複雑・ファジー小説

Re: はきだめのようなもの ( No.7 )
日時: 2017/09/07 13:44
名前: 凛太 (ID: y68rktPl)

つがいの星

2

 しばらくすると、壮太くんは学校を休み始めた。空白になった席を視界の端で捉えるたび、あの時の言葉がよみがえる。俺、あと少しでいなくなるから、だなんて。彼は、そういう人なのだ。捉えどころのない、透明な風のような人。私には到底、彼を掴んで胸にしまい込むなんて、できそうになかった。それでも、と。ほんのちょっぴりの勇気を奮い立たせ、壮太くんの家の前に立ったのは、彼が休み始めて5日たったあとだった。久しぶりに訪れた彼の家は、荒涼とした雰囲気を孕んでいる。よく手入れされた庭先や、可愛らしく飾られた表札は、どこか寂しげだった。
 インターホンを鳴らして一呼吸おけば、扉から真由子さんが顔を出す。真由子さんは、壮太くんのお母さんだ。少女みたいに悪戯めいた、あどけなさと美しさが入り混じった顔。だけれども、今日の真由子さんの表情は、疲れが色濃く滲み出ていた。

「千夏ちゃん、お久しぶりね。5年ぶりくらいかしら、大人っぽくなって」
「お久しぶりです。今日は壮太くんに学校のプリントを届けに来ました」
「あら、そうなの、ありがとう」

 鞄からプリント一式を取り出し、真由子さんに手渡す。受け取る彼女の手は、僅かに震えていた。

「あ、あの」

 何故だか急に言葉を発さなきゃいけない気持ちに襲われた。ここで立ち去っては、いけない。そんなことを思わせるくらいには、今日の真由子さんの様子はおかしかった。胸の内側がひりつく。

「壮太くん、元気ですか」

 真由子さんの両目が、大きく揺ぐ。

「ずっと、学校来てないから」
「そう、よね。心配になるわよね」

 真由子さんは頬に手を当て、数秒の間、口を一文字に引き結んだ。その後に、ゆっくりと家の中を指差す。

「千夏ちゃん、少しだけでいいの。来てくれる?」
「は、はい」

 真由子さんの言葉に従い、私は玄関を潜った。一歩中へ足を踏み入れれば、シトラス系の香りが漂う。真由子さんは気遣わしげに私を見やると、そのままリビングルームに案内した。鈍い青色のソファに座るように促され、私は素直にそこへ腰を掛けた。一息ついて部屋の中をぐるりと見渡すと、恐らく真由子さんの趣味だろう、かわいらしい調度品で彩られていた。真由子さんがティーカップを持って、向かいの椅子に座る。しばらく、互いの視線が絡み合った。

「ねえ、壮太に会いたい?」
「……え」

 突然の問いかけに、私は間の抜けた声を漏らしてしまう。

「あたし、もう限界なの。1人で抱えるなんて、嫌よ、千夏ちゃん」
「お、落ち着いてください」

 真由子さんは急に血相を変え、取り乱した。私は慌ててそれを抑えようとする。今の彼女は、正常ではなかった。整然と並んだ積み木が、音を立てて崩れてしまったような、そんな感じ。

「……さっきの質問に、正直に答えてちょうだい」

 落ち着きを取り戻した真由子さんは、平坦な声音で語りかける。お腹のあたりが急に冷たくなるのを感じた。唾を飲む。喉が渇いて、差し出された紅茶を流し込んだ。

「会い、たいです」

 私の返事に満足したのか、真由子さんは淡い笑みを形作った。壮太くんのことが心配だ。この家で、何かが起こっている。だけれど、なんだろう。この不安は。真由子さんはよろよろと立ち上がった。

「強引なことして、ごめんなさい。壮太の部屋に行きましょう」

 私は無言のまま頷いて、彼女の背中を追いかけた。階段を上がり、突き当たりの扉。それが壮太くんの部屋だった。真由子さんは軽くノックをすると、扉を静かに開けた。わたしは恐る恐る、中を覗いた。しかし予想と反して、飛び込んできた光景は穏やかなものだった。ベッドの上に、壮太くんが横たわっている。規則正しい寝息は、彼の命を証明していた。

「千夏ちゃん、壮太の顔、触ってみて」

 私はそっと、壊れ物を扱うみたいにして、彼の頬に触れた。熱い。反射的に手を引いた。人間が持つ体温では、明らかになかった。高熱が出ているとか、そのような類ではない。それなのに、壮太くんの寝顔は穏やかだった。

「5日前から、ずっとこう。1日のほとんどは寝て過ごしてるの。起きてると、胸が痛くて気持ち悪くなるんですって。寝顔、すごく安らかでしょう。今、壮太は星になる準備をしているのよ」
「星に、なる?」

 聞き慣れない言葉だ。ファンタジーの世界に、迷い込んだ気分だった。

「あたしの夫もそうだった。この子、星の子なの。星の血を引いてるのよ。信じられないでしょう? あたしも夫に聞かされた時、笑い飛ばしたもの」
「星の子って、なんですか。壮太くん、どうなっちゃうんですか」

 聞きたいことはもっとあった。せわしなく流れ行く思考とは反対に、私の体は硬直していた。

「星の子は、心臓の代わりに星を燃やしているの。燃え尽きたら、その身体が星になる」
「助かる方法、ないんですか」
「あるわよ」

 真由子さんは、緩慢な動作で壮太君の額を撫でる。熱さなど、今の彼女には関係がなかったのだろう。

「でも、あの子がそれを望まないと思うから」

 このこと、誰かに伝えたかったの。あたしだけじゃ、抱えきれそうにないから。真由子さんは、そう話を切り結んだ。そんなこと言われたって、私だって抱えきれない。帰路につけば、もう一番星が輝く頃合いだった。

「壮太くん、遠いなぁ」

 真由子さんに、からかわれたのだろうか。一度あの家から出てしまえば、現実感は急速に色あせていった。次に学校に行く時に、あのたゆたうような笑顔で、バカ千夏って呼んでくれる気がした。



***
持て余し気味な夏休みも、あと少しで終わります。
あと2、3話くらいかなあ。