複雑・ファジー小説
- 零れる夢に【 Ⅰ 】 ( No.12 )
- 日時: 2016/07/09 23:50
- 名前: 亜咲 りん ◆zy018wsphU (ID: hd6VT0IS)
- 参照: 夢は、いつだって人を駄目にする
その少女は、俺のいつもの帰り道に突然現れた。
「どうか私に、夢を売ってくださいませんか?」
「……は?」
その珍妙な問いに、思わず間の抜けたような声が出る。
「……夢?」
俺は一拍間をおいて、こほん、と咳払いをしてから、問い返した。
「はい。あなただけの、夢を」
小さな箱をまるで募金箱のように首から下げた、小柄なお下げの少女は、見開いた大きな丸い目に真っ赤な太陽を浮かべながら、しばらく俺を見つめていた。
「……とりあえず、これを飲んどきな」
近くのベンチに腰をおろした彼女に、俺は近くの自動販売機で買ってきたスポーツドリンクを手渡した。
「おお、これはこれは。感謝いたします」
彼女はそれを小さな両手で受け取り、座ったままそう言って、深くお辞儀をした。俺に、ではなくペットボトルに、だ。
なんなんだ、一体。
彼女は、あのおかしな発言の後、そのまま俺の目を見ながらぶっ倒れた。
大丈夫か!?と駆け寄ると汗が酷く、軽い脱水症状らしかった。春なのにこの熱気だ。無理もない。
そして、ふらふらとする彼女を貧弱な身体で支えながら、ここまでやってきたというわけだ。
彼女の小さな身体は、驚くほど軽かった。
「……んで、なんで夢なんか探してるんだ?」
スポーツドリンクを飲み、ほおっ、と温かいものを飲んだときのように息を吐いた彼女に、俺は静かにそう問いかけた。当たり前だが、スポーツドリンクは冷たい。
「ああ、そういえばその話の途中でありました。1日中歩き回っておりましたので、どーやらそれを忘れていたようなのです」
彼女の薄い唇が小さく動き、少ししゃがれた声が飛び出た。
1日……そりゃぶっ倒れるわけだ。てか、その話し方なんなんだよ。気になるじゃねえか。
「夢って、そりゃ俺も持ち合わせてるさ。でも、人様にあげられるもんじゃねぇだろ、夢は」
「むー。やはりそうなのですね。今日1日、同じようなことを出会った人皆に言われました」
当たり前だ。
しかし、そう言う彼女の瞳がどこか寂しげなので、俺はもう少し彼女の話に付き合うことにした。
「そんなら、もしその夢を誰かから売ってもらったとしたら、お前はどうしていたんだ?」
「うーん、そうですねぇ」
小さな顎に片手を添えて、こてん、と首を捻る。
本当に、小さい、という表現が似合う少女だ。ただ、小さなパーツの中で、強い輝きを放つ目だけが大きく、存在感を強めている。これは、彼女の意思の強さの現れだろうか。
なんにせよ、俺はこのとき、彼女がこれを冗談で言っているのではないと気づき始めていた。
「眠るときに使います」
「……は?」
だが、さすがにそれは認められなかった。思わず間抜けな声が出る。
「眠る、とき?」
「はい。夢は、眠るときに見るものでありますよね?」
だからその話し方をやめろって。
俺が頭を抱え込むと、彼女はまたしてもこて、と首を曲げ、俺の瞳をまっすぐ見つめた。
吸い込まれそうなほど、澄んだ瞳。
彼女は一体、何者なのだろう____
…to be continued…
- 零れる夢に[ Ⅱ ] ( No.13 )
- 日時: 2016/07/14 23:41
- 名前: 亜咲 りん ◆zy018wsphU (ID: hd6VT0IS)
- 参照: 美しく、哀しく
「私は、小さい頃からずっと病院にいたのです」
まあるい瞳を少し伏せながら、彼女は言った。
「それがついこの間治って、やっと自由に空の下に出られるようになったのであります。でも、私は」
ぎゅっ、と、彼女はペットボトルを握りしめる。
「夢を、見たことが無いのです」
ペットボトルがぎし、と嫌な音をたてて、彼女の小さな手から滑り落ちた。
「夢を、見たことがない?」
「はい」
「それは、多分気づいていないだけなんじゃあないか? 人間は夢を見ていても、目を覚ますとその内容を忘れているときいたことがあるぞ」
「でも」
きゅっ、と口を引き締めると、またしても、彼女は俺の瞳をまっすぐに見つめた。
「私は、見たいのです。そして、覚えておきたいのですよ。眠るときに見る夢を」
そう言葉を紡ぐ彼女の表情は、不気味なほど欠落していて、爛々と光る目だけが、獲物を狙う猫のようだった。
なんだろう。彼女の中には、決定的になにかが足りていないような気がする。
それは病院暮らしのせいなのだろうか。不思議な少女だった。
「なんで、夢なんか覚えておきたいんだ?」
口から飛び出たのは素直な疑問。
夢を覚えておきたいだなんて、俺は考えたこともなかった。
夢というのは夜見て、朝には忘れてしまっているもの。気まぐれな恋人のようなものだった。まあ、俺に彼女なんているはずもないが。
「私が病院にいたとき、お母さまは夜には帰ってしまっておりました。それが病院の掟。仕方の無いことなのでございまする」
「いや、その話し方やめてくれるかな」
「なぜですか?」
「気になるからだよ……」
ハテナマークを浮かべながらぽかん、とこちらを見つめる彼女に、俺はため息をついた。本当に変な少女だ。やっぱり、ただ病院暮らしで世間離れしている、というだけではないような……まあ、いいか。
「……まあ、それで、夜はいつも淋しかったわけなのです。病院の夜は、静かでしたから、余計に」
そう呟きながら、彼女は橙色の空を見上げ、どこか遠くを眺めた。
俺は健康体で、入院は1度もしたことがない。だから、彼女の孤独が正直よくわからなかった。
ぴゅう、と風が吹き、彼女の細いお下げを揺らす。そうして、彼女は再び口を開いた。
「そんなとき、夜の私を助けてくれていたのが夢というわけなのです」
「……事情はわかった。でも、なぜ他人の夢を欲しがる?」
「他の人の夢ならば、記憶に残るかな、と思いまして。いやはや」
「そうか……」
うーん、と俺は顎に手を当て、唸る。
夢は与えられるものじゃない。そもそもなぜこのようなことを真剣に考えているのかわからないが、このときの俺はとにかく彼女を助けたいと思っていた。
しばらく考えて、俺はようやく口を開いた。
「……なら、夜に見る方じゃなく、いつでも見れる夢を与えるってのはどう?」
「いつでも?」
「ああ」
今度は俺が彼女の瞳をまっすぐのぞき込みながら、呟く。
「お前は今まで入院していて、外にあまり出れなかったんだろう? でも今は違う。夜も1人じゃない。お前の夜に、もう夢は必要ない」
俺の言葉に彼女ははっと目を見開いて、口元に手をあてた。
予想通りの反応に、俺はにやり、と口のはしを緩め、続ける。
「もし、まだ夢をみたいと言うなら、俺が与えるよ。そうだなぁ……ひとまず、学校の先生とか目指してみるのはどうだ?」
どんなもんだい、と俺は胸をはってみせる。俺、今けっこういいこと言ったよ。
しかし、そのまま、だから……と続けようとしたとき、彼女の様子がおかしいこと気付き、少し距離を縮めた。
「だ、大丈夫か! まだ体調悪い、か……!?」
彼女は泣いていた。ぽろぽろと透明な雫が頬を伝っていく。
「……ありがとう」
小さな声が俺の耳に微かに、だけどしっかりと届いた。彼女は黙って下を向いた。
俺は伸ばした手を、いつまでたってもおろすことも、そのまま彼女に触れることもできなかった。
なぜなら、彼女の目から零れ落ちる涙はまるで彼女自身の夢のように見えて、とても綺麗だったから____
その日の夕暮れは、空と俺たちを染め上げ、まるで1つの夢を生み出そうとしているかのようだったことを、俺はいつまでも覚えている。
…end