複雑・ファジー小説

Re: 名前のない怪物【血の楔篇】  ( No.121 )
日時: 2017/03/23 11:04
名前: ルビー ◆B.1NPYOoRQ (ID: Ed6RPZhj)

「げえっ」

 鈍く何かが砕け散る音。傍から見れば只の踵落としだ——。戦闘民族である虎功刀や月雲は「ただの」で済めば何も驚かなかった。だが、その音と、当の被害者である藻琴の倒れた姿を見て虎功刀はゴキブリを見た時の反応に近い苦虫を噛み潰したような声を上げた。
 そんな彼のことなど露知らず、夜明は倒れこんだ藻琴の首筋にサーベルを突き当てる。落ち椿だろうが、藻琴だろうが反抗すれば首どころか一瞬と呼ばれる時間で頸動脈を掻き切ってしてうだろう。

「おい」
『流石ね』
「テメェは呼んでない。というかやめてくんない? 藻琴がオカマみたいになるんだけど」
『藻琴はもういないわ。精神は死んでしまったの』
「許可なく死んでも困るんだけど」

 今度は踵落としの時とはまた違う鈍い音が響く。今度は藻琴の胸倉を掴んで頬を思い切り殴りつけたのだ。
 瞬く間に腫れて赤くなる。

『……何を』
「嘘つくなよ、死ぬわけないだろうが。落ち椿(おまえ)は藻琴の体を使ってる以上精神だろうが肉体だろうがどちらかが死ねばその体は使い物にはならなくなる。嘘吐きは泥棒の始まりですよっと」
「其処はちゃんと妖刀……ってわけだネ」
(……隊長がちゃんと話聞いてた!?)

 嘲笑するような落ち椿の鼻にもう一度夜明は拳を入れる。中身は妖刀。体は藻琴。今は完全なる藻琴ではない……、とわかっていたはずだったのだが。
 笄は耐え切れなかった。自分の息子が赤の他人にひたすら殴られる姿など。

「止め……、止めろっ!!」
「! おい、アンタ、あれは……っ」
「わかってる、わかってる! あれは呪い(ようとう)で藻琴じゃない! でも、でも……っ」

 今にも夜明に殴りかかろうとする笄を慌てて虎功刀が羽交い絞めにする。
 止められてもなお暴れる笄。だが、暫くして動きを止める。その眼には涙があふれていた。

「別に笄を殺すのは自由にしなよ。でも、今の御前を見てるとただの操り人形にしか見えない。【殺す】って意思も落ち椿に唆された様にしか見えない!」
『変なこと言わないでっ! これは私と藻琴の一致した意思よ!』
「だから出てくんなって」

 必死に抵抗する落ち椿。だが、今度は鳩尾に夜明の蹴りが入る。
 その勢いで口から多量の血があふれ出る。

(……危ない、このままでは藻琴はおろか本当に私まで死んでしまう! 何とかしないと……っ。でも、勝てるはずない! それを見越してジワジワ嬲り殺そうとしてるなんてなんて子供なの!)

 只々じっと見ていた月雲が口を開ける。

「……このままじゃ肉体的にあまり強くない藻琴が死んじゃうネ」
「おいおい社長、如何する気だ……?」

 心配の目を向けられている夜明は何も言わず次の拳を繰り出そうとしていた。
 だが、次の瞬間、甲高い乾いた音が響き渡った。

「……もう……止めてくださいっ! 藻琴は……もう動けません! これ以上、私の弟を苛めるのであればシャチョウであっても……許しません……っ!」

 いつの間にか夜明の目の前に呉羽がいて。その呉羽に夜明は平手打ちされていた。

「呉羽……っ」

 焦ったように笄は冷や汗を流す。呉羽は涙目でじっと夜明を睨み付ける。夜明はいつもと変わらない表情で呉羽を見るだけだ。

「——……ラッキーチャァーンス」
「……え!?」
「…………っ」

 今まで片膝をついていた落ち椿が弧を描くように口元を歪ませる。そして勢いよく呉羽に日本刀を突き刺そうとした。
 呉羽を肩を押して夜明が身代わりになるように突き刺されてしまった。

「……夜明……?」
「おい、社長!!」
「あら、本当は呉羽(そっち)に入れ替わりたかったのだけれども。まぁ、いいわ。強靭で強い肉体が手に入るならこっちのものよ。……でもその前に……夜明(あなた)がどんな人生歩いてきたか気になるわ、見せて頂戴!!」

 血が溢れる。突き刺した刀身を抉らせて落ち椿は笑みを浮かべる。