複雑・ファジー小説
- Re: 失墜 ( No.35 )
- 日時: 2016/09/10 00:28
- 名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: 0K8YLkgA)
恋をすると、学校に行くのがほんの少しだけ楽しみになる。曜日感覚がめちゃくちゃになってしまって、目が覚めた今日が土曜日だと気づいて、もう一度ベッドに倒れ込む。浮かれた気持ちは能天気な雲みたいにぷかぷかして、かと思えば泡みたいにぱちんと消える。「もしかしたら叶うかも」と、「柚寿には敵わない」が交互に押し寄せて、二度寝も出来ずに、醒めてしまった体を起こした。
いつもより、十五分ほど早く目覚めてしまった。眠い瞳を擦って、つけっぱなしだった部屋のテレビのニュースに目を向ける。有名なタレントが、酒に酔って一般人を恐喝して、逮捕されたらしい。私にはまるで関係のないことだらけのニュース番組は退屈で、ベットを降りて、洗面所へと向かうことにした。
予定のない週末は好きだった。都市部の方へ出て、雑貨を買いに行こうかと考えてみたり、今日は一日寝て過ごそうかと思ったりするうちに、いつも終わってしまうのだけれど。
鏡に映る私は、いつも通り冴えない。まっすぐじゃない髪も、気を付けているのに荒れてしまう肌も、あまり大きくない瞳も、全部全部コンプレックスだ。柚寿は毎日、鏡の前に立つのが楽しくて仕方ないことだろう。私は高校生だから化粧も出来ないし、両親に何か言われても困るので美容器具を買う事も出来ない。大学に出たら、一気に垢抜けてみたいけれど、今の高校時代だって楽しみたい。わがままだろうか。柚寿みたいに、なんでも持っている子がいるんだから、これくらい望んでもいいでしょ、と、私はドライヤーを持つ。久しぶりに、服を買いに行こうと思った。ちょっとでもいいから、可愛くなりたかった。
「うわ、人多いなあ」
地方政令都市の駅前は、殺人的に混んでいた。学校へ行くときも遊びに行くときも、必ず経由する仙台駅。土曜日はさらに人が多くて、私は一番賑わっているところから離れて、控え目なセレクトショップに入ることにした。駅から出るバスに十五分ほど揺られれば、そこはもうショッピングセンターや飲食店が数店並ぶだけの通りに入る。アウトレットにまで行く元気はないから、適当に済ませて、帰って寝よう。まだ来たばかりなのに、早くもそう思ってしまっていた。
友達の梓は、今日は学校で英語のテストの追試を受けなければいけないらしい。クラスで一番頭が悪いはずの私が合格して、紅音や梓や柏野くんが落ちているというのもおかしな話だけれど、私はやればできるタイプだと自負しているから、勉強さえすればそれなりに良い点数は取れるのだ。買い物に梓も誘いたかったが、仕方ない。
入ったお店の中の服たちは、真っ白のマネキンに着せられていたり、ハンガーにゆるくかけてあったり、店頭に飾られていたりして、可愛い。でも買って家に持って帰れば可愛さが半減しているのはいつものことで、マネキンが着ていればこんなに似合うのに、私が着ても、なんだか服に着られているみたいになる。慎重に選ばなければいけないのに、色や形が可愛らしい服にばかり目が行ってしまう。前に梓が言っていた。ただ可愛いと思ったものを買うんじゃなくて、手持ちの服と合いそうなのを選ぶのよ、と。今日着ている、白のブラウスと青のプリーツスカートにも合うような、シンプルだけど甘さもあるような、ああ、考えれば考えるほど、思考回路がショートしそうである。
「……あれ、瑛太くん?」
外に居る人が、目に飛び込む。服屋のすぐ前にある公園のベンチで、電話をしている彼は、私の二・〇の視力に狂いが無ければ、間違いなく瑛太くんだった。読者モデルをやっているだけあって、私服もかっこいい。
私は買い物かごを戻して、店を飛び出す。チャンスだと思った。ここで距離を詰めたい。またキスしてくれるかもしれない。そんな淡い期待を抱いて、こっそり電柱の隙間から覗く。お昼時も近くなっていたから、周りに人はほとんどいない。噴水の周りを散歩している老夫婦と、離れた場所のベンチで談笑している若いカップルが見える以外には、目立った人はいないようだった。
二時によろしくね、と残して、瑛太くんは電話を切ったようだった。それを見計らって、私は公園に入っていく。できるだけ偶然を装って、声をかける。頭の中で何度かシミュレートしたシチュエーションだから、ここまでは完璧だった。
瑛太くんは少し驚いたようだったけれど、すぐにいつもの笑顔に戻ってスマホの画面を閉じて「偶然だね」って言って、隣の席に座らせてくれた。こんな風に優しいところも、大好きだ。
「瀬戸さん、一人?」
「うん。服を見に来たんだけど、もうすぐ帰るとこ」
本当は、今来たばかりなんだけど。そんな言葉を掻き消すように笑う。次に言いたかった、「よかったら、一緒に昼ご飯食べようよ」は流石に言えなくて、私は瑛太くんの次の言葉を待つ。そんな間にも、胸のドキドキは加速していく。
休みの日は、いつもよりも特別だ。瑛太くんはこれからデートでもするのか、モノトーン調でまとめられた私服には皺一つない。固すぎず、柔らかすぎずの印象を与える彼は静かな公園でもどこか違ったオーラを纏っていて、隣に座っている私まで、通行人たちの視線を浴びているような気がする。
そんな瑛太くんは、私からちらっと目線を逸らして、申し訳なさそうに言った。
「……ごめん、この前。僕、ちょっと軽率すぎたよ」
この前とは、瑛太くんが私にキスしたときのことだろう。
そんな顔しないで、って言いたかった。私は何も手がつかなくなるくらい嬉しかったんだから。大きな目をふっと伏せて、瑛太くんはもう一度、ごめんと付け足す。謝ってくれなくてもいいから、私をここまでした責任を取ってほしいな。
もちろん、そんな直接的なことは言えない。でも、私はもう止まれなかった。その柔らかい髪も、細い指も、全部私の物にしてしまいたい。お願い、柚寿と付き合ったままでいいから。私は二番目でもいいから、ねえ。
そう思いながら吐き出した言葉は熱く、六月のアスファルトにじんわり染みていく。
「い、いいの。私、好きだから。瑛太くんのこと」
顔を見れない。私なりの、精一杯の告白のつもりだったけど、本気になってくれるだろうか。
付き合ってって、言ってる訳じゃないの。こうやって話してるだけでも幸せだから。それだけ伝わればよかった。瑛太くんは、「そっか」とだけ、私に返す。表情は怖くて見ることができない。でも、その優しい声色に、私はまたどうしようもなく、溶かされていくようだった。びくびくしながら顔を上げる。優しく微笑んでいる瑛太くんは、私の身勝手な思いを伝えても、私の大好きな瑛太くんのままだった。