複雑・ファジー小説
- Re: 名前のない怪物【血の楔篇】 ( No.112 )
- 日時: 2017/01/09 19:55
- 名前: ルビー ◆B.1NPYOoRQ (ID: NzSRvas.)
「壊れたって……。お前がこうしたんじゃないのか。今現在だって、お前は母様を……」
「言ったでしょう。私を望んだのは麗羅よ。麗羅が私を望まなければ今頃私はずっとあの埃が充満している部屋で眠っていたわ」
ぴしゃりと落ち椿は言い放つ。藻琴は混乱していた。こんなものは嘘に決まっている。けれど、けれど、目の前にいる妖刀の鋭い眼差しからは真実の色しか見えなくて。
思わず頭を抱え込んだ。
「……今日、麗羅はこの女が来ることは知らなかった。出張が終わって笄から話を聞くまでは。麗羅も私を使う気はなかったみたいだけど——笄と麗羅を家に帰った瞬間にこの女がいるんだもの。動転しないはずないわよね。……なんせ、今まで忘れようと必死だったんだもの」
「……っ」
鬱陶しそうに、怠そうに話す。この女とはきっと下で息絶えている女性だろう。彼女は——父は、いったい何をしたのだろう。あの真っ直ぐで明るく美しい母は本当に狂って壊れてしまったのか?
藻琴の息は詰まるばかり。
「呉羽が生まれたのと同時に藻琴(あなた)も生まれた。勿論麗羅は驚いたし激怒もした。でも、真っ直ぐで優しい麗羅はもう1度やり直そうってことで彼を許したの。でも内心苦しかったのよ。藻琴(あなた)を引き取って暫くしてもね。でも、無邪気に育つ我が子たちを見て次第にその気持ちは薄れていった。……この女に二度と会わないと思ってもいたしね」
「でも、今日が訪れた。今が訪れた」
「そう。笄はこの曖昧な関係に終止符を打とうとしたんでしょうけど——二度と見たくもない女と話の所為で一気に壊れたわ。噴火山みたいにね。妬ましさと憎しみが爆発したのよ。そして麗羅は私を使ってこの女を——あなたの母を斬り殺した」
「父様は……」
呆然となりながら藻琴は聞き返す。落ち椿ははっと蔑むように微笑を浮かべながら日本刀を握りなおす。
「笄さんってほんっとう馬鹿よね! 20分ぐらい前に仕事の電話が入ってそっちに向かっちゃって。麗羅とこの女が2人きりになればどうなるのかわかっていたのに! ……そろそろ戻ると思うわよ。そして私も麗羅に変わる。気を付けてね。今の彼女見境がなくなってるから」
「何を……」
藻琴が言い終える前に落ち椿はガクン、と膝を下した。藻琴はその様子を神妙な様子で見ているとすぐさま、弱弱しい足取りでゆっくりと立ち上がった。
開いた瞳は狂気に満ち溢れていて、まるで麗羅ではないようだった。そんな藻琴の重いとは別に、麗羅の瞳は確実に彼を捉える。
「……まだ……生きてたのね……。さっき、あれだけ刺したのに……っ」
「違います、母様、僕は……っ」
「よくも、よくもぉぉぉぉぉっ!!」
麗羅は屍を踏みつぶしながら藻琴に襲い掛かっていた。相手は母だ。殴ることなどできずに、日本刀を持っている手を辛うじて抑えることしかできなかった。
「死んでしまえ! 笄もお前も! 全て全てっ!」
「母様!」
狂っていた。壊れていた。今の麗羅には藻琴を殺す以外思考能力はない。どうしようかと考えていた時、今一番聞きたくない声が聞こえてきた。
「……母様……? 藻琴……? まだ起きているの……?」
(……姉さんっ……)
寝ぼけているのか、パタパタとスリッパの音が聞こえてくる。たどたどしい呉羽の声が廊下から近づいてくる。藻琴は自分の命より、今の状況が一番怖かった。
今の母は実子問わず殺しにかかるだろう。今は抑えているからまだいいが、もしこの腕を振りほどいて母が姉を殺しに行ったら——っ。
藻琴の体中、冷や汗が流れた。
「母様! 目を覚ましてください。こんな姿姉さんに見られちゃいけない」
「私をこんな姿にしたのは誰よ! アンタじゃない!!」
次の瞬間、ドッと、鈍い音が響いた。世界が制止したように思えた。母の動きが止まり、藻琴は恐る恐る麗羅を見ると、胸の真ん中に日本刀が突き刺さっていた。
赤い染みが麗羅のワンピース全体に広がっていく。憑き物が取れたかのように麗羅は藻琴の方へ倒れこみ、力なく抱きしめた。
「……ごめ、んね。藻琴……。弱くて……脆いお母さんで……ごめんね……っ」
悲しそうに麗羅は微笑むとそのまま目を閉じ体に力が入ることはなかった。
「藻琴……!? どうして……っ」
聞こえたのは姉の声。だが、今の藻琴には何も見えなかった。頬が冷たい。鉄のにおいがする。