複雑・ファジー小説

Re: 名前のない怪物【血の楔篇】 ( No.105 )
日時: 2016/12/11 18:47
名前: ルビー ◆B.1NPYOoRQ (ID: NzSRvas.)

……昔は、とてもとても仲のいい家族だったと思う。あの日までは。全てを知った日、「日常」というものはジオラマのような作り物だと思い知らされた。全て、仮初だったのだ。
 家族、だったのも。
 母、だったのも。
 姉、だったのも。
 血の、繋がりも。









「藻琴、もう止めて……っ。お願い……っ!!」
「く、れはさん……」

 今まで見てきたか弱い呉羽ではない。泣きそうになりながらも目の前にあるものを守ろうと命を張っている強い人間が妖刀(もこと)の前で拳銃を構えていた。
 一瞬、藻琴は面食らったが暫くすると紙にインクが付くような染みのようにどす黒い感情が溢れてくる。
 これは俗に言う、憎悪。

「邪魔しないでください。邪魔をすれば幾ら同僚でも容赦しません。母を殺し、挙句の果てには上司(よあけさん)にまでくそったれなことをしようとしている馬鹿な父親を殺すまで……黙っていてください」
「殺すなんてシャチョウは望んでない……っ! それに、他の人まで巻き込んでいいはずないもの!」
「…………」

 ドロォッと、藻琴の持っていた妖刀——落ち椿から泥の様なものが部屋を充満していく。それは、政察の男たちを包んでいく。

「……!? これは……!?」

 呉羽は拳銃を連射する。銃弾の小さな穴が泥に開いたが、暫くするとまた戻っていく。泥の勢いは止まることなく勢いを増していった。
 政察の男たちは悲鳴を上げるが抵抗する間もなく飲み込まれていく。そしてそのまま姿を失っていく。
 呉羽ははっとしながら藻琴の顔を見て目を見開いた。なぜなら、彼の両目からは涙の様に血が溢れ、血管の様な黒いものが浮かび上がっていたのだから。

「……いい気分」
「藻琴……っ!?」

 にっこりと不気味に彼は笑う。だが、声は女のものという奇妙極まりない。藻琴は男だ。女の声が出るわけないのだ。
 戸惑う呉羽に藻琴は真顔で剣先を向ける。

「……藻琴(わたし)の邪魔しないで」

 目に負えない速さで泥が呉羽を襲う。避けられない、と悟った呉羽はギュッと目を瞑る。だが、時間がたっても痛みはやってこない。むしろ、体が宙に浮かんでいるように感じた。不思議に思い、ゆっくり目を開けると……。

「無事みたいだネ、呉羽」
「つ、月雲さん!? どうしてここが……」
「社長もいるっての」

 目を開けると、其処には飄々とした笑みを浮かべた月雲に抱きかかえられて救助されていた。この事態に思わず顔を真っ赤にして大きな声を上げる呉羽。
 違う世界に行きそうだった彼女に釘を刺すように夜明はサーベルで部屋を覆っていた泥を切り捨てる。

「よかった、間に合ったか」
「呉羽!!」
「虎功刀さん! ……それに、お父様も……」

 後から、壊れているドアから続いて2人が入ってくる。月雲は華麗に着地すると、呉羽を地に立たせた。

「どうする? 夜明、藻琴すごいエンカウントしてるけど」
「すげーな、ハ〇タ〇〇ン〇ーのラスボスにいそう」
「いや、そんなこと言ってる場合じゃないからね!?」

 へーと感心する月雲と夜明に虎功刀は思い切り突っ込んだ。フラフラとした足取りで笄は藻琴に近寄る。

「藻琴、謝って許されることじゃないのは分かってる。でも、でも……、みんなを殺すのは……!」
「五月蠅い黙れ!! 都合がよさすぎるんだ御前は!! 自分だけ良ければそれでいいんだろ!? お前こそ人を巻き込むな!! お前さえいなかったら……誰も、苦しまなかったのに」
「藻琴……」

 苦しそうな、悲しそうな表情を浮かべる藻琴に笄は歯を食いしばった。食い下がる様に口を開く。

「それは重々承知だ。でも、私だってそんなつもりなかった。私だけ殺すのはいい。でも」
「じれったいわねぇ、そんな端的なこと言っても誰にも理解できるわけないじゃない? だったら——……」

 藻琴の口調が、先ほどの女のものに変わる。そして、何時の間にか覆っていた泥がみんなを包み込む。

「だったら、【見た】方が早いじゃない!?」

 ドプン、と全員を包み込むと、部屋で1人残った藻琴の体は力なく倒れこんだ。