複雑・ファジー小説
- Re: 【吸血鬼】Into the DARK‐グリース戦記‐ ( No.7 )
- 日時: 2016/03/21 07:27
- 名前: ヒュー ◆.GfDNITtF2 (ID: m.v883sb)
○第二話 ネグル○
たんたんたんたん、と石畳を打つ音が、寝静まった街に響く。
「はあ、はあ」
乾いた音を響かせ続け、リッダは走る。後ろから迫るのは、2人の警官だ。いつもは一日中グリースをぶらついているだけの彼等も、盗みの現行犯とあっては逃がすわけにはいかないらしい。
こんな餓鬼を追いかけている暇があるなら、せめて『聖軍』の盾になって散れと、リッダは言いたい。
「……っ!はあ、はあ、」
何の当てもなく、リッダは路地裏に入った。薄暗い路地裏には、ぼろ布が数枚落ちている。
「はぁ、はぁ、はぁ」
先程から同じ場所をぐるぐる回っているように感じる。ここが一体どこなのか、確かめたい気持ちはあるがそんな時間などある訳がない。
見覚えのあるT字路を、右へ曲がる。考えてなどいなかった。ただひたすらに、逃げるために走り続ける。左へ、右へ、もう一度右へ……。
しかし、そこに広がっていたのは、見たことのない光景だった。いや、遠くからなら飽きるほど見た、この街の象徴的な建造物。
寂れた人間の街を見下す様に天高くそびえる黒い塔。側面にはこれも黒い、歪な塊がくっついている。塊は後で増設したものらしく、アンバランスなシルエットを造りだしていた。その奇妙な造形が、この場所の禍々しさを一層際立たせている。
吸血鬼の城、ネグル。
「ネグル!?」
幸か不幸か、リッダが今来た道は、帝国への抜け道だったのだ。
「……」
背後に、追手の足音が迫る。それに合わせて、リッダの心臓が拍を討つ。
つぅ、とリッダの背中を汗が伝った。夜の街に吹くそよ風が、やけに大きく聞こえる。つばを飲んだリッダの耳に、澄んだ声が響いた。
「おいで」
顔を上げたリッダの前には、美しい女性が片手を伸ばしていた。
突然の声、突然の第三者に、リッダは唖然とする。力の抜けた体から、間抜けな声が漏れた。
「おいで」
繰り返す女性の口元に浮かぶ、微笑。あまりの美しさ故か、その柔らかな微笑みは、悪寒を伴ってリッダへ届いた。
(怖い)
リッダは、自分は恐怖に従順だと思っている。恐怖とは、動物が危険から身を守るための盾のひとつだ。その盾を投げ捨てて、あえて死を選ぶ人間をリッダは尊敬したりしない。英雄と呼ばれる彼等は、リッダに言わせれば馬鹿者だった。
「おいで」
伸ばされた手から、不意に生気が消えた。
一瞬のうちに、不自然なほど青白くなった四肢。何よりもその髪と瞳の色が、彼女の正体を表していた。
雪の様に白く、星光を反射する銀髪。リッダの頭上に浮かぶ月をそのまま閉じ込めたような、金色の瞳。故郷の山に棲む獣と同じ色でも、こちらは気品を兼ね備えている。
———吸血鬼だ。
驚くほどの事ではなかった。今リッダが立つのは、吸血鬼の世界と人間の世界の狭間。此処にリッダが居ることの方が、よほど驚くべきことだ。それは頭で分かっていても、驚かざるを得なかった。
(……違う)
こんなに美しいものは、鬼なんかではないとリッダは思った。リッダの知る《鬼》は野蛮で、汚らしい化物だった。
「おいで。……早く」
吸血鬼の言葉に我に返り、リッダは振り向く。2つの大柄な影が路地裏に揺れている。耳を澄ませずとも、それが警官であることは明白だった。
ただでさえ焦りでうまく働かない頭と、ひどく動揺した心を精一杯使って、リッダは考える。
(生きなきゃ)
リッダは、吸血鬼の手を取った。
- Re: Into the DARK【オリキャラ募集】 ( No.8 )
- 日時: 2016/03/18 23:43
- 名前: ヒュー ◆.GfDNITtF2 (ID: m.v883sb)
「こっちよ」
吸血鬼の手に引かれるまま、リッダはネグルの中へ入っていく。内部へ入るまでにはいくつもの扉があるが、鍵はかかっていないようだった。壁は岩をくり抜いて造られたようで、そこかしこに凹凸が見られる。
ここが吸血鬼の根城となる前は、何かの施設の跡だったと聞いた事があった。何に使われていた場所かは分からないが、相当に大きな建物だ。
ふと、リッダは自分が握っている手に温かみを感じた。先程まで夜の石のように冷たかった吸血鬼の手は、人間と変わらない温かさになっている。よくよく見れば、髪の色ももう白銀ではない。手入れされた綺麗な金髪だ。
「私はヴェルジュ。月種の長よ」
階段を上りながら、吸血鬼———ヴェルジュは短く自己紹介をした。
「……リッダ」
リッダが名だけを答えると、ヴェルジュはふり返って微笑んだ。
「リッダね。良い名前」
「そんなこと思っていないでしょう」
「いいえ、貴方によく合った名前よ。強い目をした可愛い貴方に」
思いがけない言葉に、リッダは手を振りほどき、踊り場で立ち止まった。
(何なの、この……吸血鬼は)
まるで人間のようじゃないか。先程までは、リッダには触れることが許されないのではと感じるほどに、浮世離れした存在だったのに。
リッダは敵意を籠めて睨みつけるが、ヴェルジュは微笑んで小さく首を傾げてくる。リッダは大股で歩きだし、誤魔化すようにヴェルジュへ話しかけた。
「私の故郷で、猫を意味する古語なの、『リッダ』は」
「そう。……うん、やっぱり貴方に合っているわ。貴方、本当に猫みたいだもの」
ヴェルジュはくすくすと笑い、廊下を進む。その様子はまるで少女のようだった。
ネグルの中は、リッダが思っていたより質素だ。装飾はほとんど無く、壁に取り付けられたろうそくが唯一の光源。部屋数は多いようだが、人の影は見えない。
「ここが、私の部屋」
ヴェルジュが立ち止まったのは、ネグルの中では珍しく、豪奢な雰囲気を漂わせる大きな扉だった。これを見る限り、ヴェルジュは吸血鬼の中でも高い地位にあるようだ。
「何で私を助けたの?」
リッダは、ヴェルジュが扉を開ける前に問うた。そこに入ってしまえば、本当に、もう二度と戻れないと思ったから。
「話せば長くなるわ」
ヴェルジュはリッダの目を見ずに、扉を開けた。そして部屋の中から、リッダに言う。
「結論から言えば、貴方は私に必要なの。……それだけよ」
リッダはヴェルジュの青くなった瞳を睨んだ。ただの人間である自分が、吸血鬼にとってどんな価値があるのか。答えは一つしかないと、リッダは考える。
「血は飲まないわ、約束しましょう」
ヴェルジュは、リッダの考えを読んだように強く言った。
「……」
吸血鬼の言う事は、決して信用できない。ヴェルジュがその気になれば、リッダの『黙らせる』ことなど容易いから……。
そこまで思考が及んだ時、意図せず足が震えた。
怖かった。得体の知れぬこの生物が、どうしようもなく怖かった。それでも、死の方がよほど怖かった。
(逃げれば、殺されるかもしれない)
自分も、あんな赤黒い肉塊となってしまうかもしれない。
(……あかくなってしまう)
無残に引きちぎられた衣服。村中にたちこめる鉄の匂い。ほんのすぐ横で響く絶叫。そして、巨大な牙から薄赤い唾液を垂れ流すのは———。
脳裏に浮かんだ光景が、リッダの足を前へと出させる。
もう、戻れない。