複雑・ファジー小説

Re: はきだめのようなもの ( No.5 )
日時: 2017/09/05 17:31
名前: 凛太 (ID: xV3zxjLd)

さよならノスタルジック


 意識が上昇していく。眩い光が差し込んで、確かな感覚がよみがえった。冷たい空気が頬をなでる。かすかに花の香りがふわりと漂って、思い瞼を開けた。
 かすむ視界。うっすらと見えるのは、わたしを覗き込む、女性。



「フレデリック。やっと、目が覚めたのね」

 彼女の右手が、わたしの目の前に差しだされる。

「ミス・エレノア」

 わたしの頭の中の、膨大なメモリーの中から彼女を見つけ出す。ゆっくりと、声に音を重ねて。ノイズ混じりの発音。それでも彼女は、戸惑いの後に優しくほほ笑んだ。
 そうしてわたしは、久方ぶりに彼女の手をとった。

「あれから、何年たちましたか」

 まだ、あちこちがぎこちない。わたしは、彼女をまじまじと見つめた。ふと視線をずらせば、左手の薬指にはめられた指輪を見つけて、ああそういうことなのかと、ひとり納得した。雑多な思考が脳内を奔流していった。

「そうね、7年よ」
「そう、ですか」

 彼女は一見すれば昔と変わらない様子だった。その軽やかな仕草も、鮮やかな表情も。けれども、あの時のあどけない少女ではないのだ。花を差し出せば無邪気に喜び、きれいな硝子の破片を見つければ夢中になって集めた。そんな、子供ではない。

「あなたがなおしてくれたのですか」

 わたしはもう一度尋ねる。彼女はかぶりをふった。

「私は違うわ。主に私の知り合いが」
「ありがとうございます」
「ええ、彼女に伝えておく」

 きりきりと、胸のあたりが痛いような気がした。そんなもの、あり得はしないのに。

「しかし、どうしてわたしをジャンクにしなかったのか、不思議です。わたしは、用済みだったのに」

 わたしの言葉に、彼女は心外だと言いたげに目を丸くした。当たり前のことだ。不具合を起こしたわたしのようなものは、すぐに廃棄される。そして、新しいのを買うのだ。

「そんなことするわけないでしょう。だって、フレデリックは私の兄のような、いいえ。大事な家族ですもの」
「……家族」
「フレデリックのパーツは旧型だったから、代替品を見つけるまでとても苦労したの」

 彼女は言い訳をさがすように、早口に言葉を並べた。

「それにあの時は戦時中だったでしょう。だから余計に必要なものも手に入れづらくて」
「……エレノア」

 静かに、名前を呼ぶ。視界の端が一瞬だけかすんだ。まだ、調子が悪い。

「ミセス、エレノア」

 その時、彼女は泣き崩れた。

「ごめんなさい」
「エレノア、どうして泣くのですか」
「けれど、私、あなたと約束したのに」

 彼女はおずおずと顔をあげた。視線が絡み合って、そして彼女の方からそらした。

「ずっと一緒よ、って約束したのに。こんなに、待たせてしまって」
「大丈夫です、気にしてません」
「それに、私を助けてくれたからあなたは壊れてしまったんだわ!」

 あの時の光景が鮮明にフラッシュバックする。倒れてきたコンテナ。それを庇おうとして、わたしは。
 わたしは落ち着かせようと、彼女の肩に手をおいた。

「わたしは、そういうふうにプログラムされています。あなたを、守るために」

 彼女の薬指の指輪が目に入って、わたしはどうにもできなくなった。7年の歳月は、子供から大人に花開くためには十分すぎる歳月らしい。

 もしわたしがアンドロイドじゃなかったら。もっと上手に慰められただろう。
 もしわたしが人間だったら。悲しい、という感情が理解できたはずだ。
 もしわたしが——。

 けれども、わたしがアンドロイドであり人間ではなかったからこそ、あの日彼女を救えたのだ。



 大事な、エレノア。
 わたしはあの日々に、さよならを告げた。


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わー、一年ぶりくらい!
アンドロイドが好きです。
またたまーここを更新したいな。