複雑・ファジー小説

Fallen Angel ( No.27 )
日時: 2016/08/26 21:54
名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: ERCwuHMr)
参照: 秘蜜。

 
 決してつばさを失わないで。貴方は清く正しく、穢れなき白の『天使』なのよ。

「白、か」

 思わずそう呟く。白、白。なにものにも染まっていない、清らかな色。人はそんな白いつばさを持った者を、『天使』と呼ぶ。人は長らくその存在に怯え、畏怖し、『天使』と共存してきた。だが……

「……人間は、つくづく黒いな」

 ばしゃ、と池で魚が跳ねた。私の足元まで水が飛んでくる。いつもならば穢れだの不浄だの言って真っ白なタオルで洗い清めるのだが、今日はそんな気分にはなれなかった。
 草原に1人座り込む私の膝の上には、ネックレス。大きなサファイアが飾られたそれは、人間からもらったものだ。それも、私がこの世で最も愛していた者からの。
 ぎりり、と歯ぎしりをする。愛情と憎悪で、つばさの付け根がひどく痛んだ。
 愛していたのに。信じていたのに。

「……だから私は、『青』を受け入れたのよ」

 私がかつて愛していた人間は、私の前からいなくなってしまった。不思議に思って街へ下り、私は見たのだ。仲睦まじく笑うあの人と、つばさの無いただの人間の女を。そしてその女の手には、穢れなき白の布に包まれた、穢れなきいのちが__

 がばっ、と顔を上げ、立ち上がる。そのまま大きく息を吸って、ネックレスを持ち上げる。

「こんなものっ……捨ててやる!」

 指が白くなるほどにそれをぎゅっと握り、池に向かって投げる。否、投げようとした。

「……なん、で?」

 その手はまるで石のように動かなくなっていたのだ。頬に涙が伝い、再び私はその場に座り込む。
 天使は不浄を犯してしまってはいけない。悪を犯してはならない。池にネックレスを投げ捨てることは、黒。天使はいつでも白く在らなければならないのだ。

「……なによ。白なんて、ただただ染まっていくだけの色じゃない!」

 ぐるぐると、私のこころは乱されていく。白なんか弱い色だ。白は汚い。白は……白は……!

「そうだ、黒くなればいいのよ」

 途端につばさがとても軽くなった。ただ空を飛べるだけで重かった白いつばさが、どんどん消えていく。いや、黒く染まり、青い空に散り散りになって消えていく。

「あ、は」

 自分の口から、自分のものでは無いような声が出た。緑の草原に、黒い涙がこぼれ落ちる。
 池をのぞき込むと、私の目が黒く染まっていた。そう、黒く、黒く。

 天使はいつでも白く在りなさい。天使は気高く、何者にも囚われない白なのです。

「なにが囚われない、だ。ほら、白なんてすぐ黒に染まってしまう。黒こそが……何者にも囚われない色だわ!」

 自分の声が、どんどんと獣の咆哮じみた声になっていく。自分の身体から、黒が溢れ出ているのがわかる。その喜びで、私は震えた。

「全部……黒く染めてやるっ」

 野太い声でそう吠えた、その瞬間。背中から、なにかが飛んできた。
 ぐら、と景色が歪む。スローモーションのようにあまりにもゆっくりと、私の身体は堕ちていく。ついで首から胸までが裂かれ、なにか黒いものが飛び出た。不思議と痛みは無い。しかし、がつん、と頭が固いものに当たる音がして、私はやっと理解する。
 嗚呼、これは、罰なのだと。黒く染まってしまった、自分への。

 眠いのかどんどん瞼が落ちていく。もちろんそんなわけはないのだが、私は信じたくはなかった。なぜならば、倒れた衝撃で後ろに倒れ、その目は旧き友を映していたから。
 彼女の白く、くすみの無い剣と鎧が黒く染まっている。私はそれをなによりも美しい、と感じた。

「…………」

 彼女が私に何事か呟いた。しかし、そこで私の幸福な意識は途切れた。



・☆・☆・☆・

「うむ。これにて任務完了だな」

 白いつばさの生えた大男が、後ろから出てくる。大柄な見た目に反して、肌は無機物ように白い。

「……なぜ、黒に憧れるのでしょうね」

 ひっそりと、私は呟く。目の前に倒れる旧友を見つめ、私は目を伏せた。

「さあな。黒く染まるやつらのことなんて、穢れなき白の俺たちにわかるはずなんざねえ」

 男は冷たく言い放つ。私はぎゅっ、と剣を持たぬ左手を握りしめた。

「よーし、あとはその心臓を改修しておけ。持って帰った後はきちんと洗い清めろよ。黒は穢らわしい色だからな」

 特になにもしていない男がんー、と伸びをし、くるりと踵をかえしていく。

 まったく。こっちの気も知らないで。

 こころの声とは裏腹に、黒く染まってしまった小さな物体を拾い上げる。私の拳程度の大きさのそれは、すでにもう動いておらず、艶かしい色をしていた。
 彼女はその誘惑に負けてしまったのだ。黒という魔性の色に。

「……ばか」

 彼女を切りつけたときと同じ台詞を、もう1度吐く。草原に倒れている彼女の表情は、どこか安らかに見えた。
 心臓をしばらくぎゅっと抱きしめ、私は歩き出す。
 彼女はこのまま消えていくだろう。大天使様に、白く塗り替えられて。

 さようなら、親友。

 私は頬をなにか熱いものが伝うのを感じながら、男の後を追い始めた。




 黒は穢れた色。何色にも染まらぬ傲慢な色。何色でも染めてしまう不浄の色。
 そして黒は、白き天使を魅了する、魅惑の色____