複雑・ファジー小説
- Re: はきだめのようなもの ( No.12 )
- 日時: 2017/11/11 17:56
- 名前: 凛太 (ID: aruie.9C)
月を観る人
日に透かせば、彼の黒髪に緑が差す。きらめく瑠璃色の双眸や、派手ではないけれど整った顔立ち。そして、飄々とした態度。やはり彼は、真夜中が似合う。
壁で覆われたこの街にも、等しく冬が来る。冬は好きじゃない。だって、この街の無機質さが強調される気がして。この街は、どこか歪だ。ぐるりと街を囲む鉛色の壁に閉じ込められて、私たちは息を吸っている。耳を塞ぎたくなるような決まりごとによって、生かされていた。歪な街、だけれども。彼だけは違うと思う。理由なんてないけれど、確かにそう感じたのだ。
「陸さん、奇遇だね」
寒さが身に堪えるからと、わたしは学校からの帰路を急いでいた。今日の夕食当番は妹のはずだから、あまり早く帰る必要はない。しかしこの寒空の下では、どこかへ行く気も失せてしまう。だというのに、彼は平気で私を呼び止める。
「……観月さん」
彼の名前を転がせば、残ったのは奇妙な違和感だった。彼は簡素な紺の外套を羽織り、悠然と佇んでいる。口元には、緩やかな笑みをたたえて。
「その服装だと、学校帰り?」
「そうだよ」
「へえ、僕も高校なんて行ってみたかった」
そういえば、と思う。彼は私と同じくらいの年の頃で、学校に行ってる素ぶりなんて全く見せない。もしかしたら、何か事情があるのかもしれない。私は話題を変えることを試みた。
「それより、外で会うなんて珍しいね」
「ああ、ちょっと用事があってね、終わったところだよ」
彼は退屈だったと言わんばかりに、溜息をついてみせた。 私はそうなんだ、と相槌を打って、いつ別れの挨拶を切り出そうかと算段する。皆に合わせて、丈を少し短くしたスカートでは、防寒なんてまったくできない。早く暖かい我が家に帰りたかった。
「ねえ、観月さん。そろそろ」
「そうだ、陸さんも来なよ。僕、あと一つ寄りたいところがあったんだ」
彼はマイペースにも私の言葉を遮った。そうして私は、つい頷いてしまったのだ。断ろうとと思ったけれど、珍しい彼の誘いに、好奇心を抱いたことは否定できない。
「じゃあ、行こうか」
彼は綺麗な笑みを形作る。その手には、いつのまにか懐中電灯が携えられていた。
連れてかれたのは、街外れにある美術館だった。場所柄、訪れる人も少ない。硝子張りの外装で、周囲を木々に囲まれているせいか、どこか寂しげだった。彼は迷いなく美術館の扉をあけて、中へと突き進んで行く。私は慌てて追いかけた。
「チケットとか、買わなくていいの?」
「ああ、いらないよ。ここの美術館は閉館になったからね。明後日、取り壊されるよ」
私は驚いて、辺りを見回した。確かに美術館のホールは、ひと気がなく、電気すら灯されていなかった。窓から夕日が差し込み、どこか現実感を伴わない。
「その前に、見たいものがあったんだ」
そう彼は呟いて、奥へと歩いていく。壁に掛けられた絵画は、どれも似たようなものだった。街の風景画か、抽象的なものばかり。それら全てを、彼は無視していく。
ようやく立ち止まったのは、狭まった細い廊下だった。そこだけ、雰囲気が異質だった。壁には等間隔で美術品が飾られており、彼は丁寧にそれらを懐中電灯で照らしていく。そこには、見たことのない景色があった。巨大な建物が林立した街並み、一面砂で覆われた大地。どれも、街の中にはないもの。外だ、外の世界だ。もう出ることの叶わない世界が、そこにはあった。
「ここの館長は、こういったものを集めていたらしい。それを咎められて、閉館になった」
「その人は、今どうしているの」
彼は何も言わず、首を横に振った。この街は、いつもそうだ。知らない間に人がいなくなって、いつのまにか人が増えている。奇妙な均衡を保っているのだ。私は食い入るようにして、絵画を見つめた。
「やっぱり、おかしいよ」
自然と、言葉が漏れてしまう。
「私たち、閉じ込められてるんだ」
「そうだね」
「なんで、観月さんはそんなに冷静なの」
「じゃあ聞くけど、陸さんはこの街を出たいと思う?」
その問いかけに、私は目を逸らした。この街がおかしいこと。それを知って、私にできることなんてあるのだろうか。見て見ぬ振りをしていれば、何も危険なことはない。安穏とした生活を、受け入れて過ごす。その方が、よっぽと賢明だ。
私が口を噤んでいると、彼は眉を下げて悲しそうな顔をした。どうして、そんな表情をするの。
「そろそろ、帰ろうか」
それだけ言って、彼は背を向けた。彼は変わっている。この街には似つかわしくない。ひょっとしたら、彼はこの街を出たいのだろうか。そこまで考えて、私は思考を止めた。私には、関係のないことだ。目を瞑って、知らないふりをして、私はこの街に染まっていく。
***
4年前にここで書いてた「夜明けの街、真夜中の瞳」の話です。
思い入れのある2人なので、書けてよかった。
SSは空き時間にぱぱって書けるので、楽しいですね。