複雑・ファジー小説
- Re: 猫舌の死神 ( No.2 )
- 日時: 2016/03/27 22:23
- 名前: Dance (ID: E616B4Au)
彼は落ち着いた様子で私の勧めた椅子に腰をおろしていた。彼を警戒し、私が黙ってしまっていると、彼は困ったように笑って口を開く。
「そう怖い目で見ないでください。いきなり来てしまって、失礼だったのは重々承知です」
至極申し訳なさそうに表情を変える様は、まるで小さな子どもが母親から叱られているようだ。彼は眉を下げたまま私の目をまともに見つめた。
「しかし、どうしても貴方に頼みたい事がありまして……それが大きな仕事なものですから」
「仕事、ですか。私にできるようなものであればいいのですが……」
私は、やはりこの青年が人を間違っているのだろうと思った。確かにこの近くにテリー・レッドマンなんて人物は私しかいないのだが、隣町はどうだか分らない。この美しい青年がこの町の片隅に立つ私の家にはあまりにも不釣り合いな気がしてならなかった。
彼は美しい刃を見せて笑い、付け足した。
「いえ、この仕事は貴方にしかできないことなのです……。実は、僕は貴方に僕の本を書いてほしいのです」
「……本、ですか」
私は思わずうろたえて声を上げてしまった。
「私が今までやってきた事とはあまりに毛色が違いすぎますが……はて、それは、伝記、と言うことでしょうか。つまりは貴方の人生を綴った本であると」
「いえ、少し違います。まぁ、僕が経験してきたことに間違いはないのですがね。僕の人生なんてものはどうでもいいのですよ。僕は、僕が今まで出会ってきた人物たちの人生を、貴方に一つの物語として形作っていただきたいのです」
彼の言葉を、私はどう捉えるべきか、迷っていた。
「……それは、貴方のご友人の方々、と言うことですか?」
「友人……さて、彼らが僕の事をそのように思ってくれているのであればそう言っても構わないのでしょうけれど……。少なくとも僕一人は、彼らの事を友人だと思っていますよ。皆いい人たちばかりです」
彼は相変わらず愛想のいい笑みを浮かべながら話していた。私は慎重に言葉を選ばなければならなかった。
「……それは、それで良いのですが、そうなるとその貴方のご友人——今言葉を濁された事を察しなければならないのでしょうが一応友人と言うことで——にその許可を取らなければなりませんし、一気に複数の人物の人生をまとめるとなると、膨大な時間を取ることになります。一人一人に取材をして、資料を集めるとなると、私にはその時間を作ることができるかどうか分かりかねるのです。自分の仕事のこともありますので……」
「一人一人とお話しすることはありません——いえ、出来ない、と言った方が正しいですね。貴方が欲する資料はすべて僕の口からお伝えしましょう。彼らの人生は僕がかいつまんでお話しします。貴方には最も重要なシーンだけに集中していただきたいのです」
「……出来ない、とは」
私は言葉を詰まらせた。彼は天使のようなほほえみを浮かべたままであった。
「申し遅れました。僕は、あぁ、僕に決まった名前はないのですが、今までで一番多く名乗った名前を貴方にお教えするとすれば、僕は俗に死神、と呼ばれるものです。今回貴方に依頼をしたいのは、僕が今までに出会ってきた人間たちの最期を記すことなのです。貴方と彼らは既に存在する形から世界、理由まで違いますので、直接的に離すことは出来得ないのです」
「……死人、と言うことですか」
私は呆気にとられたままこぼすように彼へと質問した。質問の形をとれていたのかどうかすら、私は覚えてはいないのだが、彼は嬉しそうに笑みを浮かべて力強く頷いて見せてくれた。
「はい、彼らは既にその人生を全うしています。生まれ変わるのか、このまま消滅するのか、再び歩み始めるのかは彼ら次第ではありますが、貴方と、今僕のように相対して話すことのできるものはいません」
「冷やかしなら帰っていただきたい」
「とんでもありません。僕はわざわざ貴方を探し出し、以前のお住まいまでお訪ねしてきたのですから」
私があまりにも混乱していたように見えたのだろう。彼は私の顔を心配そうにのぞきこむよう、体を乗り出した。彼が手をついた背の低いテーブルが耳障りな音を立てて軋んだ。
「……僕の話はそんなにも突飛だったでしょうか」
「いえ、しかし……そのような話は子どもの頃以来ですね」
私は困惑したまま、彼に腰を落ち着けるよう促した。彼は素直に従い、再び椅子へと腰を降ろし、純粋無垢なガラス玉の目を私に向けてきた。
「貴方は物書きでいらっしゃるので……この手の話は得意なのではないのですか?」
「……物書きが全員、ファンタジーやおとぎ話に特化している訳じゃぁない」
「僕はいくつか貴方の作品を読ませていただきましたが、貴方の作品にはよく空想上の生き物が出てきますよ。幼児用の童話集を書かれていた時なんて、それは美しい楽園の話を……」
「あれはほんの小遣い稼ぎの仕事ですよ!」
私は驚いて大声を上げてしまった。私が児童書を書いていたのはまだ駆け出しだった頃の話で、今では発行もされていないはずだった。見たところ彼は私よりも年下であった。彼がもしその本を手に取れたとすれば、彼は母親の腹の中だったはずだ。
私はこの時はまだ、彼の話を心から信用している訳ではなかった。死神、と名乗った彼をどうしてすぐに信用できるものか。しかし彼の方でもそんな私の様子は分かっていたのだろう、私の慌てぶりに彼は苦笑を浮かべていた。
「信じていただけないのも分かります。ユニコーンや妖精ならまだしも、僕のように人間と似通った者が想像上の怪物であると話したところで、何の証拠もありませんからね」