複雑・ファジー小説
- Re: はきだめのようなもの ( No.10 )
- 日時: 2017/11/03 00:32
- 名前: 凛太 ◆a7opkU66I6 (ID: aruie.9C)
銀の塔の魔法使い
頂に雲を抱く銀の塔には、曰く魔法使いが棲まうという。
四方を森で囲まれていた村は、ある時を境に霧で覆われた。村の者は、口々に魔法使いを罵った。あの男は黒檀の髪を持ち、瞳にはほむらを飼っている。きっと、悪魔の手先に違いない。そういえば、それよりも昔、うら若き生娘が魔法使いにかどわかされた。後を追った勇敢な婚約者は、手負いの姿で村へ帰ってきた。やはり、あの魔法使いは村の敵だ。皆、口を揃えてそう言った。凛々しく勇ましい男が森へ立ちいれば、嫉妬で殺されてしまう。清らかで美しい娘が銀の塔をおとなえば、娶られてしまう。だから、けして森へ入ってはならない。大人達は、村の幼子にそう言い聞かせた。
霧で外の世界から閉ざされて、何十年経ったことだろう。村では奇妙な病が瀰漫していた。黒い痣が体を侵食するのだ。赤子から老人、老人から女、その次は。そういった具合に、徐々に病に蝕まれていった。きっと、魔法使いの仕業に違いない。皆、声を潜めて囁いた。
そのような顛末から、1人の青年が立ち上がった。狩人の息子で、村一番の勇猛果敢。彼は松明と一振りの剣を携えて、銀の塔へとおもむいた。
塔の中は仄暗く、松明の灯りが心強い。螺旋状の階段を登れば、沈んだ足音が響くばかりだ。狩人の息子は深く溜息をついた。しじまにかえった塔の中では、溜息さえも反響する。実を言えば、彼は恐ろしくて仕方がなかった。村を霧で隠し、病を蔓延させたあの魔法使いが。
幾久しく続くように思われた長い階段を登り終えれば、白亜の扉が見えてくる。彼は腰にはいた剣の感触を確かめると、勢いよく扉を開けた。瞬く間、彼の視界に飛び込んできたのは、恐ろしい面をした男でも、醜く歪んだ老人でもない。金糸で飾られたローブを羽織る、花のかんばせだった。本棚と文机、そして安楽椅子にいろどられた小さな部屋の真ん中に、彼女は立っていた。
「お前は、魔法使いか」
男は恐々とたずねた。眼前に佇む乙女は、けして黒檀の髪でも、瞳にほむらも飼っていない。月光の色をした長い髪に、夕闇を切り取った両まなこ。ローブの袖から伸びる白魚の手は、布で巻かれた何かを抱いていた。それが赤子だと気づいたのは、おぎゃあとないたからだ。
「そうです」
魔法使いは、たおやかな仕草で頷いた。彼女は慈愛を含んだ眼差しで、胸に抱く赤子をあやしている。狩人の男はわけもわからず、目を瞬かせた。
「その赤ん坊はお前の子か」
「違います」
魔法使いの娘は静かに首を振った。ならば、誰の子だ。もしかすれば、村の子だろうか。この前トトとアンリの間に、子供が生まれたはずだ。いや、向かいの家のサッシャの子かもしれない。さりとて、こちら側では赤子の顔を見ることが叶わない。男は悶々と思考を巡らせた。それが絶えたのは、娘が口にした言葉のせいだった。
「ああ、愛しいテオ。泣かないでおくれ」
赤子がぐずると、娘はよく透る声で宥めた。聞き覚えのない名前に、男は当惑した。
「ところで、貴方はどうしてここへ来たのですか」
娘に問われ、男は一つ咳払いをした。
「この陰鬱な霧や、近頃村を悩ませるはやり病について物申しに来たのだ。これらは、魔法使いの仕業か?」
「その通りです」
「何故そのようなことをするのだ。村の者達は皆苦しんでいる」
男は必死に訳を話した。束の間、娘の双眸が見開いた。そこにはなみなみと憎悪が注がれている。男は僅かに後退りをする。咄嗟に剣に手をかけるが、身体が痺れたように言うことを聞かない。
「それならば、こちらが問いましょう。何故、貴方達は魔法使いを憎むのです」
「お前が村に恐ろしい呪いをかけるからだ。遥か昔に娘を攫った話も飽きるほど聞かされた」
「ああ、テオ、可哀想なテオ!」
娘の頬に真珠ほどの涙が伝うので、男はぎょっとした。そして赤子に顔を埋めて泣き喚くのだ。男は勇気を奮い立たせて娘へ近寄った。そして腕にかき抱く赤子の顔を覗き込む。そこには、黒色の髪と紅蓮の双眸を持った赤子が、あどけない顔をして娘を見上げていた。
「な、何者なのだ、この赤ん坊は!」
「テオ、私の可愛い一番弟子! 銀の塔に住んでしまったばっかりに!」
男は仰天し、それ以上言葉が出てこなかった。言い伝えにある魔法使いは、この赤子にぴたりと当てはまった。娘はひとしきり泣くと、男に向き直った。
「永らく塔にいた魔法使いは、私ではありません。この純真無垢なテオです」
「しかし、まだ口もきけない赤ん坊ではないか」
「私達魔法使いは、刻を遡り力を使います。果ては、このような姿になって朽ちてしまうのです。恐らく、力を使い過ぎたのでしょうね」
赤子、テオが無邪気な声を上げる。その度に娘はテオの頬を悪戯に撫でた。
「昔、森に迷い込んだ村の娘とテオは、恋に落ちました。村の娘が銀の塔へおとなう姿を見た娘の幼馴染は、嫉妬にかられて娘を殺しました。そうしてそれを、テオのせいだとうそぶいて村に伝えたのです。心優しいテオが、そのようなことするはずが無いのに!」
「な、ならば霧や病の仕業は! 先程、魔法使いのせいだと言ったばかりではないか!」
「そうです、テオは村の者に嫌われても、亡き娘を想い村を愛し続けました」
その瞬間、部屋に拵えた窓が勢いよく開け放たれた。娘は窓を指差し、男はゆっくりと歩み寄る。ささやかな風が男の髪をもてあそぶ。窓から望めたのは、霧に包まれた陰気な森ではない。陽光が葉を照らす美しい森だった。霧は、晴れていたのだ。
「村の外では病が流行っていました。とうに、この小さな村など滅びてもおかしくなかったのです。けれどもテオは霧で閉じ込めることによって、村を守っていました。ああ、されど今はもう……」
男は膝から崩れ落ちる想いだった。ふらつく足取りでテオの元へ近づく。テオは霧によって村を病から遠ざけていた。しかし、霧はすっかりと晴れてしまった。それでは、村は、テオはどうなってしまうのだろう。娘にいだかれたテオの顔を見れば、彼はうつらうつらと微睡んでいた。
「……その、ありがとう」
このか弱き体躯になるまで、彼は一身にわざわいを引き受けていたのだ。無意識に男はテオの指を握り、こうべを垂れていた。ふと、テオが眩く笑むのはまばたきほどの間だった。気がつけば、テオは柔らかく瞼を閉じていた。恒久に、目の覚めることのない。 娘は男をねめつけた。
「私はけして貴方達を許さない」
返すべき言葉は何もない。男は黙ってそれを甘んじた。間も無く村は滅びを辿る。死にたくはない、助けてほしい。男はそう叫びそうになるのを堪えた。テオの亡骸の前では、できそうになかったのだ。
娘は深呼吸すると、その清らかな声で歌を口ずさんだ。村で伝わる子守唄に似ている、と男は思った。歌い終えれば、娘は男を真っ直ぐに見つめた。
「貴方を許さない。けれどもテオは、最期に貴方の言葉で救われた。ならばその分礼を尽くしましょう」
「どういうことだ」
「家族を連れて西の王都へゆきなさい。そこでは病の研究が進み、特効薬が作られたと聞きます。けれども連れて行けるのは、貴方の家族だけ。他の村の者まで、私は守れないから」
娘は儚く微笑んだ。男は深く頭を下げると、身を翻して銀の塔を去っていった。
後に村は滅び、銀の塔は朽ちていった。男は王都にたどり着き、今でも壮健に暮らしているという。時折心優しい魔法使いに思いを馳せては、祈りを捧げる。
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明るい話が書きたいです。