複雑・ファジー小説
- Re: 失墜 ( No.32 )
- 日時: 2016/09/06 00:26
- 名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: 0K8YLkgA)
帰り道を歩く私の足取りは軽く、帰ったら数学をやろう、英語もやろう、と計画を整理しながら夕暮れの中の駅を歩く。勉強は嫌いだけど、結果は出るし、周りは認めてくれるから、やるしかないだろう。オレンジの光の向こうから容赦なくやってくる明日のために、今日の時間を散々投資するのだ。頑張れ私。
……と、そろそろ頑張るのにも疲れてきた。今日くらいはサボってもいいかな、実は全部辛いし。いやいや、そんなことしてたらみんなに失望されちゃう。頭の中で私同士が議論を交わす。結局決まったのは、「今日だけはご褒美としてコンビニでポテチを買っても良い」という都合のいい自分ルールだった。さっきのファミレスで頼んだショートケーキはほとんど紅音にあげたし、最近お菓子は全然食べていないし、少しくらい良いだろう。明日からまたダイエット頑張ろう、ふらふらと吸い込まれるようにファミリーマートに入る。
私たちが暮らすうちに、駅前はどんどん開発されて綺麗になっていくけれど、このファミリーマートは昔からこのままだ。店頭にはいつも自転車がたくさん停まっている。夕方の店内には学生と仕事を終えた人達がいて、バイトの学生は忙しそうに手を動かしている。溶け込むようにその中の一人になって、激辛のポテチを一つ持って、レジに向かった。
スーツ姿のサラリーマンの後ろに並んでいると、隣のレジからひょいと顔を出した若い男の人が、「お待ちのお客様、こちらどうぞー」と笑顔を浮かべる。その人と、ぱっと目が合う。
「……柚寿ちゃんじゃん!」
「渋谷くん、ここでバイトしてたの? しらなかったあ」
いつもたくさん刺さっているピアスがなくても、感じる雰囲気でなんとなくわかった。私を誘導した店員は、瑛太の友達で、読者モデルの渋谷くんだった。金色の髪に光る銀のメッシュも、グレーの大きな瞳も、白い肌も、着崩していても様になっている制服も、なんとなくその辺の男の子とは違う。たぶん仕事の繋がりなんだろうけれど、瑛太の友達は派手でキラキラした子が多い。
「俺さ、あと五分で上がりなんだけど、途中まで一緒に帰ろうよ」
にっこり八重歯を見せて笑う彼に、私もつられて頷いた。せっかくだから、一緒に帰ろう。
前に私が駅前でしつこいナンパに遭っていた時、彼氏のふりをして助けてくれたのも渋谷くんだった。私の腕を強く引いて、「この子、俺のツレなんで」って大学生の男を睨みつけた渋谷くんは、怖くて身動きも取れなかった私を静かなところまで連れて行ってくれて、なだめてくれた。瑛太には内緒ね、って言いながら私の頭を撫でて、でもそのあとすぐに瑛太に連絡をしてくれたみたいで、すごく助かった覚えがある。けっこう前の事だっただから、渋谷くんはもう忘れているだろう。
もう少し可愛いものを買えばよかったわ、そう思いながら、ファミリーマートの前でコンビニの袋を持って待っている。もう外は暗くて、ギラギラした光の中を歩く人は思い思いの道を進んでいく。今日は空のグラデーションなんか見ている暇もなかった。当たり前のように明日はくる。心のゆとりが無い生活に、少しでも光が差す瞬間があるとしたら、そのために私は生きていたい。
お待たせと言いながら、後ろから駆け足でやってくる渋谷くんは、学校の制服を着ていた。
学ランは新鮮である。私の高校は男女ともにブレザーなので、渋谷くんが着ている制服をまじまじと見てしまう。やっぱり大きく着崩していたけれど、遠い世界の人みたいな彼が、私と同い年の高校生だと感じる、唯一の共通点でもあった。
「最近どんな感じ?」
「瑛太と? まあ、うまくやってると思うけど。渋谷くんは? 紅音と付き合ってるんでしょ」
「もう別れようと思ってる。なんか、あんまり合わなかったっぽい」
頼むからそれはやめてくれ、と心の中で吐く。あんなに好きだと言っていた渋谷くんに振られたら、紅音の機嫌が底なしに悪くなるに決まってる。私や優奈やみちるの気力がなくなってしまう。
さっきでまかせのダブルデートを提案したのに、それが全部無くなったら今度は私が責められるかもしれない。「あの二人、長続きはしないだろうな」って瑛太は言っていたけれど、ぜひ長続きしていただかないと、私たちが困るのだ。球技大会が近く、特に団結しなければいけない時なのに、京乃や梓にまで迷惑を掛けたくはない。
「紅音、渋谷くんのことかなり好きみたいだよ。大事にしてあげなよ」
「俺はそこまで本気で付き合ってないから。二人の間にこういう温度差があると続かないってのは、わかってきてるし。そろそろ振るよ」
次は可愛い女の子が良いな、と渋谷くんはけらけら笑っている。渋谷くんと付き合うようになって、見違えるほど紅音は綺麗になったのに。笑って話を合わせる、それすら罪悪感を覚えてしまう。
そんな私を差し置いて、渋谷くんは話を続ける。
「そっちはもう一年になるんだよな。俺、一人の女でそこまで持ったことないや。瑛太と柚寿ちゃんは、性格合うんだろうね」
「意外とそうでもないのよ、ケンカは全然しないけどね」
「それを合うっていうんだろうよ。いいなー」
話しているうちに、駅についてしまう。渋谷くんは、次はこのまま飲食店のバイトに行くらしい。忙しくないのかと問うと、「自分で使う金くらい、自分で稼がなきゃな。俺んち貧乏だから、学費もギリギリなんだぜ」と笑って返された。強い人だと思った。職業柄服や美容にかなりお金がかかるらしく、家族はモデル活動を快く思っていないらしい。それでも、一流のモデルになるために毎日頑張っている渋谷くんは、偉い。当たり前だけど、この世は私だけが努力している訳じゃないし、私だけが辛い訳じゃない。紅音だって矢桐くんだって瑛太だって、いろいろと苦労を重ねている。
そういえば、渋谷くんはこうしてバイトをたくさん掛け持ちして稼いでいるけれど、瑛太のお金の出どころについてはずっと謎のままだ。自分の服や持ち物を好きなだけ買って、私にも沢山物を買ってくれて、デートでは高いお店に連れて行ってくれて、最後はホテルに行ったとしても、瑛太は一度も「お金が無い」とぼやいたことがない。多分、家がすごくお金持ちなんだろう。一度も行ったことはないけれど、豪邸のようなところを想像してしまう。行ってみたいな、家。こんど本気でお願いしてみようか。
ギラギラの電飾の方へ消えていく渋谷くんに手を振る。こんな時間だ、もうすぐ、何の才能もない私の魔法が解けてしまう。勉強をしないといけないし、パックもしないと、明日もこの肌を保てない。アイフォンに白のイヤホンを繋いで、ありがちなJ-popを再生しながら、家の方へ向かって歩き出した。