複雑・ファジー小説
- Re: ROCK IN ECHO!! ( No.5 )
- 日時: 2016/02/19 22:17
- 名前: りちうむ ◆IvIoGk3xD6 (ID: mJV9X4jr)
【edge/鍛冶屋武明】
◆4 ある平日
妻のみゆきが起きる前に、簡単な身支度を整えて練習に入った。起こしてしまってはいけないから、防音のハウススタジオで。きっとあと一時間もすれば、みゆきは「なんで私も一緒に起こしてくれなかったのよ」と笑いながら起きてきて、早めの朝食を作ってくれるはずだ。
スタジオのドアを引くと、古いレコードの香りが舞い込んでくる。壁に貼られた、憧れだったバンドのライブ写真や、ソロ時代のCDたち。自分の今の音楽人生を形成しているであろう、ほとんど全部が集約された大きなCD棚。新居を建ててから二年ほど経つが、ここに入る度にワクワクする。edgeとしての俺も、ソロでやっていた時の俺も、まだ無名だった頃の俺も、全部ここにいるような気がした。
同じバンドのメンバーである縁くんの言葉を借りると、「一日練習をサボると、三日分後退する」。俺は愛用の八弦ギターをこれまで手放すことは無かったし、きっとこれから死ぬまで手放すことはないだろう。練習を積んだプロとはいえ、edgeというバンドに籍を置いている以上は、バンドに合った音を作ることをしなくてはいけない。ソロとはまた違った技術が求められることになる。研究も練習も、まだまだ続く。
学生時代、擦り切れるほど聞いたCDを流してみた。ソロ活動の時の音に近い曲だった。自分はそんなつもりはなかったけれど、どうやら少しばかり影響されてしまったらしい。昔の自分を鼻で笑ってみる。
二代目のギターパートに就任した時は、それなりにプレッシャーもあったが、メンバーやファンのおかげで、今バンドは日本最大級の人気を得た。今日は一日オフだから、縁くんから貰った新譜の練習をするかと考えながら、飲み物を取りにスタジオを出ると、キッチンでみゆきが卵焼きを作っていた。
「おはよう。もうすぐで出来るわよ、朝ごはん」
「驚いた、今日は早いんだね」
もちろんよ。今コーヒー入れるから、座ってて。キッチンをくるくる回るみゆきを微笑ましい気持ちで見ながら、朝のニュース番組の気になる話題もチェックしておく。音楽関連の話は見過ごせなかった。
ロックバンド特集! と名付けられたコーナーに、ROCKIN ECHOが生出演していた。時計を見ると朝七時。仕事に向かう社会人も、学生もニュースを見る時間だ。なんでこんな時間にあのECHOなのだろうと思い返してみると、そういえばECHOは、この前出した「千葉」というタイトルの新曲がCM曲にタイアップされていた。「東京」という曲はかなりあるのに、そっちをタイトルに持ってくるあたり、ECHOのひねくれたと言うか、少しズレた感性を垣間見ることが出来る。edgeには無い魅力があるバンドである。
目が死んでいるボーカルが、「この曲は自身の恋愛を元にして作られたのですか?」という質問に「いや、恋愛とかあんまりしたことなくて......」と返答し、朝から不穏な雰囲気が漂う生放送。みゆきの淹れるコーヒーがやたら美味しく感じた。ドラム担当の女の人が、ぽかんとしているアナウンサーに必死でフォローを入れているのを見ながら、まだこのバンドは生放送には早いなと判断を下してみる。始まった曲に乗せて歌い出したボーカルも、開始早々コードを間違えるギターも、緊張しているのが見え見えで、なんだか俺がデビューしたての頃を思い出して、面白かった。
シングルのB面みたいな曲が終わり、ふと携帯を見てみると、新着が六件。スタッフさんと、音楽仲間の友人と、バンドメンバーから四件。朝食ができるまではまだ時間があるので、見ていく事にした。
『TO.鍛冶屋さん おはようございます。三岐原です。この前渡した新譜ですが、ギターがなかなか難しいので近いうちにご指導願えますか?』
ボーカルとギター担当の縁くんは、いつもは少し砕けた程度の敬語で話してくるのに、メールになると途端に丁寧口調になるのが面白い。荒れた音楽業界を上手く突き進んできた彼には、人を惹きつける何かがある。年若い縁くんをサポートしつつ、俺も彼から色々学ぶという関係だった。
『かじおはよーー!!☆★ 俺渋谷なう! タワレコ行った後スタジオ行くけどかじも来る!?!? ファンの子に「今日鍛冶屋くん居ないんですか?」ってめっちゃ聞かれる!!笑』
朝からハイテンションなのは、ドラム担当の真。edgeの賑やかなムードメーカー的存在の彼は、二代目として入ってきた俺ともすぐに仲良くなった。有名なドラマーである父親の名に恥じぬように練習を重ねた努力家の彼を、俺達バンドメンバーは一番近くで評価し続けていた。照れ屋の本人は必要以上に嫌がるけれど、彼なら父以上のドラマーになれるのではとも思う。
『おはようございます、高村です。次の新譜、ギターとベースで同じ動きするところ多いから今度一緒に練習しない? 飲み屋奢るからさ』
ベースの瞬平はいつも落ち着いている。それは文面でも同じで、携帯の画面越しにいつもの穏やかな笑顔が見えるようだ。それでも、舞台に立つ時は尖ったテクニックを披露してくれるから、大したものだと思っていた。それを褒める度に、「俺からしたら、ベースの倍もある弦を引きこなす武明くんのほうが凄いよ」と彼は口癖のように、笑いながら言う。
仕方ないから、行ってやるか。そう思うのに時間はかからなかった。今日はバンドで集まる予定が無い久々のオフだったから、みゆきとどこかに出かけようと思ったのだが、こうなっては行くしかないだろう。
早めの朝食を終える。今日の卵焼きも美味しかった。ごちそうさまと手を合わせた後席を立つと、みゆきが言った。
「今日も出かけるの? 毎日忙しいのね」
「まあね。今が頑張り時なんだ。今日は夕食はいらないよ」
そう、と言って黙ってしまった、寂しそうなみゆきの柔らかい髪を撫でる。
「今日の夜はディナーを予約しておくから、一緒にドライブでも行こうよ」
できれば、午後になる頃には帰ってこよう。玄関先まで上機嫌でついてきたみゆきに見送られて、今日も一日が始まる。