複雑・ファジー小説

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.76 )
日時: 2017/12/25 17:32
名前: 羅知 (ID: NSxWrAhD)


 「…また、君の患者が自殺したよ」
 
 
 
 報告。
 
 
 
「…………」
 
 
 
 
 
 謝罪。
 
 
 
 
 
「君の患者なんだから、君が責任を取ってくれよ」
 
 
 
 
 
 
 ……報告。
 
 
 
 
 
 
「…………はい」
 
 
 
 
 ……謝罪。
 
 
 
 
 
「……Damn. You are a big wuss !……Go to hell !……」
 
 
 
 
 
 
 毎日、それの、繰り返し。
 
 
 
 
 
「……すみま、せん」
 
 
 
 
 
 
 
 
 数えきれないくらい怒鳴られて、数えきれないくらい謝った。
 
 
 
 
 
 
 
(どうして、生きているんだっけ)

 
 
 
 
 

 もう、疲れた。何も見たくないし、聞きたくない。このまま消えてなくなってしまいたい。
 
 
 
 
 
 
 
 もう んでもいいか。
 
 
 
 
 
 
 そう思って、響く銃声音を聞きながら目の前の現実や命すら放り出して、私はゆっくりと目を閉じた。
 
 
 
 ∮
 
 
 
「……おーい、オニーサン。アンタまだ死んでねーよ」
「…………」
「お、目開いた。……それにしてもオニーサン、アンタ悪運強いぜ。なんてったってこのオレ様と出会って命を救われちまうとはねェ」
「…………」
「おいおい、生き残ったつーのに随分とシケた面だなァ。……あー。アンタ、もしかして死にたかった奴?そいつァ悪いことしたな。運が悪かったと思ってくれ。オレ様は瀕死の弱い奴を見捨てられない優しい優しい人間なんだ、まぁ嘘だけど」
 
 目を開くと目の前にはぺちゃくちゃと喋る薄汚いフード付きの服を着た包帯だらけの男がいた。左目は完全に包帯で隠れており、見えている右目からはエメラルドグリーンの透き通った瞳がきらきらと輝いている。髪は目の色より少し緑が無造作に切られていて、どちらもまるで宝石のような煌めきだ。声はまだ高く、まだ若い少年であることが察せられた。よく見ると遠くの方に血を流して倒れている武装された人の山があった。私を殺そうとしてきた連中だった。状況から見て目の前の彼が彼らを倒したのだろう。どうやろ私は彼に命を助けられたらしい。
 
 
 
 ------------助けられて"しまった"らしい。
 
 
 
 あぁ本当に無駄なことをしてくれた。そう思った。彼には悪いけれどそう思った。だって彼は知らないだろう。全てを諦めて、全てを放棄して、全てから逃げ出した人間の気持ちなんて絶対分からないだろう。目の前の彼は見るからに"強くて"、生き生きしていて、私とはまったく正反対のように思う。生きる意味も何もかも忘れて脱け殻みたいな私とは全部が違う。
 ぼんやりと、どこともつかない虚空を見つめながら私はこの数年のことを思い出す。
 
 
 
 
 
 
 
 何の為に精神科医になろうとしたのか。いつしかそれすらも思い出せないようになっていた。

 
 
 
 毎日毎日上司に報告しては謝罪する毎日。存在を否定されるような言葉も何回も言われた。こちらに対して殺意すら持っていた人もいたと思う。初めは大丈夫だった。耐えることができた。こんなことは日常茶飯事で、医者なら当然誰しもが通る道で、命を、精神を扱う仕事の責任と背中合わせの代償で、当たり前のことなのだと。越えなければいけない壁なのだと。そう考えることが出来た。
 だけども、過ぎていく時間は、積み重なっていく苦しみは、悲しみは、痛みは、少しずつ、少しずつ私の精神を磨耗していって。
 
 
 
(この苦しみと私は一生向かい合わないといけないのか)
(越えなければいけない壁?越えたって次にあるのはそれ以上に大きな壁だ)
(終わりは、苦しみの先にあるのは…………私の死だ)
(……苦しくて、苦しくて仕方ない。死ぬまでこの苦しみは一生私に纏ってくるのだろう。じゃあ一体私は何の為に?何の為にこの仕事を続けているんだ?)
 
 
 少し頭にもたげた薄暗い感情は、じきに頭の大半を占めるようになった。そうなったらもうダメだった。全部が全部うまくいかなくなった。元から軋んでいた人生が崩れていく音がした。仕事がただの"作業"みたいにしか出来なくなった。元からあったかも、なかったかも分からないような"仕事へのやりがい"が完全になくなった。何も伴わないものに成果なんて実るはずもなく、私の地位は、信用はゆるゆると落ちていった。
 以前以上に私の陰口は酷くなった。アイツはもう落ち目なのだと、そんな声が聞こえるようになった。事実だったので私は黙ってそれを聞いていた。言い返す気力なんてもうあるはずもなかった。そんな噂が両親の耳にも入ったのだろう。独り暮らししている家に両親から電話がかかってくるようになった。言われる言葉は"失望した"、ただそれだけだった。失望したならもう私に掛けてこなければいいのに両親はしつこく私に電話を掛けてきた。嫌になって電話線を切ってしまうと、今度はどこで知ったのか携帯電話に掛かってくるようになった。私はその携帯の電源をOFFにした。大切な誰かからの着信に溢れていたそれは、今ではもうただのゴミでしかなかった。
 上司に言われた海外派遣としての仕事は未だに続いていた。海外ではまだ私の評判はそこそこのようで日本にいるときのようなことはなかった。それに患者の親族から何か言われても早口の英語だったので訳そうと思わなければ受け流すことが出来た。まるで逃げるように私は日本にいることが少なくなり、大半を海外で過ごすことになった。
 ……実際逃げだったのだろう。たまに日本に帰ると家が荒れていることも少なくなかった。ドアの前に"死ねば良いのに"なんて書かれた紙が貼られていることもあった。そんな時はぐしゃぐしゃになった部屋の真ん中で立ち尽くした。頼んでもないのに目からは涙がぽろぽろと、とめどなく溢れた。
 涙が零れ、嗚咽が出る。空っぽの胃からぎゅるりと音がしてそのまま嘔吐した。胃液しか出てこなくて、妙に酸っぱく感じる口が気持ち悪くて、私はまた吐き出した。
 
 それだけ辛かったのに、何故だか精神科医を辞めようとはどうしても思わなかった。濃尾の家の者であるという環境のせいもあったかもしれないけれど、それだけじゃないような気がした。自分の底にある何かが、それだけは、絶対に駄目だと言っていた。それがなんなのかは分からなかったけれど。
 
 
 
 
「へぇ……それがオニーサンの死にたい理由?」
「…………口に出てたかな」
「バッチリ♪」
 
 そう言いながら緑髪の少年は、ぱちっと上手にウインクしてみせた。どうやら無意識に口に出ていたらしい。年端もいかない子に何を言ってるんだろう。そう思って口を閉じようと思ったけれど、一度開いた口は簡単には閉じてくれそうになかった。
 
 
 
「笑ってよ……それで海外に逃げた結果がこの"ザマ"だ。日本で起きたことと同じようになった。こんな風に恨みを買って殺されかける始末だ。罵倒の言葉なら、もう、どんなに早口でも聞き取れるようになった……」
「…………」
「……もうどこにも逃げられない。分かってる。でもここじゃない何処かに行きたいんだ……分かるだろ?」
 
 
 
 だからもう死なせてくれ。そう言った意味を込めたつもりだった。他人の手を汚させるのは少々胸糞悪いけれど、目の前の少年は既に私の目の前で何人もの人間を殺している。その年齢で、どこでそんな術を身に付けたのかは知らないけれど、つまりは彼は"そういう世界"の住人なのだ。ここは日本ではない。治安も悪い。そんなことはきっと彼の中では日常茶飯事だ。あえて彼を正しい道に導いてあげよう、なんて医者らしい気持ちは湧いてこない。見るからに彼は"手遅れ"なタイプだった。まぁ結局のところ自分のエゴを優先したいだけなのだけど。自分のあまりの愚かさに笑えてくる。しかし一方どさっきまでへらへらと笑っていた緑髪の少年は、私のそんな懇願を笑いもせず一蹴した。
 
 
「それは無理な相談だなァ、アンタどうしようもなく"弱い"モン」
「…………」
「最弱も最弱、食物連鎖の食べられる方。自然界のカーストの最底辺。アンタはアンタが考えてるよりもすっごく弱い。それこそこんな世の中じゃ簡単に喰われちまうくらいにな。……まァだからアンタの"逃げる"という判断は間違ってなかったと思うぜ。今のアンタじゃどうせ喰い荒らされちまうだけだっただろう、骨も残らないくらいにな」
「…………」
「"弱い"奴は殺せねェ。……それはオレ様が優しいからでも、人情深いお人柄だからでもない。そう"言われた"からだ。オレ様にそれを言った奴はなァ、最高に最強だったオレ様を少しだけ"弱く"しちまった。だからオレ様は弱い奴を殺せねェ」
 
 
 
 そこまで言って、少年は真面目な顔を崩して、ニヤリと笑った。なかなかの悪人面だ。顔のほとんどは見えないけれど、何故だかそう思った。
 見えている右目がまるで蛇のようにぎょろりと動いた。
 
 
「だから、さァ。"強く"なって出直してこいよ。アンタが強くなって、オレ様が"強い"と判断したら、オレ様はアンタを殺してやる。喜んで殺そう。圧倒的に、容赦なく、一分の良心も感じさせず殺す。……その時になって今更止めてくれなんて言っても聞いてやらねェからなァ?」
「……でも、僕は、強くなんか……」
「あァ、確かに今のままじゃどう頑張った所で"強く"なんかなれねェよ。……身体的なものはそこそこみたいだが、生憎オレ様の言ってる"強さ"つーのは精神の強度だ。そう。オニーサンの専門分野、メンタルのな」
 
 
 
 
 まず一つ、彼はそう言った。
 
 
 
 
「俗にいう"メンタルが弱い"とかそういうのを言ってんじゃねェ------------そうだな。言葉で表すなら"良心"という言葉が相応しい----"良心"と言えば聞こえはいいかもしれねェが、こんなのはただの心の隙にしかならない。他人につけこまれる穴にしかならない」

 
 
 
「だから、まず最初に、そんなのは早々になくしてしまった方がいい」
 
 
 
 
 
 彼のそんな"強さ"と"弱さ"に関する講義は十五分以上続いた。私は彼のそんな話を黙々と聞いていた。年端もいかない少年にご指導ご鞭撻を受ける私の姿はきっと端から見たら酷く滑稽なものだっただろう。だけどそれを見るような人は既にただの冷たい肉の塊になっていたし、例え見られていたとしても。
 聞くのを止めようなんて思えなかった。
 
 

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.77 )
日時: 2017/12/29 20:22
名前: 羅知 (ID: jd/Z3uOx)


「オレ様の生まれ出でた場所は底辺も底辺だった。苛まれ、疎まれ、時には圧倒的な暴力によって身体中がずたずたになるまで傷つけられたこともあった。……世界を憎んだ。理不尽を恨んだ。オレ様の味方なんて誰もいなかった。その時に思ったぜ、"優しさ"なんてなんの得にもならないって」
「…………」
「オレ様はオレ様の為に努力を重ね、そして"強く"なった。世界にも、理不尽にも負けない程、強く。その為に多くのモノを犠牲にした。いらないものは全部捨てた。他人なんて省みなかった。……"アイツ"に会うまではな」
 
 
 自身の昔話を語る彼は、その時だけは少しだけ、ほんの少しだけ優しげな表情をした。相手のことを本当に想っている顔だった。自分の知っている誰かの顔とよく似ていると思った。
 
 
「"アイツ"は"弱かった"。それでいて"強く"もあった。……自分の為にだけしか動かないオレ様と反対に、アイツは他人の為にしか動かなかった。自分のことなんか省みずに、アイツはいつもボロボロになって人を助けた。偽善だ、そう思ったよ」
「…………」
「…オレ様の言葉を聞いて、アイツは"それでもいいんだ"って笑った。"僕は僕の為に人を助ける。こんなのは善なんかじゃない、ただの僕のエゴなんだ"、ってな。……大馬鹿者だよなァ、そんなことを真面目に言ってのけるアイツも、それに感化されちまったオレ様も」
 
 
 ぎゃははと下品に笑う少年につられて私も笑う。一回死んで、生き返ったみたいなそんな気分だった。私の目の前の問題は何も解決していない、だけども少年の話す言葉を聞いてる内に私の心は随分と楽になっていた。死のうとしていた時より、ずっと。
 
 
「……だから、さ。アンタはアンタ自身のエゴに従え。自分勝手に生きろ。やりたいことを、やると決めて、やる。それが強くなる一番の近道だ」
「…………僕は、強く、なれるかな」
「さァな。……でもオニーサンさっきよりはマシな面になってるぜ?」
「…………そう、かな。そうだといいな。ねぇ、強くなったら本当に僕のこと殺してくれるのかい?」
「あァ、強くなったらな」
「…………そう。良かった」
 
 
 
 自分勝手に生きる、か。他人に左右されずに生きる人生。なんて耳障りのいい言葉なんだろう。それは言葉で言うほど簡単なものじゃないし、きっとすぐに叶うようなものじゃない。まやかしのような言葉。けれどももう一度一歩踏み出す勇気を貰うには十分だった。
 
 軽くなったような身体を起こし、立ち上がる。立った反動でポッケに入れていた電源の入ってない携帯が落ちた。そういえばポッケに入れたまんまになっていたのだっけ。拾おうとしてふと前を見ると、物珍しそうな顔で少年が携帯電話を見つめていた。
 
 
「……どうしたの?」
「……それ、ケイタイデンワって奴?」
「そうだけど……どうかした?」
「…………いや、実物見るの、初めてだったから……」
 
 
 確かに携帯電話なんてもの、荒れ果てているこの辺の地区では使われてないだろう。物珍しいのも分からないではない。だけどさっきまでの姿とのギャップに子供らしいところもあるのか、とくすりと笑えてしまった。
 
 
「……良かったら、電源入れてちょっといじっててもいいよ?」
「!……いいのか」
「うん」
 
 
 私がそう言うと、彼は目をぱぁっと輝かせて電源を入れて携帯を弄り始めた。どうせしばらく使っていない携帯だ。特に見られて困るようなものもない。本当に初めて触ったのが嬉しかったのだろう。携帯を弄る彼の姿は年相応に子供らしくて見ていて微笑ましかった。
 
 
 
 
 
 何にも解決していない。何かを変えることなんて出来ていない。そうだというのに何故だか今の私の心は随分と楽なものだった。彼の言葉は私の心を救ってくれた。気休め。それは今の私が一番求めていたことだった。それを与えられてしまった私は。私は。
 
 
 
 
 
 
 また、甘んじてしまった。"現状"に。嫌なことから目を反らして。逃げて。結局私は生まれながらの弟気質なのだ。甘えたがりで誰かにもたれ掛からないと生きていけない。"自分"が持てない、弱い、弱い人間……。それが"僕"だった。今度こそ、今度こそ変わらないといけなかったのに。"僕"は変わらなかった。……変われなかった。
 
 
 
 
 神様は何度もチャンスをくれていた。変わるチャンスを。運命を変えるチャンスを。一度でも、たった一度でも逃げないで、現実に向き合っていれば、こんな後悔をすることになんて、ならなかった。でももう取り戻せない。曲がってしまった道は正しい道に引き返すことなんてできない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 神様は、もう、微笑まない。
 
 
 
 
 
 

 
『不在着信が300件あります。』
 

 
 
 
 
 
 
 
 
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』 
『不在着信 濃尾春喜』
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『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』 
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
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『不在着信 濃尾春喜』
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『不在着信 濃尾春喜』
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『不在着信 濃尾春喜』
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『不在着信 濃尾春喜』
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『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』 
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』 
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』 
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』
『不在着信 濃尾春喜』 

     



 
 
  覆すことの出来ない現実が、もう、すぐそこまで来ていた。
 
 
 
 

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.78 )
日時: 2018/01/01 20:35
名前: 羅知 (ID: jd/Z3uOx)


 ∮
 
 
 
 
『…………もしもし、彩斗だよね。私よ。お姉ちゃん』
 
 
 
 
 
 
 
 
『……うふふ。久し振りだね。最後の最後に弟と喋れるなんて、やっぱり私は幸せ者だなぁ。うん、幸せ。幸せよ。幸せ、だったのに、どうして、こんなことになったのかしらね……』
 

 
 
 
 
 
 
『気が付いたら、私、家を飛び出してたの。日向を連れて。…………その時のことは、もう、あまりよく、覚えてない。ただ、自分が、"自分"じゃなかったことだけは、覚えてる。……正直今も、ギリギリよ。……ギリギリで、彩斗と喋ってる』
 
 
 
 
 
 
 
 
『……最後まで、貴方の"お姉ちゃん"であることは、止めたくなかったのかもね。そんな、意地が、私に、一瞬の正気を、与えてくれたのかもしれない』 
 
 
 
 
 
 
 
 
『…………私、あの子に、日向に、いっぱい酷いこと、してしまった。いつも気が付くと、あの子が、ボロボロに、なってるの。私が、傷付けて、しまった。震えながら、ごめんなさい、ごめんなさい、って、何回も私に、言うの。私、何したの?大事な、あの子に、私は、何を』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 『……たすけて。私はもう駄目だけど。あの子だけは、たすけて。私のせいで、あの子、日向が、死んじゃいそうなの。たすけて、たすけて、たすけて…………!』
 
 
 
 
 
 
 
 
 『……後は、ごめんね。日向と……春喜を、宜しく、ね。貴方は、私の、自慢の弟だもの。安心して任せられるわ』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『じゃあね』
 
 
 
 
 
 ∮
 
 
 
 
 
 ------------かくして、舞台は現代に戻る。
 
 
 
 
「ねぇ、海原さん。貴女、濃尾先生のことどう思います?」
「……どう、って」
 
 
 色々と一段落して現場が落ち着いて、ふとオレ----荒樹土光はまだスラムにいた幼少期を思い出す。そうして気が付けば傍らにいた女----海原蒼にオレはそう話し掛けていた。オレの突然の質問に心底驚いた顔をする海原。質問の意図が読めない、と首を傾げている。どうでもいいから答えろ、と語気を崩してそう言うと、人に聞く態度じゃあないわねと呆れた顔をしながらも海原はオレの質問の答えを考え始めた。
 
 
 
 何故だか分からない。だけども急に思い出してしまった。あんな昔のこと。今更思い出した所でどうにもならないし、何にもならないこと、分かりきっているはずなのに。
 
 
 
 濃尾日向が愛鹿社の協力によって病院に運び込まれてから数時間が経過した。今も、あの白いベッドの上では、未発達な身体の弱い弱い少年がすやすやと気持ち良さそうな寝息を立てている。傍らにはかつての"友人"が見守っている。二人の方はかなりさっきまで起きていたようだが、文化祭の疲れもあったのだろう。ベッドにもたれ掛かって寝ているのを先程確認した。ベッドで寝る少年は幸せそうで、傍らで寝る二人は苦しそうだった。彼らの目元は赤く腫れていた。それは酷く奇妙な光景だった。"あの頃"の彼らと比べると、歪に歪んで、狂ってしまった彼らの関係。
 
 
 
 "あの頃"の三人を知っている身としては、見ていて気持ちのよいものでは、到底なかった。
 
 
 
 質問をしてからほぼ一分。海原は口を開いた。何度も頭の中でその言葉を反芻していたのだろう。すらすらとまるで流れるように、それでいて重たい言葉。
 
 
「……恩人。そう言うしかないわね。誰かにとっては別だったとしても、あの人に救うつもりなんて、さらさらなかったとしても……例えただの罪滅ぼしだったとしても、利用されたにすぎなかったとしても、アタシは確かに救われたから」
「………"愛"、って奴ですか」
「まさか。こんなのは"愛"じゃないわ。くだらない"妄信"よ。アタシはただの狂信者。……でもアンタにとってのあの人は別でしょう。今更迷ったからってアタシに聞くのは間違ってるわよ」
 
 
 
 あの一分で質問の意図を読まれてしまっていたらしい。そこまで言って海原はオレを嘲るように笑った。アンタらしくもない、そう言ってもう一度笑った。己の過去の事を海原達に話したことは一度もない。しかしこの調子だと大方知られてしまっているのだろう。知った上で察せられていたことに顔から火が出るような思いになった。
 
 
「…………知ってたのかよ。オレ様とアイツのこと」
「別に。先生のことを調べてたらついでにアンタらしき奴のことについても分かったから、なんとなーく察してやっただけよ」
「…………」
 
 
 自分の顔が熱くなっていくのを感じる。多分赤くなってる。見てて分かるくらい赤くなってる。見られてる。滅茶苦茶ニヤニヤされながら見られてる。頭はまともに思考してくれなくて、いつもみたいに繕えなくて、誤魔化す為の言葉は出なくて。
 
 
 
 
 相手に全てが露呈してしまう。
 
 
 
 
「あはははは!恥ずかしがってんの?……アンタそういう所は可愛いわよねぇ。"真実ホント"を見つけられると、すぐに素が出ちゃうところ!」
「うッ……うっさい!黙ってろよ!」
 
 
 ガキみたいな反撃しか出来ないオレを大笑いしながら、頬をつついてくる海原。くそう、どうしてコイツの前だといつもうまく出来ないんだろう。他の奴の前だったらもっと余裕ぶっていられるのに。こんな風に言われたってもっと簡単に返せるのに。
 あぁもう、なんでコイツの前だとこんなにも心乱されてしまうんだろう。
 
 
 
「…オレ様はこんなにも最強なのに、テメェのせいでこんなんなっちまったじゃねぇか!ばーか!」
 
 
 
 何故かその言葉で海原は笑うのを止め、不機嫌そうにこう呟いた。
 
 
 
 
「…………アタシ、やっぱりアンタのそういうとこ嫌い」
 
 
 
 なんて理不尽なことを言ってのけた海原の頬は赤く染まってるように見えた。まぁ多分気のせいだろうけど。

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.79 )
日時: 2018/01/04 16:18
名前: 羅知 (ID: jd/Z3uOx)

(はぁ……酷い目にあったぜ)
 
 
 そう心の中で悪態をつきながらオレは、まだヒリヒリと痛む頬をさすった。あの糞女。人の弱味を笑うとか人格が破綻してるとしか思えない。いやこのオレに弱い所なんてないから、弱味じゃないけれど。まぁそんなのは言葉の綾だ。大して気にすることじゃない。それより、それよりも大笑いしたかと思ったらアイツ急に不機嫌になりやがって。そのくせ、ただでさえ情緒不安定な奴ばっかりで大変なのにお前もかよ。生理か?とオレなりに親切心から労りの言葉をかけてやったっていうのに、アイツ、グーパンで殴りやがった。
 
 
(デリカシーがないとかKYとか、うっせぇよ!せっかくこっちが気を効かしてやったのに、グーパンしてくるメスゴリラの気持ちなんか分かんねーよ、ばーか!)
 
 
 殴られた所とは別に心なしか胸の辺りがずきずきと痛んでいるような気もしたが、気のせいだろうと思い無視をした。よく分からない面倒くさそうなことは考えないのが一番だ。今までの経験から学んだ。それで今までどうにかなってるし、間違ってるとは思わない。オレ様が間違う訳がないのだ。最強で、最高の、このオレ様が。
 
 
(……そう、オレ様は"強い"。だから迷うはずがねェ。なのに、なのに……)
 
 
 海原に言ったあの質問。あれは気が付いたら口から出ていた言葉で意図なんてモノはなかった。なにも考えずに口にした。……だけど海原に"迷ってる"と言われて、その言葉がすとんと胸に落ちた自分がいて。あぁそうか。自分は迷っていたのか、と頷きたくなるくらいに納得してしまって。だからこそ、恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなかった。自分でも気が付いていない"本心"を見透かされたことが。
 
 
 
 オレは、迷っていた。生まれて初めての"迷い"に、オレはどうしようもなく戸惑っていた。
 
 
 
 ∮
 
 
 
(あの男は……濃尾彩斗は、オレ様との"約束"を覚えているのか?"強くなったら、殺す"と言った、あの言葉を)
 
 否、それはもう絶対にありえないことだ。考えなくても分かることだった。
 
 
 あの日、携帯を見てすぐに血相変えて走り出していったあの男は、次にあの男の患者として出会ったとき、オレの顔を見て「初めまして」と言った。そしてオレはそれに対して「初めまして」と返した。嘘を吐いてる感じではなかったはずだ。……それ自体は別段おかしなことだと思わない。初めて会った時のオレは包帯だらけで顔が見えない状態だった。数年経って素顔で再会したオレは身長も伸びていたし、声変わりもしていたのだから分からなくて当然だ。分かった方がおかしいだろう。それにそっちの方が都合が良い。覚えられていたら面倒だった。
 
 
 (……そう。問題はあの男が"オレ"を分からなかったことじゃない。問題は"オレ"があの男を分からなかったことだ)
 
 
 目の前で不気味なくらいに、にこにこしているあの男を見て、オレはソイツが"誰"なのか、一瞬分からなくなった。
 初めて出会ったあの日の濃尾彩斗は、見るからに"弱々しかった"。突つけば折れてしまいそうな程に全てに疲れきっていて、まるで死にかけの虫のようでさえあった。
 だがそれがどうだ。再会したこの男は妙にへらへらとした軽薄そうな男へと変貌を遂げていたのだ。とても数年前に自殺を考えていた男と同一人物だとは思えなかった。見た目は何一つ変わらないのに、中身だけ"入れ替わって"しまったようだった。何が、どんなことがあれば、一人の人間をあそこまで"変えて"しまうのか。オレは自分の目を疑った。
 
 
 
 すぐにオレは、あの男の素性を調べた。そしてこの数年で何があの男に起きていたのかを知った。
 
(……姉が"自殺"、ねェ)
 
 オレと出会ってすぐのことだった。どうやら何ヵ月か前から、この姉は息子を連れて失踪していて、行方が分からなくなっていたらしい。死ぬ直前、電波が発信された公衆電話の位置から、その近くのボロアパートで潜伏していたことが判明。しかし発見した時には時既に遅し。首を吊って姉は死んでいた。傍らにはそれを無垢な瞳で見つめるまだ幼い息子が一人。とても綺麗な死に様とは言えない惨たらしい光景。発見のきっかけとなった公衆電話にかけられた相手は弟であるこの男だった。姉の最後の声を聞いて、そして何も出来ないままに、姉の死を知ったこの男は何を思ったのか。それは想像図りかねることだ。
 ただ事実として、このことをきっかけにこの男は変わった。一介の精神科医だったこの男はそこから劇的に有名になっていった。それこそ普通では考えられないようなスピードで。有名精神科医となったこの男。一体どんな手を使ってそこまでのしあがってきたのか。少なくともまともなルートでその地位につけたとは思えない。違法ギリギリのこともしてきたに違いない。
 紅や黄道、海原、そして金月を助けたのもその一環だろう。オレの言えたことではないが、アイツらの"特性"はあまりにも異常で、とても表社会で生きられるようなものではなかった。それを裏社会から引っ張り出して、こうして表社会に貢献させている手腕、ただ者ではない。そもそもオレやアイツらは幼い頃に誘拐されている為、戸籍なんて本来存在しないのだ。今ある戸籍は全部あの男が作ったものだ。こんなことしでかすくらいの地位になるには、それ相応の対価--------危険が伴う。
 あそこまで"弱かった"男が、姉の死を知って、どうしてこんなわざわざ自分の命を縮めるような真似をするのか。
 
 
(……自暴自棄?)
 
 
 当時そこまでのことを調べたオレはそうとしか考えられなかった。しかし事実は異なっていた。まったくの別人のようになってしまったと思われていた濃尾彩斗。だけど、根底は、この男の根底は、何一つ変わってなんかいなかった。
 
 これもまた、"逃げ"だったのだ。
 
 今なら分かる。姉が死に、残された彼女の夫と息子の姿を見ることに、この男は耐えられなかったのだ。自身の不甲斐なさに苦しみ、罪悪感が徐々に身体を支配していく。きっと本人としては贖罪のつもりだったのだろう。だけど結果としてそれはただの"逃げ"だった。壮絶な日常の中で心を磨り減らして、苦しんで、苦しんで、苦しむことによって、この男は自身の"罪"から逃げていたのだ。
 "弟"としてではなく"医者"としての心で周りと接し続けることで、この男は死にたいくらいの罪悪感から逃げようとした。
 それでも辛かっただろう。麻痺した心でも罪悪感はきっと感じていたのだろう。これは暫く一緒に過ごしていたからこそ分かったことだが、時折濃尾彩斗は不気味な笑顔を歪ませて、姉の息子を----濃尾日向を見つめていた。

 凄惨な日常でも完全に心がなくなることはなかった。別人のようになってしまったとしても、濃尾彩斗が、濃尾彩斗でなくなることはなかった。
 
 
 
 
 
 濃尾彩斗が完全に"壊れた"のは、オレ達と出会ったあとだった。
 
 
 
 
 ∮
 
 
 
 
 それは、とてもえげつない光景だった。
 
 
 
 
 部屋中を包む生臭い匂い。
 仄かに混ざる血の匂い。
 小蝿がぶんぶんと腐肉にたかっている。
 部屋の真ん中には死体不在の首吊り縄がぶら下がってて。
 真下にある、その腐った肉は、よく見れば若い男の人のような顔をしていて------------
 
 
 
 
 自分達をここまで連れてきた目の死んだ少年は、半笑いで呟いた。
 
 




 
「あい、ってなんなの」
 
「あんなのが、あんなのが、あいなら」
 
「……いらない、いらないよ。あんなのはいらない」
 
「………………みんな、いらない」
 
「"ヒナ"も、いらない」
 



 
 
 細くて白い首に、くっきりと残った、赤黒い手の跡を少し撫でて。
 
 



 
 電源の切れた玩具のように、少年は目を閉じて倒れた。
 
 
 
 



 まるで目の前の光景から目をそらすように。
 
 



 
 
 少年とよく似ている男は、少年とは反対に真っ直ぐに目の前の光景を見つめていた。
 
 
 
 


 
 
 逃げてばかりだった、男はもう逃げない。
 
 
 



 
 
 
 暗闇の中、もう逃げられない。
 
 
 
 



 
 
 
 
 もう、何も怖くないし、感じない。
 
 
 
 
 




 
 
 
 
 もう何も見えないから。
 もう何も聞こえないから。
 もう何も喋らないから。
 もう何も感じないから。
 もう誰もいないから。
 もう、もう、もう、もう。
 
 
 
 
 




 
 
 
 
 もう、大丈夫。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 大事だったものが全部なくなって、ようやく、男は"強く"なれた。
 
 

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.80 )
日時: 2018/01/05 21:50
名前: 羅知 (ID: jd/Z3uOx)


 『何かを得るためには何かを失わなければいけない』とはよく言ったもので、しかしそれは失ったものの方が多かった場合、一体どう折り合いつけて生きろと言うのだろう。得たものはもう返すことなんて出来やしないし、失ったものはもう戻ることはない。今更後悔したってどうにもならないものはならない。
 "強さ"を得ることで"弱さ"を失った。言葉で言うのは簡単だけれども、こう実際に目の当たりにしてみるとこれは結構クルものがある。オレにとって"弱さ"とは取るに足らないものだった。だから"強さ"を手に入れようと思った。だけどあの男にとっては違ったのだ。あの男の"弱さ"は、あの男をあの男たらしめるもので。なくてはならない大切なもので。
 
 
 
 あそこまでボロボロになってまで、手に入れる価値のあるものなんて、あるのだろうか。
 
 
 
 人の振りみて我が振り直せ。他人の人生は自分の人生よりもよく見えて。正しく認識できてしまって。そんなことを今更になって、考えて、怖くなる。ずっとずっと自分の"強さ"の為だけに生きてきた。その為ならどんな犠牲もよしとしてきた。それが正しいと思ってきた。それが最善策だと信じてきた。だけど、もし、それが、全部、全部、間違っていたとしたなら。
 
 
(オレ、様は)
 
 
 選ばなかった方のいたのかもしれない"弱いオレ"をちらりと考えて、すぐに頭から掻き消した。既にありもしないとうに消えたもののことなんて考えたって何の意味もない。
 
 
 ∮
 
 
(……このまま、あの男をほっといて、いいんだろうか)
 
 
 紅も、黄道も、海原も、金月も、きっともう気が付いている。あの男が壊れていることに。オレ達は、目の前で目撃したのだから、あの男が、完全に壊れた瞬間を。
 
 
 それでも奴らは"救われた"。その恩があるから、あの男がどんな風になったって、どんなに変わってしまったって、あの男の為なら、あの男の持っていた"最後の希望"の為ならどんなことだってしてみせる。あの男のことを芯から信じきっている。
 ……だけど、オレは違う。オレはアイツらと出会う以前に、あの男に会っている。あの男が、人を救えるような器じゃない、弱い、弱い人間だったことを知っている。オレは、あの男に救われていない。オレを、本当の意味で、救ってくれたのは、あの男なんかじゃなく-------------
 
 
 
 
 
 
 
「…………ぶつぶつ、ぶつぶつ五月蝿いなぁ」
「くれな、い」
 
 
 
 
 
 
 
 背後から温度の感じさせない冷たい声が聞こえた。紅だった。……いや、違う。コイツは紅じゃない。この冷たい声は。コイツは。コイツは。
 
 
 
 まだ、"強かった頃の"。
 
 
 
 
 
 
 
「……違う。僕は黒曜こくようだ。まだ、先生に"救われなかった"方の、"僕"だ」
「…………」 
「久し振りだね、"光君"」
 
 
 
 
 
 
 オレが振り向けば、そう言ってにっこりと紅は-------黒曜は、笑う。
 
 
 紅く煌めいていた髪と目が、窓から差し込む星々に照らされて、ゆるりゆるりと闇夜の黒に染まっていく。懐かしい"黒"だった。
 
 
 
 
(--------------------ははッ)
 
 
 
 
 
 久し振りにみる"コイツ"の"強さ"に、オレは興奮を隠しきれず、返事もせずに、コイツの喉元に手を掛けた--------------------。

 
 
 
 
 
 ∮
 
 
 
 
 
 
「---------つまらない、よ」
 
 
 
 
 
 
 ぐさり。と何処から出てきたかも分からないナイフが肩を抉った。こちらが攻撃する暇も与えずに、まるで息をするかのような鮮やかな動きに、心が高鳴るのを感じる。やっぱり本気を出したこの男は強い。鈍く痛む傷もそのままに次の一手を出そうとしたが、それすらも見破られてオレは地面に叩き付けられた。
 
 くるくるっと素早い動きでナイフはオレの急所へと--------首元へと当てられ、とどめをさすかのように、そっと低い声で耳打ちをされる。
 
 
「"弱く"なったね、光君」
「…………バァカ、お前が"強すぎ"んだよ」
 
 
 オレに反抗の意志がなくなったのを確認して、首元からナイフが離される。どうせここから反撃しても無駄だろう。ゆっくりと起き上がり黒曜の様子を伺うと、息切れすら見せずに平然とした様子でコイツは立っていて、ああ本当にまったくいけすかない野郎だと思った。
 
 
「そんなんじゃいつまで経ったって"僕"を殺せないよ」
「…………」
「お前を殺して、自分も死ぬ、だっけ?あの言葉は冗談だったのかな?」

 
 ……あぁそうだった。"コイツ"はこういう風に人を煽るような言い方が得意な嫌な奴だった。コイツと会話しているだけで無性にイライラしてくる。数年前まではそれで毎日喧嘩して、こういう風に殺し合いするのが日常茶飯事だったっけ 。懐かしくもない思い出がふと頭を過った。
 
(……まぁ、それも"コイツ"が大人になって---------"紅灯火"になってからは、随分と少なくなっちまったんだけどな)
 
 大人になって、オレもコイツも猫を被っている時間が長くなり、昔みたいに命の削り合いをするような喧嘩をすることは自然となくなっていった。確かコイツが"紅灯火"という名前を使い始めたのが丁度濃尾彩斗が壊れた時からだ。何か思う所があったのか、なんなのか、いつからか棘もないような穏便で愚かな当たり障りない人間に成り下がったコイツ。
 オレは"紅灯火"が嫌いだった。"黒曜"とは正反対の弱い弱い"この男"が嫌いだった。
 
 だから、コイツがこんな風に前みたいになってくれたことにそう悪い気はしない。だけどこれまでの間、"紅灯火"でいたはずのこの男がどうして急にこんな風になったのか。それだけが疑問だった。
 
 
 
「……お前、今更趣旨変えかよ。格好悪リィぞ」
「教師生活は楽しかったし、紅灯火をやってる間は、それなりに自分が良いやつなんじゃないかって錯覚できたりしたから、楽しかったんだけどね。……でも、そうもいかなくなったんだ。優しいだけじゃ、大切な人達を守れないから」
 
 
 ふっ、と目を伏せて黒曜はそう語った。寂しさを感じさせるような、その瞳はどんな姿になっても変わらない。
 
 
 
 
「だから、暫く"紅灯火"は死んだことにでもするよ。生徒の皆は寂しい、って言ってくれるかもしれないけど、ひいてはこれも皆を守る為だ」
「…………紅灯火は死んだ。じゃあ、もし、お前の今の姿をお前の生徒が見たら何て答えるつもりなんだよ?」
 
 
 
 オレの冗談めかした問いに、これまた冗談めかして黒曜は答える。
 
 
 
 
 
 
「通りすがりの救世主、かなぁ?」
 
 
 
 
 
 
 
 笑えもしないくだらない冗談だった。だけど、そう悪くもない、そう思ってる自分がいたのも、それもまた事実だった。
 
 
 

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.81 )
日時: 2018/01/14 19:07
名前: 羅知 (ID: 1HkQUPe4)

 
 
 
 
 ∮
 
 
 
 
 急患として運び込まれた見覚えのある二人の学生の姿を見たとき、息が止まるかと思った。
 

 
「……トモ、やめてくれよ……こんなのは、こんなのは……俺は、嫌だ、嫌だ!!」
「離せ!!離せよッ!!!!……ケートをこんな風にした奴を殺すんだから、絶対殺すんだから!!!邪魔するな!!離せ!離せったらッ!!!!クソぉ……!!」
 
 
 
 忙しない様子で手術室に運び込まれる彼ら。そんな彼らを半狂乱になって叫びながら追い掛けようとする彼らの大切な大切な友人。どちらも可愛い僕の教え子だ。
 
 
 
(……誰だ)
(……僕の、大切な人達の日常を、壊したのは、誰だ)
(殺す)
 
 
 
 殺す。殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す。絶対に殺してやる。ぐちゃぐちゃにして、後悔してもしきれないような苦しみをお前に与えてやる。
 
 
 心の奥底に遠い昔に封じ込めた冷たい感情がふつふつと沸き上がってくるのを感じる。気が付けば僕は"僕"になっていた。暫く暖かく感じていた心が痛いくらいに冷めている。
 
 
 まだまだ日常を楽しんでいたかった。だけど誰かが僕の大切な人の日常を壊すなら、僕はいつだって自分の"日常"を手放そう。
 
 
 
 
 
 
 待っていろ、日常泥棒。
 これ以上はもう、奪わせない。
 
 
 
 
 ∮
 
 
 
 緑髪の彼はやたらと"強さ"というモノに拘ってるみたいだけど、僕にとってそれはあまり意味のないモノをだった。強くたって、弱くたって、大切なモノを失うこともあるし、守ることだってあるってことを僕は知ってる。結局は自分次第なのだ。それなら僕は強い人間にも、弱い人間にもなりたくなんてない。僕は大事な人を守れるようなそんな人になりたい。
 全てを失って崩れ落ちたあの人を目の前で見てからずっと、そんなことを考えていた。
 
(……先生にとって、一番大事だったものは"日常"だったんじゃないのだろうか)
 
 ありふれていて、それでいてあっけなくなくなってしまうささやかな光。それを守る為に僕は"黒曜"を捨てた。鮮やかな世界にそれはあまりにも汚れすぎていたから。
 だけど誰かが僕らの日常を犯そうって言うのなら、汚れ仕事は"僕"の役目だ。元々穢れた身の上だ、いくらだって汚れてみせる。
 
 
 
 手放した日常が惜しくないと言えば嘘になるけれど、ここでなにもしなかったら絶対僕は後悔する。これは僕の人生だ。苦しみも悲しみも全部背負って、僕はこの道をあえて選ぼう。
 
 
 
 大切な皆の幸せの為に。
 
 
 
 
 ∮
 
 
 そうと決めたら心残りは全部消化した方がいいと思った。これから自分がどうなるのか分からないのだから。
 
 
 そう思って、あの男の元へ向かった。
 
 
(結局何迷ってるのか、聞けずじまいか……)
 
 
 先生と彼に何か因縁があることなんていくら鈍感な僕でも流石に察しがついていた。彼が"僕"を見掛けると殺しにかかってくることはいつものことだけれど、今日の彼は明らかにいつもより動きが鈍かった。話し掛けた時も何かを考え込んで、上の空だったようだし、何かに気を取られていたのは明らかだ。そして何に気を取られているのかなんて彼の様子を見ればすぐに分かった。顔で笑いながらも、彼は何者に対してもどこかで一線を引いている。自分のスペースに他人を踏み込ませることはないが、他人のスペースに踏み込むこともない。そんな少なくとも人の心配なんてするタイプじゃない彼の先生を見る瞳は憂いを帯びていた。あぁ彼もあんな目で人を見ることがあるのだと、その時は随分驚いたものだ。
 仮にも長い間過ごしてきた仲だ。迷っていることがあるなら、何か力になってあげたいと思った。だけどもそうも出来ないのが僕達の関係だった。そんな簡単に相談乗って上げたり、乗ってもらったり、普通の友達みたいな関係だったら、僕達は今頃大親友だ。少なくともこんな面倒くさい関係にはなっていないだろう。
 
 
(……大丈夫?、とかそういう風に言えたらいいんだろうけど……僕達は"そんなの"じゃないし……)
 
 
 昔から喧嘩ばかりしてきた。くだらないことでお互いにキレて、どちらかが倒れるまで殺し合う。気も合わないし、馬も合わない、考え方も趣味も生きざまも何もかも分かり合えるものなんてなかったけど、それでもいざっていう時には僕と背中合わせで闘ってくれて、今日の今日まで共に過ごしてきた心強い仲間。
 
 
 
 ……なんて面と向かっては言えないけど。 
 
 
 
「やっぱり僕は強くなんてないよ。光君……」
 
 
 
 彼が"強い"と言ってくれた"僕"は、十年来の友達にたった一言の言葉すらかけてあげられない情けない奴だ。友達の悩みすら解消できない僕なんかが救世主を名乗るなんて甚だ烏滸がましいけれど、もう口に出してしまったことだから、今からでもそれに見合う自分にちょっとでも近付ければなんて気弱な勇気でそう思った。
 残された時間は短いかもしれないけれど。
 
 
 
 ∮
 
 
 
 菜種知と尾田慶斗の容態は命に別状はないということを聞いて、僕はほっと息を吐いた。まだ意識は戻ってないので完全に安心は出来ないけれど、それでもほっとした。
 
 
「……君達の日常は僕が取り返してみせるから」
 
 
 まだ寝ている彼らにそっと声を掛ける。勿論返事はなかったけれどそれでもそうせずにはいられなかった。
 日常泥棒の正体はまだ掴めていないけれど、"尾田慶斗がぎりぎりの意識でとった犯人の写真と犯人の衣服の繊維"がこちらにはある。菜種知の意識が戻ったら、犯人の肖像も次第に掴めてくるだろう。それに僕には天才的な才能を持った優秀な仲間が四人もいるのだ。彼らに迷惑は描けたくないので、決着は一人で行くつもりだけれど、詳細を省いて聞いてみれば何かヒントが手にはいるかもしれない。
 
 
 
(…尾田くん、菜種さんだけじゃない。馬場くんやヒナくんが安心して日常を過ごせるように)
 
 
 
 
 絶対に僕は。
 
 
 
 
 
 
「……ともくん、顔が怖いよ」
「…………茉莉」

 
 
 
 
 後ろから声がして振り向くと、そこには不安げに笑う茉莉の姿があった。きっと彼女のことだから、僕のすることなんてお見通しなんだろう。彼女の声は微かに震えていた。
 
 
 
「分かってるよ。……分かってる。ともくんは優しいから、残酷なくらいに優しいから、自分のやりたいことの為なら、自分さえ省みないんだもんね。ずっと一緒だったから、そんなことは分かってた。……分かってた、けどさ」 
「…………止めても無駄だよ、茉莉」
「分かってるよ!…………そんなこと、分かってる。こうなったともくんは、あたしにも、止められない。知ってるもん」
「………………」
「……ともくんが傷付くくらいなら、あたしがズタボロになった方がいい、っていつも思うの。だけど、そうすると、ともくんの心がズタボロになるんだもんね、あたし以上に……。ねぇだから一つだけ、聞いて?あたしのお願い」
 
 
 
 
 ぼろぼろと涙を溢しながら彼女は言う。
 
 
 
 
 
「…………絶対に、死なないで。ともくんが死んだら、あたし、"あたし"じゃなくなっちゃうから」
「ッ…………!!」
 
 
 
 
 
 
 ……そんな泣きながら言われたら、簡単に死ねないじゃないか。
 


 顔をぐしゃぐしゃにして泣く彼女を抱き締めると、彼女の鼓動と僕の鼓動がとくとくと鳴っているのを感じた。




**************************************
【良心】→【両親】


その光景を見て。
両親をなくした少年は泣きました。
良心をなくしたかつての少年は笑いました。
だけど二人の心の中はおんなじでした。
信じていたものを失って、空っぽのがらんどうになったのでした。

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.82 )
日時: 2018/01/17 19:52
名前: 羅知 (ID: mk2uRK9M)

第七話【愛と勇気】




 
 幸せになる為に、"僕"は生まれた。
 
 
 僕が"僕"である時には、そこまではっきりと自覚していた訳ではなかったけれど、"幸せになりたい"胸の奥で常にそんな風に願っていたことは確かだった。僕はどうしたかったのだろう。何を幸せだと思っていたのだろう。何を持ってして"幸せ"と考えていたのだろうか。その時にはそんなことちっとも考えてちゃいなかった。大して問題視していなかった。今更になって思う。僕はもっと考えるべきだったのだ。自分が"何をしたくて"、"どうななりたい"のかしっかりと自覚するべきだった。気が付いた時には全部手遅れだった。
 
 
 まるで自分が自分じゃないみたいに地獄の真ん中で僕は笑った。その時にはもう"僕"ではどうしようもなかった。自分の感情が自分では、もう扱えなくて。笑えて。笑えて。
 
 
 
 
 
 
 拝啓次の"僕"へ。
 どうか君は"自分自身"を見失わないで。
 "僕ら"のようになってはいけない。
 "僕ら"のことなんか忘れていいから。
 嫌って、いいから。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 だから、絶対に、幸せに、なって。
 
 
 
 
 
 ∮
 
 
 
 
 
 朝、だった。
 
 
 
 カーテンから差し込む仄かな光が眩しくて、僕、濃尾日向は目を覚ます。まだ覚醒しない頭をフル回転して状況の把握に努める。寝ぼけ眼をごしごしと擦ると、少しだけ眠気が覚めたような感じがした。何だか随分長い間眠っていたように思う。昨日の記憶も曖昧だ。文化祭があって、打ち上げをして-------------そのあと、どうしたのだっけ。そこからが、どうしても、靄にかかったように思い出せない。周りを見渡せば、白いベッドと白い壁。知らないのに、知っている-------既視感のある風景。きっとまだ寝惚けているのだろう。そう思うことにした。思い込むことにした。
 ふと鼻につーんとした薬品の匂いがして、此処が病院であるという事実に辿り着く。それならこの部屋が白に包まれていることにも納得がいく。
 状況はある程度掴んだ。自分は今病院にいる。きっとここで一晩を過ごしたのだろう。だからといって、そうかそうか此処は病院なのか……!と一息つくことも出来ない。
 
 
 一体どうして僕はこんな所にいるのだろうか?
 
 頭が大分覚醒したからか、周りの状況が冷静に判断出来て、次々に頭の上に沢山の疑問が浮かんでくる。しかしそのどれもが僕の今現在持っている情報では解決できないものばかりだ。ただでさえろくに昔のことすら覚えていないのに、昨日のことすら思い出せないなんて情けなさすぎる。こうしちゃいられない。そう思った僕はベッドから降りて、誰か昨日のことを知っている人を探すことに決めた。
 さっきまで被っていたシーツは何故だか妙に湿っていて、どこかで嗅いだことのある香りがしていたが、その匂いの持ち主を思い出すことは出来なかった。
 
 
 
 ∮
 
 
(……とはいってもだ)
 
 病院内は相当に広く、自分が今何階にいて、何科の辺りにいるかも見当がつかない。窓から見える景色は高く、高層階にいるということだけは予測できるけれど、逆に言えばそれしか分からない。だから僕はまず案内板のようなものを探そうと先を進んだ。
 人が多く、なかなか進むのに苦労する。医者に、看護師、患者に、お見舞いにやって来たような人----院内は様々な人でごったがえしていた。ひょっこひょっこと人を避けながら歩いていくき、僕はなんとかナースステーションのような場所まで辿り着くことが出来た。案内板もそこにあった。
 ふと、ナースステーションで忙しなく動いている看護師の一人と目が合う。四十代くらいの背の高い女の人で、僕の顔を見て、驚いたような顔をしている。そして数秒も経たない間に彼女はその驚いた顔を破顔させて僕に近寄ってきた。
 
 
「んまぁ!!ヒナちゃん大きくなってぇ…………!」
「……は?」 
「ヒナちゃんは人気者だったから、おばさんのことなんか覚えてないわよねぇ!…随分見ない間に別嬪さんになってて、おばさん驚いちゃった!!」
 
 
 突然話し掛けられて驚くのはこっちの方だ。確かに高校に入る前に一度病院にいたことはあるけれど、僕にこんな親しげに話し掛けてくる人はいなかった。ましてや"ヒナちゃん"なんて、そんな。自分の全然知らないことをマシンガンのような勢いで話されて、頭がショートしそうだ。そんな僕の様子に気づいてるのか、いないのか、女の人は続けざまにこう言った。
 
 
「四階の突き当たりの部屋にはもう行ったの?…あぁそれにしても見れば見るほど似てるわねぇ、彩斗先生に!」
「…四階?……彩斗、先生?」 
「その様子だとまだ行ってないのね。彩斗先生、最近は忙しいみたいだからヒナちゃんの顔も最近見れてないんでしょうねぇ!顔見せてきてあげればいいと思うわ!」
 
 その言葉で僕はようやく思い出す。ここは高校以前を過ごした病院だ。星さんに心配されて、泣かれて、白衣を着た先生に、何も心配いらないと、そう言われて。よく見れば院内の造形はあの時と何も変わっていない。確か名前は彩ノ宮病院。僕の住んでる町の隣町にある一番大きな病院だった。
 
(それじゃあ、僕は倒れでもしたんだろうか……それならあの場所の近くにあるこの病院に運び込まれるのも理解できる……)
 
 あの時運び込まれたのが今いる階----八階だ。怪我か何かで短期の入院をする人が来る階だった。しかし僕の体に外傷はない。それにその時にこんな人に会った覚えもないけれど……
 
 よく分からないけれど、その四階の突き当たりの部屋に僕の知り合いがいるらしい。そしてその人は僕によく似ているらしかった。何はともあれその人が僕とつながりのある人というのなら、僕がここにいる理由を知っている可能性が高い。とりあえずその"彩斗先生"という人に会ってみよう。僕は目的地を四階の突き当たりの部屋に切り替える。
 案内板を確認した。四階は精神科の階だった。
 
 
 
 ∮
 
 
 
 四階は今までの部屋とは少し空気が違うように感じた。なんというか、その言葉には表せないけれど、変な感じがする。
 
(……いや、変っていうのも違うかな)
 
 表現出来ないけど、なんだかさっきからいたるところに"既視感"を感じるのだ。そりゃあ一度来たことのある場所なので階は違ったとしても既視感があるのは当然だと言われればその通りかもしれない。
 だけど違うのだ。
 僕の感じているこの既視感はそんなあまっちょろいものじゃない。もっと強烈で、鮮烈で、はっきりとして---------
 
 
(…………あ、れ?)
 
 
 一瞬視界が二重に見えるような錯覚を起こす。あわてて頭を振って体勢を整えると、そんなことはなく景色はただの病院の風景に戻った。目が疲れてるのかもしれない。ここ数日文化祭の準備で忙しかったから。
 早く、早く先に進んで、この疑問を解決したら家に帰ろう。そしてゆっくりゆっくり眠ってしまおう。明日からは学校なんだ。体調を崩したら一大事だ。
 
 一歩、また一歩と先へ進む。何だか視界がまだぐらぐら揺れるような気がするけれど。きっと錯覚だ。ちょっと目眩がするだけだ。
 
 
 
 

 
『『ヒナ!』』
 
 
 
 
 
 
 
 後ろから、子供のような、無邪気で、高い声で、そんな風に呼ばれる。
 
 
 聞き覚えのある、声。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「…………だれ?」
 
 
 
 
 
 

 
 ゆっくりと振り返る。
 
 
 
 
 
 
 
 そこには誰の姿もなかった。
 
 
 
 
 
 ∮
 
 
 
(……これじゃあ無駄足じゃないか)
 
 言われた通りに突き当たりの部屋へと向かったが、そこには誰もいなかった。休憩室らしく座り心地の良さそうなソファーベッドと作業するスペースがかろうじてある小さな机。医学の本が多く詰まった本棚があった。そこで過ごしている人の性格や思い出などを想像させるようなものは何一つない。暫く待ってみたけれど、人が来る気配もなかったので諦めて元の部屋に戻ることにした。もし誰かが僕をここに連れてきてくれたのなら、様子見にあの部屋に来てくれる可能性も高いだろうし。
 それにしてもここにいるはずだった"彩斗先生"とは一体どんな人物だったのだろう。僕によく似ていると言っていた。それならば僕の血縁者だろうか?名前からして男の人であることは明らかなので、きっと僕と同じような女顔なのだろう。そう考えると会ったこともないその人に同情した。
 
「おっ……と!」
 
 出入口に向かおうとしたら、本棚に肩がぶつかってしまったらしい。二、三冊本が転がり落ちてしまった。急いで拾い上げると、本のページとページの隙間にハガキ程の大きさの写真がまるでしおりみたいにはさんであった。
 
「…………」
 
 人様の写真を勝手に見てはいけないという倫理とやっぱり気になるという好奇心がせめぎあって最終的に好奇心の方が勝った。ちょっとだけ、ちょっとだけと誰に言うでもなく心の中で言い訳しながら、そおっとその写真がはさまっているページを開く。
 
 
 
 暫く開かれていなかったのだろうか、そのページは埃にまみれていた。写真には幸せそうに笑う男女の結婚式の様子が写されている。ベールで顔が隠れて顔立ちがよく見えないがピースを作ってにっこりと笑っている女性。そんな彼女の肩を抱いて、とろけそうな程に笑っている男性。
 
 
 
 
 
 愛に溢れた光景。
 こんなの一秒でも気持ち悪くて見てられないはずなのに。
 
 

 
 
 
 

 何故だか目が逸らせなくて。その幸せそうな光景を、僕は時を忘れて見つめていた。
 
 
 
 
 
 
 ∮
 
 
 
 
 
 夢を見ているような心地だった。
 なんだか気分がふわふわして、ぼんやりとして、気持ちがよくて……そんな風にしていて、急にはっと本来の目的を思い出す。
 
 
(……そうだ、早く戻らなきゃ。どうしてこんな所で立ち止まってるんだ)
 
 
 
 やっぱり今日はなんだか調子が変なようだ。くらくらするし、幻覚は見るし、幻聴は聞こえるし、気分もずっとぼんやりしっぱなしだ。早く事情を知ってる人に会って、家に帰って、寝よう。
 
 
 
 なんだかこれ以上この場所にいけないような気がした。変に胸騒ぎがするのだ。
 
 
 
 
 ここにいたら、僕は、きっと。
 
 
 
 
 
 
 ∮
 
 
 
 
 八階まで戻ると、さっきまでいた部屋の前で数人が待ちぼうけしていた。戻ったら人がいるかもしれないという僕の予想は間違っていなかったらしい。
 
(……あ)
 
 まだ距離が遠いので認識しがたいけれど、数人の中に馬場と愛鹿が混じってるのを確認する。もしかして二人が運んでくれたのだろうか。だとしたら後でお礼を言わなきゃいけない。……今回の文化祭では馬場にも愛鹿にも散々お世話になってしまった。
 それにしてもあの二人、いつの間に知り合いになったのだろう?そんな暇はなかったと思うけど、文化祭の隙間にでも会ったのだろうか。細かいことは分からない。だけどただ素直に良かったな、そう思えた。馬場の脚本を誉めちぎっていた愛鹿。そして変に演技に厳しい馬場。演技派な二人のことだ。何だかんだいって気は合うんじゃないだろうか。
 
 
 
 
 
 
 ありがとう。そんな気持ちを込めて、まず手始めに彼らの名前を呼ぶ。
 
 
 
 
 
 



 
 
 
「待たせてごめん、"ユキ、シロ"…………」
 
 
 
 





 
 
 え。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 今、僕は誰の名前を
 

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.83 )
日時: 2018/01/25 23:44
名前: 羅知 (ID: W/./TtvA)

 明るくて笑顔の素敵な女の子。
 気弱だけどとっても優しい男の子。
 二人はとっても仲良しで、××だけ元から"おともだち"じゃないから、実は少し寂しかった。
 
(……なんだっけ)
 
 だけどそう言ったら二人はにっこりと笑って、××の体をぎゅーっと抱き締めてくれた。
 
(……この、"記憶"は、なんだっけ)
 
 痛いくらいに抱き締められて、だけどそれはとっても心地よくて。まるで、まるで大好きだよって全身全霊で伝えられてるみたいで。
 
 
 
 
 
(……忘れちゃ、駄目なはずなのに) 
 
 
 
 
 
 
 大好きだった。
 
 
 
 
 
 
(……思い出せ、思い出せよ)
(…………またね、っていったんだ)
(………………あの時、僕は、一体どんな気持ちで、彼らと)
 
 
 
 
 
 
 頭の中の小さな"ヒナ《ぼく》"は、にこにこと笑う。
 
 
 
 
『しあわせ!』
 
 
 
 
 そう言おうとして、潰されていったあの子は一体どんな気持ちだったのか。
 確かに"僕"であるはずの"ボク"はどうしてああまでして"ヒナ"を否定するのか。
 
 
 僕に一体何があって、どうしてこうなってしまったのか。
 
 
 
 
 
 何度も、思い出せるチャンスはあったのに、それを何度も逃してしまったような、そんな気がする。
 
 
 
 
 (……思いだそう)
 
 
 
 
 
 
 きっとこれが"サイゴ"のチャンスで、今度こそ僕は"僕"を思い出す。
 
 
 
 
 そんな、確信があった。
 
 
 
 
 ∮
 
 
 
「……ん」
「あ!け、けけけケート起きた!?け、ケートぉ……良かったぁ……起きた……」
 
 
 目を開けると、天使みたいなシーナの泣きそうな顔が目の前にあった。あとなんかめっちゃ腹が痛かった。シーナが可愛いからオレの腹のことなんかどうでもいいか、と思ったけど、シーナが悲しそうな顔をしてるのは一大事なので、とりあえずこの腹の痛みの原因を考えてみよう。多分この痛みが原因だ。ちょっと頭が混乱してて昨夜何があったか思い出せないけど。
 
 
「……オレ、生理でも急にきたの?」
「ばか。そんなワケないじゃん!」
 
 
 だよなぁ。本当の女の子よりも可愛いシーナにくることはあったとしても、オレに生理がくる可能性は万に一つとしても有り得ないはずだ。というか天使に性別はないはずなので、シーナに生理がくる可能性もないな。うん。……あー、だけどシーナの赤ちゃん見たいなぁ。絶対可愛いよなぁ。……うーん……あ、でも最近は性別のある天使とかもいるよな。じゃあいいのか。あー、シーナ可愛い。見てると腹の痛みとかなかったことに思える。いやいやいやシーナ可愛さを前にして痛みなんてある訳ないだろうオレ馬鹿だなぁうんうんあーそれにしてもシーナ可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛いあーシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナシーナ 
 
 と、オレが妄想に更けこんでいると泣きそうだった顔はいつの間にか真っ赤に茹でられたタコみたいな怒り顔に変わっていて、オレはやっぱりシーナはどんな顔してても可愛いなと心の中で呟いた。
 いつも通りなのだけれど、オレのそんな態度にぷんすかと怒りながらシーナはもう!とますます不機嫌になっていく。どうやらシーナのそんな怒りはオレに対する心配からきてるようだ。
 
「もう!もっと真面目になってよッ!ケートお腹刺されて死んじゃうところだったんだよッ!ばかばか!」
「……腹を、刺された?」
「そうだよ!昨日の夜病院から連絡がきて、ケートが、大変なことになってる、って聞いて、ボク、ボク…………心配したんだからッ!」
 
 
 そこまで言われてようやく思い出す。オレは昨日打ち上げの帰り道で腹を刺されたのだ。死にそうなくらい腹が痛くて、熱くて、意識も遠のきそうになりながらオレは何とか現状で出来ることをしようと思って、まず手元にあった自分のケータイを手に取り、走ってその場から立ち去ろうとする犯人の写真を撮った。自分を刺した犯人の正体を撮ろうとした訳ではない。こちらに意識を引き付けようと思ったのだ。
 犯人の向かった方向はシーナの家のある方向だった。このまま奴が先へ進めばシーナも襲われる可能性が大いにある。そんなことになったらオレは此処で死んだとしても死にきれない。そうなるくらいなら、オレがここで相手を引き留めておき、シーナが家に戻るまでの時間稼ぎになれればいいと思った。シーナの為ならオレの内蔵の一つや二つ、いや三つも四つも-----いくらでも安いものだ。
 さぁ犯人オレに気付け。オレに写真を撮られたことに気付け。オレの身体ならいくらでもぐちゃぐちゃにしていいから。
 
 そう願いを込めて動かなくなろうとする身体でどうにかこうにか声をあげ、相手を引き付けようと思ったのだけれど、懇願空しく犯人は気付かず先に向かってしまった。
 
 こうなるとオレに為す術はなく、無様にオレは冷たい道路に転がった。もう意識もほとんどなく、周りの気温も相まって身体が少しずつ冷たくなっていくのを感じる。あぁ、死ぬのか。と漠然と理解している自分がいた。
 
 オレは生きることを放棄した。とにかくシーナだけは助かりますように……そう願って、目を閉じた。
 
 
 
 
(はずだったんだけどな……)
 
 
 
「本当に、もう……その"女の子"がいなかったら死んじゃうとこだったんだよ!?」
「本当、命の恩人だよ……感謝してもしきれない」
 
 
 
 結果的にオレは死ななかった。とある"偶然そこを歩いていた女の子"のおかげで。
 
 
 意識も生きる意志も手放そうとしたその時、すっとんきょうな悲鳴が聞こえた。何事だろうと目をうっすらと開けると、知らない女の子がオレの脈を確認して、すぐさま慌てた様子でどこかに電話を掛けている。あぁ死に際だっていうのに騒がしくしないでくれよ、そう思って今一度目を閉じようとすると、オレのそんな様子を見た彼女は叫ぶ。可愛らしい見た目に似合わない獣みたいに吠える。
 
 
「大切な、奴…大好きな奴のこと…ソイツのこと考えてみろ!」
 
 
 随分変なことを言うと思った。だけどオレはなんとなくその声に従っていた。シーナのことを考えた。
 
 
「ここで死ねば、お前はソイツに大好きって言えなくなる!愛してるって言えなくなる!抱き締められない!二度と顔を見られない!」
 
「お前が死ねば、ソイツは絶対悲しむ!わんわん泣く!お前の後を追って死んじまうかもしれない!お前それでいいのかよ!?」
 
「嫌なら生きろ!!絶対に、だ!…………お前は、好きだって言えるんだから……これから何回だって、言えるんだから……生きろよ!!」
 
 
 どこかの当て馬とよく似たことを言うなぁ、と思った。お前は好きだって言えるんだから。なんて。お前も、言えばいいのに。はは。は。そう笑いたかったけど、頭に血が回らなくて表情すら動かせなかった。
 
 
 こうしてギリギリでオレは生きる意志を取り戻した。そうこうしてる内に救急車がきて、オレはとにかく絶対に生きてやると、そう思いながら意識を手放した。シーナの顔が二度と見れなくなるなんて、絶対に嫌だったから。次に起きたらいっぱい"好き"を伝えよう。そう思って。
 
 
 
「結局、誰だったんだろうね。その女の子。……救急車には乗らなくて、その場で分かれちゃったんでしょ?」
「知らない子だったからなぁ、年はオレ達と同じくらいに見えたけど……あ、でも顔は凄い可愛かったよ」
「…………ボクとどっちが?」
「シーナに決まってるだろ?ばーか」
「えへへ」
「はは」
 
 
 そうしてシーナは少し照れながら、にっこりと笑う。可愛い。馬鹿みたいに可愛い。好きだ。大好きだ。心の中の溢れるくらいの愛をそのまま彼に伝えると、彼もまた同じようにオレに愛を返す。
 
 
「大好き。心の底から愛してるよ、シーナ」
「ボクもケートのことが、だーいすき!」
「いっぱい?」
「いっぱい!」
 
 
 
 そうやって一緒に笑いあった。
 
 
 
 ∮
 
 
「ところで、シーナ?なんか大きめなカバン持ってるみたいだけど何入ってるんだ?」
「あ、これ?」
 
 
 ひとしきり笑ったあと、ふとシーナが持ってきていたカバンに何かがきらりと光っているのに気付く。オレのその問いかけにシーナはそういえばという様子で中のモノを自慢げに見せてくれた。
 
 
 
 
「包丁」
「…………」
「ケートが寝てる間にホームセンターで買ってきたんだ。へへ、これでいつでも犯人をぐちゃぐちゃに出来るよッ!」
「……シーナ、駄目だよ」
 
 
 
 
 
 にこにこと笑いながら包丁を構えているシーナを諌める。どんなにシーナが可愛くたって、駄目なものは駄目だと教えてあげなきゃな。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「それじゃあ、犯人を"ぐちゃぐちゃ"にできない」
 
「それに、"ぐちゃぐちゃ"なんかじゃ足りないだろ?」
 
「ぐちゃぐちゃの、めちゃめちゃの、ぬったぬったの、めっちゃくちゃの、べちゃべちゃにしてやらなきゃ」
 
「……だから、さ。オレが退院したら、一緒に行こう」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 二人の敵は、二人で一緒に殺ろう。
 
 
 
 
 
 
 
 オレの"駄目"という言葉に少ししょぼんとしたシーナだったけれど、その後の言葉を聞くとすぐに笑顔が戻って「そうだね!」と嬉しそうに頷いた。良かった。シーナには、やっぱり笑顔がよく似合う。
 
 
 
 シーナの笑顔を見て、オレも嬉しくなり、また笑った。
 
 
 

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.84 )
日時: 2018/01/29 07:16
名前: 羅知 (ID: 7JU8JzHD)



 お昼を過ぎてあまり味のない病院食を口にした後、口直しにと言ってシーナが林檎を買ってきてくれた。オレが、うさぎにしてほしいな、と自分でもちょっと気持ち悪かったかなと思いながらもおねだりすると、しょうがないなぁ、と言ってシーナはオレの目の前で林檎を剥き始めた。優しい優しいシーナ。天使というよりも女神という表現の方が正しいんじゃないかなんて思い始める。
 
 しゃりしゃりと小気味良く林檎を剥いていくシーナを見つめていると、ふと思い出したように物憂げにシーナが目を伏せる。どうしたのか、と聞くとその鬱とした表情のままシーナはその理由を話し始めた。
 
 
「トモちゃんは…………大丈夫、なのかなって」
「トモって、菜種のことか?……菜種がどうかしたのか?」
 
 
 オレのその言葉を聞いて、そういえばケートは知らなかったねと言って苦笑いするシーナ。笑ってはいるが、その笑顔は無理矢理で苦しそうなのが丸分かりだった。菜種……シーナと仲の良い友達の一人だったはずだけれど、彼女がどうかしたのだろうか。
 
 
「トモちゃん……歩道橋から突き落とされたんだって。それで、今でも意識が戻らないんだって……」
「!?……シーナは、お見舞いにいかなくていいのか」
「………………ダメだよ」
 
 断固たる口調だった。そんなこと出来るはずがない、そうとも言いたげなそんな言い方だった。
 
 
「……あんな、動揺して、震えてて、泣いてる人の近くに、"大切な人が少なくとも目覚めてるボク"が行けるわけないから」
「…………」
「彼のあんな顔初めて見たよ。いつも仏頂面なのに……あんなに慌てて、泣いてて……凄く、凄く大切に想ってるんだなって嫌なほど伝わった」
 
 シーナの言っている"彼"とは誰のことを言っているんだろう。口調からしてシーナの知り合いなのは確実だ。それなら学校の人間だろうか。確か菜種には恋人はいなかったはずだけれど。全くどういうことなのか理解できていないオレをお構い無しにシーナはまるで一人言みたいに続けてこう呟いた。
 
「トモちゃんも喋り方には癖があるけど、まっすぐな子だからね。好きになる気持ちも凄く分かる。彼もきっとトモちゃんのそういうとこを好きになったんだろうな……」
「…………?」
「うん、凄くお似合いッ!!……なのに、なのに、どうして」
 
 
 
 
 
 
 
「どうしてこうなっちゃったんだろ…………」
 
 
 
 ∮
 
 
 
 これは私の記憶。
 
 
 
 
『ねぇおかあさん、私のことすき?』
 
 
 
 
 ええとっても。母はいつもの調子で笑いながら答えた。周りの人に嘘をつく時と何も変わらない態度で。
 
 
『……そっか』
 
 
 母の言葉が重みを持つことは、きっと一生ないのだろう。
 
 幼くしてそのことを悟った私は、もう二度とその質問を母にすることはなくなった。だって、やったって何の意味もないんだから。意味のないことに、する価値なんてあるはずがない。
 
 
『嘘です。本当は---------』
『これは本当です』
 
 
 いつしか癖になっていた言葉達。母の影響だ。気が付けば私は言葉の"嘘と本当"に敏感な人間になっていた。他人の言葉にも、自分の言葉にも。
 本当だって信じたいのに、実は嘘なんじゃないかって思ってしまう。自分の言葉にすら確信が持てない。嘘と本当を見分けるのはとても難しい。
 
 
 文化祭の帰り道。
 ふと私に掛けられる声がして振り向くと、ガノフ君が私に向かって手を振っていた。そのままこちらに向かってくるガノフ君。その表情は笑顔だ。
 
(彼の伝えてくるものは、いつだってまっすぐで"ホンモノ"だ)
 
 その笑顔を見ていると、こちらまで頬が緩んでしまう。一歩、また一歩と階段をかけ上がってくる彼を見ながら心が浮き出し立つのを感じた。
 
 だけど私は。
 
 
 
『トモ!オレはお前のことが------』
 
 
 
 彼の"その言葉"を最後まで聞くことが出来なかった。
 
 
 
 
 後ろから強い力で押されて、身体が傾く。ぐらりとバランスを崩して柵に乗り出した身体は重力に従って下に落ちていった。
 
 
 
 
 
 彼の言葉の代わりに聞いたのは、犯人のこんな台詞。
 
 
 

 
『ねえ。君のお母さんは今度こそ心配してくれるかな?』
 
 
 
 
 
 
 ずっと、心に抱えていたモノを、見透かされたような、そんな気がした。
 
 
 
(……全然、諦めきれてなんか、なかったんだな。私は) 
 
 
 
 
 
 やっぱり私は嘘つきだ。
 
 
 
 
 
 落ちていく中で、犯人の口元がにやりと笑っていたのが見えた。
 
 
 
 ∮
 
 
 目覚めると、周りは真っ暗でしんと静まりかえっていた。さっきまで落ちていく自分の夢を見ていたので自分に何があったかははっきりと覚えている。文化祭の帰り道、私は突き落とされたのだ。歩道橋の上から。
 幸い命は助かったようだけど…。

 
("幸い"かぁ……幸いなのかな、これ) 
 
 
 周りを見回しても見えるのは暗闇ばかりで、自分の手元すら確認することが出来ない。また体勢を整えようと身体を動かすと全身に痛みが走った。不安定な状況にいると、どうも薄暗い想像ばかりしてしまう。まぁ私のいるところはまっ暗闇だけど。……面白くもない冗談だ。
 
 
「まったく何やってんだろう、私……」
「何やってるんだと思う?」
「!…………その声、紅先生ですか」
「うん。起きたんだね、良かった」
 
 
 てっきり私一人だと思っていたので、結構大きな声で喋ってしまって少し気恥ずかしい。まぁこの暗闇じゃ、顔が赤くなってもまったく分からないけれど。
 

「…先生、酷いですよ。いるならいるって言って下さい」
「ごめんね。声を掛けるタイミングを失っちゃったんだ」
「もう。許しません。……嘘です。別に許しますよ、これくらい」
「ありがとう」
 
 
 先生の声が若干やわんだような、そんな気がした。それにしてもこんな泥棒みたいな入り方しなくてもいいのに。こうして声を掛けられるまで気付けないくらい気配がないとかまるで忍者だ。
 
 
「怪我は大丈夫?」

 
 心配そうな口振りでそう聞かれて、私は返答に戸惑った。大丈夫、といえば嘘になる。だけど思っていたよりも軽症だなとも感じていた。少し逡巡した結果、思ったことをそのまま伝えることに決めた。
 
 
「大丈夫……といえば、嘘になります。だけど思っていたよりも軽症だったなとも感じています。犯人の落とし方が良かったんですかね」
 
 
  私の冗談の混じった言葉に先生は少し疑念を抱いたらしい。私をユーモアの欠片もないつまらない女とでも思っていたのだろうか。そうだというなら心外だ。私だって冗談を言うときくらいある。……今回の場合、半分くらいは本音だったのだけど。
 
 まあ、疑問を抱かれていようが、何を思われていようが、私には関係のないことだ。そう考えて私は私の話したいことをそのまま話させてもらうことにした。
 

「……先生。実は今回の事件のことで私、別に犯人のこと恨んでなんかないんです」
「どうして?」
 
 
 心底驚いたような、そんな口調だった。
 
 
「……分かんないです。でも不思議と怒りとかそういうのは湧いてきません。突き落とされたっていうのに、何でなんでしょうかね」
「…僕には分からないよ。君の気持ちが」
「……はい。多分、分からないと思います」
 
 
 きっと先生には分からないだろう。私の本当の本当の気持ちなんて。うわべだけでは理解できたとしても、本当の本当に分かるなんてこと。それは嘘と本当を見分けるのと同じくらい難しい。
 
 
 
 
 先生、それに"貴女"には人の気持ちは理解できないでしょう?
 
 
 
 
 
「……もしかして、君は犯人の正体を分かってるのかな」
「そんな訳ありません。もし分かっていたら、よほどの頓珍漢じゃない限り人に伝えますよ」
 
 
 
 嘘だった。自分も随分嘘が癖になってしまったな、と気が重くなる。
 
 
 
「…………」
「…先生。私、親が教師で、帰ってくると、いつも一人で、凄く寂しかったんです。……だけど近所のお姉さんがよく遊びにきてくれたから、その時だけは寂しくなくなった」
「…………」
「それが、嘘だったとしても、演技だったとしても、何もこもっていなかったとしても、その時の私を先生は全力で騙してくれた。……私はその恩に報いたいんです」
「…………」
「おかしいですよね。やっぱり、私」
 
 
 
 先生は大きく溜息を吐いた。私は、先生のそんな大きな溜息を初めて聞いた。遊んでくれた時には、貴女はいつも笑っていたから。
 
 
 
 
「……おかしいよ。すごく」
 
 
 
 
 
 
 長い長い溜息のあと、先生はそう言った。その通りだ、と思った。
 
 
「……そろそろおいとまするよ。遅くにごめんね」
「……分かりました。あ、最後に一つ」
「何?」
「"お母さんは、私を心配してくれましたか?"」
 
 
 
 先生は数秒間黙って、そして口を開く。
 
 
 
「"とても心配してたよ"」
 
 
 
 
 先生は、演技は凄く上手だけど、嘘は下手ですね。そう思ったけれど、役者にこの言葉は無粋だろう。喉まで出かかって、飲み込んだ。
 
 
「他の人も凄く心配してたよ。だから早く元気な顔を皆に見せなよ」
 
 
 今はその"本当"だけで、充分だった。高望みはよくない。
 
 
 
「じゃあね」



 
 入り口はドアしかないはずなのに、閉まる音はいつまで経っても聞こえてこなかった。
 
 

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.85 )
日時: 2018/02/10 05:41
名前: 羅知 (ID: VN3OhGLy)


 今度こそ一人になって、部屋の中に静寂だけが広がる。もう一度寝ようにも目が冴えてしまって寝れないので、何か適当なことについてでも考えよう。そうすることにした。
 クラスの皆は私が歩道橋から転落したことにびっくりするだろうか。それとも多少驚いてもそのあとまた同じような"いつもの生活"を続けるのだろうか。前者であってほしいけれど、きっと後者の方が多いんだろう。そう考えている自分がいた。結局そんなものなのだろう。近くの人一人が大怪我をした、そうなったところで"日常"は続いていく。"続かれていく"という表現の方が正しいだろう。何事もない日々を送りたい人々の思いによって、事件はなかったことにされるのだ。自分の身に起きなければ、どんな凶悪な事件だって所詮は他人事だ。他人の問題になんて足を突っ込みたくないだろう。そしてその考えを冷たい考えだなんて言えるわけがない。誰だって、そうなのだから。
 
(そう……なんだよね)
 
 かつて、"濃尾日向と馬場満月"に"日常"を壊される、そう考えていた時があった。
 
 かつてという程、前のことでもない気がするけれど、今では私の中にそんな考えは一切なくなっていた。むしろどうしてそんな自分本意なことを考えていたのだろうかと以前の自分に疑念の念を覚えるくらいだ。日常を壊されるというならよっぽどか"あの人"の方が危険因子だったというのに、それは見逃した自分。許した自分。
 
 それなら私が守りたかった"日常"とは一体なんだったのだろう。
 
 私も私の周りの人もそれなりに幸せな生活が続いていくこと……?ああなんてエゴイステイックな願いなんだろう。明確に言葉に表して殊更にそう感じた。
 それでも私たちはそう願わずにはいられない。変わらぬものなど何もないのに。いつだってそれを失う恐怖と戦いながら。
 
(あの二人は一体どんな"日常"を望んでいるんだろうな……)
 
 文化祭の時、随分と楽しそうだった彼ら。そういえばそんな二人の姿を見て、私の彼らに対する疑念は消えていったのだっけ。良い意味であの時クラスは一つにまとまった。全部全部あの二人のおかげだ。疑っていた自分をバカらしく感じた。
 
 
 
 だから。もし彼らに送っていたい"日常"があるとするのなら。
 
 
 
 
 
 どうかそれが叶いますように。そう心の中で静かに願った。
 
 
 
 
 ∮
 
 
 
 
 気が付けば僕は見知らぬ町にいた。意識ははっきりしているけれど、これは夢だとすぐに分かった。現実とは明確に違う点。現実ならば確実にあり得ない違和感。
 
 視界が明らかに低すぎるのだ。
 
 いくら僕の背が低いといっても、これではあまりに低すぎる。地面から視点まで僅か一メートルもない。見るもの全てが大きく写って、まるで幼児になったような錯覚を覚えた。
 
 ……"まるで幼児に"?
 
 
「!?」
 
 手を見ると、そこには紅葉みたいなもちもちした自分の手があり、足は何だか踏む面積が小さく身体が安定しない。心なしか頭も重く感じる。それはまさしく"幼児"の身体だった。何ということだろう。僕は夢の中でとうとう幼児になってしまったらしい。低い視界からきょろきょろと辺りを見渡すが見えるものには限りがあって、此処が一体どこなのか、住所を表すようなものは一切見えない。
 ……夢の中で迷子なんて笑えない。ここは僕の頭の中なのだ。だから迷うはずがないのに。迷う必要なんてないはずなのに。身体の幼児化に頭まで引き摺られてしまっているのか、だんだんと不安になってきて、にわかに泣きたくなってきてしまった。
 
 
(……ああ、もう、どうしろっていうんだよ!)
 
 
 とにかく進んでみよう、そう思って覚束ない足で一歩、また一歩とよちよちと進んでいこうとしたその時。
 
 
 
 
 
 
『『そっちじゃないよ』』
 
 
 
 
 
『『こっちこっち』』
 
 
 
 
 
 
『『ほら、おいで?』』
 
 
 
 
 
 
 
 
『『日向』』
 
 
 
 
 
 
 後ろの方から声が聞こえた。何故だかその声はどこか懐かしいような気がした。誰の声だか分からない。だけど、だけどこの声を聞いていると。
 
 
(すごく……気持ちが落ち着く気がする……)
 
 
 くるりと方向転換をして、声のする方へ声のする方へ進んでいく。よちよちと、よちよちと。一歩、一歩を踏みしめて、よろめきながらも前に進む。
 
 
 
 
 
 
 
 
 まるで幼子が、親に呼ばれてついていくみたいに。
 
 
 
 
 
 
 ∮
 
 
 慌ただしかった休日が終わり、複雑な気分で学校へ向かうと随分と空席が多く感じた。尾田慶斗、菜種知が事件のようなものに巻き込まれたことは椎名から聞いていた。濃尾日向のことで気を取られていた間にそんなことになっていたなんて全くもって知らなかったので昨日の夜、そのことを聞いた時は随分と驚いたものだ。尾田慶斗はもう目を覚ましたらしく、椎名の様子は思っていたよりも落ち着いていた。菜種知も意識こそ昨夜時点ではまだ戻ってはいなかったが、命に別状はないらしい。ただ、心配なので今日まではケートの側にいるらしい。同じくお見舞いと言う理由でガノフも休むのだという。こちらは尾田慶斗ではなく、菜種知の方の為らしいが。
 
 
(……それはそれで大変なことだか、今は俺はそれどころじゃないんだ)
 
 
 ……社に再会したこと。濃尾日向が"ヒナ"であったこと。クラスメイトが大変な目に合ってるというのに、こういう風な言い方は冷たいかもしれないが、俺にとっての現最重要事項はこの二つだった。俺はこれからも"馬場満月"でいたいのに、いなければいけないのに、この事が俺の心を大きくかきみだす。"馬場満月"を見失い、"神並白夜"を意識すること。それは本来気が狂いそうなくらいの苦痛だ。大嫌いな"自分"の事を考えてるだけで吐き気がする。そうだというのに未だに俺は"神並白夜"という過去に囚われきっているのだ。いっそ濃尾日向のように全てを忘れていられたらどんなに楽なのだろうか。全てが壊れきってしまっていたらどんなに楽なのだろうか。叶わないことを願ったって仕方のないことだった。
 
 俺は"こういう人間"で、だからこそずっと出来損ないにしかなれない。本当に俺が"俺"になる為には、それこそそのままの意味で"生まれ変わる"しかないのだろう。
 
 
 つまりは"死ぬ"ということだ。
 
 
 
 
(……"アイツ"と会っていなかったら、今頃俺はどうなっていたのだろう)
 
 
 
 アイツと、濃尾日向と深く関わる前のほんの少しの間だけ、俺は確かに"馬場満月"だった。役にのめり込み、熱に浮かされて、"自分"は遠い何処かに行ってしまっているようなそんな感覚だったような気がする。あの時の俺は、"俺"で、"神並白夜"なんか何処にもいなくて、まさに理想の自分だったのだ。
 
 けれども俺は濃尾日向と出会ってしまった。
 
 アイツと出会った瞬間に俺にかかっていた魔法のようなものはじわじわと溶け始めて、まだ"劇"は途中だというのに俺はまるで台詞が飛んでしまった役者のように舞台のど真ん中で立ち竦んで動けなくなってしまった。上演中に役を放棄するなんて役者失格だ。まだ幕は下りていないのに。一人芝居は俺が動かなきゃ、進んでなんかくれないのに。
 
 今の俺は一体何なのだろうか。馬場満月になれず、神並白夜にももう戻ることなんて出来ない、役者名簿の何処にも乗らない名無しの俺は、一体誰なのだろうか。……分かってる。その問いに答えてくれる人はいない。"これ"は俺のエゴで始まって、エゴで終わる誰も見ない、誰もいない一人芝居なんだから。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 誰かと演じていた頃の、あの仄かな暖かさを今更恋しがったって、どうにもならない。
 
 
 
 ∮
 
 
 
 何事もないまま昼休みになった。今日は濃尾日向も、紅灯火も学校に来ていなかったから、一日ずっと平和だ。今の俺はアイツらの顔をまともに見れる自信なんてない。来なくて、幸いだった。
 ……だけど、まぁ当事者とその関係者なんだから、今日は学校に来てなくて当然だろう。昨日の今日でいつも通りみたいな態度して学校にいたら、それこそおかしすぎる。
 
(…………)
 
 ふと、社のことが頭を過った。仮にも幼馴染二人がこんな風になって、彼女は今どんな気持ちで過ごしているのだろう。気が気でなく、落ち着かない時間を過ごしているのではないか、なんて。
 
(…………) 
 
 だけどそれは一瞬のことで、俺はすぐにふと浮かんだそんな疑問を頭から消し飛ばした。自ら社のことを考えてどうする。彼女のことを考えていたら、必然的に、俺は"オレ"を意識しなきゃいけなくなってしまうじゃないか。俺はまだ馬場満月であることを諦めたくはない。
 
 
 
 
「浮かない顔だね」
 
 
 
 そんな風にして、ぼうっと鬱な時間を過ごしていると、ふと声を掛けてくる間の抜けたような声があった。誰だろうか、と顔を見上げるとそこにはどこか真面目な表情をしている岸波小鳥の姿があった。
 
「……なんだ、岸波君か」
「なんだとは酷いなぁ、ボクはボクさ。え、と……満月、クン」
「君は相変わらず忘れっぽいんだな。まだ俺の名前を覚えてないのか?」
 
 久し振りにこんな風に軽口をクラスメイトに叩いたようなそんな気がする。文化祭の時は忙しくて誰かと和気藹々と喋る暇なんてほとんどなかった。
 そんな俺の軽口をばつの悪そうに受け止めて、岸波は何か言い淀むかのように口を歪めたあと、意を決したのかすうっと息を吸って------------その言葉を口にした。
 
 
 
 
 
 
 
「……あの、さ」
 
 
 
 
 
「君……って、本当に…………満月、クン?」
 
 
 

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.86 )
日時: 2018/02/14 06:04
名前: 羅知 (ID: P/K6MsfL)

 
 その絞り出すような声に動揺を隠しきれず俺はごくりと唾を飲み込んだ。表情にまでは出なかったはずだ、多分。
 
 
「……どうして、そんなこと、言うんだ?」
 
 
 ……何を怖がっているんだ、俺は。俺は、馬場満月だろう。胸を張って彼女にそう教えてあげればいい。忘れっぽい彼女のことだ。また、忘れてるんだろう、俺の名前を。いつものことだ。ああまったくクラスメイトの名前くらい早く覚えればいいのに。なぁ、そうだろう。……いつものこと、いつものことじゃないか。何もおかしくなんてない。慌てる必要なんてない。それなのに。それなのに。それなのに。
 
 
 
 どうして、こんなに、声が震える?
 
 
「…………ごめん。変なこと言った」
「え?」
「よく分かんない……だけど、なんか最近ボクおかしいんだ……」
 
 
 俺のそんな様子を見て取ったのか、岸波は心底苦しげにそう言った。今にも泣き出してしまいそうな、そんな表情だった。もう何がなんだかよく分からない。俺は呆気にとられた。岸波の呼吸は荒い。まるで酸欠の魚みたいにぜえぜえ、ぜえぜえと息をしている。どこかの誰かと似ているような気がした。鏡を見ているような気分になった。
 
「…だ、大丈夫なのか」
「……すー……はー……ん、大丈夫。大分落ち着いた、気がする」
「…………」
「…………ごめん、ね。本当に」
 
 息が落ち着くと岸波はそう言ってまた俺に謝ってきた。何について謝っているのか俺には分からなかった。だけど少なくとも変なことを言ったから、そんな理由じゃないように思えた。それだけにしてはその言葉はあまりにも苦しげで、重すぎていた。
 
 
 
 泣いてるみたいに、彼女は言う。
 苦しみながらも、話をする。
 
 
 
「……何かを、忘れてる気がするんだ」
「…………」
「大事なことだったはず、なのに。どうして、どうして思い出せないんだろう…………」
「……思い出さなくていいんじゃないか。そんな記憶」
 
 
 その時どれだけ大事だったとしても忘れたくなるようなものなんて、きっとロクなものじゃない。忘れたことをわざわざ思い出す必要なんてないのだ。忘れたということは、きっともう、それは必要のないものなんだから。
 
 俺の言葉に岸波は一瞬驚いたように目を見開いて、俺の方を向いた。しかしまたすぐに俯いてしまった。心なしかその瞳はさっきよりも穏やかだった。幾ばくかの静寂。落ち着いた一定のリズムの呼吸音の後に、岸波は顔を上げる。岸波は微笑んでいた。ほんの少し苦しそうではあったけれど、それでもその表情に先程のような切迫したものは感じない。
 
 
 
「…………いや、やっぱり思い出すべきだ」 
「…………?」
「分かんない。全然分かんないけど…………そう思ったんだ。君の顔見てたら」
 
 
 
 
 
 そんな顔して、そう言う君を見てたら、そう思えたんだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ありがとう、最後にそう言って彼女は足早にその場を立ち去った。彼女は一体何を理解したのか。一体俺はどんな顔をしてたのか。何もかもが分からなかった。訳が分からず、どうにもできないまま、俺はその場で立ち尽くした。頬から意味の分からない暖かいものが伝っていった。分からない。分からない。分からない分からない分からない。
 
 
 
 
 
 
「なにも、わから、ないよ………!」
 
 
 
 
 
 俺は一体なんなのだろう。
 
 
 
 もうボロボロで、不安定な足場は今にも崩れそうだった。落ちてしまいそうになりながら、俺は目の前の同じくボロボロの縄にすがりつく。今の俺にとってこれは命綱のようなものだった。俺が"俺"でいられる最後の砦だった。何も分からないなら、せめてアイツの望む"俺"でいよう。何者にもなれないのならせめて"ミズキ"であろう。アイツがすがってくれるから、俺はまだ"俺"でいられる。誰かの望む"誰か"でいられるなら、俺はまだ生きていられる。生きてても、いいんだって思える。苦しくても、辛くても、悲しくても。
 
 
 アイツのためなら、俺は。
 
 
 
 
 
 
 
「……もしもし、濃尾君」
 
 
 
 
 
 
 
 アイツが望んでくれるなら。
 
 
 
 
 
 
「……おい。どうしたんだよ」
 
 
 
 
 
 
 俺は。
 
 
 
 
 
 
 
 
「…………なあ、なんで、泣いてるんだよ……?」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 助けたかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「…………いつもみたいに、してくれよぉ……!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 助けてほしかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「………………頼むから」
 
 
 
 
 
 
 
 
 きっともう、どちらも叶わない。
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
∮ 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ボロアパートの古階段をこつこつと上っていく。かけっぱなしの電話からはさっきから喉が壊れんばかりの叫び声が聞こえていた。本当は切ってしまおうかと思ったのだけど、出来なかった。最後の一秒までその愛しい声を聞いていたかった。
 
 
 
「…………ねぇ、馬場」
 
 
 
 懐かしい彼の、偽りの名前を呼ぶ。相変わらず涙は止まらない。全てを理解して、目を覚ましてから、ずっとだ。あぁ、最後の日くらい学校に行っとけばよかったな。ほんの少しだけ後悔したけれど仕方ない。こんな顔、皆に見せられる訳がなかったんだから。
 
 
 
 
 
 
 あぁだけどやっぱり寂しいな、お別れって奴は。 
 
 
 
 
 
 
 
「……泣かないでよ」
 
 
 
 
 
 
 ねぇ凄く楽しかったよ。短い時間だったけれど、僕にとっては夢のような時間だった。君のおかげだよ。皆のおかげだよ。だからそんな悲しそうにしないでよ。悲しくなっちゃうだろ。君がそんな風になる必要なんてないんだから。
 ねぇ、凄く今幸せなんだ。だから、さ。
 
 
 
 
 
 
 今、終わらせたいんだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「君を解放してあげる」
 
 
 

 
 こんな僕といたら、君までおかしくなってしまう。
 
 
 優しい君に、あんなこと出来るはずがなかったんだから。
 
 
 僕のせいで、ああなってしまったんだよね。
 
 
 ごめんね。
 
 
 
 
 ごめんね。

 
 
 
「……ごめんね、ユキ。シロ」
 
 
 
 ママが死んだ。
 僕は襲われた。
 ママと同じように。
 痛い。
 痛い。
 なんで、笑ってるの。
 これが、愛なの。
 苦しいよ。
 苦しいよ。
 助けて、助けて。
 真っ赤にそまった。
 僕とつながったまま。
 その人達は動かなくなった。
 血みどろの両腕。
 抱き締められる。
 絞められる。
 ぐちゃぐちゃ。
 誰。
 誰。
 誰。
 ごめんねって。
 僕のせいだって。
 赤色は言った。
 赤色は泣いた。
 パパが死んだ。 
 愛は消えた。
 愛はなかったことにされた。
 ヒナは消えた。
 ヒナはなかったことにされた。
 皆泣いた。
 皆壊れた。
 やり直してまた繰り返して。
 何回やっても同じ。
 食い潰された人生。
 食い潰してきた人生。
 
 
 
 
 
 
 みんな、みんな、僕のおはなし。
 
 
 
 
 
 
 
 
 きっと、こんな僕は死んだ方がいい。
 誰かの人生を食い潰して生きるのは、もう散々だ。
 大好きを失って生きるのは嫌だから。
 
 大好きなまま、僕は終わりたい。
 この愛を抱き締めて、僕は眠りたい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ごめんね」
 
 
 
 
 
「みんなのことが だったよ」
 
 
 
 
 
「じゃあね」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 さよなら、みんな。
 さよなら、愛しい人々。
 さよなら、さよなら、お元気で。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ひゅるりと肌寒い屋上の柵の外側へ。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 重心を傾ければ。
 
 
 
 
 
 
 
 身体は下へ落ちていく。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ママ。パパ。
 いつまで経っても迎えに来てくれないから、僕の方から行かせてもらうね。
 
 
 
 
 
 同じ方法じゃなくて、ごめん。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 苦しいのは嫌だったんだ。
 













みんな、みんな、ごめんなさい。
生まれてきて、ごめんなさい。

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.87 )
日時: 2018/02/15 19:59
名前: 羅知 (ID: QNWf2z13)

【愛と勇気】→【愛と言う気】→【×と××】

壊しあって、貶しあって。
挙げ句の果てに辿り着いた、この場所で。
僕は君に別れを告げよう。
あんな卑しい感情を。
こんな悲しい結末を。
愛と言う気は、さらさらない。

さぁ、勇気を出して。
一歩進めば、真っ逆さま。


→next?【×と××】


Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.88 )
日時: 2018/02/15 20:09
名前: 羅知 (ID: QNWf2z13)
参照: https://twitter.com/ataru_horsedeer/status/963522308743643137

今回の話の動画を作ってみました。
かなり簡単な作りですが、見ていただければ幸いです。
余談ですが、この動画を作ったQuikというアプリ、本当に簡単に動画が出来ます。文字いれ画像とイラスト、フリー画像などを使って、今回の動画も作りました。もし良かったら皆さんも作ってみたらいかがでしょうか?動画になると、結構見てて楽しいですよ。自分の好きなように作れますしね(*^^*)

なんて、私のちょっとした願望です。
皆さんの素晴らしい作品で作られた動画が見たいなぁって、これ作りながら思ったのです。

いつも応援ありがとうございます。
引き続き、当たる馬には鹿が足りないを宜しくお願いします。

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.89 )
日時: 2018/11/12 22:17
名前: 羅知 (ID: jIh6lVAe)

七話・another【愛と勇気】




「…あーあ、夜も随分更けちゃった」
 
 
 冬の星は輝かしい。だからこそあまり好きになれない。
 
 人通りのなくなった道のど真ん中で空を見上げながら、秦野結希は一人そう思った。
 こんなに気分が満たされないのは久し振りだった。中途半端に燃え尽きた紙くずみたいな気分だ。不愉快だ。こんな気分なのに星は五月蝿いくらいに光輝く。こういう空気を読まないところが好きになれない。誰か大気圏に突っ込んで流れ星みたいなのになってくれないだろうか。そしたら適当に願い事なんかしたりして、今の気分も少しはマシになるだろう。
 
(いや、ならないかな)
 
 何せ自分には夢がない。一億円宝くじで当てたりして、好き放題使ったりとか確かにちょっと面白いかもしれないけれど、すぐに飽きるだろう。それくらいなら大気圏にもう二、三人ダイブした方が見応えがあるかもしれないけれど、それもやっぱり数回やったら飽きるだろう。よく考えたら完全に満たされたと思ったことなんて、この人生で一度もなかった。振り返ってみれば、何もないつまらない人生だった。何もない、人生だ。少なくとも秦野自身はそう考えている。人の道、それが人生だ。それ以上でも以下でもない。それを喜劇と呼ぶか、悲劇と呼ぶかは見る人次第だ。凝った演出。脚色。何もそれは演劇の世界の話じゃない。誰しもが持っている"価値観"、それこそが何よりの演出効果になりうる。逆に言えばそれさえなければ、人生なんて物語とそう大差ない。
 
 
 
 
 
 そんなものに人は感動する---------それがどうしても理解できない。
 
 
 
 
 
『…先生。私、親が教師で、帰ってくると、いつも一人で、凄く寂しかったんです。……だけど近所のお姉さんがよく遊びにきてくれたから、その時だけは寂しくなくなった』
 
『それが、嘘だったとしても、演技だったとしても、何もこもっていなかったとしても、その時の私を先生は全力で騙してくれた。……私はその恩に報いたいんです』
 
 
 
 
 
 理解できなかった。あの子の言葉が、何一つ。暗くて表情は見えなかったけれど多分笑ってあの子はそう言ったんだろう。なんで笑う。なんでそんなことを言う。なんで。なんで。
 
 
 "私"の見たかった表情は、あれじゃない。
 
 
 

『へぇ……結希、結局あの子は殺さなかったんだ。意外だな』
「まぁね。気付かれてなかったみたいだし。別にいっかなって」
『……変な結希』
「変?」
『変だよ、色々。何というか……結希らしくない感じ』
 
 
 
 
 
 あの後、病院を出てからなんとなく優始に電話した。事の顛末を言うと少し驚いた風に返された。変だと言われて何故だかいつもより過剰に反応してしまって、余計に変に思われた。らしくない、とからしい、とか。なんだそれ。秦野結希は、秦野結希だ。それ以外の何者でもない。何故だか無性にイラついている自分がいたことに、弟に指摘されて初めて気が付いた。
 
 
 
「……はは。なに?弟くんは先生のコト何でも分かってるっていいたいの?」
『そうじゃないけどさ……まぁ、いいよ。なんか柄じゃなく不機嫌みたいだし』
「不機嫌?先生が?」
『気付いてなかったの?』
「…………」
『やっぱり変だよ。……天変地異でも起きるのかなぁ』
 
 
 
 しまいにはそんな風に言われる始末だった。そんなに変だっただろうか、と自分の胸に手をあてて考えてみたけれど、心臓がとくとくと小気味良く拍動を打つだけでいつもと違いは感じられない。じゃあ一体何なのだ、と誰かに問いたくもなったけど生憎こんな真夜中じゃ人っ子一人誰もいなかった。それに、そもそも考えてみれば自分の人生にそんな話が出来る人間なんて誰もいない。いくら頭を捻った所で、こんなのはただ何の益もない無駄な思考でしかないのだ。
 
 
("らしくない"、か)
(じゃあ、"らしい"って何なのかな) 
(…………いやいや、こんな風に考えること自体が"らしくない"んだよねぇ。参ったなぁ)
 
 
 考えれば考える程に沼にハマっていっているには、とうに気付いている。だからと言って忘れようと思って忘れることなんて出来やしないので、うんうんと"らしくない"うなり声をあげながら考える。好きではないけど物事を考えるのには丁度良い静かな夜だった。まだまだ長い夜は続く。秦野には考える時間が山ほどあった。
 
 
 

 彼女の"らしくない"夜は続く。
 "らしくない"と気付きながらも、"らしくない"彼女は考える。
 らしくなく。らしくなく。彼女の夜は続いていく。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 続いていく、"はず"だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
  「え」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 音もなく近付いていた暗闇の中の復讐者に"らしくない"彼女は気付けない。
 
 
 闇に溶けた"黒"が、彼女に姿を見せないままに彼女の身体を吹き飛ばした。
 
 ∮
 
 
 
 
 全身が巨大な力によって吹き飛ばされ、その勢いのままどこかの木製の廃屋に突っ込んでいった。まだ住人がいなくなってあまり日数が経ってないのか、酷く酒臭い。部屋の中は元住人の暮らしていた痕跡が強く残っていた。ばきばきと壁を撃ち破ってそのまま家に突っ込む。偶然じゃ、こんな正確に家に突っ込んでいくことなんてない。だから狙って此処に吹き飛ばした。そこから推察できることは相手は相当な手練れだということだ。
 それは自分にとっては、あまりよくない事実だった。
 
 
 
 
 吹き飛ばされた痛みを堪えながら、吹き飛ばした相手を見て------------嗤う。あぁこれこそが自分の求めている"表情"だ。そう実感する。
 
 
 
 
 身体全身を物凄い力で押さえつけられ、動けない。だけど楽しくて、楽しくて口だけは馬鹿みたいに動く。緊迫した状況だというのに、どうしてもそのことに喜びが隠せなかった。
 
 
 
「痛、いなぁ、もう」
「…………」
「……あは、大分目が慣れてきた。怖い顔、してますねぇ……?あ、髪色変えまし、た?イメチェンですか、いいですねぇ…………」
「…………」
「--------------------紅、先生」
 
 
 
 
 自分の事が憎くて憎くて仕方がない、殺したくて殺したくて仕方がない、自分への憎悪で満ちた黒々とした瞳。これこそが、あの時"彼女"がするべき表情だったのだ。あの子にして欲しかった表情だったのに。
 
 なのに、あの子は。
 
 
 
 
『……先生。実は今回の事件のことで私、別に犯人のこと恨んでなんかないんです』
 
 
 
 あの言葉は確実に"私"に対して向けられたもので。
 
 
 
 
 
 
「…………何、ぼぉっとしてやがるんですか」
「あはは、ごめんなさぁい」
「ふざけるな!うちの可愛い生徒傷付けといて、よくそんな顔していられるな!」
「悪気はなかったんですよ?……人は人を傷付けなきゃ生きていけないんです。だから、ねぇ?仕方無いでしょ」
 
 
 
 
 自分の言葉に、紅灯火の表情が暗闇でも分かるくらいに大きく歪む。信じられない、ありえない、口には出さずともそんな感情がはっきりと伝わってきた。
 
 
 
 
「お前、まだ、自分が人間のつもり、なのか。それだけ、それほどの事をしといて、まだ」
「えぇ、人間ですよ。……人殺しだって、どんな罪を犯したって人間は人間なんです。何なんですかねぇ?罪を犯したら、ソイツは人間じゃないみたいな風潮。人間は人間ですよねぇ、人を殺したくらいで人間じゃないなんて人種差別も甚だしい-----------っ!」
 
 
 そこまで喋った所で、勢いよく冷たくて鋭い何かが掌を貫通する。流石に痛かったので声が出た。見れば紅灯火が今刺した冷たくて鋭いものを幾つも持っていた。怒りで息がぜえぜえと荒くなっているのが目に見えて分かった。
 
 
「……これ以上、言ったら、今度は二本、刺す」
「っう………………は、直ぐに、殺さないんですねぇ、良い性格、してるじゃない、ですかぁ」
「…………」
「っ!ぐぅっ……うぅ……………人には、ああいうこと、言う癖に、……貴方、は……人を傷付けて、いいんです、かぁ?……あ、もしかしてぇ…………?貴方、自分のこと、……バケモノとか、考えてる、タイプの、人……です?」
「…………」
「痛っ……!ぅあ……ぃ……あ……む、ごん……は、図星だ、って取りますからねぇ……そっかぁ……そうですかぁ……そうで、すよねぇ……どう、せ……私が、病院、忍び込んでるの、見てたん、ですよねぇ……だから、分かったん、でしょお……?私が、犯人……って……あの、会話、聞いてたんですよねぇ…………?あは、プライバシー、の、……侵害、ですよぉ、流石、バケモノ、ですねぇ……」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ∮
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 何回、刺されたんだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 今、どれだけの血が流れたんだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 もう、考える気力すらない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 意識が、朦朧とする。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 何もなかったはずの、つまらない、つまらない人生が頭の中でくるくるとまわっている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 あーあ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 走馬灯なんて、見るはずないと思っていた、のになぁ。
 
 
 

Re: 当たる馬には鹿が足りない≪更新再開≫ ( No.90 )
日時: 2018/02/19 16:43
名前: 羅知 (ID: KVMT5Kt8)

 ∮
 
 
 
「おねぇちゃん、ばいばい!」
「うん。ばいばい」
 
 
 
 その日は何の変哲もない夜だった。
 
 
 いつもみたいに気まぐれで近所の鍵っ子の女の子の家に寄って、途中の道で友達に会ったから少し帰りが遅くなった。ただそれだけの何でもない日だった。女の子は今日も楽しそうに笑っていた。何がそんなに楽しいのか分からないけれど、いつも女の子はニコニコ笑っていた。私が来るたびにニコニコ笑っていた。不思議で仕方なかった。どうしてあんなにも楽しそうに生きれるのか。こんなつまらない世界で何をあんなに笑うことがあるのか。
 
 
(担任の娘だから、内申稼ぎで、行ってるだけなのに…………能天気な子) 
 
 
 こんなにつまらないんだから、もっとつまらなそうにすればいいのに。何であんな楽しそうなんだろう。変な子。本当に変な子。
 
 
(ちょっとくらい苦しそうな顔すればいいのにな)
 
 
 どうすれば笑顔以外の顔が見れるのかな。叩いたら、殴ったら、蹴ったら、どんな顔するのかな。担任の娘だから流石に手出しできないけど、そんな妄想をしたら心が弾んだ。いっそあの子の母親である先生を殺したら、あの子はめちゃくちゃに泣いてくれるんじゃないのかな。あぁきっとそれは凄く楽しいことなんだろうな。
 
 
 
 
 そんなことを考えながら、暗い夜道をてくてくと歩く。冬の夜空には星が一面に広がっていて、紺のカーペットに金平糖を散らかしたみたいだなと思った。一つ摘まんで食べたら甘い味がするんだろうか。なんてつまらないことを考えてしまって、心の中でくすりと笑った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 瞬間、世界が暗転する。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 頭を後ろから強く何か棒状の物で殴られたのだと気付いたのは、目を覚ましてからのことだった。
 

 
 
 
 
 ∮
 
 
 
 
 
 
 
 ぐちゅり。
  ぱちゅん。
 
 
 
 
 
 
 頭が、痛い。
 
 
 
 
  お腹が、熱い。
 
 
 
 
 
 
 一定の感覚で妙なリズムが頭に響く。
 
 
 
 
 
  ぐちゅり。
 
 ぱちゅん。
 
 
 
  ぐちゅり。
  ぱちゅん。
 
 
 
 
 
 
 
 
 身体が自分じゃない"何か"に侵略されていく感覚が気持ち悪い。
 
 
 
 手足は縛られていて、動けない。
 
 
 
 
  「あぁ、起きた?」
 
  はぁはぁと荒い息と共に、そんな声がかけられる。
 
  「へぇ、起きたのに泣き叫ばないんだ。こういうの慣れてるの?」
 
 
  「珍しい子だね」
 
 
 
  「やっぱいいよね、こういうの。人を内側から蹂躙してくってのは、さ」
 
 
 
  「寝ている君も可愛かったけど、起きてると尚更可愛いね」
 
 
 
 
 何だか好き勝手なことを言われてる気がする。
 
 
  だけど、意識はどこか遠くに行っているようで、身体は嘘みたいに動かなかった。
 
 
 
 
 
 次第にリズムが早くなっていく。
 
 
 
 
 
 
 
 自分の中に何かが放たれたのが分かる。
 
 
 
 
 
 
 
 何も出来ないまま、全てが終わった。
 他人に物みたいに扱われた。
 他人に好き勝手にされた。
 何も出来なかったけど。
 何も出来なかったけど。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ただただ"私を好き勝手にした"目の前の奴を殺してやりたいと、強く思った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 例の"ひまつぶし"を始める、少し前の出来事だ。
 
 ∮
 
 
 
 
 
 走馬灯から目覚める。
 身体の痛みはいつの間にか麻痺してしまったようで、なくなっていた。
 
 
 
 
 
「…………思いだし、たんです、けどぉ」
 
 
 
 
 
 そうだ。あれだったんだ。"私"の"らしさ"は。もやもやしていた物がすっきりして気分が良い。なんて今までの私は"らしくなかった"んだろう!今までの人生の中で今という時が一番爽快に感じている。これだ、これだったんだ。"私らしさ"は!!
 
 
 
 
 
 
 
 紅灯火の腕は気を抜いているのか、随分と力が弱まっていた。その隙を狙って"私"は自分の胸元を探った。
 
 
 
 
 
 
 
 案の定そこにはあった。
 "弟から頂いていたライター"が。
 
 
 

 
 "火を着けたままのソレをひょいと、そこらじゅうに溢れているビールの辺りへ無造作に投げる"。
 
 
 
 
 
 
 火は勢いよく燃え出して、あっという間に私達の周りを包んだ。燃えやすい木材。そして引火する油はそこらじゅうにあるこの環境。火の勢いはどんどん増していく。
 
 
 
 
 
 もう、逃げようにも逃げられない程、そこは火の海になっていた。
 
 
 
 

 
「……私、"他人に好き勝手されるの"嫌いなんですよぉ」
「!?な、何してるんだ!!お前も燃えるんだぞ!?このままじゃ」
「………はい、だからそのつもりです」
 
 
 
 
 好き勝手にされるのは嫌いだ。
 好き勝手にする方が好きだ。
 だけどここから巻き返すことなんて出来ない。
 だけど"好き勝手"されるのは嫌だ。
 
 
 
 
 
 
 
「私の、道連れになって下さい」
 
 
 
 
 
 
 
 精々巻き込んでやる。
 好き勝手やってやる。
 かき乱してやる。
 残した人がいるんでしょ?
 大切な人がいるんでしょ?
 残念ながら私には何もないから。
 失うものは貴方の方がいっぱいだ。
 罪悪感で苦しめ。
 滑稽だ。
 滑稽で仕方無い。
 
 
 
 
 
 あは。
 
 
 
 
 あはは。
 
 
 
 
 
 
 
 あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 生まれて初めて、心から笑った。
 今の自分は世界一幸せだ、そう思った。
 
 
 
 
 
 
 
 
『あ。本当に結希も僕と同じ風になってる』
『…………』
『強姦って初めてでしょ?どうだった?』
『…………別に何も』
『そう。…………ああそうだ、コレ』
『……ホットココア?』
『うん。流石に初めての強姦はきつかったかなって』
『…………ありがとう』
『結希に感謝されるなんて。……天変地異でも起こるかな』
『………………甘い』
『そりゃあ甘いよ。ココアだもの』
 
 
 
 
 
 夢の中であの後のことを思い出した。空気の読めない弟が珍しく空気を読んだあの時。あの時飲んだココアはとても甘かった。
 弟はきっとあんな風に地べたに固執したまま、それでも図太く生きてくんだろう。そう確信した。
 
 
 あんな弟、私くらいしか殺せない。
 精々生き延びろ、そう思った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『おねえちゃん、ばいばい!』
 
 
 ばいばい。嘘つき少女。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 何もないと思ってたら、意外と色々残ってるものだな。

 記憶も、感傷も、感情も、全部全部炎に包まれて--------------灰になって、消えていった。
 
************************************
【愛と勇気】→【Iと結希】 
 

 これが私。
 相対してようやく分かった。
 観客の皆様。
 私が秦野結希です。