複雑・ファジー小説

Re: 逢魔譚【黄昏編】 ( No.7 )
日時: 2017/12/13 17:58
名前: Cerisier ◆C6y/eP1VWE (ID: 84ALaHox)


 この町の一番高い場所にある家。
 厳かに構えた門、萎縮してしまう様な武家屋敷にも似た豪邸。
 普段生きている中で、こんな荘厳な建物とは私は無縁だ。せいぜい、木々が茂った森の中か、簡易さや安価さが滲み出る、建物と呼称出来る最低基準を保ったものが私には見合っている。
 門に掛かった鈴を、放は何の躊躇いもなく手を伸ばして音を響かせる。決して雑な鳴らし方をした訳ではないが、建物内へ良く響いた。
 
「そういえば放。わざわざ俺達を誘った理由は何?」
 
 この家は敷地が広い。門から玄関まで多少の時間を要するので世間話の代わりか、ただ単に自分の疑問を晴らす為かは分からないが軻々里は放に問い掛けた。
 
 放は少しの驚愕と迷いを秘めた瞳を見開いたが、それも一瞬の事。言葉を発しようとしたが、彼女の口の代わりに目の前の門が予想外に想定内よりも早く動いた。
 
 門を開いた人物は、色素の薄い柔らかな髪を靡かせ、同じく彩の淡い瞳を細めながら此方に視線を緩やかに向ける。その動作は緩慢なのに、不快感は全くない。むしろ可憐だ、思わず性別を忘れて見とれてしまうぐらいに。
 
 だが、この可憐な雰囲気とは裏腹の高い背丈や和服の袖から覗く骨ばった手は彼の性別を紛う事なく主張していて、可憐さと精悍さが共存している不思議で綺麗な人物だ。男に綺麗、という表現が世にも文にも適さないとしても、私はそれに変わる言葉が出てくるほどの学識はないし、率直にそう思ったのだから、私の中では有り得るという事にしておきたい。
 
 大地主、黎泉寺 雨京。この怪魔と陰陽師が蔓延る戯七町を治める黎泉寺家の現当主。こんな大層な肩書きすらもまるで着物か何かをさらりと着流す様に似合ってしまう風貌が目の前の男には存在している。
 
「こんばんは、夕餉なら準備は出来ているよ」
 
 突然押し掛けた私達の行動にも動じる事はなく、彼は穏和に応える。慣れでもなく、いつもこの男はこんな調子だ。これで本当の緊急事態だったとしてもこの穏やかでたおやかな姿勢を崩さないのではないのかというほど、雨京が動揺している所は未だに私は見た事はない。
 
「さっすが雨京さん。そういえば門が開くのが早かったけど、御庭にでもいたのかしら?」
 
「ああ。庭の手入れは趣味みたいなものだからね。この庭や家は代々継いで来たものだし、それを俺が枯らしてしまったら先代に顔向け出来ないよ」
 
 ちなみに、放を始め、私達が此処に来るという事は誰も雨京に伝えていない。ましてやいつも黎泉寺邸で食事を頂いているという訳でもない。
 
 にも関わらず、彼が食事の支度を整えていた理由は、私の言葉と記憶の限りでは、よくある事、としか言い様がなかった。食事時に向かえば朝餉だろうが夕餉だろうが提供してくれるし、帰る場所がないといえば寝床すらも用意してくれる。どちらも私は経験した事があるが、その時も雨京は穏やかな笑みを浮かべ、この地の長として当然の事だと言葉にしていたが、明らかに大地主の範疇を超えている。
 
 本心が分からない、というか行動は読めるのに心が読めない人。それが黎泉寺 雨京の印象として相応しい。
 
「ところで軻々里、初ちゃん。最近そちらに変化はあった?」
 
 門から玄関まで歩けば数分掛かるからか、雨京は私達に目線と言葉を投げかける。そちら、とは怪魔側の事だろう。
 
「特に何もないよ。まぁ大事にならなかったり人間に迷惑掛けない程度の些末事なら日常茶飯事だけどね」
 
 軻々里はいくら人間と近い距離の存在であるものの、腐っても怪魔らしい。曖昧な私には感じ取れないものも彼には本能的に見抜いてしまう事もあるし、ましてや小さな諍いなんて人間や怪魔を問わず勘づいている。そして勘づいた後は必ず首を突っ込むまでがお約束だ。
 
「そうか……。いずれ大きな不満にならないとも言い切れないのが難しいな」
 
 軻々里の言葉を受けた雨京は、すらりとした顎に長い指を当て、何かを考えている様な動作をする。私には理解しようの無い難解な物が思考回路へと流れているのだろう。
 
「ともかく、いつも助かるよ。俺には感知出来ないものだし」
 
 雨京は怪魔と陰陽師という何とも奇怪な存在が蔓延るこの町の長だが、彼自身は陰陽師でもなんでもない普通の人間だ。本来ならば怪魔と関わらない、いや関わる事の出来ないくらい陰陽師や怪魔と遠い在り方をしている。
 
 だが、彼の生まれは大地主の家、黎泉寺。この町を治めるという役割を担えば、どんな者であれ怪魔や陰陽師との関わりは避けられない。
 
 何も知らない町人は黎泉寺を哀れみや同情の目で見たらしいが、それとは反対に力の弱い怪魔や人と共存し生きている怪魔からはありがたられたらしい。無論、怪魔と親交のある人間からも、だ。
 
 人や地を統べる、というのは私には想像出来ないくらい苦労するものなのだろうと思う。ましてや、生物上では種別が違うとみられる人と怪魔の板挟みとなれば。
 その後ろ姿は細く可憐に見えるが、軻々里よりも背丈はあり、何よりも色々なものを今背負っている。軻々里とは別の強さを持っている頼もしい背中だ。
 
 ようやく玄関が見えて来た時、雨京は何事もない様に放にゆるりと視線をやり、ふらりと言葉を口にした。
 
「そういえば放ちゃん。何か悩み事かい?
 いやでも、初ちゃんと軻々里も連れて来てるって事は悩みというよりは相談事に近いのかな」
 
 それは門が開く前、軻々里が問いた言葉と同意語なものだった。放も放で「軻々里くんに悟られたんじゃ雨京さんにもそりゃ悟られるわよね」と一人納得して頷いている。つまり肯定。
 
 軻々里も雨京も、放の態度から何かしらを読み取っている。これは彼らが鋭いのか、それとも私が鈍いのだろうか。