複雑・ファジー小説
- Re: 失墜 ( No.28 )
- 日時: 2016/08/29 17:13
- 名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: BDyaYH6v)
飲食店をまるまる貸し切りにして開かれたバースデーパーティーが始まった。何度か一緒に遊んだことのある、同じ雑誌で読者モデルをしていた男が主役だった。特別仲がいいわけじゃなかった僕は、窓側のテーブルで、親友の渋谷翔と取り分けた肉を食べていた。
「……もっと、アットホームなもんだと思ってた。さすが、金持ちは違うよな」
翔が水を注ぎながら言う。この店はドリンクが異常に高くて、翔はさっきから無料の水しか飲んでいない。僕もこのノンアルコールのシャンパンを飲み終えたら、水に切り替えなければ、食事代が足りなくなるかもしれない。
有名なホテルの一番上の階の、大きな飲食店は、大勢の人でにぎわっていた。宴会や慎ましい結婚式も行われる場所らしく、豪華絢爛といった言葉がよく似合う。シャンデリアがぶら下がっていたり、白のグランドピアノが置かれていたり、なにより、ただの誕生日会とは思えないほどの人の集まりが、このパーティーの壮大さを物語っている。僕の誕生日なんか、せいぜいクラスのみんなと焼肉に行ったり、翔と食べ放題に行ったり、柚寿に祝ってもらったりするくらいだ。
真ん中の席で、派手な女と髪を念入りにセットした男に絶えず囲まれている本日の主役を横目で見る。きっと奴からしたら、僕らなんて数合わせにすぎない。とりあえず大勢で騒ぎたいから知り合いを無差別に呼びました、そんな感じだろう。美味しいものが食べられるのは嬉しいけれど、全然楽しくないな。
それは翔も同じだったようで、不機嫌そうな顔とトーンで僕に言う。
「瑛太、なんで柚寿ちゃん連れてこなかったんだよ」
僕より数学の方が大事なんだってさ。本当のことを言うのは、とてもかっこ悪い。今日は用事があったらしいんだと適当に誤魔化す。
すっかり忘れていたけれど、翔は最近、僕のクラスの戸羽紅音さんと付き合い始めた。ふたりとも異性にだらしない印象があるから、もう既に関係に亀裂が入っていてもおかしくないのだが、柚寿の話題を出されたなら、こっちも戸羽さんの話を振るしかない。
「じゃあ翔も戸羽さん連れてきなよ」
「あー、紅音? 最近めんどくさいんだよな、愛を感じないとか、なんとか言ってさ」
一応、続いていることには続いているらしい。銀色のメッシュが入った金髪を、指先でくるくる遊ばせている翔を見る。また最近ピアスを増やしたのか、耳は前会った時よりも派手になっていた。いかにも、遊んでますといった外見の男である。中身もそんな感じだから、きっと、戸羽さんともすぐ別れてしまうんだろう。
「やっぱ、ああいう女は駄目だわ。柚寿ちゃんみたいに、ちょっと冷めてるくらいがいいんだって。ほんと、お前羨ましいよ。柚寿ちゃんは外見も内面も理想の女子そのもの」
馬鹿らしいし、そろそろ振るわ、あんな女。翔は道端に落ちているガムを見るような目で、真っ白な皿に乗っている肉をナイフで切り分けていく。
恋人より数学を優先しようとする女が、理想なわけがない。僕はそう言い返したかった。戸羽さんと付き合いたいわけじゃないけれど、素直に甘えてくる女の子の方が絶対に可愛いと思う。柚寿は、僕の要求には全部笑顔で応えてくれるし、可愛いと思う時ももちろんあるけれど、もっと僕を頼ってほしいのが本音だった。たまには愚痴も聞きたいし、嫌なことがあって泣いているのを慰めてみたりもしたい。
ありがと、とだけ返して、僕はフォークにスパゲティを絡める。すると、暇そうに水だけ飲んでいた翔が、突然こんなことを言いはじめた。
「なあ、瑛太」
「ん?」
「もう抜け出そうぜ。どうせこんなパーティー、ビンゴ大会でもやって終わりだよ。吉野家食べに行きてえ」
今ならばれねえよ、と翔はにやりと笑う。覗く八重歯の奥のピアスが光る。グレーの瞳は、ガラス張りのドアの向こうの、エレベーターの方を向いていた。聞くところによると、トイレに立つふりをして、帰ってしまおうという策略らしい。参加費や食事代等は、帰りにまとめて支払う予定だったから、翔が今からしようとしていることは、紛れもない食い逃げだ。さすがにやめたほうがいいんじゃないだろうか。
「……やめとこうよ、捕まったらやばいし」
「大丈夫だって。あいつ金持ちだしさ」
金持ちだからって、見逃してくれる訳がない。なんとか翔を説得する言葉を探そうとする。だけど、僕だって、矢桐を金持ちなのをいいことに利用している身だ。自分を棚に上げて、翔を窘めることはできないし、翔も僕程度の人間に成り下がってしまえばいいと思った。
諦めて、「いいよ、吉野家行こ」と笑う。用事があるから帰る、金は今度払うよとあいつにラインでも入れておけば、大事にはならないだろう。
「さっすが。持つべきものは友だよな」
荷物を持って立ち上がる。幸いなことに、特設されたステージでバンド演奏が始まって会場が暗くなったので、予想以上に簡単に抜け出すことができた。長い廊下を駆け足で抜けていく。ボタンを押してもなかなか登って来ないエレベーターに危機感を感じて、ようやくやって来たら急いで乗り込んで、扉が閉まって、ゆっくりと降下を始めた瞬間、僕らは目を合わせて笑った。
「やった、成功」
「心臓に悪いなあ」
ハイタッチを交わして、二人で笑う。ロビーがあるフロアで降りて、ネオンがきらめく夜の街に出た瞬間、僕らの脱走計画は完遂された。「あの会場、地味に可愛い女の子多かったし、二人くらい連れてくるんだったなあ」とぼやいている翔の隣を歩いていく。柚寿と歩くときは、彼女に車道側を歩かせてはいけないとか、スピードが速すぎてはいけないとか、いろんなことを意識しなければいけないけれど、男同士は気楽で、これはこれでいい。
なんとなく怖いから、隣の駅のところにある吉野家に行くことになった。夜の駅は不思議な雰囲気がある。いつも朝は殺人的に混んでいるくせに、がらんと静まり返った構内や、営業時間外の売店が、妙な非現実感を醸し出していた。
乗り込んだ電車に揺られている間に、気になって財布を確認すると、矢桐から押収した三万円がそのままぶっきらぼうに詰め込まれていた。本当なら、払ってくるはずだったんだけどな。
矢桐に返してあげようかな、という考えがよぎる。どんな反応をするんだろう。無言で受け取ってそのままやり過ごしそうだけど、三万円も余裕が出来れば、さすがの矢桐も嬉しがるんじゃないだろうか。矢桐のポケットに入っていた、カッターが頭をよぎる。ご機嫌取りのつもりだった。チクられたりケガさせられたりしたら、僕が築いてきた、青山瑛太という人間はおしまいだ。
飲食街の光の下を楽しそうに歩いていく人たちや、路地裏で寝っ転がっているホームレスを掻き分けて、夜の中を歩いていく。前を歩く翔は、悩みがなんにもなさそうで、少し羨ましかった。