複雑・ファジー小説
- Re: 名前のない怪物【血の楔篇】 ( No.113 )
- 日時: 2017/01/15 18:55
- 名前: ルビー ◆B.1NPYOoRQ (ID: NzSRvas.)
「……藻琴」
「……帰ってください。……【呉羽】さん」
「……っ!」
惨劇から数日が経っていた。事はすぐさま笄に伝えられた。笄は呉羽と共に藻琴から事情を聴こうとしたが藻琴は端的な言葉しか発しなかった。その様子は壊れかけの絡繰り人形のようだったと部下は伝えている。
暫く自室で様子を見ようとした笄だったが、何と、藻琴は自らを牢獄へ入れることを希望した。そして現在、呉羽はお盆に持った朝食を運ぶが、項垂れたまま座る藻琴は顔すら上げようとしない。
「……わかった……。此処に、置いておくから気が向いたら食べてね。……無理はしちゃだめだよ」
か細い声でそういうとパタパタと呉羽はその場を立ち去った。あれから、藻琴は一睡もしていない。否、眠ろうとすると悪夢を見るのだ。今でも感触が残っている母を刺殺した感触。そして、母の最期の言葉。
自分は政察トップの息子で、そして跡を継いで立派な人間になる心算だった。薔薇色の人生が待っていたはずだった。だが、今はどうだ。色なんかない。
(……嗤える。自分は愛人の息子で、母は僕をずっと恨んでいた。笄(あの人)の所為で)
はは、と乾いた笑いが込み上げてくる。殺意でも憎しみでもない。この感情は——哀しみだ。
「……いっそ死んでしまおうか……」
そう呟いた瞬間だった。ギィ、と牢獄の檻が開かれる。思わず顔を見上げると、其処には政察の男が立っていた。正確には、落ち椿だ。男の右手に赤紫色の刀身を持った日本刀が握ってあり、両目は異常なほど充血していた。
藻琴がすぐさま落ち椿だと理解すると、男は力なく倒れこんだ。そして流れるように落ち椿は藻琴の手に握られる。
『久しぶりね、可愛い我が子!』
「……その呼び方は止めろ」
『あら、ごめんなさいね。でも、また会えてよかった』
「お前、どっかの管理下に置かれてなかったのか?」
『そうね、でもこの男(ばか)が好奇心でわたしを握ってくれたおかげでこうしてあなたと出会えたわけだけど』
ふふふ、と至極嬉しそうに落ち椿は笑う。ここ数日一切飲み食いしていない藻琴はやつれた顔を落ち椿に向ける。
『でも不思議よ。どうしてあの時のことを笄さんに言わなかったの? 政察(ここ)では妖刀(わたし)は御伽噺ではないし、信じてくれるはずだったのに』
「……もう何も信じられないんだよ。僕は嘘の中で生まれて、嘘の中で育った。だから嘘のまま死ぬ……」
『残念ね、死んでしまうの?』
「嗚呼。もうこんな世界うんざりだ」
『私はあなたに持ち主になってほしかったわね。……じゃあ、最後に1つ。とても面白い話(ところ)があるのだけれども」