん、行くよ」
「はい、先生」
がらりと病室の扉が開けられ、二人は出ていき、そして閉められた。病室内には俺と社と寝ている濃尾日向だけが残され、微妙な空気が流れる。
「…………」
「………白夜。元気だった?」
最初に口を開いたのは社だった。いつもそうだった。口下手な俺に社はいつもまっさきに話し掛けにきてくれた。変わらない。ずっと、変わらない。
「……って、今日の午前中に会ったばかりだったね。私ってば……うっかり、し、て…………うぅ……」
無理矢理明るく努めていた声が少しずつ、少しずつ涙混じりになり、言葉にもならない嗚咽になる。俺は上を向くことが出来なかった。上を見れば、彼女の泣き顔が見えてしまう。そうすれば俺は、俺は。
ふと、行き場も分からず濃尾日向の寝ているベッドの上に置かれていた掌に彼女の掌の温もりが重なった。
「……ご、め…………今だけでいいから、今だけでいいから…………このままでいさせて----------」
(--------あぁ。"また"俺は彼女にこんな顔をさせてしまうのか)
俺がもっと強ければ、もっと優秀であれば、もっと、もっと、もっと…………考えれば考える程にそんな後悔ばかりが集まっていく。
(あぁ…………)
どこから間違っていたのだろうか。オレの人生は。畏れ多くも彼女に恋心を抱いてしまったあの時だろうか。それとも彼女と出会ったあの時から?いやもしかしたらオレが生まれたこと自体何かの間違いだったのかもしれない。"オレ"がいなければ、誰も狂わなかった。兄さんも、セツナさんも、あんな風にならずに、済んだ。
あぁそれでも問わずにはいられない。
(ねぇ、オレはどうすれば彼女のこの手を握り返すことが出来たんでしょうか…………?)
オレは、失敗だらけの、この人生を、振り返ってみた。
*********************************
【文化祭後日譚】→【後の祭り】
どれだけ後悔したところで、終わったものはもう戻らない。取り返すことは出来ない。だけども未来は変えられるはずだ。それをしないのは君の意思。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.68 )
- 日時: 2018/08/31 12:08
- 名前: 羅知 (ID: WSDTsxV5)
第二馬【Dark Horse】
昔々あるところにとても仲の良い双子の兄弟がいました。兄の方は、とても優秀で何をやっても器用にこなしました。父親も母親も彼を誉めました。彼はまさに"天才"というべき人間でした。そして弟は兄のそんな姿を少し離れたところで見つめていました。弟は兄のことを尊敬しています。けれども近くで見ていたら自分が燃え尽きてしまいそうな--------そんな気がしたのです。
弟は決して出来損ないではありません。しかし弟が十の努力して達成することを一の力も使わずに達成する兄。彼らの差は歴然でした。弟はそれを分かっていました。だから、誰に誉められても、誰に貶されても、「オレが"出来損ない"だから、この人はオレに同情しているんだ」「オレが"出来損ない"だから、何を言われても仕方ないんだ」全て"それ"で済ませてきました。低い自意識は彼の精神を段々と蝕んでいきました。
彼は"出来損ない"ではありません。
ただ、どうしようもなく"弱かった"のです。
彼は焦がれていました。同じ顔をした天才的な兄に。
∮
弟のそんな感情も、葛藤も、全て兄は知っていました。知った上で彼は弟のその全てを愛していました。何でも出来る兄は、何でも出来る故に"出来ない"ことを知りませんでした。"出来ないこと"が分からない彼は、出来ない人の気持ちが分かりませんでした。人の気持ちが分からないことに彼は苦悩していました。どんな言葉を発しても、どんなことを人に対してやっても、全て上っ面なだけな気がしました。"人の気持ちを理解すること"は"出来ます"。だけどもそれは違うのだと彼は分かっていました。"理解する"ことは決して"思いやる"ことではないんだということに。
その点、彼の弟は、彼の模範でした。同じ顔をした弟が悩んだり、苦しんだりするとき、彼もまた悩んだり、苦しんだりしてるような気がしました。それは自分ではない自分を見てるようでした。弟がいれば、自分は"自分"になれるような気がしました。その思いが歪んでいるということにさえ、彼は気が付いていました。
彼は"狂って"なんかいません。
ただ、天才的に"強すぎた"だけなのです。
彼は"恋"焦がれていました。同じ顔をした自分とは違う弟に。
∮
彼らの思いはそっくりで、それでいて反対に向かっていました。その思いは決して交わらないはすでした。けれども運命の神様は残酷だったのです。
∮
「ねぇ、あなたのなまえは?」
「…………ゆ、ゆき」
「そ!!あなたユキっていうんだね!!よろしくね、ユキ"ちゃん"」
確か、最初はそんな感じだった。
オレこと神並白夜は彼女こと愛鹿社に初めまともに名前を告げることすら出来なかった。四歳の時に急に隣に越してきたたんぽぽみたいな笑顔の可愛い女の子。だけと口がまわらないのも仕方ない。恥ずかしながら父さんと母さんと兄さんとしか話してなかった当時のオレにとって、彼女はあまりに刺激が強すぎた。
「……えと、ユキ、"ちゃん"、っていうのは、なんなの……?えっと……」
「わたしはめぐかやしろだよ。ね?よんでみて」
「や、やしろちゃ…………?」
「うん!やしろだよ。ユキちゃん!!」
彼女のペースに乗せられて、ただ言葉をこぼしているだけ。名前を訂正することすら出来やしない。あとから知ったことだけれど、彼女はこのときオレのことを女の子だと思っていたらしい。彼女より身体も小さく、兄との差別化の為に長ったらしく伸ばされた髪。確かにこれで男の子だと分かるほうが凄いだろう。当時は声変わりもしてなくて、性格も大人しかったオレのことを両親はそこらの女の子よりも女の子だとよく笑っていた。だけどもオレにとって、それは決して笑いごとじゃなかった。
『おとこおんな』『みずきくんのきんぎょのふん』『おなじかおのくせにつまらないやつ』…………保育園に行くと意地悪そうにオレにそう言ってくる連中。覚えてるだけでも、これだけのことを言われた。顔は覚えてない。ずっと下を向いて黙っていたからだ。何も言えず唇を噛みしめて。
(どうして、オレは……)
男としてのプライドがなかったわけではなかった。そういう風に言われることが嫌じゃない訳がなかった。だけどもそれを言い返すことが出来るほどオレは強くない。黙って耐えることだけがオレの最大の抵抗だった。そんな自分が不甲斐なくて不甲斐なくて涙が出そうになることもあったけれど、泣いたらそれこそ女の子のようだから。そう自分に言い聞かせて我慢した。
∮
ある日のことだった。
いつものように悪口を言われて、耐えていたときのことだ。耳に嫌でも聞こえてくる雑音。いつものことだ。そう思って耐え続ける。耐え続ける…………音が、聞こえない。代わりにどさりという誰かが倒れたような音が聞こえる。驚いて顔を上げるとそこには股関節を押さえて悶えている苛めっ子と、こちらに背を向けて立っている彼女がいた。
「……やしろちゃ 」
「ゆきや。きにすることないからね。こんなめめしいやつらゆきやよりもよっぽどかおとこらしくないよ。つぶされてとうぜんなんだから」
「………」
「……ねぇどうしていってくれなかったの?わたしは、ゆきやの、おともだちでしょ?ちが……うのぉ……?……ひっく……」
振り返った彼女は泣いていた。可愛い顔をぐちゃぐちゃにして泣いていた。なんで彼女がオレのためにこんなに泣いてくれるのか分からなかった。けれどもオレが彼女を泣かせてしまった、その事実と後悔の念は痛い程にオレの胸に突き刺さった。
「あ、あ…………」
オレは何も言うことが出来ずに、その場から逃げた。悪口を言われてるときよりも、笑われているときよりも、女の子のようだと言われたときよりも、何よりも、何よりも。
今の自分の姿を一番不甲斐なく感じた。
「うっ……うう……」
せめて彼女にあんな顔させないくらいには、強く、男らしくなりたいと。いや、"なる"のだと。これを最後の涙と決めて、まだ薄暗くてちっとも辿り着くことの出来なさそうな未来へとオレは最初の一歩を踏み込んだ。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.69 )
- 日時: 2017/11/12 20:04
- 名前: 羅知 (ID: m.v883sb)
∮
「……パパのかいしゃがとうさんした?」
帰って来たと思ったら青ざめた(顔でそう言った母の言葉におれ--------中嶋観鈴は開いた口が塞がらなかった。おれの父は、自分で言うのもなんだが結構大きな会社の社長だった。生まれてから苦労したことなど一つもなく、これからもきっとないだろうと思っていたその時、その一言は告げられた。父さんの会社が倒産した、なんてシャレにもならない経験を齢五歳で体験したのだ。その場で倒れなかっただけ誉めてほしい。何故倒産してしまったのかなんて細かいことは、まだ幼いおれに理解することは出来なかったが、一応は赤ん坊の頃から子役として芸能活動をしていた身だ。倒産の意味は勿論のこと、それによっておれにこれから降りかかってくるだろう災難を想像することは簡単なことだった。
小さな頭を全力で使い、おれはこれからの身の振り方を考える。
(……かりんは、もう、しごとを続けられない……じゃあ、かりんは、かりんは……)
父の会社はどうやら莫大な借金を背負って倒産したらしい。子役とはいっても、まだ全然人気でもなんでもないおれの稼げる給料なんて、たかが知れている。状況から見て、おれが芸能活動をこのまま続けることは不可能に等しかった。
親に無理やり始めさせられた芸能活動だったが、それでも最近は少しだけ、ほんの少しだけやりがいを感じていた。楽しいと思えることが増えてきていた。当たり前になりかけていた"ソレ"がなくなってしまう。その事実はおれの胸に大きな穴をぽっかりと開けさせた。
その夜、おれは一人ベッドの中で声を押し殺して泣いた。きっと明日の朝、顔が腫れて大変なことになってしまうだろう。顔は子役にとって大切な商売道具だ。……でももう別にいい。どうせ止めてしまう職業なのだから。
∮
「観鈴、今日はちょっと気分転換にお出掛けしましょうか」
父の会社の倒産を告げられてから数日が経ったある日、母は急にそう言った。家にあった家具は着々と売り払われていき、元から広かった部屋はもっと広くなった。このままではきっとおれの住んでるこの家も売り払われてしまうだろう。事態は何も好転していない、むしろ悪化していく一方だった。
だというのに断固としておれをその"お出掛け"とやらに連れてこうとする母。あの日から母はストレスで随分やつれてしまった。いつも化粧をしていて綺麗だった母が、あの日から別人のようになってしまった。化粧もせずに毎日毎日ぼぉっと窓の外を見るばかり。そんな母の姿を見ることは、娘のおれにとっても結構な精神的ダメージだった。そんな母が今日は以前のように綺麗に化粧をして、まだ売り払われていなかった服で着飾って、おれに出掛けようと言っている。
(…………)
それで母の気が少しでも晴れるのなら、そう思っておれは母の"お出掛け"についていくことを決めた。
もし、もしもおれが母の"お出掛け"についていってなかったら、"彼女"に出会うことはなかっただろう。
きっとおれはそのままろくでもない人生を送ることになっていただろうし、こうして芸能活動を続けてアイドルをやることなんて出来なかったはずだ。
母の気分転換にと向かったその場所で、おれは転機を向かえることになったのだ。
∮
母が連れてきた場所はどこかの劇場だった。こんな所に行ける余裕は今の我が家にはないはずだ。そう思って慌てて母にその旨を伝えると母はくすりと笑って、こう答えた。
「大丈夫。今日ここで劇をしてくれる劇団の団長さんはママの古いお友達だから」
「……つまり?」
「今日ママはその人に"ぜひ見に来てください"ってお呼ばれしたの。だからお金のことは心配しなくていいのよ」
それを聞いて安心する。程なくして劇が始まった。劇が演られている間、おれは時間を忘れて劇に見入っていた。目の前で声が響き、物語が進む。ドラマなんかよりもリアルに全てがおれの中に流れ込んでくる。束の間の休息をおれは十二分に楽しんだ。
「よく来たね、小百合。私達の劇は楽しんでくれたかな?」
「えぇ勿論。とても素晴らしい劇だったわ……」
劇が終わると、おれと母は舞台裏へ向かった。舞台裏では母の友人だという女性がにこやかに出迎えてくれた。凛とした雰囲気を持った美しい女性だった。古い友人だといっていたけれど、時間を感じさせないくらいに仲睦まじい様子で母とその人は喋っていた。彼女と話している母はとても楽しそうだった。母の邪魔をしてはいけない、そう思ったおれはその場を離れた。
∮
だからといって好き勝手動き回る訳にもいかないので、おれは案内された控え室で待っていることになった。置かれたお菓子をぱりぱりと食べていたけれど、どれも味が濃くて、おれ好みじゃなくすぐに飽きてしまった。
(ひま、だなぁ……)
「あなたひまそうだね!!」
「!?」
「ね、ひまならわたしといっしょにあそぼ?」
突然真横から聞こえる元気な声に、驚いて声も出せずにおれはびくりと震えた。声の持ち主はおれと同年代くらいの可愛い女の子だった。よく見るとその子は今日見た劇で子役として出ていた子だった。確か名前は……
「やしろだよ!!」
「…………え?」
「だからわたしのなまえ!!ねぇ、あなたのなまえもおしえてよ!!」
……本当に元気な子だ。その勢いにこちらが飲み込まれてしまいそうになる。にこにこと笑っているその子を見てるとなんだかこちらまで楽しい気分になりそうだった。
友達になれたらいいな、そう思っておれはゆっくりと彼女に名前を告げた。
「かりん。なかじまかりんだよ」
それが、おれと社の出会いだった。
∮
「……へぇ!!じゃあかりんは子役をやってるんだね!ドラマとかにもでるんでしょ?すごーい!!」
「すごくないよ。かりんのやくは友人Aとかのちょいやくだもん。やしろのほうがげきにもあんなめだつやくで、あんなどうどうとやってて、すごいよ」
同年代だったからか、おれと社はすぐに仲良くなった。出会って数分経つ頃には、まるで昔からの友達のようにお互いの名前を呼んで笑い合った。遊びだけじゃなく、一緒に歌ったり、踊ったり……とても楽しい時間を過ごした。さっきまであまり美味しくないと思ったいたあのお菓子も社と食べると美味しく感じた。
「…………それに、かりんはもう、子役やめちゃうから」
「ど、どうして!?だってかりん子役たのしいんでしょ?どうしてやめちゃうの?」
「…………かりんのパパのね。会社がたいへんなんだって。だからもうかりんが子役をつづけれるよゆうがかりんのおうちにはないの」
「そうなんだ…………」
おれのその言葉を聞いて、社は瞬く間に萎れてしまった。よっぽどショックだったようだ。その様子を見て、おれは急いで話を変えた。彼女の悲しそうな顔なんて見たくなかった。
「い、いいんだよ。もともとかりんにこやくなんかむいてなかったんだからさ!……それよりさ!もっとやしろのはなしきかせてよ!この劇団ってやしろのほかにやしろとおなじくらいの子役はいないの?」
焦っておれがそう言うと社は悲しそうなだった顔をぱぁっと輝かせて話し始めた。社がまた笑ってくれたので、おれは喜んでその話を聞いた。
「えっとね!えっとね!こんかいの劇にはでてないんだけど……ゆきや、っていうこがいるの!わたしがこの劇団にはいってるっていったらにねんまえにはいってきてくれたんだ!それからずーっといっしょ!わたしのいちばんのなかよしのおともだち!」
「…………おとこの、こ?」
「?……そうだけど、どうかした?」
「……………………ううん、なんでもない」
何故だか胸がずきりと痛んだが、理由は分からなかった。ただ漠然とその"ゆきや"という"おとこのこ"に対して負けたくないという対抗心が生まれた。
おれがその胸の痛みの意味を知るのはこれよりもう少しあとのことである。
しばらく経って、母が迎えにきた。彼女は寂しそうにしていたが、最後に笑顔でおれにこう言った。
「えっと、ね……わたし、かりんはアイドルが似合うと思うなぁ……」
「アイ、ドル?」
「子役のかりんもとってもステキだとおもうけど、かりんうたがとってもじょうずだし、とってもかわいいから」
「…………」
「……なんてね!!かりん、またあおうね!!」
出会った時と同じように彼女は元気にそう別れの言葉を言った。
まさか、その数日後にまた会うことになるなんて思いもしなかった。
∮
「こんにちは、中嶋観鈴ちゃん。先日はうちの劇を見に来てくれてありがとう。娘とも遊んでくれたみたいでとっても嬉しいよ」
「……は、はい」
「いやぁ、小百合の娘だけあって本当にべっぴんさんだねぇ!まぁうちの娘の方が可愛いんだけど!こういうのが親バカっていうのかな?」
数日後おれは、またあの劇場の舞台裏の控え室に呼び出された。呼び出された先には母の友達だとかいうあの綺麗な女性が待っていた。父と母は事前に話を聞いていたらしく、部屋の外で待っており、おれ一人で入ることになった。入る時、母も父もやけにニコニコと機嫌がよくて気持ち悪かった。
「実は社はうちの娘なんだ」
「は、はい…………って、えぇ!?」
「やっぱり気が付いてなかったんだねぇ。我ながら私とよく似た娘だと思うんだが」
言われてみれば確かに似ている。凛とした顔立ちや、話の勢いが凄いところとか。特に後者が。
それにしても驚いた。まさか団長さんの娘だったなんて。確かにやけに演技が上手いと思ったけれど。
「それでね。観鈴ちゃん、ここで君に提案なんだけど」
「…………な、なんですか?」
「君、私の事務所で子役として働かない?」
(…………)
「ええええええええぇぇぇぇぇぇ!!!??」
父の会社が倒産したということ聞いた以上の衝撃がおれに走った。どうして、どうして、そういうことになるわだろう。理解、できない。五歳の、陳腐な脳ミソでは、到底。
「……いやぁ小百合も言ってくれれば喜んで手伝ってあげたのにねぇ」
「……え、えっと、どういうことですか」
「ん?分からなかったかい?つまり私の芸能事務所の子役として働かないかい?ということだよ。前より良い仕事を斡旋できる自信はあるし、給料も前いた事務所の倍は渡すつもりだ」
「…………そ、そういうことではなく、どうして、そんなはなしに」
おれが聞くと彼女はそういうことかい?と納得したように頷いて、おれに説明した。
「まずね。あの日社の話を聞いて私は君の家が大変なことになってると知った。私はなんとしてでも協力したいと思ったよ。なにせ旧友の為だ。……だけど、小百合に連絡すると、そんな一方的に援助してもらうのは嫌だといってね」
「…………」
「私は考えた。そしたら聞くところ君は子役を続けたいと考えているらしいじゃないか。……だから私は彼女にこう言ったんだ。"じゃあ私の会社に君の娘に働いて貰う代わりっていうのはどうかな?"ってね」
「かりんが、はたらく、かわりに……」
「小百合は迷っていたが、娘がOKを出したなら、という条件で了承した。勿論君が嫌なら全然働かなくてもいいんだ。方法は一つじゃない、結局は何らかの方法で君のお家を助けるつもりで私はいる」
「…………」
「……どうかな?」
「やらせてください」
考える必要はなかった。おれにとってその提案は願ったり叶ったりだった。子役を続けていられる。両親の手助けが出来る。それに……事務所の社長が社の母さんなら、社に会える回数も自然に増える。
「……決まりだね」
おれの言葉ににやりと笑って、社のお母さんは……いや、社長はそう言った。そして最後にこんなことをおれに聞いた。だけどもそれはおれにとって考える必要のない質問だった。
「……さて、最後に。事務所の社長として君に今後の方針を聞かせて貰おうかな。簡単に言えば"将来の夢"だ。君はどのような方面に進みたいと思ってる?」
おれは笑顔で答えた。
「アイドルに、なりたいとおもっています」
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.70 )
- 日時: 2017/12/03 16:13
- 名前: 羅知 (ID: tJb4UNLc)
∮
「ねぇねぇゆきや、あしたはえんそくだって!!たのしみだねぇ!!」
「……で、でもやまのぼりなんだよね?おれのぼれないかも……」
明日は遠足。どうやら近くの山へ山登りに行くらしい。彼女は絶対に頂上へ登ると息巻いていたが、オレは不安だった。
彼女を泣かせてしまったあの日から二年が経った。社が劇団に入ってることを知ったオレは一年前劇団に入団した。社ともっと仲良くなりたいという理由もあったけれど、一番大きな理由はオレ自身が劇で繰り広げられる演技に魅了されたからだ。一度ステージに上がれば、一瞬で役者は別人に変わる。舞台裏では大人しそうそうだった人が舞台の上では堂々とした演技で多くの人々を虜にする。初めて社に誘われて、その劇を見た瞬間から心は決まっていた。オレもこんな風になりたい、そう思った。
父と母に許可を貰って、オレはすぐさま劇団に入団した。兄の満月も誘ったけれど、俺は遠慮しとくよ、と言って兄はオレの誘いを断った。オレよりも優秀で華やかな兄ならきっと素晴らしい演技を見せてくれると思っていたので断られた時少しがっかりしたが、それでもオレの決意は変わらず一人で入団した。兄はそんなオレを見て、寂しげな様子だった。
劇団には社の双子のお姉さんも所属していた。社と顔はそっくりだったけれど、同い年なはずなのに彼女は随分大人っぽくてオレは緊張してしまった。そんなオレにも社のお姉さんはにこやかに話しかけてくれた。品のある年に似合わない妖艶な笑顔だった。
「こんにちは、ワタシはセツナ。あなたはお隣さんの白夜くんね。みずきとちがって、こいぬみたいでとってもかわいい……」
「……え、あ、あにをしってるんですか!?」
「えぇ、知ってるわ。あなたが社と仲良くしてる間、ワタシはあなたのお兄さんと仲良くしてたんだもの。ワタシと満月はとっても"なかよし"。あなたと社みたいにね」
後から話を聞くと、セツナさんは兄と同じ私立の幼稚園に通っていたらしい。優秀な兄はその才能をより伸ばすべくオレの通っている普通の保育園ではなく私立の幼稚園に通っていた。父と母は本当はオレもその幼稚園に入れたかったらしいが、不出来なオレはその入園試験に落ちてしまった。つくづく自分のふがいなさに泣きたくなる。しかし社は何故その私立の幼稚園に入らなかったのだろう?社はオレと違い頭の回転が早く優秀だ。社の実力なら、きっと私立幼稚園に入園できたはずだ。オレがそう聞くと、社はあっけらかんとこう答えた。
「だって、そこにはゆきやがいないもん!」
真っ直ぐな目でそう言われて、オレは思わず照れてしまった。他意はないと分かっていても面と向かってそう言われるとかなり恥ずかしい。オレはしばらく社の顔を直視することが出来なかった。
「………………それに、セツナとおなじようちえんにはいきたくなかったから」
ぼそりと社が何か言ったようだが、オレにはなんといったかまでは聞き取れなかった。しかしなんだか表情が暗い。どうしたの…?と聞くと、社は慌てたようにまた笑顔に戻ってなんでもないと答えた。まだ何か隠してるように思えたが、答えたくないのなら無理に聞かなくてもいいだろう。そう思ったオレはその話をそこで終了した。
だけどこうして姉妹二人で揃っている姿を見て、オレは今更あの時社が言った言葉の意味に気が付いた。
(…………)
あの明るくて元気で優しい、そしていつも笑顔な社がすごく不機嫌そうに顔を歪ませて黙っている。オレがセツナさんと言葉を一言交わす度に、その機嫌の悪さは段々と増していっているように見える。これは、もしかしてだけど。
(やしろはセツナさんのことがきらいなのかな……)
そして話しているセツナさんの表情を見る限り、どうやらそのことにセツナさんは気付いてるようだった。気付いた上で、セツナさんはいっそう楽しそうに、美しく、笑う。
(…………)
この時の経験が怖かったので、オレは社のいる場所ではセツナさんと喋ることは最低限になるようになった。
それと同時にこんな頭の良さそうな人と対等に話せる兄はやっぱり凄いのだと兄の偉大さを再確認した。
∮
遠足当日。山まではバスで行くらしい。バスでゆらゆらと揺らされながらオレはやっぱり不安だった。色んな不安が一つ、また一つと浮かんで息が詰まってしまいそうだった。
そんなオレを見て、社が怪訝な顔で聞く。
「?……ねぇ、ゆきやきいてる?」
「う、うん。もちろんきいてるよ……」
怖かった。今日の山登りがオレはとても怖かった。
劇団に入って、二年が経ったけれどオレは全く変われた感じがしない。社はこの二年の間で何度も公演に出た。オレはその間、舞台裏のスタッフの仕事ばかり。勿論スタッフの仕事だって良い劇を作り出す為の大事な仕事だ。そのことは理解している。だけど、だけど。
(……あぁ)
同じ練習をしているのに。同じくらい演劇が大好きなのに。オレと彼女の立っている位置はこんなにも違う。才能の違いを再認識させられる。きっと出来損ないのオレは人と同じ努力じゃダメなのだ。人の十倍。百倍。千倍は努力しなきゃ。
(でもそれでもダメだったら?)
もっと、もっと、もっともっともっともっともっと。……どれだけ頑張ればいいのだろう。どれだけ頑張ればオレは彼女に、兄さんに追い付けるのだろうか。頑張っても追い付けなかったらどうしよう。そんな不安ばかりが頭をもたげる。こんなことばかり考えているから、オレは駄目なのだ。あぁ自分が嫌いだ。こんなオレじゃいつか社から嫌われてしまう。もう嫌いだ、なんて言われて見捨てられてしまったらオレの心はきっとバラバラになってしまうだろう。怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
そんな不安が顔に出てたのか、声に出てたのか。ふと心地よい暖かさが身体を包む。社がオレを抱き締めていた。まるで母が幼子を慈しむかのような優しさで、社はオレを抱き締めながら小さな声で呟く。
「だいじょうぶ。ぜったいにだいじょうぶ。ずっといっしょにいるよ…… 」
オレが驚いて社の方を見ると、社はいつも通りの元気な笑顔でオレの顔を見て、笑った。
「--------だから、だいじょーぶだよ!!やまのぼり!!わたしおいてかないから!!」
(……そっちのことか)
考えていたことが深刻だっただけに、社のその何も考えていないような発言に拍子抜けして、オレはなんだか自分の悩みがどうでもよくなってしまって社と同じように笑った。
∮
「や、やしろちゃ……まって、はやいよ……」
「……えー?けっこうゆっくりあるいてるんだけどなぁ……」
目的地に着くとオレ達以外の子供達まるでお菓子にたかる蟻ん子のようにわらわらとバスから降りた。四方八方に散っていく子供達を捕まえるのに先生方は苦労しているようだった。その様子を見ていたオレと社は事態が落ち着いてから、ゆっくりとバスから降りた。先生からは「あなた達は手が掛からなくていいわぁ」と誉められた。待っていただけで誉められたので、オレは嬉しかった。オレが嬉しそうなのを見て、社も楽しそうにに笑っていた。それを見て、オレはもっと嬉しくなった。
「は、はやいよ……やしろちゃん……」
山に着くと社は驚くほど身軽な様子でどんどん山の上へと上っていった。それこそ先生の制止の声が入るほどに。一方の社は気分が高揚して声が聞こえなくなってるのか、先生の声を振り切ってずんずんと上へ登っていく。唯一オレの声は聞こえてるらしく、返事はしてくれるが足を止める気はないらしい。
(おいてかない、っていったのはだれだよもう…………)
どんどん先に進んでしまう社を止める為にオレも随分上の方まで進んでしまった。自分の行った道を見返してみると先生達がとても小さくみえてオレは驚いた。どうやらオレ達のスピードに追い付ける人はいなかったらしい。子供の無尽蔵の体力のおかげもあると思うが、劇団で過ごしてきた二年間でオレは随分鍛えられていたらしかった。思いがけず自分の成長を実感して喜んだのも束の間。
(は………いまはそんなばあいじゃなかったんだった!)
自分の置かれていた現状を思い出す。
そうだ。オレは早く彼女に追い付いて彼女を止めなければならない。そう思って前を確認すると彼女は五メートル程先のところで立ち止まって何かを見つめていた。
「やしろちゃん…………?」
「あ!ゆきやもおいついたんだね!ね、わたしとってもいいものみつけちゃった!ゆきやもいっしょにみようよ!」
そう言って社は一点に向かって指を指す。そこには一面に広がる大パノラマ-------------もといオレ達の住んでる町があった。どれもこれもがまるで玩具のように小さくちっぽけに見える。すごい、そう思わず口を溢したオレを見て社は何故か自慢気ににししと笑った。なんでやしろちゃんがいばってるの、と彼女に聞くと
「だってゆきやしたとかうえばっかりきにしててぜーんぜんまわりみてないんだもん!わたしがいわなかったらこのけしきゆきやみてなかったでしょ?だからわたしのおかげ!」
とのことだった。彼女のそんな言葉に納得してしまっている自分がいた。こんなにも世界は広く美しいのに、オレは自分の手元しか見れていなかったのだ。考えることは他人と自分を比べるばかり。彼女の言う通り、オレは焦りすぎていて、こうして景色を見ることすら出来ていなかった。
下を見下ろしながら、思う。
オレはこの広い世界のちっぽけな一つで、他人と比べることに大した意味はない。ならば、ならば"意味のあること"とはなんなのだろう。考える。考えて、考えて------------ふと、横ににこにこしながら立っている彼女を見た。彼女の笑顔が、姿が、全てが、きらきらと輝いて見える。
……あぁ、そうか、そうだったのか。大切なものは、オレにとって何よりも意味を与えてくれる人はここにいたじゃないか。それに気付いた瞬間、オレは隣にいる彼女のことをとてつもなく愛しく感じた。
"彼女の笑顔を守れるような男になること"----それがオレの"意味"。オレの、生きる、意味。強くなりたいと、そう自覚して、一層強くそう願ったのは確かにそれが始まりだった。
∮
「あ!もっとうえまでのぼったら、きれいなのもっとたくさんみれるのかな?」
「え?」
「じゃあ、ゆきやわたしもっとうえまでのぼるからおいついてきてね!いくよー!!」
そう言い終わるや否や社はまた猛スピードで上へと走っていってしまった。オレとしてはまだここら辺でゆっくり休んでいたいところなのだが、彼女の体力は無尽蔵らしくまだまだ元気そうだ。ここまで追いかけてきたんだ、嫌が応でも着いていってやる。そう思って重たい足を一歩、また一歩と踏み出す。オレがゆっくりと一歩ずつ踏み締めて歩いてる間にも彼女はすたすたと前へ進んでいく。このままじゃ置いてかれてしまう。無理矢理歩くスピードを早くするけれど、まだまだオレと彼女の間は大きい。彼女の表情はまだ余裕そうだった。悔しい。彼女に全然追い付くことすら出来ない不甲斐ない自分に舌打ちする。そんな自分に対する怒りをエネルギーにもっと、より早く、より前に、進もうと走る。足の痛みは関係なかった。もう意地だけでオレは前に進んだ。
その甲斐があったのか、彼女とオレの間は随分小さくなり----------一メートル程になった。
(あぁ、やっと追い付けるんだ-------------)
そう思って、彼女の背中に手を伸ばそうとした瞬間。彼女の身体がぐらりと下へと消えた。宙へ浮き、暗い木々の生い茂る暗闇に消えていく彼女。何が起こったのかも分からないまま、落ちていく彼女の目は確かにオレを見つめていた。
考える暇はなかった。それに、考える必要もなかった。
地を深く踏み締めて高く飛ぶ--------彼女の落ちていく方向へ。そして手を伸ばし、オレはぐっと彼女の身体を引き寄せて抱き締める。服で隠れていなかった肌の部分に鋭い枝が傷を付け、オレに鈍い痛みを与えていく。これでいい。傷付くのはオレでいい。彼女の身体に傷が付かないように、彼女を包み込むようにしてより強く抱き締める。
共に落ちていく中、彼女の胸の音とオレの胸の音がばくばくと重なりあって聞こえた。
∮
「……ん」
「ゆ、ゆきやおきた!?よかった!いきてた!しんじゃってたらどうしようかとおもったよぉ……うわぁん!!!!」
落ちた衝撃でオレは気を失っていたらしい。目を開けると目の前に涙や鼻水で顔がぐちゃぐちゃになっている彼女がごめんねごめんねと叫びながら泣いていた。社ちゃんのせいじゃないよそう言って、泣いてる彼女を慰めよう思い頭に手を伸ばす。頭を撫でてあげようと思ったのだ。しかし動こうとすると途端に身体に激痛が走った。
「……っ!」
「い、いたい?いたいよね?だってゆきやのからだきずだらけだもん!……ぜんぶぜんぶわたしのせい……わたしがじぶんかってにうごいて、しかもあしをふみはずしちゃったから……!」
「だ、だいじょう、ぶだよ……やしろちゃん……」
本当は大丈夫じゃなかった。動こうとするだけで身体の内側から鋭い痛みが襲ってくる。多分骨が折れてるんだろう。あとこれは落ちていく時に出来た傷なのだろうか。ほとんどが掠り傷なのだけれど、幾つか深く切れている傷があって、そこから血がだらだらと流れている。最早そこは痛みが麻痺してしまって熱く感じるだけでむしろ擦り傷の方が痛く感じるくらいなのだけれど身体の中から血が抜けていったせいで、気を抜くと意識が飛びそうだった。
全身が、身体の内側が、外側が、泣きそうなくらい痛い。オレはこのまま死んでしまうのかもしれない。そう考えると不安で不安でたまらなかった。だけどオレがそれを出してしまうと、きっと彼女はまた泣いてしまうだろう。だから泣かない。不安も出さない。いつもの彼女のように--------笑い慣れていなくて変な顔になってしまったけれど--------不器用に笑う。
「とびこん、だのはオレのいしだよ……やしろちゃん。……オレが、やしろちゃんを、まもりたくて、かってにとびこ、んだんだ……よわいくせに、かっこつけてね」
「ちがうよ!ゆきやはわたしをまもって……わたしをまもったからそんなおおけがに……!」
「……そんな、かおしないで、やしろちゃん。やしろちゃんがかなしいと、オレもかなしいよ……どんどん、さきに、すすんでくれる、やしろちゃんがいるから……オレも、まえにすすめるんだ……やしろちゃんが、いないと、オレはうごくことも、できなかった、から……」
そう声を掛けても、彼女はもう返事も出来ずにただ泣き続けていることしか出来なくなっていた。駄目だな、オレは。大切な女の子一人、笑わせることすらできやしない。あまりの不甲斐なさに笑いたくなったが、とうとう口すらまともに動かすだけの力もなくなってきた。眠い。とても眠い。瞼が重く感じる。オレが目を閉じたのを見たせいなのだろう、彼女はもっと大きな声で泣き始めた。ごめんね、ごめんねという懺悔が泣き声と共にこの暗くて広い森の中に響き渡る。
薄れゆく意識の中で、オレ達を探す大人達の声が微かに聞こえた。
∮
白い病室で楽しげな子供の声が聞こえる。 ベッドの上でにこにこと笑う子供はまだ幼く穢れを感じさせない。まるでこの白い部屋のように。真っ白な綺麗な魂を持つその子はまるで天使のようだった。子供の座るベッドの傍らで、白髪の十幾ばくかの少年は無表情で立っていた。少年の目はまるでこの世の闇を全て見てきたかのように暗く、悲壮感に満ち満ちていた。少年は己を穢れたものだと思っていた。だから幸せでなくとも、喜びを感じなくとも仕方のないことなのだと考えていた。
この子供に会うまでは。
「しらぼしにぃ、あそぼーよ!はやく!」
『そうだね。なにしてあそぶ?』
口に付けた黒いマスクを外さないまま少年は、子供の言葉に答えた。正しくは答えてはいない。彼は口を開いてなどいないのだから。子供用の落書き帳に素早く子供が分かるように平仮名で文字を書き、彼はその子供と意志疎通を図っていた。子供に対する時だけではない。彼はいついかなる時も自分の口で話すことはしなかった。話すことが出来ない訳ではなかったけれど、自分が話すことで相手が穢れてしまったら-----------そう思うと話すことは出来なかった。
さぁ遊ぼうとしたその時、がらりと扉が開く。入ってきたのは、黒い髪に黒い目を持った自分より幾つか年上の色んな意味での"先輩"-------黒曜だった。自分と同類の筈なのに、今までの苦労や過去の重みを感じさせないその態度に少年は尊敬の念を覚えていた。そしてほんの少しの嫉妬も。
「…お。ヒナ、白星くんに遊んで貰ってるの?羨ましいね。僕も白星くんと遊びたいなぁ、入れて貰ってもいい?」
「いーよ!こくよーさん!……しらぼしにぃもいーよね?」
『……ぼくは、べつに』
少年のそっけない態度に黒曜は苦笑していたが、いつも通りのことなのでそのまま遊びを続行した。どうせこの変にお人好しの先輩のことだろうから、きっと自分が"ヒナ"と遊んでいると聞いてわざわざやって来たのだろう。よく一人でいる自分の為に。
(本当は何も思ってないくせに)
(本当はあの"女の子"のことしか大切じゃないくせに。僕たちと仲良くしてるのだって全てはあの"女の子"の為なんでしょう。嘘つき)
少年は黒曜のことを尊敬はしている。しかし尊敬しているだけだ。好きなんかじゃない。この男は凄い嘘つきだ。心の中ではいつだってあの黄花とかいう女の子のことを考えている癖に、それでいて僕たちのことを心配している素振りをしている。複雑な心情を持った人間は苦手だ。色んな感情が頭の中にぐるぐると入り込んで、暴れまわって収拾がつかなくなる。
(それに比べて、ヒナの心の純粋で"真っ白"なこと)
この子供の心はいつだって希望と光で満ちている。闇なんかはね除けるくらい光っていて真っ白だ。少年はこの子供が大好きだった。この子供と一緒にいれば、自分も浄化されるような気がした。
「……?どうしたのしらぼしにぃ」
『なんでもないよ』
この子供が自分のことだけを"にぃ"と兄の敬称で呼んでくれることが、自分だけが特別のような気がして少年は好きだった。大好きな君がどうかいつまでも"純白"でありますように。心の中でそう願う。
そんな少年の目は、暗い絶望に満ちた黒の中にほんの少しの光があった。まるで夜空で光る星のように。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.71 )
- 日時: 2017/12/03 17:35
- 名前: 羅知 (ID: tJb4UNLc)
∮
「やぁ」
「……あら、ごきげんよう」
病院の待合室の隅の方の席にちょこんと座る少年--------神並白夜の双子の兄、神並満月はそこに悠然とやって来た少女--------愛鹿社の双子の姉、愛鹿雪那を見て、一分の隙もないような笑顔でそう挨拶した。それに劣らず美しい笑顔で優雅に会釈を返す雪那。目線が合ってほんの一瞬だけ二人の顔から笑顔が消える。幼い彼らには似つかわしくない重苦しい空気。けれどもそれはやっぱり一瞬のことで、お互いの目線が外れる頃には彼らの笑顔はもう戻っていた。
幼くして彼と彼女の間には何とも言えない関係が出来上がっていた。彼と彼女以外は誰も知らない、お互いに対する名前の付けられない感情。それは俗にいう愛とか恋とかいうものではなくて、憎しみや嫌悪といったものと違うものだ。強いていうならそれらの感情全てが入り交じったもので、そしてそれらでは絶対にないもの 。彼らは悟っていた。きっとこの感情に名前を付けることは一生出来ないのだろうと。でも別にそれでいいと思った。名前に大した意味なんてないのだし、つるみたいからつるんでいる。それでいいんだと。
彼と彼女はそんな風にお互いの結論づけていて、子供にしては達観しすぎたそんな彼らの思考は世間一般と比べてあまりに異質だった。
「白夜くんのこと、ごめんなさいね。うちの不肖の愚妹がめいわくかけたみたいで」
満月の横にするりと座った彼女は開口一番に横にいる彼にそう言った。彼女としては一応本当に申し訳ない気持ちも込めて放った言葉だったのだが、それが分かっているのかいないのか、彼は彼女の言葉に先程と変わらない笑顔のまま極めて明るい調子で答えた。
「おいおい。仮にも同じ腹から生まれた双子の妹のことをそんなふうに言うのはどうかと思うぞ?……まぁ、白夜のことは気にしなくていいさ。そうすると決めたのは白夜だし、俺がそれに口出しなんか出来るはずがないからな。それに」
「…………それに?」
「正直こんな風になって"嬉しい"って思ってる自分がいるんだ。だって"人の為に自分が犠牲になる"なんて"愚かなこと"、俺には出来ないからな……あぁ、やっぱり俺の弟は最高だな!」
「……相変わらずあなたってとっても気持ち悪いわ。吐き気がしそう」
彼女がそう毒を吐き捨てるかのように言った言葉にも彼は褒め言葉だな!と言って快活そうに笑った。心底からそう思ってるようだった。きっとこの男のことだから弟が入院することについても、大勢の人の目に触れない場所で俺の愛すべき弟を閉じ込めておけるなんて、なんて素晴らしいんだろう。とか考えているのだろう。そしてそれは大変残念なことに事実だった。
「そういえば白夜くん、どのくらい入院することになったの?」
「二ヶ月だ。何ヵ所か骨折してたり、深く切り傷があったりとか………まぁ骨はくっつかなかったら、俺がずっと世話するからそれはそれで俺はいいんだがな」
「…………はぁ。もう面倒だからツッコまないわ。うちの妹は一ヶ月。怪我自体は大したことないんだけど精神ケアがどうにかって……」
もっともあの妹に限って精神を病むことはないだろうということは分かりきっていた。自分に対しては態度の悪い妹だけれど、ことさらに前向きなあの子がこんなことくらいで心が折れるはずがない。一ヶ月という長い期間を取ったのはどちらかというと白夜くんの為だ。一人で病院にいるなんて心細いだろうし、あの子なら白夜くんに構いまくってきっと悩ます隙も与えないだろうから。
「苦労するわね。……白夜くん」
「ん?何か言ったか?」
「……別に満月には何も言ってないわ。……っていうか満月。あなたいい加減にしないと弟くんに嫌われるわよ。大きくなったらずっと一緒って訳にはいかないんだから、今のうちに弟離れしとかないと」
「どうして俺がそれを望んでいないのにそうなるんだ?」
弟の方が自分から離れていくっていう発想はないらしかった。要するに離れさせるは気はないってことなのだろう。今でさえ無自覚腹黒のこの男が成長したら一体どんな手を使うのか。……考えなくても分かる。どんな手でも使うのだろう。この男なら。多分。
(……あぁ)
初めて会った時は普通に優秀な男だと思った。"優秀"というのはiQとかそういうのではなく考え方の話だ。生まれた時から何故か世界がつまらなく思えた。そして気が付いたらこんな妙な達観した性格になってしまっていた。この男も自分と同じように"優秀"ゆえに悩みを抱えているのだろう。そう思って近付いた。
だけど実際は違った。
自分は確かに"異質"ではあったけれど、この男のように"異常"ではなかった。"ちょっと変わってるワタシ"と、"頭のおかしいこの男"。違いは歴然だった。この男の"ソレ"に比べたらワタシのなんてただ少しマセてる程度だろう。そう思い知った。
それに気付いたのは彼女の"異質"ゆえだったのだけれど、それに彼女は気付かない。理由はなくなった。……けれども理由はないけど側にいたい。だから彼女は彼と一緒にいる。
ならば彼は?彼は何故彼女と共にいるのだろう。
それは今の彼女には想像もつかないことだった。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.72 )
- 日時: 2019/02/16 15:34
- 名前: 羅知 (ID: 7JU8JzHD)
∮
あの後ようやくオレ達に追い付いた先生や他の大人達に発見されたオレ達は、すぐに病院に連れてかれることになった。その時、既に意識が途絶えていたオレには分からないけれど、至るところから血の出ていたオレはかなり衰弱しきっていて実はかなり危ない状況だったらしい。そんなオレと一緒にいた社はきっと随分と心を揉ませたことだろう。あとで謝らないといけない。
結局。オレは何も助けれていなかった。意識が失ったオレを見て、社はとても不安だっただろう。大人が来るまで社は一人ぼっちで不安と戦っていたのだ。寂しかったに違いない。辛かったに違いない。何も出来ない。社が泣き叫んでくれていなかったら、大人に気付いて貰うことさえ出来ていなかった。またオレは彼女に助けられたのだ。どんどん貸しがたまってしまう。オレも彼女を助けたいのに。最後には彼女に助けられてしまう。彼女の為にオレが出来ることはなんだろう。オレに何が出来るっていうんだろう。何も出来ない。……何も出来ない。考えれば考える程、自分の愚かさを自覚してしまって苦しくなる。
ふと鏡を見て気付いた。傷だらけの身体。全身ぼろぼろで、動く度に身体が悲鳴をあげる。まともに動くこともままならない。……壊れた人形みたいな愚図な自分にふさわしい姿。痛くて痛くて痛くて痛くて痛い。だけどそんな自分の姿を見る時だけオレの心は安らいだ。
この傷の数だけ、この痛みの数だけ、オレは彼女を救えたような---------そんな気がした。ただの気のせいだ。どうしようもない自己弁護だ。だけどこれだけ傷付いたら許されるような気がした。愚かしい自分が。何も出来ない自分が。気がするだけ。気がするだけ。気がするだけ。そんなことは分かっていたけれど、そんな錯覚だけがオレの救いだった。
傷が癒えないうちは、まだ痛む間は、自分が少しだけ好きになれる。そう考えていると、ボロボロの身体と反比例してオレの心は満ちていった。
∮
入院してから三日が経った。オレと社は同じ病室に入れられることになり、動くことが出来ないオレは主に社と一日を過ごした。社は怪我が酷くないので動くことが出来るはずだけど、わんぱくで動くことの大好きな彼女は今回ばかりは動かずにオレの横でニコニコしながら話すだけだった。その姿が意外だったオレが社に理由を聞いてみると
「だって……ゆきやがいなくちゃたのしくないもん」
とのことだった。社が自分に対してこんなにも思ってくれてることを凄く嬉しく感じた。他にも雪那さんや、満月兄さんも頻繁に病室に遊びに来た。雪那さんが来るとき社は必ず機嫌が悪くなっていたので、なだめるのには一苦労だったけれど、二人は色んな話をしてくれるのでオレは楽しかった。
∮
それから何日くらいか経ったある日のこと。
「ふんふふふーん〜♪」
……少しの間、社と一緒に病院内を散策して帰ったら、オレのベッドに知らない女の子が我が物顔で寝転がっていた。かなりリラックスしているようで、鼻歌まで歌っている。あまりのことに言葉を失ったオレだったが、動転しながらも何とか社に話しかける。
「や、やしろちゃん、しってる?……このこ」
「しらない。……えーと、じゃあ、とりあえず」
この子のことは社も知らないようだった。社もかなり驚いているようだったけれど、オレより随分様子が落ち着いている。そして何か思いついたのか彼女はゆっくりと前に出るとニコニコの笑顔でその女の子に話しかけた。
「ねぇ!あなたのなまえをおしえてよ!」
「……や、やしろちゃ……そんな、きゅうに……」
「えー、だってしらないなら、これからしってけばいーかなぁって……」
驚くべき行動力だ。とてもオレには真似できない。
社の呼び掛けは彼女に届いたようで呼ばれてすぐに此方を向いた彼女は満開の笑顔で返事をした。何の穢れもない白のような、ただただ無邪気な笑顔だった。天使がもしいるとするのならば、この子のような笑い方をするんだろうな。そう思ってしまうくらいに彼女は"白"という言葉が似合いすぎた。
そんな笑顔をより一層輝かせて、その天使のような女の子はこう言った。
「ヒナだよ!こいはるヒナ!……ヒナ、ふたりにあいにきたんだ!」
∮
「……あいに、きた?」
「うん!ヒナね、このちかくのおへやにすんでるんだけどね、ふたりともこなまえヒナのおへやにはいってでしょ?」
「……そういえばこのまえやしろとまちがえてしろいへやにはいったっけ……それがきみのへやなの?」
「そうだよ!ふたりはヒナとあそびたいからヒナのおへやにきたんでしょ?だから、ヒナほんとは"あのへや"からあんまりでちゃいけません、っていわれてたけどふたりをむかえにきたんだ!」
そう言うとにぱーと彼女はまた笑って、手を広げるとオレ達二人をぎゅっと抱き締めた。寝転がっている時には分からなかったけれど彼女の身長はオレ達より林檎一つ分程大きい。抱き返したら折れてしまいそうな程細い腰回りにオレは抱擁を返すのを躊躇った。
だけど、彼女は違った。
「そうなんだ!…じゃあ、ともだちになろ!わたしはめぐかやしろ!このこはかんなみゆきや!よろしくね!」
「やしろとゆきや。……うん!わかった。ヒナふたりのことはシロとユキってよぶね!ヒナのこともヒナ、ってよんでいーよ!」
間髪入れずに社はその細い腰を抱き返した。ぎゅーっと、どれだけ力強く抱き返したところでヒナの腰は折れることはなかった。よく考えなくても分かることだった。人間の身体はそんな簡単に折れたりしない。折れるのはいつだって心だ。…いつもそうだ。なんだかんだ理由を付けてオレは次の一歩を進むことを躊躇う。社の後についてまわる只の"きんぎょのふん"。…何も変われていないじゃないか。ちょっと力が強くなったくらいで、体力がついたくらいで、自分は何を調子に乗っているんだろう。また一つ自分が嫌いになった。
「……どうしたの?」
そんな感情が顔に出ていたのだろう。オレをぎゅっと抱き締めていたヒナが心配そうにそう言った。大丈夫、なんでもないよ。そう言って返す。けれどもオレのその言葉を聞いてもヒナはまだ心配そうにしている。…これは多分何か理由を話すまで納得してくれなさそうだ。どうしたものだろうかと頭を悩ませていると、ふと頭の上に何かが乗った。それはヒナの手だった。
「?……どう、したの?」
「えっと、ヒナね。あまりよくおぼえてないんだけど、ママにむかしこうしてもらったら、すごくうれしかったんだ」
「…………」
「だ、だからげんきだして!」
そう言ってヒナは慣れてない手つきでオレの頭を撫でる。力がこもりすぎて撫でるというよりは擦るみたいになっていたけど、彼女にそうして貰っていると何だか心が落ち着いていった。ここにいてもいいんだよ、そんな風に言ってもらえてるような気がした。頭を撫でて貰ったのはいつぶりだったっけ、なんてそんなことを考えた。
そんな姿を見て、若干おいてけぼりになっていた社が鼻をぷかー!と膨らませて怒る。
「む!ヒナだけずるい!わたしもゆきやのあたまなでたい!」
「だめですー!ユキのあたまをなでるのはヒナのしごとですー!!シロにはやらせてあーげない!」
「むー!そんなのヒナがかってにきめただけじゃん!わたしもなでるのー!!!」
「……ふ、ふたりともまって。オレ、あたまがはげちゃう……」
「ユキは」「ゆきやは」「「だまってて!!」」
お、オレの頭なのに……。そんな言葉もむなしく二人はオレの頭を髪の毛が抜ける勢いで容赦なく撫で始めた。ごしごしごしごし、まるでタワシみたいに頭を擦られる。髪の毛が何本が抜けたりしてしまって痛い。
他愛ないやり取りに自然と顔が綻ぶ。こんな風に笑ったのは久し振りだった。この時間が永遠に続けばいいのになんてそんなことを願った。
∮
日付が変わる頃、恋日ヒナの眠る病室に現れる二つの黒い影。二つの影はそっと寝ている彼女を--------いや、彼を起こさないようにベッドの傍らに行く。すやすやと気持ちの良さそうな寝息を立てる彼を見て、二つの影はほっと安堵の息を吐いた。
二つの影の内の一つが口を開く。
「ヒナはどんどん大きく成長してます。今日なんか友達が出来たって大騒ぎして……あまり外に出てはいけないよ、なんて言っても聞きやしない。私達の手に余るくらいに元気です」
「……すみま、せん」
「謝ることじゃありませんよ。元気なことはいいことですから。そこで一つ提案なんですけど」
「……はい」
そこまで言うと、影は------濃尾彩斗はまっすぐに目の前にいるもう一つの影の持ち主である男、恋日春喜の目を見た。
「そろそろヒナを、いや日向を……迎えには来れないですか。"義兄さん"」
そう言われることを春喜は覚悟していた。だからこそ、その言葉の返事は決まっていた。けれども決まっているからといって、そんな簡単に言葉に出せる程それは軽いものではなかった。
どうにか絞り出すように、掠れた声で、春喜は返事をする。
「……ごめんなさい。それは、まだ、出来ないんです……」
泣いているような声だった。否、彼は泣いていた。自身の不甲斐なさに呆れ果て、押し潰されそうになりながらも彼は言葉を続ける。それは、謝罪というのにはあまりにも重すぎる、自身を攻め立てる断罪だった。
「…君から、お姉さんを奪って、挙げ句の果てに死なせてしまった、ぼくが、君の提案を断るなんて、本当に大変なことだって、理解してる……だけど、だからこそ、ぼくはそれをまだしたくないんだ……」
嗚咽を溢し、顔をぐちゃぐちゃにしながら彼は言う。
「……中途半端に期待させて、待たせて、待たせて、放っておいて、一人にしたから……彼女は、陽子は、死んでしまった……」
「……ぼくは、息子を……日向を、妻のようには……したくない…………」
もう何も言えなかった。
そんな風に言われてしまっては、返す言葉が彩斗には見つからない。……彼は自分のせいで姉が死んだと言っているけれど、正確にはそうではない。姉が苦しんでいるのに、助けを求めていたのに、気付けなかった、自分が一番悪いのだ。この人は現状をどうすることもできなかった。最善策を選んだだけだ。……でも自分は違う。自分は助ける術を持っていた。精神科医として、姉の、壊れていく心を助けることは、出来たはずなのに。
何も、気付けなかった。自分のことに気をとられて、姉のことを、一番大事な人のことを見ていなかった。自分が、一番悪い。
本当に助けたい人を助けれなくて、何が医者だ。
でも、もう自分は謝ることすら出来ないのだ。姉の死んだ罪は、全部、この人が被ってしまった。今更謝った所で、この人は私の罪を否定する。君は悪くない、全部ぼくが悪いんだ……そんなことを言って。
「……分かりました。それじゃあまだ暫く日向は私が預かります。迎えに来れるころになったら、言ってください」
ならば自分の出来る贖罪は、このまま壊れてしまった姉のせいで自分の性別すら正しく認識できなくなった甥っ子を見守っていくことだけなのだろう。姉とよく似た純粋な目で、あの子に見つめられる度に、心が痛む。
そんな私のただの邪な贖罪を見て、この人はまた苦しむ。私はそれを弁解することも出来ずに、この人が苦しむのを見ていることしかできない。
それしか出来ないならば。
幸せに思うことすら苦痛なこの日々を生き続けることだけが、私に出来る唯一のこの人への罪滅ぼしなのだろう。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.73 )
- 日時: 2017/12/09 10:56
- 名前: 羅知 (ID: Jyw48TXj)
∮
七年前、私----濃尾彩斗は君の生まれる瞬間に立ち会った。あの時のことは今でも鮮明に思い出せる。
「なんて可愛い子なの……」
「…君にそっくりだ」
君は祝福されて生まれてきた。父親にも母親にも……勿論私だって。
少なくともこんな風になってしまうなんて想像出来ないくらいには、生まれた君と君の両親の姿は希望に満ち溢れていた。こっちが胸焼けしそうなくらいに甘々で仲睦まじい幸せな二人。そんな二人に抱き抱えられる天使のような微笑みを浮かべる赤ん坊。
「二人とも、おめでとう」
私はその時確かに彼らにそう言った。二人、と言いはしたけどこの言葉は君にも向けた言葉だった。君達が幸せに過ごせることを願って、確信して出た言葉だった。
それがどうしてこうなってしまったんだ?
∮
恋日陽子こと、濃尾陽子は私の姉だ。私と姉と父と母の四人家族。私達はごくごく普通の家族だった。……ある一点を除いては。
「陽子、今回の模試の成績また下がったようだな。……私をこれ以上失望させないでくれよ」
「………はい、父様」
「特に彩斗。お前はこの濃尾家の跡取りなんだ。お前がしっかりしてくれないと…………分かるな?」
「……はい」
父の家系は代々医者の家系で、父自身外科医としてかなりの地位を持っている。聞いた話による父の父親も祖父も……父の家系の人間は皆医学関係の仕事、しかもかなりの重役になっているらしい。濃尾家として相応しい行動をしろ。父は度々そう言っていた。姉も私もそんな父の言いなりだった。予め敷かれたレールを淡々と進んでいく。それが私達の人生だと思っていたから。そう思うしかなかったから。
∮
「彩斗」
「……何。姉さん」
「彩斗は自由に生きていいんだからね。……父さんはああいうけど、彩斗が進みたい道があるなら……少なくとも私は貴方の意志を尊重する。進みたい道があるなら、その道を選びなさい、彩斗。……家のことはお姉ちゃんに任せていいから」
私が濃尾家の跡取りとしての重責に挫けそうになったり、負けそうになったりして心がボロボロになった時、姉はよくそう言ってくれた。決まった道以外選ばせてくれない父。そんか父の言うことに全て頷く母。……そんな中で唯一の味方が姉だった。いつだって優しく、美しい姉。私はそんな姉が大好きだった。
『姉に幸せな人生を送ってもらう』その為に自分はどんなことでもしよう。いつしか私はそう思うようになっていた。それが決められたレールを進むだけの人生に、たった一つ、自分自身で決めたことが生まれた瞬間だった。
∮
姉が高校二年になり、私が高校受験を間近に控える頃。私は姉のとある"秘密"を知った。勉強について姉に質問をしに姉の部屋に行くと何やら話し声が聞こえる。誰かと電話しているようだった。
「----えぇ。毎日大変だけど、可愛い弟の為にも頑張ろうと思うの。----ふふ、そうかな。そう言ってもらえると嬉しいわ----------」
姉のこんなに楽しそうな声を聞いたのは初めてだった。驚きで声が出そうになるのを何とか抑える。最後に姉は電話の相手に向かってこう囁いた。小さな、小さな声で。
『---------私も愛してるわ、春喜』
相手が愛しくて愛しくて堪らない、そんな感じだった。電話の相手が姉の恋人であろうということはすぐに分かった。あまりのことに胸がばくばくと鳴り響く。すぐには冷静になることは無理そうだった。そんな頭でも、ひたすらに考える。『どうしたら姉は幸せになれるのか』飽きもせず、ただそれだけを。
∮
結論はすぐに出た。やはり当初の予定通り、濃尾家の跡取りとなって私が姉を自由にしてやればいい。父や母に反対されたって知ったことか。どんな手を使っても私が両親を説得する。姉の幸せ以外に優先すべき事項などあるはずもない。その旨を伝えると、私がその事を知っていたことに驚いたのも束の間、しかしすぐに冷静になって哀しげに姉は目を伏せた。
「彩斗が私のことを思ってそう言ってくれるのは嬉しい……。だけどそうすると貴方の夢はどうなるの?貴方にもやりたいことがあるでしょ?……私の為に貴方が犠牲になるなんて耐えられない……」
「大丈夫だよ、姉さん」
そう言われることは分かっていた。だから自分の気持ちを素直に伝えた。私にとっては姉さん以上に優先するものはないのだと。そんな私の言葉を聞いて姉は呆れたように笑った。
「…私ほど幸せな姉はいないわね。こんなに弟に慕われて……」
「姉さんはもっと幸せになっていいんだよ!……姉さんの幸せが僕の幸せなんだ」
それは嘘偽りのない言葉だった。何もなかった自分に理由を与えてくれた姉さん。苦しかった時、辛かった時、いつも側にいてくれた姉さん。どんな時でも私のことを考えて、味方してくれた姉さん。返しきれない程の恩が姉にはある。
そろそろ返さなきゃ割に合わない。
「……それにね。医者になるの、そこまで嫌じゃなくなったんだ」
「私に気を使ってるなら-------」
「そうじゃないよ。……そりゃね。父さんみたいに血生臭くて、命と密接に関わる外科医なんてとてもじゃないけどなれないと思ったよ。でもそんな時思い出したんだ。辛い時、苦しい時、姉さんの言葉が僕の心を救ってくれたこと」
「………」
「だから……だから僕は精神科医になろうと思う。人の心を救う精神科医に。姉さんが僕の心を救ってくれたみたいに、僕も人の心を救いたい。そう思えたんだ」
これもまた嘘偽りのない言葉だ。医者になるのなら精神科医になろう。姉の秘密を知る前からそう決めていた。姉に言った理由以外にも理由は色々あったけれど、きっかけは確かに姉に言ったそれだった。姉のことがあったからこそ、私の将来の設計は明確に定まっていった。何から何まで姉に影響されっぱなしの私だった。
「本当に貴方っていう子は…………そこまで言われてしまえば、もう私は何も言えないわ」
姉もそう思ったのだろう。姉はやっらり呆れたように笑ってそう言った。そんな風に笑われても姉に影響されっぱなしの自分をそう悪いものだとは思えなかった。むしろ姉のその表情に何だか誇らしささえ感じた。
「彼のことは、両親には私から話す。それで説得する------弟にそこまでやらせるようじゃ姉の面目が立たないもの。あとね--------」
これだけは言わせて。と姉は急に真面目な顔になって--------そして、笑った。昔から変わらない優しい笑顔だった。
「--------私にどんなことがあっても、貴方は私の愛すべき弟よ。それだけは忘れないで頂戴」
∮
高校卒業と同時に姉は以上のことを両親に話した。そこまで至る間に私は何度か姉の恋人である"恋日春喜さん"と話す機会があった。彼の第一印象は気弱そうなそこら辺にいそうな男----といった感じだ。顔そのものは上の下くらい、おどおどした表情のせいで総合評価は中の上くらいか。しかしその印象は彼のことを知っていくほど良い方向にぐんぐんと上がっていった。彼はとても真面目な男だった。父親が早くに他界し母親と二人暮らししている春喜さんは勉強しながら、母親が楽できるように自分自身でもアルバイトなとをして学費を稼いでいるらしい。話してる態度や表情から姉のことを心から愛し、私と同じように姉のことを幸せにしたいと思っていることがよく分かる。私に対しても礼儀正しく、誠実な態度で接してくれ、もしこの人がもし私の家族になってくれるなら。そう思った。
しかし現実は残酷だった。
「濃尾家の人間であるという自覚のない者は最早家族ではない。出ていきなさい」
「……!」
「君も濃尾家のおこぼれでも預かりたかったんだろうが、生憎君のような貧乏人が入り込む隙はないのだよ。我が濃尾家には」
「……ッ!」
わざわざやって来た春喜さんと姉に、父は冷たくそう言い放った。春喜さんのことを見向きもせずにそう言った。昔から厳しい人だとは思っていたけれど、ここまで血も涙もないような人だとは思わなかった。思わず父に対して手が出そうになった私を姉と春喜さんが止めた。ふるふると静かに横に首を振る二人を見て、私は拳をただ強く握り締めることしか出来なかった。
「……じゃあ、行くわね」
「…ま、待ってよ!ねえ、さん……」
荷物をまとめて出ていく姉の姿を見て、堪えていたものが溢れ出た。私の無責任な提案のせいで姉が出ていくことになってしまった。まるで小さな子どもみたいに泣きじゃくり、服の裾を掴んで引き留める私に少し困った顔をする姉。こんな時でもやっぱり私の姉は"姉"だった。
「…仕方がないわ。父さんには逆らえないもの」
「……で、でも!」
まだ愚図る私に姉はやっぱり優しく笑って----------まるで大切な宝物を扱うみたいな手つきで、そっと私の頭を撫でた。
「言ったでしょ?どんなことがあっても貴方は私の愛すべき弟だ、って。……泣かないで。彩斗が泣いてると私まで悲しくなっちゃうわ」
「血は繋がらなくても、君はぼくの弟だ……。辛いことがあったらすぐに言うんだよ」
そう言い終わると姉と春喜さんはお互いの手をぎゅっと握り締め、歩いていく。だんだんと小さくなる二人の姿を私は見えなくなるまで見つめていた。
∮
それから数年が経った。
無事高校も大学も卒業した私だったが、姉が追い出されたあの日から歪だった家族との関係は余計にちぐはぐになってしまった。だけどいつも自分を守ってくれていた姉はもう家にいない。他ならぬ自分のせいで姉は家を出ていくことになったのだから。姉がせっかく残してくれた"夢"だ。下手なことをして姉にこれ以上迷惑をかける訳にはいかなかった。同じ過ちはするな。そのことをしっかりと胸に刻み込む。
だから、どんなにこの人達が憎くても恨めしくても、精一杯媚を売って生きる。姉さん達の為に。
(姉さん達は、今頃どうしてるんだろう……)
姉さん達とはあのあとも何度か電話で連絡を取っている。専らかけるのは私の方からだったけれど、かければ二人は必ず電話に出てくれた。初めの頃こそちょっとしたことで連絡していたけれど、二人には二人の生活があり、それを私が邪魔するのは頂けないだろう……そう思って控えるようにした。二人には気にしないでと言われたけど、気にしない訳にはいかない。二人の邪魔になることだけは私は絶対にしたくないのだ 。
そんなこんなで最後に連絡をとったのが三ヶ月前。そろそろ連絡を取ろうかとうずうずしてた所でその電話はかかってきた。
『-----もしもし。彩斗くん?ぼくだよ、恋日春喜』
「春喜さん!……そちらから連絡するなんて珍しいですね!ちょうど僕も電話をしようと思ってた所なんですよ。どうかしたんですか?」
『…えーと、突然なんだけど今週末は暇かな?』
「ちょっと待ってくださいね--------うん!大丈夫です。その日が何か?」
私のその何気ない質問に春喜さんは少し照れながら、嬉しそうに答えた。
『----実は、その日陽子と結婚式しようと思ってるんだ。結婚式とはいってもドレスを着て、写真を取るだけなんだけど………陽子と二人で話し合ってね。君にもぜひ来てほしいな、って』
「結婚式!?絶対行きます!!場所はどこですか?」
『え、えっと、○○町の-----------』
食いぎみに了承した私に若干引いている様子の春喜さん。でも興奮しても仕方ないだろう。だって姉の結婚式だ。ついに春喜さんが私の"家族"になるのだ。小躍りしたくなるくらいにめでたいことだ。自分の人生でこんなにも嬉しかったことはないと、そう思った。大袈裟な表現ではなくそう思った。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.74 )
- 日時: 2017/12/11 19:24
- 名前: 羅知 (ID: kTX6Wi1C)
∮
「うわぁ……!!」
「今日は、ぼく達の結婚式に来てくれてありがとう」
「弟が結婚式に来てくれるなんて、姉としてこんなに嬉しいことはないわ」
町の隅にある小さな写真店で二人はささやかながらも結婚式を挙げた。参列客は私一人。プライベート結婚というにはあまりにも少なすぎたけど、これだけで十分だった。小さな小さな部屋に二人の幸せがぎゅうぎゅうに詰まって、部屋から溢れてしまいそうだった。
王道のAラインのウェディングドレスを着た姉はいつもに増して美しく見えたし、白いタキシードを着た春喜さんは何だかいつもより凛々しく見えて格好良かった。私が正直にそのことを言うと、二人は照れるなぁといって恥ずかしそうに笑った。
「彩斗、最近はどう?元気にやってる?」
「うん。大変だけど何とかやってるよ。まだまだひよっ子だから分からないことだらけだけどね」
「またまた謙遜しちゃって。…この前もテレビで君の姿を見たよ。"今注目の若手有能精神科医"って。流石、彩斗くんだなぁ」
「…そんなんじゃないですよ。 ちょっとテレビが僕のこと大袈裟に言ってるだけです」
そのことを言われると何だか気分が滅入る。事実、私そのものの実力はそこら辺にいる普通の医者と同じ程度だ。テレビの中の私は濃尾の名によって誇張された表現でしかない。周りは私のことを羨むけれど、持っている実力以上の期待からは後の失望しか生まない。過度な評価は私にとってただの重荷でしかない。
周りからの陰口。見え見えの陰謀。辛辣な批評。そして家からの重圧。…それらのことを思い出すと、とてもじゃないけどうまく笑えそうになかった。……駄目だ、二人の前なんだ。笑ってないと。二人に心配をかけてしまう。笑え。笑え------------
「こら」
「……へ?」
「泣かないでとは言ったけど、無理して笑えなんて私達一回も言ってないわ。ねぇ春喜」
「そうだね。ぼく達は家族なんだ、心配なことがあれば言ってほしいな」
そう言われて二人に握られる手。久し振りの温もり。温かい。…………温かい。二人の温かい言葉が冷えきった心には熱すぎるくらいに染みて。じわっとまた涙が出てきてしまう。長い時間が経ったけれど、それでも私はこの人達の"弟"だった。
私の身体をぎゅっと抱き締めて姉は言う。
「可愛い弟の強がりなんてお姉ちゃん達にはお見通しなんだからね」
∮
そんなことがあって。
また数年の時が経った。私もだんだんと仕事が忙しくなっていき姉達に連絡をとることも少なくなっていった。正直言って慢心していた。姉は。春喜さんは。私の"姉"で、"兄"で。だから私が気にしなくても大丈夫だって。二人ならどんなことがあっても大丈夫だって。絶対何とかしてくれる。……忙しさを言い訳に、私はとても大事なことを忘れてしまった。とても大事な人のことを、何の為に自分が生きていたのかを忘れてしまった。ずっと自分にはそれだけだったはずなのに。
だからこんな簡単なことすら忘れていた。
どんな人間だって死ぬときと、壊れるときはあっけないんだ、ってことを。
∮
「おめでとう。姉さん、春喜さん」
遂に二人に念願の子どもが生まれた。男の子だった。二月二日の寒い寒い雪の降る日にその子は生まれた。姉と春喜さんは、こんな寒い日でも暖めてくれるような温かいお日様みたいな心を持った子になるようにと願いを込めて、その子のことを日向と名付けた。二人の子どもらしいとっても良い名前だと思った。
「姉さんにそっくりだね。まるで女の子みたいだ」
「…そう、かな。うん。……そうね」
「?どうしたの、姉さん」
「……大丈夫よ。ちょっと疲れてるだけ」
久し振りに見る姉の顔は以前より少しやつれてるように思えた。そういえば春喜さんも前見たときより痩せていたような気がする。
「…って、あれ?春喜さんは?さっきまでいたよね…」
「……春喜は仕事に行ったわ。ここ最近は朝から晩までずっと働いてるの。日向の養育費を稼ぐんだ、って休む暇もなく……今日も仕事と仕事の隙間時間で来てくれたみたいで……」
「そうなんだ-----------」
そこまで話し終えた時、私の携帯の着信が鳴る。仕事先からだった。緊急で呼び出しらしい。
「ご、ごめん!姉さん……呼び出されちゃった。一人にして悪いんだけど--------」
「ううん。私は一人で大丈夫。……お仕事頑張っ----」
「ごめん!行ってくるね!」
姉の言葉を最後まで聞くことなく私は仕事先へ向かった。
……どうしてこの時私は姉の言葉を最後まで聞かなかったんだろう。どうしてこの時私は一度でも振り返らなかったんだろう。どちらかでもしておけば、きっと気付けたはずなのに。姉の明るかった瞳が絶望の闇に沈んでいることに。
「…………一人ぼっち、ね」
そんな切ない呟きと赤ん坊の泣き声が病室の中に静かに響いた。
∮
「……海外派遣?」
「あぁ。君には特別業務として一ヶ月に二週間程の割合で海外で活動してもらう。…なに、やることは何も変わらないよ。"少し"忙しくなるだけさ。君は現地でいつも通り患者を診ればいい」
「あの、でも------------」
「君の優秀さを見込んでの上からの命令だ。頼んだよ」
呼び出されてすぐに向かった先で、有無も言わさぬ勢いでそう上司に言われた。断る間も、考える間もなかった……いや、元々断らせる気なんてなかったのだろう。海外派遣……とても辛い仕事だと聞いている。常に命の危険が付きまとい、患者よりも先に自分が精神を病む--------そんな仕事だと。出る杭は打たれる。きっと周りの連中は私に打たれて打たれて打ちのめされてほしいのだ。打ちのめされて、そして再起不能になってしまえばいい。そんな風に------------誰がお前らの思い通りになってやるか。こちとら常にフルストレスな環境は残念なことに父親と母親で慣れているんだ。お前らのような甘ちゃんとは違う。よっぽどか私に悪意を持つ連中にそう言ってやりたかった。
(海外派遣か……姉さん達にも一応連絡しとこうか……いや、でも別にずっと海外にいる訳でもないし……二人の時間を邪魔しちゃ…)
そう思い直し、一度出した携帯をゆっくりと鞄にしまう。歩く度に刺さる鋭い視線。鬱々とした恨みがましい目。ぼそりぼそりと聞こえる陰口。
「……まだ若いくせに調子に乗るからあぁなんだよ……」
「いつもしかめっ面で愛想もよくない……あんな奴ここにいらねぇよ」
「さっさと壊れて辞めてくれないかな……そしたらあの場所にいたのは俺なのに……」
(…………聞こえてるんだよ、クソ)
……常に人の悪意に触れている日常。むしろここにいた方が病んでしまいそうだ。海外には私を知っている人はほとんどいないだろう。きっと誰もが私を"ただの医者"としか見ないはずだ。この場所みたいに変な偏見を持たれたり、妙な色眼鏡で見られることなんてないだろう。そう考えると海外派遣……そこまで悪いものでもなさそうだ。そんな風に思えた。
∮
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.75 )
- 日時: 2017/12/17 16:10
- 名前: 羅知 (ID: Lp.K.rHL)
∮
それぞれの場所で、それぞれの時間が過ぎていく。
残酷な程に、過ぎていく。
愛が、志が、想いが、約束が、記憶が、精神が、命が、感情が、出会いが、別れが、常識が、全て、全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て。
平等に、酸化して、朽ちる。
寒い冬に耐えかねて葉を落とした木々にも、春になり、蕾がつき、花が咲いた。夏になれば様々な果実が実って。また秋が来て、冬が来て。
毎度飽きることなく同じように季節は巡っていく。常に変化し続ける人間を嘲笑うかのように、変わらずに。
時間は何者にも平等に過ぎていく。それに抗う術なんて人間が持っている訳がなかった。
自然の摂理に従って、全ては腐り落ちていく。
∮
『Re.ごめん。今夜も遅くなる』
……毎回同じように送られてくるメール。これで何回目のこの子と私だけの夜だっけ。心の中で恋日陽子はそう呟いた。声に出さなかったのは出しても意味がなかったからだ。返されるあてのない言葉はただ虚しさを生むだけだから。
……だから今日もまた、声も出さずに溜め息を吐く。
彼と二人で選んで買った小さな小さな家。彼と、自分と、生まれてきた赤ん坊の三人で過ごせる部屋。あの頃の自分達にはそれだけあれば十分だった。
そう思ってた。そう、思ってたのに。
……彼の物を置こうと決めたスペースいまだ買った時と変わらずに空っぽのままだ。リビングに置いてある結婚式の時の三人で撮った幸せそうな笑顔の写真も埃を被ってしまった。
それに気が付く度に思ってしまう。
あの頃、自分達が描いていた幸せは、未来は、こんなだっただろうか。こんな寂しいものだっただろうか、なんて。
(…………)
分かっている。どうにもならないことだっていうのは分かりきってる。彼は家族の為を思って働いてくれているのだ。それに文句なんていえない。言えるはずない。だけど。
我が儘な心は寂しいと、もっと一緒にいたい、と叫んでいた。
「……日向も、パパに会えなくて寂しいよね」
「…………」
「…………寝ちゃったか。そうだよね、もう、遅いもん」
今年で日向は二才になった。最近やっと会話が出来るようになって、毎日色んな話を聞かせてくれる。この前あった面白い出来事のこと、空が綺麗だったこと、今日は外に出て遊んだこと、小さな花が咲いていたこと------------ニコニコの笑顔で色んなことを話す日向は見ていてとても微笑ましかった。
そんな日向が時折遠くを見て、少し寂しそうにしている時がある。
「ぱぱ、どこ」
ぽつりと聞こえたその言葉。これだけ幼くとも、この子は父親のことをしっかりと覚えていたのだ。それが分かった時、私はとんでもない衝撃を受けた。そしてそう呟いた日の夜、この子はいつもより少しだけ夜更かしして、私と一緒に父親の帰りを待った。まぁ待ってる途中で寝てしまっていたけれど。今夜もそうだった。寝室に連れていき、布団をかけてあげると、すやすやと気持ちの良さそうな寝息と一緒に寝言が聞こえてくる。
「……まま……ぱぱ……だい、しゅき……」
その言葉を聞いて一気に落ち込んでいた心が吹き飛んでいくような気がした。あぁなんて可愛いんだろう。そうだった。こんな夜だって私は一人じゃない。可愛い我が子が一緒にいる。
(……そうよ。私にはこの子がいるじゃない。私と彼の愛の結晶であるこの子が----------)
忘れてた。すっかり忘れていた。日向の存在こそが自分達が愛し合っている証。寂しいのがなんだ。あの人は私達の大切な"愛"を守る為に毎日に必死になって働いてくれているのだ。そう思うと、明日も頑張ろう、それも口に出して言えるような気がした。
それでもまた寂しさが懲りずに芽を出してくるかもしれない。だけどその時にだって傍らにはこの子がいてくれる。また寂しさを吹き飛ばしてくれる。私は一人じゃない。この子がいる。そしてこの子のことを思って働いてくれている彼がいる。
(ちょっと疲れてたのかも……親から勘当されたり、結婚したり、出産したり、そういえば最近彩斗にも連絡取れてないなぁ。……そっか。私、無意識に色んなこと溜め込んでたのかもしれない。皆、忙しいからって。迷惑かけちゃいけない、って)
(えへへ、お姉ちゃん失格だなぁ。どんなことがあっても"お姉ちゃん"だよ、って私が彩斗に言ったっていうのに……自分が笑えてなくちゃざまぁないよね)
そろそろ一息つくのもいいかもしれない。今度彼が早く帰ってきたら温泉旅行にでも誘ってみようか。彩斗も呼ぼう。みんな息継ぎが下手くそだから、私と同じようにきっと苦しくなってる。家族団欒。本当の"家族"とは、一ミリもなかったそれだけれど、こういうのもいいかもしれない。"家族"ってきっとお互いに家族だって思えた時に、家族になれるのだ。そういう意味では私達はもう立派な"家族"だ。普通の形とは少し違っても、私達は血の繋がりも、心の繋がりもある正真正銘の家族なんだから。
そこまで考えた時、家の呼び鈴が煩く鳴り始めた。
(春喜?……なんだ。遅くなるって言ってったのに全然早かったじゃない。きっと私を驚かせようとしてたのね)
まったくいつまで経っても変わらないんだから。まったく、もう-------------------
え
だ れ ?
「や、やめてよ……なにするの、ねぇ、こたえ、てよ……だれなのよ……あなた、だれ、なのよ……、い、いや、やめて、やめて、やめて、やめてって、ば、ねぇ、……なんで、なんで、……こんな、こと、するの…………ねぇ、わたし、ばっかり、……わたしばっかり……なんで、こんな…………だれか、ねぇ、……だれか、たす、けて…………たすけてってばぁ……たすけて、たす、け、て…………やだ、やだ、……はるきいが、いの、なんて、……ぜったいに、いや、いや……ねぇ、嫌、嫌、嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌ぁぁぁぁぁァァァァァァァァァァァァァァあああああああッ!!!!!!!」
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.76 )
- 日時: 2017/12/25 17:32
- 名前: 羅知 (ID: NSxWrAhD)
「…また、君の患者が自殺したよ」
報告。
「…………」
謝罪。
「君の患者なんだから、君が責任を取ってくれよ」
……報告。
「…………はい」
……謝罪。
「……Damn. You are a big wuss !……Go to hell !……」
毎日、それの、繰り返し。
「……すみま、せん」
数えきれないくらい怒鳴られて、数えきれないくらい謝った。
(どうして、生きているんだっけ)
もう、疲れた。何も見たくないし、聞きたくない。このまま消えてなくなってしまいたい。
もう んでもいいか。
そう思って、響く銃声音を聞きながら目の前の現実や命すら放り出して、私はゆっくりと目を閉じた。
∮
「……おーい、オニーサン。アンタまだ死んでねーよ」
「…………」
「お、目開いた。……それにしてもオニーサン、アンタ悪運強いぜ。なんてったってこのオレ様と出会って命を救われちまうとはねェ」
「…………」
「おいおい、生き残ったつーのに随分とシケた面だなァ。……あー。アンタ、もしかして死にたかった奴?そいつァ悪いことしたな。運が悪かったと思ってくれ。オレ様は瀕死の弱い奴を見捨てられない優しい優しい人間なんだ、まぁ嘘だけど」
目を開くと目の前にはぺちゃくちゃと喋る薄汚いフード付きの服を着た包帯だらけの男がいた。左目は完全に包帯で隠れており、見えている右目からはエメラルドグリーンの透き通った瞳がきらきらと輝いている。髪は目の色より少し緑が無造作に切られていて、どちらもまるで宝石のような煌めきだ。声はまだ高く、まだ若い少年であることが察せられた。よく見ると遠くの方に血を流して倒れている武装された人の山があった。私を殺そうとしてきた連中だった。状況から見て目の前の彼が彼らを倒したのだろう。どうやろ私は彼に命を助けられたらしい。
------------助けられて"しまった"らしい。
あぁ本当に無駄なことをしてくれた。そう思った。彼には悪いけれどそう思った。だって彼は知らないだろう。全てを諦めて、全てを放棄して、全てから逃げ出した人間の気持ちなんて絶対分からないだろう。目の前の彼は見るからに"強くて"、生き生きしていて、私とはまったく正反対のように思う。生きる意味も何もかも忘れて脱け殻みたいな私とは全部が違う。
ぼんやりと、どこともつかない虚空を見つめながら私はこの数年のことを思い出す。
何の為に精神科医になろうとしたのか。いつしかそれすらも思い出せないようになっていた。
毎日毎日上司に報告しては謝罪する毎日。存在を否定されるような言葉も何回も言われた。こちらに対して殺意すら持っていた人もいたと思う。初めは大丈夫だった。耐えることができた。こんなことは日常茶飯事で、医者なら当然誰しもが通る道で、命を、精神を扱う仕事の責任と背中合わせの代償で、当たり前のことなのだと。越えなければいけない壁なのだと。そう考えることが出来た。
だけども、過ぎていく時間は、積み重なっていく苦しみは、悲しみは、痛みは、少しずつ、少しずつ私の精神を磨耗していって。
(この苦しみと私は一生向かい合わないといけないのか)
(越えなければいけない壁?越えたって次にあるのはそれ以上に大きな壁だ)
(終わりは、苦しみの先にあるのは…………私の死だ)
(……苦しくて、苦しくて仕方ない。死ぬまでこの苦しみは一生私に纏ってくるのだろう。じゃあ一体私は何の為に?何の為にこの仕事を続けているんだ?)
少し頭にもたげた薄暗い感情は、じきに頭の大半を占めるようになった。そうなったらもうダメだった。全部が全部うまくいかなくなった。元から軋んでいた人生が崩れていく音がした。仕事がただの"作業"みたいにしか出来なくなった。元からあったかも、なかったかも分からないような"仕事へのやりがい"が完全になくなった。何も伴わないものに成果なんて実るはずもなく、私の地位は、信用はゆるゆると落ちていった。
以前以上に私の陰口は酷くなった。アイツはもう落ち目なのだと、そんな声が聞こえるようになった。事実だったので私は黙ってそれを聞いていた。言い返す気力なんてもうあるはずもなかった。そんな噂が両親の耳にも入ったのだろう。独り暮らししている家に両親から電話がかかってくるようになった。言われる言葉は"失望した"、ただそれだけだった。失望したならもう私に掛けてこなければいいのに両親はしつこく私に電話を掛けてきた。嫌になって電話線を切ってしまうと、今度はどこで知ったのか携帯電話に掛かってくるようになった。私はその携帯の電源をOFFにした。大切な誰かからの着信に溢れていたそれは、今ではもうただのゴミでしかなかった。
上司に言われた海外派遣としての仕事は未だに続いていた。海外ではまだ私の評判はそこそこのようで日本にいるときのようなことはなかった。それに患者の親族から何か言われても早口の英語だったので訳そうと思わなければ受け流すことが出来た。まるで逃げるように私は日本にいることが少なくなり、大半を海外で過ごすことになった。
……実際逃げだったのだろう。たまに日本に帰ると家が荒れていることも少なくなかった。ドアの前に"死ねば良いのに"なんて書かれた紙が貼られていることもあった。そんな時はぐしゃぐしゃになった部屋の真ん中で立ち尽くした。頼んでもないのに目からは涙がぽろぽろと、とめどなく溢れた。
涙が零れ、嗚咽が出る。空っぽの胃からぎゅるりと音がしてそのまま嘔吐した。胃液しか出てこなくて、妙に酸っぱく感じる口が気持ち悪くて、私はまた吐き出した。
それだけ辛かったのに、何故だか精神科医を辞めようとはどうしても思わなかった。濃尾の家の者であるという環境のせいもあったかもしれないけれど、それだけじゃないような気がした。自分の底にある何かが、それだけは、絶対に駄目だと言っていた。それがなんなのかは分からなかったけれど。
「へぇ……それがオニーサンの死にたい理由?」
「…………口に出てたかな」
「バッチリ♪」
そう言いながら緑髪の少年は、ぱちっと上手にウインクしてみせた。どうやら無意識に口に出ていたらしい。年端もいかない子に何を言ってるんだろう。そう思って口を閉じようと思ったけれど、一度開いた口は簡単には閉じてくれそうになかった。
「笑ってよ……それで海外に逃げた結果がこの"ザマ"だ。日本で起きたことと同じようになった。こんな風に恨みを買って殺されかける始末だ。罵倒の言葉なら、もう、どんなに早口でも聞き取れるようになった……」
「…………」
「……もうどこにも逃げられない。分かってる。でもここじゃない何処かに行きたいんだ……分かるだろ?」
だからもう死なせてくれ。そう言った意味を込めたつもりだった。他人の手を汚させるのは少々胸糞悪いけれど、目の前の少年は既に私の目の前で何人もの人間を殺している。その年齢で、どこでそんな術を身に付けたのかは知らないけれど、つまりは彼は"そういう世界"の住人なのだ。ここは日本ではない。治安も悪い。そんなことはきっと彼の中では日常茶飯事だ。あえて彼を正しい道に導いてあげよう、なんて医者らしい気持ちは湧いてこない。見るからに彼は"手遅れ"なタイプだった。まぁ結局のところ自分のエゴを優先したいだけなのだけど。自分のあまりの愚かさに笑えてくる。しかし一方どさっきまでへらへらと笑っていた緑髪の少年は、私のそんな懇願を笑いもせず一蹴した。
「それは無理な相談だなァ、アンタどうしようもなく"弱い"モン」
「…………」
「最弱も最弱、食物連鎖の食べられる方。自然界のカーストの最底辺。アンタはアンタが考えてるよりもすっごく弱い。それこそこんな世の中じゃ簡単に喰われちまうくらいにな。……まァだからアンタの"逃げる"という判断は間違ってなかったと思うぜ。今のアンタじゃどうせ喰い荒らされちまうだけだっただろう、骨も残らないくらいにな」
「…………」
「"弱い"奴は殺せねェ。……それはオレ様が優しいからでも、人情深いお人柄だからでもない。そう"言われた"からだ。オレ様にそれを言った奴はなァ、最高に最強だったオレ様を少しだけ"弱く"しちまった。だからオレ様は弱い奴を殺せねェ」
そこまで言って、少年は真面目な顔を崩して、ニヤリと笑った。なかなかの悪人面だ。顔のほとんどは見えないけれど、何故だかそう思った。
見えている右目がまるで蛇のようにぎょろりと動いた。
「だから、さァ。"強く"なって出直してこいよ。アンタが強くなって、オレ様が"強い"と判断したら、オレ様はアンタを殺してやる。喜んで殺そう。圧倒的に、容赦なく、一分の良心も感じさせず殺す。……その時になって今更止めてくれなんて言っても聞いてやらねェからなァ?」
「……でも、僕は、強くなんか……」
「あァ、確かに今のままじゃどう頑張った所で"強く"なんかなれねェよ。……身体的なものはそこそこみたいだが、生憎オレ様の言ってる"強さ"つーのは精神の強度だ。そう。オニーサンの専門分野、メンタルのな」
まず一つ、彼はそう言った。
「俗にいう"メンタルが弱い"とかそういうのを言ってんじゃねェ------------そうだな。言葉で表すなら"良心"という言葉が相応しい----"良心"と言えば聞こえはいいかもしれねェが、こんなのはただの心の隙にしかならない。他人につけこまれる穴にしかならない」
「だから、まず最初に、そんなのは早々になくしてしまった方がいい」
彼のそんな"強さ"と"弱さ"に関する講義は十五分以上続いた。私は彼のそんな話を黙々と聞いていた。年端もいかない少年にご指導ご鞭撻を受ける私の姿はきっと端から見たら酷く滑稽なものだっただろう。だけどそれを見るような人は既にただの冷たい肉の塊になっていたし、例え見られていたとしても。
聞くのを止めようなんて思えなかった。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.77 )
- 日時: 2017/12/29 20:22
- 名前: 羅知 (ID: jd/Z3uOx)
「オレ様の生まれ出でた場所は底辺も底辺だった。苛まれ、疎まれ、時には圧倒的な暴力によって身体中がずたずたになるまで傷つけられたこともあった。……世界を憎んだ。理不尽を恨んだ。オレ様の味方なんて誰もいなかった。その時に思ったぜ、"優しさ"なんてなんの得にもならないって」
「…………」
「オレ様はオレ様の為に努力を重ね、そして"強く"なった。世界にも、理不尽にも負けない程、強く。その為に多くのモノを犠牲にした。いらないものは全部捨てた。他人なんて省みなかった。……"アイツ"に会うまではな」
自身の昔話を語る彼は、その時だけは少しだけ、ほんの少しだけ優しげな表情をした。相手のことを本当に想っている顔だった。自分の知っている誰かの顔とよく似ていると思った。
「"アイツ"は"弱かった"。それでいて"強く"もあった。……自分の為にだけしか動かないオレ様と反対に、アイツは他人の為にしか動かなかった。自分のことなんか省みずに、アイツはいつもボロボロになって人を助けた。偽善だ、そう思ったよ」
「…………」
「…オレ様の言葉を聞いて、アイツは"それでもいいんだ"って笑った。"僕は僕の為に人を助ける。こんなのは善なんかじゃない、ただの僕のエゴなんだ"、ってな。……大馬鹿者だよなァ、そんなことを真面目に言ってのけるアイツも、それに感化されちまったオレ様も」
ぎゃははと下品に笑う少年につられて私も笑う。一回死んで、生き返ったみたいなそんな気分だった。私の目の前の問題は何も解決していない、だけども少年の話す言葉を聞いてる内に私の心は随分と楽になっていた。死のうとしていた時より、ずっと。
「……だから、さ。アンタはアンタ自身のエゴに従え。自分勝手に生きろ。やりたいことを、やると決めて、やる。それが強くなる一番の近道だ」
「…………僕は、強く、なれるかな」
「さァな。……でもオニーサンさっきよりはマシな面になってるぜ?」
「…………そう、かな。そうだといいな。ねぇ、強くなったら本当に僕のこと殺してくれるのかい?」
「あァ、強くなったらな」
「…………そう。良かった」
自分勝手に生きる、か。他人に左右されずに生きる人生。なんて耳障りのいい言葉なんだろう。それは言葉で言うほど簡単なものじゃないし、きっとすぐに叶うようなものじゃない。まやかしのような言葉。けれどももう一度一歩踏み出す勇気を貰うには十分だった。
軽くなったような身体を起こし、立ち上がる。立った反動でポッケに入れていた電源の入ってない携帯が落ちた。そういえばポッケに入れたまんまになっていたのだっけ。拾おうとしてふと前を見ると、物珍しそうな顔で少年が携帯電話を見つめていた。
「……どうしたの?」
「……それ、ケイタイデンワって奴?」
「そうだけど……どうかした?」
「…………いや、実物見るの、初めてだったから……」
確かに携帯電話なんてもの、荒れ果てているこの辺の地区では使われてないだろう。物珍しいのも分からないではない。だけどさっきまでの姿とのギャップに子供らしいところもあるのか、とくすりと笑えてしまった。
「……良かったら、電源入れてちょっといじっててもいいよ?」
「!……いいのか」
「うん」
私がそう言うと、彼は目をぱぁっと輝かせて電源を入れて携帯を弄り始めた。どうせしばらく使っていない携帯だ。特に見られて困るようなものもない。本当に初めて触ったのが嬉しかったのだろう。携帯を弄る彼の姿は年相応に子供らしくて見ていて微笑ましかった。
何にも解決していない。何かを変えることなんて出来ていない。そうだというのに何故だか今の私の心は随分と楽なものだった。彼の言葉は私の心を救ってくれた。気休め。それは今の私が一番求めていたことだった。それを与えられてしまった私は。私は。
また、甘んじてしまった。"現状"に。嫌なことから目を反らして。逃げて。結局私は生まれながらの弟気質なのだ。甘えたがりで誰かにもたれ掛からないと生きていけない。"自分"が持てない、弱い、弱い人間……。それが"僕"だった。今度こそ、今度こそ変わらないといけなかったのに。"僕"は変わらなかった。……変われなかった。
神様は何度もチャンスをくれていた。変わるチャンスを。運命を変えるチャンスを。一度でも、たった一度でも逃げないで、現実に向き合っていれば、こんな後悔をすることになんて、ならなかった。でももう取り戻せない。曲がってしまった道は正しい道に引き返すことなんてできない。
神様は、もう、微笑まない。
『不在着信が300件あります。』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
覆すことの出来ない現実が、もう、すぐそこまで来ていた。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.78 )
- 日時: 2018/01/01 20:35
- 名前: 羅知 (ID: jd/Z3uOx)
∮
『…………もしもし、彩斗だよね。私よ。お姉ちゃん』
『……うふふ。久し振りだね。最後の最後に弟と喋れるなんて、やっぱり私は幸せ者だなぁ。うん、幸せ。幸せよ。幸せ、だったのに、どうして、こんなことになったのかしらね……』
『気が付いたら、私、家を飛び出してたの。日向を連れて。…………その時のことは、もう、あまりよく、覚えてない。ただ、自分が、"自分"じゃなかったことだけは、覚えてる。……正直今も、ギリギリよ。……ギリギリで、彩斗と喋ってる』
『……最後まで、貴方の"お姉ちゃん"であることは、止めたくなかったのかもね。そんな、意地が、私に、一瞬の正気を、与えてくれたのかもしれない』
『…………私、あの子に、日向に、いっぱい酷いこと、してしまった。いつも気が付くと、あの子が、ボロボロに、なってるの。私が、傷付けて、しまった。震えながら、ごめんなさい、ごめんなさい、って、何回も私に、言うの。私、何したの?大事な、あの子に、私は、何を』
『……たすけて。私はもう駄目だけど。あの子だけは、たすけて。私のせいで、あの子、日向が、死んじゃいそうなの。たすけて、たすけて、たすけて…………!』
『……後は、ごめんね。日向と……春喜を、宜しく、ね。貴方は、私の、自慢の弟だもの。安心して任せられるわ』
『じゃあね』
∮
------------かくして、舞台は現代に戻る。
「ねぇ、海原さん。貴女、濃尾先生のことどう思います?」
「……どう、って」
色々と一段落して現場が落ち着いて、ふとオレ----荒樹土光はまだスラムにいた幼少期を思い出す。そうして気が付けば傍らにいた女----海原蒼にオレはそう話し掛けていた。オレの突然の質問に心底驚いた顔をする海原。質問の意図が読めない、と首を傾げている。どうでもいいから答えろ、と語気を崩してそう言うと、人に聞く態度じゃあないわねと呆れた顔をしながらも海原はオレの質問の答えを考え始めた。
何故だか分からない。だけども急に思い出してしまった。あんな昔のこと。今更思い出した所でどうにもならないし、何にもならないこと、分かりきっているはずなのに。
濃尾日向が愛鹿社の協力によって病院に運び込まれてから数時間が経過した。今も、あの白いベッドの上では、未発達な身体の弱い弱い少年がすやすやと気持ち良さそうな寝息を立てている。傍らにはかつての"友人"が見守っている。二人の方はかなりさっきまで起きていたようだが、文化祭の疲れもあったのだろう。ベッドにもたれ掛かって寝ているのを先程確認した。ベッドで寝る少年は幸せそうで、傍らで寝る二人は苦しそうだった。彼らの目元は赤く腫れていた。それは酷く奇妙な光景だった。"あの頃"の彼らと比べると、歪に歪んで、狂ってしまった彼らの関係。
"あの頃"の三人を知っている身としては、見ていて気持ちのよいものでは、到底なかった。
質問をしてからほぼ一分。海原は口を開いた。何度も頭の中でその言葉を反芻していたのだろう。すらすらとまるで流れるように、それでいて重たい言葉。
「……恩人。そう言うしかないわね。誰かにとっては別だったとしても、あの人に救うつもりなんて、さらさらなかったとしても……例えただの罪滅ぼしだったとしても、利用されたにすぎなかったとしても、アタシは確かに救われたから」
「………"愛"、って奴ですか」
「まさか。こんなのは"愛"じゃないわ。くだらない"妄信"よ。アタシはただの狂信者。……でもアンタにとってのあの人は別でしょう。今更迷ったからってアタシに聞くのは間違ってるわよ」
あの一分で質問の意図を読まれてしまっていたらしい。そこまで言って海原はオレを嘲るように笑った。アンタらしくもない、そう言ってもう一度笑った。己の過去の事を海原達に話したことは一度もない。しかしこの調子だと大方知られてしまっているのだろう。知った上で察せられていたことに顔から火が出るような思いになった。
「…………知ってたのかよ。オレ様とアイツのこと」
「別に。先生のことを調べてたらついでにアンタらしき奴のことについても分かったから、なんとなーく察してやっただけよ」
「…………」
自分の顔が熱くなっていくのを感じる。多分赤くなってる。見てて分かるくらい赤くなってる。見られてる。滅茶苦茶ニヤニヤされながら見られてる。頭はまともに思考してくれなくて、いつもみたいに繕えなくて、誤魔化す為の言葉は出なくて。
相手に全てが露呈してしまう。
「あはははは!恥ずかしがってんの?……アンタそういう所は可愛いわよねぇ。"真実"を見つけられると、すぐに素が出ちゃうところ!」
「うッ……うっさい!黙ってろよ!」
ガキみたいな反撃しか出来ないオレを大笑いしながら、頬をつついてくる海原。くそう、どうしてコイツの前だといつもうまく出来ないんだろう。他の奴の前だったらもっと余裕ぶっていられるのに。こんな風に言われたってもっと簡単に返せるのに。
あぁもう、なんでコイツの前だとこんなにも心乱されてしまうんだろう。
「…オレ様はこんなにも最強なのに、テメェのせいでこんなんなっちまったじゃねぇか!ばーか!」
何故かその言葉で海原は笑うのを止め、不機嫌そうにこう呟いた。
「…………アタシ、やっぱりアンタのそういうとこ嫌い」
なんて理不尽なことを言ってのけた海原の頬は赤く染まってるように見えた。まぁ多分気のせいだろうけど。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.79 )
- 日時: 2018/01/04 16:18
- 名前: 羅知 (ID: jd/Z3uOx)
(はぁ……酷い目にあったぜ)
そう心の中で悪態をつきながらオレは、まだヒリヒリと痛む頬をさすった。あの糞女。人の弱味を笑うとか人格が破綻してるとしか思えない。いやこのオレに弱い所なんてないから、弱味じゃないけれど。まぁそんなのは言葉の綾だ。大して気にすることじゃない。それより、それよりも大笑いしたかと思ったらアイツ急に不機嫌になりやがって。そのくせ、ただでさえ情緒不安定な奴ばっかりで大変なのにお前もかよ。生理か?とオレなりに親切心から労りの言葉をかけてやったっていうのに、アイツ、グーパンで殴りやがった。
(デリカシーがないとかKYとか、うっせぇよ!せっかくこっちが気を効かしてやったのに、グーパンしてくるメスゴリラの気持ちなんか分かんねーよ、ばーか!)
殴られた所とは別に心なしか胸の辺りがずきずきと痛んでいるような気もしたが、気のせいだろうと思い無視をした。よく分からない面倒くさそうなことは考えないのが一番だ。今までの経験から学んだ。それで今までどうにかなってるし、間違ってるとは思わない。オレ様が間違う訳がないのだ。最強で、最高の、このオレ様が。
(……そう、オレ様は"強い"。だから迷うはずがねェ。なのに、なのに……)
海原に言ったあの質問。あれは気が付いたら口から出ていた言葉で意図なんてモノはなかった。なにも考えずに口にした。……だけど海原に"迷ってる"と言われて、その言葉がすとんと胸に落ちた自分がいて。あぁそうか。自分は迷っていたのか、と頷きたくなるくらいに納得してしまって。だからこそ、恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなかった。自分でも気が付いていない"本心"を見透かされたことが。
オレは、迷っていた。生まれて初めての"迷い"に、オレはどうしようもなく戸惑っていた。
∮
(あの男は……濃尾彩斗は、オレ様との"約束"を覚えているのか?"強くなったら、殺す"と言った、あの言葉を)
否、それはもう絶対にありえないことだ。考えなくても分かることだった。
あの日、携帯を見てすぐに血相変えて走り出していったあの男は、次にあの男の患者として出会ったとき、オレの顔を見て「初めまして」と言った。そしてオレはそれに対して「初めまして」と返した。嘘を吐いてる感じではなかったはずだ。……それ自体は別段おかしなことだと思わない。初めて会った時のオレは包帯だらけで顔が見えない状態だった。数年経って素顔で再会したオレは身長も伸びていたし、声変わりもしていたのだから分からなくて当然だ。分かった方がおかしいだろう。それにそっちの方が都合が良い。覚えられていたら面倒だった。
(……そう。問題はあの男が"オレ"を分からなかったことじゃない。問題は"オレ"があの男を分からなかったことだ)
目の前で不気味なくらいに、にこにこしているあの男を見て、オレはソイツが"誰"なのか、一瞬分からなくなった。
初めて出会ったあの日の濃尾彩斗は、見るからに"弱々しかった"。突つけば折れてしまいそうな程に全てに疲れきっていて、まるで死にかけの虫のようでさえあった。
だがそれがどうだ。再会したこの男は妙にへらへらとした軽薄そうな男へと変貌を遂げていたのだ。とても数年前に自殺を考えていた男と同一人物だとは思えなかった。見た目は何一つ変わらないのに、中身だけ"入れ替わって"しまったようだった。何が、どんなことがあれば、一人の人間をあそこまで"変えて"しまうのか。オレは自分の目を疑った。
すぐにオレは、あの男の素性を調べた。そしてこの数年で何があの男に起きていたのかを知った。
(……姉が"自殺"、ねェ)
オレと出会ってすぐのことだった。どうやら何ヵ月か前から、この姉は息子を連れて失踪していて、行方が分からなくなっていたらしい。死ぬ直前、電波が発信された公衆電話の位置から、その近くのボロアパートで潜伏していたことが判明。しかし発見した時には時既に遅し。首を吊って姉は死んでいた。傍らにはそれを無垢な瞳で見つめるまだ幼い息子が一人。とても綺麗な死に様とは言えない惨たらしい光景。発見のきっかけとなった公衆電話にかけられた相手は弟であるこの男だった。姉の最後の声を聞いて、そして何も出来ないままに、姉の死を知ったこの男は何を思ったのか。それは想像図りかねることだ。
ただ事実として、このことをきっかけにこの男は変わった。一介の精神科医だったこの男はそこから劇的に有名になっていった。それこそ普通では考えられないようなスピードで。有名精神科医となったこの男。一体どんな手を使ってそこまでのしあがってきたのか。少なくともまともなルートでその地位につけたとは思えない。違法ギリギリのこともしてきたに違いない。
紅や黄道、海原、そして金月を助けたのもその一環だろう。オレの言えたことではないが、アイツらの"特性"はあまりにも異常で、とても表社会で生きられるようなものではなかった。それを裏社会から引っ張り出して、こうして表社会に貢献させている手腕、ただ者ではない。そもそもオレやアイツらは幼い頃に誘拐されている為、戸籍なんて本来存在しないのだ。今ある戸籍は全部あの男が作ったものだ。こんなことしでかすくらいの地位になるには、それ相応の対価--------危険が伴う。
あそこまで"弱かった"男が、姉の死を知って、どうしてこんなわざわざ自分の命を縮めるような真似をするのか。
(……自暴自棄?)
当時そこまでのことを調べたオレはそうとしか考えられなかった。しかし事実は異なっていた。まったくの別人のようになってしまったと思われていた濃尾彩斗。だけど、根底は、この男の根底は、何一つ変わってなんかいなかった。
これもまた、"逃げ"だったのだ。
今なら分かる。姉が死に、残された彼女の夫と息子の姿を見ることに、この男は耐えられなかったのだ。自身の不甲斐なさに苦しみ、罪悪感が徐々に身体を支配していく。きっと本人としては贖罪のつもりだったのだろう。だけど結果としてそれはただの"逃げ"だった。壮絶な日常の中で心を磨り減らして、苦しんで、苦しんで、苦しむことによって、この男は自身の"罪"から逃げていたのだ。
"弟"としてではなく"医者"としての心で周りと接し続けることで、この男は死にたいくらいの罪悪感から逃げようとした。
それでも辛かっただろう。麻痺した心でも罪悪感はきっと感じていたのだろう。これは暫く一緒に過ごしていたからこそ分かったことだが、時折濃尾彩斗は不気味な笑顔を歪ませて、姉の息子を----濃尾日向を見つめていた。
凄惨な日常でも完全に心がなくなることはなかった。別人のようになってしまったとしても、濃尾彩斗が、濃尾彩斗でなくなることはなかった。
濃尾彩斗が完全に"壊れた"のは、オレ達と出会ったあとだった。
∮
それは、とてもえげつない光景だった。
部屋中を包む生臭い匂い。
仄かに混ざる血の匂い。
小蝿がぶんぶんと腐肉にたかっている。
部屋の真ん中には死体不在の首吊り縄がぶら下がってて。
真下にある、その腐った肉は、よく見れば若い男の人のような顔をしていて------------
自分達をここまで連れてきた目の死んだ少年は、半笑いで呟いた。
「あい、ってなんなの」
「あんなのが、あんなのが、あいなら」
「……いらない、いらないよ。あんなのはいらない」
「………………みんな、いらない」
「"ヒナ"も、いらない」
細くて白い首に、くっきりと残った、赤黒い手の跡を少し撫でて。
電源の切れた玩具のように、少年は目を閉じて倒れた。
まるで目の前の光景から目をそらすように。
少年とよく似ている男は、少年とは反対に真っ直ぐに目の前の光景を見つめていた。
逃げてばかりだった、男はもう逃げない。
暗闇の中、もう逃げられない。
もう、何も怖くないし、感じない。
もう何も見えないから。
もう何も聞こえないから。
もう何も喋らないから。
もう何も感じないから。
もう誰もいないから。
もう、もう、もう、もう。
もう、大丈夫。
大事だったものが全部なくなって、ようやく、男は"強く"なれた。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.80 )
- 日時: 2018/01/05 21:50
- 名前: 羅知 (ID: jd/Z3uOx)
『何かを得るためには何かを失わなければいけない』とはよく言ったもので、しかしそれは失ったものの方が多かった場合、一体どう折り合いつけて生きろと言うのだろう。得たものはもう返すことなんて出来やしないし、失ったものはもう戻ることはない。今更後悔したってどうにもならないものはならない。
"強さ"を得ることで"弱さ"を失った。言葉で言うのは簡単だけれども、こう実際に目の当たりにしてみるとこれは結構クルものがある。オレにとって"弱さ"とは取るに足らないものだった。だから"強さ"を手に入れようと思った。だけどあの男にとっては違ったのだ。あの男の"弱さ"は、あの男をあの男たらしめるもので。なくてはならない大切なもので。
あそこまでボロボロになってまで、手に入れる価値のあるものなんて、あるのだろうか。
人の振りみて我が振り直せ。他人の人生は自分の人生よりもよく見えて。正しく認識できてしまって。そんなことを今更になって、考えて、怖くなる。ずっとずっと自分の"強さ"の為だけに生きてきた。その為ならどんな犠牲もよしとしてきた。それが正しいと思ってきた。それが最善策だと信じてきた。だけど、もし、それが、全部、全部、間違っていたとしたなら。
(オレ、様は)
選ばなかった方のいたのかもしれない"弱いオレ"をちらりと考えて、すぐに頭から掻き消した。既にありもしないとうに消えたもののことなんて考えたって何の意味もない。
∮
(……このまま、あの男をほっといて、いいんだろうか)
紅も、黄道も、海原も、金月も、きっともう気が付いている。あの男が壊れていることに。オレ達は、目の前で目撃したのだから、あの男が、完全に壊れた瞬間を。
それでも奴らは"救われた"。その恩があるから、あの男がどんな風になったって、どんなに変わってしまったって、あの男の為なら、あの男の持っていた"最後の希望"の為ならどんなことだってしてみせる。あの男のことを芯から信じきっている。
……だけど、オレは違う。オレはアイツらと出会う以前に、あの男に会っている。あの男が、人を救えるような器じゃない、弱い、弱い人間だったことを知っている。オレは、あの男に救われていない。オレを、本当の意味で、救ってくれたのは、あの男なんかじゃなく-------------
「…………ぶつぶつ、ぶつぶつ五月蝿いなぁ」
「くれな、い」
背後から温度の感じさせない冷たい声が聞こえた。紅だった。……いや、違う。コイツは紅じゃない。この冷たい声は。コイツは。コイツは。
まだ、"強かった頃の"。
「……違う。僕は黒曜だ。まだ、先生に"救われなかった"方の、"僕"だ」
「…………」
「久し振りだね、"光君"」
オレが振り向けば、そう言ってにっこりと紅は-------黒曜は、笑う。
紅く煌めいていた髪と目が、窓から差し込む星々に照らされて、ゆるりゆるりと闇夜の黒に染まっていく。懐かしい"黒"だった。
(--------------------ははッ)
久し振りにみる"コイツ"の"強さ"に、オレは興奮を隠しきれず、返事もせずに、コイツの喉元に手を掛けた--------------------。
∮
「---------つまらない、よ」
ぐさり。と何処から出てきたかも分からないナイフが肩を抉った。こちらが攻撃する暇も与えずに、まるで息をするかのような鮮やかな動きに、心が高鳴るのを感じる。やっぱり本気を出したこの男は強い。鈍く痛む傷もそのままに次の一手を出そうとしたが、それすらも見破られてオレは地面に叩き付けられた。
くるくるっと素早い動きでナイフはオレの急所へと--------首元へと当てられ、とどめをさすかのように、そっと低い声で耳打ちをされる。
「"弱く"なったね、光君」
「…………バァカ、お前が"強すぎ"んだよ」
オレに反抗の意志がなくなったのを確認して、首元からナイフが離される。どうせここから反撃しても無駄だろう。ゆっくりと起き上がり黒曜の様子を伺うと、息切れすら見せずに平然とした様子でコイツは立っていて、ああ本当にまったくいけすかない野郎だと思った。
「そんなんじゃいつまで経ったって"僕"を殺せないよ」
「…………」
「お前を殺して、自分も死ぬ、だっけ?あの言葉は冗談だったのかな?」
……あぁそうだった。"コイツ"はこういう風に人を煽るような言い方が得意な嫌な奴だった。コイツと会話しているだけで無性にイライラしてくる。数年前まではそれで毎日喧嘩して、こういう風に殺し合いするのが日常茶飯事だったっけ 。懐かしくもない思い出がふと頭を過った。
(……まぁ、それも"コイツ"が大人になって---------"紅灯火"になってからは、随分と少なくなっちまったんだけどな)
大人になって、オレもコイツも猫を被っている時間が長くなり、昔みたいに命の削り合いをするような喧嘩をすることは自然となくなっていった。確かコイツが"紅灯火"という名前を使い始めたのが丁度濃尾彩斗が壊れた時からだ。何か思う所があったのか、なんなのか、いつからか棘もないような穏便で愚かな当たり障りない人間に成り下がったコイツ。
オレは"紅灯火"が嫌いだった。"黒曜"とは正反対の弱い弱い"この男"が嫌いだった。
だから、コイツがこんな風に前みたいになってくれたことにそう悪い気はしない。だけどこれまでの間、"紅灯火"でいたはずのこの男がどうして急にこんな風になったのか。それだけが疑問だった。
「……お前、今更趣旨変えかよ。格好悪リィぞ」
「教師生活は楽しかったし、紅灯火をやってる間は、それなりに自分が良いやつなんじゃないかって錯覚できたりしたから、楽しかったんだけどね。……でも、そうもいかなくなったんだ。優しいだけじゃ、大切な人達を守れないから」
ふっ、と目を伏せて黒曜はそう語った。寂しさを感じさせるような、その瞳はどんな姿になっても変わらない。
「だから、暫く"紅灯火"は死んだことにでもするよ。生徒の皆は寂しい、って言ってくれるかもしれないけど、ひいてはこれも皆を守る為だ」
「…………紅灯火は死んだ。じゃあ、もし、お前の今の姿をお前の生徒が見たら何て答えるつもりなんだよ?」
オレの冗談めかした問いに、これまた冗談めかして黒曜は答える。
「通りすがりの救世主、かなぁ?」
笑えもしないくだらない冗談だった。だけど、そう悪くもない、そう思ってる自分がいたのも、それもまた事実だった。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.81 )
- 日時: 2018/01/14 19:07
- 名前: 羅知 (ID: 1HkQUPe4)
∮
急患として運び込まれた見覚えのある二人の学生の姿を見たとき、息が止まるかと思った。
「……トモ、やめてくれよ……こんなのは、こんなのは……俺は、嫌だ、嫌だ!!」
「離せ!!離せよッ!!!!……ケートをこんな風にした奴を殺すんだから、絶対殺すんだから!!!邪魔するな!!離せ!離せったらッ!!!!クソぉ……!!」
忙しない様子で手術室に運び込まれる彼ら。そんな彼らを半狂乱になって叫びながら追い掛けようとする彼らの大切な大切な友人。どちらも可愛い僕の教え子だ。
(……誰だ)
(……僕の、大切な人達の日常を、壊したのは、誰だ)
(殺す)
殺す。殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す。絶対に殺してやる。ぐちゃぐちゃにして、後悔してもしきれないような苦しみをお前に与えてやる。
心の奥底に遠い昔に封じ込めた冷たい感情がふつふつと沸き上がってくるのを感じる。気が付けば僕は"僕"になっていた。暫く暖かく感じていた心が痛いくらいに冷めている。
まだまだ日常を楽しんでいたかった。だけど誰かが僕の大切な人の日常を壊すなら、僕はいつだって自分の"日常"を手放そう。
待っていろ、日常泥棒。
これ以上はもう、奪わせない。
∮
緑髪の彼はやたらと"強さ"というモノに拘ってるみたいだけど、僕にとってそれはあまり意味のないモノをだった。強くたって、弱くたって、大切なモノを失うこともあるし、守ることだってあるってことを僕は知ってる。結局は自分次第なのだ。それなら僕は強い人間にも、弱い人間にもなりたくなんてない。僕は大事な人を守れるようなそんな人になりたい。
全てを失って崩れ落ちたあの人を目の前で見てからずっと、そんなことを考えていた。
(……先生にとって、一番大事だったものは"日常"だったんじゃないのだろうか)
ありふれていて、それでいてあっけなくなくなってしまうささやかな光。それを守る為に僕は"黒曜"を捨てた。鮮やかな世界にそれはあまりにも汚れすぎていたから。
だけど誰かが僕らの日常を犯そうって言うのなら、汚れ仕事は"僕"の役目だ。元々穢れた身の上だ、いくらだって汚れてみせる。
手放した日常が惜しくないと言えば嘘になるけれど、ここでなにもしなかったら絶対僕は後悔する。これは僕の人生だ。苦しみも悲しみも全部背負って、僕はこの道をあえて選ぼう。
大切な皆の幸せの為に。
∮
そうと決めたら心残りは全部消化した方がいいと思った。これから自分がどうなるのか分からないのだから。
そう思って、あの男の元へ向かった。
(結局何迷ってるのか、聞けずじまいか……)
先生と彼に何か因縁があることなんていくら鈍感な僕でも流石に察しがついていた。彼が"僕"を見掛けると殺しにかかってくることはいつものことだけれど、今日の彼は明らかにいつもより動きが鈍かった。話し掛けた時も何かを考え込んで、上の空だったようだし、何かに気を取られていたのは明らかだ。そして何に気を取られているのかなんて彼の様子を見ればすぐに分かった。顔で笑いながらも、彼は何者に対してもどこかで一線を引いている。自分のスペースに他人を踏み込ませることはないが、他人のスペースに踏み込むこともない。そんな少なくとも人の心配なんてするタイプじゃない彼の先生を見る瞳は憂いを帯びていた。あぁ彼もあんな目で人を見ることがあるのだと、その時は随分驚いたものだ。
仮にも長い間過ごしてきた仲だ。迷っていることがあるなら、何か力になってあげたいと思った。だけどもそうも出来ないのが僕達の関係だった。そんな簡単に相談乗って上げたり、乗ってもらったり、普通の友達みたいな関係だったら、僕達は今頃大親友だ。少なくともこんな面倒くさい関係にはなっていないだろう。
(……大丈夫?、とかそういう風に言えたらいいんだろうけど……僕達は"そんなの"じゃないし……)
昔から喧嘩ばかりしてきた。くだらないことでお互いにキレて、どちらかが倒れるまで殺し合う。気も合わないし、馬も合わない、考え方も趣味も生きざまも何もかも分かり合えるものなんてなかったけど、それでもいざっていう時には僕と背中合わせで闘ってくれて、今日の今日まで共に過ごしてきた心強い仲間。
……なんて面と向かっては言えないけど。
「やっぱり僕は強くなんてないよ。光君……」
彼が"強い"と言ってくれた"僕"は、十年来の友達にたった一言の言葉すらかけてあげられない情けない奴だ。友達の悩みすら解消できない僕なんかが救世主を名乗るなんて甚だ烏滸がましいけれど、もう口に出してしまったことだから、今からでもそれに見合う自分にちょっとでも近付ければなんて気弱な勇気でそう思った。
残された時間は短いかもしれないけれど。
∮
菜種知と尾田慶斗の容態は命に別状はないということを聞いて、僕はほっと息を吐いた。まだ意識は戻ってないので完全に安心は出来ないけれど、それでもほっとした。
「……君達の日常は僕が取り返してみせるから」
まだ寝ている彼らにそっと声を掛ける。勿論返事はなかったけれどそれでもそうせずにはいられなかった。
日常泥棒の正体はまだ掴めていないけれど、"尾田慶斗がぎりぎりの意識でとった犯人の写真と犯人の衣服の繊維"がこちらにはある。菜種知の意識が戻ったら、犯人の肖像も次第に掴めてくるだろう。それに僕には天才的な才能を持った優秀な仲間が四人もいるのだ。彼らに迷惑は描けたくないので、決着は一人で行くつもりだけれど、詳細を省いて聞いてみれば何かヒントが手にはいるかもしれない。
(…尾田くん、菜種さんだけじゃない。馬場くんやヒナくんが安心して日常を過ごせるように)
絶対に僕は。
「……ともくん、顔が怖いよ」
「…………茉莉」
後ろから声がして振り向くと、そこには不安げに笑う茉莉の姿があった。きっと彼女のことだから、僕のすることなんてお見通しなんだろう。彼女の声は微かに震えていた。
「分かってるよ。……分かってる。ともくんは優しいから、残酷なくらいに優しいから、自分のやりたいことの為なら、自分さえ省みないんだもんね。ずっと一緒だったから、そんなことは分かってた。……分かってた、けどさ」
「…………止めても無駄だよ、茉莉」
「分かってるよ!…………そんなこと、分かってる。こうなったともくんは、あたしにも、止められない。知ってるもん」
「………………」
「……ともくんが傷付くくらいなら、あたしがズタボロになった方がいい、っていつも思うの。だけど、そうすると、ともくんの心がズタボロになるんだもんね、あたし以上に……。ねぇだから一つだけ、聞いて?あたしのお願い」
ぼろぼろと涙を溢しながら彼女は言う。
「…………絶対に、死なないで。ともくんが死んだら、あたし、"あたし"じゃなくなっちゃうから」
「ッ…………!!」
……そんな泣きながら言われたら、簡単に死ねないじゃないか。
顔をぐしゃぐしゃにして泣く彼女を抱き締めると、彼女の鼓動と僕の鼓動がとくとくと鳴っているのを感じた。
**************************************
【良心】→【両親】
その光景を見て。
両親をなくした少年は泣きました。
良心をなくしたかつての少年は笑いました。
だけど二人の心の中はおんなじでした。
信じていたものを失って、空っぽのがらんどうになったのでした。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.82 )
- 日時: 2018/01/17 19:52
- 名前: 羅知 (ID: mk2uRK9M)
第七話【愛と勇気】
幸せになる為に、"僕"は生まれた。
僕が"僕"である時には、そこまではっきりと自覚していた訳ではなかったけれど、"幸せになりたい"胸の奥で常にそんな風に願っていたことは確かだった。僕はどうしたかったのだろう。何を幸せだと思っていたのだろう。何を持ってして"幸せ"と考えていたのだろうか。その時にはそんなことちっとも考えてちゃいなかった。大して問題視していなかった。今更になって思う。僕はもっと考えるべきだったのだ。自分が"何をしたくて"、"どうななりたい"のかしっかりと自覚するべきだった。気が付いた時には全部手遅れだった。
まるで自分が自分じゃないみたいに地獄の真ん中で僕は笑った。その時にはもう"僕"ではどうしようもなかった。自分の感情が自分では、もう扱えなくて。笑えて。笑えて。
拝啓次の"僕"へ。
どうか君は"自分自身"を見失わないで。
"僕ら"のようになってはいけない。
"僕ら"のことなんか忘れていいから。
嫌って、いいから。
だから、絶対に、幸せに、なって。
∮
朝、だった。
カーテンから差し込む仄かな光が眩しくて、僕、濃尾日向は目を覚ます。まだ覚醒しない頭をフル回転して状況の把握に努める。寝ぼけ眼をごしごしと擦ると、少しだけ眠気が覚めたような感じがした。何だか随分長い間眠っていたように思う。昨日の記憶も曖昧だ。文化祭があって、打ち上げをして-------------そのあと、どうしたのだっけ。そこからが、どうしても、靄にかかったように思い出せない。周りを見渡せば、白いベッドと白い壁。知らないのに、知っている-------既視感のある風景。きっとまだ寝惚けているのだろう。そう思うことにした。思い込むことにした。
ふと鼻につーんとした薬品の匂いがして、此処が病院であるという事実に辿り着く。それならこの部屋が白に包まれていることにも納得がいく。
状況はある程度掴んだ。自分は今病院にいる。きっとここで一晩を過ごしたのだろう。だからといって、そうかそうか此処は病院なのか……!と一息つくことも出来ない。
一体どうして僕はこんな所にいるのだろうか?
頭が大分覚醒したからか、周りの状況が冷静に判断出来て、次々に頭の上に沢山の疑問が浮かんでくる。しかしそのどれもが僕の今現在持っている情報では解決できないものばかりだ。ただでさえろくに昔のことすら覚えていないのに、昨日のことすら思い出せないなんて情けなさすぎる。こうしちゃいられない。そう思った僕はベッドから降りて、誰か昨日のことを知っている人を探すことに決めた。
さっきまで被っていたシーツは何故だか妙に湿っていて、どこかで嗅いだことのある香りがしていたが、その匂いの持ち主を思い出すことは出来なかった。
∮
(……とはいってもだ)
病院内は相当に広く、自分が今何階にいて、何科の辺りにいるかも見当がつかない。窓から見える景色は高く、高層階にいるということだけは予測できるけれど、逆に言えばそれしか分からない。だから僕はまず案内板のようなものを探そうと先を進んだ。
人が多く、なかなか進むのに苦労する。医者に、看護師、患者に、お見舞いにやって来たような人----院内は様々な人でごったがえしていた。ひょっこひょっこと人を避けながら歩いていくき、僕はなんとかナースステーションのような場所まで辿り着くことが出来た。案内板もそこにあった。
ふと、ナースステーションで忙しなく動いている看護師の一人と目が合う。四十代くらいの背の高い女の人で、僕の顔を見て、驚いたような顔をしている。そして数秒も経たない間に彼女はその驚いた顔を破顔させて僕に近寄ってきた。
「んまぁ!!ヒナちゃん大きくなってぇ…………!」
「……は?」
「ヒナちゃんは人気者だったから、おばさんのことなんか覚えてないわよねぇ!…随分見ない間に別嬪さんになってて、おばさん驚いちゃった!!」
突然話し掛けられて驚くのはこっちの方だ。確かに高校に入る前に一度病院にいたことはあるけれど、僕にこんな親しげに話し掛けてくる人はいなかった。ましてや"ヒナちゃん"なんて、そんな。自分の全然知らないことをマシンガンのような勢いで話されて、頭がショートしそうだ。そんな僕の様子に気づいてるのか、いないのか、女の人は続けざまにこう言った。
「四階の突き当たりの部屋にはもう行ったの?…あぁそれにしても見れば見るほど似てるわねぇ、彩斗先生に!」
「…四階?……彩斗、先生?」
「その様子だとまだ行ってないのね。彩斗先生、最近は忙しいみたいだからヒナちゃんの顔も最近見れてないんでしょうねぇ!顔見せてきてあげればいいと思うわ!」
その言葉で僕はようやく思い出す。ここは高校以前を過ごした病院だ。星さんに心配されて、泣かれて、白衣を着た先生に、何も心配いらないと、そう言われて。よく見れば院内の造形はあの時と何も変わっていない。確か名前は彩ノ宮病院。僕の住んでる町の隣町にある一番大きな病院だった。
(それじゃあ、僕は倒れでもしたんだろうか……それならあの場所の近くにあるこの病院に運び込まれるのも理解できる……)
あの時運び込まれたのが今いる階----八階だ。怪我か何かで短期の入院をする人が来る階だった。しかし僕の体に外傷はない。それにその時にこんな人に会った覚えもないけれど……
よく分からないけれど、その四階の突き当たりの部屋に僕の知り合いがいるらしい。そしてその人は僕によく似ているらしかった。何はともあれその人が僕とつながりのある人というのなら、僕がここにいる理由を知っている可能性が高い。とりあえずその"彩斗先生"という人に会ってみよう。僕は目的地を四階の突き当たりの部屋に切り替える。
案内板を確認した。四階は精神科の階だった。
∮
四階は今までの部屋とは少し空気が違うように感じた。なんというか、その言葉には表せないけれど、変な感じがする。
(……いや、変っていうのも違うかな)
表現出来ないけど、なんだかさっきからいたるところに"既視感"を感じるのだ。そりゃあ一度来たことのある場所なので階は違ったとしても既視感があるのは当然だと言われればその通りかもしれない。
だけど違うのだ。
僕の感じているこの既視感はそんなあまっちょろいものじゃない。もっと強烈で、鮮烈で、はっきりとして---------
(…………あ、れ?)
一瞬視界が二重に見えるような錯覚を起こす。あわてて頭を振って体勢を整えると、そんなことはなく景色はただの病院の風景に戻った。目が疲れてるのかもしれない。ここ数日文化祭の準備で忙しかったから。
早く、早く先に進んで、この疑問を解決したら家に帰ろう。そしてゆっくりゆっくり眠ってしまおう。明日からは学校なんだ。体調を崩したら一大事だ。
一歩、また一歩と先へ進む。何だか視界がまだぐらぐら揺れるような気がするけれど。きっと錯覚だ。ちょっと目眩がするだけだ。
『『ヒナ!』』
後ろから、子供のような、無邪気で、高い声で、そんな風に呼ばれる。
聞き覚えのある、声。
「…………だれ?」
ゆっくりと振り返る。
そこには誰の姿もなかった。
∮
(……これじゃあ無駄足じゃないか)
言われた通りに突き当たりの部屋へと向かったが、そこには誰もいなかった。休憩室らしく座り心地の良さそうなソファーベッドと作業するスペースがかろうじてある小さな机。医学の本が多く詰まった本棚があった。そこで過ごしている人の性格や思い出などを想像させるようなものは何一つない。暫く待ってみたけれど、人が来る気配もなかったので諦めて元の部屋に戻ることにした。もし誰かが僕をここに連れてきてくれたのなら、様子見にあの部屋に来てくれる可能性も高いだろうし。
それにしてもここにいるはずだった"彩斗先生"とは一体どんな人物だったのだろう。僕によく似ていると言っていた。それならば僕の血縁者だろうか?名前からして男の人であることは明らかなので、きっと僕と同じような女顔なのだろう。そう考えると会ったこともないその人に同情した。
「おっ……と!」
出入口に向かおうとしたら、本棚に肩がぶつかってしまったらしい。二、三冊本が転がり落ちてしまった。急いで拾い上げると、本のページとページの隙間にハガキ程の大きさの写真がまるでしおりみたいにはさんであった。
「…………」
人様の写真を勝手に見てはいけないという倫理とやっぱり気になるという好奇心がせめぎあって最終的に好奇心の方が勝った。ちょっとだけ、ちょっとだけと誰に言うでもなく心の中で言い訳しながら、そおっとその写真がはさまっているページを開く。
暫く開かれていなかったのだろうか、そのページは埃にまみれていた。写真には幸せそうに笑う男女の結婚式の様子が写されている。ベールで顔が隠れて顔立ちがよく見えないがピースを作ってにっこりと笑っている女性。そんな彼女の肩を抱いて、とろけそうな程に笑っている男性。
愛に溢れた光景。
こんなの一秒でも気持ち悪くて見てられないはずなのに。
何故だか目が逸らせなくて。その幸せそうな光景を、僕は時を忘れて見つめていた。
∮
夢を見ているような心地だった。
なんだか気分がふわふわして、ぼんやりとして、気持ちがよくて……そんな風にしていて、急にはっと本来の目的を思い出す。
(……そうだ、早く戻らなきゃ。どうしてこんな所で立ち止まってるんだ)
やっぱり今日はなんだか調子が変なようだ。くらくらするし、幻覚は見るし、幻聴は聞こえるし、気分もずっとぼんやりしっぱなしだ。早く事情を知ってる人に会って、家に帰って、寝よう。
なんだかこれ以上この場所にいけないような気がした。変に胸騒ぎがするのだ。
ここにいたら、僕は、きっと。
∮
八階まで戻ると、さっきまでいた部屋の前で数人が待ちぼうけしていた。戻ったら人がいるかもしれないという僕の予想は間違っていなかったらしい。
(……あ)
まだ距離が遠いので認識しがたいけれど、数人の中に馬場と愛鹿が混じってるのを確認する。もしかして二人が運んでくれたのだろうか。だとしたら後でお礼を言わなきゃいけない。……今回の文化祭では馬場にも愛鹿にも散々お世話になってしまった。
それにしてもあの二人、いつの間に知り合いになったのだろう?そんな暇はなかったと思うけど、文化祭の隙間にでも会ったのだろうか。細かいことは分からない。だけどただ素直に良かったな、そう思えた。馬場の脚本を誉めちぎっていた愛鹿。そして変に演技に厳しい馬場。演技派な二人のことだ。何だかんだいって気は合うんじゃないだろうか。
ありがとう。そんな気持ちを込めて、まず手始めに彼らの名前を呼ぶ。
「待たせてごめん、"ユキ、シロ"…………」
え。
今、僕は誰の名前を
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.83 )
- 日時: 2018/01/25 23:44
- 名前: 羅知 (ID: W/./TtvA)
明るくて笑顔の素敵な女の子。
気弱だけどとっても優しい男の子。
二人はとっても仲良しで、××だけ元から"おともだち"じゃないから、実は少し寂しかった。
(……なんだっけ)
だけどそう言ったら二人はにっこりと笑って、××の体をぎゅーっと抱き締めてくれた。
(……この、"記憶"は、なんだっけ)
痛いくらいに抱き締められて、だけどそれはとっても心地よくて。まるで、まるで大好きだよって全身全霊で伝えられてるみたいで。
(……忘れちゃ、駄目なはずなのに)
大好きだった。
(……思い出せ、思い出せよ)
(…………またね、っていったんだ)
(………………あの時、僕は、一体どんな気持ちで、彼らと)
頭の中の小さな"ヒナ《ぼく》"は、にこにこと笑う。
『しあわせ!』
そう言おうとして、潰されていったあの子は一体どんな気持ちだったのか。
確かに"僕"であるはずの"ボク"はどうしてああまでして"ヒナ"を否定するのか。
僕に一体何があって、どうしてこうなってしまったのか。
何度も、思い出せるチャンスはあったのに、それを何度も逃してしまったような、そんな気がする。
(……思いだそう)
きっとこれが"サイゴ"のチャンスで、今度こそ僕は"僕"を思い出す。
そんな、確信があった。
∮
「……ん」
「あ!け、けけけケート起きた!?け、ケートぉ……良かったぁ……起きた……」
目を開けると、天使みたいなシーナの泣きそうな顔が目の前にあった。あとなんかめっちゃ腹が痛かった。シーナが可愛いからオレの腹のことなんかどうでもいいか、と思ったけど、シーナが悲しそうな顔をしてるのは一大事なので、とりあえずこの腹の痛みの原因を考えてみよう。多分この痛みが原因だ。ちょっと頭が混乱してて昨夜何があったか思い出せないけど。
「……オレ、生理でも急にきたの?」
「ばか。そんなワケないじゃん!」
だよなぁ。本当の女の子よりも可愛いシーナにくることはあったとしても、オレに生理がくる可能性は万に一つとしても有り得ないはずだ。というか天使に性別はないはずなので、シーナに生理がくる可能性もないな。うん。……あー、だけどシーナの赤ちゃん見たいなぁ。絶対可愛いよなぁ。……うーん……あ、でも最近は性別のある天使とかもいるよな。じゃあいいのか。あー、シーナ可愛い。見てると腹の痛みとかなかったことに思える。いやいやいやシーナ可愛さを前にして痛みなんてある訳ないだろうオレ馬鹿だなぁうんうんあーそれにしてもシーナ可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛いあーシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナ
と、オレが妄想に更けこんでいると泣きそうだった顔はいつの間にか真っ赤に茹でられたタコみたいな怒り顔に変わっていて、オレはやっぱりシーナはどんな顔してても可愛いなと心の中で呟いた。
いつも通りなのだけれど、オレのそんな態度にぷんすかと怒りながらシーナはもう!とますます不機嫌になっていく。どうやらシーナのそんな怒りはオレに対する心配からきてるようだ。
「もう!もっと真面目になってよッ!ケートお腹刺されて死んじゃうところだったんだよッ!ばかばか!」
「……腹を、刺された?」
「そうだよ!昨日の夜病院から連絡がきて、ケートが、大変なことになってる、って聞いて、ボク、ボク…………心配したんだからッ!」
そこまで言われてようやく思い出す。オレは昨日打ち上げの帰り道で腹を刺されたのだ。死にそうなくらい腹が痛くて、熱くて、意識も遠のきそうになりながらオレは何とか現状で出来ることをしようと思って、まず手元にあった自分のケータイを手に取り、走ってその場から立ち去ろうとする犯人の写真を撮った。自分を刺した犯人の正体を撮ろうとした訳ではない。こちらに意識を引き付けようと思ったのだ。
犯人の向かった方向はシーナの家のある方向だった。このまま奴が先へ進めばシーナも襲われる可能性が大いにある。そんなことになったらオレは此処で死んだとしても死にきれない。そうなるくらいなら、オレがここで相手を引き留めておき、シーナが家に戻るまでの時間稼ぎになれればいいと思った。シーナの為ならオレの内蔵の一つや二つ、いや三つも四つも-----いくらでも安いものだ。
さぁ犯人オレに気付け。オレに写真を撮られたことに気付け。オレの身体ならいくらでもぐちゃぐちゃにしていいから。
そう願いを込めて動かなくなろうとする身体でどうにかこうにか声をあげ、相手を引き付けようと思ったのだけれど、懇願空しく犯人は気付かず先に向かってしまった。
こうなるとオレに為す術はなく、無様にオレは冷たい道路に転がった。もう意識もほとんどなく、周りの気温も相まって身体が少しずつ冷たくなっていくのを感じる。あぁ、死ぬのか。と漠然と理解している自分がいた。
オレは生きることを放棄した。とにかくシーナだけは助かりますように……そう願って、目を閉じた。
(はずだったんだけどな……)
「本当に、もう……その"女の子"がいなかったら死んじゃうとこだったんだよ!?」
「本当、命の恩人だよ……感謝してもしきれない」
結果的にオレは死ななかった。とある"偶然そこを歩いていた女の子"のおかげで。
意識も生きる意志も手放そうとしたその時、すっとんきょうな悲鳴が聞こえた。何事だろうと目をうっすらと開けると、知らない女の子がオレの脈を確認して、すぐさま慌てた様子でどこかに電話を掛けている。あぁ死に際だっていうのに騒がしくしないでくれよ、そう思って今一度目を閉じようとすると、オレのそんな様子を見た彼女は叫ぶ。可愛らしい見た目に似合わない獣みたいに吠える。
「大切な、奴…大好きな奴のこと…ソイツのこと考えてみろ!」
随分変なことを言うと思った。だけどオレはなんとなくその声に従っていた。シーナのことを考えた。
「ここで死ねば、お前はソイツに大好きって言えなくなる!愛してるって言えなくなる!抱き締められない!二度と顔を見られない!」
「お前が死ねば、ソイツは絶対悲しむ!わんわん泣く!お前の後を追って死んじまうかもしれない!お前それでいいのかよ!?」
「嫌なら生きろ!!絶対に、だ!…………お前は、好きだって言えるんだから……これから何回だって、言えるんだから……生きろよ!!」
どこかの当て馬とよく似たことを言うなぁ、と思った。お前は好きだって言えるんだから。なんて。お前も、言えばいいのに。はは。は。そう笑いたかったけど、頭に血が回らなくて表情すら動かせなかった。
こうしてギリギリでオレは生きる意志を取り戻した。そうこうしてる内に救急車がきて、オレはとにかく絶対に生きてやると、そう思いながら意識を手放した。シーナの顔が二度と見れなくなるなんて、絶対に嫌だったから。次に起きたらいっぱい"好き"を伝えよう。そう思って。
「結局、誰だったんだろうね。その女の子。……救急車には乗らなくて、その場で分かれちゃったんでしょ?」
「知らない子だったからなぁ、年はオレ達と同じくらいに見えたけど……あ、でも顔は凄い可愛かったよ」
「…………ボクとどっちが?」
「シーナに決まってるだろ?ばーか」
「えへへ」
「はは」
そうしてシーナは少し照れながら、にっこりと笑う。可愛い。馬鹿みたいに可愛い。好きだ。大好きだ。心の中の溢れるくらいの愛をそのまま彼に伝えると、彼もまた同じようにオレに愛を返す。
「大好き。心の底から愛してるよ、シーナ」
「ボクもケートのことが、だーいすき!」
「いっぱい?」
「いっぱい!」
そうやって一緒に笑いあった。
∮
「ところで、シーナ?なんか大きめなカバン持ってるみたいだけど何入ってるんだ?」
「あ、これ?」
ひとしきり笑ったあと、ふとシーナが持ってきていたカバンに何かがきらりと光っているのに気付く。オレのその問いかけにシーナはそういえばという様子で中のモノを自慢げに見せてくれた。
「包丁」
「…………」
「ケートが寝てる間にホームセンターで買ってきたんだ。へへ、これでいつでも犯人をぐちゃぐちゃに出来るよッ!」
「……シーナ、駄目だよ」
にこにこと笑いながら包丁を構えているシーナを諌める。どんなにシーナが可愛くたって、駄目なものは駄目だと教えてあげなきゃな。
「それじゃあ、犯人を"ぐちゃぐちゃ"にできない」
「それに、"ぐちゃぐちゃ"なんかじゃ足りないだろ?」
「ぐちゃぐちゃの、めちゃめちゃの、ぬったぬったの、めっちゃくちゃの、べちゃべちゃにしてやらなきゃ」
「……だから、さ。オレが退院したら、一緒に行こう」
二人の敵は、二人で一緒に殺ろう。
オレの"駄目"という言葉に少ししょぼんとしたシーナだったけれど、その後の言葉を聞くとすぐに笑顔が戻って「そうだね!」と嬉しそうに頷いた。良かった。シーナには、やっぱり笑顔がよく似合う。
シーナの笑顔を見て、オレも嬉しくなり、また笑った。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.84 )
- 日時: 2018/01/29 07:16
- 名前: 羅知 (ID: 7JU8JzHD)
お昼を過ぎてあまり味のない病院食を口にした後、口直しにと言ってシーナが林檎を買ってきてくれた。オレが、うさぎにしてほしいな、と自分でもちょっと気持ち悪かったかなと思いながらもおねだりすると、しょうがないなぁ、と言ってシーナはオレの目の前で林檎を剥き始めた。優しい優しいシーナ。天使というよりも女神という表現の方が正しいんじゃないかなんて思い始める。
しゃりしゃりと小気味良く林檎を剥いていくシーナを見つめていると、ふと思い出したように物憂げにシーナが目を伏せる。どうしたのか、と聞くとその鬱とした表情のままシーナはその理由を話し始めた。
「トモちゃんは…………大丈夫、なのかなって」
「トモって、菜種のことか?……菜種がどうかしたのか?」
オレのその言葉を聞いて、そういえばケートは知らなかったねと言って苦笑いするシーナ。笑ってはいるが、その笑顔は無理矢理で苦しそうなのが丸分かりだった。菜種……シーナと仲の良い友達の一人だったはずだけれど、彼女がどうかしたのだろうか。
「トモちゃん……歩道橋から突き落とされたんだって。それで、今でも意識が戻らないんだって……」
「!?……シーナは、お見舞いにいかなくていいのか」
「………………ダメだよ」
断固たる口調だった。そんなこと出来るはずがない、そうとも言いたげなそんな言い方だった。
「……あんな、動揺して、震えてて、泣いてる人の近くに、"大切な人が少なくとも目覚めてるボク"が行けるわけないから」
「…………」
「彼のあんな顔初めて見たよ。いつも仏頂面なのに……あんなに慌てて、泣いてて……凄く、凄く大切に想ってるんだなって嫌なほど伝わった」
シーナの言っている"彼"とは誰のことを言っているんだろう。口調からしてシーナの知り合いなのは確実だ。それなら学校の人間だろうか。確か菜種には恋人はいなかったはずだけれど。全くどういうことなのか理解できていないオレをお構い無しにシーナはまるで一人言みたいに続けてこう呟いた。
「トモちゃんも喋り方には癖があるけど、まっすぐな子だからね。好きになる気持ちも凄く分かる。彼もきっとトモちゃんのそういうとこを好きになったんだろうな……」
「…………?」
「うん、凄くお似合いッ!!……なのに、なのに、どうして」
「どうしてこうなっちゃったんだろ…………」
∮
これは私の記憶。
『ねぇおかあさん、私のことすき?』
ええとっても。母はいつもの調子で笑いながら答えた。周りの人に嘘をつく時と何も変わらない態度で。
『……そっか』
母の言葉が重みを持つことは、きっと一生ないのだろう。
幼くしてそのことを悟った私は、もう二度とその質問を母にすることはなくなった。だって、やったって何の意味もないんだから。意味のないことに、する価値なんてあるはずがない。
『嘘です。本当は---------』
『これは本当です』
いつしか癖になっていた言葉達。母の影響だ。気が付けば私は言葉の"嘘と本当"に敏感な人間になっていた。他人の言葉にも、自分の言葉にも。
本当だって信じたいのに、実は嘘なんじゃないかって思ってしまう。自分の言葉にすら確信が持てない。嘘と本当を見分けるのはとても難しい。
文化祭の帰り道。
ふと私に掛けられる声がして振り向くと、ガノフ君が私に向かって手を振っていた。そのままこちらに向かってくるガノフ君。その表情は笑顔だ。
(彼の伝えてくるものは、いつだってまっすぐで"ホンモノ"だ)
その笑顔を見ていると、こちらまで頬が緩んでしまう。一歩、また一歩と階段をかけ上がってくる彼を見ながら心が浮き出し立つのを感じた。
だけど私は。
『トモ!オレはお前のことが------』
彼の"その言葉"を最後まで聞くことが出来なかった。
後ろから強い力で押されて、身体が傾く。ぐらりとバランスを崩して柵に乗り出した身体は重力に従って下に落ちていった。
彼の言葉の代わりに聞いたのは、犯人のこんな台詞。
『ねえ。君のお母さんは今度こそ心配してくれるかな?』
ずっと、心に抱えていたモノを、見透かされたような、そんな気がした。
(……全然、諦めきれてなんか、なかったんだな。私は)
やっぱり私は嘘つきだ。
落ちていく中で、犯人の口元がにやりと笑っていたのが見えた。
∮
目覚めると、周りは真っ暗でしんと静まりかえっていた。さっきまで落ちていく自分の夢を見ていたので自分に何があったかははっきりと覚えている。文化祭の帰り道、私は突き落とされたのだ。歩道橋の上から。
幸い命は助かったようだけど…。
("幸い"かぁ……幸いなのかな、これ)
周りを見回しても見えるのは暗闇ばかりで、自分の手元すら確認することが出来ない。また体勢を整えようと身体を動かすと全身に痛みが走った。不安定な状況にいると、どうも薄暗い想像ばかりしてしまう。まぁ私のいるところはまっ暗闇だけど。……面白くもない冗談だ。
「まったく何やってんだろう、私……」
「何やってるんだと思う?」
「!…………その声、紅先生ですか」
「うん。起きたんだね、良かった」
てっきり私一人だと思っていたので、結構大きな声で喋ってしまって少し気恥ずかしい。まぁこの暗闇じゃ、顔が赤くなってもまったく分からないけれど。
「…先生、酷いですよ。いるならいるって言って下さい」
「ごめんね。声を掛けるタイミングを失っちゃったんだ」
「もう。許しません。……嘘です。別に許しますよ、これくらい」
「ありがとう」
先生の声が若干やわんだような、そんな気がした。それにしてもこんな泥棒みたいな入り方しなくてもいいのに。こうして声を掛けられるまで気付けないくらい気配がないとかまるで忍者だ。
「怪我は大丈夫?」
心配そうな口振りでそう聞かれて、私は返答に戸惑った。大丈夫、といえば嘘になる。だけど思っていたよりも軽症だなとも感じていた。少し逡巡した結果、思ったことをそのまま伝えることに決めた。
「大丈夫……といえば、嘘になります。だけど思っていたよりも軽症だったなとも感じています。犯人の落とし方が良かったんですかね」
私の冗談の混じった言葉に先生は少し疑念を抱いたらしい。私をユーモアの欠片もないつまらない女とでも思っていたのだろうか。そうだというなら心外だ。私だって冗談を言うときくらいある。……今回の場合、半分くらいは本音だったのだけど。
まあ、疑問を抱かれていようが、何を思われていようが、私には関係のないことだ。そう考えて私は私の話したいことをそのまま話させてもらうことにした。
「……先生。実は今回の事件のことで私、別に犯人のこと恨んでなんかないんです」
「どうして?」
心底驚いたような、そんな口調だった。
「……分かんないです。でも不思議と怒りとかそういうのは湧いてきません。突き落とされたっていうのに、何でなんでしょうかね」
「…僕には分からないよ。君の気持ちが」
「……はい。多分、分からないと思います」
きっと先生には分からないだろう。私の本当の本当の気持ちなんて。うわべだけでは理解できたとしても、本当の本当に分かるなんてこと。それは嘘と本当を見分けるのと同じくらい難しい。
先生、それに"貴女"には人の気持ちは理解できないでしょう?
「……もしかして、君は犯人の正体を分かってるのかな」
「そんな訳ありません。もし分かっていたら、よほどの頓珍漢じゃない限り人に伝えますよ」
嘘だった。自分も随分嘘が癖になってしまったな、と気が重くなる。
「…………」
「…先生。私、親が教師で、帰ってくると、いつも一人で、凄く寂しかったんです。……だけど近所のお姉さんがよく遊びにきてくれたから、その時だけは寂しくなくなった」
「…………」
「それが、嘘だったとしても、演技だったとしても、何もこもっていなかったとしても、その時の私を先生は全力で騙してくれた。……私はその恩に報いたいんです」
「…………」
「おかしいですよね。やっぱり、私」
先生は大きく溜息を吐いた。私は、先生のそんな大きな溜息を初めて聞いた。遊んでくれた時には、貴女はいつも笑っていたから。
「……おかしいよ。すごく」
長い長い溜息のあと、先生はそう言った。その通りだ、と思った。
「……そろそろおいとまするよ。遅くにごめんね」
「……分かりました。あ、最後に一つ」
「何?」
「"お母さんは、私を心配してくれましたか?"」
先生は数秒間黙って、そして口を開く。
「"とても心配してたよ"」
先生は、演技は凄く上手だけど、嘘は下手ですね。そう思ったけれど、役者にこの言葉は無粋だろう。喉まで出かかって、飲み込んだ。
「他の人も凄く心配してたよ。だから早く元気な顔を皆に見せなよ」
今はその"本当"だけで、充分だった。高望みはよくない。
「じゃあね」
入り口はドアしかないはずなのに、閉まる音はいつまで経っても聞こえてこなかった。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.85 )
- 日時: 2018/02/10 05:41
- 名前: 羅知 (ID: VN3OhGLy)
今度こそ一人になって、部屋の中に静寂だけが広がる。もう一度寝ようにも目が冴えてしまって寝れないので、何か適当なことについてでも考えよう。そうすることにした。
クラスの皆は私が歩道橋から転落したことにびっくりするだろうか。それとも多少驚いてもそのあとまた同じような"いつもの生活"を続けるのだろうか。前者であってほしいけれど、きっと後者の方が多いんだろう。そう考えている自分がいた。結局そんなものなのだろう。近くの人一人が大怪我をした、そうなったところで"日常"は続いていく。"続かれていく"という表現の方が正しいだろう。何事もない日々を送りたい人々の思いによって、事件はなかったことにされるのだ。自分の身に起きなければ、どんな凶悪な事件だって所詮は他人事だ。他人の問題になんて足を突っ込みたくないだろう。そしてその考えを冷たい考えだなんて言えるわけがない。誰だって、そうなのだから。
(そう……なんだよね)
かつて、"濃尾日向と馬場満月"に"日常"を壊される、そう考えていた時があった。
かつてという程、前のことでもない気がするけれど、今では私の中にそんな考えは一切なくなっていた。むしろどうしてそんな自分本意なことを考えていたのだろうかと以前の自分に疑念の念を覚えるくらいだ。日常を壊されるというならよっぽどか"あの人"の方が危険因子だったというのに、それは見逃した自分。許した自分。
それなら私が守りたかった"日常"とは一体なんだったのだろう。
私も私の周りの人もそれなりに幸せな生活が続いていくこと……?ああなんてエゴイステイックな願いなんだろう。明確に言葉に表して殊更にそう感じた。
それでも私たちはそう願わずにはいられない。変わらぬものなど何もないのに。いつだってそれを失う恐怖と戦いながら。
(あの二人は一体どんな"日常"を望んでいるんだろうな……)
文化祭の時、随分と楽しそうだった彼ら。そういえばそんな二人の姿を見て、私の彼らに対する疑念は消えていったのだっけ。良い意味であの時クラスは一つにまとまった。全部全部あの二人のおかげだ。疑っていた自分をバカらしく感じた。
だから。もし彼らに送っていたい"日常"があるとするのなら。
どうかそれが叶いますように。そう心の中で静かに願った。
∮
気が付けば僕は見知らぬ町にいた。意識ははっきりしているけれど、これは夢だとすぐに分かった。現実とは明確に違う点。現実ならば確実にあり得ない違和感。
視界が明らかに低すぎるのだ。
いくら僕の背が低いといっても、これではあまりに低すぎる。地面から視点まで僅か一メートルもない。見るもの全てが大きく写って、まるで幼児になったような錯覚を覚えた。
……"まるで幼児に"?
「!?」
手を見ると、そこには紅葉みたいなもちもちした自分の手があり、足は何だか踏む面積が小さく身体が安定しない。心なしか頭も重く感じる。それはまさしく"幼児"の身体だった。何ということだろう。僕は夢の中でとうとう幼児になってしまったらしい。低い視界からきょろきょろと辺りを見渡すが見えるものには限りがあって、此処が一体どこなのか、住所を表すようなものは一切見えない。
……夢の中で迷子なんて笑えない。ここは僕の頭の中なのだ。だから迷うはずがないのに。迷う必要なんてないはずなのに。身体の幼児化に頭まで引き摺られてしまっているのか、だんだんと不安になってきて、にわかに泣きたくなってきてしまった。
(……ああ、もう、どうしろっていうんだよ!)
とにかく進んでみよう、そう思って覚束ない足で一歩、また一歩とよちよちと進んでいこうとしたその時。
『『そっちじゃないよ』』
『『こっちこっち』』
『『ほら、おいで?』』
『『日向』』
後ろの方から声が聞こえた。何故だかその声はどこか懐かしいような気がした。誰の声だか分からない。だけど、だけどこの声を聞いていると。
(すごく……気持ちが落ち着く気がする……)
くるりと方向転換をして、声のする方へ声のする方へ進んでいく。よちよちと、よちよちと。一歩、一歩を踏みしめて、よろめきながらも前に進む。
まるで幼子が、親に呼ばれてついていくみたいに。
∮
慌ただしかった休日が終わり、複雑な気分で学校へ向かうと随分と空席が多く感じた。尾田慶斗、菜種知が事件のようなものに巻き込まれたことは椎名から聞いていた。濃尾日向のことで気を取られていた間にそんなことになっていたなんて全くもって知らなかったので昨日の夜、そのことを聞いた時は随分と驚いたものだ。尾田慶斗はもう目を覚ましたらしく、椎名の様子は思っていたよりも落ち着いていた。菜種知も意識こそ昨夜時点ではまだ戻ってはいなかったが、命に別状はないらしい。ただ、心配なので今日まではケートの側にいるらしい。同じくお見舞いと言う理由でガノフも休むのだという。こちらは尾田慶斗ではなく、菜種知の方の為らしいが。
(……それはそれで大変なことだか、今は俺はそれどころじゃないんだ)
……社に再会したこと。濃尾日向が"ヒナ"であったこと。クラスメイトが大変な目に合ってるというのに、こういう風な言い方は冷たいかもしれないが、俺にとっての現最重要事項はこの二つだった。俺はこれからも"馬場満月"でいたいのに、いなければいけないのに、この事が俺の心を大きくかきみだす。"馬場満月"を見失い、"神並白夜"を意識すること。それは本来気が狂いそうなくらいの苦痛だ。大嫌いな"自分"の事を考えてるだけで吐き気がする。そうだというのに未だに俺は"神並白夜"という過去に囚われきっているのだ。いっそ濃尾日向のように全てを忘れていられたらどんなに楽なのだろうか。全てが壊れきってしまっていたらどんなに楽なのだろうか。叶わないことを願ったって仕方のないことだった。
俺は"こういう人間"で、だからこそずっと出来損ないにしかなれない。本当に俺が"俺"になる為には、それこそそのままの意味で"生まれ変わる"しかないのだろう。
つまりは"死ぬ"ということだ。
(……"アイツ"と会っていなかったら、今頃俺はどうなっていたのだろう)
アイツと、濃尾日向と深く関わる前のほんの少しの間だけ、俺は確かに"馬場満月"だった。役にのめり込み、熱に浮かされて、"自分"は遠い何処かに行ってしまっているようなそんな感覚だったような気がする。あの時の俺は、"俺"で、"神並白夜"なんか何処にもいなくて、まさに理想の自分だったのだ。
けれども俺は濃尾日向と出会ってしまった。
アイツと出会った瞬間に俺にかかっていた魔法のようなものはじわじわと溶け始めて、まだ"劇"は途中だというのに俺はまるで台詞が飛んでしまった役者のように舞台のど真ん中で立ち竦んで動けなくなってしまった。上演中に役を放棄するなんて役者失格だ。まだ幕は下りていないのに。一人芝居は俺が動かなきゃ、進んでなんかくれないのに。
今の俺は一体何なのだろうか。馬場満月になれず、神並白夜にももう戻ることなんて出来ない、役者名簿の何処にも乗らない名無しの俺は、一体誰なのだろうか。……分かってる。その問いに答えてくれる人はいない。"これ"は俺のエゴで始まって、エゴで終わる誰も見ない、誰もいない一人芝居なんだから。
誰かと演じていた頃の、あの仄かな暖かさを今更恋しがったって、どうにもならない。
∮
何事もないまま昼休みになった。今日は濃尾日向も、紅灯火も学校に来ていなかったから、一日ずっと平和だ。今の俺はアイツらの顔をまともに見れる自信なんてない。来なくて、幸いだった。
……だけど、まぁ当事者とその関係者なんだから、今日は学校に来てなくて当然だろう。昨日の今日でいつも通りみたいな態度して学校にいたら、それこそおかしすぎる。
(…………)
ふと、社のことが頭を過った。仮にも幼馴染二人がこんな風になって、彼女は今どんな気持ちで過ごしているのだろう。気が気でなく、落ち着かない時間を過ごしているのではないか、なんて。
(…………)
だけどそれは一瞬のことで、俺はすぐにふと浮かんだそんな疑問を頭から消し飛ばした。自ら社のことを考えてどうする。彼女のことを考えていたら、必然的に、俺は"オレ"を意識しなきゃいけなくなってしまうじゃないか。俺はまだ馬場満月であることを諦めたくはない。
「浮かない顔だね」
そんな風にして、ぼうっと鬱な時間を過ごしていると、ふと声を掛けてくる間の抜けたような声があった。誰だろうか、と顔を見上げるとそこにはどこか真面目な表情をしている岸波小鳥の姿があった。
「……なんだ、岸波君か」
「なんだとは酷いなぁ、ボクはボクさ。え、と……満月、クン」
「君は相変わらず忘れっぽいんだな。まだ俺の名前を覚えてないのか?」
久し振りにこんな風に軽口をクラスメイトに叩いたようなそんな気がする。文化祭の時は忙しくて誰かと和気藹々と喋る暇なんてほとんどなかった。
そんな俺の軽口をばつの悪そうに受け止めて、岸波は何か言い淀むかのように口を歪めたあと、意を決したのかすうっと息を吸って------------その言葉を口にした。
「……あの、さ」
「君……って、本当に…………満月、クン?」
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.86 )
- 日時: 2018/02/14 06:04
- 名前: 羅知 (ID: P/K6MsfL)
その絞り出すような声に動揺を隠しきれず俺はごくりと唾を飲み込んだ。表情にまでは出なかったはずだ、多分。
「……どうして、そんなこと、言うんだ?」
……何を怖がっているんだ、俺は。俺は、馬場満月だろう。胸を張って彼女にそう教えてあげればいい。忘れっぽい彼女のことだ。また、忘れてるんだろう、俺の名前を。いつものことだ。ああまったくクラスメイトの名前くらい早く覚えればいいのに。なぁ、そうだろう。……いつものこと、いつものことじゃないか。何もおかしくなんてない。慌てる必要なんてない。それなのに。それなのに。それなのに。
どうして、こんなに、声が震える?
「…………ごめん。変なこと言った」
「え?」
「よく分かんない……だけど、なんか最近ボクおかしいんだ……」
俺のそんな様子を見て取ったのか、岸波は心底苦しげにそう言った。今にも泣き出してしまいそうな、そんな表情だった。もう何がなんだかよく分からない。俺は呆気にとられた。岸波の呼吸は荒い。まるで酸欠の魚みたいにぜえぜえ、ぜえぜえと息をしている。どこかの誰かと似ているような気がした。鏡を見ているような気分になった。
「…だ、大丈夫なのか」
「……すー……はー……ん、大丈夫。大分落ち着いた、気がする」
「…………」
「…………ごめん、ね。本当に」
息が落ち着くと岸波はそう言ってまた俺に謝ってきた。何について謝っているのか俺には分からなかった。だけど少なくとも変なことを言ったから、そんな理由じゃないように思えた。それだけにしてはその言葉はあまりにも苦しげで、重すぎていた。
泣いてるみたいに、彼女は言う。
苦しみながらも、話をする。
「……何かを、忘れてる気がするんだ」
「…………」
「大事なことだったはず、なのに。どうして、どうして思い出せないんだろう…………」
「……思い出さなくていいんじゃないか。そんな記憶」
その時どれだけ大事だったとしても忘れたくなるようなものなんて、きっとロクなものじゃない。忘れたことをわざわざ思い出す必要なんてないのだ。忘れたということは、きっともう、それは必要のないものなんだから。
俺の言葉に岸波は一瞬驚いたように目を見開いて、俺の方を向いた。しかしまたすぐに俯いてしまった。心なしかその瞳はさっきよりも穏やかだった。幾ばくかの静寂。落ち着いた一定のリズムの呼吸音の後に、岸波は顔を上げる。岸波は微笑んでいた。ほんの少し苦しそうではあったけれど、それでもその表情に先程のような切迫したものは感じない。
「…………いや、やっぱり思い出すべきだ」
「…………?」
「分かんない。全然分かんないけど…………そう思ったんだ。君の顔見てたら」
そんな顔して、そう言う君を見てたら、そう思えたんだ。
ありがとう、最後にそう言って彼女は足早にその場を立ち去った。彼女は一体何を理解したのか。一体俺はどんな顔をしてたのか。何もかもが分からなかった。訳が分からず、どうにもできないまま、俺はその場で立ち尽くした。頬から意味の分からない暖かいものが伝っていった。分からない。分からない。分からない分からない分からない。
「なにも、わから、ないよ………!」
俺は一体なんなのだろう。
もうボロボロで、不安定な足場は今にも崩れそうだった。落ちてしまいそうになりながら、俺は目の前の同じくボロボロの縄にすがりつく。今の俺にとってこれは命綱のようなものだった。俺が"俺"でいられる最後の砦だった。何も分からないなら、せめてアイツの望む"俺"でいよう。何者にもなれないのならせめて"ミズキ"であろう。アイツがすがってくれるから、俺はまだ"俺"でいられる。誰かの望む"誰か"でいられるなら、俺はまだ生きていられる。生きてても、いいんだって思える。苦しくても、辛くても、悲しくても。
アイツのためなら、俺は。
「……もしもし、濃尾君」
アイツが望んでくれるなら。
「……おい。どうしたんだよ」
俺は。
「…………なあ、なんで、泣いてるんだよ……?」
助けたかった。
「…………いつもみたいに、してくれよぉ……!」
助けてほしかった。
「………………頼むから」
きっともう、どちらも叶わない。
∮
ボロアパートの古階段をこつこつと上っていく。かけっぱなしの電話からはさっきから喉が壊れんばかりの叫び声が聞こえていた。本当は切ってしまおうかと思ったのだけど、出来なかった。最後の一秒までその愛しい声を聞いていたかった。
「…………ねぇ、馬場」
懐かしい彼の、偽りの名前を呼ぶ。相変わらず涙は止まらない。全てを理解して、目を覚ましてから、ずっとだ。あぁ、最後の日くらい学校に行っとけばよかったな。ほんの少しだけ後悔したけれど仕方ない。こんな顔、皆に見せられる訳がなかったんだから。
あぁだけどやっぱり寂しいな、お別れって奴は。
「……泣かないでよ」
ねぇ凄く楽しかったよ。短い時間だったけれど、僕にとっては夢のような時間だった。君のおかげだよ。皆のおかげだよ。だからそんな悲しそうにしないでよ。悲しくなっちゃうだろ。君がそんな風になる必要なんてないんだから。
ねぇ、凄く今幸せなんだ。だから、さ。
今、終わらせたいんだ。
「君を解放してあげる」
こんな僕といたら、君までおかしくなってしまう。
優しい君に、あんなこと出来るはずがなかったんだから。
僕のせいで、ああなってしまったんだよね。
ごめんね。
ごめんね。
「……ごめんね、ユキ。シロ」
ママが死んだ。
僕は襲われた。
ママと同じように。
痛い。
痛い。
なんで、笑ってるの。
これが、愛なの。
苦しいよ。
苦しいよ。
助けて、助けて。
真っ赤にそまった。
僕とつながったまま。
その人達は動かなくなった。
血みどろの両腕。
抱き締められる。
絞められる。
ぐちゃぐちゃ。
誰。
誰。
誰。
ごめんねって。
僕のせいだって。
赤色は言った。
赤色は泣いた。
パパが死んだ。
愛は消えた。
愛はなかったことにされた。
ヒナは消えた。
ヒナはなかったことにされた。
皆泣いた。
皆壊れた。
やり直してまた繰り返して。
何回やっても同じ。
食い潰された人生。
食い潰してきた人生。
みんな、みんな、僕のおはなし。
きっと、こんな僕は死んだ方がいい。
誰かの人生を食い潰して生きるのは、もう散々だ。
大好きを失って生きるのは嫌だから。
大好きなまま、僕は終わりたい。
この愛を抱き締めて、僕は眠りたい。
「ごめんね」
「みんなのことが だったよ」
「じゃあね」
さよなら、みんな。
さよなら、愛しい人々。
さよなら、さよなら、お元気で。
ひゅるりと肌寒い屋上の柵の外側へ。
重心を傾ければ。
身体は下へ落ちていく。
ママ。パパ。
いつまで経っても迎えに来てくれないから、僕の方から行かせてもらうね。
同じ方法じゃなくて、ごめん。
苦しいのは嫌だったんだ。
みんな、みんな、ごめんなさい。
生まれてきて、ごめんなさい。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.87 )
- 日時: 2018/02/15 19:59
- 名前: 羅知 (ID: QNWf2z13)
【愛と勇気】→【愛と言う気】→【×と××】
壊しあって、貶しあって。
挙げ句の果てに辿り着いた、この場所で。
僕は君に別れを告げよう。
あんな卑しい感情を。
こんな悲しい結末を。
愛と言う気は、さらさらない。
さぁ、勇気を出して。
一歩進めば、真っ逆さま。
→next?【×と××】
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.88 )
- 日時: 2018/02/15 20:09
- 名前: 羅知 (ID: QNWf2z13)
- 参照: https://twitter.com/ataru_horsedeer/status/963522308743643137
今回の話の動画を作ってみました。
かなり簡単な作りですが、見ていただければ幸いです。
余談ですが、この動画を作ったQuikというアプリ、本当に簡単に動画が出来ます。文字いれ画像とイラスト、フリー画像などを使って、今回の動画も作りました。もし良かったら皆さんも作ってみたらいかがでしょうか?動画になると、結構見てて楽しいですよ。自分の好きなように作れますしね(*^^*)
なんて、私のちょっとした願望です。
皆さんの素晴らしい作品で作られた動画が見たいなぁって、これ作りながら思ったのです。
いつも応援ありがとうございます。
引き続き、当たる馬には鹿が足りないを宜しくお願いします。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.89 )
- 日時: 2018/11/12 22:17
- 名前: 羅知 (ID: jIh6lVAe)
七話・another【愛と勇気】
「…あーあ、夜も随分更けちゃった」
冬の星は輝かしい。だからこそあまり好きになれない。
人通りのなくなった道のど真ん中で空を見上げながら、秦野結希は一人そう思った。
こんなに気分が満たされないのは久し振りだった。中途半端に燃え尽きた紙くずみたいな気分だ。不愉快だ。こんな気分なのに星は五月蝿いくらいに光輝く。こういう空気を読まないところが好きになれない。誰か大気圏に突っ込んで流れ星みたいなのになってくれないだろうか。そしたら適当に願い事なんかしたりして、今の気分も少しはマシになるだろう。
(いや、ならないかな)
何せ自分には夢がない。一億円宝くじで当てたりして、好き放題使ったりとか確かにちょっと面白いかもしれないけれど、すぐに飽きるだろう。それくらいなら大気圏にもう二、三人ダイブした方が見応えがあるかもしれないけれど、それもやっぱり数回やったら飽きるだろう。よく考えたら完全に満たされたと思ったことなんて、この人生で一度もなかった。振り返ってみれば、何もないつまらない人生だった。何もない、人生だ。少なくとも秦野自身はそう考えている。人の道、それが人生だ。それ以上でも以下でもない。それを喜劇と呼ぶか、悲劇と呼ぶかは見る人次第だ。凝った演出。脚色。何もそれは演劇の世界の話じゃない。誰しもが持っている"価値観"、それこそが何よりの演出効果になりうる。逆に言えばそれさえなければ、人生なんて物語とそう大差ない。
そんなものに人は感動する---------それがどうしても理解できない。
『…先生。私、親が教師で、帰ってくると、いつも一人で、凄く寂しかったんです。……だけど近所のお姉さんがよく遊びにきてくれたから、その時だけは寂しくなくなった』
『それが、嘘だったとしても、演技だったとしても、何もこもっていなかったとしても、その時の私を先生は全力で騙してくれた。……私はその恩に報いたいんです』
理解できなかった。あの子の言葉が、何一つ。暗くて表情は見えなかったけれど多分笑ってあの子はそう言ったんだろう。なんで笑う。なんでそんなことを言う。なんで。なんで。
"私"の見たかった表情は、あれじゃない。
『へぇ……結希、結局あの子は殺さなかったんだ。意外だな』
「まぁね。気付かれてなかったみたいだし。別にいっかなって」
『……変な結希』
「変?」
『変だよ、色々。何というか……結希らしくない感じ』
あの後、病院を出てからなんとなく優始に電話した。事の顛末を言うと少し驚いた風に返された。変だと言われて何故だかいつもより過剰に反応してしまって、余計に変に思われた。らしくない、とからしい、とか。なんだそれ。秦野結希は、秦野結希だ。それ以外の何者でもない。何故だか無性にイラついている自分がいたことに、弟に指摘されて初めて気が付いた。
「……はは。なに?弟くんは先生のコト何でも分かってるっていいたいの?」
『そうじゃないけどさ……まぁ、いいよ。なんか柄じゃなく不機嫌みたいだし』
「不機嫌?先生が?」
『気付いてなかったの?』
「…………」
『やっぱり変だよ。……天変地異でも起きるのかなぁ』
しまいにはそんな風に言われる始末だった。そんなに変だっただろうか、と自分の胸に手をあてて考えてみたけれど、心臓がとくとくと小気味良く拍動を打つだけでいつもと違いは感じられない。じゃあ一体何なのだ、と誰かに問いたくもなったけど生憎こんな真夜中じゃ人っ子一人誰もいなかった。それに、そもそも考えてみれば自分の人生にそんな話が出来る人間なんて誰もいない。いくら頭を捻った所で、こんなのはただ何の益もない無駄な思考でしかないのだ。
("らしくない"、か)
(じゃあ、"らしい"って何なのかな)
(…………いやいや、こんな風に考えること自体が"らしくない"んだよねぇ。参ったなぁ)
考えれば考える程に沼にハマっていっているには、とうに気付いている。だからと言って忘れようと思って忘れることなんて出来やしないので、うんうんと"らしくない"うなり声をあげながら考える。好きではないけど物事を考えるのには丁度良い静かな夜だった。まだまだ長い夜は続く。秦野には考える時間が山ほどあった。
彼女の"らしくない"夜は続く。
"らしくない"と気付きながらも、"らしくない"彼女は考える。
らしくなく。らしくなく。彼女の夜は続いていく。
続いていく、"はず"だった。
「え」
音もなく近付いていた暗闇の中の復讐者に"らしくない"彼女は気付けない。
闇に溶けた"黒"が、彼女に姿を見せないままに彼女の身体を吹き飛ばした。
∮
全身が巨大な力によって吹き飛ばされ、その勢いのままどこかの木製の廃屋に突っ込んでいった。まだ住人がいなくなってあまり日数が経ってないのか、酷く酒臭い。部屋の中は元住人の暮らしていた痕跡が強く残っていた。ばきばきと壁を撃ち破ってそのまま家に突っ込む。偶然じゃ、こんな正確に家に突っ込んでいくことなんてない。だから狙って此処に吹き飛ばした。そこから推察できることは相手は相当な手練れだということだ。
それは自分にとっては、あまりよくない事実だった。
吹き飛ばされた痛みを堪えながら、吹き飛ばした相手を見て------------嗤う。あぁこれこそが自分の求めている"表情"だ。そう実感する。
身体全身を物凄い力で押さえつけられ、動けない。だけど楽しくて、楽しくて口だけは馬鹿みたいに動く。緊迫した状況だというのに、どうしてもそのことに喜びが隠せなかった。
「痛、いなぁ、もう」
「…………」
「……あは、大分目が慣れてきた。怖い顔、してますねぇ……?あ、髪色変えまし、た?イメチェンですか、いいですねぇ…………」
「…………」
「--------------------紅、先生」
自分の事が憎くて憎くて仕方がない、殺したくて殺したくて仕方がない、自分への憎悪で満ちた黒々とした瞳。これこそが、あの時"彼女"がするべき表情だったのだ。あの子にして欲しかった表情だったのに。
なのに、あの子は。
『……先生。実は今回の事件のことで私、別に犯人のこと恨んでなんかないんです』
あの言葉は確実に"私"に対して向けられたもので。
「…………何、ぼぉっとしてやがるんですか」
「あはは、ごめんなさぁい」
「ふざけるな!うちの可愛い生徒傷付けといて、よくそんな顔していられるな!」
「悪気はなかったんですよ?……人は人を傷付けなきゃ生きていけないんです。だから、ねぇ?仕方無いでしょ」
自分の言葉に、紅灯火の表情が暗闇でも分かるくらいに大きく歪む。信じられない、ありえない、口には出さずともそんな感情がはっきりと伝わってきた。
「お前、まだ、自分が人間のつもり、なのか。それだけ、それほどの事をしといて、まだ」
「えぇ、人間ですよ。……人殺しだって、どんな罪を犯したって人間は人間なんです。何なんですかねぇ?罪を犯したら、ソイツは人間じゃないみたいな風潮。人間は人間ですよねぇ、人を殺したくらいで人間じゃないなんて人種差別も甚だしい-----------っ!」
そこまで喋った所で、勢いよく冷たくて鋭い何かが掌を貫通する。流石に痛かったので声が出た。見れば紅灯火が今刺した冷たくて鋭いものを幾つも持っていた。怒りで息がぜえぜえと荒くなっているのが目に見えて分かった。
「……これ以上、言ったら、今度は二本、刺す」
「っう………………は、直ぐに、殺さないんですねぇ、良い性格、してるじゃない、ですかぁ」
「…………」
「っ!ぐぅっ……うぅ……………人には、ああいうこと、言う癖に、……貴方、は……人を傷付けて、いいんです、かぁ?……あ、もしかしてぇ…………?貴方、自分のこと、……バケモノとか、考えてる、タイプの、人……です?」
「…………」
「痛っ……!ぅあ……ぃ……あ……む、ごん……は、図星だ、って取りますからねぇ……そっかぁ……そうですかぁ……そうで、すよねぇ……どう、せ……私が、病院、忍び込んでるの、見てたん、ですよねぇ……だから、分かったん、でしょお……?私が、犯人……って……あの、会話、聞いてたんですよねぇ…………?あは、プライバシー、の、……侵害、ですよぉ、流石、バケモノ、ですねぇ……」
∮
何回、刺されたんだろう。
今、どれだけの血が流れたんだろう。
もう、考える気力すらない。
意識が、朦朧とする。
何もなかったはずの、つまらない、つまらない人生が頭の中でくるくるとまわっている。
あーあ。
走馬灯なんて、見るはずないと思っていた、のになぁ。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.90 )
- 日時: 2018/02/19 16:43
- 名前: 羅知 (ID: KVMT5Kt8)
∮
「おねぇちゃん、ばいばい!」
「うん。ばいばい」
その日は何の変哲もない夜だった。
いつもみたいに気まぐれで近所の鍵っ子の女の子の家に寄って、途中の道で友達に会ったから少し帰りが遅くなった。ただそれだけの何でもない日だった。女の子は今日も楽しそうに笑っていた。何がそんなに楽しいのか分からないけれど、いつも女の子はニコニコ笑っていた。私が来るたびにニコニコ笑っていた。不思議で仕方なかった。どうしてあんなにも楽しそうに生きれるのか。こんなつまらない世界で何をあんなに笑うことがあるのか。
(担任の娘だから、内申稼ぎで、行ってるだけなのに…………能天気な子)
こんなにつまらないんだから、もっとつまらなそうにすればいいのに。何であんな楽しそうなんだろう。変な子。本当に変な子。
(ちょっとくらい苦しそうな顔すればいいのにな)
どうすれば笑顔以外の顔が見れるのかな。叩いたら、殴ったら、蹴ったら、どんな顔するのかな。担任の娘だから流石に手出しできないけど、そんな妄想をしたら心が弾んだ。いっそあの子の母親である先生を殺したら、あの子はめちゃくちゃに泣いてくれるんじゃないのかな。あぁきっとそれは凄く楽しいことなんだろうな。
そんなことを考えながら、暗い夜道をてくてくと歩く。冬の夜空には星が一面に広がっていて、紺のカーペットに金平糖を散らかしたみたいだなと思った。一つ摘まんで食べたら甘い味がするんだろうか。なんてつまらないことを考えてしまって、心の中でくすりと笑った。
瞬間、世界が暗転する。
頭を後ろから強く何か棒状の物で殴られたのだと気付いたのは、目を覚ましてからのことだった。
∮
ぐちゅり。
ぱちゅん。
頭が、痛い。
お腹が、熱い。
一定の感覚で妙なリズムが頭に響く。
ぐちゅり。
ぱちゅん。
ぐちゅり。
ぱちゅん。
身体が自分じゃない"何か"に侵略されていく感覚が気持ち悪い。
手足は縛られていて、動けない。
「あぁ、起きた?」
はぁはぁと荒い息と共に、そんな声がかけられる。
「へぇ、起きたのに泣き叫ばないんだ。こういうの慣れてるの?」
「珍しい子だね」
「やっぱいいよね、こういうの。人を内側から蹂躙してくってのは、さ」
「寝ている君も可愛かったけど、起きてると尚更可愛いね」
何だか好き勝手なことを言われてる気がする。
だけど、意識はどこか遠くに行っているようで、身体は嘘みたいに動かなかった。
次第にリズムが早くなっていく。
自分の中に何かが放たれたのが分かる。
何も出来ないまま、全てが終わった。
他人に物みたいに扱われた。
他人に好き勝手にされた。
何も出来なかったけど。
何も出来なかったけど。
ただただ"私を好き勝手にした"目の前の奴を殺してやりたいと、強く思った。
例の"ひまつぶし"を始める、少し前の出来事だ。
∮
走馬灯から目覚める。
身体の痛みはいつの間にか麻痺してしまったようで、なくなっていた。
「…………思いだし、たんです、けどぉ」
そうだ。あれだったんだ。"私"の"らしさ"は。もやもやしていた物がすっきりして気分が良い。なんて今までの私は"らしくなかった"んだろう!今までの人生の中で今という時が一番爽快に感じている。これだ、これだったんだ。"私らしさ"は!!
紅灯火の腕は気を抜いているのか、随分と力が弱まっていた。その隙を狙って"私"は自分の胸元を探った。
案の定そこにはあった。
"弟から頂いていたライター"が。
"火を着けたままのソレをひょいと、そこらじゅうに溢れているビールの辺りへ無造作に投げる"。
火は勢いよく燃え出して、あっという間に私達の周りを包んだ。燃えやすい木材。そして引火する油はそこらじゅうにあるこの環境。火の勢いはどんどん増していく。
もう、逃げようにも逃げられない程、そこは火の海になっていた。
「……私、"他人に好き勝手されるの"嫌いなんですよぉ」
「!?な、何してるんだ!!お前も燃えるんだぞ!?このままじゃ」
「………はい、だからそのつもりです」
好き勝手にされるのは嫌いだ。
好き勝手にする方が好きだ。
だけどここから巻き返すことなんて出来ない。
だけど"好き勝手"されるのは嫌だ。
「私の、道連れになって下さい」
精々巻き込んでやる。
好き勝手やってやる。
かき乱してやる。
残した人がいるんでしょ?
大切な人がいるんでしょ?
残念ながら私には何もないから。
失うものは貴方の方がいっぱいだ。
罪悪感で苦しめ。
滑稽だ。
滑稽で仕方無い。
あは。
あはは。
あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!
生まれて初めて、心から笑った。
今の自分は世界一幸せだ、そう思った。
『あ。本当に結希も僕と同じ風になってる』
『…………』
『強姦って初めてでしょ?どうだった?』
『…………別に何も』
『そう。…………ああそうだ、コレ』
『……ホットココア?』
『うん。流石に初めての強姦はきつかったかなって』
『…………ありがとう』
『結希に感謝されるなんて。……天変地異でも起こるかな』
『………………甘い』
『そりゃあ甘いよ。ココアだもの』
夢の中であの後のことを思い出した。空気の読めない弟が珍しく空気を読んだあの時。あの時飲んだココアはとても甘かった。
弟はきっとあんな風に地べたに固執したまま、それでも図太く生きてくんだろう。そう確信した。
あんな弟、私くらいしか殺せない。
精々生き延びろ、そう思った。
『おねえちゃん、ばいばい!』
ばいばい。嘘つき少女。
何もないと思ってたら、意外と色々残ってるものだな。
記憶も、感傷も、感情も、全部全部炎に包まれて--------------灰になって、消えていった。
************************************
【愛と勇気】→【Iと結希】
これが私。
相対してようやく分かった。
観客の皆様。
私が秦野結希です。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.91 )
- 日時: 2019/02/27 20:05
- 名前: 羅知 (ID: 3/dSGefI)
第八話【既知の道】
夢は儚く、移ろいやすい。
さっきまですぐ手元にあったはずのものが、いつの間にか消えていく。夢ではいくら楽しくても、現実に戻ればそれはまるでなかったことのように思い出せなくなる。
覚めない夢は現実ときっと変わらない。
ならば、すぐに移ろう儚い現実は夢とどう違うのだろうか。
∮
『おい』
『おいってば』
『おきろよ!馬場!こんな所で寝てたら風邪ひくぞ!』
『……よく階段の、しかも屋上近くの階段なんかで寝れるなぁ』
『……あ、寝てるんだからコレで話し掛けても意味ねーのか(*´・д・)ったく世話が焼ける奴だなぁ』
『(-.-)……なぁ、馬場。お前もう二年生なんだぞ。しっかりしろよ。早く起きねぇと午後の授業始まっちまうぜ?』
『…………全然起きやしねぇ(;´д`)』
『…………?』
『泣いてるのか、馬場』
『笑ってるようにも、みえるな』
『……仕方ねぇ。今日は寝かせてやるから、起きたらちゃんと教室来いよ!(^_^ゞ』
∮
肌寒い空気が身体を通り抜けていったのを感じる。硬い階段の冷たさが尻から伝って身体がぶるりと震えた。膝には寝る前にはあった覚えのない誰かの上着。そのおかげなのか膝だけはほんのりと温かく感じていた。
なんだか長い夢を見ていたような気がする。
夢の中の俺は"知らないクラスメイトらしき奴ら"と笑いあっていて、とても楽しそうだった。そしていつも傍らには背の低い可愛い男の子がいた。俺はソイツのことを"濃尾君"と呼んでいた。俺が声を掛けると"濃尾君"は笑顔で"馬場!"と俺の名前を呼び返す。本当に楽しい夢だった。現実であればどれほど楽しい日常になっていただろうか。
だけど、俺の"現実"には"知らないクラスメイトらしき奴ら"も"濃尾君"もいない。
だけど、それなりに幸せな日々を送っている。やけにリアルな夢だったけれど、所詮は夢だ。現実じゃない。"濃尾君"も"知らないクラスメイト"も存在しない。ただの夢の中の"妄想"に想いを馳せたところで意味なんてあるのか、ないだろう?
「さて、と!」
この上着を掛けてくれた心優しいクラスメイトの為にも、教室に戻ろうか。多分授業には遅刻してるだろうけど、仕方無い。謝って許してもらおう。
俺は二年B組、馬場満月。
友達はいないけれど、それなりに幸せな毎日を送っている------------極々普通の男子高校生だ。
∮
「先生すまない、授業に遅れてしまった!」
「……はあ。アタシは担任だから多目にみてあげるけど、今度からは遅れないようにして頂戴。今は六時間目の終わりよ」
「ありがとう!」
教室の前の方の扉をがらがらと勢いよく開けると、怪訝な顔をした海原蒼先生が首だけをこちらに向けてそう言った。海原先生は俺のクラスの担任で、担当は数学。腰まで伸びた長髪は紺色で、目付きはキツいけれど、そこがいいと学校でも美人で優秀なことで有名な先生だ。そんな人が担任だなんて俺は相当恵まれていると思う。
ほら、やっぱり謝ったら許して貰えた。感謝と謝罪は人間の基本だよな。
優しい世界に感謝しながら、軽い足取りで自分の席まで歩いていくと後ろの席にいた古賀谷盾君がにかっと笑いながら、こちらに手を振っていた。豪快にセットされたビビッドカラーの派手な髪型が今日もイカしている。耳にはピアス、髪は明らかに校則違反で、元々の目付きの悪さも相まってなのか一部の人には怖がられているらしい彼だが、歌が大好きで明るい性格なのでそれ以上の多くの人に好かれている。事情があって今は声を出せないらしいが、彼の歌はとても素晴らしいものだったそうだ。いつか機会があったら俺も聞いてみたいものだ。
寝ている間に上着を掛けてくれたのも、きっと彼だろう。胸元に彼の持っているギターケースについているものと同じアップリケがついている。後でお礼を言わなきゃな。
それにしても皆真面目だなぁ。古賀谷君は手を振ってくれたけど、俺が入ってきたことなんか気にもしないで、黒板をしっかり見て、ノートを真面目に取ってる。俺も遅れて来た分、彼ら以上に真面目に受けなきゃ遅れをとってしまいそうだ。
そう思った俺は早々にノートを開き、皆と同じように黒板の白字を写し始めた。
∮
授業も終わり、荷物をまとめ帰る支度をしていると古賀谷君が俺の肩をちょいちょいと叩く。何か俺に用事でもあったのだろうか。聞いてみたけれど、そうではないらしい。そのままうんうんと彼は頭を抱えて考えていたようだったが、結局ほとんど何も言わずに
『また、今度でいーや』
と、だけ俺に言って何処かへ行ってしまった。変な古賀谷君。頼み事とかなら遠慮せずに全然してくれて構わないのにな。まぁ本人がそう言うなら俺がとやかくいうことでもないか。また帰り支度の作業に戻って、ふと窓の外を見るとさっきまで晴れていたはずなのに、いつの間にか空は灰色に染まりしとしとと弱々しい雨が振りだしてしていた。
春雨、か。
(今日、傘持ってきてたっけなぁ)
忘れたような気がするので早く帰ろう。教室の中は最早まばらになっていた。淑やかな雨の音を聞きながら、俺は教室から出ていった。
∮
『ねぇねぇ知ってる?……"馬場先輩"の噂』
『馬場先輩って去年の文化祭で三月兎の役で劇やってた人だよね。その人がどうかしたの?』
『えっとね……元々"凄い当て馬体質"って事で有名な人みたいだったんだけど……最近は"別のこと"でも有名みたい』
『……?』
『実はね…………』
∮
「…哀れ、じゃの」
「……どうかした?雪ちゃん」
まだ初々しさが隠しきれない一年生の何気ない会話の一部を聞いて、大和田雪は深く溜め息を吐いた。女神は人の事にあまり干渉してはいけないのだけれども、偶然でもああいうのを聞いてしまうと少し心が痛む。馬場満月。一年生の時のクラスメイト。仮にもクラスメイトだったのだ、そりゃあ女神といえども感傷くらい沸く。
「別に何でもない」
「そう?……それならいいの。何だか雪ちゃん少し元気がなさそうだったから、さ」
隣を歩く妙に勘の良い現クラスメイト--------進藤玲奈がそう言って小首を傾げて、笑う。水色ドレスにガラスの靴などという妙な格好をしている癖に、この娘は妙に勘がいい。というかそもそも、いくらこの学校の校則が緩いからといってその格好は校則違反のはずなのだが。以前そう聞くと
「私のお姉ちゃんが学園長先生にお願いしたから、今年から制服着用自由になったんだよ。知らなかった?」
と、事も無げに答えられた。生徒の意見を幅広く取り入れる学園長といったら聞こえはいいかもしれないけど、それでいいのか、学園長。それに許可されたからって、こうして異装してるのなんてごく僅かなのだけれど。こんな環境下でそんな目立つ服を着てニコニコしているこの娘。相当に神経が図太い。
まぁ人の事を言えたもんじゃないけれど。
(女神たるもの、いわゆる事柄に対して悠然に構えなければならぬからな)
(…………しかし、"馬場満月")
(…いや、わらわが手出しすることでもないか。人の子には人の子の道がある)
(………………もし、それで何かあったってわらわには、責任が取れない)
(それに、今の"あの男"に、わらわは)
そこまで考えて、隣から思考を断ち切る気の抜けた声が掛けられた。
「そろそろ急ごっか!雪ちゃん。佐倉くんも待ってるだろうし」
「…………別にあいつなんか、幾らでも待たせていいじゃろ」
「ダメだよ〜。佐倉くんだってSC(サイエンスファンタジークラブ)同好会の大事なメンバーなんだからさ!大事にしてあげて!会長さん!雪ちゃんがいなきゃ、あの同好会は成り立たないの!」
「…わらわは別に」
「お願い!今日は雪ちゃんの大好きなおやつ持ってきたんだ。だから、ね?」
お菓子。……ま、まぁ両手合わせて頼まれたら断るのも可哀想だし今日の所はやる気をだしてあげよう。普段頭を使わないから、考えるのにも疲れてしまった。色々思うところはあるけれど、考えるのは後にしよう。
水色ドレスに手を引かれるままに、大和田雪は部室に向かった。
∮
『……あのね。あくまで噂、なんだけど』
『うんうん』
『馬場先輩、"一年生の時の記憶がほとんどない"んだって』
『え!?それって記憶喪失ってこと?』
『……うーん、それとはまたちょっと違うみたい』
『……?』
『聞くところによると、"元クラスメイトの人との記憶がなくて"、それに今もその"元クラスメイト"の人の姿は見えてないらしいよ……』
『……ええ?うそ、どうして?』
『……馬場先輩、仲の良い親友がいたんだけどね。その人が目の前で飛び降り自殺しちゃったんだって。それから一気におかしくなっちゃったんだって……』
『……私、馬場先輩の演技見て格好いい!って思ったから、この学校受験したのにそんな事になっちゃってたなんて……』
『……ショックだよね』
『……うん』
『……元々は明るくて学校の人気者だったんだけど、今じゃ皆から腫れ物にされてるみたい……』
『…………』
『…………』
『…………帰ろっか』
『……うん』
春雨の音がしとしとと聞こえている。
まるで誰かの代わりに泣いてるみたいに。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.92 )
- 日時: 2018/02/23 07:06
- 名前: 羅知 (ID: UUyf4PNG)
∮
「〜♪」
今流行りのJポップをふんふんと口ずさみながら雨降る道を小走りで行く。案の定傘は忘れてしまっていたけど、このくらいの雨なら濡れるのも楽しいものだ。春の雨は、ほんの少し温かい。その温もりはまるで人肌みたいで、俺は春そのものに抱かれてるような気持ちになった。
今日も楽しかった。
きっと明日も楽しいだろう。
明日も、明後日も、明々後日も。
ずっと、ずっとずっとずっと。
苦しいことなんて、何もない毎日。ああなんて幸せなんだろう、俺は。ぱちゃん、ぽちょん、ぱちゃん、ぽちょんと水溜まりは音色を奏で、春雨はリズムを刻み、俺は歌う。あは、あははははは。あははははは、ははははほは。あはははははははははははははははははははははははははは。ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは。
はは。
ああ、もう。
「幸せ、だなぁ…………!」
∮
気が付けばもう家の随分近くまできていた。ここからなら後数分もかからないだろう。俺は歌うのを止め、走る速度を加速させた。
(早く、もっと早く)
学校にある間も楽しいけれど、家にいるのはもっと幸せなんだ。雨の音色よりも、いやどんな音楽も"それ"に勝ることはない。俺が最も胸が高鳴る瞬間、それがあの家のドアを開ける瞬間だ。だって、開ければ"あの人"が待ってるんだ。俺の帰りを待ってくれてるんだ。あぁ、早く早く会いたいなぁ。それでぎゅっと抱き締めてもらうんだ。骨が軋む程抱き締めてもらって、痛いくらいに抱き締めてもらって-------------------あぁ、待ち遠しくてたまらない。
扉の前、どきどきする鼓動を抑えてドアノブに手をかける。掌の内側が汗で湿っていて、開けるのに手間取った。
がちゃん。がちゃがちゃ。
扉を開く。
俺はそこで待っている人の名前を呼んだ。
「ただいま、"兄さん"!」
∮
『あの日、馬場君は半ベソかいて僕の所へやってきた』
『ヒナ君が飛び降り自殺を図ろうとした、あの日』
『ここが流石と言うべきなんだけど、馬場君はヒナ君が飛び降りる瞬間もう既に現場にいたんだ』
『どうやらGPSアプリなんてものを入れていたらしい。……愛の為せる技だよねぇ』
『そして、ヒナ君は運が良かった』
『アパートの六階。あの高さから落ちたけれど、ヒナ君は死ななかった』
『まぁ馬場君がすぐに救急車を呼んだからってのが一番大きかっただろう。……彼の功績だね』
『うん?……あぁそうだよ、ヒナ君は死んでない』
『馬場君もそれは知ってるよ』
『……じゃあどうしてこんなことになってるか、だって?』
『さぁね、どうしてだろう。僕にはさっぱり分からないな』
『…………どこかに、弱った心につけこもうとした悪い大人がいたんじゃないのかな』
『あぁそれにしても、あの時の馬場君はとっても可愛かったなぁ』
『すぐに壊れてしまいそうなくらい震えてて…………まぁ実際にすぐに壊れてしまったんだけど』
『まぁ何はともあれ馬場君は"馬場満月"になった、正真正銘のね』
『それをする為には過去を否定しなければいけなかった』
『楽しかった思い出、忘れてはいけなかったこと、全部を』
『その結果、彼の世界は随分と小さくなってしまった』
『このまま行けば、きっと彼の世界が"兄さんと自分だけの世界"になる日も近いだろう』
『……なんて、幸せなんだろうね。それは』
『ねぇ、そう思いませんか。先輩』
『…………先輩?先輩、何処にいったんですか』
『僕を、一人に』
∮
兄さんの白いふわふわに頭を抱えて埋める。
「えへへ」
「……どうしたの?満月」
兄さんの白くてふわふわした髪の毛からは何時も甘い匂いがする。まるで綿菓子みたいだ。俺は兄さんのこのふわふわの甘い白い髪が大好きだ。ずっと顔を埋めていたい。だけど綿菓子は口の温度で直ぐに溶けてなくなってしまう。じゃあ兄さんも溶けてなくなってしまうのだろうか。それは嫌だなぁ、と思って兄さんが俺から離れないように身体をぎゅっと抱き締めた。
「もう。……どうしたのさ、満月」
「……兄さんは、溶けない?」
「本当にどうした?……大丈夫、兄さんはずっと満月と一緒にいるから。だから、ね?安心して……」
「うん……」
兄さんは人間だ。だから溶けるはずがない。そんなの分かりきってることのはずなのに、何故だかどうしようもなく不安になった。目を少しでも逸らしたら、その一瞬で大切なものが全部消えてしまうような、そんな感覚が、恐怖が、俺を襲ってくる。
怖くなって、俺は兄さんの身体をより強く抱き締めた。
「…今日の満月は甘えん坊さんだね」
「…………」
「いいよ。ほら、こっちを向いて」
「うん……」
「ぎゅー」
「…………ぎゅー」
「暖かいでしょ?」
「…………うん、暖かい」
そう言って兄さんは正面を向いて俺の身体をぎゅっと抱き締めた。暖かくて、気持ちよくて、心地いい。このまま兄さんの中に溶けて、一つになれたのならどんなにそれは良いことなんだろう。そうなったら、きっとこの名前の付けられない不安もなくなる。なんて幸せなんだろう。それは。そう思ったら、知らず知らずのうちに涙が零れていた。
「…………泣いてるの?」
「……兄さん、俺、分からないんだ」
「……」
「……学校は楽しい。友達はいないけど、幸せだ。みんな凄くいい人ばっかりだ。……なのに」
「……なのに?」
「時々その全部を捨てて、逃げてしまいたくなる」
いつか全部消えてなくなってしまうなら。
いつか壊れると分かっているから。
それならいっそ。
自分の方から。
「…それも良いと思うよ。僕ならずっと満月と一緒にいてあげられるよ。満月に寂しい思いなんか、不安にさせたりなんか絶対しない」
「…………本当?」
「うん、絶対」
その言葉を聞いたら、酷く安心して。疲れが一気に実体化する。眠い。とても眠い。兄さんの腕に抱かれながら俺はゆっくりと目を閉じた。
「…………一人ぼっちは嫌なんだ。凄く、凄く寂しいんだ。悲しいんだ。辛いんだ。ねぇ、一人は嫌だよ。一人にしないで、俺を、一人に……」
最後に見た兄さんの顔は笑っているように見えた。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.93 )
- 日時: 2018/03/27 08:13
- 名前: 羅知 (ID: W0tUp9iA)
∮
放課後の空き教室には薄いカーテンを透過して光が差し込んでいる。中途半端に開けられた窓からは、はらはらと桜の花びらが入ってきていた。今は誰も使っていない空き教室。ほんの少し前まで此処でオレ達は一年B組の生徒として一年を過ごした。個性ある仲間達と、共に学び、共に笑い、共に泣いた。机の位置も椅子の位置も何もかも変わらないはずなのに、人気のないこの場所は、共に過ごしたあの場所とは別の場所のように見える。
そのことをオレは───尾田慶斗は、ほんの少し切なく感じる。
まだ一ヶ月も経たないけれど、アイツらも、あの頃とは変わってしまっているだろうか。もし、そうだったとしても、この場所に来てくれるのなら、きっと心は同じだろう。それにどんな風に変わっていたって、アイツらはアイツらだ。一年を共に過ごしたクラスメイトだ。それは変わらない。
(……それに)
『……ほんとうの、おれで、みんな、と、すごしたかった、いっしょに、わらいたかった』
『もし、もういちど、あえるなら、おれを……うけいれてくれ、ますか、ともだちに、なって、くれますか?』
その言葉に俺達は確かに頷いた。だけどアイツはそれを見る前に目を閉じてしまった。俺達は伝えなければならない。アイツが泣きながら言った"あの言葉"の返事をアイツに伝え直さなければならない。腫れるくらいに掴まれた、あの腕の痛みを、俺達はきっとそれをするまで、忘れることなんて出来やしないのだ。
今日、この場所でアイツらと集まろうと約束した。
大切なクラスメイト二人を取り戻すための作戦会議のために。
∮
「────つまり、シーナは可愛さと格好よさを兼ね備えた天使であり、人の理に収まる器ではないんだよ。分かるか?いや分かんないだろーな、分かってほしくない。だって分かっちまったらお前はオレの敵ということになっちまう。シーナの為なら鬼でも悪魔でも何者にだってなってやるつもりだけれど、何もオレは敵を増やしたい訳じゃないんだ。むやみやたらに血を流すのはオレの本意じゃない。じゃあ何故オレが、こうもシーナについて語るのかって言えばそれはまあアレだよ、神話は語り継がれなければならない。それを語るに相応しい者は誰か?誰よりもシーナの事を知っているのは?そうオレだ。つまりこれは信仰活動なんだ。この行為によってオレはシーナを崇拝しているんだ。あくまで信仰活動であり布教活動じゃない。オレ以外が信仰するなんて認めない。だってシーナは、オレの可愛くて、格好いい、天使のシーナは」
「────尾田君、これ以上惚気るようなら、この場から即刻立ち去って下さい。これは本当です」
ここで止めないと、あと小一時間は話し続けそうな勢いだったので、最大限の睨みを効かせて止めさせてもらった。結構言葉がキツくなってしまったような気がするけれども、このくらい言わないと彼の葵に対する愛は留まるところを知らないのだ。一年の時からそうだったので、もう慣れっこだけれども彼にはもう少し節度というものを覚えてほしい。私、菜種のそんな言葉を聞いて、彼は驚いて眉を八の字にして弁解しながらも、どこか嬉しそうに笑っていた。もしかしたら彼は不安だったのかもしれない。クラスは、ばらばらで、通りすがりに会うこともあまりない。だからこそ一年の時のようにわちゃわちゃと意味のないお喋りをしたかったのかもしれない。こういう下らない会話を楽しみたかったのかもしれない。
彼がこうして調子に乗って話している時、よくつっこんでいたのは背の小さくて可愛らしい顔をした"彼"だった。馬鹿じゃないの、そんな風に言いながらも毎回ご丁寧突っ込んでいる姿はクラスの定番だった。
今ではクラスどころか、この学校のどこにもいない、彼。
自ら命を絶とうとして飛び降りた、彼。
私達の、大切な、友達。
「ご、ごめんって。一年B組メンの久し振りの集合だから、ちょっとテンション上がっちゃってさ」
「尾田君は限度という概念をご存知ですか?」
一年の時には、こういうノリになかなかついていけなかったけれど、あの一年で鍛えられたのか、こういうことも言えるようになった。自分で言っていて性格が悪いなと思う。だけども言われた側である尾田君は、あまり悪い風には感じてないらしく、感心したようにこう言った。
「……はぁ、菜種ってば本当学年上がってから"強く"なったよなぁ。自分の意見とかもずばずば言えるようになってさ。同じクラスだった時は本当大人しい奴に見えたんだけど……今のクラスでは、級長やってんだろ?本当凄いぜ」
別に他に立候補者がいなかったので、手を挙げただけだ。まぁ、やってる内に"やりがい"とか、"楽しさ"とか、そういうのを感じないことも、なかったけれど。結果的にそうなっただけで、私が立候補した理由はそんな大層なものじゃない。内申稼ぎとか、このまま決まらないのは良くないから、とかそんな邪な理由だ。それを真顔でそういう風に言わないで欲しい。何だか急に自分が凄いことをやってるような気がして、顔が赤くなってしまう。
そんな反応を見せた私に、尾田君は顔をひきつらせた。なにかしらと思って横を見てみれば、隣に座っていたガノフ君が般若みたいな顔をして尾田君を見ている。
(私が……尾田君に誉められて、赤くなってたから?)
もしかして、これは巷でいう"ヤキモチ"という奴だろうか。そうだったら……嬉しい。余計顔が赤くなってしまう。
そんな私とガノフ君に、尾田君は呆れたようにはぁと、ためいきを吐く。
「……ああもう、そのくらいで照れないでくれよ。横にいる奴に消されちまう。オレの言えたことじゃないけど、お前ら二人も相当惚気てるって」
「……惚気て何が悪い。紆余曲折あって、ようやく!ようやく、こうして!二人で!」
からかうような尾田君の言葉にかちんときたのか、ガノフ君の言葉に熱が籠る。付き合う前の彼はこんな風に感情を表に出す感じではなかった。あくまで冷めたまま思ったことをそのままいう、そんな人だった。私のせいで、"こんな風"になってくれたのなら、それはなんて嬉しいことなんだろう。
ガノフ君のそんな様子を尾田君は、へらっと笑って受け流している。やはりあんまり堪えてないらしい。
「あーハイハイ、オレが悪ぅございました。まぁラブラブなのは悪いことじゃないと思うぜ。……今の状況は"アイツ"もきっと望んでた」
「…………」
尾田君が、その言葉を口にした瞬間、空気が変わった。騒がしかったそれが、一瞬でしんとしたものに変わる。
あの、"約束"を、私達は忘れることなんて出来ない。
その為に、今日も集まったのだから。
「だけど、オレ達だけが、幸せじゃ、駄目なんだよ。アイツも、アイツらにも、幸せになってもらわないと」
「ただいまー。ちょっと日直で遅れちゃった…………あれ?何か辛気くさい感じだねッ?」
しんとした空気を壊す、がらがらという扉を開ける音を立てて葵がくる。これで今日これるメンバーは全員来た。私と、尾田君と、椎名君と、ガノフ君。
馬場君の、"あの言葉"を聞いた、メンバーは、あと二人いた。
「あの二人は…………来なかった、ですね」
「仕方ねぇよ。アイツらも…………あの言葉を、忘れてる訳じゃない。ただ理由があって……来れてないだけだ」
きっとそうなのだろう。あの二人が夢見るみたいに、ふらふらと歩く彼を見る目は、酷く苦し気だったから。自分の中で何か問題があって、その折り合いがつくのに時間がかかってるんだろう。私達にそれを急かす権利なんてない。
一ヶ月前の終業式のあの日。
私達はあの日を忘れられない。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.94 )
- 日時: 2018/07/01 17:50
- 名前: 羅知 (ID: TxB8jyUl)
∮
愛鹿社は人気者だ。
「愛鹿さん、二年生になられてからよく音楽を聞いてらっしゃいますけど、何を聞いてますの?」
「…………あぁ。これか?」
「えぇ」
「んー……秘密」
誰もが彼女と話す際、頬を染める。彩ノ宮高校が女学校だからというのもあるだろう。学校での彼女は所謂王子様だ。おれ───中嶋観鈴としては彼女のそんな立ち位置を不服に思っているのだが。社は王子様なんて柄じゃない。むしろ童話のお姫様を夢見る、可愛らしい女の子だ。小さいときの彼女はよくふんわりとしたスカートを履いて、ピンク色を好んで着ていた。そしてお姫様の出てくる絵本を読んでは、その童話の中のお姫様を羨ましそうな目で見ていた。将来の夢は可愛いお嫁さんになること。彼女はよくそうオレに話していた。
しかし、いつからだっただろうか。彼女は極端に変わった。長かった髪は肩よりも短く切ってしまい、服の感じもボーイッシュなものを着るようになり、口調も変わった。特に人前では、まるで男のような振る舞いをとるようになった。まさに童話の中の"王子様"のような。
きっかけは今でも分からない。しかし彼女に何かあったことは確かだ。
「私は、お姫様にはなれない。それが分かったから」
理由を聞いてみても、彼女はそう答えるだけだった。意味が分からなかった。おれからしてみれば、彼女は今も昔もずっと可愛い女の子だ。だからこそ周りのキャーキャー叫んでる雌豚共の気持ちがまったく理解できない。社の可愛さも理解できないで、あんな風に頬を染める姿を気持ち悪く感じる。見る目のない下等生物は黙って、地べたに這いつくばって泥水でも啜っておけばいいと思う。
「えー?教えてくれないんですか?」
「あぁ……私のお気に入りの奴だからな。皆には秘密だ」
べたべたと汚ならしい手で社の腕に絡み付く糞女。お前の便所臭い匂いが社に移ったらどうしてくれる。身の程知らずが、弁えもせずに。
(死ねば、いいのに)
あぁ虫酸が走る。
そろそろ、我慢の限界だ。
おれは席から勢いよく立ち上がって、社に群がる糞虫共をかき分けて彼女の所へ走った。
「あーセズリぃ、おトイレ行きたくなっちゃったぁ!一人じゃ寂しくて泣いちゃうからぁ……やしろちゃん、一緒にいこ!」
「あ………あぁ」
腕を無理矢理引っ張ると、抵抗することなく彼女はオレについていった。さっきまで社に話し掛けていた強い香水を付けた女が元々醜い、その顔面を更に歪ませて、おれの方を睨んでいる。あぁお前には、その顔がお似合いだ。おれは心の中でその女の顔に唾を吐いた。誰かが「身の程知らず」「便所女」そう小声で言った。
鏡を見てから言ってくれ、そう心の底から思った。
∮
『私はお姫様には、なれない』
『それはずっと前から分かってたんだ』
『王子様は私に振り向いてくれないし』
『お姫様は、お城の外へ出れないから』
『……王子様とお姫様は一生くっつくことは、ないの』
『だから、さ。思ったの』
『私が、王子様になればいいんだ。って』
『そしたらさ、私は私の愛する人の所へ行けるの』
『大好きな、あの人の所へ』
『……だけどさ。私の愛する人は何処かへ行ってしまったみたい』
『私ね。大好きな人のことは一挙一動まで知らなきゃ気が済まないの』
『だから、今度見つけた時は』
『私のお城に閉じ込めて』
『絶対に逃がしたりしないから』
『ねぇ、ユキヤ』
『私、ユキヤが帰ってくるまで』
『ずっと、ずっと見てるから、ね』
『今度は絶対に見失ったりしないよ』
∮
「なぁ社」
「…………」
「社ってば!」
「…………ああ、何?」
最近の社は変だ。いつもぼんやりしてる。ずっと耳にイヤホンを付けて音楽を聞いて何を言っても上の空だ。辛うじて人前では、ちゃんとしているけれど、おれと二人きりの時や家にいるときは"こう"だ。まともに返事すらしないこともある。
「社……最近変だぜ」
「そう?」
「うん、病院に行ってからだ。病院に行ってから、ずっとそうだ」
「そうかな」
そう言って社は小動物のように可愛らしく小首を傾げる。本人に自覚はなく、心当たりもまったくないらしい。やはりおかしい。病院に行った時から──あの小柄な男に会った時から、ずっとだ。あの男が社にとって、どんな存在なのかは知らないが、彼女に悪影響を与えるなら、おれは容赦しない。死んでもらいたい。
おれのそんな心情も露知らず、社はあぁ!と思いついたように、おれに話しかけてくる。その姿は酷く楽しげだ。
「天使ってさ、本当にいるんだね」
そんな、すっとんきょうな事を彼女は口にした。おれは、ぽかんとしたまま彼女のことを見ていた。そんなおれを気にせず彼女は話し続ける。意味の分からないことを。
「ヒナ、飛び降りたんだって。でも死ななかったんだって。やっぱりヒナは天使だったんだよ。そうに、そうに決まってる。ヒナが私の前に現れる時はね。いつだって私とユキヤを近付けてくれるの。ヒナは、ヒナはキューピッドなんだ。私の、私の天使。やっぱりね。あんな可愛い子が人間な訳なかったんだよ。私、私分かってたんだ。えへへ。もう、もう離さないからね。ユキヤ、私ユキヤが壊れちゃっても、もう、私のことが見えなくなっても、私はずっと、ずっと見てるから。私は、私は私は私は私はわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしは私は私は私はわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしは…………ははっ!!あはははははは!!あははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」
「…………やし、ろ」
「あはははははっ!!楽しくないっ!!全っ然!!楽しくない!!心が空っぽでそこから色んなモノが零れ落ちてくみたいな感じ!!…………ふふふっ、どうしてそんな顔してるの観鈴?いつも私が幸せだと嬉しいって言ってくれるだろ?私は笑顔が一番だって!!ほら私笑ってるよ!!すごく、すごくすごくすごく!!観鈴も笑おうよ!!あはははははははははははははっ!!!」
壊れたように笑いながら、社は言う。
彼女の耳からイヤホンがぽとりと落ちる。そこからは音楽なんか流れてこず、ただただ人の生活音のようなものが垂れ流されていた。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.95 )
- 日時: 2018/07/01 18:38
- 名前: 羅知 (ID: TxB8jyUl)
∮
オレ──尾田慶斗が無事腹の怪我も完治し教室に戻ってきたとき、朝のクラス内には異様な雰囲気が流れていた。聞こえてくる会話、笑い声、その全てが空々しい。何もかもがわざとらしく、上擦って聞こえる。まるでクラス全員が下手な演技をしているようだった。それを見たオレは背筋がぞわりとした。見知ったクラスメイトが喋ったことのない他人よりも遠く感じた。何だこの気持ち悪い光景は。オレは、すぐにシーナの席に走った。気持ち悪い空間の中で、唯一シーナだけが綺麗に見えた。オレが走ってくるのをシーナは分かっていたらしく、オレの目を見てバツの悪そうな顔をした。何を言えばいいのか、何から言えばいいのか分からない。そう言いたげな様子だった。
「……シーナ」
名前を呼ぶと、シーナの体がぴくりと動いた。彼の視線が曖昧にさ迷う。オレは、どうしても何が起こっているのかを知りたくて、彼の瞳をじっと見つめた。
三十秒程、彼の目を見ていただろうか。根負けしたようにようやく彼はオレの目を見た。そしてゆっくりと口を開く。それは、いつも明るいシーナには似合わない重苦しい口調だった。
「…………うん、分かってたよ。ケートがここに来ちゃえば、すぐに分かることだって、さ。だけど……言ったら、"全部認めちゃうことになっちゃう"気がして」
「………?」
「…大丈夫、説明するよ。でも今は時間がないから……昼休みまで待ってて」
シーナが、その言葉を言い終えたのと同時にチャイムの鐘が鳴り響いた。慌ただしく席につく面々は、この時間が終わったことにどこか安心しているようだった。オレも、もやもやした気持ちを抱えながら席につく。オレがいない間に一体この教室に何があったというのだろう。シーナすらオレに教えてくれなかった。そんなにも言いにくいことなのだろうか、それは。
オレは昼休みが待ち遠しかった。このままじゃ授業なんて、まともに受けられそうにない。
そして、そんなオレの疑問に答えるかのように授業の最中、このクラスの"異変"はオレの目の前で起こって、オレに全てを伝えたのだった。
∮
初めは何か虫でも鳴いているのかと思った。
(……いや、これは)
かたかた、かたかた。よく聞けば、それは人の出している物音だった。いくらなんでも虫はこんな鳴き方はしない。これは机の揺れる音だ。かたかた、かたかた。気にしなければ大した音ではないが一度気にしてしまうと、不快に感じる程度には煩いと思ってしまう。一体誰がこんな音を出しているのだろう。オレは若干イラつきながら、周りを見渡し、その音の犯人の姿を見て息を飲んだ。
(……馬場、満月)
馬場満月の身体が、小刻みに震えて、机をかたかたと揺らしている。唇を噛み締めて、震えを抑えるように自身の身体を抱きしめているが、ちっとも収まっている様子はない。目からは涙がつたっている。彼の涙が、彼の教科書をしとしとと濡らしていく。その姿はまるで何かに怯えている獣のようだった。
誰もが馬場満月の、そんな姿が見えているはずなのに、皆示し合わせたように、それから目を反らしている。普通に進んでいく授業の中で、彼だけが置いていかれていく。彼だけが浮いていく。
(なんだよ、これ)
彼の存在は、このクラスに"なかったこと"にされていた。こんなにも震えている彼を、泣いている彼を、見て見ぬふりをしている先生やクラスメイト達。そんな彼らの態度に、驚きが、だんだんと怒りへと変化していく。
オレは半分ヤケクソになって、教科書を読んでる声も無視して、先生へ言った。
「……先生!馬場が体調悪いみたいなんで、保健室連れてきます」
「……え」
教室が一瞬ざわめく。生徒も先生もオレのその行動が信じられないというような目付きで見てくる。驚くことに、一番その目でオレを見てきたのは馬場満月だった。震えはそのままに、涙もふかないままで、オレをぽかんとして見ている。
「じゃあ、行きますから」
「あ、ちょ」
オレは先生の返事も聞かずに、教室の外に出た。
∮
「あの、さ……尾田、君……」
暫くオレにされるがままに引っ張られていた馬場だったが、保健室までの道のりを半分ほど過ぎたとき急に立ち止まって、彼は震える声でオレに言った。
オレはさっきのことで大分キレていたので、少しつっけんどんに答えた。これでもただでさえ泣いている馬場を怖がらせてはいけないと感情を抑えたつもりだったけれど、大分滲み出ていたようで、馬場はびくん!と身体を大きく震わせた。
「……なんだよ」
「……えっと、な、なんか、誤解してる、みたい……だから、説明する、けど、俺は苛められてる、……訳じゃ、ないぞ?」
「…………」
あの光景を見た上でその言葉を信じられる訳がなかった。馬場が泣いてる。震えている。それを皆無視している。あんなの完全に苛めだ。どんな理由があったとしても苛めは許されない。良い奴らだと信じていただけに、オレはアイツらに失望していた。よりによってコイツを、文化祭であんなに頑張ってたコイツを、いつだって生きることを頑張ってたコイツを苛めるなんて。
オレが信じてないのが伝わったのだろう、馬場は相変わらず声は震えていたが、先ほどよりも強い口調で、オレにはっきりと言った。
「信じて……もらえない、かもしれない、けど、"あれ"は、俺が、頼んで、みんなに、やって、もらってるんだ」
「…………」
「"あの時"のことを思い出すと……どうしても、こうなっちゃって……こんなの"馬場満月"じゃ、ないだろ?こんな、"オレ"、誰にも見られたくない……だから、だから"いないこと"にしてほしい、って頼んだんだ、皆に……俺が」
「……"あの時"?」
"あの時"、とは一体いつのことなのだろう。オレが入院していた期間で何かがあったのか?そんなニュアンスを込めてオレが"あの時?"と口にした途端、馬場は堰を切れたようにもっと泣き出した。彼の目からは滝のように涙がぶわっと溢れている。彼自身そんな風になっていることに驚いているようで、落ちていく涙を袖で拭いながら、困ったように笑った。
「……あ、あれ?おかしい、な……ごめん、ごめん尾田君……驚かせた。そうだよ、な。尾田君は"知らない"よな、入院、してたんだから……」
「む、無理して笑うなよ!別に説明したくないなら、説明なんて、しなくていいから……!」
本音を言えば、今すぐに"あの時"のことを知りたい自分は確かにいた。だけど馬場をこれ以上泣かせてまで、苦しませてまで、聞きたいとは思わない。オレは馬場の顔を自分の肩にぎゅっと押し当てた。彼の身体は力がまったく入っておらず、簡単に傾いた。耳元のすぐ近くで、彼の鼻をすする音と、泣き声が聞こえてくる。
「ほら……泣けよ。今ならオレも、誰も見てないから」
「…………は、はは。尾田君はかっこいい、なぁ…………でも、大丈夫だ」
抵抗することなくオレの肩に頭を預けた馬場だったが、数秒も経たない内にすぐに顔を上げた。既に彼は泣いていなかった。いや、勿論赤く目は腫れて、拭いきれていない涙はまだ痛ましく顔に残っていたけれど、それでも彼はいつもみたいに笑おうとしていた。上手く笑えなくて、大分歪んではいたけれど、自分を奮い立たせるかのように、口角を上げて、目尻を下げて、笑っている風にした。
「……馬場」
「大丈夫、大丈夫だから。……そんな不安そうな顔をしないでくれ」
そう言うと馬場は三回大きく深呼吸をした。すーはー、すーはー、すーはー。そしてそれが終わると、彼は落ち着いた声で、オレに"異変"の正体を端的に説明した。
「……濃尾日向が飛び降りた。俺と電話しながら。俺の目の前で」
「…………!」
「アイツのあの声が今でも忘れられない。落ちていくアイツの身体が今でも脳にこびりついてる」
「…………」
「……俺がすぐに救急車を呼んだからなのか、運が良かったのか。濃尾君は、助かったよ。安心した。凄く、安心した……だけど」
唇をぎゅっと噛み締める馬場。彼の顔が苦渋を飲みこむみたいに歪む。
「紅先生が、しんじゃった」
彼の止まっていた涙が、また溢れ始める。ぽろぽろ、ぽろぽろと顔中をつたっていく。拭っても、拭っても、その涙がなくなることはない。消そうとしても、忘れようとも、その事実は消えることなく彼の頭に残って、彼を苦しめているのだろう。
「……俺、濃尾日向が、助かった……って聞いて、凄い、安心して…………だけど、ヒナは死にたかったのに、オレ本当に邪魔しちゃって良かったのかなって……なって。ヒナに、言われたんだ、何で邪魔したのって。凄く、今までにないくらいに怒鳴られて、泣かれて、出てって……って言われて」
「…………そしたら、星さんに、会って。紅先生が……しんじゃったって聞いて。すてら、さん……泣いてたんだ。それで……オレに言うんだよ。どうして……どうして命を粗末にするの、って。捨てるくらい、なら…………生きたかった人に渡してって、紅先生に渡してって…………それ聞いて、オレ分からなくなっちゃったよ……オレどうすれば良かったの……ヒナを……見殺しにしろって……?そんなのは無理だよ…………でも、すてらさんの言うことも……分かるんだよ。オレも……ヒナも、自分が嫌いで……命をないがしろにして…………辛くても、死にたくても、一生懸命に生きてた、生きようとしてた……あの人はしんじゃって……」
「…………今さら気がついたんだ。オレたちの捨てようとしていた……命は……誰かの生きようとしていた命なんだ、って……」
「…………………でも、オレ、ヒナには死んでほしくないよ……生きててほしかったんだよ………………でも、どうして……?オレは、こんなにも死にたいのに……ヒナは、あんなにも死にたかったのに…………どうして生きようとしてた人が……死ななくちゃならないんだよ……殺してくれよ……死んじゃいけないなら…………誰か、殺してくれよ…………あの人が死んだのに……オレが生きてるのが……不思議で……苦しいよ……誰かの"生きたい"を背負って……生きてくのは、辛いんだよ…………」
悲しい。苦しい。辛い。消えてしまいたい。
オレには馬場の言ってることが分からなかった。先生が死んでしまったとか、馬場と濃尾の狂おしいほどの死にたい気持ちとか、それらを理解するにはオレの脳内容量が足りなすぎた。ただ、馬場自身も分からなくなりかけてるんじゃないかとらそんな風に思った。彼の言ってることは支離滅裂だ。だけど、そのぐちゃぐちゃの状態こそが今の馬場の心なんじゃないだろうか。死にたいとか、生きなきゃいけない、とか。そういったものに埋もれて、彼はもう何が何だか分からなくなってきてるのだろう。オレに、そのバラバラになってしまった心を拾うことは出来るだろうか。例え、拾えたとして、元の形と同じように戻すことなんて出来るのだろうか。不器用なオレに、そんなこと出来るのだろうか。壊れたものを、傷ひとつなく元の形になんて。そんな奇跡みたいなこと。
出来るはずが。
「…………」
ただただ泣き続ける彼に、オレは何も言ってあげることが出来なかった。どうしようもならない気がしてしまった。あんなにも馬場を救おうと思っていたのに、オレには出来ないかもしれないなんて、弱気な心が、オレに馬場に何も言えなくさせていた。仕方なく、そのあとの道は、黙ってオレは彼を保健室へ連れていった。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.96 )
- 日時: 2018/05/04 12:42
- 名前: オルドゥーヴル ◆ZEuvaRRAGA (ID: eGpZq2Kf)
どうも、いつもこの作品を読んでます。オルドゥーヴルといいます。
2年生になった馬場くん達ですが、まだ隠された何かがあるようで楽しみにしてます。
それでは、また次を楽しみにしてます
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.97 )
- 日時: 2018/06/17 23:17
- 名前: 羅知 (ID: m3TMUfpp)
∮
オレが教室から出ていったのが、四時間目も半ば過ぎた頃。オレが戻ってきたとき、既に教室は約束の昼休みの時間になっていた。少し皆と顔を合わせるのを気まずく思いながら、後ろのドアからそっと入ると、それまでざわついていた皆が一斉にこっちを見て、黙った。
「…………あの、皆」
何か言わなければいけない気がして口を開いたけれど、上手く言葉が出てこない。皆の視線が苦しい。哀しげな、煮詰めた蒼のようなそんな目だ。責められている訳でも、怒られている訳でもないのに、その瞳で見られていると息が苦しくなる。皆だって哀しいのだ。苦しいのだ。そんな感情を抑えて彼らは"日常"を演じていたのだ。オレが勘違いをして怒っていたことは皆にも伝わっているだろう。今すぐにでもオレは彼らに謝りたかった。皆の説明もろくに聞かず、勝手に怒って、彼らのことを誤解した自分の行動を詫びたかった。なのに何故だろう、声に出そうとすると唇が震えて上手く喋れない。
「…………ごめん」
かろうじて、そんな言葉が口に出たが、自分の言いたいことはもっと沢山あるような気がした。オレは何を言おうとしているのだろう。誤解に対しての謝罪?無視を貫く彼らへの労い?色んな憶測が頭の中を巡るが、そのどれもが纏まりがなく、泡沫に頭の中で浮かんでは消えていく。
「ケート」
何も言えないまま、ドアの所で立ち尽くすオレを優しく呼ぶ声がした。オレの誰よりも大切な人────シーナの声だった。
「……大丈夫だよ。分かってるから」
あんな態度を取られたというのにシーナはオレに向かって怒ることもなく、ただ悲しげに笑ってそう言った。その言葉にクラスの皆も同調して、こくりと頷く。教室のあちらこちらから声が聞こえる。
「……お前は知らなかったんだ、仕方ない」
「人の為にあんなに怒れるのが、ケート君だもんね」
「馬場から話、聞いたんだろう?……辛いよな。俺達も辛い」
「でも……馬場の方が今もっと辛いはずだからさ」
「だからね、私達待とうと思ったの。馬場君がまた元気に笑えるまで、待とうって」
「アイツが元気になったらパーティーするんだ!復活パーティー!」
「勿論……濃尾君も一緒にね」
煮詰まった蒼の奥に仄かな光が見えたような、そんな気がした。ここにいる誰もが馬場満月のことを想っていた。無理矢理作った笑顔の裏で、またアイツと本当に笑い合えることを願っていた。皆がアイツが大好きだった。アイツの作っていた"世界"が大好きだった。アイツ自身もきっと好きだったのだろう。"馬場満月"の世界が。"馬場満月"として振る舞って、皆が笑ってくれる世界が。
『……"馬場満月"、じゃないと。俺は』
本当にそうだろうか。
ここにいる皆は本当にアイツのいう"馬場満月"だけを気に入ってるのだろうか。驚異の当て馬で、馬鹿みたいに明るくて、光輝いていたアイツを。いつもニコニコ笑っていたアイツを。
オレは違うと思った。否、それだけじゃないと思った。オレ達は確かに明るいアイツが好きだった。だけどそれと同時に明るく笑おうとする、皆を笑わせようとするアイツが好きだったのだ。人の為に倒れるまで脚本を書き上げたり、良い劇を作る為に死ぬほど真剣になったり、オレ達の言葉で涙を流していたアイツのことが。
馬場満月の内側にいる"誰か"のことが。
(そこらへん……分かってるのかよ。"馬場"……)
人の感情の機微を読み取るのは得意なくせに、自分に向けられる好意を受け入れるのが死ぬほど下手くそだったアイツはきっと気付いてないんだろう。"自分"がこれほど愛されてることなんて。アイツみたいな鈍感野郎には、言葉にして、行動に表して伝えないと、伝わらないのだ。
アイツが元気になったら、濃尾日向もまた学校に来れるようになったら、はっきり言ってやろう。大好きだって。アイツが振り撒いていた愛の分だけぶつけてやろう。
オレは、そう心に決めた。
∮
「……多分満月クン本人から聞いたと思うけど、そういうコトなんだ……ずっとこうしてる訳にはいかないけど、さ……満月クンがもう少し落ち着くまではほっといてあげよう、ってクラスの皆で決めたんだ」
お弁当のウインナーをつつきながら、シーナはそうオレに説明した。 オレが帰ってくるまでシーナは弁当に手を付けていなかったらしい。彼のお弁当の中身はまだおかずでいっぱいだった。未だ弁当を一口も食べていないオレだったけれど、シーナのその優しさでお腹は満たされなくても胸いっぱいだ。
「馬場は……ずっとこうなのかな」
「分かんない…。日向クンがあんな風になっちゃって、ボク達も凄くショックだったけど、親友だった満月クンのショックは絶対ボク達以上だったはず……日に日に悪くなってるんだ。あんな風に取り乱す回数が、日が経つごとに増えてってさ……」
そこまで聞いて、オレは"ある違和感"を感じた。
「…えっと、シーナ。紅先生は───」
「紅先生?……そうだね。紅先生がいれば満月クンも相談できたかもしれない……冬休みが明けたと思ったら異動してたんだもん……びっくりしたよ……」
その言葉でオレは、その違和感が気のせいではないと確信した。もしかしてシーナは馬場の悩んでいる本当の理由を知らないのだろうか。それどころか紅先生が死亡したという事実すら知らないように見える。いや、まだそもそも"紅先生が死んだ"ということすら事実なのかどうかすらオレには分からないけれど、少なくとも馬場はあの言葉を一定の確信を持って言っていたはずだ。実際に紅先生は、この冬休みが明けた直後から学校に来ていない。冬休みに突然異動だなんて妙だ。馬場の"死んでしまった"という言葉には十分な説得力がある。だからといってオレは椎名の言葉が嘘だとも思えなかった。何はともあれ、これだけの情報じゃ結論がつけれるはずもない。オレは続けてシーナに聞いた。
「シーナ……紅先生が今どこの学校に異動したか分かる?」
「……うーん、ボクもよく分かんないんだよね。本当に突然のことだったから………あ、でも」
そこまで話して、シーナはポンと手を叩いて思い出したように言う。
「今の臨時の担任の……海原蒼先生なら知ってるかもッ!ほら、朝いたでしょ、青い髪の美人の先生。あの人紅先生の受け継ぎとして、ここに来たみたいだからさ…」
∮
というわけで。
「それで、尾田君。…………アタシに何か聞きたいことがあるって聞いたのだけど、何だったかしら?」
オレは早速その日の放課後に海原先生に話を聞くことにした。帰りのSTの時間に急いで約束を取り付けたので、今日中に約束を受け入れてもらえるか不安だったが、先生は二つ返事で快く受け入れてくれた。これはオレの考えすぎかもしれないが、もしかしたら先生はオレが今日質問してくることを分かっていたのかもしれない。
場所は、今では懐かしい紅先生に馬場のことを相談した部屋だ。掃除があまりされていないのだろうか。あの時よりも少し埃っぽくなったような気がする。
「……前任の、紅先生のことについて」
オレの言葉を聞いて、先生の肩がぴくりと震えた。やっぱり先生は何かを知ってるのだろうか。今は何でも良い。情報が欲しい。オレは情報が手に入るかもしれないと生唾を飲み込んで、先生の返事を待った。
「……その様子じゃ、もう馬場君から色々聞いてるんでしょ。じゃあ隠しても無駄ね……」
少しが間が空いて、先生は大きく溜め息を吐いた。そして困ったように笑って、そう言った。意味深な先生の言葉に、オレはじれったくなって思わず一番聞きたかったことを聞いてしまう。
「……紅先生は、本当に死んでしまったんですか」
あまりにも単刀直入すぎるオレの言葉に軽く目を見開きはしたものの、先生は大して驚かずに笑ったままの顔でオレの質問に答える。
「……正直なことを言えば、"分からない"わ。それはアタシ"達"にも」
「え?」
"分からない"?分からない、とはどういうことだろう。普通答えは、生きているか死んでいるかのどちらか一つだ。何かを知っているはずの先生が分からないとは、どういうことだろう。もしかして何か知っていると思ったのはオレの勘違いで、先生は何も知らないのだろうか。
「アタシの"分からない"は"、尾田君のとは違って"知らない"ってことじゃないわ。本当にどっちだか"分からない"のよ」
「…………」
「色々あってアタシと紅は知り合いでね。そのツテでアタシはここに来たんだけど……アタシね代わりなのよ。本当は来年ここに来る人の。だけど紅と色々あってその人は"死んじゃった"」
ぺらぺらと海原先生は話す。オレには、とてもじゃないけど受け止めきれない色々な情報を所々に混ぜながら、軽い調子で話す。
人が、死んだ?そんなのに紅先生が関わっている?
「まぁ紅の残したモノを見る限り、死んでも仕方のないような奴みたいだったんだけど。……でもそういう奴ってタダじゃ死なないのよねぇ。死ぬときに紅も巻き込んだみたいで」
「……状況だけ見れば、二人とも九割九分九厘死んだとしか考えられない」
「……だけどね。アタシは知ってるのよ。アイツは一厘の奇跡を起こす男だって。今までだって一厘の可能性で生き残ってきた奴なんだって」
「…………だから、さあ。分かんないのよ。尾田君。アタシにも。紅が死んだか、死んでないかなんて。アタシが知りたいくらいよ、そんなの」
海原先生は、そこまで話すとオレの瞳をじっと見つめた。困ったように笑ったまま、試すような目付きでオレを見ていた。
「……これがアタシの知ってる全部。アタシが言えることはこれ以上ない。で、尾田君どうするの?アタシの話を聞いて、どうするの?っていうかそもそも────」
"普通に生きていた君に"
「─────この"事実"が受け止めきれるの?」
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.98 )
- 日時: 2018/07/09 19:40
- 名前: 羅知 (ID: 3MzAN97i)
そう言われて、どきりとする。海の底の底から、そっと何かにこちらを覗きこまれたみたいだった。その言葉を放つ今の先生は、まるでオレ達とは別の世界の住人のようだ。先生とオレ達の間には決して途切れることのない長い長い水平線が広がっている。海の上と下。同じ世界に住んでいるはずなのに、海の上の人間はけして下で暮らすことは出来ない。下の人間も、また同じ。
狭い狭い教室にいるはずのオレと先生の距離は、今とても離れている。
「……ね。分かったでしょ?尾田君。同じ人間でも、同じ世界に生きていたとしても、私達は──"違う"生き物なの。生きてきた環境も、考え方も、何もかも違う」
「…………」
「アタシと紅は"人が死んだ"って聞いても、別にどうだっていいわ。そういう"世界"で生きてきたからね。理解できないでしょ?アタシ達のそんな考え方、覆そうって思える?思えないでしょ?……アタシ達と尾田君は全然"違う"───でも、そういう"溝"って案外どこにでもあるの」
「…………」
「尾田君達と、馬場君と濃尾君。勿論その間にだってある───大きな大きな"溝"がね」
「…………み、ぞ」
「うん、溝。……君はその"溝"を受け入れられる?大事な友達の為にその溝に落ちてもいい、って思える?」
笑うのを止めた先生は、厳しい口調でオレにそう言った。君には何も出来ることはない。直接言われこそはしなかったものの、言葉の節々がそう伝えていた。オレと先生の間には、大人と子供という年の差以上の大きな溝がある。理解しがたい、埋められることなどけしてない、崖のような、そんな溝が。
(……先生は、オレに何とかしてもらおうと思って真実を話したんじゃない。オレを諦めさせようと思って……)
先生の青い瞳は、濃く深い。じっと見ていると吸い込まれてしまいそうな気がして、オレは思わず目を反らした。先生の言う通り、こんなオレじゃ何も出来ることなんてないのだろう。オレが目を反らしたのを確認した先生は真面目な顔を崩して、優しく笑った。ただしその笑顔の持つ意味は、優しさなんかじゃない。現実を突き立てられて意気消沈したオレに対する、ただの同情だった。
「……ねぇ尾田君、貴方の事は紅から聞いてるわ。少し変わってるけど友達思いのとっても良い子だって。友達が二人大変な事になっちゃって心配なのも分かる。……でもね、君が進もうとしてる道は茨の道よ?二人を救えるかどうかも分からない。下手に深入りしたら、もう前みたいにはなれない。知らなければよかった、やらなければよかったって、後から後悔したって────もうどうにもならないの」
先生は優しく、優しく、言う。
「──────だから、ここで全部忘れたことにしちゃってもいいのよ。何も知らないフリして、分からないフリして、見て見ぬフリしたって─────全然いいの。それは悪いことじゃないから」
∮
『もう何も見たくなんてなかった』
『限界だった』
『目の前の現実は勝てる見込みのない怪物のようだった』
『苦しい』
『疲れた』
『自分が悪いことは分かってるんだ』
『謝っても、謝っても、もう許されない』
『誰かを助けたかった』
『誰かに助けてほしかった』
『きっともう何も叶わないんだろう』
『やること為すこと全部裏目に出てしまう俺は』
『生きてる意味なんかあるのだろうか』
『生きたいのに死んで、死にたいのに生きるなんて』
『どちらにしたって』
『…………』
『……眠りたい、今はただ眠りたいだけ』
∮
「……オレには、まだ分からない。分からないっすよ、先生……」
アタシの目を見ること出来ずに俯いたまま、尾田君はそう言った。黒々とした彼の目はきょろきょろと忙しなく動いていて落ち着かない。けれどもアタシの方を見ることは、けしてない。きっとそれが、アタシの問いに対する彼の答えそのものだろう。意地悪なことをしてしまった。だけど間違ったことをしたとは思わない。これがアタシが彼に与えることが出来る最適解だ。"現実をつきつけること"が、一番だったのだ。彼の友達を救いたいという熱意は本物だった。だからアタシもそれに見合うように誠意を持って応えた。それが彼にとってどれだけ酷なことだったとしてもアタシはそうしない訳にはいかなかった。
尾田君は馬場君達を救いたい。その為に紅の死の真相について知りたい。今の尾田君にはあまりにも情報が少なすぎるのだ。だからこそ彼は馬場君達に関係するどんな情報だって知りたいのだろう。賢い行動だと思う。無知は罪だ。何も知らないまま何かを成し遂げようとすることは愚の骨頂だ。だけど彼は分かっていない。
"知らない"からこそ、人は愚かにも自由に動けることを。
一度でも"知ってしまった"ら、たちまちに動けなくなってしまう現実を。
それでもなお行動することの過酷さを。
現実は正攻法だけではやっていけない。馬鹿が天才に勝ってしまう奇跡なんて世の中には山ほどある。常識の通用しない奇跡という名の不条理なんてありふれている。
「そう。……迷ってるなら、迷ってればいいと思うわ。決めるのは全部尾田君だから」
事実を聞いて、彼がどんな答えを出したとしても受け入れるつもりでいた。そしてすぐに答えが出せるはずがないのも分かっていた。アタシがそれを急かす権利なんてない。ただし時間はアタシ達を待ってなどくれない。迷ってる間に手遅れになってしまうことだってある。そのことをきっと尾田君だって理解している。だからこそ苦しいのだろう。どっちつかずの自分が。覚悟を決めることが出来ない自分が。アタシが尾田君と同じくらいの年だった頃。まだ幼くて、ただひたすらに、がむしゃらに、目の前のものに必死にしがみついて生きていた頃。あの頃のアタシもまた彼と同じように色んな選択を強いられては迷っていた。どちらかを選ぶということはどちらかを捨てるということで。我が儘なアタシはそのどちらもが欲しくて。
(…………そして何も選べず、何も救うことができなかった)
決断は必ず自分自身しなくてはいけない。そうじゃなければいつか必ず後悔するから。
目の前の未来ある少年に、自分のような後悔は絶対にしてほしくなかった。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.99 )
- 日時: 2018/07/16 22:39
- 名前: 羅知 (ID: F1jZpOj6)
∮
いつかの、夢を見た。
『お気の毒に』
警察のおじさんは包帯だらけで白いベッドに横たわるオレを見て、そう言った。何がなんだか分からなくて、でも自分を可哀想な風に思われてることは何となく分かったので、その言葉を否定した。
「違い、ます」「オレは、オレはそんな風に言われるような目に合ってません」「……」「もしかして、オレに、何か」そこまでオレが言ったところで、警察さんはオレの口の前に人差し指を立てた。『君は、混乱してるんだね』そして優しく笑った。『無理もない。それだけの目に合ったんだ』オレはその言葉に違和感を抱いた。そういえば何故自分は病院にいるのだろう。オレは普通に学校に通って、普通に、普通に生きてたはずなのに、なんで、なんでなんだっけ。それに何か変だ。オレが怪我をしてるなら、病院に行くような目に合うなら、側には必ずあの人がいるはずなのに。オレが大好きで、オレの大好きな、あの人が。何で、何で誰も来ないんだ。社も、セツナさんも、兄さん、も。
『……事故────いや、事件の当時のこと、話してくれるかい』
じ、こ? じけ、ん?
『…君と、君のお兄さん。そして愛鹿雪那。今、話を聞くことが出来る状態にあるのは君しかいない。他の二人はまだ───』
なんだって?
兄さんと、セツナさんがどうしたって?
『───君は、あの二人と比べて火傷の跡が少なかった。その代わりに頭に何処かでぶつけたみたいな傷があった。ねぇ、一体何が───』
その瞬間オレは叫んでいた。
聞きたくなかった。何も聞きたくなかった。何も"思い出したくなんて"なかった。だけどもう手遅れだった。塞いでいたはずの記憶の蓋は外れ、あの日の出来事が、記憶が、洪水みたいに次々と溢れてくる。叫んだって、耳を塞いだって意味はない。あの日の声、あの日の言葉、あの日の表情、全部全部全部覚えている。忘れようとしても、この頭に残った傷は、心に付けられた傷は、嫌でもオレにそのことを思い出させてしまう。
『─ごめ、んな。ずっと、ずっと縛り付けてて、ごめん。本当は分かってた。お前が嫌がってること、俺がおかしいこと』
『…兄、さん。オレ……は』
『いいんだ、分かってる。誤魔化さなくたっていいんだ、もう。大嫌いだろ、俺のことなんて。本当は。……やっと、やっと解放してやれる───俺の"執着"から、俺の"愛"から…………』
そう言う兄さんの顔は煙に巻かれてよく見えなかった。兄さんの声は震えていた。オレは兄さんのそんな声を初めて聞いた。何か言わなければいけない気がした。何かを伝えなければいけない気がした。だけどそれを言葉にすることは出来なかった。身体が熱い。全身から汗が滝のように流れ出る。くらくらする。意識が遠のく。何も、考えられなくなる。オレは自分の死を予感した。
『白夜』
兄さんに名前を呼ばれて、消えかけていた意識が戻る。何、そうオレが返事をする前に、兄さんは次の行動を取っていた。
『お前を、解放してあげる』
一瞬の衝撃。
途端に離れるオレと兄さんの距離。
きっと兄さんを殺したのはオレで、オレを殺したのも兄さんだ。
あの日、オレ達は互いを殺し合った。
中身こそ正反対だけれど、同じ顔の、同じ血の流れる、仲の良い双子だったオレ達。
どこから道を違えたのだろう。
いつから間違えてしまっていたんだろう。
『……やりなお、さなきゃ』
『…………オレじゃ、駄目だ。オレは、何も、出来ないから……』
『今度こそ、今度こそ、誰も傷付けない……』
『オレは、俺は、オレは、俺は、俺は、俺は俺は俺は俺は俺は俺は!!』
俺は、馬場満月だ。
そうじゃなきゃいけないんだ。
∮
結局、オレ、尾田慶斗は馬場満月を救うための"一歩"を踏み出せずにいる。
馬場の様子は日に日に悪くなっているようだった。時間は馬場の心に負った傷を癒してはくれなかったらしい。頬は痩せこけ、目元には黒々とした隈が浮かんでいる。その姿はいつかの文化祭の脚本を書き上げた時の彼のようで、いや、あの時以上に酷い状態だ。
クラスにいる時間も徐々に少なくなっていった。授業はほとんど受けられなくなった。それだけじゃない。人と話すことも極端に少なくなった。誰かと目を合わせて喋ることがなくなっていった。昼食の時間、何も食べようとしない馬場を心配して消化のいいゼリーを誰かがあげた。馬場は上手く笑えずに口元が妙に曲がったような表情をして、それを受け取った。ゆっくりと震える手で一口、一口ゆっくりとそれを口に流し込む。表向きは普通のクラスの装いながらも、クラス中がそんな馬場の様子を息を飲んで見つめていた。ゆっくりながらもゼリーの中身は順調に減っていった。ゼリーの中身は半分まで減った。このまま完食できるか──と誰もが思った時、馬場の手が止まった。うぐ、と変な声を上げて馬場は口元を両手で抑える。顔は苦渋を飲んだように歪み、そのまま教室の外に駆け出していく。「……ごめん」数分経って戻ってきた馬場は、濡れた口元をハンカチで拭いながらそう言った。哀しそうな眼をしてそう言った。オレ達は馬場にそんな顔をして欲しかった訳じゃない。でも結果的にオレ達は馬場を哀しませてしまったのだ。
(……何も出来ることはないのだろうか、オレ達には)
ないのかもしれない。何をやったって無駄なのかもしれない。逆効果なのかもしれない。心の中のオレの一部分がそう囁く。
(じゃあ、オレ達は馬場が苦しんでるのをただ見ているしかないのか?オレ達が馬場を"助けたい"って思う気持ちは、ただのエゴなのか?)
エゴなんかじゃない。そう信じたい。そう思いたいのに、オレの心の何処かがそのことを否定する。お前のやっていることは無駄なのだと、お前達が何かやったところでアイツが救われることなど一生ないのだと、そんな耳障りな言葉は日に日にオレの心で増殖し続け、"馬場を助けたい"──当初のそんな思いを少しずつ陰らせていった。
「それでも、それでもオレは……」
最早それはただの意地だった。アイツを救いたい─だなんて善意な願いじゃない。アイツを救わなきゃいけない。アイツを救わなきゃ、アイツを救わなきゃ、もう───誰も救われない。脅迫的にオレ達はアイツを救うことに捕らわれていた。そしてオレ達のそんな願いとは裏腹に、馬場の瞳や心は光を失っていった。
∮
オレ達の願いが歪に変質していくのと同時に、馬場とオレ達の世界には明確な"溝"が出来るようになった。
「なぁ」
「…………」
「なぁ、聞こえてる?」
「…………」
「?……もしかして、気付いてないのか?この至近距離で?」
「…………あ」
「……やっと気付いたのかよ」
「…………ごめん」
馬場はオレ達の姿がたまに見えなくなるようになった。見えないだけじゃない、声も、匂いも、何もかも認知出来なくなるときさえあった。その時に話し掛けても馬場がオレ達を見ることはない。気付くことはない。身体を大きく揺すると流石に存在を認識することが出来るようだったが、逆に言えばそうまでしないとオレ達に気付けないのだ。馬場がそんな状態になってきていると気付いた時、オレ達は言葉を失った。"馬場の世界"にオレ達は存在することが出来なくなりつつある。馬場は、もしかしてオレ達なんていらなくなってしまったのだろうか。やっぱりオレ達のやってきたことは、無駄でしかなくて、むしろ馬場の負担でしかなかったのだろうか。
きっと"馬場がオレ達を見えない"からだけじゃない、オレ達のそんな気持ちが、あの時の馬場とオレ達の間に大きな溝を生んでいたのだろう。
色んな意味で隔たりつつあったオレ達と馬場は、ある日を境に完全に世界を別つことになる。
そして、その日はやってくる。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.100 )
- 日時: 2018/08/14 11:06
- 名前: 羅知 (ID: f2zlL8Mb)
『ねぇ、どうして』
ねぇ、どうして。
『どうして助けたりなんてしたの』
どうして泣いているの。哀しそうな顔をしているの。
『……"馬場満月"はそんなことしないだろ』
僕のせい。……そうか、僕のせいで君はそんな顔に。
『僕達はヒナとユキだった。だけど馬場と濃尾がいなくなる訳じゃない』
やっぱりはユキは優しすぎるんだ。こんなになっても、僕の汚い所全部知ってても、それでも僕をヒナだっていうなんて。
『……馬場は、今でもヒナを見てるんだね』
覚えてくれてたんだね、ありがとう。あの時のこと忘れないでくれたんだね。
『…………あの頃のヒナはいない。いるけど、いない。もうどこにもいない。消えてしまった、汚れて、溶けて、どろどろになって』
そうだ、いない。どこにもいない。君と仲良くしていた、君の好きだったヒナはもういない。残ってるのは汚ならしい僕だけだ。
『ねぇ、死にたいよ』
本当だよ。
『どうして、どうしてなの。どうして助けたりなんてしたんだよ。馬場なら分かったはずだよね』
優しすぎるからだよね。ごめわね。本当にごめん。君は優しすぎるから……大丈夫。ちゃんと嫌えるように、引導を渡すから。
『……今の僕が最低で最悪な人間だって』
君がそのことを認められられるように。
『ヒナじゃないんだよ、僕は。僕は……"僕"だ。ただの濃尾日向だ。馬場満月の"親友"で───そして君の大嫌いだった濃尾日向だ』
楽しかったよ。大好きだったよ。ごめんね、ごめんねごめんねごめんね。本当にごめんなさい。泣かないで。そんな顔して泣かないでよ、ねぇ。
『嫌えよ、僕を』
お願い、嫌いになってくれ。僕なんか好きになる価値なんてない。嫌われるべき人間なんだから。
『……失望した。二度と顔も見たくない。どこか遠くに行ってくれ。もう二度と逢わないように』
合わせる顔がないんだ。こんな自分に失望しっぱなしなんだ。僕のことなんか忘れて、君は僕のいない世界で幸せに生きてくれ。もう二度と逢わないように。
『……ばいばい』
……ばいばい、僕の親友。
∮
あぁ苦しい。
水の中にいるような、そんな気分だった。勿論ぶくぶく泡の音も聞こえないし、そこら中を泳ぐ魚だっていやしない。けれども今の自分はまるで水の中で溺れてるみたいだ。ここは確かに地上のはずなのに、息を吸ったり吐いたりするのが上手く出来ない。酸素が足りない。頭がくらくらする。誰かに助けを呼ぼうとも、水の中ではただただ口から泡が出るだけで何も届かない。むしろ出した分だけ色んなものが減ってしまって余計苦しくなった。苦しくて、苦しくて。胸をぎゅっと掴む。まだ、とくとくと自分の心臓は静かに音をたてていた。そんな自分に違和感を覚える。どうしてまだ俺は生き続けているんだろう。こんなにも苦しいのに、どうして俺の心臓は止まってくれないのだろう。
眼を開けた。
何もなかった。
誰もいなかった。
何も残っていなかった。
前にも、後ろにも、何も、何も何も何も何も何も。
俺には何もなかった。
何もない俺は一体何のために生きていたのだろう。生きてきたのだろう。
涙が出てくる。
涙すら、塩辛い透明の中で溶けて消えていく。
上を見上げれば、海面が太陽の光を反射してキラキラと輝いていた。
それは救いのように思えた。
俺はそれを掴もうと手を伸ばし──────そして、ゆっくりと下ろした。
海の上は、きっととても良い場所なのだろう。暖かくて、騒がしさが妙に心地よくて、キラキラしてて、寂しくなくて。俺みたいなどうしようもない奴でもきっと受け入れられて、そして幸せになれるに違いない。光は痛いくらいに眩しく、俺なんか一瞬で飲み込めそうだった。
だからこそ俺は、それを絶対に手にしてはいけないと思った。
甘んじてはいけないと思った。そんな簡単に許されてはいけないと思った。例え他の誰かが許してくれたとしても、俺だけは、俺自身を許してはいけないと思った。生きている意味も分からないこの俺が、生きている意義も見出だせないこの俺が、のうのうと幸せになって生きるなんて絶対に許されてはいけないことだ。
俺は眼を閉じる。
苦しい。悲しい。寂しい。ぐるぐるとそんな感情が頭の中で蠢いている。涙は止まらず、口からは泡が零れ、悲しみも苦しみも終わることを知らない。
まだ心臓はとくとくと音をたてている。俺は早くこの音が止んでしまうことを心の底から強く願った。
∮
終業式。その日は終業式だった。まぁだからといって何かある訳がない。通知表やら何やら色々なものを返されて、何の感慨も沸くことなく、何事もなく、その日は普通に終わろうとしていた。
STが終わり、先生が明日の連絡を話し終わるまでと黙っていた生徒達も口々に喋り始める。静かだった教室はあっという間に騒がしくなった。仲の良かったクラスメイトと二年生になっても同じクラスになれるといいね、とかそういったことを話しているようだ。それに便乗するかのように、痛いくらいに冷たい風がぴゅうぴゅうと若干空いている窓から入り込む。そのあまりの寒さに身体がぶるりと震え、そそくさと私は──菜種知は自前の橙色のマフラーを手にする。季節はもう三月の上旬を迎えていた。冬は終わり、もうすぐ季節は春へと変わる。そうだというのにどうしてこんなにも寒いのだろうか。去年よりも寒いだろう、これは───なんて受験生だった昨年の冬を思い返していると、ふと私以上に紺色のマフラーをぐるぐるに巻いてる男─馬場満月が目に入った。
(もこもこだ……)
周りなんて目もくれず、馬場君はひたすらマフラーをもこもこになってしまうくらいに首にぐるぐると巻いている。よく見れば手もがちがちと震えているようだった。多分、寒がりなのだろう。多分。
転校してきた当初より彼の髪は全体的に伸びて、目は隠れており、たまに覗くその目も仄暗く、以前より陰鬱としたイメージが強くなった彼の姿。太陽のように明るかった頃の彼の面影は今では微塵もない。無理もないと思う。あんなことがあったのだ────親友が自殺未遂だなんて並大抵の衝撃じゃなかったはずだ。ショックを受けて、性格が一変してしまっても仕方のないことだと思う。私も入院生活から復帰して、そのことを他の皆から聞いたとき、世界がぐらりと揺らいだような衝撃を受けた。まさか。だって彼は。そんなことするような人じゃ。
しかし事実は事実に変わりない。
私の場合その実感は馬場君の尋常ではない様子を見て沸いた────自分よりパニックな人を見ていると落ち着くという話はどうやら本当らしい。きっと他の人もそうだったのだろう。クラスメイトが一人自殺未遂を起こしたクラスにしては私達は落ち着きすぎていた。異常な程に。
∮
「……満月の気持ちは俺もよく分かる。俺だって……もしトモがまだ目覚めてなかったら……満月の立場が俺で、濃尾の立場がトモなら……とても正気じゃいられてなかった」
これは私が学校に復帰して、一日目の帰り道でのガノフ君の言葉だ。今日は一緒に帰らないか、意味深な面持ちで彼は言った。私はそれにこくりと頷きで返した。何だかやけに胸がどきどきしてしまって、体が、頬が熱くなってしまって、手に汗が滲む。
「お前が───菜種知のことが、俺は好きだ。出来れば恋人になりたいと思っている」
歩く足が止まった。愚かな程に真っ直ぐに伝えられる告白の言葉。汗に滲んだ手をぎゅっと力強く握られて、そのまま私の手がガノフ君の顔の前に持っていかれる。ばくばくと煩いくらいに鳴り響く胸の音。重なる、音。私か、彼か。どちらがどちらの音なのかも分からないくらいに、混じりあう音と音。
「トモは……俺のこと、どう思ってる?」
返事をしようと思ったけれど、胸が痛くて、苦しくて。それでもやっぱりこの想いを伝えようと思って、掴まれてない方の手で自分の胸のあたりをぎゅっと押さえて、勇気を出して口を開く。
「私も……私も、好きです。大好きです。ガノフ君のこと……これは、本当です。嘘なんて、つきません。嘘なわけないです……」
かろうじて、そんな台詞が言葉になった。私の言葉を聞いた目を見開いて、まるで時が止まってしまったみたいに私の顔を見ている。すぐに分かった。彼は私の言葉を信じてくれてないのだ。日頃嘘ばかりついてたのが仇になった。狼少年ならぬ狼少女って奴だ。私は後悔した。恥ずかしい、あんなに緊張して答えたのに、もう一回言わないといけないなんて。
身体中が、熱くなる。
それでも、それでも伝えたいから、息を大きく吸った。
「…だ、だから!ガノフ君のことが好き!大好き!嘘じゃない……本当に、本当。信じ─────!」
ちゅっ。
「───へ?」
最初、理解が追い付かなかった。私は今何をされたのだろうと思った。ぐるぐる、ぐるぐる。上手く頭が回らない。結局、私が"私の掌にガノフ君が口づけをした"のだという事実に辿り着くまでに二分を用いた。理解できても、受け止めきれない。私はまるで機械になってしまったみたいに首をぎぎぎぎ、がががが、と動かして、ガノフ君の方を見た。彼は一体どんな気持ちで、これをしたのだろう。
彼と、目が合う。
「…………」
「…………」
「……ありがとう、トモ」
彼は微笑んだ。
ふにゃりと、今まで見たことのないくらい幸せそうな顔をして。
「…………」
「…………トモ?」
「…………」
「……なぁ、トモ」
「…………」
「……おーい?」
こんな恥ずかしさ、耐えきれない。
色々限界になった私の脳内は、そこで考えるのを放棄した。身体中が熱い。特に顔が熱い。きっと今の私の顔は林檎みたいに真っ赤なんだろう。今なら身体中から溢れるこの熱でお湯を沸かせそうな気がする。あぁ幸せだ。幸せで、幸せで仕方ない。
(嘘も、本当も、どうだっていい…………)
あまりにも幸せすぎて涙がぽろぽろと溢れる。そんな私を見て、ガノフ君が慌てている。もう、何もかもが幸せだった。
私は今、世界一幸せだった。そう思えてしまうくらいに。
∮
大好きな人と両思いになれる、ってことは凄く幸せなことだと思う。だからこそ私達は大好きな人を失ったとき壊れてしまうくらいに苦しいのだ。忘れてしまいたくなるくらいに苦しいのだ。
(私達が、馬場君に出来ることって、なんだろう)
虚ろな目をして毎日を過ごしている彼を見ていると、彼の憂いはどんなことをしたって取り除くことなんて出来やしないんじゃないか───そんな弱気なことを考えてしまう。
そんなんじゃ駄目だ。絶対に。確かに彼の負った傷は深くて、治る余地なんかないかもしれない。だけど、だけど諦めるのだけは絶対にしちゃいけないと思った。二年生になったら私達はクラスがばらばらになるだろう。でもだからってこのクラスで起こったことがなくなる訳じゃない。馬場君と、濃尾君と、皆で過ごしたあの日々が偽りな訳がないのだ。なくなるはず、ないのだ。
(馬場君も、濃尾君も…………二人とも救うんだ。もう一度このクラスの皆で笑い合うために)
今日は終業式。
一年生であった私達は終わって、二年生の私達がまた始まる。
だけどこのままじゃ終わらせない。
こんな悲しいまま、苦しいまま、終わらせていいはずがない。私達の一年B組を、こんな風に終わらせちゃいけないんだ。
「ねぇ」
私は馬場君に話しかけた。
もこもこのマフラーを着けた彼が不思議そうに私の方を見る。
「"私達"と、今日一緒に帰りませんか?」
彼の目が見開いて────そして、ゆっくりと首が縦にふられた。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.101 )
- 日時: 2018/10/08 23:43
- 名前: 羅知 (ID: PSM/zF.z)
∮
最後だから。
これで一年生として皆で過ごすのは最後になるから。だから、しっかりと話をしたかった。馬場君や濃尾君と強く関わりのあったこのメンバーで、落ち着いて、ゆっくりと話してみたかった。
馬場君も、もしかしてそう思っていたのだろうか。思ってくれていたのだろうか。私達としっかりと話したいと、そう思ってくれたのだろうか。だから頷いてくれたのだろうか。
だとしたらそれは嬉しいことだと思った。
馬場君が私達と話したいと思ってくれている限りは、馬場君はまだ救われる、そんな気がしたから。
∮
現在、私達は馬場君、尾田君、葵、雪さん、小鳥さん、ガノフ君の総勢七名で終業式後の時間を過ごしている。場所は学校から離れた人気のあまりないカフェ。人こそいないが雰囲気をはなかなか良い。落ち着いて話をしたかった私達にとっては都合のいい場所だった。
元々私は馬場君、濃尾君と仲の良かった、雪さん、小鳥さんを除いた五人で帰る予定だったのだけれど、雪さんと小鳥さんの強い希望によって、彼女達も一緒に帰ることとなった。
「……満月君と話したいんだよ。忘れちゃいけないことを思い出すために」
「……あやつには、まぁ世話になっておったからな。菓子の礼じゃ。……それに話したいこともあるからの」
そういえば雪さんは濃尾君と馬場君によくお菓子を貰っていた。他人にあまり関心のあるようには見えない彼女でも一応恩は感じていたらしい。失礼だけど少し意外だった。一年同じクラスだったけれど彼女については分からないことだらけだ。いや実際は彼女のことだけじゃない、私達は一年過ごしていたってお互いについて知らないことだらけだ。このクラスにいなかった頃の私を知る人はきっと多くはないし、その逆もまた然り。私だって皆のことを全然知らない。一年という期間では、私達は誰かの一割も満たない程度の何かしか知ることができない。それほどまでに一年は短い。ましてや馬場君は私達のクラスに来てからまだ半年も経っていないのだ。あれだけ密接とした時間を過ごしていながら、私達は何も知らない。彼のことを、何も知らない。このまま終わっていいはずがない。私達が彼のことを知らないまま、ちゃんと話し合えないままな、そんな最後にしちゃいけない。そんなの、あまりにも悲しすぎる。
(今から、話して、少しでも知れればいいな……)
まだ遅くないはず、だよね。
そう信じながら、私はゆっくりと窓際の席についた。
∮
「転校前の、俺の──友達の話をしてもいいか」
集まった全員が席に座ると、馬場がどこか神妙な面持ちでそう口にする。馬場が自分のことを───ましてや転校前のことを"正気の状態"で──今を"正気"といっていいのかは怪しいところだが──話すのは初めてのことだ。オレ尾田慶斗を含む集まっていた面々は驚きの表情を見せた。しかしオレ達のそんな反応をどう勘違いしたのか、馬場は申し訳なさそうにぼそりぼそりと下を向きながら呟く。
「……やっぱり、俺の話なんて聞くの嫌か?」
「いや違う違う!!そうじゃなくてさ……」
オレは焦った。濃尾が飛び降りてからの馬場は驚くくらいネガティブだ。オレ達の何気ない言葉で馬場は傷付き、自分を責める。責めて、責めて、それはもう今すぐにでも死んでしまいそうな程に、だ。
馬場満月という男が、他人に頼ることの苦手な自分に厳しいストイックな奴であるということは分かっていた。そしてそんな自分自身の性格すら、この男は周りに隠していた。裏で色々なものを抱えながら、"驚異の当て馬"で、周りのことが何も分かっていないみたいな笑顔で道化を演じ続けていたのだ。
「お前が……友達のことでもさ、こうやって自分のことを話してくれるなんて珍しいことだから……驚いただけだよ」
自分を責める馬場に、そう声をかけながらオレは悲しくなる。文化祭準備の辺りから馬場満月という男の本質には気が付き始めていた。その頃から馬場は体調を崩しがちになり、"道化"の仮面に隙を見せるようになっていたからだ。あの頃には、もう馬場は、"無理"が"限界"を迎えようとしていたのだろう。
(あの時に、もっと声をかけていれたら……コイツの悩みを聞けていれば……馬場はここまでボロボロにならなかったんじゃないか?)
過ぎた時間は戻らない。そんなことは分かっている。たらればでモノを語ったって仕方ないことだった。だけどそんな理屈で考えることの出来ないのが"後悔"というものだった。
馬場に相談したあの時、椎名を助けようと喫茶店に走ったあの時、思ったことは、すぐに行動に移そう。絶対に後悔だけはするものか、そう決めたのに。
オレは口の中で頬の肉を血が出るほど噛んだ。じわじわと痺れるような痛みが広がって、口内が血の味に包まれる。
心の痛みも、口の痛みも、誤魔化すようにオレは馬場に笑った。
「────で、さ。教えてくれよ、お前の"友達"の話」
「…………あぁ」
俺の笑みを見て、馬場は複雑そうな面持ちをしたまま、こくりと頷いた。
∮
「突然だけど……尾田君達にとって"満足"ってどんな状態のことだ?」
馬場の話は、まずそんな一つの質問から始まった。自分にとって"満足"とは何か。まさかそんなことを言われるとは思っておらず、オレ達は面食らった。満足。完全なこと。十分なこと。満ち足りていること。意味合いで言えば"そういうこと"になるけれど、馬場が言っているのはそういうことではない気がした。
「……まぁその反応が当たり前だよな。考えたこともないって感じだ。……普通に暮らしてたら、そんなこと、考えないもんな」
「…………」
「……俺の"友人"にとって、"満足"は……たった一人の兄と、仲の良い幼馴染とその姉と……自分。その四人で送る"日常"が"満足"だった」
何かを思い出しているような、何かを懐かしんでいるような優しい目をして、馬場はそう言う。馬場のこんなにも優しい表情を初めて見た。朗らかで、落ち着いていて────なのに何故だろう。とても優しいその顔は、今すぐに泣き出してしまいそうな顔にも見えた。優しくて、哀しくて、その顔を見ているだけで心がぎゅっと痛くなる。
「……でも、人間って欲張りだからさ。気付けないんだ。今が"満足"なんだ、って。"幸せ"なんだ、って。……分からないんだ。……あんなにも、幸せ、だった、のに」
「…………」
「……求めすぎて……全てを失って、大切な人達を自分自身で傷付けて……やっと気付く。あれが"満足"だったんだって。幸せだったんだって……!」
馬場の瞳から、大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちる。その魂の込もった語り口から、馬場の話す"友人の話"が、けして"友人の話"じゃないなんてことは誰の目から見ても明らかだった。
これは"彼自身"の話だ。"馬場満月"になる前の"カンナミ"という名前の"彼"の話だ。
「……身の程知らずが、欲張るから、こんな風になるんだ……!好きな人に好きになって貰えるなんて……勘違いをするから……こんな風に、なるんだ……!」
「…………馬場」
「……最初から、諦めてれば、良かったんだ。自分が誰かと結ばれるなんて幻想、あるはずなかったんだ。……俺に出来ることは、せいぜい誰かと誰かのキューピッド……そんな"役"に、徹せれれば、良かったのに……!」
馬場のその言葉で、その場の全員が勘づいた。
(……だから、だったのか?)
"馬場満月"が異常なまでに"当て馬"であり続けようとした、その理由。
"馬場満月"が"当て馬"をしたカップルが必ず結ばれていた、その理由。
"あれ"は、彼が自分のことを諦めて、諦め続けて、その上で自分の存在意義を見出だす為に導き出した方法で──けして偶然なんかじゃない。彼の執念で作り上げられた"伝説"だったのだ。
「なんだよ、それ……」
思わずそんな言葉が口に出た。
オレと椎名を結んでくれたお前が、誰かと誰かの縁を結んでくれたお前が、オレに遠回しに"諦めるな"と伝えたお前が!
そのお前が、"諦めればよかった"なんて、そんな悲しいことを、言うのか?
いつだって誰かの幸せを願って、誰かの諦めを拾い上げてきたお前が、諦めて、不幸になるのか?
そんなの、おかしい。
間違っている。
「……おかしいだろ!そんなの!なんで、なんで!!諦めるんだよ!!……オレは、オレ達は……!!お前にも、幸せになってほしいよ……!!」
オレは馬場に向かって叫んだ。悲しみと怒りを込めて叫んだ。オレだけじゃない。皆だって同じ気持ちのはずだ。
なぁ、馬場。
オレ達の声、お前にはもう、届かないのか?
「…………尾田君、これは"友人"の…………いや、もう、バレバレ、だな」
感情的なオレに対して、馬場は妙に落ち着いていた。言いたいことを言ったからなのかもしれない。さっきまで泣きながら叫んでいたとは思えないくらい、馬場の顔は憑き物の落ちたように爽やかだった。
「……尾田君、皆、オレ、幸せだよ」
「……何も望むものなんてない。濃尾君だって、生きている。クラスメイト全員、何とか無事に、二年生になれるじゃないか」
「……"満足"さ。"足りない"ものなんて、何もない」
自分自身に言い聞かせるように、馬場は笑ってオレ達にそう言った。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.102 )
- 日時: 2018/10/18 01:26
- 名前: 羅知 (ID: zMzpDovM)
∮
「……!」
「……どうした、嬢ちゃん?」
「……ううん、なんでもない。きっと、気のせい」
白夜とヒナの声が聞こえたような気がして、辺りを見渡した。誰もいなかった。当たり前だ。白夜はともかくとして、ヒナがこんなところにいるはずがない。あの子は今、白い部屋の中の、白いベッドの上で眠っている。出会ったときと、同じように。
(まるで、悪い夢みたい。……本当に、夢だったらよかったのに)
濃尾日向と馬場満月は"親友"で、濃尾日向はヒナで、馬場満月は白夜だった。短い期間で、色んなことがありすぎて、色んなことを知りすぎて、頭がおかしくなってしまいそうだ。ほんの少し前のことのはずなのに、ヒナが──いや、濃尾日向が私の学校に劇の特訓をしにきたあの日が随分前のことのように感じる。そうだ。あれから、たった三ヶ月しか経ってないのだ。なのに、なのにどうして。
(ヒナは……"飛び降り"なんてしたの?)
そんな自ら命を絶つような真似、する子じゃなかった。ヒナも、濃尾日向も。"彼女"は未来を夢見る素敵な女の子だったし、"彼"は女顔で頭が良いけど─でもどこか詰めの甘いところのある普通の男子高校生だった。だったはずだった。
私も、白夜も、ヒナだって、日常を──変わるはずのない日常を歩んでいた。こんな日々がずっと続けばいいのに──そんな風にも思わないくらいに身近な場所に"日常"は存在していた。変わる訳ないって信じるまでもなく信じていたのだ。愛しい愛しい、あの日々を。
だけどそんな日常は崩れ去った。
『────愛鹿雪那さん──事故に合って───目覚めない───火事が──』
『……なんで?なんで起きないの?いつもウザいくらいに私のこと馬鹿にするのに。……いつもみたいに笑えばいいじゃない、私のこと』
『……答えてよ。私が独り言言ってる変な奴みたいでしょ……それとも、私をこんな風にさせて、笑ってるの?そうだとしたら……本当、最低』
『…………白夜も、満月さんも、アンタが目覚めないから何処かにいっちゃった……全部、アンタのせい……私、一人ぼっちだよ……』
『………………大嫌い。本当に、本当に大嫌い。馬鹿姉貴』
……嫌なことを思い出した。ただでさえ最近気分が悪くて、体調が悪いのに、最悪だ。頭がぐるぐるとまわって、身体がふらふらとする。歩くこともままならなくなって、私はその場にしゃがみこんだ。
「……おい、嬢ちゃん。………ああクソ。ちょっと散歩すれば、気分転換になると思ったんだけど……ちょっと近くで休むぞ。……歩けるか?」
「……うん。ごめん、観鈴」
観鈴に肩を支えられて、ゆっくりと歩く。足元はおぼつかず、自分がどこに立っているのかもよく分からない。頭は相変わらずぐるぐるとして、目の前の景色は歪んでいた。
∮
「───嘘つき」
最初、その声が誰の者なのか分からなかった。
その声の持ち主が岸波小鳥だということにオレ達が気が付いたのは、岸波が言葉を発してから五秒程経った後だ。小さいけれど、確かな怒りを感じる低い声。誰だろうと戸惑いの表情を見せ、辺りを見渡す面々の中で一人微動だにせず俯く岸波は、この場においてとても異質な存在になっていた。
「……ど、どうしたの?小鳥ちゃん」
突然のことでどぎまぎしながらもシーナが隣に座っている岸波へ、そう訪ねるがその問いに対して彼女が答える気配はない。黙ったまま俯く岸波の表情はよく見えない。
確かに"幸せ"といった馬場の言葉は、とてもじゃないけど本心から言っているように思えなかった。けれども岸波の言った"嘘つき"はそういった意味を込めているようには聞こえない。
表情は見えない。けれども彼女の言葉に込められた"感情"は手に取るように分かる。彼女は"怒って"いる。彼女の言葉には明確な"怒り"を感じる。相手の"嘘"を責めるようなそんな"怒り"を。
普段、彼女は"怒る"ということをあまりしない。そもそもいつも宙にふわふわ浮いているような気の抜けた言動が多く、はっきり感情を出すこと自体ほとんどないのだ。
そんな彼女が怒っている。強く、強く。
(……)
分からない。何故彼女はこんなにも怒っているのだろう。
馬場の方を見れば、彼はオレ達以上に戸惑っているようだった。戸惑うどころか怯えているようにさえ見える。けれども馬場のその反応にもどこかを違和感を覚えた。戸惑うならともかく何故馬場は"怯えて"いるのだろう。相手は────理由は分からないが────怒ってはいるものの只のクラスメイトの女子だ。怯える必要なんてない。彼女が怒っていたところで、彼に何か被害がある訳でもない。
それなのに、何故?
「……嘘なんて、ついてない」
消え入りそうな、震えた声で馬場は岸波にそう返す。彼が声を上げて、ようやく岸波が顔を上げた。その目は真っ直ぐに馬場を睨んでいた。
「……君にとっては、そうかもね。嘘なんて吐いてない。誰にも好いてもらえない。自分が全部悪い。自分が幸せになる資格なんてない。……君にとってはそれが全てで真実なんだろうね」
怒っている割に、その声は落ち着いている。ただ彼女の膝の上に乗せられた拳は痛そうなくらいに握り締められ、震えていた。
「そうやって……そうやって可哀想ぶって、被害者ぶってる姿を見ると、苛々する……!
…………"君"はいつもそうだ……全てを手に入れられる立場にいる癖に、逃げて、何も手に入らないと嘆くんだ……!ボクを……何回惨めな気分にさせれば気が済むんだよ!」
「そんな────」
「──じゃあ聞くけど!どうして当て馬としての"君"はその"性格"なのさ!?それは"君"のものじゃない!!……あまりにも下手すぎて、吐きそうだよ……君はあまりにも"別人"だ!君は"あの人"にはなれない!それなのに"君"が"馬場満月"であり続けようとしたのは!!」
彼と彼女以外もう誰も話についていくことなんて出来ていない。彼女だってそんなことは気付いていた。それでも彼女は叫んだ。目の前のたった一人に、大切なクラスメイトに、大事な友達の好きだった人に、恋してたあの人と同じ顔を持つ双子の弟に。
「まだ…………まだ!"期待"してたからなんだろ!」
∮
"嘘つき"、と考えるよりも先に気が付いたら言葉に出ていて。
そして一言出てしまえば、あとの言葉は滝のように続けて溢れてきた。
自分はこんなキャラだったかと喋っている自分ではない自分が首を捻っているけれど、"恋"は心が変になると書くのだし、きっと自分は気がおかしくなっているのだ。そう考えることにした。
ぼやけていた空白の時間が瞬く間に色彩を持って形になっていく。あの人に恋をしたあの日のこと。社ちゃんと同じクラスになったあの日のこと。二人で恋の話をしたあの日のこと。あの人に気持ちを伝えたあの日のこと。あの人に────フラれたあの日のこと。
心の中に全部残ってた。楽しかったことも、悲しかったことも、全部、全部。自分の中に残っていた。
あまりにも辛くて、悲しくて、逃げ出してしまったあの時。今なら分かる。嫌なことから逃げるために楽しかったことも忘れてしまうなんて、なんて馬鹿なことをしたんだろう。
自分は向き合わなきゃいけなかった。そうじゃなきゃ前に進めなかった。
───君も同じだ。
「"満月"であれば、誰かに愛してもらえるかもしれない。上手く出来るかもしれない。幸せになれるのかもしれない。……君は諦めきれずに、期待してたんだろ」
「……ぅ……」
「でも君は"満月"じゃない。あの人にはなれない。……そんなこと、分かってるだろ。もう、止めなよ。そんなこと。君は何者にもなれない。……君は、君以外の何者でもないんだから」
「……そんなこと、ない……そんなわけ、ない……おれは、おれは……」
"自分"じゃ何も成し遂げられないとでも思っているのだろうか、愛されないとでも思っているのだろうか、もしそうだというのならちゃんちゃらおかしい話だ。
あの日、ボクは君のせいでフラれたのに。
君が憧れ焦がれるあの人が、恋してやまない君のせいで。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.103 )
- 日時: 2019/01/18 18:39
- 名前: 羅知 (ID: KNtP0BV.)
∮
う そ つ き ?
俺が?まさか。彼女は何を言っているのだろう。俺は嘘なんてついていない。少なくとも俺は自分の言葉を"嘘"だなんて思っていない。真実だ。俺が信じ続けている限り、"これ"は本当であり続ける。けれども彼女は俺に言う。お前は間違っている。お前は嘘つきなのだと。彼女の言葉一つ一つが突き刺さり胸が鈍く痛む。今までも彼女の言葉で心が乱れることはあったとしても、ここまで痛み、苦しくなることなんてなかったのに。迷うような口振りだった彼女はもういない。彼女はもう逃げない。そんな彼女の言葉で、弱い俺は既にもうボロボロだ。
あぁ、なのに何故だろう。胸はこんなにも傷んで死にそうなくらいなのに、心臓は五月蝿いくらいにバクバクと動く。
「どうして、そんなにも幸せになることを拒もうとするの?」
(…………もう、もう止めてくれ)
俺のそんな願いは彼女には届かない。あぁ、彼女がまだ何かを言っている。五月蝿い。静かにしてくれ。勝手なことを、言わないでくれ。知ったような口をきかないでくれ。
「……君は、君の人生を生きても良いんだよ」
どうして"君"が"オレ"達のことを知っているのか分からないけど、お願いです。もう、もうどうか止めてください。これがオレの本当で、オレは本当に、本当に本当にそれでいいんだ。もう満足なんだ。何も言わないで下さい。オレが、全部、全部悪い。それで良いんです。それがきっと一番良いんです。
「……ボクは君にも幸せになって欲しいよ、だって」
だから、だからもう止めて。
"俺"の"物語"を壊さないで。
「ボクは"あの人"が好きだったから。……だから、あの人が愛していた君にも幸せになってほしい」
"あの人が好きだったから"
ぽきり、と。
その"言葉"で、自分の中の何かが壊れる音がした。
∮
「───うなのか」
「……え」
「───"お前も"、そうなのか」
"お前も"、結局、あの人に惑わされて、俺から全てを奪っていくのか。
「勝手なことを、言うなよ」
「あの人は、お前が思ってるより、ずっとずっと」
「────汚くて、狡くて、愚かな、頭のおかしい人だ」
そう言う俺の顔はきっと童話の中の魔女みたいに醜く歪んでいることだろう。対する彼女は言っていることがまるで信じられないみたいな目で俺を見る。あんなにも息苦しかったのが嘘みたいに、胸はもう痛まない。身体が震えるくらい恐ろしかった彼女が、もう何も怖くない。目の前の彼女は、ただあの人に踊らされていただけの純情な生娘、そう分かってしまえば恐ろしいものなんて何もなかった。
「はははははははっ!!!」
笑いが止まらない。
彼女は震え、周りの人間は何もついていけずにポカンと口を開けている。滑稽な空間だ。そう自覚したら余計におかしくなってしまった。
久し振りに笑いすぎて、涙が出てきてしまう。
『……あの人が好きだから』
『……諦めきれないから』
『……あの人が大事にしてる、貴方を、こうすれば、そうすればきっと』
『……あの人は、私を嫌ってくれる……こっちをやっと見てくれる……』
『……ねぇ、"ミズキ"。とっても愛してる……』
とっくの昔に心は壊れていた。
それを無理矢理継ぎ合わせてなんとか今まで生きてきた。
だけど、もう駄目だ。
直しようがないくらいに、この心はもう粉々だった。
「なぁ知らないだろ」
「あの人、放課後に、突然俺を呼び出したと思ったらさ」
「全身ひんむいて、手足縛って、俺に、自分を好いてる女の相手させたんだ」
「……普通、大事な大事な愛しい弟に、こんなことするか?しないよ」
「……でも、俺が悪いんだ」
「……完璧な兄さんは、俺を愛してしまったから、あんなにも歪んでしまったんだ」
俺が悪い。全部俺が悪いのだ。あの人達に事の責任を求めるより、俺が悪いことにしてしまえば全てがきっと上手くいく。そうだ。兄さんは悪くない。悪いのは全部俺だ。完璧な兄さん。優しい兄さん。大好き"だった"、尊敬"していた"兄さんを否定してしまったら、俺はもう生きられない。月を失った夜は暗い。何も見えない。恐ろしい。そんな中で俺が生きていける訳がない。だから俺には兄さんが必要だった。完璧な、理想の兄が。
「兄さん、雪那さん、社と過ごす日々は余すことなんてないくらいに満ち足りて、完璧だった」
「……俺だけが欠けていた。完璧さからは程遠い存在だった。あの人達といると、惨めな自分が余計惨めに感じた」
だからこそ、俺は。
「あの"満ち足りた日々"が大好きで……"大嫌い"だった!!」
どさり。
俺がそう言い終わるのと同時に多分店の入り口の方で、そんな音がした。
「え」
嫌な予感がした。
「……や、し、ろ」
入り口で持っていた荷物を全部取り落として、目を見開いてこちらを見ている彼女が、そこにはいた。
「…………や、しろ。違う、違うんだ」
「…………」
「オレは、社が、社のことが……」
「……気付け、なくて、ごめ、んね」
その言葉を言い終わらない内に、落ちた荷物を素早く拾うと、彼女はその場から走り去る。
「……待ってよ!社!!」
遠く、離れていく彼女を追いかける。ごめんねと言った彼女の、光を失った黒々とした瞳は、絶望しきっていて、そのまま死んでしまいそうだった。
『君を解放してあげる』
二度と、あんな目になんて、絶対に合いたくなかった。
∮
事態を何も掴めず、私達は呆然とその場に取り残された。
「本当に、本当に、何なんですか……どういうことなんですか……?」
いつもの口調をする余裕なんてあるはずもなく、誰に言うわけでもなくそう呟く。
私と同じようになっているガノフ君、葵、尾田君。
今にも倒れそうな青い顔で震えている小鳥さん。
入り口の方を見れば、社さんの連れだろうか。華奢で可愛らしい見た目をした女の子が私達と同じように呆然としている。
そして、気が付く。
「……雪、さん?どうされたんですか?」
いつも他人のことなんてどうでもいいといった態度の彼女が、額に汗を浮かべて、怯えきった表情をしていることに。
私が声をかけると、彼女はすぐに反応する。けれどもそれはいつもの彼女の態度とはまったく違っていた。
「……早く、追いかけて」
低く、焦りながらも落ち着いた声で彼女は私にそう言った。
「お前だけじゃない、全員。早く、追いかけて!!」
「…………え、え?」
「妾が言ってること分かんないの!?早く行って!!女神命令!!」
「……大切なクラスメイトを失いたくないなら、早く追いかけて!!」
普段と違う普通の口調で、けれども妙にその言葉には気迫があって。気が付けば全員が、その言葉に聞き入っていた。
「……分かりました。追いかけます」
その言葉に従って、私は、私達は彼らを追いかけた。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.104 )
- 日時: 2018/12/16 18:42
- 名前: 羅知 (ID: iLRtPlK2)
∮
「ま、……って……待っ、てよ、やしろ」
どれだけ走っただろうか。いや、どれだけだって走るしかない。彼女を追いかけるしかない。オレは無力で、不出来で、出来損ないだ。オレに出来ることなんて何もないのかもしれない。だけど、あんな死にそうな目をした彼女を放っておくことなんて出来るはずがなかった。もう、嫌なのだ。大切な人が目の前で消えようとするのを、見ていることしか出来ないなんて、絶対に。
それなのに。追いかけなきゃ、追い付かなきゃいけないのに。彼女の姿はオレからどんどん離れていく。走る。彼女を追いかけて、走る。喉が痛い。寒さの為に厚着してきたのが仇になった。暑い。熱い。身体から汗が滝のように出てくる。身体中が熱く、頭が朦朧とする。この数ヶ月間まともに食事を摂ることの出来なかった不健康な身体は脆く、身体全体が重く感じた。それでもオレは彼女を追いかける。追いかけるしかない。どれだけ不恰好でも無様でもそれでも。兄さんのように、雪那さんのように、そして────濃尾日向のように。彼女を同じように、失う訳にはいかないのだ。
なのに、なのに。
(オレは…………いつも、こうだ)
彼女の横に並べる男になりたくて、彼女に追い付きたくて、彼女を追いかけて、追いかけて、追いかけて、追いかけて、追いかけて、追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて────それでもなお、追い付けない。
そんな自身の不甲斐なさに何度も絶望して、死にたくなった。
兄さんに裏切られて、汚されて、心をぐちゃぐちゃにされたとき、全てがどうでもよくなった。自分の全てが嫌に思えて、この世から消えてしまいたいと思った。
それでも、死ねなかったのは、彼女がいたからだった。
死のうとする度に、彼女の顔がちらついて、彼女の笑顔を思い出して、それで────刃物を持つ手の力が緩んだ。そんなことが何度もあって。致命傷にならなかった傷達は、大小様々な形で、オレの腕に残った。
死んだら、彼女の姿を見ることは、もう、一生出来なくなる。
そう思ったら、どうしても死ねなかった。
汚れてしまったオレは、もう彼女の横に立つ資格なんてない。彼女の綺麗で純粋な瞳をまっすぐに見ることなんて出来ない。だけど、観客席からでいい。観客席からでいいから、彼女の姿を、スポットに当てられて光輝く彼女の姿を観ていたかった。
今も、昔も、オレは彼女の為に生きている。彼女を中心にオレのセカイは廻っている。オレにとってまさに彼女は太陽で、なくてはならない存在で、同時に────近付きすぎてはいけない人だ。もし少しでも"幼なじみ"の一線を越えるような行動をしたら、オレは瞬く間に自己憎悪の業火によって燃やし尽くされてしまうだろう。
あぁ。
考えれば、考えるほど、彼女とオレには何をしたって覆せない程の差がある。もし幼なじみという関係性ではなかったら、彼女はオレになど見向きもしない。確信を持ってそう思えた。
こんな自分が嫌いだ。
女々しくて、情けなくて、好きな女の子の前ですら格好いいところを見せれない、ましてや物語の王子様のようになんか絶対なれっこない────そんな自分が大嫌いだ。
もしオレが兄さんのようになれたなら────きっと、こんなことはなかっただろう。オレはオレを愛することが出来ただろうし、彼女の横に堂々と立つことだって出来たはずだ。
(本当にそうだ。もしオレが兄さんみたいに……いや兄さんそのものになれたなら)
オレはきっと、彼女の恋人にだってなれたはずなのに。
∮
彼から逃げるように走って数分。彼が追い付く気配はない。ずっと、ずっと追いかけてきてはくれているようだけど────まだまだ、ここから見た彼は豆粒のように小さく見えた。
私が本当に幸せだったあの時間を彼が憎らしく思っていると分かった、その瞬間、私はもういてもたってもいられなくてその場から逃げ出した。
『────大嫌いだった』
耐えられなかった。あれ以上、彼のあの憎悪の込もった眼を見ていたら叫びだしてしまいそうだった。
(……なんて、酷い奴だったんだろう。私は)
どうして気付けなかったのだろう。彼の隣で私が幸せに感じていたとき、彼は私の隣にいることが苦痛で苦痛で仕方なかったというのに。私は自分のことばかりで、彼の本当の気持ちを分かってあげることも出来なくて。なんて、なんて酷い女なんだろう。彼に嫌われていると分かって、鈍く痛むこの胸すら抉ってしまいたい程に自分が嫌になる。酷くて、恥ずかしい女。相手に嫌われてることも分からずに、せめて隣にいられたらなんて馬鹿らしいことを思って。会いたいなんて、戻ってきてほしいなんて願って。
彼は逃げたのだ。
大嫌いな、私から。
自分の馬鹿らしさに涙より反吐が出そうだった。苦しむ彼に気付けなかったどころか、やっとのことで私から逃げた彼をまた追いかけて、逃げられて、そのことを酷く身勝手に悲しんで。あぁ愚かしい。馬鹿な女の一人劇なんて喜劇にも悲劇にもなりはしない。ましてやこれは物語の中の話ではなく現実の話だ。だから余計にタチが悪い。笑えない。
(……私が、お姫様になれないことなんて、ずっと前から分かってた)
女の子は誰でもお姫様になれるなんて嘘っぱちだ。お姫様になれるのは王子様に選ばれる価値のある愛らしい女の子だけ。私と同じ顔をした童話の中の"お姫様"を体現したかのような彼女は、口で言うでもなくそのことを私に教えてくれた。私と同じ顔のはずなのに、私とほとんど変わらないはずなのに、彼女は誰よりもお姫様だった。私のなりたかったお姫様は、私と同じ顔をした双子の姉で、それが私には許せなかった。手の届く位置にいるはずなのに、けして私はそれになることは出来ない。それが悔しくて、もどかしくて────私は姉のことが大嫌いになった。
お姫様に私はなれない。
生まれたとき、私と彼女はほとんど同じだった。だけど成長していくにつれて私と彼女は少しずつ変わっていった。私の身体は次第に何処か筋肉質な身体になっていったし、身長も小さめな男の子なら軽々と抜かしてしまうくらいに伸びた。対して彼女はまさに可愛らしい女の子そのものだった。きっと元々の体質的なものだったのだろう。このことについて誰かを責めることなんて出来るわけがない。だけど隣で女の子らしくしている彼女を見ると、どうにも胸がムカムカして仕方なかった。昔から妙に頭がよくて、よく意地悪で言い負かされていたので、あまり好きではなかった姉のことが、そのことをきっかけに一気に嫌いになった。大嫌いになった。
いつだってそうなのだ。
あの姉は、私が求めてやまないものを全て奪っていく。
勿論これは私が勝手に思っていることで、姉を恨むのは筋違いなことで、そしてみっともないことだということは理解している。こんなことを思う自分がとてつもなくしょうもない女だということも。
だけど、抑えようがなかった。
姉は持っていて、私は持っていなかった。その変えようがない事実が私はどうしようもなく憎らしいのだ。
あぁ本当に。
私はなんて愚かなんだろう。
こんなだから、こんな醜い女だから、彼の愛も彼女に奪われてしまうのだ。嫌われてしまうのだ。
∮
歯車は歪な音をたてて。
事態は、ねじ曲がって、修復不可能なほどに壊れていく。
嘘つきが一人。
嘘つきが二人。
愚者のパレードが行き着く先は。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.105 )
- 日時: 2018/12/23 12:50
- 名前: 羅知 (ID: r5XOKg3d)
∮
体調の悪そうだった社を、少し店で休ませてあげようと思っただけなのに。
「…………」
休ませてあげるはずだった彼女は、店に入るや否や何があったのか何故か逃げるように何処かへ行ってしまうし。店にいた陰気臭そうな男もそれを追いかけて何処かへ行くし。残っていた客も全員ソイツの連れだったのか、それを追いかけていくし。少ないながらも人が数人は入ってるように見えた喫茶店の中はもうすっからかんだ。訳が分からない。誰かに、この事態についてこと細やかに説明をしてほしい。だけど聞ける人もいなかった。誰かに何かを聞く暇なんてないうちに、皆どこかへ行ってしまった。
タイミングを失った。
どうすればいいのかも分からず、おれはその場に立ち尽くす。
「取り残されちゃいましたねー」
誰もいない、はずだった。
それなのに後ろから声がして。反射的に振り返ると、ひょろりとした背の高いニコニコした男が立っていた。
「そんなオバケでも見たような顔しないでくださいよー、酷いなぁ」
「…………!」
「オバケじゃないですよ。僕は、ずっとここにいました。皆さんが自分のことばかりで気付けなかっただけですよー」
おれの驚いた様子を見て、男は手をひらひらと振ってそう弁解する。笑顔を崩さないまま。まさに『人畜無害』を貼り付けたような、そんな様子で。
コイツの言っていることが嘘か本当かはともかくとして、突然殴りかかってくるような危険人物には見えないし、もし殴りかかってきたとしてもナヨナヨしてとても弱そうだった。ほんの少しだけ警戒を解き、おれは相手に名を尋ねる。
「……お前、誰だよ」
「誰、っていうか。この店の店員ですよー、普通に。まぁ臨時アルバイトなんで本職じゃないんですけど」
「…………」
「笹藤直って言います、今後会うことはないかもしれないですけどよろしくですー」
自分でも相当不躾な声の掛け方であったと思うが、それに対して男は一切不快そうな顔をせずにへらっと笑ってそんな風に自己紹介した。元々の顔の作りがそうなのか随分とその笑顔は幼く見える。もし、コイツの身長がさほど高くなかったら中学生くらいだと思ったかもしれない。まぁ実際の年齢がいくつなのかは知らないが。
「まぁとりあえず僕は掃除始めちゃいますねー、仕事なので」
おれが名前を尋ねたので、名前を聞き返されるかと思ったが、予想に反して男はそれだけ言うと、無人の席に残されたコップや皿達を手慣れた様子で片付け始める。相変わらず表情は気の抜けた笑顔のままだ。なんだか掴み所のない男だ。見るからに平凡そうであるのに、どこか妙な不気味さを感じる。
だが、この店の店員というからにはさっきまで起こっていた事態については多少なりとも分かっているのではないだろうか。少なくとも今さっきこの店に来たおれよりは事態の展開を目の前で見ていたのだから知っているはずだ。そう見込んでおれは、鼻歌混じりに掃除をしているヤツに話を聞く。
「店員なら見てたんだから、分かるよな。……一体何があったんだよ、さっきの奴ら」
「そうですねー、凄い修羅場でしたよ。」
「……修羅場?」
「多分色恋沙汰とかじゃないですか?なんとなくそんな雰囲気がしましたねー」
それを聞いて、おれは驚く。
修羅場?ましてや色恋沙汰?ありえない。
これはけして社がモテないとかそういったことを言っている訳じゃない。むしろ社はモテる。男からも女からも。特に女からの好かれ様は凄まじい。たまに変なストーカーが付くくらいだ。勿論そのストーカーは、おれが然るべき所に追い込んでやったけど。
まぁその話は今は置いとこう。
社はモテる。だけど色恋沙汰なんかに発展したことは一度もない。どれだけ他人に好意を寄せられたとしても、彼女はそれを相手にしていないからだ。下手すれば、その好意は相手の勘違いや思い込みだとさえ彼女は考えているかもしれない。自分に恋愛的好意が向けられる可能性を彼女は一ミリも考えていない。恋愛的な面の彼女は自分を卑下する傾向にある。理由は分からないけれど、いつからか彼女はまるで呪いのように好意という好意を否定するようになった。
『……私に告白とか色々してくる子達はいるけどさ。あの子達は皆騙されてるだけなんだよ、私に。そこに理想の王子様みたいな役を演じてる私がいたから、ステータスがそこそこ高い私がいたから、なんとなく"好き"な気がしちゃっただけなんだよ』
『……全部、勘違いで、偽物なのに。私みたいなのに騙されて、本当に、皆、可哀想』
これは、以前彼女が言った言葉だ。確か中学三年生くらいの時だった。
その時の彼女の目は、本当に哀しげで、切なくて───そして、自嘲的だった。諦めきった顔だった。
だから、そんな彼女が色恋沙汰なんかに巻き込まれるはずがない。彼女は恋を望まない。彼女が誰かを恋愛的な意味で好きになることなんてない。昔はあったのかもしれないけど、少なくとも今は、ない。
だって、それじゃ、おれは。
おれの、気持ちは。
社が誰も好きになることはないって、分かってたから、抑えることが出来てた、おれの気持ちは。
「だって、逃げた彼女────貴女の連れですかねー。あれは恋してる目でしたよ?いやー青春ですねぇ」
信じたくないおれの気持ちをポキリと折るように、男が続けてそう言う。
彼女が恋する気持ちを取り戻したというなら、それは喜ぶべきことなのかもしれない。おれの気持ちなど抑え込んで、誰よりも応援してやるべきなのかもしれない。だけど素直にそれが出来るほど、おれは出来た人間じゃない。相手に対する嫉妬のような何かで唇が歪む。
「……お前の勘違いじゃないのか、そんなアイツが恋なんて──」
「そうですねー、僕の勘違いかもしれません」
苦し紛れに出たそんな言葉は、案外あっさりと肯定される。あまりの呆気なさに、おれは戸惑った。別に否定してほしかった訳でもないし、言い争いがしたかった訳でもないけれど、あまりにもこの男、適当すぎではないだろうか。主体というものがなさすぎる。
本当なんなんだ、この男。
凄く、凄く────気持ち悪い。
「……お前、本当、なんなんだよ……」
思わず出てしまったそんな言葉にも男は不気味な程変わらない笑顔で答える。
「だーかーら、笹藤直という名前のただのどこにでもいる奴ですよ、僕は。それ以外の何者でもありません」
∮
「じゃあ、もう店じまいなので。帰ってくれると嬉しいですねー」
自分がそう言うと、彼女はまるで逃げるようにこの店から出ていった。喋っている最中もそうだったけど、僕の何をそんなに怯えているのか。僕は"どこにでもいる"だけの、ただの一般人だっていうのに。
(あーあ、あんな悲しそうな顔しちゃって)
確か今話題のアイドルか何かだったか。多くのファンを持ち、沢山の人々から愛される彼女のこのような顔を、もし世間の人々が見たら、きっと大きなショックを受けるだろう。
(超人気アイドルが男装の麗人にお熱、ゴシップ誌の良いネタになりそうだなぁ)
色恋沙汰と聞いて、彼女は大層驚いていたし、否定していたけれど本当は彼女だって気が付いていただろうに。愛鹿社のことをずっと見ていたというのなら。愛鹿社のことを愛していたというのなら。
彼女のたった一人に向けるあの熱っぽい視線に気付かないはずがないのに。
彼女は信じたくないだけだ。本当は気付いているけれど、それを認めてしまったら、自分が自分でいられなくなってしまうから。
(愛鹿社があんな風になったっていうのに、追いかけなかったのが良い証拠だよねー)
あの熱っぽい視線を見ていられなかったのだろう、彼女は。まさに神並白夜の、あの憎々しげな目を見ていられなかった愛鹿社と同じように。彼女をあのまま追いかけてしまったら、何を見てしまうのか、それが彼女は怖くて怖くてたまらなかったのだ。
彼女がどうしようもなく"その事実"を受け止めなければいけなくなったとき、彼女がどうなってしまうのか──────それは僕の預り知らぬところだ。
誰かの恋が叶わなくたって、誰かが傷付いたって。それは僕には関係のないことなんだから。
僕はただ、それなりに、なんとなく生きていければいい。
(まぁ、"彼"の"お願い"くらいはちょっとくらいお手伝いしてあげるつもりだけど)
『笹藤さん』
『……お願いがあるんだ。いつか、必ず、お礼はするからさ』
笹藤直は、ただどこにでもいるだけの奴だ。何気なく。然り気無く。
『……もし、俺に何かあったらさ。俺の"代行"を頼まれてくれないか』
『俺、今、色々調べてることがあるんだけど……それの手伝いと、あと』
『弟の、ことを』
彼の行動に大して理由なんてない。意味なんてない。まぁ、なんというか興味が沸いたのだ。"彼"という人間に。
ちょっとくらい、何かを手伝ってあげてもいいんじゃないかってくらいには。
『……もう、兄なんて呼んでもらえる資格、ないけどさ。本当に、許されないことをしたから』
『でも、守りたいんだ。白夜のこと。……俺のせいで傷付けたからこそ。エゴイスティックな願いかもしれないけど』
彼の、愚かで、あまりにも人間らしい、あの表情はなんというか──"好き"だった。それは自分が持たないものだったから。
(それじゃあ、万が一に備えて────僕も向かおうとしようか。彼のところへ)
そんなことを考えながら、彼は店の看板を『close』に変えて、店を出ていった。
出ていく彼の表情は、無表情で、空っぽで、冷え冷えとした夜の風景とよく似ていた。
∮
『あー、救急なんですけどー、馬場満月って子が、部屋で血だらけになって倒れてるって濃尾彩斗先生に言って貰えますか?多分自殺未遂だと思うんですけど』
『僕の名前は────いや、匿名で。名乗るほどの者じゃないですよー、ただのどこにでもいる奴なので』
『────さて、止血するか』
『ねぇ、白夜くん。覚えてる?』
『君が馬場満月として、用務員の僕に言ったこと』
『"笹藤さんのいる場所は何だか落ち着く"って──それ、満月くんも言ったことなんだよ?』
『本当似てるよ、君達。心から笑えるくらいに』
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.106 )
- 日時: 2019/01/07 21:42
- 名前: 羅知 (ID: 6U1pqX0Z)
∮
小さい頃から、お姫様になるのが夢だった。
ちょっぴり気弱で、不器用だけど、いざって時には私を全力で守ってくれる貴方は私の王子様だった。
貴方はいつだって私の側にいた。愛してくれているとまではいわない、ただ友人として好かれてはいる、そう思っていた。そう信じていた。
だけどそれは違った。大間違いだった。貴方は私を嫌っていた。大嫌いだった。
本物のお姫様にはなれなくても、せめて貴方にとってのお姫様でありたかった。もう叶わない夢だけれど。
こんな惨めな姿じゃ、お姫様はおろか王子様にだってなれっこない。無理矢理作り上げた私の"王子様"としての仮面は剥がれてしまって、もうボロボロだ。
だけど貴方は優しいから。いつだって、誰にだって優しいから。
きっとこんな私にさえ、手を差し伸べてくれるのだろう。今だって身勝手にも逃げ出した私を追いかけてきてくれている。本当は大嫌いであるはずの私にでさえ。
あぁ、それはなんて残酷なことなんだろう。私は貴方の怖いくらいの優しさが恐ろしい。いつかそれが貴方を狂わして、壊してしまうんじゃないかって。そう思うと怖くて怖くてたまらなくなる。
貴方は捕らわれている。私達に。貴方自身のその優しさに。
お姫様になれず、王子様にもなりきれなかった私が貴方の為に出来ることはなんだろう。行き着く先は一体何処だというのだろう。
逃げながら、考えて、考えて、考えて、考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて────────そして、決めた。
(白夜、大嫌いな私の言葉、ちょっとの間でいいから、聞いてね)
私は、愛鹿社は、この物語の"悪役"になる。
「ねぇ、白夜」
貴方に自由になってもらう為に。
私は貴方を解放する。
「────私、もう貴方がいなくても大丈夫みたい」
∮
先程まで逃げていた彼女が足を止めた。
何か理由があるのか、それとも単に疲れてしまったからか。それは分からないけれど、これはチャンスだ。オレは最後の力を振り絞って足を踏み出す。一歩、二歩、三歩。足がもつれて転びそうになり、不恰好になりながらも前へ進む。ぼやけていた彼女の輪郭が進めば進むほどにはっきりと形になっていく。この位置までくれば、オレの声は、彼女に届いてくれるだろうか。どうか届いてほしい。届いてくれ。オレは彼女の名前を呼んだ。社。オレは、神並白夜は、君のことが、愛鹿社のことが。
「やし、ろ」
オレの呼び掛けで彼女が振り向き、彼女の瞳がオレを捉える。一瞬哀しげに揺れる瞳は、次の瞬間には何か決意したようなそんなものに変わっていた。
オレが何かを言う前に彼女の口が素早く開き、オレの言葉をかき消す。
「ねぇ、白夜」
投げかけられるのは。
投げつけられたのは。
信じられないような言葉。
「────私、もう貴方がいなくても大丈夫みたい」
「え……」
否、分かっていた。
彼女にはオレなんか必要ない。そう、だから"この言葉"はオレにふさわしい。そうか、ようやくその言葉を言われてしまうのか。哀しいけれど、いつか必ずそう言われてしまうことは分かっていた。だから、信じられないのはそれではない。
信じられないのは。
彼女が言うその言葉が"嘘"だったことだ。
「……だからね、白夜。もう私に関わらないで。邪魔だから」
刺々しく彼女はオレにそう言う。
彼女は明らかに嘘をついている。これで彼女は演技をしているつもりなのだろうか、だというのなら彼女は完全に動揺しているに違いない。本来の彼女の演技は、まさにその役そのもの真実さながらといった感じで見抜けるようなものではないのだ。こんな嘘ではオレはおろか素人ですら騙すことは出来はしない。
「……嘘、だよね。それ」
「嘘じゃない」
「…………それこそ嘘だよ。社ちゃんは、嘘をついてる。社ちゃんが嘘をついてるなら、オレに分からないはずがない」
ずっと一緒にいた。
ずっと彼女を見ていた。
だからこそ彼女の"嘘"は、"本当"は、絶対に分かる。
「……"本当"のことを、言ってよ」
「………………"本当"、ね」
「…………」
「……本当に…………本当に、伝わってほしいことは何も伝わらないのに。白夜は、変なところで鋭いよね。昔から」
暫くの間の後、そう言って彼女は苦笑いする。表情は歪んだような笑顔だったけれど、今度の言葉は嘘を吐いてるようには聞こえない。無理な演技を止めて、今の彼女はありのままの彼女のように見える。
おかしな笑顔のまま、彼女は続ける。それは、オレの求めていた"本当"のことだった。けしてオレにとって嬉しい内容ではなかったけれど。
「……さっき言ったのは、確かに嘘だよ。でもね、私達やっぱり距離を置くべきだと思うの」
「…………」
「っていうか、白夜が"新しい自分"になって、変わっていってたのを、私が邪魔しちゃったんだよね。……白夜は私から離れたかったのに」
「それは──」
違う、と言いたかった。
でもオレが社から離れたかったことは事実だ。だからはっきりと彼女の言葉を否定することはできない。
オレは社から離れたかった。だけどそれは社が嫌いだからとか、社のせいとかではなくて、オレの問題だ。社が邪魔だったとかそんな訳がない。今も昔もオレにとって社は光のような存在なのだ。眩しくて、ほんのり温かくて、側にいるとオレの心もキラキラして。
だからこそ離れたかった。
相応しくない、と感じてしまったから。
社のせいじゃない。全部オレのせいだ。
社が好きだ。社のことが大好きだ。
そう胸を張って言えたなら、言えるような自分なら、どれほど良かっただろう。
「────それは社ちゃんのせいじゃない。オレの問題だから……だから、だからえっと……」
口が、頭が、上手く回らない。彼女の視線が痛い。目を合わせられない。心臓が五月蝿い。声が震える。泣きそうだ。上手く言おうとすればするほど頭がぐるぐるして何も分からなくなる。いつもそうだ。大事な時にオレはいつだって上手くできない。
何処まで行っても、変わらない、変われない自分が心底憎らしい。こんな自分が嫌だ。嫌いだ。消えてしまいたい。
そんな感情が自分の中に濁流のように満ちて、溢れて、涙となって零れていく。
「…………おねがい、だから……逃げ、ないで。やしろちゃん……」
辛うじて、そんな言葉だけが嗚咽と共に口から出る。
巫山戯たことを言っているのは分かっている。初めに彼女から逃げたのは自分だ。今更何を言うのだろう。でもこれが本音だった。逃げていく、自分から離れていく彼女を見た瞬間、自覚した。側にいさせてほしいなんて大層なことを願っているわけじゃない。ただ突き放すことだけは止めてほしかった。壁一枚挟んだ世界の向こうでもいいから彼女の存在をオレは感じていたいのだ。
「…………」
長い、永い静寂。
逃げないで、そう言ったオレをじっと見つめる彼女。
どんな気持ちで、どんな顔をしているかは分からない。
顔をあげることなんて出来るはずがない。
ただただ嗚咽を溢しながら、俯き、オレは待ち続けた。彼女の言葉を。
∮
優しいものが、とても怖くて。
けれども"本当"に向き合う勇気もなくて。
意気地無しの私達はいつも優しい嘘に逃げてしまう。
けれども。
いつかは夢から覚めるように。
私達も"本当"を見なきゃいけないの?
それなら私は一生眠ったままでいい。
二度と目覚めないように、もう誰も起こさないで。
∮
いつまでも続くかと思われた静寂は突然終わりを告げた。
「……白夜はさ、優しいよね。本当に」
淡々と彼女は言う。
息を吸うこともなく、ぽつりとまるで息するみたいに、零れるみたいに、一人言みたいに、淡々と。
怖いくらいに抑揚はない。
「私なんかに同情しなくていいのに気を使わなくたっていいのに」
「本当に、本当に本当に本当に嫌になっちゃうくらい優しいんだから」
「でもさ」
「それじゃ白夜が壊れちゃうよ」
「そんな"泣くほど無理して"嘘なんかつかなくたっていいんだよ、別に」
「本当に、本当に本当に」
「本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に」
────白夜は優しいんだから。
異変を感じて、ようやく顔を上げれば、いつの間に持っていたのか彼女はぎらりと鈍色に光る鋏をどくどくと脈打っているだろう首元に沿えていて。
そうして、この世の誰よりも美しく笑った。
「あなたを解放してあげる」
『お前を、解放してあげる』
『君を解放してあげる』
その言葉がかつての二人の言葉と重なって、オレは反射的に彼女に飛びかかった。
なんとか身体全体で彼女の身体を押さえ込むけれど、腕の中で暴れる彼女の力は強い。少しでも気を抜いたら、彼女はきっとその手に持ったモノで彼女自身の首をかっ切るだろう。オレは死にもの狂いで彼女を押さえた。オレはどうなったっていい。でもどうか彼女だけは。彼女の命だけは。奪わせない。誰にも。それが彼女自身であってさえも。
(どうすればいい?)
彼女は鋏をしっかりと握り込んでいて絶対にそれを離そうとしない。言葉での説得も無理だ。彼女は狂乱している。今はまだ押さえ込めているけれど、じきに体力の限界が来る。食事もまともに取れず弱りきっているオレと、きっと今でも演劇の為に稽古を続けてる彼女。どちらの体力が上回っているか。それは明らかだった。
ならばどうすればいい?
時間がない。
手っ取り早く彼女の持っているモノを無力化するためには。
どうすれば。
どうすれば。
「…………」
あぁ。
こうすれば。
彼女の腕を強く引き寄せて、オレは迷いなく彼女の持つ鋏を自分の脇腹に深く突き刺した。
絶対に彼女が抜けないように、深く深く。
「────っツ!!」
死ぬほど痛い。悲鳴すらあげれないくらい痛い。
そりゃそうだ。死んでもいいつもりでやったのだから。痛いに決まってる。何回やったって慣れるものじゃない。刺したところから血がどくどくと溢れて、身体の中から血がなくなっていく感覚がする。最早自立して立つことすら出来なくなるくらい血が減ってしまったのか、糸の切れたマリオネットのように倒れる。地面にそのまま頭をぶつけたけれど、脇腹が痛すぎて頭の痛みは分からなかった。
「……??……???」
突飛な行動をとったオレに彼女は完全に呆気に取られたらしく、目を見開いて声も出せずに座り込んで震えながらこっちを見ている。どうやら腰が抜けてしまったらしい。
良かった。これでも暴れられて、自殺を謀られたら、もうどうしようもなかったから。
だんだんと景色が霞んできた。あんなに外は寒かったのに、走ってるときは熱かったのに、もう何も感じない。全身の感覚がだんだんと鈍くなっていく。刺されたところも、もう痛くはない。
「────馬場ッ!!」
「馬場君!?」
「……満月、クン」
「馬場さんッ!!」
「…………!!」
「うそ、だろ……!?」
尾田君や菜種さん達もオレを追いかけてきてくれてたらしい。倒れ込んだオレの姿を見て、皆の表情が絶望的なものに変わる。あぁそんな顔しないでいいのに。皆の悲しい顔は見たくない。嬉しい顔が一番だ。笑ってくれまでとはいわないけど、悲しい顔なんかよしてくれ。
あぁ振り返ってみれば。
文化祭の時の皆の笑顔、あれは本当に良かったなぁ。皆楽しそうで。幸せそうで。ヒナだってあんなに笑ってて。
あんな風に大切な人達と一緒にまた演劇が出来るなんて思ってなかった。
沢山の人々を演劇の力で笑顔にすることができるなんて。
「……本当に、本当に、楽しかった、なぁ」
皆の心配そうな顔が目の前にある。何か言っているようだけど上手く聞こえない。もう大分身体が限界らしい。
(……こんなに心配してくれるんだなぁ、皆。"馬場満月"のこと)
どうせ聞こえないなら、まだ喋れる内に彼らに何か言っておこう。これが最後かもしれないし。
「……ほんとうの、おれで、みんな、と、すごしたかった、いっしょに、わらいたかった」
心のずっと底に封じ込んでいた願い。
「もし、もういちど、あえるなら、おれを……うけいれてくれ、ますか、ともだちに、なって、くれますか?」
これが、正直な、馬場満月でもなんでもない神並白夜の本当の気持ち。願い。
何か返事してくれているようだけど、やっぱり何も聞こえない。それでいい。返事なんか聞きたくない。
目を開けていることも億劫になって、ゆっくりと目を閉じる。
きっと何もかも足りないはずなのに、オレの心は何故だか幸せに満ちていた。
***********************
第八話【既知の道】→【未知の基地】
見覚えのある通りを歩いていた。だけども俺は此処を知らない。
家だと教えられた場所は、何故だかピンとこなくて。
何かがおかしい?俺は何かを忘れている?
夢のような、現実のようなこの世界で俺は今日も生きている。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.107 )
- 日時: 2019/01/19 08:17
- 名前: お洒の鬼 (ID: T4clHayF)
う-ん
なんか初期の設定とキャラの行動があっていないような?
期待していたのに少し残念かな?78点
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.108 )
- 日時: 2019/01/19 12:54
- 名前: 羅知 (ID: IhKpDlGJ)
幕間【In my heart】
ばらばら。
ぱらぱら。
∮
あまりに幼すぎて、断片的にしか思い出せないけど。両親との生活は確かに幸せなものだったということはなんとなく覚えている。
「日向はママ似だね」
「んー?」
「とっても可愛いけど、強くて格好良いってことだよ」
「あー?」
「……分かんないか」
パパは────いや、父は優しい人だった。
父はいつも仕事で帰ってくるのが遅かった。帰ってきたときにはいつもヘトヘトな様子だった。けれども、たまの休日には、仕事で疲れているだろうに僕や母の前では元気に振る舞って、いつも笑っていた。近所の公園だけど、暖かい日には三人でピクニックをした。僕が何かするたびに「良い子だね」「すごいね」って言って。そうして僕の頭を優しく撫でる。僕はそんな優しい父が大好きだった。
「……パパ、遅いね」
「うー?」
「……日向も、寂しい?」
「あー!」
「眠たかったら日向は寝てもいいよ。ママはパパが帰ってくるまで起きて、日向の分までおかえりってパパに言うから」
母は強い人だった。
どれだけ父が帰ってくるのが遅くなったって、母は起きて父の帰りを待っていた。たまに待ちくたびれて玄関で毛布にくるまってそのまま寝てしまうこともあったけれど、そんな時は帰って来た父が布団まで母を運んでいた。父はそんな母を心配して、母に玄関で自分を待つのは止めるように言った。けれども母は父がどれだけ言っても待つことを止めなかった。父が帰ってきたら、笑顔でおかえりと言って、冷えた晩御飯を暖めて、父をぎゅっと抱き締めた。冷えきって帰ってくるパパに暖まってほしいからって、母は父をいつも待っていた。僕はそんな強い母が大好きだった。
∮
ばらばら。
ぱらぱら。
∮
実は、"その日"、何があったのか僕はあまりよく分かっていない。目の前で起こっていた惨状を理解するには僕はあまりにも幼すぎた。
嫌と言う母の叫び声が、聞こえたような気がする。
苦しくて呻いている母の声が、聞こえたような気がする。
知らない男の人の声が、聞こえたような気がする。
「まま」
母の様子が気になって、呼んだけれど、一瞬がたがたがた、と大きな音がしたあと、パタンとドアが閉められた音がしただけで母の返事はない。
「まま?」
もう一度呼ぶ。
返事はなかった。
∮
「ボウヤ、起きなよ」
知らない誰かのそんな言葉で僕は目を覚ました。部屋の中で母を探し回っている間に、疲れて眠ってしまったらしい。
目を開ければ、目の前には見覚えのない顔の若い男の人がいた。
「おにさん、だぁれ」
「お兄さんかい?お兄さんはね……アクツっていうんだ。よろしくね」
「おにさん」
「呼ばないのかい?別にそれでもいいけど」
男の人はそう言ってにっこりと笑った。開いた口の隙間から獣みたいな八重歯が見えて、少し不気味だった。
「なんじ?あさ?」
「今はまだ夜だよ」
「ねる」
「寝ちゃダメだよ。お兄さんはボウヤを迎えにきたんだからさ」
そう言いながら男の人は僕の腕を掴んで、無理矢理立たせる。掴まれた腕が痛くて、僕は涙が出そうになった。男の人は笑顔のままだった。むしろ僕が痛がって泣きそうになってるのを見て、もっと嬉しそうになった風にさえ見えた。
「可愛いねぇ」
ねっとりした口調で彼は言う。悪意のないはずのその言葉を酷く気持ち悪く感じて、背筋がぞくりと震える。
「寝ている君も可愛かったけど、起きてると尚更可愛いね」
そんなことを言いながら男の人は僕の腕を掴んだまま、僕を僕の知らない場所に連れていく。母も側におらず、何がなんだか分からない僕は、それに大した抵抗もせずに着いていった。今の僕なら流石におかしいと気付いて抵抗したんだろうけど、幼い僕はあまりにも幼すぎて、あまりにも愚かだったのだ。
だからこそ、僕は生き残ったのだろう。
あの時、少しでも不信感を抱き、少しでも抵抗しようものなら、あの男の人は僕を殺していた。彼はそういう人間だった。あの場にだって本当は残った僕を殺すために戻ってきたに違いない。僕は彼の気まぐれで生き残らされたに過ぎないのだ。
その時、生き残ったことが良いことなのか、悪いことなのか、それは今でも僕には分からない。
∮
「ボウヤ、名前は?」
「ひなた」
「そう、ヒナタ君か。略してヒナ君だね」
「ひな……」
特に抵抗することもなく車に乗せられ、連れてこられた先は見知らぬ薄汚れたマンションだった。大通りから少し離れた場所にあるらしく人の気配はほとんどない。なんだかお化けでも出そうな雰囲気もあって、僕は少し怖くなった。
「逃げちゃ駄目だよ」
別に逃げようとしたわけではなかった。
けれども彼は僕の怯えた様子を『逃げようとした』そう解釈したらしい。ニコニコと笑っていた顔が突然無表情になり、腕を掴む力が余計に強くなる。笑ってる時は半開き程度だった目がカッと見開いて僕を見つめる。その目はどこか蛇が獲物を捕らえる時にするものとよく似ていた。恐怖で体の力が抜けてしまって、まさに蛇に睨まれた蛙のようになる僕をなかば引き摺って彼は僕をどこかへ連れていく。何かがおかしい。いくら僕が幼く愚かでも流石にもう気が付いていた。けれども反抗することも、抵抗することも出来るわけなんてなくて。無力な僕はただ彼に逆らわず着いていくことしか出来なかった。
∮
「ミケ」
最終的に僕は古びたマンションの三階の一番奥の部屋に連れてこられた。彼が部屋のドアを開けると、彼より少し年下くらいに見える女の人が体操座りで玄関に座り込んでいた。初めは顔を伏せていたが、彼が呼んだのに反応してゆっくりと顔を上げ、そして彼のそばにいる僕に気が付く。まるで珍獣でも見るような目付きで数秒僕の顔を覗くと、きょとんとした顔で彼に聞く。
「アクツさん、誰ですか、その子」
「ヒナ君。ほら、例の家の子だよ。駄目だった?」
「……あぁ、あの家の。ミケは別に構いません。アクツさんが望んでいるのなら」
短く話を終えると、ミケと呼ばれた女の人は立ち上がり、僕の方を見て、うっすらと笑った。
「ヒナ君、でしたっけ。ミケはミケ。どうぞよろしく」
何だか拍子抜けしてしまいそうなほどに優しい笑顔だ。僕はさっきまでの恐怖を忘れて、よろしくという言葉に、こくんと頷く。頷いた頭を優しく撫でられる。それは父や母がよく僕にしてくる撫で方ととてもよく似ていて、僕は自分の心が落ち着いていくのを感じた。
あぁ、そういえば母はどこに行ってしまったのだろう。
そんなことを一瞬考えたけど、まぁきっと大丈夫だろう。少したったらすぐに迎えに来てくれる。能天気にもそんな風に思った。思っていた。愚かにも、そんなことを。
∮
「みけ?って、がいこくのひと?」
「……どういうことです?」
この部屋に連れてこられて数日が経過した。相変わらず母はどこにいるかも分からず、父とも連絡が取れない日々。でもあまり寂しくはない。アクツさんは最初の日以来顔を見ていないけど、僕の側にはいつもミケさんがいる。表情は乏しいけれど、僕が遊んでと言ったら遊んでくれるし、お腹すいたと言えばご飯やお菓子を出してくれる。思ってることがあまり顔に出ないだけなのだろう、きっと。ミケさんは優しい人だ。
「……あぁ、この目と髪の色を見て、そう思ったんですね。違いますよ」
ミケさんの髪と目の色は綺麗な亜麻色だ。顔立ちも目鼻立ちがはっきりとしていて日本人離れしている。だから僕はてっきりミケさんは外国の人なのだと思っていた。でもミケさんが言うにはどうやらそうではないらしい。
「ミケの両親は、分かりません。だからもしかしたら外国の血も入ってるのかもしれません。でも日本育ちです。外国なんか行ったこともありません」
「……パパママ、いない?」
「はい。でも寂しくはないですよ。アクツさんがずっと一緒にいてくれましたから」
そう言うとミケさんは自分の縛っている髪の毛の片方を触った。ミケさんはいつも髪の毛を綺麗なお下げの三つ編みにしている。
「小さいとき、孤児院にいたとき、アクツさんが言ってくれました。三つ編み可愛いね、綺麗な髪だね、って。それからずっとこれなんです」
そう言うミケさんはとても嬉しそうに笑っている。アクツさんの話をするとき、表情の乏しい彼女はよく笑う。きっと彼が大好きなのだろう。彼のためなら何でもしたいとそう思えるくらいに。それは母の父に対する思いに似ていた。純粋な、一点の曇りのない愛だった。けれども彼らの愛は誰かを犠牲にしないと成り立たないようなもので。愛は尊いものだというけれど、そんな愛でも尊いと言えるのだろうか。
そんな難しいこと、この時の僕には分からなかったけれど。
少なくとも、この時の僕は二人の幸せが続いてほしい。そう思っていたのだ。それが何によって成り立っているなんて分からずに。
それからまた数日が経った。
父と母の行方は未だ分からず、僕はミケさんと共にこの部屋にい続けた。
∮
ある日のことだった。
見知らぬ男の人が部屋の中にいた。作業服のような格好をして、部屋の掃除をしているようだ。
「だぁれ」
僕の言葉に彼は一瞬こちらを一瞥したけれど、すぐさま作業に戻った。
「…………」
気のせいかもしれないけれど、一瞬見えた目は僕を哀れんでいるように見えた。可哀想なものを見るような、そんな目に。
「それは……多分、熊猫さんですね」
あとからミケさんにその人のことについて尋ねると、どうやらあの男の人もミケさんやアクツさんの仲間だったらしい。
「今は別のお名前があるみたいですけど……ミケは少なくともそう呼んでいます。お掃除してくれたり、庭仕事してくれたり……呼べばどこにでも来る方ですよ」
もっと詳しい話を聞いてみたいと思ったけれど、ミケさんはパンダさんという人についてはあまり知らないらしい。
「アクツさんの知り合いですから、あの人は。……よく分からない方で、ミケはあまり好きではありません。何考えるか分かんないし……多分何も考えていないんでしょうけど」
そうだろうか、一瞬見ただけだけれども、そんな人には見えない。何も考えていないような人に、あんな目はできるのだろうか。むしろ彼は色んな感情を無理矢理抑え込んでいるのではないだろうか、洪水しそうな感情を無理矢理。
出来ることならもう一度あの人と会って、聞いてみたい。きっと彼は全てを分かっていて、だからこそあんな目を僕に向けていたのだろうから。
∮
某所にて。
「あーあ、お気の毒に。酷い目に合っちゃって。…………まぁ命じたのは俺なんだけど」
「怖い?もう怖くない?……はは震えないでよぉ……もう怖いことなんかしないから」
「もうすぐ会わせてあげる。大丈夫。ボウヤには酷いことなんてしてないからさぁ」
「なんでこんなことするか、って?楽しいからに決まってるだろ?わざわざつまらないことなんてしないさ」
「……つまんねぇなぁ。ただただ怯えて反抗しなくなった獲物は」
「まぁ、お前を餌にあと二人は釣れる予定だからさ。せいぜい俺を楽しませてくれよ」
「なぁ、陽子サン?」
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.109 )
- 日時: 2019/02/03 17:16
- 名前: 羅知 (ID: r5KTv1Fp)
∮
「ねぇ、ヒナ君。これ着てみませんか」
そう言ってミケさんが取り出したのは、可愛らしいフリルがあしらわれた白色のロリィタワンピースだった。まだ幼く、自身の性別をしっかり理解も出来ていなかった僕は特に抵抗せずに、着せられるままにその服を着た。普段着ている服と違って、なんだかごわごわとして少し動きにくい。
「ふふ、似合ってますよ」
僕がその服を着ているのを見て、ミケさんは嬉しそうににっこりと笑った。いつもと同じ優しい笑顔だ。だけど何故だろう。いつもと同じなのに、優しい普通の笑顔なのに────なんだかその笑顔はいつもより深い意味があるように思えて、僕はその時だけ少しだけミケさんの笑顔を怖く感じた。でもほんの一瞬だった。だから僕はそんな考えをすぐに忘れた。ミケさんは優しい。それは僕にとって揺るぎない事実だった。
「今日はこれを着て下さい」
それからというものミケさんは、僕に過度に女の子らしい服装を着せるようになった。僕を呼ぶ呼び方も『ヒナ君 』から『ヒナちゃん』に変わった。二人でする遊びも、おままごとや人形遊びなど女の子のするような遊びをすることが多くなった。だんだんと変わっていく環境に僕は大きな不満こそはなかったけれど、少しだけ、ほんの少しだけ嫌に思うようになってきた。たまには外で走り回って暴れまわりたい。泥だらけになって遊びたい。しかし、この可愛い服では動きにくく、そうすることが出来ないのだ。
僕はその旨をミケさんに伝えた。ミケさんは一瞬考えるような素振りをしたけれど、すぐにまたいつものように優しい笑顔に戻った。
「……そう、ですか。いいですよ。着替えても、別に」
そして続けて、こう言った。
「……ところでヒナちゃん。お母さんに、会いたくないですか?」
答えは勿論イエスだった。
今思えば、あまりにもこの時の彼女の言動はおかしかった。今までまったく出すことのなかった母の話題を何の脈絡もなく突然出すなんて。
でも僕は母に会えることが嬉しくて、そんなこと気にもしなかった。母が姿を消す前に聞こえたような気がした呻き声や叫び声のことなんかもうすっかり忘れてしまっていたのだ。
∮
「こない、で」
「だれ?だれ、だれだれだれだれだれ、やめて、こないでしらない、し、しししらないしらないおとこのひと、いや、いやいや、やめてこないで、」
「だれ?ちがうあなたはちがうひなはおんなのこひなはどこひなをどこにやったの?」
「はる、き……?」
「だれ、それ……わからない…………わたし、わからない……ひなは……?わたしの、ひなは……?」
∮
母は僕がミケさんと過ごしているマンションにさほど遠くはない、古くて小さな木製の小屋
にいた。
結論から言えば、多分母は僕が母に再会したその時には既に精神崩壊してしまっていたのだろう。
小屋の戸を開けて、写った母の目は酷く淀んでいて、僕のことなんか見ていなかった。ただ部屋の隅で手負いの獣のように怯えて、震えて、"ヒナ"ではない僕を警戒して、"ヒナ"というけして僕ではない何かだけを信じて、生きていた。
どうして母の思考がそんな厄介なものになってしまったのかは分からない。けれども壊れた母の思考を彼らの都合のいいように歪に弄くりまわすことはきっと彼らにとって簡単なことだったはずだ。
父も僕も何も分からなくなってしまった母はとても弱い人だった。大事な人の為に、ただそれだけの為に、母は強くいられた。全てを失った母は剥き出しで、ボロボロで、今すぐにでも砕け散ってしまいそうだった。
「ママ、どうしたの……?」
母に拒絶され、伸ばした手を払いのけられたあの日、僕は悲しくて悲しくて沢山泣いた。何故あんなことをされたのか理由がまったく分からなかった。
その後も何度も何度も母のところへ行った。けれども結果は同じだった。僕は母に拒絶された。近付きすぎて暴力を振るわれる日もあった。ぶたれたところが痛かった。だけど一番痛かったのは母に拒絶された心だった。
だんだんと僕は上手く笑うことができなくなった。涙すら出ないようになってきた。ただただ悲しい気持ちだけが心に満ちていく。僕の心もその頃にはきっと相当壊れていた。
そしてそうなることを見越していたかのように、ミケさんが僕に言った。ずっと変わらない優しい笑顔で言ったけれども、それは悪魔の囁きだった。
「ヒナちゃん、ヒナちゃんは女の子なんです。だからそれを認めれればお母さんはヒナちゃんを愛してくれますよ」
愚かな僕はその言葉を受け入れた。
明らかに間違っていると分かりきっている道を、母に会いたい、母に受け入れてもらいたい、という願いのために盲目的に進んでいったのだった。
∮
その日から母と僕は、ミケさんと僕が過ごしていたマンションの部屋で生活することになった。ミケさんは、たまに様子を見に来るけれど、ほとんど部屋に訪れることはなくなり、僕と母の二人で過ごす日々が始まった。
"ヒナ"になった僕を母は受け入れてくれた。それはけして母から子に向けるようなものではなく、溺れそうになってすがりつかれてるも同然だったけれど、それでも僕は嬉しかった。どんな形であろうとも母に僕を見ていてほしかった。"ヒナ"でいれば僕は母に受け入れてもらえる。以前のように母に愛してもらえる。だから、これでいい。これでいいのだ。母にとって都合の"良い子"であれば、僕は、ずっとずっと母と一緒にいることができる。
(……"ヒナ"は、"いいこ"……)
そうでなければいけないのだ。
馬鹿みたいに、そう、信じ続けた。
∮
「ごめんね、日向」
それが僕が聞いた母の最期の言葉だった。真夜中にフラフラと母は起き上がったかと思うと、うつらうつらとしている僕にそれだけ言って、母は首を吊って死んでしまった。最後の最期に母は"僕"を見た。僕という存在を認識し、ごめんね、と謝った。何故、何故謝られたのだろう。何に対して謝られたのだろう。謝罪の言葉を述べる母の瞳は酷く悲しげで沈んでいた。
謝ってほしくなんかなかった。謝ってもらう理由なんてなかった。僕は幸せだった。ただ、母と一緒にいられれば僕はそれがどんな形であったとしても幸せだったのに。それともあの謝罪は、そういう意味だったのだろうか。これから一緒にいられなくなることへの謝罪だったのだろうか?それならなおさら謝ってほしくなんかなかった。生きていてほしかった。生きて僕と一緒にいてほしかった。
けれども母はその道を選ばなかった。
今なら分かる。母はもう限界で、完全に精神という精神が壊れていて、壊されていて、あの時正気に戻ることができたのだって奇跡のようなもので。そして僕も相当に壊れていて、一緒に死ぬことはできても、生きていくことなんて、長くは持つはずがなくて。
正気に戻った時、母は覚悟したのだろう。自分を切り捨てて、僕を救う覚悟を。僕や父を遺して命を断つ覚悟を。母は強い人だ。大切な誰かの為に、自分を簡単に犠牲に出来る、本来こういう強さを持った人だった。
強い母は最期まで強い人だった。最後の最期に強い人であろうとした。
母の自殺した翌日、僕は母が最後に母の弟にした電話により居場所を発見され、保護された。保護された僕は前後不覚の状態で、けして話を聞けるようなものではなく、メンタルケアの為に病院内でその後の日々を過ごすことになった。
幕間【In my heart】前編終了。後編へ続く。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.110 )
- 日時: 2019/02/21 23:58
- 名前: 羅知 (ID: r5VGwxxq)
九話【絶望】
オレ達が駆け付けた時には遅かった。事態は既に終わっていて、馬場が死んでしまうことが一番の最悪だとすると、最悪の二番目くらいに今の状態は酷かった。終わっていた。二重の意味で、終わってしまっていた。
「……どうして、こう、なったの?」
オレ達が混乱しながら馬場の怪我の処置や救急車の手配をしてる間も、馬場が救急車に運ばれていく時も、愛鹿社は最初の位置からまるで魂が抜かれてしまったかのようにへたりこんだままぴくりとも動くことはなかった。ただただ呆然と何もない虚空を見つめるだけ。そうして突然彼女の口から零れたその言葉にオレ達は何と言っていいのか分からなかった。むしろその台詞はオレ達が言いたいくらいなのだ。彼女にオレ達がそう問い詰めたいくらいなのだ。でもそんなこと出来るはずがない。彼女も分からないのだ。何も分からなくて、不安と、混乱で、いっぱいいっぱいなのだ。少しつついたら崩壊してしまういそうな危うさが今の彼女にはあった。それは最近の馬場の雰囲気とよく似ていた。
「…………」
そおっと横目で見るようにして、彼女の姿を確認する。不躾に堂々と見ることは憚られるような気がしたからだ。相変わらず彼女はまるで魂が抜けたように動かない。どこを見つめてるかも分からないような目で、何かを見ている。オレは彼女の視線の先を探った。
そうしてあることに気が付く。
(……あ)
瞳だ。
彼女の目は、そっくりだった。久し振りに学校に復帰したあの日、オレに確かに助けを求めていた馬場の瞳に。
彼女は、どことも分からないような場所にいる、誰かに、助けを求めているのだ。きっと彼女にそうしている自覚はない。彼女はただ無意識に救われたいと、そう願っているのだ。目を凝らさなければ見つけられないような小さなSOS。それでもそれは確かに誰かに助けを求めていた。そして、それに気が付いてしまったらオレに彼女を助けないなんて選択肢があるはずがなかった。愛鹿社は馬場の幼馴染だ。馬場と彼女に一体何があったのかは分からない。正直心の何処かでは混乱していた彼女が馬場を刺したのでは?なんて疑っている自分がいる。でも、オレは信じる。だって気を失う前の馬場の瞳は彼女への愛に満たされていたじゃないか。もし、馬場がこの状況を見ているのなら、あの自己犠牲の精神の塊のようなあの男は彼女を身を呈してでも守るだろう。
だから、助けたい。
そして、信じたい。馬場を。彼女を。助けるという選択を選んだ自分自身を。
「……あの、愛鹿サン」
おずおずとオレは彼女に声を掛けた。オレと同じように彼女をどういう風に扱えばいいのか分からずに戸惑っていたシーナや菜種達がごくりと息を飲む。
「……オレ達は、今から病院に向かうんスよ。だから、その……愛鹿サンも一緒に行きません?」
「…………」
「……楽観的だとか思われるかもしれないスけど、馬場なら大丈夫スよ。きっと……きっと!けろっとした感じでまた……」
本心からの言葉ではない。でも、今は彼女の心を落ち着かせることが最優先だった。彼女の心を刺激しないように、ゆっくりと、慎重に言葉を選ぶ。
「……だから、あの、一緒に──」
「────遠慮、します」
消え入りそうな声で、それでいてはっきりした冷たい口調で彼女はそう口にした。
「遠慮します。……貴方達は、貴方達だけで向かって下さい。私は、私一人で行きます」
「どう、して……」
彼女が倒れてしまいそうになりながら、ゆらりと立ち上がる。顔は青白く、こちらを恨みがましそうに見つめるその姿は、どこかの怪談に出てくる幽霊を彷彿とさせた。
「……私は、何も分かってなかったんですね。彼のことを。あんなに小さな頃から一緒にいたのに、なんにも。貴方達の方がよっぽどか彼のことを分かってて、彼を幸せにしてあげれてた……」
「……え?」
「……貴方達を見てると、ドロドロした感情が、溢れて、なりふり構わず貴方達に向かって、投げつけたくなります。貴方達が、羨ましいんです。あぁ、憎い、憎い、憎い」
ぶつぶつと怨嗟の言葉を呟きながら、ふらふらと、彼女はオレ達に背を向けて病院へと歩いていく。今にも倒れてしまいそうな彼女に待ってくれと呼び止めると、彼女は一瞬だけこちらを振り返った。
「私の姿が見えなくなってから、病院へは、向かって下さい。……共に行けば、私は、貴方達に酷いことを言います。彼の友人だった貴方達に、そんなこと、本当は言いたくありません」
「…………」
「…………ごめんなさい」
小さく謝罪の言葉を告げて、ふらふらと、それでいて足早に彼女は先へ進んだ。オレ達はまるで彼女の言葉に呪われてしまったかのように、彼女の姿が見えなくなるまで、そこから離れることが出来なかった。
∮
病院へ辿り着き、受付で事情を説明すると、すぐに別室に案内された。内装は普通の病院の待合室によく似ているが、こじんまりとしている。その部屋の角の辺りにある椅子に彼女は膝に顔を埋めるようにして座っていた。
呼吸することすら憚られるような雰囲気がそこにはあった。ましてや、声を上げることなんて出来るはずもない。どうしようか、と思いながら、シーナの方を見ると、どうしようね、というような顔をした彼が苦笑いをオレに返す。シーナを挟んだ向こう側では菜種が心配そうに愛鹿社を見つめていた。そう言えば菜種は文化祭の時に愛鹿に演技の教えを乞いにいっていたのだっけ。オレ達以上に色々と思うことがあるのだろう。菜種の憂いを帯びた表情を見て、オレは菜種から目を逸らした。
どれだけ待っただろうか。時計は既に夜の12時近くを指していた。ここに来たのが夕方だと考えると、八時間近く待ったことになるだろう。その間、何度か看護師のような人が来て、食事や、飲み物などを提供してくれたが、オレ達はとてもじゃないけど食べる気にはなれなくて、一口二口食べて、残した。もう遅いから帰ってもいい、と言われたが帰る人間はいなかった。愛鹿社は、たまに体勢を変えることこそあれど、ほとんど初めの体勢から動くことはなかった。
あまりに時間が遅すぎて、メンバーがうつらうつらとし始めた頃、白衣を着た男の人が部屋に来た。
「……お待たせしたね。準備が出来たよ」
馬場のことを診てくれた先生だろう、そう思いながらゆっくりとその先生の顔を確認した瞬間、オレ達は転げてしまいそうなくらいに驚いた。
「……初めまして、馬場君の友人諸君。私は濃尾彩斗、この病院で精神科医として働いている。ちなみに濃尾日向の叔父だ、宜しく」
その人の顔が濃尾そっくりで、それでいて濃尾の絶対にしないような爽やかな笑顔をしていたからだ。
∮
「はは、驚いたかな?いつも日向と仲良くしてくれてたんだよね?ありがとう」
そう言いながら彼は、オレ達座っている近くの椅子に座って足を組んだ。何だか妙に緊張してしまってオレ達は身を縮めた。そんなオレ達に、緊張しなくてもいいよ、と優しく彼は微笑む。
「先にこれだけ言っておこうか。……馬場君の意識は既に戻ったよ。刺し所がよかったのかな……大事には至らなかったみたいだ」
何でもないことのようにさらりと彼はそう言ってのけた。あまりの自然さにオレ達は最初その言葉に現実味が沸かず、ぽかんとアホ面で口を開けていた。数十秒経ってだんだんと言葉の意味が理解できてくると、開いていた口がわなわなと震えてきた。
「……ま、マジですか、それ」
「うん、本当。……でも、ね……」
馬場は目が覚めた。それはとても嬉しいことだし良いことであるはずなのに、そこまで言って彩斗先生はもごもごと口を動かして何かを言い淀んだ。表情もどこか浮かない顔だ。何か問題でも起こったのだろうか……。オレ達は先生の次の言葉を待った。
数秒間の逡巡の後に、先生は意を決したように、馬場の現状を口にした。
「……一言で言えばね。目覚めた馬場君は君達の知ってる馬場君じゃなかった。かといって彼の本来の性格でもない。そうだね────馬場満月の器だけ残されて中身は切り取られた、みたいな、そんな状態だったんだ」
∮
「……脳に損傷は見られなかった。だから、これはつまり精神的な問題だ」
「君達の話によれば、馬場君はあの騒動以前から相当限界状態にあったようだから……遅かれ早かれこうはなっていただろうが、今回の騒動がきっかけになったことは確かだね」
「気に病むことはないよ。さっきも言った通り、遅かれ早かれこうなっていた可能性が高いのさ。……それに今の状況は馬場君にとって天国のようなものだろう」
「馬場君は現状に苦しんでた。自らの持つ過去に苦しんでた。これからの選択に苦しんでた。……それらを丸々リセットして初めからやり直せるんだ。願ったり叶ったりじゃないか」
「君達にとっては不服かもしれないが、私はこれからの馬場君への干渉を止めることをお勧めするよ。下手に彼を刺激したら、今度こそ彼はどうにかなってしまうかもしれない」
「冷たいと思うかもしれないが……君達が馬場君と過ごした期間は半年にも満たない。そんな短い時間だ。そして、君達は若く、これからの人生はとても長い。……馬場君が君達を忘れたところで、君達が馬場君のことをなかったことにしたところで、君達の人生にも馬場君の人生にも何の支障もない」
「…………"なかったこと"にした方が、お互い幸せなんだよ」
∮
信じられない、とそう思った。
何か証拠を見せてくれ。自分の目で見なきゃ納得なんてできない。馬場がオレ達を忘れたなんて。それどころかオレ達の姿が見えなくなったなんて。短い間だとしても馬場とオレ達が作った思い出はけして忘れられるようなものじゃなかった。楽しいことだって、辛いことだって、色々あった。忘れたくなるような酷いことだってあったかもしれない。でも、それでも本当に、本当に忘れるなんて。そんなおかしなことあるのか?いや、あってたまるか。
周りの目も気にせず、オレは感情に任せてそう叫んだ。そんなオレに対して濃尾先生は冷静そのもので、オレの言葉をどことなく冷えた目のまま受け止めると、その表情のまま、いつの間に部屋に入ってきていた助手のような人にこう命令した。
「……君達がこのことを信じられないだろうことは分かっていた。照君、彼らをあそこに連れていきなさい」
「はい、分かりました」
助手のような人は、濃尾先生の命令にこくりと頷くと、オレ達の方を見て、にこりと笑った。
「濃尾先生の代わりに今回の事故に関しての馬場君の担当医をしています、テルと申します。どうぞ宜しく」
「……?」
真正面で見た彼の顔に何故か既視感を覚える。けれどその既視感をどこで味わったのかははっきりと思い出すことがは出来なかった。
∮
連れてこられた先は、狭くて、暗くて、壁の一面だけが擦りガラスになっているという奇妙な部屋だった。テルさんが何かのスイッチを押すと擦りガラスがただの透明なものに切り替わり、ガラスの向こうが見えるようになる。
「馬場……!」
ガラスの向こうは普通の入院部屋のようになっていて、そこには白いベッドに横たわった入院服を着た馬場がいた。顔は青白く、体調は悪そうではあるが、意識はあるようでキョロキョロと周りを見ている。
「馬場君、調子はどうですか」
『……あぁ、先生。どうも……調子……まずまずってところだろうか』
どうやらこちらの部屋とあちらの部屋の声はお互いに聞こえるらしい。テルさんがそうやって声を掛けると、元気こそないが馬場はそうやって言葉を返した。その様子にいたっておかしな点はない。
「馬場さん。先程のものに加えて質問宜しいでしょうか」
『……あぁ、いいぞ』
「何度も何度も申し訳ありませんが……貴方のことをもう一度教えて下さい」
『……また、その質問か?先生。さっきから言ってるだろう。俺は馬場満月。十六才。貴氏高校一年。"両親は海外に赴任していて、一人っ子"』
「細かいことは思い出せますか。例えば────過去の思い出のようなものとか」
『……昔の思い出?そういうのはないな。高校に上がってから特に仲の良い友達もいなかったし、クラスでも目立たない方だったし。中学、小学もそんな感じだ』
「最後にもう一つ。ワタクシのいる部屋には何人いるように見えるでしょうか」
『?……何言ってるんだ、先生。先生のいる部屋には"先生一人しかいない"だろう』
「長々と質問にお答え頂き、ありがとうございました。どうぞごゆっくりとお休み下さい」
『あぁ、お休み』
そこで会話は終了して、テルさんがスイッチを押すことで、透明なガラスは擦りガラスに戻った。
「…………」
全員が黙りこんだ。
馬場がオレ達のことを覚えておらず、見えてさえもいないという事実をこうして実際に体験して理解すると、胸を大きな杭で打たれたようなそんな衝撃があった。
一番ショックだったのは、その事実そのものよりも、オレ達のことを見えても覚えてもいない馬場の方が、最近の馬場よりよっぽど幸せそうに見えたことだ。
オレ達は馬場に必要ない。馬場を助けたいだなんて願いは、オレ達のただのエゴなのだと、そう突き付けられたような気がした。
「う……」
岸波が声を押し殺すようにして、泣いている。それに続いて、一人、また一人と涙を流す。隣を見れば、シーナが可愛い顔をぐしゃぐしゃに崩して泣いていた。それに気が付くのと同時に自分の頬が濡れていることに今更気付く。オレも泣いていた。泣けば泣くほど悲しさというものがオレの中で形を持っていき、余計に悲しくなる。悲しくなって、また泣いて、それで余計に悲しくなる。その繰り返しだった。
皆、自分のことで精一杯で、自分の悲しみを受け止めるのに精一杯で、だから気付けなかった。
「あは」
泣き声の中に不似合いな笑い声が混じる。
「あは、あはははっ、あはははははははは!あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!!!!!あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!!!!!!!!!!!!!」
オレ達は、少なくともこの事実を受け入れていた。受け入れていたからこそ、泣くことが出来た。
でも、彼女には無理だった。
もう限界寸前で、壊れる寸前だった彼女に、この事実が受けとめきれるわけなかった。彼とずっと一緒にいて、誰よりも彼を必要としていて、誰よりも彼を愛していた彼女に、こんな惨い事実、受けとめきれるはず、なかった。
暗くて、狭い、部屋の中、沈んだ泣き声と歪な笑い声が響く。
それは、奇しくも満月の日の夜のことだった。
- 当たる馬には鹿が足りない ( No.111 )
- 日時: 2019/02/23 16:58
- 名前: 羅知 (ID: yWjGmkI2)
∮
俺の名前は馬場満月。
自分で言うのもなんだが、どこにでもいる普通の男子高校生だ。
人並みに恋したり、誰かと友情を育んだり、そういうのに憧れることもあるけれど、タイミングが悪いのか────巷でいう"青春"みたいなものを味わえたことはない。
劇的なことは何もない、平凡な人生。まぁ人生なんて実際はこんなものだ。物語の中みたいな突飛なことなんて、なかなか起こらない。
でも、きっとそんな人生を人は幸せだなんてそんな風に言うのだろう。
∮
目が覚めると、病院のような場所のベッドで俺は寝かされていた。いつの間に着替えさせられたのか入院服のような服を着ている。一体何故、何がどうなってこうなったのか。事態の把握をしようと大きく体を動かすと、腹の辺りがずきりと傷んだ。
「何だよ、これ……」
服をめくって傷んだ部分を確認すると、包帯やらガーゼやらで厳重に傷の処置がされていた。他にも何かあるかもしれない。そう思って、体を大きく動かさないようにしながら自身の体をぺたぺたと触ってチェックすると、腕の辺りに切り裂かれたような傷が多数、太腿の辺りに大小様々な刺されたような傷が多数あった。それ以外は特に大きな傷は見当たらない。体は多少怠いが、見た目の割にあまり酷い傷ではないようで、少し痛む以外はあまり症状といった症状はない。
(俺に、何があった?)
こんな傷、負った記憶はない。それにこんな所に来させられる理由も分からない。見た目の様子から、きっとここは病院なのだろう。それは分かる。ただ、今自分が病院にいる理由。それが、全くもって見当がつかない。
俺は普通の、ごくありふれた日常を送っていた。
それがどうしてこんなことに?こんな傷を?理由を求めて記憶を探るが、正解の記憶を見つけることは俺にはどうしても出来なかった。
∮
「あぁ、目覚めたようですね」
暫くすると白衣を着た若い男性が、部屋に入ってくる。そうして驚いている俺を見て、にこりと優しく笑った。
「どうも。貴方の"担当"の荒樹土照と申します」
彼の名前は荒樹土照と言い、俺の担当医だそうだ。彼によれば、どうやら俺は事故にあって、そのショックで意識を失っていたらしい。ただ傷自体はあまり酷いものではなく、数日の入院で退院出来るだろうと言われた。常々俺は人並みの人間だと思っていたけれど、運だけは人並み以上にあったようだ。
入院している間は、やることもないので適当な時間を過ごした。お見舞いに来てくれるほど親しい人も俺にはいない。幸い歩けないような怪我をしている訳ではなかったので病院内の散策などをしたりして、それなりに楽しい時間を過ごした。
入院三日目の朝、俺がいつものように病院散策に行こうとすると病室の扉を叩く音が響く。誰だろうと思いながら、病室の扉を開くと、そこには見覚えのない綺麗な女性が立っていた。
「ふふ、どうも」
女の人は、そう言って俺に軽く会釈した。ちょっとした動き全てがなんというか──妖艶だ。大人の女性ってきっとこういう人のことを言うのだろう。ずっと見ていたくなるような、そんな魅力のある人だ。でも見つめすぎて、こんなに綺麗な人に変な人だと思われるのも恥ずかしい。見ていたい。でも、見てられない。そんな相反した感情に苛まれて俺は上を見たり下を見たりときょろきょろと挙動不審に視線を動かしてしまう。呆れられても仕方のないような狼狽っぷりだと自分でも思うのだが、彼女はそんな俺を見て「慌てなくても良いですよ」とくすくすと微笑んだ。
「突然訪問してしまって、申し訳ありません。お加減は宜しいですか?」
「あ、あぁ……ところで、あの……」
「何でしょう?」
「貴女は誰なんだ?」
俺のそう言った瞬間、彼女はぷっ、と吹き出して、大爆笑した。上品そうな人なのに腹を抱えて破顔してしまうくらいに笑っている。俺は何かおかしなことでも言ったのだろうか。
「ふふっ、ははっ!!……んふ……あぁ、すみませんね……貴方のことを笑っているのではないのです。こっちの事情で……お気を悪くされましたか?」
「……い、いや。それで、貴女は……」
俺が改めてそう尋ねると、彼女はこほんと咳払いをして、入ってきた時の落ち着いた様子に戻る。そして真面目な顔をして、こう答えた。
「名乗るほどの者ではないのです。ワタクシはあくまで"代理"ですので」
「代理……?」
「えぇ。本来は貴方のお見舞いには別の方が来られる予定でした。ただ、ある事情で来られなくなってしまったので、ワタクシが来た、という訳です」
「そうなのか……それで一体誰の代理なんだ?」
「ふふ!それは秘密です。彼は匿名を希望しているようなので……案外恥ずかしがり屋なんですよ、彼」
お見舞いに来たのに名乗りたくないなんておかしな話だ。そうは思ったけれど、もしかしたら俺が知らないだけで今時のお見舞いというのはこういうものなのかもしれない。
彼、というからには本来来る予定だった人というのは男性なのだろう。男性、恥ずかしがり屋……誰だろう。分からない。そもそもお見舞いに来てくれそうな人がいない。
そんなことを考えていると、また彼女はにこりと笑った。今度は彼女の雰囲気にあった上品な笑みだった。
「とっても、心配してました。彼、貴方のことを」
「そ、そうか……誰だかは分からないが、心配ありがとうと伝えておいてくれ」
「えぇ、しっかりと。……長居も失礼ですのでワタクシは帰ります。また機会があったらお会いしましょう」
初めに部屋に入ってきた時と同じように会釈をして、彼女は部屋から出ていった。部屋には彼女の付けていた香水の匂いなのかなんとも言えない独特な香りが残っている。綺麗な人だった。本当に。また会いたいと思った。そしてまたきっと会えるだろうと何故かどこかで予感していた。
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「ただ今帰りました、"マスター"」
任されていたお使いを終えて、ワタクシは満足した気分でマスターの待つ家に戻りました。返事はありません。いつものことなので、ワタクシは特に気にすることなくそのまま奥の部屋に入っていきました。返事がない時、彼はここで"メンテナンス"の作業をしています。そしてワタクシの予想通り彼は奥の部屋で"メンテナンス"をしておりました。今は"両足"の調整をしているのでしょう。彼は自身の精巧に出来た義足を片腕で抱えながら、もう片方の手で調整作業をしていました。
義足は大変リアルな造りをしているので、端から見たらこのメンテナンス風景は卒倒モノのような光景だったでしょう。
「……あ?帰ってンなら、ただいまくらい言えよ、テル」
「お言葉ですが、マスター。ワタクシは"ただいま"と申したのですが」
「オレ様が聞こえなきゃ言ってねェのと同じなンだよ。ちゃんとはっきり言えや」
「…………」
マスターの横暴はいつものことなので、ワタクシはノーコメントでスルーすることにいたしました。彼の横暴は彼にとっての親しみの挨拶なのです。彼と長年の間付き合っている人々はそのことをしっかりと理解しております。そしてそのことは勿論ワタクシも理解しています。
「で?……"そっちのガワ"で、あのガキンチョに会いに行った反応はどうだった?」
「思春期の少年らしい初な反応をされましたね。大変可愛らしい様子でした」
「ま、そーだろうな。……今のアイツは正真正銘普通の男子高校生だし、お前の今"着てる"ガワはオレ様が魅力的に作ってやったワケだし。普通の男ならベタ惚れだろーよ」
自慢するようなニュアンスでもなく当たり前のように、彼は彼の作った"ワタクシ"をそう評価しました。そして彼の言っていることは事実でした。マスターは大変横暴で傲慢な方ではありますが、自分の能力に対する評価はいつだって的確なのです。
彼の力、彼の作ったワタクシのような"作品"を見て、人は彼のことを"天才"と言います。しかし彼はその言葉を受け入れません。断固として彼はその言葉に反発します。ワタクシは彼がそうする理由を知っています。彼はワタクシのマスターであるし、ワタクシは彼の最高傑作の作品であり家族であるからです。
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マスターこと荒樹土光は機械人間で、ワタクシこと荒樹土照はそんな彼に作られた自立型思考傀儡です。
ワタクシは彼に作られた一番初めの作品でした。そして彼の家族でした。
彼が十いくつかの頃、ワタクシは彼に作られました。まだ幼かった彼は今以上に暴力的で横暴で傲慢な人間でした。そして人間という人間を心の底から憎んでいました。誰彼構わず殺してやりたいという願望が彼の平生からは滲んでいました。
彼は生まれて間もない頃、親に売られて、その場所で起こった人災的な事故によって身体のほとんどを失いました。両手両足はなくなり、身体中は焼け爛れて、それが元は人間の形をしていたということが分からない程に彼は壊されました。彼にとって不幸だったのはそんな状態になってしまっても生きてしまっていたことで、幸運だったのはそんな状態から今の彼になるまで彼を支えてくれた人々がいたことです。
現在彼の体を構成しているのは、人工皮膚と機械で出来た義手と義足。人間として"本物"である部分はごくわずかしか残っておりません。偽物の顔。偽物の名前。偽物の体。唯一本当なのは彼の、自分をそんな目に合わした人間に対する憎しみと、彼の類い稀なる才能のみです。
彼はこう言います。自分は"選ばれなかった"のだと。"テンサイ"であり"天才"であるのは選ばれた"彼ら"の方なのだと。その事実がある限り、彼は人から言われる"天才"という名誉の称号を受け入れることは出来ないのです。
普段の彼の横暴や傲慢は元々の性格もあるのでしょうが、そんな彼の自嘲の裏返しなのでしょう。彼は嘘をついて、嘘だらけの自分で、虚勢を張りながらではないと生きていくことが出来ないのです。天の邪鬼で嘘つきな彼はそうして出来上がりました。
そして、そんな彼だからこそ、彼────馬場満月のことが気になってしまうのでしょう。自信がなくて、自身がなくて、嘘つきで、虚勢を張って、偽物の自分を演じ続ける彼を他人事のようには思えないのでしょう。口にこそ出しませんが、きっと腹の底から心配しているのです。今回のお見舞いだってきっと馬場満月を元気づける為だったのでしょうし、そもそもワタクシを彼の専門医として濃尾先生に貸し出したのも彼が心配で、動向を詳しく知りたかったからなのでしょう。意地っ張りで恥ずかしがり屋なので絶対に心配だ、なんてそんなこと本人には絶対言わないのでしょうが。
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馬場満月のお見舞いに行ってこい、というお使いを果たしたその日の夜。ワタクシは馬場満月の専門医としてのガワを"着て"おりました。ワタクシにはマスターからいくつかの"ガワ"を与えられております。なにぶん、アンドロイドですので、データさえ移せば、男の体にも女にも若者にも老人にも、マスターが作った"ガワ"の数だけ"ワタクシ"は存在します。とりわけワタクシが好んで"着て"いるのは、専門医としての"ガワ"です。このガワはマスターよりいくつか上の年齢の設定で、作られており、顔立ちもマスターに似せて作られています。このガワで二人で一緒にいると、よく兄弟だと勘違いされるくらいです。ワタクシはその"勘違い"がとても愛しいです。彼と本当の家族になれたような、そんな気がするからです。
「なぁ、テル」
部屋でぼおっとテレビを見ながら、彼はぽつりと呟きました。まるで一人言のような呟きでした。もしかすると癖でワタクシの名前を呼んでしまっただけなのかもしれません。
「偽物の人生なんて、つまらねェよな」
「苦しくたって、辛くたって、本当の人生を歩んだ方が良いに決まってる」
「アイツには仲間がいる。愛してる女がいる。失いたくない親友がいる」
「それを忘れちまって生きるなんて……ありえねェよ」
「オレだって、もし、"アイツら"を忘れて生きていくなんて、そんなの────」
そこまで言って、自分が何を言っているのか気付いたらしく、マスターは慌てた様子で顔を耳まで真っ赤にして、ぐるんとワタクシの方に振り返り、ヤケクソになって叫ぶようにワタクシへ言いました。
「今のナシ!!!忘れろよ!!!」
…………ワタクシはあえて返事をいたしませんでした。