複雑・ファジー小説
- Re: 逢魔譚【黄昏編】 ( No.4 )
- 日時: 2017/10/03 19:15
- 名前: Cerisier ◆C6y/eP1VWE (ID: BjWvuHd0)
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最期の記憶も、原初の記憶も、朱。
私という意識が生まれた日も、私が死んだ日も、同じ朱色の空を見上げていた。同じ色でも物騒な赤色を見なくて良かったとは今だから思える事だが、あの時はこんな下らない事を考えている余裕も猶予もなかった気がする。
記憶に鮮明に焼き付いているその色は眩しくて、でもどこか懐かしい逢魔刻の空。逢魔刻、なんて言葉は誰がいつ創ったのだろう。この町、いやこの国に住んでいればヒトと怪魔の境界なんてとうに入り乱れているというのに。
人間や怪魔がどうという事でもないが、何となく自分が言っても良い資格なんて無かった様な言葉を吐いた気がして、思わず片手を口に当てた。何しろ、私だって人としてあるべき境界が曖昧なのだから。石段に腰掛けたまま、空を仰ぎ見ると相変わらず朱の空は記憶に焼き付いたままの色だった。石段の最上段に構えている鳥居に寄り掛かれば、朱く照らされた何も変わらない穏やかな非日常を送る町を見渡せる。ここから見る空と町は初めて見た時と何も変わらなくて、少しの落胆と安堵をくれた。
ふと視線を横に向けると、先程まで影も形も気配すらも無だった場所に、1人の男が涼やかに佇んでいた。
それに対して私は驚く訳でも怯える訳でもない。私の記憶に刻まれた最古の人物だからだ。
「また来たの、軻々里」
目線を町から外さずに呟きにも似た問いを私は隣の男に投げ掛ける。目線は合わせていない筈なのに横で表情を緩めた気配は分かるのだから不思議だ。いつも現れる時は気配すら感じ取れないくせに。
「うん、此処にいるのが一番落ち着くから。
それと初、また態度がぶっきらぼうになってるぞ」
深海を流し込んだかの様な瞳を細め、薄い唇を持ち上げて柔らかく笑ったこの男は出逢った時と全く変わらない。私はあの時から背丈も伸びたし幼さも失いつつある。同じ時を過ごして来たのに軻々里は今現在、背丈どころか纏う雰囲気も何もかも変わっていない。つまり何が言いたいかというと、彼は人間とは違う存在、怪魔だという事。
絹糸の様な銀髪、雪で創られた様な純白の肌、真夏でも真冬でも変わらず浴衣を1枚纏う姿。一目見れば人間離れしている事が分かる。だがどうした事か、私は初めて見た生き物がこの者だったからかどうかは分からないが、どうしても人間と怪魔を隔てる事が出来なかった。私が今も怪魔に対して苦手意識がないのもそのお陰なんだろう。
だから私はしばしば軻々里が怪魔だという事も忘れるし、逆に自分が一応人間という区分に入っている事も忘れる。
「ぶっきらぼう、だろうか」
先程軻々里が指摘した事を省みる。人間と怪魔で態度を分けているつもりはないから、普段の生活でもこの態度を取っている事になる訳だが、それが真実だとするならばかなり問題ではなかろうか。
「うん、初めて会った時もそんな調子だったけどね」
軻々里は私の顔を指差して今度は陽気に笑った。先程浮かべた笑みとは別の笑顔。そういえば笑顔も軻々里のものを最初に見たなと思いながら、気を付ける、とだけ呟いた。どんなに明るい笑顔を向けられても私はそれを真似や模倣なんて出来ないが、仏頂面を保たない様に努力する事は出来る。表情だけでも生きている様に見られたいからなのかもしれないな、などと頭の片隅で思う。
軻々里の口から初めて会った時、という言葉が飛び出すのは珍しい。私の見た目は成長し続けていくが、中身は変わっていないと暗に言われている様な気もしたが、まぁ心当たりは大いにあるので、せめて最初に見た笑顔が冷笑や嘲笑の類いであったならば、私は自分の境遇を割りきれていたのだろうかなどと意味も応えも亡い問いを朱の空に放った。
自分でも信じられない事なのだが、私は一度死んでいる身らしい。だがどうした事か、まだ私は現世にこうして存在している。心臓が動いているのか、自我の意識はあるのか、身体は正常に機能するのか、と何をして生死を隔てるのかがこの世は酷く曖昧であるし、その境界とやらに私自身を当て嵌めてみても当然の如く答えは出ないままだ。
生きている実感がない。
死んでいる感覚がない。
私は私が人であるという確証がない。
人にあるべき境界線が私の中にはない程、私の身体は空の器だ。