複雑・ファジー小説

Re: 逢魔譚【黄昏編】 ( No.6 )
日時: 2017/10/25 19:22
名前: Cerisier ◆C6y/eP1VWE (ID: R3roQ1XX)

「あら、初ちゃんに軻々里くんじゃない」
 その声の主は、私達にやはり気付いたようで、何処からか名前を読んだ。声は聴こえるのに姿は見えない。
 
 その姿を探そうとして首を動かそうとすると、隣にいた軻々里が私の肩を軽く叩く。反射で意識をそちらにやると、軻々里の指が差す方角には笑みをたたえる可憐な少女の姿がそこにはあった。
 
 遠い距離からでも分かる上質な白いブラウスと深紅のロングスカート。流行り始めた洋装を着こなしながらも彼女の持つ長く艶やかな黒髪は忘れてはならない和を負ける事なく主張している。爛々と光る活発な瞳と、出来の良い人形の様な無駄なき顔の輪郭を合わせ持つ者に該当するのは一人しかいない。
 
「放、またここにいたのか」
 
 少女、もとい華染 放が座るその店を仰ぎ見て意識せずとも半ば呆れた様な声色が出てしまう。放がいる「ここ」とは甘味処。この店の売上の半分は彼女が占めているのではないかと冗談じみた推測をしてみるが、記憶を思い返す途中で段々と戯れ言と笑えない話になってきたので中断する。
 
「またとは何よ、またとは。
貴方達も私の事は言えないでしょう、いつも2人でいるじゃない」
 
「流石にいつもではないよ」
 
「そうそう、ふらっと立ち寄った先に初が偶々いるだけ」
 
 放の言葉こそ刺々しいが、表情は微笑を浮かべたままなので、単なる軽口なのだろう。私も軻々里も言葉を適当に投げ、放の隣へ腰を掛ける。
 
 この店には壁というものがなく、床は畳、奥に調理場と食事用の座卓が数個ある簡素な造りになっており、道に面した端の部分は座卓がない分腰掛け椅子の様に座る事が可能で、大通りを人が行き交うさまを見る事が出来る。恐らく放も人混みの中からこの特等席で私達を見つけたのだろうと思う。
 
 微かに放の横に視線をずらすと、常人では積めないほどの皿がそこにはあり、どれだけ腹の中に収まっているのかは言うまでもない。放がこの店にいる事には慣れたが、未だに彼女の摂取量には驚かざるをえない。
 
 私の視線の先を見て慌てた様に、放は皿を自分の陰に隠す。
 
 「ほ、ほら陰陽術って体力とか気力とか色々使うじゃない?それら全て補えるのが甘味処の菓子というか」
 
 その彼女の一言で改めて目の前の可憐な町娘、華染 放は陰陽師なのだとふと思う。
 
 一目見た人物ならば恐らく信じないであろうこの事実は裏も表もない真実なのだから全く恐ろしい。初めは警戒心を無くす為かと推測してみたのだが、そんな思想は放にはなかったようで、逆に感心されてしまった過去もある事だし。
 
 気さくで華やか。優美でありながら温和。上流家庭の娘であるのに庶民である私達にも親近感が自然に湧く。そして何より、陰陽師だからといって問答無用に怪魔を忌み嫌う事がない所に私は好感を持っている。
 
 実際、怪魔である軻々里とも、人間とは断定出来ない私にも態度を変える事なく交流しているのが放の人となりの何よりの証拠だ。
 
 くるくると巡る表情と、陽気で寛大な心。その姿は紛れもなく完璧な少女であり、人間としての在り方だ。
 
 だが。
 
 「それにね、英の野郎……じゃなくて、英家の長子が最近頻繁にこっちに顔出す様になっててね。お陰で心労も倍よ、倍」
 
 華染 放は完璧な人間の少女であるが故に、やはり嫌悪感というものも存在する。反感を持たない者は、もはや人間の域を超えてしまうのだから、人である為には多少の憎悪も必要なのだ。
 
 少々口汚く罵られかけた「英家の長子」とやらはこの当たりでは有名だ。私も知り合いでは無いけれど、放の口から愚痴と共に必ず発せられる名前であるし、顔も思い出す事が出来る。放が人をここまで嫌悪するのは珍しいが、彼らにどんな事情があるのか定かでは無い。知っているのは、放の家が英家の分家という事、英の家は此処を取り締まる由緒正しい陰陽師の名家という事だけだ。
 
「英の長子ってあれだろ、英 寿々丸。俺、割と長く生きてるけどあれほど陰陽師に向いている人物は中々いないよ」
 
 感心した様に軻々里は頷く。そもそも私には彼、すなわち英 寿々丸という人物も、陰陽師の資質というものさえ良く理解していないのだから同調することも批判する事も出来ない。知らないものは推測や周りの批評に任せて判断してはならないし、それでは何より私自身が納得出来ない。
 
 どうしようかと考えあぐねていたが、英 寿々丸という人物像は悪い印象ばかりではないという無難な答に行き着くのだろう。放からの印象こそ最悪だが、この町の人々からの評判は耳に入っただけでも非常に良かったと記憶している。矛盾しているようで整合がとれている。人間、極端に善と見なされる事も絶対に悪と評される事もあってはならないのだから、人としての性質はとうであれ、英 寿々丸は奇妙な存在ではなく真っ当な人間なのだろう。放といい彼といい、陰陽師はどうしてこうも人として完全なのか。
 
「軻々里くん、あいつに会った事あるの?」
 
 放が軻々里の言葉を受けて意外そうに尋ねる。
 
「いや?ただ見かけた事があるだけ。それに奴の前にふらっと現れようものなら、俺今此処にいないよ」
 
 随分と物騒な仮定を立てているにも関わらず、いつもの涼しい笑みを浮かべながら、軻々里は淡々と返す。相変わらず私には冗談か本気か判別はつかなかったけれど。
 
「まぁあいつなら有り得る話ではあるわね。
 ところで2人とも」
 
 放がさりげなく恐ろしい肯定をした所で話を転換させた。彼女は愚痴こそ吐くが、必要以上の噂話や悪口は言わない。あくまで自分が不満に思った事のみを露呈するだけだ。その行動は嘲笑や怨念より怒りに近い。彼女の抱えた怒りは彼女だけのものだから、他人に共感させる隙を与えない。共に嗤う事よりも、共に憤る事の方が難しい。笑う事は1日に必ず在る位身近な感情だが、怒りは身近な感情とは言い辛い。不快感を覚えたりはするだろうが、そのほとんどが怒りに成らずに萎んで行く。
 
 その事を知ってか知らずか、放の話の切り上げ方はいつも唐突で後腐れがない。そもそも、愚痴のほとんどは陰陽師関連なので、会話の返事に私が困るという事も多少あるのだろうが。
 
 「私達がどうかしたか」
 
 だから私は放の転換先へ乗る。私は話す事も苦手だが、聞く事も得意ではない。話は聴いているのだが、気の効いた返事が返せないのだ。せめて相手の話したい様に話させる。これが私にとって最も単純で簡単な話しの聞き方だ。
 
「どうせ夕食をとる場所を探していたのでしょう?
 丁度私も行く所だったのよね、折角だから一緒に行きましょ」
 
 そう言うやいなや、放は代金を置いてその場から立ち上がる。もう山積みの皿を隠す事は諦めたのか、はたまた開き直ったのか。
 
「私は構わない。軻々里、お前はどうだ」
 
「俺も異論はないよ。そもそも其処に行こうとしてたんだし」
 
 結局私と軻々里は何も口にする事もなく甘味処を後にした。本来立ち寄る場所ではなかったのだから当然といえば当然だが。
 
 放と軻々里が示唆するそれは、私の知る限りでは料亭でも食堂でもなかったはずだが、私にも大方検討がついている時点で気の毒に思いつつも他人の事はいえない。
 
 頭の片隅で浮かんだとある人物に謝罪しながら、私は放と軻々里の後へ続いて行った。その人物は謝罪など必要ないと言うだろうから、せめて自分の頭の中で事前に謝っておこう、そう思って。