複雑・ファジー小説
- Re: 失墜 ( No.31 )
- 日時: 2016/09/04 02:02
- 名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: 0K8YLkgA)
「マジでありえない! 柏野も八巻も、あそこまでいう事なくない!?」
荒い手つきで、ショートケーキにフォークを突き立てる紅音を、私と優奈とみちるでなだめる、午後六時のファミレス。
私はともかく、優奈とみちるは、完全に紅音には逆らえない。紅音の表情をちらちら伺いつつ、時折私に助けを求めるような視線を向ける二人に、「任せといて」といった意味の笑顔を返した。だけど、誰だって怒っている人間と話すのは嫌だ。様子を見つつ、諭していくことにした。
女子バレーのメンバーは、私、紅音、優奈、みちる、京乃、梓に決まった。梓は京乃と一番仲のいい女子だから、紅音以外は誰も異論を唱えなかった。男子は未だにバレーとバスケを決めかねているらしくて、放課後瑛太たちは残っていたけれど、水面下でこういう問題が起きるくらいなら、女子も残ればよかった。基本的に紅音は、内輪のグループですべてを決めようとするから、付き合うのも大変で、白いコップに注がれたミルクティーを、口に運ぶ暇すらない。
「大丈夫だって。私たちなら優勝できるよ」
確証のない、あまりにも無責任なセリフを吐く。我ながら適当な言葉にも関わらず、慌てて頷く優奈とみちるは、どこからどう見ても、紅音の操り人形である。小さなショートケーキだけを注文して、一口も手を付けないで、紅音の言葉にびくつき、私の言葉に賛同する。二人ともきっと、今にも帰りたいと思っているだろう。
私も同じだ。今日の数学で解らない問題があったから復習したいし、この前注文した美容サプリも夕方には届く予定だし、久しぶりに瑛太と電話したい。こう思うってことが、たぶん、好きって事なんだろうな。
話題を変えたら、雰囲気も変わるかと思った。私は優奈とみちるに目配せをして、食いつくであろう彼氏の話をすることにした。
「……そういえば、渋谷くんとは、最近どうなの?」
賭けだった。もしうまくいっていなかったら、さらに機嫌を損ねかねない。でも、仮に関係にヒビが入っていたとしたら、瑛太が私に教えてくれるはずだし、何も言っていなかったという事は、特に問題はないのだろう。そう信じたい。心の中でこんな駆け引きをしなきゃ、ろくに話も出来ないなんて、ゴミみたいな友情だなあ、と、私の中のやたらと客観的な私が主張している。
紅音は、特段機嫌を直したような顔は見せず、「まあ、普通」と言った。
渋谷くんは、一度だけまともに話したことがあるけれど、明るくて面白い人だ。こんな感じで扱いにくい紅音とも、うまく付き合っているはずだろう。安心してしまった私は、次にこんなことを口走っていた。
「瑛太も、今度また渋谷くんと遊びたいって言ってて。それで、今度渋谷くんと紅音誘って、ダブルデートしようよって話してたんだけど、どう?」
完全にでまかせである。瑛太は一昨日渋谷くんとパーティーに行ったばかりだし、テスト前なのにデートなんか、やってられない。場の空気を収めるために、自分がここまで言ってしまうとは思わなかった。
さっきまで閑古鳥が鳴いていたファミレスも、どんどん混んできた。夕飯の時間のようだった。私も早く帰って、ご飯が食べたい。今日のご飯はハンバーグがいいな。
紅音は私の提案に興味を持ったらしく、やっと視線をちゃんとこっちに向けて、瞳を輝かせて話し出した。
「いいじゃん、それ! あたしと、翔と、青山くんと、柚寿とって事でしょ? いつにする?」
「私はいつでもいいよ、今週末も空いてるし」
じゃあ、翔と話し合ってみるね。紅音はそう言って笑った。笑えば素直に可愛いのにな、と思った。少し機嫌のよくなった紅音に安心したのか、優奈やみちるも会話に加わりだす。うちも彼氏ほしいな、そう言う優奈の表情からは、確かな安堵が感じられた。
それからは、なんとかして球技大会の話題を避けた。私にしか話しかけない紅音と、それでも必死な顔でご機嫌を取る二人と、彼女ら両方に気を遣わないといけない私。はっきり言って、今すぐ帰りたい。瑛太が来てくれたりでもしたら、すっと抜けられるのかもしれないけれど、そもそもあの人滅多にファミレスに行かないし、優奈とみちるを放って私が消えるのは、二人にとってあまりにも酷すぎる。
帰りたい。真剣にそう思いながら、外を眺める。偶然、私の高校の制服を着た男子が、夕暮れの中を歩いているのが見えた。周りを歩くサラリーマンより明らかに小柄で、OLや女子高生よりは身長が高い、彼を私は知っていた。
「矢桐くんだ」
いいなあ、自由で。そう思いながら、街を横切っていくクラスメイトの矢桐くんを見ていた。彼は、瑛太や柏野くんみたいに目立つタイプじゃないけれど、なんとなく、存在感があって隅には置けない。いつも静かなくせに、時折すごく不満そうに何もないところを睨んでいたりとか、女の子と話した後はニコニコしていたりとか、見ていて飽きない子だと思う。
「……矢桐? ああ、あの根暗?」
カフェオレをかき混ぜながら、紅音は言った。氷がからからと、涼しげな音を立てている。窓ガラスの方に向ける紅音の視線は歪んでいて、せっかく綺麗に引いてあるアイラインも、白く塗った肌も、一緒に歪んで見えた。
矢桐くんに何の恨みがあるのって、普段の私なら笑顔で聞いただろうけど、今日の紅音は面倒だから、スマホを見るふりをしてごまかした。「わかる、ほんとそれ」と、さっきからそれしか言わない優奈たちが、囃し立てる。
「そういえばこの前、柚寿があいつに優しくしてあげてたけど、大丈夫? あれからストーカーとかされてない?」
紅音がおもしろおかしそうに言って、つられるように二人も笑う。
こういうところがある子なのは、一緒に居るから知っている。柏野くんや瑛太みたいな、クラスでも目立つ方の男子には媚びて、大人しめの人達の事は、徹底的に見下すのが紅音だった。だから、京乃や梓がバレーのメンバーになったことも嫌だったんだろうと思う。
「されてないよ、全然」
「まあ、柚寿には青山くんがいるもんね。思うんだけどさ、ああいう根暗って、生きててなんか楽しいのかな? あたしだったら自殺してるかもー」
あはは、と手を叩いて、優奈とみちるも一緒に笑う。私も笑わなくちゃいけない。バカみたいである。同類だと思われてるかな。私が夢見て努力してつかみ取った高校生活って、こんなのだったのかな。
急に悲しくなってきて、また外を見ると、当然矢桐くんはもういなかった。これから家に帰って、寝るまで趣味に溺れて過ごすのだろうか。そういう人生の方が幸せなのかもしれない。むしろ、そういうささやかな幸せこそが、人生なのかもしれない。食べたくもないショートケーキのいちごを噛んだ。