複雑・ファジー小説

『プロローグ』 ( No.1 )
日時: 2016/08/16 22:28
名前: 鈴燕 ◆yLI4tJCjaQ (ID: jo2UR50i)
参照: 【お墓参り】

 高2の初夏、母が死んだ。母はそれまでずっと病を患っていて長期入院しており、私たち家族はそのときを覚悟していた上でのことだった。お通夜とお葬式ではやっぱり泣いてしまったけど、人前で泣き叫ぶことはしなかった。
 父はとうの昔に亡くなってしまったため、母が亡くなるまでは母方の親族に世話をしてもらっていた。けれども仕事が忙しいらしく、いつも私がやんちゃ盛りの兄弟の面倒を見ていた。
 そして、これからはその叔父さん叔母さんが、本当の両親になっていくのだろう。法律的にも、精神的にも。
 いずれ、母が私たちの母親だったことも忘れ去られてしまいそうで、少し怖い。そして、自分も忘れていくのかもしれない。
 勿論そんなことは永遠に無いのだろうけど、どこかもの寂しい思いを抱きつつ、私は、亡くなって間も無い母のお墓を訪れていた。


 それに気づいたのは、直前に駅前の花屋さんで買ってきた、花束を落としそうになったときだった。母のお墓を目前にして、突如目の前に黒く小さな影がよぎり、思わず花束から手を放してしまったのだ。
 慌てて花束を握りなおしてまた歩いていくと、ちょうど母の墓の前に蝶の死骸があった。
 美しいアゲハ蝶だった。
 大きすぎず、なぜかそこに、虫の生々しさは無い。
 堕ちる直前まで飛んでいたのだろう。羽が広げられたままで死んでいた。
 思わず哀れに思って、母の墓前で手合わせをした後、どこかに埋めてあげよう、と母の墓に花束をおろそうとしたとき。

 私はそこに、かわいらしい蝶柄のノートが置いてあるのにやっと気づいたのだった。

「……日記?」

 掠れた声で呟く。よく見ると、真ん中辺りに、[蝶の日記〜日記蝶〜]と、綺麗な字で書かれていた。落とし物だろうか。なぜか無性に気になった。
 ごくり、と喉を鳴らし、日記帳を手に取り、ぱらり、と表紙を捲る。人様のプライベート(プライバシー)を勝手に盗み見るような心地がして、思わずその手が震えた。

〈Dear. すみれ〉

 どくん、と心臓が大きな音を立てる。
 ──すみれ。
 真っ白な1ページめに書いてあったは、私の名前だった。
 親愛なる、すみれへ。
 日記は私にそう呼び掛けているような気がする。
 これは落とし物じゃない。私に向けての、手紙……? 
 季節はもう夏だというのに、私はふいに寒いと感じた。
 ほぉっ、息を吐き、私は次のページを捲っていく。



 そこに、とある少女の、可哀想な人生が記されているとも知らずに。