複雑・ファジー小説

Re: はきだめのようなもの ( No.17 )
日時: 2018/09/03 12:22
名前: 凛太 (ID: aruie.9C)
参照: https://musyokucode.jimdofree.com

 彼女は、不変を求めていたのかもしれない。

マリオネット


 遠江誉は、僕の口約束の許嫁だ。家同士の付き合いが古く、格も同じくらいだったのだ、許嫁になるのは当然の成り行きだろう。彼女は僕より二つ下で、幼い頃は雛鳥のように後をついて回ったものだ。あどけなく、そして純然と僕を見上げる双眸を、何よりも眩く思った。誉のことは嫌いではなかった。しかし、彼女をいずれは娶るのだと思うと、少年だった当時の僕は、奇妙な違和感だけが残るのだ。恐らくは、彼女も僕と同様だったのだろうか。今となってはよくわからない。
 病や戦争で失われた過去の栄華を取り戻すため、大人たちは子どもの自由を奪う。決められた許嫁がいるということは、僕たちにとってはひどく当たり前だったのだ。




「きりひと、さん」

 とおつになるまで、よく誉は舌ったらずな口調で僕を呼んだものだった。その度に、僕は目を細めて彼女の姿を認めるのだ。あの日は、たぶん、水色のストライプのワンピースを着ていた。裾にレースがあしらわれており、当時の彼女のお気に入りだった。

「なに、誉さん」

 幼い彼女は晴れた昼下がりに僕の家の庭を探検することが得意だった。彼女の目には、珍しく映ったのだろう。誉の家は西洋の建築を模倣してたし、僕の家は日本家屋だった。

「みて、きらきら、見つけたの」

 僕は縁側に腰掛けながら、誉が駆け寄るのを眺めた。そんなに急いでいたら、転んでしまう。たぶん、そのような類のことを言ったと思う。
 誉は嬉しそうに頬を緩めて、右手を僕に突き出した。そこには、藍色のビー玉が陽光を浴びて煌めいていた。誉はうっとりとしたふうに、その硝子玉を観察する。まるで、お姫様が金のティアラを受け取ったみたいだ。

「本当だ、綺麗」
「私ね、綺麗なものが大好き」

 誉は一等大切そうに、ビー玉を人差し指で撫でた。その時の僕は頬杖をつきながら、女の子はそんなものなのだろうな、といった感想を抱いただけだった。

「このきらきらも、夕焼けの空も、私のお庭に咲く花も、全部好き」
「誉さんらしい」
「きりひとさんは、好きじゃないの?」

 彼女の問いかけに、僕は数度瞬きをした後、彼女の頭を撫でた。

「ああ、好きだ」

 僕の答えに、誉は納得していないようだった。彼女は軽やかに僕の隣に腰掛け、そしてよく透き通る眼で僕を見据えた。

「でも、綺麗なものって、あっという間に壊れちゃう」
「だから、いいんじゃないの」
「……そういうものなの? 私、よくわかんない」
「大人になればわかるよ」
「きりひとさんだって、まだ子供じゃない」

 鈴の鳴る声で、彼女は笑う。彼女はどこまでも無邪気な子だ。僕は返答に困り果て、耳の裏をかいた。

「ずっと、ずうっと綺麗なものがあればいいのに。そしたら私は、それをつかまえてみせて、宝箱にそうっとしまい込むの」

 その時の僕は、こないだ誉に読み聞かせた、ピーターパンを思い出していた。大人になることもなく、変化を遠ざけてネバーランドで暮らす。それは、本当に幸せなのだろうか。

「泥棒が入ったら、とられてしまう」

 僕はからかう気持ちでそう言った。予想通り、彼女は頬を膨らます。

「誰にもとられないように、するもん」
「どうやって」
「じゃあ、私も宝箱の中に入る」
「出られなくなるかもしれないな。間違えて、誰かが鍵をかけてしまうかも」

 彼女はそっぽを向いて、「もう!」と呟いた。その様子がおかしくて、思わず口角が上がる。

「でも、そしたら」

 誉は迷いもなく、そしてさも昔からの決定事項のように、淀みなく言い放った。

「きりひとさんが、助けてくれるでしょう」

 約束よ、そう言って、誉は小指を差し出した。



 それから、何年か経った今でも、僕は誉の言葉に絡めとられている。幼い頃の、無垢な口約束に過ぎない。けれどどうして、僕は見て見ぬ振りが出来ないのだろう。
 僕には誉が、いつか朽ちてしまうのだと、そうした予感があった。空が移りゆくよう、花や枯れるよう、綺麗なものも滅びを辿るのだ。誉とて、例外ではないのかもしれない。彼女は危うく、そしてどうしようもなく綺麗だった。だからいつの日か、誉を水底から掬い上げねばならぬと、そうした偽善めいた義務感を背負いこんでいるのだ。だから、けして、二人の間に縁が絶えぬよう、歪なやり方でも繋ぎとめておくことしかできない。

***
珍しく、この二人は登場人物から作ったので、気に入っています。
少しずつ、自分の作品を参照に纏めているので、遊びに来てくれたら嬉しいです(こそこそ)