複雑・ファジー小説
- 傷色 ( No.9 )
- 日時: 2016/07/03 20:58
- 名前: 亜咲 りん ◆zy018wsphU (ID: hd6VT0IS)
- 参照: こころの音がきこえる少年と、音が色で見える少女の淡い物語。
私の世界は、いつも静かだった。広がる静寂、魚のようにただただぱくぱくと動く人の唇。
そんな淋しい世界に、神様は色鮮やかな贈り物をくれた。
ベッドを揺らす、微かな目覚まし時計の振動で、私は目覚めた。
ふらふらと寝ぼけ眼で身を起こして目覚まし時計を見る。それは、ガタガタとその丸っこい体を揺らしながら、赤、黄色といった色をけたたましく辺りに飛び散らしていた。いや、普通の人にとっては、鳴り響いていた、と言うべきか。
目覚まし時計の上に手を置くと、ぽん、とオレンジ色の煙のようなものを発して、その攻撃は止んだ。いや、音が止まった。ふわぁ、と欠伸をすると、白いもやのようなものが私の口からゆっくり飛び出し、すぐに消える。
それを少し口の端を歪めながら見送ると、私は勢いをつけてベッドから降り、たたっと廊下に飛び出た。なんとも言えない色味のほこりのようなものが、私が廊下に足をつけたところから飛び散った。いや、きゅっと音を立てた、か。
「おはよう」
階段を下りて、キッチンにいる母に挨拶する。おはよう、という空色の文字が私の口から出て、母にぶつかると分散した。いや、母まで届いた。
すぐに、私と同じ淡い茶色の髪がふわりとなびき、こちらを向いた。
「おはよう。もうご飯ができるわ。座ってて」
その言葉と共に、青色の綺麗な文字が、さらさらと母の口から私に飛んでくる。いや、落ち着きのある綺麗な声、か。
母はそのままにっこりと私に笑いかけると、再び前を向いて料理をし始めた。
茶色い音をたてて椅子に座る。いや、ただ座っただけだ。
しばらくして、母がお待たせ、と青い声で出したお味噌汁とご飯をゆっくりと食べる。先ほど目覚まし時計で確認したとき、時刻は7時だった。8時に出れば学校に間に合うはずだから、まだまだ余裕はあるはずだ。
かちゃかちゃと空色の音をたてるお箸で、喉を鳴らしながらふりかけのかかった白飯と目玉焼きを食べていると、ああ、そういえば、と母が切り出した。いや、ただ単にかちゃかちゃと私が鳴らしているだけだ。
「今、8時だけど、大丈夫?」
ぽろっと、箸が黒い色をたてて床に落ちる。いや、絶望的な音をたてて落ちる、か。
「のーーーーん!!!!」
空色の声が辺りに飛び散った。そのまま私は勢いよく立ち上がり、洗面所まで走る。
あとには、水色のまっすぐな線だけが残った。
そう、私が見ている世界は貴方たちとは違う。
私が赤子の頃、どうも様子が変だということで、母が病院へ向かい、検査をしたところ、私は耳がきこえないらしかった。
しかし、奇妙なことに、私が目を開けている間は、母が声を発したり、音をたてたりする度に、きゃっきゃっと嬉しそうに笑っていたらしい。母は当時の私の様子を、まるで音がきこえているようだった、と今でも話している。
その理由は、次第に私が言葉を身につけていくにつれ、わかっていくことになる。
私の世界には、確かに音は無かった。でも、その代わりに神様は私に色をくれた。
この世にある全ての音は、私には色が付いて見える。それは赤だったり、青だったり、黄色だったりと、様々で。それに、同じ青でも、それぞれ少しずつ違っていた。
母は私の口からはじめてそれを聞いたとき、驚きながらも、素敵な世界ね、と微笑んだ。
確かに、幼い頃は、それは美しかった。家の庭で走り回ったり、家の中ではしゃぎ回っていると、たくさんの色が辺りを飛び回ると、すごくわくわくした。
でもそれは、外の世界に出て一変することになる。
案の定遅刻し、先生に睨まれながら授業を乗り切り、消沈しながら帰り道を歩いていると、私は眼前に広がる光景に、ぎゅっと手を握りしめた。
音。音。音。音。
音の波が、私を襲う。
辺りに散らばる音はそれぞれ色が違って、私の視界はまるで絵の具でぐちゃぐちゃに塗られたようだった。
前が見えない。そして、その音たちはどこか濁っていて。
私は思わず走り出すと、あの場所へ向かった。
河原に着くと、私ははあはあ、と荒い息を吐いて、呼吸を整えた。
土手のようなこの場所は、私の秘密基地。
そこらじゅうに生えている草たちは、緑だけでなく、オレンジや黄色、茶色といったカラフルな色をたてて揺れている。時折吹く風は優しい水色で、清らかに流れる川は、澄んだ青色をしていた。
ここは家と同じで、色に惑わされることなく、落ち着いて過ごすことのできる場所だった。
そうして、息が整うと、私はさらにふぅ、と息を吐き出した。
音のきこえない私にだって、できることがある。
会話も色の形で把握することができるし(後ろから呼びかけられると気づけないけど)、言葉を発することもできる。
だから。
私はすっ、と息を吸って、口を大きく開いた。
草原に響き渡る、空色。オレンジ色に染まった空に、それはよく映えた。
そう。私は歌も歌うことができる。貴方たちとは音程の把握の仕方が随分違うけど、コツを掴んでしまえば簡単だ。見たままの色、そして形を口から出せばいいのだ。
私にとって音は色。もしかしたら、昔の人は、音に色があると知っていたのかもしれない。そうじゃないと、なぜ美しい旋律を、音色と呼ぶのかわからないから。
少し余韻を残して歌い切ると、私はまたふぅ、と息を吐いた。白いもやのようはものが霧散する。
私の声は空色。歌声も空色。でも、そう見えるだけだ。貴方たちにはどのようにきこえるのか、私にはわからないのだ。だから、私はいつも、ここでしか歌わない。いつも、1人、空色を見ている。
いや、今日は1人じゃなかった。
なぜなら、おろしていた鞄を持ち上げて、くるりと後ろを向くと、そこにいたから。
__涼しげな目を見開いた、綺麗な黒髪の少年が。
…to be continued…