複雑・ファジー小説
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.61 )
- 日時: 2017/11/28 23:23
- 名前: 羅知 (ID: yWjGmkI2)
劇が終了し、ようやく合流出来た社は別れた直後よりも泣いていた。ぐしゃぐしゃの顔でおれの胸に飛び込んだ社の肩はぶるぶると小さく震えていて、何があったか分からないけれど社をこんな風にした人間をぶん殴ることを心に決めた。
「…………演劇……すごく、よかった……ひっく……あんな演技……私には見せて、くれなかった、のに……」
泣きわめく社はぶつぶつとこんなことを呟いていた。つまり社にこんな顔をさせた奴はさっきまであそこで演劇していた連中の誰か、という訳だ。許さない。社にこんな顔をさせた奴はただではすまさない。本当は顔を見るの嫌だったが、社の願いは叶えてやりたい。ただその一心でおれは社を泣かせたかもしれない連中の所へ行ったのだ。
出迎えたのは、女みたいな顔をしたなよなよした男だった。おれより背も凄く小さい。弱々しい虫けらみたいでおれは拍子抜けした。……だけど、何と言うか、"変"な奴だと思った。言葉でそれを言い表すことは出来ない。強いて言うなら-------------"気持ち悪い"。
なんだか色んなものが"ぐちゃぐちゃ"してる感じがして、ソイツは気持ち悪かった。
向こうにもおれのそんな内心が伝わったらしく、変な顔をしていた。アイドルのくせに作り笑顔も出来ない奴だとでも思われただろうか。まぁ別にいい。おれが本当に笑顔を見せたい相手は社だけだ。こんなことを言ったらアイドルとして意識が低い、と社にまた怒られてしまうかもしれないが、事実だから仕方ない。元はと言えばアイドルを始めたのだって、こうして今の今まで続けられているのだって、全部全部、社のおかげなのだ。だから、誰よりも一番社が笑ってくれてないとおれがアイドルをやってる意味なんて無いに等しい。
人はこういった感情を"恋"とか"愛"とか陳腐な名前で呼ぶのだろうが、おれにとっての"これ"はそれらをとうに越えている。名前なんかで表すことが出来ない、複雑で訳の分からないものがおれの持っている"それ"だ。
(……なんて。こんな"気持ち"、社に言える訳ないけどな)
彼女は優しいから、きっと気持ち悪いなんて言わないだろう。困ったように笑って、それで相手を傷付けないように捻り出した断りの言葉を、静かにおれに告げるのだ。そのあとはきっといつも通りに彼女はおれに話し掛ける。おれの告白なんてなかったかのようにきっと、ずっと、振る舞い続ける。上手くやるだろう。彼女はとても優秀な"女優"なのだから。
その姿を見て、おれは耐えきれるのだろうか-------------いや、耐えきれない。耐えきれるはずがない。一緒にいる限り、ずっと彼女に"本心"を言ってもらえずに、"演技"をし続けられる---------きっと"生き地獄"だ。死んだ方がマシみたいな毎日だ。そうしてそれは日々じわじわと毒が染み込むようにおれの心を蝕んで、最期にはぐちゃぐちゃに壊して、おれを殺す。
だから、おれは絶対に彼女に気持ちは伝えない。彼女に嘘を吐いてでも、おれは彼女の横で、彼女を守り続ける。
∮
「……本当に大丈夫か?観鈴」
「心配すんなよ、こう見えてもアンタに言われて武道は一通りこなしてっから、変な奴が現れたら倒しちまいますよ」
「………………でも」
「アンタこそ、そんな顔じゃ外出れねーだろ。腫れを抑えるもの買ってくっから大人しく待っててくれよ」
帰って暫く経ったが、泣きすぎて赤く腫れた痕はひくことがなかった。あれだけ泣いたのだから当然だ。しかしこれだと明日万が一、外で彩ノ宮高校の生徒に会ったとき、学園の王子様が目を赤く腫らしていたなんて知られてしまったら大問題だ。熱心なファンが卒倒してしまう。腫れを引かせる為にはコットン等で目を押さえて氷水で冷やすと良いらしい。社の今住んでる家にはコットンが見当たらなかった。だからおれが買いに行くといったらこのザマだ。
「……ったく心配しすぎだっつの。不審者なんてそんなわんさか出てこねーよ」
空は紺色に染まり、星が煌めいている。時計を見てみると午後8時を指していた。まぁ確かにおれみたいな年頃の女が一人で歩くのにふさわしい時間ではなかっただろう。だけど社の心配はあんまりだと思う、薬局までたかだか5分程度だ。それにこの道は人通りもそれなりにある。こんな環境下で不審者が出るとしたらソイツは相当な猛者だ。……まぁ、社に心配されて悪い気はしないけれど。
「……なんてな」
ただの意気地無しの独り言だ。こうアレコレ思ってたって本人に直接言うことなんか出来やしない。きっと一生彼女の前ではへらへらと笑って取り繕って生きていくんだろう。とんだお笑い草だ。
「…………」
はぁ、と吐いた息が白く染まり、凍えるような寒さが後から襲ってくる。もう冬だった。身体の冷たさより、心の冷たさの方が身に染みて苦しい。今年の冬もそんな季節だった。こんな年もあと数日で終わる。そしてまた次の年がやってくる。来年もきっとこんな感じだ。変わらない。……変われない。
現実はどこまでも無情ないきものだった。
∮
「……これでいいか」
コットンに、美容液、あと氷に、少しつまめるお菓子。夜分の糖質は太る原因だとか、また社に怒られてしまいそうだが別に今日くらいいいだろう。ストレス解消にはやっぱり甘いものを食べた方がいい。買うものは買えた。早く帰ろう。行った道をてくてくと戻る。もう大分人の通りも少なくなっていた。少し買うのに時間をかけすぎた。歩く足も自然と早足になる。だから気付かなかったのだろう。
目の前から走ってくる"誰か"に。
「わぁ!!」
そんな声と共に身体に小さな衝撃を感じる。舌ったらずで高めの可愛らしい声だ。ぶつかってきた衝撃からして子供が走ってきたのだろうと思った。明らかにおれより小さな子供だ。こんな時間にいるのは危ない。親はどうしているのだろう。そう思った。だけども、いざその姿を確認すると目の前にいたのは意外な人物だった。
「……お……まえ、は……!!」
そこにいたのは、昼間社からの手紙を受け取った女々しい男だった。でも明らかに様子がおかしい。昼間会った時、確かに正直気持ち悪いと思った。何か得体のしれないものが、その可愛らしい顔の内側にぐちゃぐちゃに混ざっているのを感じたからだ。だけど今のコイツは。"ぐちゃぐちゃ"どこなんかじゃなく。もう、明らかに。
"壊れて"いる。一目見てそう思った。おれが"気持ち悪い"と感じた"ソレ"が、もう何も隔てることなく露呈されていて。"まとも"はどこかに消えてしまっている。
驚きでぽかんと口を開けたままでいるおれに、ソイツはまるで小さな子供のように無邪気に笑った。
「……おねぇちゃん、どこかいたいの?」
「ヒナがいたいいたいのとんでけしてあげる!!」
「いたいのいたいのとんでけー!!」
「……もういたくないよね?」
そう言って背伸びをして、手を伸ばし、おれの頭を優しげに撫でてくる純粋な手を払いのけることも出来ずに、おれはただ黙って今から何をすればいいのか考えていた。身体中から出てくる冷や汗もそのままに。脳内で鳴り響く警鐘音を聞きながら。
- グロ注意!!犯罪を仄めかす酷い描写があります ( No.62 )
- 日時: 2017/09/25 07:12
- 名前: 羅知 (ID: UIcegVGm)
∮
『人一人壊れるのって、案外簡単なんだよ?』
姉である結希は笑ってそうよく言っていた。
まるでなんでもないことのように。
∮
まだ弟と自分が高校生だった時のことだ。
その頃の自分はなんだか変な"暇潰し"にはまっていた。夜、人通りのない時間にあえて歩くのだ。ほとんどの場合は何も起こらないのだけれど、ごくたまに馬鹿な人間が変な気を起こして襲いかかってくる。不規則に乱れた呼吸。背中に己のその"ブツ"を当ててくる者もいただろうか。酷く身勝手な愛の言葉を押し付けてくる者もいた。自分の欲求を隠そうともせずに自分に欲情してくる人間を見るのはとても滑稽だった。
何をされたとしても始めは"ただの大人しい女子高生"を演じるのがコツだ。そうすると相手は付けあがって大胆な行動を取ってくる。こちらが大人しいと思って油断するのだ。その隙を狙って一気に相手を押し倒す。突然のことで相手は何が起こったのか分からずに動けない。当たり前だ。"襲った"はずが自分が"襲われて"いるのだから。きっとそのあとに"何をされる"かも分かっていないのだろう。理解させる必要はない。相手が動かない間にあらかじめスカートの中に仕舞っていた鋏を取り出す。それを見ると、勘の良い人間は"これから自分に起こる惨劇"を察知して泣き喚いたりした。くるくると表情が変わる様子を見ても面白くも何ともないのでさっさと終わらせてしまおう。命乞いしてくる人間、頼んでもないのに懺悔してくる人間、意味もなく罵倒してくる人間。色んな人間がいる。せめてもの慈悲として、その全ての人間にこう言ってあげた。手には鋏を持ったまま。
「なんの意味もないよ、それ。だってこれ"ただの暇潰し"だもの」
変な感触だ。
料理してるのとあまり変わらない。差はそれが包丁なのか、鋏なのか、食材に向けるか、人に向けるかだけだ。たいして変わらないだろう。血が飛んだ。肉が散った。ただそれだけだった。終わる頃には相手は何も話さなくなってしまうので、最後はいつも静かだ。目の前にはぐちゃぐちゃの相手の性別の象徴だった筈の肉塊と、生きてるかも死んでるかも分からない人間の身体だけがある。何度やっても何かを感じることはない。達成感も後悔も何も湧かない。意味のない行為だ。だけど時間を潰すのには最適だった。ただそれだけだった。
高校を卒業するまで、夜は専らそんな"暇潰し"をして過ごした。卒業した途端に飽きてやらなくなってしまったけれど。
∮
「あ、優始?……また"そんなこと"やってるんだね。意味分かんない。そんなのに意味求めてる所とかが特に」
それはいつも通りの"暇潰し"の後のことだった。この暇潰しの後は毎度なんとなく弟に電話している。弟も"日課"の最中だったらしい。電話口から変な音がしている。まぁ別にどうでもいいので無視をした。弟といっても小さな頃に親が離婚したので月一度会ったり、こうして電話したりする、"血が繋がってるだけ"の弟だ。お互いにお互いの行動がそこまで影響することなんてないのだから、気を使う必要はそれほどない。
「結希の方が頭おかしい、って?意味を求めない方がおかしい、って?……まぁどっちでもいいや。こんな時間に外出歩いてる時点でどっちもどっちだし……」
そこまで話した時だった。
向こうから自分の背の半分もないような小さな子供がふらふらと歩いてくるのが見えた。遠くから見えた時点でその少年はすでに"異様"だった。まだ幼かった頃の"かの少年"は、自分と出会った時点で既に"壊れきっていた"。ボロ切れのような服を着ていて、白く痩せ細って骨の浮き出た身体には青や赤の痣が至るところにある彼の姿はきっと通常なら、確認した時点で通報するのが"正しい人間のとる行動"だったのだろう。だけども自分はただいま電話をしていたし、そしてきっと電話をしてなかったとしても通報はしなかっただろう。
あんな"面白そうなもの"、誰が警察に任せるか。
ふらりふらりとおぼつかない足取りで裸足のまま、此方に向かってきた少年は前が見えていなかったのだろう。ぽす、と自分にぶつかってきた。
「ごめん、なさい」
そう淡々と己に謝ってくる少年。近くで見ると余計にその異様さは目立つ。まだ年齢は十もいかないだろう、少年の目はその年齢に似合わず憔悴しきっていた。そして何よりも異様だったのはその"匂い"だった。
一ヶ月に一回弟と会うとき、たまに弟はその"匂い"をしていたからよく分かる。生臭い生物が腐ったような匂い。よく見れば少年の身体も、髪も、かぴかぴな"何か"がこびりついており、匂いはそこから発せられているようだった。間違いなく少年が何らかの犯罪に巻き込まれていたことは確実だった。そしてそれが原因で少年の心が"壊れかけている"ことも。
「別にいいよ。謝らなくても。お姉さんも前見てなかったしねー。…………ところでさ君のお名前は何かな?」
しばらく何を言ったのか分からないという顔でぼぉっとしていた彼だったが、幾分かしてようやく何を言ったのか飲み込めたらしく、くしゃっと笑って彼は自分に名前を告げた。実に誇らしげに。
「恋日ヒナ!!ヒナの名前は恋日ヒナだよ!!」
「……へー。そっかぁヒナ君って言うんだ。女の子みたいな可愛い名前だね」
小さな子供でも分かるようにあからさまに誉めたつもりだった。しかしやはり男の子に可愛いはまずかったのだろうか。目の前の少年は明らかに何を言われたか分からない、というような不思議そうな表情をした。
少年に言われたのは予想外の言葉だった。
「………………ヒナは、"女の子"、だよ?」
目の前の"少年"であるはずの子供は確かに自分にそう言ったのだった。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.63 )
- 日時: 2017/11/28 23:34
- 名前: 羅知 (ID: yWjGmkI2)
∮
「…………ただいま」
「あ……お、おかえり。遅かったな!!一体何処で寄り道してるのかと心配したん--------」
きぃとドアの開く音がしたので、いそいそと早足で玄関の方に向かう。出掛ける前、彼女に少しぶっきらぼうな態度を取ってしまった。今回のことで随分と心配をかけてしまった。だからこそ笑顔で-------自分の出来る、精一杯の顔でおかえり、と言いたかった--------------けれど、それは果たすことが出来なかった。目の前にある光景、それを見た瞬間に目の前が真っ白になった。
彼女の連れている、"見覚えのありすぎる顔の少年"。"彼"を見た瞬間に。
「?……おねーさん、こんにちは!!」
「……は、え……?どういう、こと……何、何これ……」
ついていけない私に対して、少年が返したのは"純粋無垢で花が咲いたような笑顔"だった。
(分かんない、ってば)
一瞬、遠い昔に会った"友達"とその笑顔が、被る。
…………なんだ。なんなんだこれは。何で目の前に彼が、濃尾日向君が、いるの。それで私はそれを見てどうしてこんなこと考えて、どうして、いや違う、そういうことじゃなくって---------おかしい。おかしいんだ。この状況が、全てが。狂ってる。狂ってるんだ。だから私も脳が正常に働いてないんだ。だってそうじゃなきゃ、そうじゃなきゃこんなことあるはずがないんだ。間違ってる、間違ってるんだよ"これ"は。なんでどうしてどうして"あの子"と被ってみえるの、だって"あの子"は"女の子"だった。それに、それにそれにそれに性格が全然違うでしょ、"あの子"は人を疑うことを知らなくて、本当にまるで天使みたいな子で、……あぁそんな"あの子"そっくりな顔して笑わないでよ。違うんだから、絶対に違うんだから。違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!!!!!!!!
「社!!!」
「………………え?」
「……落ち着いてくれよ。おれだって、まともで、いられてるわけじゃ、ないんだから」
そう言う彼女の顔は蒼白で、冷や汗を浮かべてはいたけれど、私よりは随分と落ち着いてるように見えた。……そりゃあそうだ。彼女は"あの子"のことを知らない。彼女から見たら、彼が様子がおかしくなってる程度の認識なんだろう。
「……なぁ、社。どういうことなんだよ。コイツどうしちまったんだよ」
……でも、私は違う。私は"あの子"を知っている。だからその仕草が、笑顔が、全部"あの子"に見えてしまって。違う。違うのに。
「……その反応、社はなにか知ってるんだろ。……なぁ今の"コイツ"は"誰"なんだよ。教えてくれよ!!」
そう怒鳴る彼女の問いには答えず、私は静かに極めて落ち着いた声色で、最早"彼"ではない"彼女"に話しかけた。懐かしさはなかった。懐かしさよりも、何よりも、どうしてこんな風になってしまったんだろうという後悔ばかりが頭を埋めて。心臓が煩いくらいにバクバクといってるのをどうにか抑えようとするので必死だった。
"彼"に、問う。
「……恋日、ヒナ、ちゃんだよね」
喉がつまってうまく声が出ない。そんな中でようやく出た、その小さな問いに"彼"は----------いや、"彼女"は不思議そうにこう答えた。私と違って迷いなんて一切もない清々しい声だった。
「そうだよ!!……でも、どうしておねーさんはヒナの名前を知ってるの?」
次に会った時は、嬉し涙が出るんだろうな、なんて考えていた。幼心に"彼女"のことを憧れていた自分がいた。また会えたら、きっと私は彼女に言うんだ。私は、貴女みたいになりたくて、頑張ってきたんだ。貴女の言うとおりだったよ。って。今の私は素敵でしょ。って。たくさんたくさん言いたいことがあった。
だけど今の私から出るのは、ただの冷たくて哀しい涙と嗚咽だけで。
「……社、シロだよ。ヒナ……貴女の"友達"の、シロ、だよ…………」
かろうじて、それだけが、言葉になった。
∮
「……うん、大体分かった。ありがと"愛鹿社"ちゃん。びっくりしただろうにここまで"あの子"を連れてきてくれて」
「…………」
「…本当は。本当はね、アタシだってもう手遅れだって知ってたの。だけどあの子にせめてアタシ達は"普通の高校生活"ってモノを送らせてあげたかった……その結果が"これ"よ。笑っちゃうわよね。何度失敗してもアタシ達は学ぶことをしない。また見逃した……あの子からの助けのサインを……」
"彼女"と初めて会った場所は彩ノ宮病院の精神科病棟だった。そのことを思い出した私は、すぐさま病院へ電話をした。事情を説明すると病院側はすぐに迎えの車を手配してくれた。そこに乗ってきてくれたのが、今目の前で話している女性、海原蒼さんだ。憂いを帯びた瞳が神秘的で、まるで深い海の底のような色の髪が腰までうねっている。車に腰掛けると、まだ頭の整理のつかない私に海原さんは優しく声を掛けた。
「初めまして……じゃないわね。愛鹿社ちゃん。でもまぁ覚えていないだろうから自己紹介するわ。アタシは海原蒼。彩斗先生の助手……みたいなものよ。彩斗先生は覚えているでしょ?」
その問いにゆっくり頷くと、海原さんはにっこりと笑った。どこか寂しげな笑い方だった。
「濃尾先生はアタシにとっても恩人なの。だからこうして時々"仕事"をボランティアでやってるのだけど……本来アタシはこういうことを任されないのよ……だけど、もう、アタシ以外誰も"動けない"の。皆パニックになっちゃって……情けないわね。貴女みたいな若い子でも、まだ、落ち着いてるのに」
「いえ…………落ち着いてなんか、いません。もう何がなんだか分からなくて……逆に」
淡々と彼女との義務的な会話が続き、そして静かになった。濃尾君は--------"彼女"は助手席ですやすやと眠っている。小さな子供のように可愛らしい寝息をたてて。その姿を見ていると、ほんの少しだけ安心した。窓の外は真っ暗で窓に酷く不安げな顔がして、なんだかおかしい。夜空には三日月が怪しげに光っている。人は誰もいない。当たり前だ、もう深夜だ。だけどちっとも眠たくない。おかしかった。けれどもちっとも笑えなかった。
「……あの」
数分の静寂の後。最初に口を開いたのは私の方からだった。色々ありすぎて忘れていたけれど、どうしても聞きたいことがあったことを思い出したのだ。
「……海原さんは、白夜のこと……その、"知ってた"んですか。"あんな風"になってる、って」
「えぇ、知ってたわ」
即答だった。そして軽く笑って、どこか遠いところを見ながら、彼女は話す。その目には一体今何が写っているのだろう。そんなことが気になった。
「…あの子も難儀な子よね。元から不器用な子だとは思ってたけど、まさかあんな風になっちゃうなんて。…どこから間違ってたのかしら。小さい頃に見たときは、まさか、貴方達がこんなことになるなんて思いもしなかった。こんな"再会"の仕方なんて、運命の神様は残酷みたいね……」
それには私も同意だった。神様なんて信じていないけれど、もしも運命の神様というものがいるのだとしたら、その人は本当に性格が悪い。根性がひねくれてるんじゃないかと思う。私がそう言うと海原さんは可笑しそうに笑った。ちょっと大袈裟なんじゃないかというくらい笑った。そしてひとしきり笑うと、目に涙を貯めたまま独り言のように呟いた。
「……はぁ」
「ヒナ君にも、白夜君にも、紅にも、黄道ちゃんにも、星にも、光にも、ただ"普通の生活"を送って貰いたかっただけなのにね」
「……どうして、こんなことになるのかしら」
誰に宛てたものでもないその呟きは、誰に返すこともされず、そのまま夜の闇の中に吸い込まれていった。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.64 )
- 日時: 2017/10/08 17:22
- 名前: 羅知 (ID: caCkurzS)
∮
「…………駄目だ。連絡つかねぇ」
冷たい風の吹く打ち上げの店の丁度裏側に位置する所で、俺と尾田慶斗は立っている。何度目かのコールの後、また静かに尾田慶斗は俺にそう言った。濃尾日向がこの場を離れてから、もう一時間以上になる。初めはトイレかどこかに買い物にでも行ったのかと思っていたが、それにしては時間がかかりすぎだ。連絡がこんな長い時間取れないのもおかしい。思い返してみれば、おもむろに店を出ていったアイツの顔はどこか変だった気がする。考えれば、考える程に悪い方向に思考が向かっていく。こんな時こそ冷静にならなければいけないのに、冷や汗が止まらない。
そんな俺を見て、何を思ったのか尾田君はこう言った。
「…お前も心配だよな。オレも心配だ。でも落ち着け。落ち着かなきゃどうにもならねぇ」
「……あぁ」
「………やっぱりオレには信じられねぇな。そんなにアイツのことをに熱心になってるお前が、アイツに"あんなこと"するなんて」
「……!!」
尾田慶斗が、俺と濃尾日向の"関係"のことを知っている。その事実に戦慄し、思わず身体が震える。まさか、誰かに知られてるなんて思わなかった。どこで知ったんだ、あんなこと。もし、バラされたら、俺は、濃尾日向は。
俺のそんな心配を余所に、少し呆れたように尾田慶斗は言った。
「……そんなに驚くことかよ。たまたま知っただけだ。心配すんな、誰にも言わねぇ。ただちょっとは"そんなこと"になる前に相談して欲しかったとは思うけどな」
「…………」
「……今の反応を見て正直安心したよ。お前はやっぱり"馬場"だ。正真正銘"濃尾日向の親友"だ。まぁそんなことになる経緯は理解出来ねぇけど」
それだけ言ってしまうと尾田慶斗は、また何事もなかったかのように電話を掛け始める。
……不思議な感覚だった。もっと、もっと軽蔑されると思っていた。あり得ないものを見るような目で見られるのかと思っていた。俺のやったことは到底許されることじゃない。許されるつもりもない。その行為をコイツは"ただそれだけ"で済ませたのだ。拍子抜けだった。それと同時に思った。コイツなら、コイツらなら-----------どうしようもない"神並白夜"でさえ受け入れてくれるんじゃないか-----------なんて希望的観測を-------------願ってしまった。
(……そんな訳ない)
でも一瞬だった。そんな希望は"俺自身"の意志が否定した。例え周りに許されたとしても、そんな生ぬるい結末は"俺"が許せなかった。周りが"オレ"を受け入れてくれたとしても、"オレ"がコイツを受け入れれないのだ。周りが優しければ、優しくするほど"オレ"は悲しくなるだろう。"オレ"のそんな"弱さ"にこのお人好し共を付き合わせる訳にはいかなかった。
「……まだ出ねぇ」
苦虫を踏み潰したような顔で何回目かのその台詞を尾田慶斗が口にする。その言葉を聞くたびに胸がざわざわしていてもたってもいられなくなる。そのムシャクシャに耐えきれず、俺は尾田慶斗に頼んだ。
「今度は、俺の携帯から、掛けさせてくれないか」
「…………あぁ、いいぜ。立ってるだけじゃ待ちぼうけだものな」
そう言って尾田慶斗は持っていた携帯を自分のポケットにしまう。俺は自分の携帯を取り出し濃尾君の電話番号に掛け始めた。一度目の呼び出し音。二度目、三度目…………もうダメかと携帯を切ろうとした時------音が止まった。
一気に血液が沸騰したかのような衝撃が全身に広がる。安堵やら喜びやら嬉しさで声は裏返り、まるで捲し立てるように次々と言葉が出てきた。
「もしもし!!濃尾君か!?なぁ今何処にいるんだ?皆心配してるんだ、電話くらい出てくれないと困る----------」
『-------------------白夜?』
その声は濃尾君の声ではない。しかし聞き覚えのある声だった。
「…………や、し……ろ。……なんで」
『…………』
相手の息を飲む声が聞こえる。俺は反射的に電話を切ろうとした。しかしそれをする前に向こうから制止の一声が入った。
『待って。切らないで』
「…………」
『……よく考えてよ?どうして私が濃尾君の携帯に出たと思ってるの?その理由を聞いてからでも切るのは遅くないんじゃない?』
少し焦ってはいるが、以前会った時と見違えて彼女の声は随分冷静で毅然としていた。そして思い出す----------------彼女がそういう話し方をするときは決まって"緊急事態"のときだったことを。
『……懸命な判断に感謝するね』
「…………」
『落ち着いて聞いてよ。……私は今、濃尾君と一緒に彩ノ宮病院にいるの。私の友達が、"まるで別人みたいた状態の濃尾君"を見つけたみたいで……』
「…………!!」
『……ねぇ覚えてる?私達が小さな頃、怪我で二人ともここに入院したときのこと』
「…………」
『……"ヒナ"を、覚えてる?』
何故ここでその名前が出てくるんだろう。"ヒナ"と"濃尾日向"はなんの関係もないはずだ。そして少し言い淀んだ後、彼女は驚くべきことを口にした。
『……濃尾日向と、ヒナが、同一人物だって言ったら?』
「!!…………っな訳ない!!だってヒナは……!!」
『そう。女の子。…………だから私も信じられなかった。だけど今の濃尾君は発言、行動、その全てが----------』
『----------ヒナ、なの』
そんなはずがない。冗談は止めてくれ。そう言いたかった。だけども彼女の声は真剣そのもので。一笑することもできなくて。
「……それ、で?」
『ねぇ白夜。私思ったんだけど…………白夜は濃尾君と何ヵ月かは一緒にいたんだよね?気付いたんじゃないの?何か』
「そんなのッ…………!!」
気付く訳、と続けようとした。だけど言えなかった。その代わりにここ数ヶ月の思い出がじわじわと頭を蝕んでいった。
『…もう、絶対に置いてなんか、いきませんから、安心して、下さいよ』
『"ヒナ"』
俺は------------俺は、気が付いていた?
気が付いた上で、あんなことを----------あんなおぞましいことを?
(……やっぱり、こんな、自分を、許せるはずがない)
「…………今から、そっちに向かう」
俺は押し潰れそうなその一言をなんとか口にした。とめどない後悔に苛まれながら。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.65 )
- 日時: 2017/10/09 12:22
- 名前: 羅知 (ID: UTKb4FuQ)
∮
「なんだ?……馬場の奴、急に"病院行く"とか言って……頼むからお前も連絡取れないとかはよしてくれよ?」
何はともあれ濃尾がどこにいるかは分かった。馬場が"俺が一人で行く"と言っているので、そちらは任せていいだろう。そういえば店内の方をほったらかしにしてしまっていたが、大丈夫だろうか。そう思って店内にいるシーナの方へ連絡を取ると、人数が大分減ってしまったが、まだ数人は残っているらしい。向こう側も心配して随分と気を揉んでいたらしく、無事だと伝えるとほっとした声が聞こえてきた。
『……じゃあそろそろ帰るー?もう時間も遅いしー』
「そうだな。オレは会計しないといけないからシーナ先帰っててもらってていーぞ?あの人数分じゃ時間もかかるし」
『あー……ケート幹事だもんねぇ。じゃあ、お言葉に甘えさせてそうさせて貰うッ!!ケート、今度は二人で美味しいもの食べようねッ!!』
「あぁ」
シーナの明るい声に心癒されながら、オレは電話を切った。この時間だ。不審者が出て、シーナに襲いかかるかもしれない。一応シーナに防犯の為の道具は持ってもらっているが、念のためだ。オレは盗聴機の電源をオンにした。これでいつなんどきシーナに危機が迫っても対応できる。安心だ。
色んな意味でほっと胸を撫で下ろし、オレは店を戻った。
∮
「お会計××××円になります」
「…………はーい」
…………一人ぼっちで虚しく会計するのは結構寂しいものがあったので、今度からは誰かに付き添ってもらおう。オレはちゃりんちゃりんという小銭の音を聞きながらそう心に決めた。今さっきまで人が沢山いて騒がしかったせいか、寂しさをどっと感じる。ちょっと涙が出ちゃいそうだ。
店を出てドアを開けると、冷たい風がびゅおーと吹いて痛いくらいだった。さっきまではここまで寒くは感じなかったのに、一人になると寒さが余計に身に染みる。人通りの少ない街頭も少ないそんな道に入ってくるとその言い様のない"寂しさ"はもっと増してきたような気がした。そして頭の中で何故だかこんな言葉が浮かんだ。
(……人は一人では生きられない)
こんな少しの時間でも人は孤独を苦しく感じる。一生なんて耐えれる訳がない。強い人間も、弱い人間も、誰しもがお互いに影響されて、もたれ掛かって生きている。それは"弱い"なんてことではなく、きっと当たり前のことなんだ。
だから"アイツら"も。
もっとオレ達に頼ってくれればいい。一人で抱え込まなくたっていいんだ。甘えたって、何したって、オレ達はそれを弱いだなんて言わないんだから。お前達が甘えてくれないと、オレ達も甘えることが出来ないじゃないか。いつかそう言ってやれればいいと思う。
だから"気が付かなかった"。"危機"はもう"間近に迫っていること"を。
どすり。
あ、
れ、
い し
き
が
せ
な か
が
い た い
しぃ な
∮
「……あれ?ま、"間違えちゃった"のかな……あの、"ハーフの男の子"じゃない……」
フードを被った気弱そうな男--------------椋木優始は、先程自分が"刺した"少年の顔を見ておどおど、っとそう言った。まるで"教室で座る席を間違えた程度"の反応だった。
「……こっちに向かったと思ったんだけどな」
刺したナイフを勢いよく、その血の気もなくなった冷たい身体から抜いてしまうと、どくどく溢れる真っ赤な"それ"には目もくれず、男はどこかへ歩いていった。
"自分が刺した少年"が、"ぎりぎり残った意識"で"何をした"のかも、何も気が付かなかった。
ただただ男は二つのことだけを考える。
(------------あぁ、"あの子"を殺さなきゃ。二度と"あんなこと"言わないように)
そして。
(---------どうして結希は"女の子"の方を突き落としたんだろう。それに僕の話をやけに乗り気で聞いていたし…………変な結希。いつもだけどさ)
∮
「〜〜〜♪」
"仮にも見知った少女を歩道橋から突き落とした"というのに彼女--------秦野結希は、やけにご機嫌だった。退屈だった毎日に刺激が出来たことに、彼女は心底昂っていた。
(だって目当ての子をそのまま殺すより、"その子の好きな子"をどうにかした方がよっぽど楽しいじゃん。……気になってたんだよねぇ、"どう考えても両思いの二人の内一人をもう一人の目の前で殺したらどうなるか"。……長年の謎がようやく解明されてスッキリしたよ。……あんな風になるんだねぇ、"人"って。やっぱり面白いなぁ……はは)
(……まさかお相手が"菜種先生の娘さん"だなんて思わなかったけどね。どうせなら見とけば良かったかなぁ……"落ちる瞬間の表情"。あんまりよく見えなかったんだよなぁ)
(……ま。どうせ、あの程度じゃうっかり"死なない"こともありそうだし。いくら変装してるとはいえ顔見られなくて良かったとしよーかな。……生き残ったらあの子どう思うんだろうなぁ。「やった!!生きてた万歳!!」?「あのまま死んでしまえれば良かったのに…………嘘です。本当は凄く嬉しいです」とか?はは!!どっちも一緒だねぇ)
(……まぁきっと"これ"なんだろうなぁ。"あの子"なら)
(「"お母さんは今度こそ心から私を心配してくれるんじゃないか"」)
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.66 )
- 日時: 2017/10/24 21:02
- 名前: 羅知 (ID: m.v883sb)
∮
事態は9時間前に遡る。
貴氏祭が始まって何時間か過ぎ、一番盛り上がっている時間。彩ノ宮高校演劇部顧問である秦野結希は、"ちょっとした暇潰し"で一年B組のやる劇を観に来ていた。自分が"記憶の爆弾とも言うべき黒歴史"を爆発させた少年がどうなっているのか少し気になったのだ。壊れていればその程度だと思ったし、壊れていなければまだまだ壊しがいがあるだろう----そう、考えて来た。別に少年に恨みや憎しみがある訳ではない。彼女の行動原理は"面白そうだから"----ただそれだけである。彼女にとって"少年"は比喩ではなく玩具だった。まぁ最も彼女が"人を人だと思ったこと"なんて一度もなかったけれど。
そんな彼女だけれど、目の前にある光景には、これはまた酷い有り様だなぁ-------そう思った。
文化祭の喧騒から、かなり離れた使われていない倉庫----そこに彼女はいた。まだ劇までは三時間程あった。これなら余裕を持って観に行くことができるだろう。……劇を観る前に"とある用事"を済ませる為、彼女は此処に来た。中は埃臭く、昔使われていたのだろう体育用の道具などはぐちゃぐちゃで整理などされていない。倉庫の真ん中にある小さな窓からほんの少し光が差し込んではいるが、薄暗く視界良好とはいえない照明環境だ。
そして、その丁度光の差し込んでいる位置に"彼女の用事を済ませなければいけない相手"はいた。
「気分はどう--------」
そう声を掛けたけれど返事はない。まぁそうだろうなということは最初から分かっている。目の前の人間は、どう見たってまともに話せる状況じゃなかった。上半身のみ布を纏っており、下半身はあられもなく通常なら隠すべきものが見えている。ほぼ見えている血の気のない細身の身体には青痣や擦り傷、そしてずっと消えることはないのだろう----根性焼きが背中にくっきりとあった。それ"を初めて見た時、あぁまたか----そう思った。だから今回のことも同じようにそう思った。
「---------優始」
長く伸びた爪をがりがりと血が出るほどに噛み、もう片方の腕はただでさえ傷だらけの肌をかきむしっている。目は血走って、身体は時折壊れたように痙攣していた。よく聞けば、籠ったようなバイブ音が聞こえる。何かに繋がってるようには見えないので、遠隔操作するタイプなのだろう。
喘ぐような声と共に聞こえるのは誰かを恨むような呪詛だった。
「っあ……してやる。う……やる。僕の……っていを……すやつ……は……してやる」
「……あのさー、聞いてよ!!先生も驚いたんだよー??突然電話から"真面目そうな学生"さんから"……ご家族の方ですか?"なーんて言われちゃってさぁ?とうとう身内から犯罪者出しちゃったかぁ、と思って焦っちゃったぁ!!」
仮にも"血のつながった弟"のそんな姿に対して、彼女はけらけらと笑ってそう言った。
∮
「ふーん、つまり優始は邪魔されちゃったんだ。さっき電話してきた"真面目そうな学生"さんに。いいんじゃない?通報されなかっただけ」
「よくない。…全然"良くない"んだよ結希。だってあの子は"僕"を……"僕"を否定した」
しばらくして落ち着くと心底気味の悪い弟はそう答えた。その言葉はきっと"常人"には理解出来ないだろう。けれども彼女には何を言っているか分かった。仮にも彼女は彼の姉であるし、それに彼女自身が疑いようのない"異常者"だ。
「……最底辺から引き上げてくれちゃ困るんだよ。最低が僕の居場所だっていうのに」
彼にとって"救い"は"巣食い"であって"救い"ではない。誰かの差しのべてくれた手でさえも彼は敵とみなして食らいつく。彼女は知っている。こんな性格だから小さな時から社会のカースト最底辺にいた弟だけれど、弟はその状況に不満など一度も呟いたことなどないのだ。むしろ僥倖、その場所に好んでしがみついている。あえて下へ下へと堕ちていく弟。救いの手は何度も伸ばされた。それを手折ったのは他ならぬ弟自身だ。自身を最低から引き上げようとする者を何よりも許さない、それが弟という化物といった方が適切かもしれない人間だった。正直血が繋がっていなかったら一番近付きたくないタイプだ。多分他人として生まれていたなら殺していただろう。彼女でさえも理解出来ない弟。ある点に関しては彼女よりも過激な弟。
けれど忘れてはいけない。彼女はそんな彼の"姉"だということを。
「えー、じゃあ"殺しちゃう"?」
弟が弟なら、姉も姉。もはや血も涙もない、化物と言いたいくらいだけれど、正真正銘、彼と彼女には同じ遺伝子から生まれた血が通っているし、目の涙腺から分泌される体液だなんて、出すだけならいくらでも出すことが出来る。
∮
サイコパス診断、というものがある。
その中の一つを紹介しよう。付き合う男、付き合う男に酷い目に合わされてきた女がいた。そんな彼女だけれどようやく運に恵まれ優しく真面目な人間に出会うことが出来た。そうして彼女は彼からプロポーズを受けた。普通の女性なら喜び、飛び上がるような場面。しかし彼女はそれを受け入れず、彼をその場で刺し殺してしまった。何故か?答えは簡単『自分が自分じゃなくなるような気がしたから』だ。普通の人間なら理解できない思考回路。しかし異常者はそれをやってのけてしまう。彼らは『自分らしさ』というものに異常に拘る。それを崩す人間を彼らは絶対に許さない。そして彼らはその類い稀なる異常を周りにも適用してしまう。
そうして、あっという間に普通だった日常を"異常"に彩っていくのだ。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.67 )
- 日時: 2017/10/25 20:15
- 名前: 羅知 (ID: m.v883sb)
∮
気が付けば僕----濃尾日向は、またいつもの空間にいた。"此処"に来るまでの記憶は曖昧で、なおかつ頭はまるで靄がかかったようにそのことを考えることを拒否している。何があったか思い出すことを諦めて周りを見回す。いつものパターンなら、ここらでそろそろ"中学時代の僕"や"ボク"が出てくる頃合いだ。けれども、いまだこの闇の中では静寂が広がるだけ。
「誰も……いない」
そう呟く声すらも、ただ暗闇の中に反響して聞こえるのみだ。自分以外誰もいない暗闇の中では、まるで自分自身が暗闇になってしまったように錯覚させられる。なんだかぽっかりと胸に穴が空いてしまったような感じがする。これが"寂しい"という奴だろうか。それに気付いた瞬間、途端に僕は身体に力が入らなくなってしまって、その地面とも分からない空間に座り込んだ。
「なんだよ……僕、だけ、かよ……」
闇の中でただ一人で過ごすという行いは酷く途方に暮れそうだった。自分の身体がいつ目覚めるかも分からない状況で、終わりの見えない時間を、何もないこの場所で、ただ一人で過ごすのだ。それは拷問のようなものだろう、と僕は一人で悲観した。
よくよく考えてみると、この場所で一人で過ごすことは初めてじゃないはずなのに。確かにここ最近は"中学時代の僕"や"ボク"が顔を出しに来てたけれど、それはイレギュラーなことだったはずだ。なのに何故だか今はとても不安だった。あの"煩さ"に慣れ親しみすぎてしまったのだろうか。あんな奴らうざったかっただけなはずなのに。一人なんて平気だったはずなのに。
よく分からないけれど、今回はあの"喧騒"にすぐに戻れる確証がないと心のどこかで予感していた。きっとそれが僕を余計に不安な気持ちにさせているのだということも心のどこかでは本当は理解していた。
∮
「こんにちは!おにーさん!」
「?…………君は誰」
「ヒナは、ヒナだよぉ?おにーさん!」
暗闇の静寂にどれくらいいただろうか。時間の感覚も曖昧で自信を持って断言は出来ないけど、長いこと此処にいた気がする。待っている間に僕は随分と疲弊してしまっていた。その可愛らしい子供のような声の方を向くと、案の定そこには僕によく似た小さな子供がいた。僕には似ても似つかない快活な表情だけれど、きっとこれも"僕"なのだろう。
「…君はどうして、此処にいるの?」
「わからない。きがついたらここにいたの」
子供は不思議そうに首を捻ってそう答えた。本当に何も分からないようだった。子供の扱いになんて慣れていないけれど、とにかく笑顔を心掛けて僕はなるべく優しい口調で彼に言った。
「そっか……僕も一緒だよ。気が付いたら此処にいたんだ」
「……そーなの?」
きょとんとした顔でそういう"僕"。覚えはないけれど、きっと僕にもこんな時代があったのだろう。何も知らずに純粋無垢に生きていた時代が。それはどんなに幸せなことだっただろうか、と一人勝手に想像して笑った。
「ねーねー、ヒナのおはなししていーい?」
「…………うん、いいよ。どうしたの?」
僕がそう言うと、子供は嬉しそうににっこりと笑って話をし始めた。この前あった面白い出来事のこと、空が綺麗だったこと、今日は外に出て遊んだこと、小さな花が咲いていたこと--------とりとめのない話だった。きっとこれは僕自身が体験した話なのだろう。だけどもどれだけ話を聞いたところで僕の記憶に引っ掛かるものは何もなかった。最後に子供はこんな話をした。
「ヒナはね。いいこでいなきゃいけないの。いいこでまってればきっとパパとママがむかえにきてくれるから」
「…………パパとママのことが好き?」
「うん!だいすき!」
「…………君をずっと置いてってちっとも迎えにくる気配のないパパとママでも?もしかしたら迎えに来る気なんて本当はないのかもしれないよ」
「それでもすき!パパとママはうそつかない!ぜったいにむかえにきてくれるよ!」
自分の言っていることに確信を持った、真っ直ぐな言葉だった。そのことを信じて疑わない芯の通った目をしていた。この子は、きっと裏切られるその日までこのまま信じ続けているのだろう。いや、きっと裏切られても信じ続けるのかもしれない。それは幸せなんだろうか。いやこの子の顔を見る限りきっと幸せなことなんだろう。多分。
「そっか……そうなんだね。君は、幸せななんだ」
「……しあわせ?うん!しあわせ!ヒナはとーってもしあわ----」
せ、とその子が言い切る前に、その子の身体が目の前で縦に真っ二つに別れる。
「--------------え?」
「……まったくもうなぁんでコイツがまだ生きてんのかなぁッ!!!!!とっくに死んだと思ってたのにさぁ???ふざけるなよ?本当に?お前なんか生きてる価値がないのにさぁ!!!???なぁ!!!!どうして!!どうしてだよ!!!なんでお前は消えないんだよ!!!?早く消えろ早く消えろ早く消えろ早く消えろ!!!消えろよ早く!!!!」
少しずつ、少しずつぐちゃぐちゃになっていく身体。溢れる紅い肉片、さっきまで喋っていた、声が、顔が、身体が、笑顔が、少しずつ、真っ赤に染まって、なくなっていく。ぐちゃぐちゃに、ぐちゃぐちゃに、壊れて。世界は紅く染まって、目の前の"人間"だったモノは、もうただの物言わぬ肉になったっていうのに。
「---------"ボク"?」
「どうして、どうして消えてくれないんだよ……お前なんかいらないのに、どうして、どうして、どうして……!!」
げほり、と血を吐きながら、真っ赤に充血した目もそのままに血色混じりの涙を流す"ボク"。身体は返り血なのか、自身の血なのか真っ赤に染まっている。もう完全に生きてはいないソレを、ただ"消す"ことに熱心になって、周りは目に入っていない。一刺しごとに彼自身の身体からも血が噴き出している。きっとそれすらも関係ないんだろう。
今の"彼"には。
(あぁ、意識が遠退いていく------------)
一際強い血の香りが鼻から頭に抜けていって、僕は目の前の光景から意識を手放した。
∮
「……入るぞ」
濃尾日向が寝ているという病室に着くと、そこでは社と海原蒼と濃尾日向によく似た白衣を着た細身の若い男が椅子に座って待っていた。個人病室だというのに随分と広いし、設備が整っている。俺が入ってきたと分かると、すぐさま白衣の男が立ち上がり俺に駆け寄る。
「あぁ!久し振りだねぇ、神並くん!……いや、それとも今は"馬場満月"くん、って呼んだ方がいいのかな?」
「…………」
「そんなに怒らないでくれよ?"こんな形でさえ"私は君に会うことが出来て大変嬉しく思っているのだからさ?」
そのまま無視を続けるが、白衣の男にとっては俺がなんと答えようと関係なかったようで男は何もなかったようでにこにこと笑って話を続けた。
「改めて自己紹介させて貰うよ。私は濃尾彩斗、この病院の精神科医で、自分で言うのもなんだが能力だけでいえば結構優秀な方の医者だ……まぁ、精神がまったく医者に向いてないと言われるけれど」
「…………」
「そして、そこで寝ているヒナくんの叔父でもある」
ちらりといまだ座っている海原蒼と社の方を見ると、海原蒼がまるで何にも考えていないようにただただ無機質にこちらを見つめていた。この男が何か言うまでは何をする気もないのだろう。以前会った時は猫のような気まぐれさを感じさせたが、今の彼女は一転変わって飼い主に忠実な番犬のような印象を抱かさせた。
(……社)
一方社の方は、終始黙っている俺を複雑そうな顔で見ていた。嬉しいのだけれど、悲しいような、そんな色んな感情がまぜこぜになったような表情だった。社のそんな顔を見るのが苦しくなって、俺は社から目を逸らした。
そんな俺の様子を見ていたのか、いないのか濃尾彩斗は急に真面目な顔になって話し始めた。
「私の見解では、ヒナくんの"コレ"は一時的なものだと判断する。少なくとも"中学の時"や、"あの時"のようにこの状態が数年続くとは考えられない。せいぜいあと二日、三日、もしかしたら明日には元に戻っている可能性だってある。……記憶の齟齬はあるかもしれないけどね」
「……甥っ子が"こんな風"になっているっていうのに随分余裕なんだな」
「君にはそう見えるんだね。……なら良かったよ、私まで冷静さを欠いてしまったら治るものも治らなくなってしまう」
そこまで話すと濃尾彩斗はふぅ、とため息を吐いて真面目な表情を崩した。そしてまたニコニコと笑ってこう言った。
「私から君に今言えることはこれだけだよ。今の君に何を言っても困らせてしまうだけだからね。…………さて、若い者同士で積もる話もあるだろう。……海原くん、行くよ」
「はい、先生」
がらりと病室の扉が開けられ、二人は出ていき、そして閉められた。病室内には俺と社と寝ている濃尾日向だけが残され、微妙な空気が流れる。
「…………」
「………白夜。元気だった?」
最初に口を開いたのは社だった。いつもそうだった。口下手な俺に社はいつもまっさきに話し掛けにきてくれた。変わらない。ずっと、変わらない。
「……って、今日の午前中に会ったばかりだったね。私ってば……うっかり、し、て…………うぅ……」
無理矢理明るく努めていた声が少しずつ、少しずつ涙混じりになり、言葉にもならない嗚咽になる。俺は上を向くことが出来なかった。上を見れば、彼女の泣き顔が見えてしまう。そうすれば俺は、俺は。
ふと、行き場も分からず濃尾日向の寝ているベッドの上に置かれていた掌に彼女の掌の温もりが重なった。
「……ご、め…………今だけでいいから、今だけでいいから…………このままでいさせて----------」
(--------あぁ。"また"俺は彼女にこんな顔をさせてしまうのか)
俺がもっと強ければ、もっと優秀であれば、もっと、もっと、もっと…………考えれば考える程にそんな後悔ばかりが集まっていく。
(あぁ…………)
どこから間違っていたのだろうか。オレの人生は。畏れ多くも彼女に恋心を抱いてしまったあの時だろうか。それとも彼女と出会ったあの時から?いやもしかしたらオレが生まれたこと自体何かの間違いだったのかもしれない。"オレ"がいなければ、誰も狂わなかった。兄さんも、セツナさんも、あんな風にならずに、済んだ。
あぁそれでも問わずにはいられない。
(ねぇ、オレはどうすれば彼女のこの手を握り返すことが出来たんでしょうか…………?)
オレは、失敗だらけの、この人生を、振り返ってみた。
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【文化祭後日譚】→【後の祭り】
どれだけ後悔したところで、終わったものはもう戻らない。取り返すことは出来ない。だけども未来は変えられるはずだ。それをしないのは君の意思。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.68 )
- 日時: 2018/08/31 12:08
- 名前: 羅知 (ID: WSDTsxV5)
第二馬【Dark Horse】
昔々あるところにとても仲の良い双子の兄弟がいました。兄の方は、とても優秀で何をやっても器用にこなしました。父親も母親も彼を誉めました。彼はまさに"天才"というべき人間でした。そして弟は兄のそんな姿を少し離れたところで見つめていました。弟は兄のことを尊敬しています。けれども近くで見ていたら自分が燃え尽きてしまいそうな--------そんな気がしたのです。
弟は決して出来損ないではありません。しかし弟が十の努力して達成することを一の力も使わずに達成する兄。彼らの差は歴然でした。弟はそれを分かっていました。だから、誰に誉められても、誰に貶されても、「オレが"出来損ない"だから、この人はオレに同情しているんだ」「オレが"出来損ない"だから、何を言われても仕方ないんだ」全て"それ"で済ませてきました。低い自意識は彼の精神を段々と蝕んでいきました。
彼は"出来損ない"ではありません。
ただ、どうしようもなく"弱かった"のです。
彼は焦がれていました。同じ顔をした天才的な兄に。
∮
弟のそんな感情も、葛藤も、全て兄は知っていました。知った上で彼は弟のその全てを愛していました。何でも出来る兄は、何でも出来る故に"出来ない"ことを知りませんでした。"出来ないこと"が分からない彼は、出来ない人の気持ちが分かりませんでした。人の気持ちが分からないことに彼は苦悩していました。どんな言葉を発しても、どんなことを人に対してやっても、全て上っ面なだけな気がしました。"人の気持ちを理解すること"は"出来ます"。だけどもそれは違うのだと彼は分かっていました。"理解する"ことは決して"思いやる"ことではないんだということに。
その点、彼の弟は、彼の模範でした。同じ顔をした弟が悩んだり、苦しんだりするとき、彼もまた悩んだり、苦しんだりしてるような気がしました。それは自分ではない自分を見てるようでした。弟がいれば、自分は"自分"になれるような気がしました。その思いが歪んでいるということにさえ、彼は気が付いていました。
彼は"狂って"なんかいません。
ただ、天才的に"強すぎた"だけなのです。
彼は"恋"焦がれていました。同じ顔をした自分とは違う弟に。
∮
彼らの思いはそっくりで、それでいて反対に向かっていました。その思いは決して交わらないはすでした。けれども運命の神様は残酷だったのです。
∮
「ねぇ、あなたのなまえは?」
「…………ゆ、ゆき」
「そ!!あなたユキっていうんだね!!よろしくね、ユキ"ちゃん"」
確か、最初はそんな感じだった。
オレこと神並白夜は彼女こと愛鹿社に初めまともに名前を告げることすら出来なかった。四歳の時に急に隣に越してきたたんぽぽみたいな笑顔の可愛い女の子。だけと口がまわらないのも仕方ない。恥ずかしながら父さんと母さんと兄さんとしか話してなかった当時のオレにとって、彼女はあまりに刺激が強すぎた。
「……えと、ユキ、"ちゃん"、っていうのは、なんなの……?えっと……」
「わたしはめぐかやしろだよ。ね?よんでみて」
「や、やしろちゃ…………?」
「うん!やしろだよ。ユキちゃん!!」
彼女のペースに乗せられて、ただ言葉をこぼしているだけ。名前を訂正することすら出来やしない。あとから知ったことだけれど、彼女はこのときオレのことを女の子だと思っていたらしい。彼女より身体も小さく、兄との差別化の為に長ったらしく伸ばされた髪。確かにこれで男の子だと分かるほうが凄いだろう。当時は声変わりもしてなくて、性格も大人しかったオレのことを両親はそこらの女の子よりも女の子だとよく笑っていた。だけどもオレにとって、それは決して笑いごとじゃなかった。
『おとこおんな』『みずきくんのきんぎょのふん』『おなじかおのくせにつまらないやつ』…………保育園に行くと意地悪そうにオレにそう言ってくる連中。覚えてるだけでも、これだけのことを言われた。顔は覚えてない。ずっと下を向いて黙っていたからだ。何も言えず唇を噛みしめて。
(どうして、オレは……)
男としてのプライドがなかったわけではなかった。そういう風に言われることが嫌じゃない訳がなかった。だけどもそれを言い返すことが出来るほどオレは強くない。黙って耐えることだけがオレの最大の抵抗だった。そんな自分が不甲斐なくて不甲斐なくて涙が出そうになることもあったけれど、泣いたらそれこそ女の子のようだから。そう自分に言い聞かせて我慢した。
∮
ある日のことだった。
いつものように悪口を言われて、耐えていたときのことだ。耳に嫌でも聞こえてくる雑音。いつものことだ。そう思って耐え続ける。耐え続ける…………音が、聞こえない。代わりにどさりという誰かが倒れたような音が聞こえる。驚いて顔を上げるとそこには股関節を押さえて悶えている苛めっ子と、こちらに背を向けて立っている彼女がいた。
「……やしろちゃ 」
「ゆきや。きにすることないからね。こんなめめしいやつらゆきやよりもよっぽどかおとこらしくないよ。つぶされてとうぜんなんだから」
「………」
「……ねぇどうしていってくれなかったの?わたしは、ゆきやの、おともだちでしょ?ちが……うのぉ……?……ひっく……」
振り返った彼女は泣いていた。可愛い顔をぐちゃぐちゃにして泣いていた。なんで彼女がオレのためにこんなに泣いてくれるのか分からなかった。けれどもオレが彼女を泣かせてしまった、その事実と後悔の念は痛い程にオレの胸に突き刺さった。
「あ、あ…………」
オレは何も言うことが出来ずに、その場から逃げた。悪口を言われてるときよりも、笑われているときよりも、女の子のようだと言われたときよりも、何よりも、何よりも。
今の自分の姿を一番不甲斐なく感じた。
「うっ……うう……」
せめて彼女にあんな顔させないくらいには、強く、男らしくなりたいと。いや、"なる"のだと。これを最後の涙と決めて、まだ薄暗くてちっとも辿り着くことの出来なさそうな未来へとオレは最初の一歩を踏み込んだ。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.69 )
- 日時: 2017/11/12 20:04
- 名前: 羅知 (ID: m.v883sb)
∮
「……パパのかいしゃがとうさんした?」
帰って来たと思ったら青ざめた(顔でそう言った母の言葉におれ--------中嶋観鈴は開いた口が塞がらなかった。おれの父は、自分で言うのもなんだが結構大きな会社の社長だった。生まれてから苦労したことなど一つもなく、これからもきっとないだろうと思っていたその時、その一言は告げられた。父さんの会社が倒産した、なんてシャレにもならない経験を齢五歳で体験したのだ。その場で倒れなかっただけ誉めてほしい。何故倒産してしまったのかなんて細かいことは、まだ幼いおれに理解することは出来なかったが、一応は赤ん坊の頃から子役として芸能活動をしていた身だ。倒産の意味は勿論のこと、それによっておれにこれから降りかかってくるだろう災難を想像することは簡単なことだった。
小さな頭を全力で使い、おれはこれからの身の振り方を考える。
(……かりんは、もう、しごとを続けられない……じゃあ、かりんは、かりんは……)
父の会社はどうやら莫大な借金を背負って倒産したらしい。子役とはいっても、まだ全然人気でもなんでもないおれの稼げる給料なんて、たかが知れている。状況から見て、おれが芸能活動をこのまま続けることは不可能に等しかった。
親に無理やり始めさせられた芸能活動だったが、それでも最近は少しだけ、ほんの少しだけやりがいを感じていた。楽しいと思えることが増えてきていた。当たり前になりかけていた"ソレ"がなくなってしまう。その事実はおれの胸に大きな穴をぽっかりと開けさせた。
その夜、おれは一人ベッドの中で声を押し殺して泣いた。きっと明日の朝、顔が腫れて大変なことになってしまうだろう。顔は子役にとって大切な商売道具だ。……でももう別にいい。どうせ止めてしまう職業なのだから。
∮
「観鈴、今日はちょっと気分転換にお出掛けしましょうか」
父の会社の倒産を告げられてから数日が経ったある日、母は急にそう言った。家にあった家具は着々と売り払われていき、元から広かった部屋はもっと広くなった。このままではきっとおれの住んでるこの家も売り払われてしまうだろう。事態は何も好転していない、むしろ悪化していく一方だった。
だというのに断固としておれをその"お出掛け"とやらに連れてこうとする母。あの日から母はストレスで随分やつれてしまった。いつも化粧をしていて綺麗だった母が、あの日から別人のようになってしまった。化粧もせずに毎日毎日ぼぉっと窓の外を見るばかり。そんな母の姿を見ることは、娘のおれにとっても結構な精神的ダメージだった。そんな母が今日は以前のように綺麗に化粧をして、まだ売り払われていなかった服で着飾って、おれに出掛けようと言っている。
(…………)
それで母の気が少しでも晴れるのなら、そう思っておれは母の"お出掛け"についていくことを決めた。
もし、もしもおれが母の"お出掛け"についていってなかったら、"彼女"に出会うことはなかっただろう。
きっとおれはそのままろくでもない人生を送ることになっていただろうし、こうして芸能活動を続けてアイドルをやることなんて出来なかったはずだ。
母の気分転換にと向かったその場所で、おれは転機を向かえることになったのだ。
∮
母が連れてきた場所はどこかの劇場だった。こんな所に行ける余裕は今の我が家にはないはずだ。そう思って慌てて母にその旨を伝えると母はくすりと笑って、こう答えた。
「大丈夫。今日ここで劇をしてくれる劇団の団長さんはママの古いお友達だから」
「……つまり?」
「今日ママはその人に"ぜひ見に来てください"ってお呼ばれしたの。だからお金のことは心配しなくていいのよ」
それを聞いて安心する。程なくして劇が始まった。劇が演られている間、おれは時間を忘れて劇に見入っていた。目の前で声が響き、物語が進む。ドラマなんかよりもリアルに全てがおれの中に流れ込んでくる。束の間の休息をおれは十二分に楽しんだ。
「よく来たね、小百合。私達の劇は楽しんでくれたかな?」
「えぇ勿論。とても素晴らしい劇だったわ……」
劇が終わると、おれと母は舞台裏へ向かった。舞台裏では母の友人だという女性がにこやかに出迎えてくれた。凛とした雰囲気を持った美しい女性だった。古い友人だといっていたけれど、時間を感じさせないくらいに仲睦まじい様子で母とその人は喋っていた。彼女と話している母はとても楽しそうだった。母の邪魔をしてはいけない、そう思ったおれはその場を離れた。
∮
だからといって好き勝手動き回る訳にもいかないので、おれは案内された控え室で待っていることになった。置かれたお菓子をぱりぱりと食べていたけれど、どれも味が濃くて、おれ好みじゃなくすぐに飽きてしまった。
(ひま、だなぁ……)
「あなたひまそうだね!!」
「!?」
「ね、ひまならわたしといっしょにあそぼ?」
突然真横から聞こえる元気な声に、驚いて声も出せずにおれはびくりと震えた。声の持ち主はおれと同年代くらいの可愛い女の子だった。よく見るとその子は今日見た劇で子役として出ていた子だった。確か名前は……
「やしろだよ!!」
「…………え?」
「だからわたしのなまえ!!ねぇ、あなたのなまえもおしえてよ!!」
……本当に元気な子だ。その勢いにこちらが飲み込まれてしまいそうになる。にこにこと笑っているその子を見てるとなんだかこちらまで楽しい気分になりそうだった。
友達になれたらいいな、そう思っておれはゆっくりと彼女に名前を告げた。
「かりん。なかじまかりんだよ」
それが、おれと社の出会いだった。
∮
「……へぇ!!じゃあかりんは子役をやってるんだね!ドラマとかにもでるんでしょ?すごーい!!」
「すごくないよ。かりんのやくは友人Aとかのちょいやくだもん。やしろのほうがげきにもあんなめだつやくで、あんなどうどうとやってて、すごいよ」
同年代だったからか、おれと社はすぐに仲良くなった。出会って数分経つ頃には、まるで昔からの友達のようにお互いの名前を呼んで笑い合った。遊びだけじゃなく、一緒に歌ったり、踊ったり……とても楽しい時間を過ごした。さっきまであまり美味しくないと思ったいたあのお菓子も社と食べると美味しく感じた。
「…………それに、かりんはもう、子役やめちゃうから」
「ど、どうして!?だってかりん子役たのしいんでしょ?どうしてやめちゃうの?」
「…………かりんのパパのね。会社がたいへんなんだって。だからもうかりんが子役をつづけれるよゆうがかりんのおうちにはないの」
「そうなんだ…………」
おれのその言葉を聞いて、社は瞬く間に萎れてしまった。よっぽどショックだったようだ。その様子を見て、おれは急いで話を変えた。彼女の悲しそうな顔なんて見たくなかった。
「い、いいんだよ。もともとかりんにこやくなんかむいてなかったんだからさ!……それよりさ!もっとやしろのはなしきかせてよ!この劇団ってやしろのほかにやしろとおなじくらいの子役はいないの?」
焦っておれがそう言うと社は悲しそうなだった顔をぱぁっと輝かせて話し始めた。社がまた笑ってくれたので、おれは喜んでその話を聞いた。
「えっとね!えっとね!こんかいの劇にはでてないんだけど……ゆきや、っていうこがいるの!わたしがこの劇団にはいってるっていったらにねんまえにはいってきてくれたんだ!それからずーっといっしょ!わたしのいちばんのなかよしのおともだち!」
「…………おとこの、こ?」
「?……そうだけど、どうかした?」
「……………………ううん、なんでもない」
何故だか胸がずきりと痛んだが、理由は分からなかった。ただ漠然とその"ゆきや"という"おとこのこ"に対して負けたくないという対抗心が生まれた。
おれがその胸の痛みの意味を知るのはこれよりもう少しあとのことである。
しばらく経って、母が迎えにきた。彼女は寂しそうにしていたが、最後に笑顔でおれにこう言った。
「えっと、ね……わたし、かりんはアイドルが似合うと思うなぁ……」
「アイ、ドル?」
「子役のかりんもとってもステキだとおもうけど、かりんうたがとってもじょうずだし、とってもかわいいから」
「…………」
「……なんてね!!かりん、またあおうね!!」
出会った時と同じように彼女は元気にそう別れの言葉を言った。
まさか、その数日後にまた会うことになるなんて思いもしなかった。
∮
「こんにちは、中嶋観鈴ちゃん。先日はうちの劇を見に来てくれてありがとう。娘とも遊んでくれたみたいでとっても嬉しいよ」
「……は、はい」
「いやぁ、小百合の娘だけあって本当にべっぴんさんだねぇ!まぁうちの娘の方が可愛いんだけど!こういうのが親バカっていうのかな?」
数日後おれは、またあの劇場の舞台裏の控え室に呼び出された。呼び出された先には母の友達だとかいうあの綺麗な女性が待っていた。父と母は事前に話を聞いていたらしく、部屋の外で待っており、おれ一人で入ることになった。入る時、母も父もやけにニコニコと機嫌がよくて気持ち悪かった。
「実は社はうちの娘なんだ」
「は、はい…………って、えぇ!?」
「やっぱり気が付いてなかったんだねぇ。我ながら私とよく似た娘だと思うんだが」
言われてみれば確かに似ている。凛とした顔立ちや、話の勢いが凄いところとか。特に後者が。
それにしても驚いた。まさか団長さんの娘だったなんて。確かにやけに演技が上手いと思ったけれど。
「それでね。観鈴ちゃん、ここで君に提案なんだけど」
「…………な、なんですか?」
「君、私の事務所で子役として働かない?」
(…………)
「ええええええええぇぇぇぇぇぇ!!!??」
父の会社が倒産したということ聞いた以上の衝撃がおれに走った。どうして、どうして、そういうことになるわだろう。理解、できない。五歳の、陳腐な脳ミソでは、到底。
「……いやぁ小百合も言ってくれれば喜んで手伝ってあげたのにねぇ」
「……え、えっと、どういうことですか」
「ん?分からなかったかい?つまり私の芸能事務所の子役として働かないかい?ということだよ。前より良い仕事を斡旋できる自信はあるし、給料も前いた事務所の倍は渡すつもりだ」
「…………そ、そういうことではなく、どうして、そんなはなしに」
おれが聞くと彼女はそういうことかい?と納得したように頷いて、おれに説明した。
「まずね。あの日社の話を聞いて私は君の家が大変なことになってると知った。私はなんとしてでも協力したいと思ったよ。なにせ旧友の為だ。……だけど、小百合に連絡すると、そんな一方的に援助してもらうのは嫌だといってね」
「…………」
「私は考えた。そしたら聞くところ君は子役を続けたいと考えているらしいじゃないか。……だから私は彼女にこう言ったんだ。"じゃあ私の会社に君の娘に働いて貰う代わりっていうのはどうかな?"ってね」
「かりんが、はたらく、かわりに……」
「小百合は迷っていたが、娘がOKを出したなら、という条件で了承した。勿論君が嫌なら全然働かなくてもいいんだ。方法は一つじゃない、結局は何らかの方法で君のお家を助けるつもりで私はいる」
「…………」
「……どうかな?」
「やらせてください」
考える必要はなかった。おれにとってその提案は願ったり叶ったりだった。子役を続けていられる。両親の手助けが出来る。それに……事務所の社長が社の母さんなら、社に会える回数も自然に増える。
「……決まりだね」
おれの言葉ににやりと笑って、社のお母さんは……いや、社長はそう言った。そして最後にこんなことをおれに聞いた。だけどもそれはおれにとって考える必要のない質問だった。
「……さて、最後に。事務所の社長として君に今後の方針を聞かせて貰おうかな。簡単に言えば"将来の夢"だ。君はどのような方面に進みたいと思ってる?」
おれは笑顔で答えた。
「アイドルに、なりたいとおもっています」
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.70 )
- 日時: 2017/12/03 16:13
- 名前: 羅知 (ID: tJb4UNLc)
∮
「ねぇねぇゆきや、あしたはえんそくだって!!たのしみだねぇ!!」
「……で、でもやまのぼりなんだよね?おれのぼれないかも……」
明日は遠足。どうやら近くの山へ山登りに行くらしい。彼女は絶対に頂上へ登ると息巻いていたが、オレは不安だった。
彼女を泣かせてしまったあの日から二年が経った。社が劇団に入ってることを知ったオレは一年前劇団に入団した。社ともっと仲良くなりたいという理由もあったけれど、一番大きな理由はオレ自身が劇で繰り広げられる演技に魅了されたからだ。一度ステージに上がれば、一瞬で役者は別人に変わる。舞台裏では大人しそうそうだった人が舞台の上では堂々とした演技で多くの人々を虜にする。初めて社に誘われて、その劇を見た瞬間から心は決まっていた。オレもこんな風になりたい、そう思った。
父と母に許可を貰って、オレはすぐさま劇団に入団した。兄の満月も誘ったけれど、俺は遠慮しとくよ、と言って兄はオレの誘いを断った。オレよりも優秀で華やかな兄ならきっと素晴らしい演技を見せてくれると思っていたので断られた時少しがっかりしたが、それでもオレの決意は変わらず一人で入団した。兄はそんなオレを見て、寂しげな様子だった。
劇団には社の双子のお姉さんも所属していた。社と顔はそっくりだったけれど、同い年なはずなのに彼女は随分大人っぽくてオレは緊張してしまった。そんなオレにも社のお姉さんはにこやかに話しかけてくれた。品のある年に似合わない妖艶な笑顔だった。
「こんにちは、ワタシはセツナ。あなたはお隣さんの白夜くんね。みずきとちがって、こいぬみたいでとってもかわいい……」
「……え、あ、あにをしってるんですか!?」
「えぇ、知ってるわ。あなたが社と仲良くしてる間、ワタシはあなたのお兄さんと仲良くしてたんだもの。ワタシと満月はとっても"なかよし"。あなたと社みたいにね」
後から話を聞くと、セツナさんは兄と同じ私立の幼稚園に通っていたらしい。優秀な兄はその才能をより伸ばすべくオレの通っている普通の保育園ではなく私立の幼稚園に通っていた。父と母は本当はオレもその幼稚園に入れたかったらしいが、不出来なオレはその入園試験に落ちてしまった。つくづく自分のふがいなさに泣きたくなる。しかし社は何故その私立の幼稚園に入らなかったのだろう?社はオレと違い頭の回転が早く優秀だ。社の実力なら、きっと私立幼稚園に入園できたはずだ。オレがそう聞くと、社はあっけらかんとこう答えた。
「だって、そこにはゆきやがいないもん!」
真っ直ぐな目でそう言われて、オレは思わず照れてしまった。他意はないと分かっていても面と向かってそう言われるとかなり恥ずかしい。オレはしばらく社の顔を直視することが出来なかった。
「………………それに、セツナとおなじようちえんにはいきたくなかったから」
ぼそりと社が何か言ったようだが、オレにはなんといったかまでは聞き取れなかった。しかしなんだか表情が暗い。どうしたの…?と聞くと、社は慌てたようにまた笑顔に戻ってなんでもないと答えた。まだ何か隠してるように思えたが、答えたくないのなら無理に聞かなくてもいいだろう。そう思ったオレはその話をそこで終了した。
だけどこうして姉妹二人で揃っている姿を見て、オレは今更あの時社が言った言葉の意味に気が付いた。
(…………)
あの明るくて元気で優しい、そしていつも笑顔な社がすごく不機嫌そうに顔を歪ませて黙っている。オレがセツナさんと言葉を一言交わす度に、その機嫌の悪さは段々と増していっているように見える。これは、もしかしてだけど。
(やしろはセツナさんのことがきらいなのかな……)
そして話しているセツナさんの表情を見る限り、どうやらそのことにセツナさんは気付いてるようだった。気付いた上で、セツナさんはいっそう楽しそうに、美しく、笑う。
(…………)
この時の経験が怖かったので、オレは社のいる場所ではセツナさんと喋ることは最低限になるようになった。
それと同時にこんな頭の良さそうな人と対等に話せる兄はやっぱり凄いのだと兄の偉大さを再確認した。
∮
遠足当日。山まではバスで行くらしい。バスでゆらゆらと揺らされながらオレはやっぱり不安だった。色んな不安が一つ、また一つと浮かんで息が詰まってしまいそうだった。
そんなオレを見て、社が怪訝な顔で聞く。
「?……ねぇ、ゆきやきいてる?」
「う、うん。もちろんきいてるよ……」
怖かった。今日の山登りがオレはとても怖かった。
劇団に入って、二年が経ったけれどオレは全く変われた感じがしない。社はこの二年の間で何度も公演に出た。オレはその間、舞台裏のスタッフの仕事ばかり。勿論スタッフの仕事だって良い劇を作り出す為の大事な仕事だ。そのことは理解している。だけど、だけど。
(……あぁ)
同じ練習をしているのに。同じくらい演劇が大好きなのに。オレと彼女の立っている位置はこんなにも違う。才能の違いを再認識させられる。きっと出来損ないのオレは人と同じ努力じゃダメなのだ。人の十倍。百倍。千倍は努力しなきゃ。
(でもそれでもダメだったら?)
もっと、もっと、もっともっともっともっともっと。……どれだけ頑張ればいいのだろう。どれだけ頑張ればオレは彼女に、兄さんに追い付けるのだろうか。頑張っても追い付けなかったらどうしよう。そんな不安ばかりが頭をもたげる。こんなことばかり考えているから、オレは駄目なのだ。あぁ自分が嫌いだ。こんなオレじゃいつか社から嫌われてしまう。もう嫌いだ、なんて言われて見捨てられてしまったらオレの心はきっとバラバラになってしまうだろう。怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
そんな不安が顔に出てたのか、声に出てたのか。ふと心地よい暖かさが身体を包む。社がオレを抱き締めていた。まるで母が幼子を慈しむかのような優しさで、社はオレを抱き締めながら小さな声で呟く。
「だいじょうぶ。ぜったいにだいじょうぶ。ずっといっしょにいるよ…… 」
オレが驚いて社の方を見ると、社はいつも通りの元気な笑顔でオレの顔を見て、笑った。
「--------だから、だいじょーぶだよ!!やまのぼり!!わたしおいてかないから!!」
(……そっちのことか)
考えていたことが深刻だっただけに、社のその何も考えていないような発言に拍子抜けして、オレはなんだか自分の悩みがどうでもよくなってしまって社と同じように笑った。
∮
「や、やしろちゃ……まって、はやいよ……」
「……えー?けっこうゆっくりあるいてるんだけどなぁ……」
目的地に着くとオレ達以外の子供達まるでお菓子にたかる蟻ん子のようにわらわらとバスから降りた。四方八方に散っていく子供達を捕まえるのに先生方は苦労しているようだった。その様子を見ていたオレと社は事態が落ち着いてから、ゆっくりとバスから降りた。先生からは「あなた達は手が掛からなくていいわぁ」と誉められた。待っていただけで誉められたので、オレは嬉しかった。オレが嬉しそうなのを見て、社も楽しそうにに笑っていた。それを見て、オレはもっと嬉しくなった。
「は、はやいよ……やしろちゃん……」
山に着くと社は驚くほど身軽な様子でどんどん山の上へと上っていった。それこそ先生の制止の声が入るほどに。一方の社は気分が高揚して声が聞こえなくなってるのか、先生の声を振り切ってずんずんと上へ登っていく。唯一オレの声は聞こえてるらしく、返事はしてくれるが足を止める気はないらしい。
(おいてかない、っていったのはだれだよもう…………)
どんどん先に進んでしまう社を止める為にオレも随分上の方まで進んでしまった。自分の行った道を見返してみると先生達がとても小さくみえてオレは驚いた。どうやらオレ達のスピードに追い付ける人はいなかったらしい。子供の無尽蔵の体力のおかげもあると思うが、劇団で過ごしてきた二年間でオレは随分鍛えられていたらしかった。思いがけず自分の成長を実感して喜んだのも束の間。
(は………いまはそんなばあいじゃなかったんだった!)
自分の置かれていた現状を思い出す。
そうだ。オレは早く彼女に追い付いて彼女を止めなければならない。そう思って前を確認すると彼女は五メートル程先のところで立ち止まって何かを見つめていた。
「やしろちゃん…………?」
「あ!ゆきやもおいついたんだね!ね、わたしとってもいいものみつけちゃった!ゆきやもいっしょにみようよ!」
そう言って社は一点に向かって指を指す。そこには一面に広がる大パノラマ-------------もといオレ達の住んでる町があった。どれもこれもがまるで玩具のように小さくちっぽけに見える。すごい、そう思わず口を溢したオレを見て社は何故か自慢気ににししと笑った。なんでやしろちゃんがいばってるの、と彼女に聞くと
「だってゆきやしたとかうえばっかりきにしててぜーんぜんまわりみてないんだもん!わたしがいわなかったらこのけしきゆきやみてなかったでしょ?だからわたしのおかげ!」
とのことだった。彼女のそんな言葉に納得してしまっている自分がいた。こんなにも世界は広く美しいのに、オレは自分の手元しか見れていなかったのだ。考えることは他人と自分を比べるばかり。彼女の言う通り、オレは焦りすぎていて、こうして景色を見ることすら出来ていなかった。
下を見下ろしながら、思う。
オレはこの広い世界のちっぽけな一つで、他人と比べることに大した意味はない。ならば、ならば"意味のあること"とはなんなのだろう。考える。考えて、考えて------------ふと、横ににこにこしながら立っている彼女を見た。彼女の笑顔が、姿が、全てが、きらきらと輝いて見える。
……あぁ、そうか、そうだったのか。大切なものは、オレにとって何よりも意味を与えてくれる人はここにいたじゃないか。それに気付いた瞬間、オレは隣にいる彼女のことをとてつもなく愛しく感じた。
"彼女の笑顔を守れるような男になること"----それがオレの"意味"。オレの、生きる、意味。強くなりたいと、そう自覚して、一層強くそう願ったのは確かにそれが始まりだった。
∮
「あ!もっとうえまでのぼったら、きれいなのもっとたくさんみれるのかな?」
「え?」
「じゃあ、ゆきやわたしもっとうえまでのぼるからおいついてきてね!いくよー!!」
そう言い終わるや否や社はまた猛スピードで上へと走っていってしまった。オレとしてはまだここら辺でゆっくり休んでいたいところなのだが、彼女の体力は無尽蔵らしくまだまだ元気そうだ。ここまで追いかけてきたんだ、嫌が応でも着いていってやる。そう思って重たい足を一歩、また一歩と踏み出す。オレがゆっくりと一歩ずつ踏み締めて歩いてる間にも彼女はすたすたと前へ進んでいく。このままじゃ置いてかれてしまう。無理矢理歩くスピードを早くするけれど、まだまだオレと彼女の間は大きい。彼女の表情はまだ余裕そうだった。悔しい。彼女に全然追い付くことすら出来ない不甲斐ない自分に舌打ちする。そんな自分に対する怒りをエネルギーにもっと、より早く、より前に、進もうと走る。足の痛みは関係なかった。もう意地だけでオレは前に進んだ。
その甲斐があったのか、彼女とオレの間は随分小さくなり----------一メートル程になった。
(あぁ、やっと追い付けるんだ-------------)
そう思って、彼女の背中に手を伸ばそうとした瞬間。彼女の身体がぐらりと下へと消えた。宙へ浮き、暗い木々の生い茂る暗闇に消えていく彼女。何が起こったのかも分からないまま、落ちていく彼女の目は確かにオレを見つめていた。
考える暇はなかった。それに、考える必要もなかった。
地を深く踏み締めて高く飛ぶ--------彼女の落ちていく方向へ。そして手を伸ばし、オレはぐっと彼女の身体を引き寄せて抱き締める。服で隠れていなかった肌の部分に鋭い枝が傷を付け、オレに鈍い痛みを与えていく。これでいい。傷付くのはオレでいい。彼女の身体に傷が付かないように、彼女を包み込むようにしてより強く抱き締める。
共に落ちていく中、彼女の胸の音とオレの胸の音がばくばくと重なりあって聞こえた。
∮
「……ん」
「ゆ、ゆきやおきた!?よかった!いきてた!しんじゃってたらどうしようかとおもったよぉ……うわぁん!!!!」
落ちた衝撃でオレは気を失っていたらしい。目を開けると目の前に涙や鼻水で顔がぐちゃぐちゃになっている彼女がごめんねごめんねと叫びながら泣いていた。社ちゃんのせいじゃないよそう言って、泣いてる彼女を慰めよう思い頭に手を伸ばす。頭を撫でてあげようと思ったのだ。しかし動こうとすると途端に身体に激痛が走った。
「……っ!」
「い、いたい?いたいよね?だってゆきやのからだきずだらけだもん!……ぜんぶぜんぶわたしのせい……わたしがじぶんかってにうごいて、しかもあしをふみはずしちゃったから……!」
「だ、だいじょう、ぶだよ……やしろちゃん……」
本当は大丈夫じゃなかった。動こうとするだけで身体の内側から鋭い痛みが襲ってくる。多分骨が折れてるんだろう。あとこれは落ちていく時に出来た傷なのだろうか。ほとんどが掠り傷なのだけれど、幾つか深く切れている傷があって、そこから血がだらだらと流れている。最早そこは痛みが麻痺してしまって熱く感じるだけでむしろ擦り傷の方が痛く感じるくらいなのだけれど身体の中から血が抜けていったせいで、気を抜くと意識が飛びそうだった。
全身が、身体の内側が、外側が、泣きそうなくらい痛い。オレはこのまま死んでしまうのかもしれない。そう考えると不安で不安でたまらなかった。だけどオレがそれを出してしまうと、きっと彼女はまた泣いてしまうだろう。だから泣かない。不安も出さない。いつもの彼女のように--------笑い慣れていなくて変な顔になってしまったけれど--------不器用に笑う。
「とびこん、だのはオレのいしだよ……やしろちゃん。……オレが、やしろちゃんを、まもりたくて、かってにとびこ、んだんだ……よわいくせに、かっこつけてね」
「ちがうよ!ゆきやはわたしをまもって……わたしをまもったからそんなおおけがに……!」
「……そんな、かおしないで、やしろちゃん。やしろちゃんがかなしいと、オレもかなしいよ……どんどん、さきに、すすんでくれる、やしろちゃんがいるから……オレも、まえにすすめるんだ……やしろちゃんが、いないと、オレはうごくことも、できなかった、から……」
そう声を掛けても、彼女はもう返事も出来ずにただ泣き続けていることしか出来なくなっていた。駄目だな、オレは。大切な女の子一人、笑わせることすらできやしない。あまりの不甲斐なさに笑いたくなったが、とうとう口すらまともに動かすだけの力もなくなってきた。眠い。とても眠い。瞼が重く感じる。オレが目を閉じたのを見たせいなのだろう、彼女はもっと大きな声で泣き始めた。ごめんね、ごめんねという懺悔が泣き声と共にこの暗くて広い森の中に響き渡る。
薄れゆく意識の中で、オレ達を探す大人達の声が微かに聞こえた。
∮
白い病室で楽しげな子供の声が聞こえる。 ベッドの上でにこにこと笑う子供はまだ幼く穢れを感じさせない。まるでこの白い部屋のように。真っ白な綺麗な魂を持つその子はまるで天使のようだった。子供の座るベッドの傍らで、白髪の十幾ばくかの少年は無表情で立っていた。少年の目はまるでこの世の闇を全て見てきたかのように暗く、悲壮感に満ち満ちていた。少年は己を穢れたものだと思っていた。だから幸せでなくとも、喜びを感じなくとも仕方のないことなのだと考えていた。
この子供に会うまでは。
「しらぼしにぃ、あそぼーよ!はやく!」
『そうだね。なにしてあそぶ?』
口に付けた黒いマスクを外さないまま少年は、子供の言葉に答えた。正しくは答えてはいない。彼は口を開いてなどいないのだから。子供用の落書き帳に素早く子供が分かるように平仮名で文字を書き、彼はその子供と意志疎通を図っていた。子供に対する時だけではない。彼はいついかなる時も自分の口で話すことはしなかった。話すことが出来ない訳ではなかったけれど、自分が話すことで相手が穢れてしまったら-----------そう思うと話すことは出来なかった。
さぁ遊ぼうとしたその時、がらりと扉が開く。入ってきたのは、黒い髪に黒い目を持った自分より幾つか年上の色んな意味での"先輩"-------黒曜だった。自分と同類の筈なのに、今までの苦労や過去の重みを感じさせないその態度に少年は尊敬の念を覚えていた。そしてほんの少しの嫉妬も。
「…お。ヒナ、白星くんに遊んで貰ってるの?羨ましいね。僕も白星くんと遊びたいなぁ、入れて貰ってもいい?」
「いーよ!こくよーさん!……しらぼしにぃもいーよね?」
『……ぼくは、べつに』
少年のそっけない態度に黒曜は苦笑していたが、いつも通りのことなのでそのまま遊びを続行した。どうせこの変にお人好しの先輩のことだろうから、きっと自分が"ヒナ"と遊んでいると聞いてわざわざやって来たのだろう。よく一人でいる自分の為に。
(本当は何も思ってないくせに)
(本当はあの"女の子"のことしか大切じゃないくせに。僕たちと仲良くしてるのだって全てはあの"女の子"の為なんでしょう。嘘つき)
少年は黒曜のことを尊敬はしている。しかし尊敬しているだけだ。好きなんかじゃない。この男は凄い嘘つきだ。心の中ではいつだってあの黄花とかいう女の子のことを考えている癖に、それでいて僕たちのことを心配している素振りをしている。複雑な心情を持った人間は苦手だ。色んな感情が頭の中にぐるぐると入り込んで、暴れまわって収拾がつかなくなる。
(それに比べて、ヒナの心の純粋で"真っ白"なこと)
この子供の心はいつだって希望と光で満ちている。闇なんかはね除けるくらい光っていて真っ白だ。少年はこの子供が大好きだった。この子供と一緒にいれば、自分も浄化されるような気がした。
「……?どうしたのしらぼしにぃ」
『なんでもないよ』
この子供が自分のことだけを"にぃ"と兄の敬称で呼んでくれることが、自分だけが特別のような気がして少年は好きだった。大好きな君がどうかいつまでも"純白"でありますように。心の中でそう願う。
そんな少年の目は、暗い絶望に満ちた黒の中にほんの少しの光があった。まるで夜空で光る星のように。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.71 )
- 日時: 2017/12/03 17:35
- 名前: 羅知 (ID: tJb4UNLc)
∮
「やぁ」
「……あら、ごきげんよう」
病院の待合室の隅の方の席にちょこんと座る少年--------神並白夜の双子の兄、神並満月はそこに悠然とやって来た少女--------愛鹿社の双子の姉、愛鹿雪那を見て、一分の隙もないような笑顔でそう挨拶した。それに劣らず美しい笑顔で優雅に会釈を返す雪那。目線が合ってほんの一瞬だけ二人の顔から笑顔が消える。幼い彼らには似つかわしくない重苦しい空気。けれどもそれはやっぱり一瞬のことで、お互いの目線が外れる頃には彼らの笑顔はもう戻っていた。
幼くして彼と彼女の間には何とも言えない関係が出来上がっていた。彼と彼女以外は誰も知らない、お互いに対する名前の付けられない感情。それは俗にいう愛とか恋とかいうものではなくて、憎しみや嫌悪といったものと違うものだ。強いていうならそれらの感情全てが入り交じったもので、そしてそれらでは絶対にないもの 。彼らは悟っていた。きっとこの感情に名前を付けることは一生出来ないのだろうと。でも別にそれでいいと思った。名前に大した意味なんてないのだし、つるみたいからつるんでいる。それでいいんだと。
彼と彼女はそんな風にお互いの結論づけていて、子供にしては達観しすぎたそんな彼らの思考は世間一般と比べてあまりに異質だった。
「白夜くんのこと、ごめんなさいね。うちの不肖の愚妹がめいわくかけたみたいで」
満月の横にするりと座った彼女は開口一番に横にいる彼にそう言った。彼女としては一応本当に申し訳ない気持ちも込めて放った言葉だったのだが、それが分かっているのかいないのか、彼は彼女の言葉に先程と変わらない笑顔のまま極めて明るい調子で答えた。
「おいおい。仮にも同じ腹から生まれた双子の妹のことをそんなふうに言うのはどうかと思うぞ?……まぁ、白夜のことは気にしなくていいさ。そうすると決めたのは白夜だし、俺がそれに口出しなんか出来るはずがないからな。それに」
「…………それに?」
「正直こんな風になって"嬉しい"って思ってる自分がいるんだ。だって"人の為に自分が犠牲になる"なんて"愚かなこと"、俺には出来ないからな……あぁ、やっぱり俺の弟は最高だな!」
「……相変わらずあなたってとっても気持ち悪いわ。吐き気がしそう」
彼女がそう毒を吐き捨てるかのように言った言葉にも彼は褒め言葉だな!と言って快活そうに笑った。心底からそう思ってるようだった。きっとこの男のことだから弟が入院することについても、大勢の人の目に触れない場所で俺の愛すべき弟を閉じ込めておけるなんて、なんて素晴らしいんだろう。とか考えているのだろう。そしてそれは大変残念なことに事実だった。
「そういえば白夜くん、どのくらい入院することになったの?」
「二ヶ月だ。何ヵ所か骨折してたり、深く切り傷があったりとか………まぁ骨はくっつかなかったら、俺がずっと世話するからそれはそれで俺はいいんだがな」
「…………はぁ。もう面倒だからツッコまないわ。うちの妹は一ヶ月。怪我自体は大したことないんだけど精神ケアがどうにかって……」
もっともあの妹に限って精神を病むことはないだろうということは分かりきっていた。自分に対しては態度の悪い妹だけれど、ことさらに前向きなあの子がこんなことくらいで心が折れるはずがない。一ヶ月という長い期間を取ったのはどちらかというと白夜くんの為だ。一人で病院にいるなんて心細いだろうし、あの子なら白夜くんに構いまくってきっと悩ます隙も与えないだろうから。
「苦労するわね。……白夜くん」
「ん?何か言ったか?」
「……別に満月には何も言ってないわ。……っていうか満月。あなたいい加減にしないと弟くんに嫌われるわよ。大きくなったらずっと一緒って訳にはいかないんだから、今のうちに弟離れしとかないと」
「どうして俺がそれを望んでいないのにそうなるんだ?」
弟の方が自分から離れていくっていう発想はないらしかった。要するに離れさせるは気はないってことなのだろう。今でさえ無自覚腹黒のこの男が成長したら一体どんな手を使うのか。……考えなくても分かる。どんな手でも使うのだろう。この男なら。多分。
(……あぁ)
初めて会った時は普通に優秀な男だと思った。"優秀"というのはiQとかそういうのではなく考え方の話だ。生まれた時から何故か世界がつまらなく思えた。そして気が付いたらこんな妙な達観した性格になってしまっていた。この男も自分と同じように"優秀"ゆえに悩みを抱えているのだろう。そう思って近付いた。
だけど実際は違った。
自分は確かに"異質"ではあったけれど、この男のように"異常"ではなかった。"ちょっと変わってるワタシ"と、"頭のおかしいこの男"。違いは歴然だった。この男の"ソレ"に比べたらワタシのなんてただ少しマセてる程度だろう。そう思い知った。
それに気付いたのは彼女の"異質"ゆえだったのだけれど、それに彼女は気付かない。理由はなくなった。……けれども理由はないけど側にいたい。だから彼女は彼と一緒にいる。
ならば彼は?彼は何故彼女と共にいるのだろう。
それは今の彼女には想像もつかないことだった。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.72 )
- 日時: 2019/02/16 15:34
- 名前: 羅知 (ID: 7JU8JzHD)
∮
あの後ようやくオレ達に追い付いた先生や他の大人達に発見されたオレ達は、すぐに病院に連れてかれることになった。その時、既に意識が途絶えていたオレには分からないけれど、至るところから血の出ていたオレはかなり衰弱しきっていて実はかなり危ない状況だったらしい。そんなオレと一緒にいた社はきっと随分と心を揉ませたことだろう。あとで謝らないといけない。
結局。オレは何も助けれていなかった。意識が失ったオレを見て、社はとても不安だっただろう。大人が来るまで社は一人ぼっちで不安と戦っていたのだ。寂しかったに違いない。辛かったに違いない。何も出来ない。社が泣き叫んでくれていなかったら、大人に気付いて貰うことさえ出来ていなかった。またオレは彼女に助けられたのだ。どんどん貸しがたまってしまう。オレも彼女を助けたいのに。最後には彼女に助けられてしまう。彼女の為にオレが出来ることはなんだろう。オレに何が出来るっていうんだろう。何も出来ない。……何も出来ない。考えれば考える程、自分の愚かさを自覚してしまって苦しくなる。
ふと鏡を見て気付いた。傷だらけの身体。全身ぼろぼろで、動く度に身体が悲鳴をあげる。まともに動くこともままならない。……壊れた人形みたいな愚図な自分にふさわしい姿。痛くて痛くて痛くて痛くて痛い。だけどそんな自分の姿を見る時だけオレの心は安らいだ。
この傷の数だけ、この痛みの数だけ、オレは彼女を救えたような---------そんな気がした。ただの気のせいだ。どうしようもない自己弁護だ。だけどこれだけ傷付いたら許されるような気がした。愚かしい自分が。何も出来ない自分が。気がするだけ。気がするだけ。気がするだけ。そんなことは分かっていたけれど、そんな錯覚だけがオレの救いだった。
傷が癒えないうちは、まだ痛む間は、自分が少しだけ好きになれる。そう考えていると、ボロボロの身体と反比例してオレの心は満ちていった。
∮
入院してから三日が経った。オレと社は同じ病室に入れられることになり、動くことが出来ないオレは主に社と一日を過ごした。社は怪我が酷くないので動くことが出来るはずだけど、わんぱくで動くことの大好きな彼女は今回ばかりは動かずにオレの横でニコニコしながら話すだけだった。その姿が意外だったオレが社に理由を聞いてみると
「だって……ゆきやがいなくちゃたのしくないもん」
とのことだった。社が自分に対してこんなにも思ってくれてることを凄く嬉しく感じた。他にも雪那さんや、満月兄さんも頻繁に病室に遊びに来た。雪那さんが来るとき社は必ず機嫌が悪くなっていたので、なだめるのには一苦労だったけれど、二人は色んな話をしてくれるのでオレは楽しかった。
∮
それから何日くらいか経ったある日のこと。
「ふんふふふーん〜♪」
……少しの間、社と一緒に病院内を散策して帰ったら、オレのベッドに知らない女の子が我が物顔で寝転がっていた。かなりリラックスしているようで、鼻歌まで歌っている。あまりのことに言葉を失ったオレだったが、動転しながらも何とか社に話しかける。
「や、やしろちゃん、しってる?……このこ」
「しらない。……えーと、じゃあ、とりあえず」
この子のことは社も知らないようだった。社もかなり驚いているようだったけれど、オレより随分様子が落ち着いている。そして何か思いついたのか彼女はゆっくりと前に出るとニコニコの笑顔でその女の子に話しかけた。
「ねぇ!あなたのなまえをおしえてよ!」
「……や、やしろちゃ……そんな、きゅうに……」
「えー、だってしらないなら、これからしってけばいーかなぁって……」
驚くべき行動力だ。とてもオレには真似できない。
社の呼び掛けは彼女に届いたようで呼ばれてすぐに此方を向いた彼女は満開の笑顔で返事をした。何の穢れもない白のような、ただただ無邪気な笑顔だった。天使がもしいるとするのならば、この子のような笑い方をするんだろうな。そう思ってしまうくらいに彼女は"白"という言葉が似合いすぎた。
そんな笑顔をより一層輝かせて、その天使のような女の子はこう言った。
「ヒナだよ!こいはるヒナ!……ヒナ、ふたりにあいにきたんだ!」
∮
「……あいに、きた?」
「うん!ヒナね、このちかくのおへやにすんでるんだけどね、ふたりともこなまえヒナのおへやにはいってでしょ?」
「……そういえばこのまえやしろとまちがえてしろいへやにはいったっけ……それがきみのへやなの?」
「そうだよ!ふたりはヒナとあそびたいからヒナのおへやにきたんでしょ?だから、ヒナほんとは"あのへや"からあんまりでちゃいけません、っていわれてたけどふたりをむかえにきたんだ!」
そう言うとにぱーと彼女はまた笑って、手を広げるとオレ達二人をぎゅっと抱き締めた。寝転がっている時には分からなかったけれど彼女の身長はオレ達より林檎一つ分程大きい。抱き返したら折れてしまいそうな程細い腰回りにオレは抱擁を返すのを躊躇った。
だけど、彼女は違った。
「そうなんだ!…じゃあ、ともだちになろ!わたしはめぐかやしろ!このこはかんなみゆきや!よろしくね!」
「やしろとゆきや。……うん!わかった。ヒナふたりのことはシロとユキってよぶね!ヒナのこともヒナ、ってよんでいーよ!」
間髪入れずに社はその細い腰を抱き返した。ぎゅーっと、どれだけ力強く抱き返したところでヒナの腰は折れることはなかった。よく考えなくても分かることだった。人間の身体はそんな簡単に折れたりしない。折れるのはいつだって心だ。…いつもそうだ。なんだかんだ理由を付けてオレは次の一歩を進むことを躊躇う。社の後についてまわる只の"きんぎょのふん"。…何も変われていないじゃないか。ちょっと力が強くなったくらいで、体力がついたくらいで、自分は何を調子に乗っているんだろう。また一つ自分が嫌いになった。
「……どうしたの?」
そんな感情が顔に出ていたのだろう。オレをぎゅっと抱き締めていたヒナが心配そうにそう言った。大丈夫、なんでもないよ。そう言って返す。けれどもオレのその言葉を聞いてもヒナはまだ心配そうにしている。…これは多分何か理由を話すまで納得してくれなさそうだ。どうしたものだろうかと頭を悩ませていると、ふと頭の上に何かが乗った。それはヒナの手だった。
「?……どう、したの?」
「えっと、ヒナね。あまりよくおぼえてないんだけど、ママにむかしこうしてもらったら、すごくうれしかったんだ」
「…………」
「だ、だからげんきだして!」
そう言ってヒナは慣れてない手つきでオレの頭を撫でる。力がこもりすぎて撫でるというよりは擦るみたいになっていたけど、彼女にそうして貰っていると何だか心が落ち着いていった。ここにいてもいいんだよ、そんな風に言ってもらえてるような気がした。頭を撫でて貰ったのはいつぶりだったっけ、なんてそんなことを考えた。
そんな姿を見て、若干おいてけぼりになっていた社が鼻をぷかー!と膨らませて怒る。
「む!ヒナだけずるい!わたしもゆきやのあたまなでたい!」
「だめですー!ユキのあたまをなでるのはヒナのしごとですー!!シロにはやらせてあーげない!」
「むー!そんなのヒナがかってにきめただけじゃん!わたしもなでるのー!!!」
「……ふ、ふたりともまって。オレ、あたまがはげちゃう……」
「ユキは」「ゆきやは」「「だまってて!!」」
お、オレの頭なのに……。そんな言葉もむなしく二人はオレの頭を髪の毛が抜ける勢いで容赦なく撫で始めた。ごしごしごしごし、まるでタワシみたいに頭を擦られる。髪の毛が何本が抜けたりしてしまって痛い。
他愛ないやり取りに自然と顔が綻ぶ。こんな風に笑ったのは久し振りだった。この時間が永遠に続けばいいのになんてそんなことを願った。
∮
日付が変わる頃、恋日ヒナの眠る病室に現れる二つの黒い影。二つの影はそっと寝ている彼女を--------いや、彼を起こさないようにベッドの傍らに行く。すやすやと気持ちの良さそうな寝息を立てる彼を見て、二つの影はほっと安堵の息を吐いた。
二つの影の内の一つが口を開く。
「ヒナはどんどん大きく成長してます。今日なんか友達が出来たって大騒ぎして……あまり外に出てはいけないよ、なんて言っても聞きやしない。私達の手に余るくらいに元気です」
「……すみま、せん」
「謝ることじゃありませんよ。元気なことはいいことですから。そこで一つ提案なんですけど」
「……はい」
そこまで言うと、影は------濃尾彩斗はまっすぐに目の前にいるもう一つの影の持ち主である男、恋日春喜の目を見た。
「そろそろヒナを、いや日向を……迎えには来れないですか。"義兄さん"」
そう言われることを春喜は覚悟していた。だからこそ、その言葉の返事は決まっていた。けれども決まっているからといって、そんな簡単に言葉に出せる程それは軽いものではなかった。
どうにか絞り出すように、掠れた声で、春喜は返事をする。
「……ごめんなさい。それは、まだ、出来ないんです……」
泣いているような声だった。否、彼は泣いていた。自身の不甲斐なさに呆れ果て、押し潰されそうになりながらも彼は言葉を続ける。それは、謝罪というのにはあまりにも重すぎる、自身を攻め立てる断罪だった。
「…君から、お姉さんを奪って、挙げ句の果てに死なせてしまった、ぼくが、君の提案を断るなんて、本当に大変なことだって、理解してる……だけど、だからこそ、ぼくはそれをまだしたくないんだ……」
嗚咽を溢し、顔をぐちゃぐちゃにしながら彼は言う。
「……中途半端に期待させて、待たせて、待たせて、放っておいて、一人にしたから……彼女は、陽子は、死んでしまった……」
「……ぼくは、息子を……日向を、妻のようには……したくない…………」
もう何も言えなかった。
そんな風に言われてしまっては、返す言葉が彩斗には見つからない。……彼は自分のせいで姉が死んだと言っているけれど、正確にはそうではない。姉が苦しんでいるのに、助けを求めていたのに、気付けなかった、自分が一番悪いのだ。この人は現状をどうすることもできなかった。最善策を選んだだけだ。……でも自分は違う。自分は助ける術を持っていた。精神科医として、姉の、壊れていく心を助けることは、出来たはずなのに。
何も、気付けなかった。自分のことに気をとられて、姉のことを、一番大事な人のことを見ていなかった。自分が、一番悪い。
本当に助けたい人を助けれなくて、何が医者だ。
でも、もう自分は謝ることすら出来ないのだ。姉の死んだ罪は、全部、この人が被ってしまった。今更謝った所で、この人は私の罪を否定する。君は悪くない、全部ぼくが悪いんだ……そんなことを言って。
「……分かりました。それじゃあまだ暫く日向は私が預かります。迎えに来れるころになったら、言ってください」
ならば自分の出来る贖罪は、このまま壊れてしまった姉のせいで自分の性別すら正しく認識できなくなった甥っ子を見守っていくことだけなのだろう。姉とよく似た純粋な目で、あの子に見つめられる度に、心が痛む。
そんな私のただの邪な贖罪を見て、この人はまた苦しむ。私はそれを弁解することも出来ずに、この人が苦しむのを見ていることしかできない。
それしか出来ないならば。
幸せに思うことすら苦痛なこの日々を生き続けることだけが、私に出来る唯一のこの人への罪滅ぼしなのだろう。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.73 )
- 日時: 2017/12/09 10:56
- 名前: 羅知 (ID: Jyw48TXj)
∮
七年前、私----濃尾彩斗は君の生まれる瞬間に立ち会った。あの時のことは今でも鮮明に思い出せる。
「なんて可愛い子なの……」
「…君にそっくりだ」
君は祝福されて生まれてきた。父親にも母親にも……勿論私だって。
少なくともこんな風になってしまうなんて想像出来ないくらいには、生まれた君と君の両親の姿は希望に満ち溢れていた。こっちが胸焼けしそうなくらいに甘々で仲睦まじい幸せな二人。そんな二人に抱き抱えられる天使のような微笑みを浮かべる赤ん坊。
「二人とも、おめでとう」
私はその時確かに彼らにそう言った。二人、と言いはしたけどこの言葉は君にも向けた言葉だった。君達が幸せに過ごせることを願って、確信して出た言葉だった。
それがどうしてこうなってしまったんだ?
∮
恋日陽子こと、濃尾陽子は私の姉だ。私と姉と父と母の四人家族。私達はごくごく普通の家族だった。……ある一点を除いては。
「陽子、今回の模試の成績また下がったようだな。……私をこれ以上失望させないでくれよ」
「………はい、父様」
「特に彩斗。お前はこの濃尾家の跡取りなんだ。お前がしっかりしてくれないと…………分かるな?」
「……はい」
父の家系は代々医者の家系で、父自身外科医としてかなりの地位を持っている。聞いた話による父の父親も祖父も……父の家系の人間は皆医学関係の仕事、しかもかなりの重役になっているらしい。濃尾家として相応しい行動をしろ。父は度々そう言っていた。姉も私もそんな父の言いなりだった。予め敷かれたレールを淡々と進んでいく。それが私達の人生だと思っていたから。そう思うしかなかったから。
∮
「彩斗」
「……何。姉さん」
「彩斗は自由に生きていいんだからね。……父さんはああいうけど、彩斗が進みたい道があるなら……少なくとも私は貴方の意志を尊重する。進みたい道があるなら、その道を選びなさい、彩斗。……家のことはお姉ちゃんに任せていいから」
私が濃尾家の跡取りとしての重責に挫けそうになったり、負けそうになったりして心がボロボロになった時、姉はよくそう言ってくれた。決まった道以外選ばせてくれない父。そんか父の言うことに全て頷く母。……そんな中で唯一の味方が姉だった。いつだって優しく、美しい姉。私はそんな姉が大好きだった。
『姉に幸せな人生を送ってもらう』その為に自分はどんなことでもしよう。いつしか私はそう思うようになっていた。それが決められたレールを進むだけの人生に、たった一つ、自分自身で決めたことが生まれた瞬間だった。
∮
姉が高校二年になり、私が高校受験を間近に控える頃。私は姉のとある"秘密"を知った。勉強について姉に質問をしに姉の部屋に行くと何やら話し声が聞こえる。誰かと電話しているようだった。
「----えぇ。毎日大変だけど、可愛い弟の為にも頑張ろうと思うの。----ふふ、そうかな。そう言ってもらえると嬉しいわ----------」
姉のこんなに楽しそうな声を聞いたのは初めてだった。驚きで声が出そうになるのを何とか抑える。最後に姉は電話の相手に向かってこう囁いた。小さな、小さな声で。
『---------私も愛してるわ、春喜』
相手が愛しくて愛しくて堪らない、そんな感じだった。電話の相手が姉の恋人であろうということはすぐに分かった。あまりのことに胸がばくばくと鳴り響く。すぐには冷静になることは無理そうだった。そんな頭でも、ひたすらに考える。『どうしたら姉は幸せになれるのか』飽きもせず、ただそれだけを。
∮
結論はすぐに出た。やはり当初の予定通り、濃尾家の跡取りとなって私が姉を自由にしてやればいい。父や母に反対されたって知ったことか。どんな手を使っても私が両親を説得する。姉の幸せ以外に優先すべき事項などあるはずもない。その旨を伝えると、私がその事を知っていたことに驚いたのも束の間、しかしすぐに冷静になって哀しげに姉は目を伏せた。
「彩斗が私のことを思ってそう言ってくれるのは嬉しい……。だけどそうすると貴方の夢はどうなるの?貴方にもやりたいことがあるでしょ?……私の為に貴方が犠牲になるなんて耐えられない……」
「大丈夫だよ、姉さん」
そう言われることは分かっていた。だから自分の気持ちを素直に伝えた。私にとっては姉さん以上に優先するものはないのだと。そんな私の言葉を聞いて姉は呆れたように笑った。
「…私ほど幸せな姉はいないわね。こんなに弟に慕われて……」
「姉さんはもっと幸せになっていいんだよ!……姉さんの幸せが僕の幸せなんだ」
それは嘘偽りのない言葉だった。何もなかった自分に理由を与えてくれた姉さん。苦しかった時、辛かった時、いつも側にいてくれた姉さん。どんな時でも私のことを考えて、味方してくれた姉さん。返しきれない程の恩が姉にはある。
そろそろ返さなきゃ割に合わない。
「……それにね。医者になるの、そこまで嫌じゃなくなったんだ」
「私に気を使ってるなら-------」
「そうじゃないよ。……そりゃね。父さんみたいに血生臭くて、命と密接に関わる外科医なんてとてもじゃないけどなれないと思ったよ。でもそんな時思い出したんだ。辛い時、苦しい時、姉さんの言葉が僕の心を救ってくれたこと」
「………」
「だから……だから僕は精神科医になろうと思う。人の心を救う精神科医に。姉さんが僕の心を救ってくれたみたいに、僕も人の心を救いたい。そう思えたんだ」
これもまた嘘偽りのない言葉だ。医者になるのなら精神科医になろう。姉の秘密を知る前からそう決めていた。姉に言った理由以外にも理由は色々あったけれど、きっかけは確かに姉に言ったそれだった。姉のことがあったからこそ、私の将来の設計は明確に定まっていった。何から何まで姉に影響されっぱなしの私だった。
「本当に貴方っていう子は…………そこまで言われてしまえば、もう私は何も言えないわ」
姉もそう思ったのだろう。姉はやっらり呆れたように笑ってそう言った。そんな風に笑われても姉に影響されっぱなしの自分をそう悪いものだとは思えなかった。むしろ姉のその表情に何だか誇らしささえ感じた。
「彼のことは、両親には私から話す。それで説得する------弟にそこまでやらせるようじゃ姉の面目が立たないもの。あとね--------」
これだけは言わせて。と姉は急に真面目な顔になって--------そして、笑った。昔から変わらない優しい笑顔だった。
「--------私にどんなことがあっても、貴方は私の愛すべき弟よ。それだけは忘れないで頂戴」
∮
高校卒業と同時に姉は以上のことを両親に話した。そこまで至る間に私は何度か姉の恋人である"恋日春喜さん"と話す機会があった。彼の第一印象は気弱そうなそこら辺にいそうな男----といった感じだ。顔そのものは上の下くらい、おどおどした表情のせいで総合評価は中の上くらいか。しかしその印象は彼のことを知っていくほど良い方向にぐんぐんと上がっていった。彼はとても真面目な男だった。父親が早くに他界し母親と二人暮らししている春喜さんは勉強しながら、母親が楽できるように自分自身でもアルバイトなとをして学費を稼いでいるらしい。話してる態度や表情から姉のことを心から愛し、私と同じように姉のことを幸せにしたいと思っていることがよく分かる。私に対しても礼儀正しく、誠実な態度で接してくれ、もしこの人がもし私の家族になってくれるなら。そう思った。
しかし現実は残酷だった。
「濃尾家の人間であるという自覚のない者は最早家族ではない。出ていきなさい」
「……!」
「君も濃尾家のおこぼれでも預かりたかったんだろうが、生憎君のような貧乏人が入り込む隙はないのだよ。我が濃尾家には」
「……ッ!」
わざわざやって来た春喜さんと姉に、父は冷たくそう言い放った。春喜さんのことを見向きもせずにそう言った。昔から厳しい人だとは思っていたけれど、ここまで血も涙もないような人だとは思わなかった。思わず父に対して手が出そうになった私を姉と春喜さんが止めた。ふるふると静かに横に首を振る二人を見て、私は拳をただ強く握り締めることしか出来なかった。
「……じゃあ、行くわね」
「…ま、待ってよ!ねえ、さん……」
荷物をまとめて出ていく姉の姿を見て、堪えていたものが溢れ出た。私の無責任な提案のせいで姉が出ていくことになってしまった。まるで小さな子どもみたいに泣きじゃくり、服の裾を掴んで引き留める私に少し困った顔をする姉。こんな時でもやっぱり私の姉は"姉"だった。
「…仕方がないわ。父さんには逆らえないもの」
「……で、でも!」
まだ愚図る私に姉はやっぱり優しく笑って----------まるで大切な宝物を扱うみたいな手つきで、そっと私の頭を撫でた。
「言ったでしょ?どんなことがあっても貴方は私の愛すべき弟だ、って。……泣かないで。彩斗が泣いてると私まで悲しくなっちゃうわ」
「血は繋がらなくても、君はぼくの弟だ……。辛いことがあったらすぐに言うんだよ」
そう言い終わると姉と春喜さんはお互いの手をぎゅっと握り締め、歩いていく。だんだんと小さくなる二人の姿を私は見えなくなるまで見つめていた。
∮
それから数年が経った。
無事高校も大学も卒業した私だったが、姉が追い出されたあの日から歪だった家族との関係は余計にちぐはぐになってしまった。だけどいつも自分を守ってくれていた姉はもう家にいない。他ならぬ自分のせいで姉は家を出ていくことになったのだから。姉がせっかく残してくれた"夢"だ。下手なことをして姉にこれ以上迷惑をかける訳にはいかなかった。同じ過ちはするな。そのことをしっかりと胸に刻み込む。
だから、どんなにこの人達が憎くても恨めしくても、精一杯媚を売って生きる。姉さん達の為に。
(姉さん達は、今頃どうしてるんだろう……)
姉さん達とはあのあとも何度か電話で連絡を取っている。専らかけるのは私の方からだったけれど、かければ二人は必ず電話に出てくれた。初めの頃こそちょっとしたことで連絡していたけれど、二人には二人の生活があり、それを私が邪魔するのは頂けないだろう……そう思って控えるようにした。二人には気にしないでと言われたけど、気にしない訳にはいかない。二人の邪魔になることだけは私は絶対にしたくないのだ 。
そんなこんなで最後に連絡をとったのが三ヶ月前。そろそろ連絡を取ろうかとうずうずしてた所でその電話はかかってきた。
『-----もしもし。彩斗くん?ぼくだよ、恋日春喜』
「春喜さん!……そちらから連絡するなんて珍しいですね!ちょうど僕も電話をしようと思ってた所なんですよ。どうかしたんですか?」
『…えーと、突然なんだけど今週末は暇かな?』
「ちょっと待ってくださいね--------うん!大丈夫です。その日が何か?」
私のその何気ない質問に春喜さんは少し照れながら、嬉しそうに答えた。
『----実は、その日陽子と結婚式しようと思ってるんだ。結婚式とはいってもドレスを着て、写真を取るだけなんだけど………陽子と二人で話し合ってね。君にもぜひ来てほしいな、って』
「結婚式!?絶対行きます!!場所はどこですか?」
『え、えっと、○○町の-----------』
食いぎみに了承した私に若干引いている様子の春喜さん。でも興奮しても仕方ないだろう。だって姉の結婚式だ。ついに春喜さんが私の"家族"になるのだ。小躍りしたくなるくらいにめでたいことだ。自分の人生でこんなにも嬉しかったことはないと、そう思った。大袈裟な表現ではなくそう思った。
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.74 )
- 日時: 2017/12/11 19:24
- 名前: 羅知 (ID: kTX6Wi1C)
∮
「うわぁ……!!」
「今日は、ぼく達の結婚式に来てくれてありがとう」
「弟が結婚式に来てくれるなんて、姉としてこんなに嬉しいことはないわ」
町の隅にある小さな写真店で二人はささやかながらも結婚式を挙げた。参列客は私一人。プライベート結婚というにはあまりにも少なすぎたけど、これだけで十分だった。小さな小さな部屋に二人の幸せがぎゅうぎゅうに詰まって、部屋から溢れてしまいそうだった。
王道のAラインのウェディングドレスを着た姉はいつもに増して美しく見えたし、白いタキシードを着た春喜さんは何だかいつもより凛々しく見えて格好良かった。私が正直にそのことを言うと、二人は照れるなぁといって恥ずかしそうに笑った。
「彩斗、最近はどう?元気にやってる?」
「うん。大変だけど何とかやってるよ。まだまだひよっ子だから分からないことだらけだけどね」
「またまた謙遜しちゃって。…この前もテレビで君の姿を見たよ。"今注目の若手有能精神科医"って。流石、彩斗くんだなぁ」
「…そんなんじゃないですよ。 ちょっとテレビが僕のこと大袈裟に言ってるだけです」
そのことを言われると何だか気分が滅入る。事実、私そのものの実力はそこら辺にいる普通の医者と同じ程度だ。テレビの中の私は濃尾の名によって誇張された表現でしかない。周りは私のことを羨むけれど、持っている実力以上の期待からは後の失望しか生まない。過度な評価は私にとってただの重荷でしかない。
周りからの陰口。見え見えの陰謀。辛辣な批評。そして家からの重圧。…それらのことを思い出すと、とてもじゃないけどうまく笑えそうになかった。……駄目だ、二人の前なんだ。笑ってないと。二人に心配をかけてしまう。笑え。笑え------------
「こら」
「……へ?」
「泣かないでとは言ったけど、無理して笑えなんて私達一回も言ってないわ。ねぇ春喜」
「そうだね。ぼく達は家族なんだ、心配なことがあれば言ってほしいな」
そう言われて二人に握られる手。久し振りの温もり。温かい。…………温かい。二人の温かい言葉が冷えきった心には熱すぎるくらいに染みて。じわっとまた涙が出てきてしまう。長い時間が経ったけれど、それでも私はこの人達の"弟"だった。
私の身体をぎゅっと抱き締めて姉は言う。
「可愛い弟の強がりなんてお姉ちゃん達にはお見通しなんだからね」
∮
そんなことがあって。
また数年の時が経った。私もだんだんと仕事が忙しくなっていき姉達に連絡をとることも少なくなっていった。正直言って慢心していた。姉は。春喜さんは。私の"姉"で、"兄"で。だから私が気にしなくても大丈夫だって。二人ならどんなことがあっても大丈夫だって。絶対何とかしてくれる。……忙しさを言い訳に、私はとても大事なことを忘れてしまった。とても大事な人のことを、何の為に自分が生きていたのかを忘れてしまった。ずっと自分にはそれだけだったはずなのに。
だからこんな簡単なことすら忘れていた。
どんな人間だって死ぬときと、壊れるときはあっけないんだ、ってことを。
∮
「おめでとう。姉さん、春喜さん」
遂に二人に念願の子どもが生まれた。男の子だった。二月二日の寒い寒い雪の降る日にその子は生まれた。姉と春喜さんは、こんな寒い日でも暖めてくれるような温かいお日様みたいな心を持った子になるようにと願いを込めて、その子のことを日向と名付けた。二人の子どもらしいとっても良い名前だと思った。
「姉さんにそっくりだね。まるで女の子みたいだ」
「…そう、かな。うん。……そうね」
「?どうしたの、姉さん」
「……大丈夫よ。ちょっと疲れてるだけ」
久し振りに見る姉の顔は以前より少しやつれてるように思えた。そういえば春喜さんも前見たときより痩せていたような気がする。
「…って、あれ?春喜さんは?さっきまでいたよね…」
「……春喜は仕事に行ったわ。ここ最近は朝から晩までずっと働いてるの。日向の養育費を稼ぐんだ、って休む暇もなく……今日も仕事と仕事の隙間時間で来てくれたみたいで……」
「そうなんだ-----------」
そこまで話し終えた時、私の携帯の着信が鳴る。仕事先からだった。緊急で呼び出しらしい。
「ご、ごめん!姉さん……呼び出されちゃった。一人にして悪いんだけど--------」
「ううん。私は一人で大丈夫。……お仕事頑張っ----」
「ごめん!行ってくるね!」
姉の言葉を最後まで聞くことなく私は仕事先へ向かった。
……どうしてこの時私は姉の言葉を最後まで聞かなかったんだろう。どうしてこの時私は一度でも振り返らなかったんだろう。どちらかでもしておけば、きっと気付けたはずなのに。姉の明るかった瞳が絶望の闇に沈んでいることに。
「…………一人ぼっち、ね」
そんな切ない呟きと赤ん坊の泣き声が病室の中に静かに響いた。
∮
「……海外派遣?」
「あぁ。君には特別業務として一ヶ月に二週間程の割合で海外で活動してもらう。…なに、やることは何も変わらないよ。"少し"忙しくなるだけさ。君は現地でいつも通り患者を診ればいい」
「あの、でも------------」
「君の優秀さを見込んでの上からの命令だ。頼んだよ」
呼び出されてすぐに向かった先で、有無も言わさぬ勢いでそう上司に言われた。断る間も、考える間もなかった……いや、元々断らせる気なんてなかったのだろう。海外派遣……とても辛い仕事だと聞いている。常に命の危険が付きまとい、患者よりも先に自分が精神を病む--------そんな仕事だと。出る杭は打たれる。きっと周りの連中は私に打たれて打たれて打ちのめされてほしいのだ。打ちのめされて、そして再起不能になってしまえばいい。そんな風に------------誰がお前らの思い通りになってやるか。こちとら常にフルストレスな環境は残念なことに父親と母親で慣れているんだ。お前らのような甘ちゃんとは違う。よっぽどか私に悪意を持つ連中にそう言ってやりたかった。
(海外派遣か……姉さん達にも一応連絡しとこうか……いや、でも別にずっと海外にいる訳でもないし……二人の時間を邪魔しちゃ…)
そう思い直し、一度出した携帯をゆっくりと鞄にしまう。歩く度に刺さる鋭い視線。鬱々とした恨みがましい目。ぼそりぼそりと聞こえる陰口。
「……まだ若いくせに調子に乗るからあぁなんだよ……」
「いつもしかめっ面で愛想もよくない……あんな奴ここにいらねぇよ」
「さっさと壊れて辞めてくれないかな……そしたらあの場所にいたのは俺なのに……」
(…………聞こえてるんだよ、クソ)
……常に人の悪意に触れている日常。むしろここにいた方が病んでしまいそうだ。海外には私を知っている人はほとんどいないだろう。きっと誰もが私を"ただの医者"としか見ないはずだ。この場所みたいに変な偏見を持たれたり、妙な色眼鏡で見られることなんてないだろう。そう考えると海外派遣……そこまで悪いものでもなさそうだ。そんな風に思えた。
∮
- Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.75 )
- 日時: 2017/12/17 16:10
- 名前: 羅知 (ID: Lp.K.rHL)
∮
それぞれの場所で、それぞれの時間が過ぎていく。
残酷な程に、過ぎていく。
愛が、志が、想いが、約束が、記憶が、精神が、命が、感情が、出会いが、別れが、常識が、全て、全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て。
平等に、酸化して、朽ちる。
寒い冬に耐えかねて葉を落とした木々にも、春になり、蕾がつき、花が咲いた。夏になれば様々な果実が実って。また秋が来て、冬が来て。
毎度飽きることなく同じように季節は巡っていく。常に変化し続ける人間を嘲笑うかのように、変わらずに。
時間は何者にも平等に過ぎていく。それに抗う術なんて人間が持っている訳がなかった。
自然の摂理に従って、全ては腐り落ちていく。
∮
『Re.ごめん。今夜も遅くなる』
……毎回同じように送られてくるメール。これで何回目のこの子と私だけの夜だっけ。心の中で恋日陽子はそう呟いた。声に出さなかったのは出しても意味がなかったからだ。返されるあてのない言葉はただ虚しさを生むだけだから。
……だから今日もまた、声も出さずに溜め息を吐く。
彼と二人で選んで買った小さな小さな家。彼と、自分と、生まれてきた赤ん坊の三人で過ごせる部屋。あの頃の自分達にはそれだけあれば十分だった。
そう思ってた。そう、思ってたのに。
……彼の物を置こうと決めたスペースいまだ買った時と変わらずに空っぽのままだ。リビングに置いてある結婚式の時の三人で撮った幸せそうな笑顔の写真も埃を被ってしまった。
それに気が付く度に思ってしまう。
あの頃、自分達が描いていた幸せは、未来は、こんなだっただろうか。こんな寂しいものだっただろうか、なんて。
(…………)
分かっている。どうにもならないことだっていうのは分かりきってる。彼は家族の為を思って働いてくれているのだ。それに文句なんていえない。言えるはずない。だけど。
我が儘な心は寂しいと、もっと一緒にいたい、と叫んでいた。
「……日向も、パパに会えなくて寂しいよね」
「…………」
「…………寝ちゃったか。そうだよね、もう、遅いもん」
今年で日向は二才になった。最近やっと会話が出来るようになって、毎日色んな話を聞かせてくれる。この前あった面白い出来事のこと、空が綺麗だったこと、今日は外に出て遊んだこと、小さな花が咲いていたこと------------ニコニコの笑顔で色んなことを話す日向は見ていてとても微笑ましかった。
そんな日向が時折遠くを見て、少し寂しそうにしている時がある。
「ぱぱ、どこ」
ぽつりと聞こえたその言葉。これだけ幼くとも、この子は父親のことをしっかりと覚えていたのだ。それが分かった時、私はとんでもない衝撃を受けた。そしてそう呟いた日の夜、この子はいつもより少しだけ夜更かしして、私と一緒に父親の帰りを待った。まぁ待ってる途中で寝てしまっていたけれど。今夜もそうだった。寝室に連れていき、布団をかけてあげると、すやすやと気持ちの良さそうな寝息と一緒に寝言が聞こえてくる。
「……まま……ぱぱ……だい、しゅき……」
その言葉を聞いて一気に落ち込んでいた心が吹き飛んでいくような気がした。あぁなんて可愛いんだろう。そうだった。こんな夜だって私は一人じゃない。可愛い我が子が一緒にいる。
(……そうよ。私にはこの子がいるじゃない。私と彼の愛の結晶であるこの子が----------)
忘れてた。すっかり忘れていた。日向の存在こそが自分達が愛し合っている証。寂しいのがなんだ。あの人は私達の大切な"愛"を守る為に毎日に必死になって働いてくれているのだ。そう思うと、明日も頑張ろう、それも口に出して言えるような気がした。
それでもまた寂しさが懲りずに芽を出してくるかもしれない。だけどその時にだって傍らにはこの子がいてくれる。また寂しさを吹き飛ばしてくれる。私は一人じゃない。この子がいる。そしてこの子のことを思って働いてくれている彼がいる。
(ちょっと疲れてたのかも……親から勘当されたり、結婚したり、出産したり、そういえば最近彩斗にも連絡取れてないなぁ。……そっか。私、無意識に色んなこと溜め込んでたのかもしれない。皆、忙しいからって。迷惑かけちゃいけない、って)
(えへへ、お姉ちゃん失格だなぁ。どんなことがあっても"お姉ちゃん"だよ、って私が彩斗に言ったっていうのに……自分が笑えてなくちゃざまぁないよね)
そろそろ一息つくのもいいかもしれない。今度彼が早く帰ってきたら温泉旅行にでも誘ってみようか。彩斗も呼ぼう。みんな息継ぎが下手くそだから、私と同じようにきっと苦しくなってる。家族団欒。本当の"家族"とは、一ミリもなかったそれだけれど、こういうのもいいかもしれない。"家族"ってきっとお互いに家族だって思えた時に、家族になれるのだ。そういう意味では私達はもう立派な"家族"だ。普通の形とは少し違っても、私達は血の繋がりも、心の繋がりもある正真正銘の家族なんだから。
そこまで考えた時、家の呼び鈴が煩く鳴り始めた。
(春喜?……なんだ。遅くなるって言ってったのに全然早かったじゃない。きっと私を驚かせようとしてたのね)
まったくいつまで経っても変わらないんだから。まったく、もう-------------------
え
だ れ ?
「や、やめてよ……なにするの、ねぇ、こたえ、てよ……だれなのよ……あなた、だれ、なのよ……、い、いや、やめて、やめて、やめて、やめてって、ば、ねぇ、……なんで、なんで、……こんな、こと、するの…………ねぇ、わたし、ばっかり、……わたしばっかり……なんで、こんな…………だれか、ねぇ、……だれか、たす、けて…………たすけてってばぁ……たすけて、たす、け、て…………やだ、やだ、……はるきいが、いの、なんて、……ぜったいに、いや、いや……ねぇ、嫌、嫌、嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌ぁぁぁぁぁァァァァァァァァァァァァァァあああああああッ!!!!!!!」