複雑・ファジー小説
- Re: はきだめのようなもの ( No.3 )
- 日時: 2016/05/29 21:50
- 名前: 凛太 ◆GmgU93SCyE (ID: aruie.9C)
「最近、鴉を飼い始めたって本当ですか」
行きつけの茶屋の店主は、冗談混じりの口調でたずねてきた。
「あの鳥は賢い、それに羽の色は美しい」
店主はひどく非難がましい目で私を見た。ぞんざいに運んできた団子と茶を置く。その無骨な指は、茶菓子屋の店主というより、大工のほうがふさわしい。私は苦い顔で茶をすすった。
「あんな鳥、どこがいいんですか」
「まあ、私にとってはいい鳥さ」
店主はいまだに信じられないという風に、眉をひそめ、奥へ引っ込んだ。そこまでされると、私だって傷つくというのに。
けれどとにかく、鴉は本当にいい鳥だ。
月が冴ゆる夜というのは、どうにも危険だ。妖なんぞがここぞとばかりに跋扈する。だから街の男どもは娘は夜出歩かないようにと、常々言い聞かせていた。さりとて、好奇心が強い娘なんかはふとした拍子で夜の世界へ足を踏み入れてしまう。じんわりと月が辺りを照らし、風がぴゅうと頬を撫で、振り返れば妖に喰われておしまいだ。
その日はしとしとと雨が降っていた。夕刻になればいとど雨は勢いを増して、石を穿いている。
私はまんじりともせず、軒先に据えられた椅子に腰かけていた。茶屋の中は閑散としており、店主は頬杖をつきながら、舟を漕いでいる。店じまいも近いだろう。夜は刻々と迫っており、曇天の向こうでは一番星が瞬く頃合いだ。仕方なしにと立ち上がって、私は茶屋を後にした。
ほうと目を細めたのは、向こう側から女の姿が見えたからだ。茜色の衣がぽつりと目立っている。
ぽつねんと虚空を見上げ、何事かを喋っているようだ。気味が悪いが、興味を持ったのも事実で、私はふらりと近づいた。女は子供だった。遠目に見てもしやと思ったが、子供は嗚咽をあげて泣いているらしい。子供は私に気づくと、潤んだ瞳で私をきつく見据えた。
「どうかしたのか」
試しに尋ねてみると、子供は首を縦にふった。纏う衣は継ぎ接ぎだらけだ。茜色の地に、白い花の模様が裾のほうまであしらわれている。
不憫だ、と思った。
「迷子か」
子供は勢いよくかぶりをふった。もう泣くまいと唇を一文字に引き締め、拳を握りしめている。改めて見れば子供の瞳は鴉のような色をしていた。あの鳥は、いい。そこらの人よりも賢い。私はこの子供に親近感を抱いた。
「口が聞けぬのか」
まさか、そんなことはあるまいだろう。先ほどまでは盛大に声をあげて泣いていたのだ。どこかからかう気持ちで言問う。
「きけるもん」
凛、とした声だった。例えるならば、鈴を鳴らしたような。
「何故泣いている」
「家出したの」
「そうか」
「でも、どこにも行くところがないから」
そうしてまたつつと頬から涙が零れる。小ぶりがちの鼻に朱がさした。
「では共に来るか」
子供は目を丸くした。些細な冗談だ。だというのに、子供は身じろぎ一つせず、私をぽかんと仰いでいる。そして控えめなくしゃみを一つした。肌を震わせる程度には寒く、このままでいれば身も芯まで冷えてしまうだろうか。この小さく脆弱な身体なら、すぐに朽ちてしまう。そうなってしまうには、惜しいと思った。頬に手を這わせる。子供がそうっと後ずさった。鴉色の瞳に、恐怖が彩る。
「い、いい」
「遠慮することはないというのに」
出来る限りの優しい声音で言ってみたが、逆効果だった。子供の口から悲鳴が漏れだした。
「や、やだ、お兄さん怖いよ」
「このままだと寒さで凍え死ぬぞ」
「ほ、んとに、ご、ごめんなさい」
子供が私の手を振り払って駆けだした。行ってしまう、と思った。背はどんどん小さくなる。鳥籠を用意しよう。そうして、逃げ出さないように閉じ込めなくては。私があの子供に追いついた時、あの子供が後ろを振り向いたとき、どのような表情をするのだろうか。
「妖怪退治を生業にしてる輩はそろいもそろって悪趣味だ」
茶屋の奥で、店主は苦いものを噛み潰したような顔をしていた。店主の息子はそれをたしなめる。
「まあまあ、落ち着いてください」
息子はちらりと後方を窺う。奇妙な格好をした女が茶を啜っているところだった。人情を感じさせない冷徹な瞳は、身が竦んでしまいそうなほど鋭い。
店主は腕を組んで息を吐くように呟いた。
「まさか、鴉天狗を飼うなんてな」
***
そろそろ、新しいお話とか書いてみたいです。
夏を感じさせるものがいいですね。