複雑・ファジー小説
- Re: 失墜 ( No.45 )
- 日時: 2016/09/24 02:54
- 名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: 0K8YLkgA)
11 2年
今日と明日は球技大会だ。運動神経というものを神様から貰い損ねた僕は、当然のようにどの競技にも出場せず、かといって盛り上がっている体育館や校庭を見に行く気にもなれず、ひとり教室でスマホを弄っている。教室には僕のほかに、目立たない女子たちのグループや、球技大会なんて興味ないですとでも言いたげな男子のグループがいて、きっと彼らも、このまま終業までここで暇をつぶすつもりなんだろう。
教室から見えるグラウンドではサッカーが行われていて、芝生の方には応援に駆け付けた生徒たちが、揃って歓声を上げている。こんなに暑いのに、よくやるよなと思う。もう少しで、今年も僕の大嫌いな夏がやってくるらしく、昨日まで雨が降っていた空も今日はすっかり晴れて、午後には今年一の真夏日を観測するみたいだ。六月。冷たい机に寝そべって、ひたすらこの時間が終わるのを待つ。僕の青春とは何だったのだろうか。
僕の大好きな瀬戸さんは、午後から女子バレーに出場するから、それだけは見に行くつもりだった。他のメンバーは戸羽さんと小南さんと、あとよく分からない女子たちで、放課後遅くまで残って練習をしていたから、きっと優勝できるだろう。僕の大嫌いな青山瑛太の恋人である小南さんは元バレー部で、去年も初心者相手にそれはえげつないんじゃないか、という勢いでスパイクを決めていた。大人げないなあと思いつつ、不覚にも凄いと思ってしまったことを思い出す。彼女率いる女子バレーは今年も優勝大本命で、彼氏の青山も無駄に鼻高々になっていることだろうと思う。死ねばいいのにな。
青山といえば、今頃サッカーに出場している頃だろう。あいつは運動神経だけはあるから、今年もサッカーやらバスケやらテニスやら、いろんな競技に駆り出されている。バスケやテニスなどといった男子の花形種目は明日まとめて行われるので、サッカーが終わったら教室に戻ってくるかもしれない。青山なんて一秒でも視界にいれたくないし、球技大会で浮かれているという今日の追加条件を考えると、憂鬱な事この上なかった。勝ったら勝ったでうるさいし、負けたら気まずいし、教室になんか居ないで、体育館裏とかでサボっていたほうが楽かもしれない。「サッカー、一回戦終わったって」と、女子たちが話しているのが聞こえる。僕は立ち上がり、教室を出る。誰も止めなかった。僕はこの教室において、居ても居なくても同じような存在だったから、みんな僕の事なんかどうでもいいのだ。
「矢桐じゃん」
僕の事をどうでもよくないと思っているであろう人物は、このクラスで一人だけ心当たりがある。周りはみんなジャージ姿なのに、一人だけ制服の青山に、すれ違いざまに声をかけられた。ちなみに、どの競技にも出場しない僕も制服のままだったので、廊下を歩くジャージ姿の人間たちから僕らは完全に隔離されていて、それが心底不本意である。
「……サッカーは?」
「一回戦負け。僕が出る前に負けた」
四組と当たったから仕方ないよなあ、と言って青山は笑う。四組がどれだけサッカーが強いのかは、交友関係の狭い僕にはわかりかねる話だし、実際、勝とうが負けようがどうでもいい。瀬戸さんの出るバレーだけは勝ってほしいとは思うけれど、間違って総合優勝でもしてしまうと、ノリについていけない僕にとってはすごく面倒なのだ。だから、適当に返事だけ返して、青山から逃げるように、その場を後にしようとした。
それなのに、青山は「待ってよ」と僕に言う。逆らったら殴られるのは知っていた。また、金が足りないのだろうか。それとも、僕とまだ話すことでもあるのだろうか。舌打ちしたい気持ちを抑えて振り返る。青山が僕に向けて放った言葉は、予想も出来ないものだった。
「……矢桐、どうせ暇だろ。抜けようよ。この前みたいに、話聞いてよ」
「……は?」
にっこり笑ったまま、青山は僕だけを見て言っている。
青山は僕の事が好きなのだろうか。何が悲しくて、僕は青山と話なんかしなくちゃいけないんだろう。この前は酒が入ったから楽しかっただけであって、基本的に青山が死ぬほど嫌いな僕は、青山と抜け出すくらいなら、退屈な球技大会をぼんやり観戦していたほうがマシだと本気で思う。しかも、ここで抜けて午後の女子バレーに間に合わなかったらどうするんだよ。一応お前の彼女も出てるんだから、僕なんかにうつつを抜かしている場合じゃないだろ。そう言い返したかった。
だけど、ここ最近、青山と小南さんがなんとなく上手くいっていない事に、僕は気付いていた。もともとあいつらは他人みたいな距離感だったけど、最近は挨拶くらいしか交わしているのを見ないし、小南さんの鞄に付いていたストラップがいつの間にか無くなっている。別れた、と決めつけるわけではないけれど、たぶん今は倦怠期とか、そういうやつなんだと思う。知ったこっちゃない話だけど。
僕はあからさまに面倒な気持ちを前面に押し出して、青山に言った。
「女子バレーの時間には、戻るから。それでもいいんなら、良いけど」
「もちろん。僕だって柚寿見なきゃいけないし」
青山に逆らえば、僕は酷い目に遭う。だから、大人しくついていかなくてはならない。中学三年生の時から、ずっとこんな、絶対的な関係が続いている。僕が殺しでもしないと、青山は一生付いてくるんだろう。絶対に殺してやる。ポケットの中のカッターを握り締めて、僕らは並んで歩きだした。途中で何人か、青山の知り合いに声をかけられたけれど、そいつらが僕には見向きもしなかったのがせめてもの救いだった。
「全部バレたんだ、柚寿に」
学校はすぐに抜けられた。僕らのほかにも何人も中抜けしているのか、校門は開いたままだったし、途中で僕らの学校の制服を着た女子のグループとすれ違った。コンビニに行って帰ってくる、くらいの生徒が多いのかもしれない。
隣を歩く青山は、突然そんな事を言いだした。
ざまあみろ、と言いたい気持ちと、ついにこの時が来たか、という気持ちが混ざる。僕としては、僕が青山をこの手でどん底に突き落としたかったから、小南さんに先を越されるのには納得できない。やっぱり、近いうちにこいつを殺してしまわなければいけないかもしれない。青山の失墜劇を作り上げるのはこの僕なのだ。ぬるま湯に浸かって幸せに暮らしてきた小南さんなんかに、青山を不幸にできる資格はない。
「だから、もう別れなきゃいけないかもなー。……ちょっと好きだったんだけどな、柚寿のこと」
「……」
通り過ぎていく車の音が大きく聞こえる。時刻は午前十一時。僕は、青山にかける言葉が無いし、探そうともしなかった。よく晴れた空には雲一つなくて、じりじり照る熱気が順調に体力と気力を奪っていく。
別れてしまえばいい。僕が心底そう思っていることを青山は知っているくせに、こんなことを言ってくるから、やっぱり僕はこいつが嫌いだ。そんなこと、僕に言ってどうするんだよ。僕は都合のいい青山のATMであり、相談相手でも友達でもない。普段恐ろしいくらいの無表情で金をせびってくるくせに、こういう時だけ人間らしい顔を見せないでほしい。
「……今までごめん。で、これからも、ごめん。僕は、矢桐に頼らないと、今度こそ僕でいられないんだ」
こんな僕に頼らなきゃ保てない幸せなんて、すぐに崩れてしまうだろうに、青山はまだ僕にしがみついていたいらしい。馬鹿だなと思う。すごく醒めた目をしているであろう僕は、「勝手にすればいいじゃん」と吐き捨てる。何を勘違いしたのか、青山はふっと表情を緩めた。
「ありがと」
友達と話すみたいに、青山は笑う。これが友情なら、僕はこんな友情一生いらない。反吐が出るくらいの気持ち悪さに追い打ちをかける気温の高さに、ついに僕は舌打ちをする。
死んでしまえばいいし、それが無理なら僕が絶対に殺す。僕の幸せを奪って幸せでいようとする青山を、僕は何があっても許しはしない。照り付ける太陽に焼かれて死んだ鳥が、道路に横たわっている。五月は終わって、六月が来る。青山はまだ僕に何かを話しては、へらへら笑っている。僕の大嫌いな青色の夏を、今年こそ変えてやろうと思った。
- Re: 失墜 ( No.46 )
- 日時: 2016/09/26 03:39
- 名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: 0K8YLkgA)
僕の学校は中心街の方にあるから、少し歩けばカラオケやゲームセンターが立ち並ぶ繁華街に出る。僕と青山は、その道の端のほうを無言で歩いていく。
どこに行くかは知らないし、どうでもいい。仙台駅まで連れていかれて、「これから僕と逃げてくれ」なんて頼まれない限りは、黙ってついていく予定だった。僕の金が無ければ人との関係を繋げない馬鹿な青山と、友達ごっこをして遊ぼう。どうせ逆らうなんて選択肢はないんだ。「従う」と「殺す」しかない僕のコマンドは、今はまだ、前者を選び続けるしかない。
平日の街は空いていて、それでも青山は目立っていた。ぱっと目を引く顔立ちをしているからだろう。女の子はその甘ったるいルックスが好きみたいだけど、僕には青山は悪魔にしか見えないし、かっこいいなんて少しも思ったことはない。でも、ただ一つだけ羨ましいのは、青山は僕より目線が十センチほど高いことで、多分百七十五センチくらいだろうと思う。百六十四で身長が止まった僕にとって、百七十五、のフレーズは心が揺れる。小柄な瀬戸さんなら僕が隣に並んでもそれなりに身長差ができるけれど、スタイルのいい小南さんなんかは、ほとんど僕と変わらない。別に小南さんを横に従えて歩く予定はないので、小南さんの存在を考慮する必要はないんだけど、だけどやっぱり、百七十は欲しい。
「……どこ行くんだよ、青山」
「とりあえずさ、食べ物買おうよ。この前みたいに、酒飲ませたりはしないからさ」
「当たり前だろ、真昼間じゃん」
僕はアスファルトに転がる空き缶の残骸を見ながら言う。青山は、いつになく楽しそうに笑っている。
傍から見る僕らは、とても友人同士には見えていないだろう。ショーケースに反射して映る、整った顔立ちをして、髪型もばっちりで、制服を不真面目に見えない程度に着崩している男と、猫背で気だるい、いかにも根暗そうな雰囲気を放っている僕。青山の隣を歩くにはださすぎるな、と自分で思ってしまうのだから、やはり僕らは別の世界の人間だ。適当に入ったコンビニでも、女の店員は青山ばかり見る。サンドイッチをカゴに入れて、矢桐もなんか好きなの持ってきなよ、と笑う青山に、なぜかすごくむかついたので、僕は一番高い弁当を買うことにした。ささやかな抵抗のつもりだった。
カフェオレが二本と、僕が持ってきた弁当と、サンドイッチと、ポテトチップスが、緑のカゴに入っている。レジへ向かおうとする青山の手から、僕は無理やりカゴを奪い取った。突然の事に、青山は驚いたみたいで、僕を見て「どうしたんだよ」と言う。
「僕が払う。金ないだろうし」
「……そうだけど、いいよ。僕が払うよ」
「それで足りなくなって、また僕に頼るんだろ。だったら最初から僕が払う」
何も言い返せない青山の横を通り抜けて、僕はレジに荒々しくカゴを置く。青山が来ると思っていたであろうレジの女が、僕を見て少し残念そうな表情になる。世の中は、僕が異常で、青山が正常だと思っている。それを全部ひっくり返して、僕こそが正義だってことを照明するまで、僕はいくら無様と言われようが生きてやる。
袋詰めを終えた店員の言うありがとうございましたは、僕じゃなくて青山に言っているように聞こえた。僕の金で買ったのに、世界はいつだって青山にしか優しくない。だから、コンビニから出てすぐ、青山のサンドイッチを袋から取り出して、突き出すみたいに乱暴に渡した。
もしかして、怒ってたりする? 当たり前のことを青山は聞く。僕は何も言葉を返さずに、自分のカフェオレにストローを刺す。店員とほとんど意思疎通をしなかったから、弁当を温めてもらうのも忘れてしまった。冷たいカルビ弁当なんて全然美味しくない。青山に渡して、温めてきてもらおうかと思ったけれど、それも面倒だ。これは家に持って帰って、自分で温めて食べよう。そんな僕に気付いた青山は、ご機嫌取りかなんなのか、僕に一切れサンドイッチを手渡した。
野菜ミックスなんて、体重を気にする女子みたいだな。そう思いながら受け取る。僕はミルフィーユカツが挟まっているサンドイッチの方が好きだから、ハムとレタスとマヨネーズのスタンダードな風味に少しの味気無さを感じた。
そのまま、次はどこに行こうかという話をする。青山にまかせっきりな僕は、まずいサンドイッチを頬張りながら、青山の提案に「わかった、そうしよう」と適当に返す。カフェでもゲーセンでもツタヤでもどうでもいい。午後の女子バレーに、間に合いさえすれば。
「行こうか」
「うん」
空になった袋をゴミ箱に捨てて、青山は僕に笑いかける。金をせびってくるときとは違って、クラスの友達に向けるような表情をしている。
そして、それは、次の一瞬で崩れることになる。突然やってきて、やあ、と僕らに声を掛ける人影の正体を知った瞬間、僕は最悪に最悪を足したような気分になった。
「今日は、球技大会なんじゃなかったっけ? 抜け出してコンビニなんて、仲が良いなあ」
兄だった。僕の愛想を良くしたような形相の男が、目の前に立っている。予備校はどうしたんだよ、と言う気にもなれず僕は、コンクリートに視線を逸らす。
なぜか、隣の青山は見て取れるほど動揺していた。驚いて見開いた瞳はどこか虚ろで、飲み込んだサンドイッチをこの場で全部吐き出してしまいそうだった。僕の知らないうちに、二人はどこかで接触していたのだろうか。青山を配慮する気はないけれど、僕は早くどこか座れる場所に行きたい。「行こう」と青山の腕を引っ張る。いつも僕に暴力ばかり振ってくるくせに、びっくりするくらい軽かった。
ふらつきながら力なく頷いて、僕の後ろを歩き出した青山に追い打ちをかけるように、兄さんは言う。
「邪魔すんなよ。僕は青山くんに用事があるんだ。晴も困ってるんだろ? 友達ごっことかしてないでさ、ちょっと僕の話聞いてよ」
「……は?」
「全部知ってるんだよ、僕は」
弱々しく僕の腕を掴んで、俯いている青山を見て、そういうことかと理解する。僕の知らないところで、色々とやってくれたみたいだ。小南さんでも嫌なのに、こんなクソみたいな兄に青山の失墜劇を邪魔されたら、僕は死んでも許せないだろう。ほっといてくれ、と僕は言う。兄さんは表情を変えない。
「青山くん、僕のラインブロックしないでよ。傷つくなあ。約束守れない奴、僕一番嫌いなんだけど」
「……なんの約束したんだよ」
へらへらと笑う兄さんに嫌気がさす。まったく使い物にならなそうな青山に聞いても、小さく口を開いて、がくがくと震えているだけだ。諦めて前を向く。兄さんと目が合う。
「青山くんのお姉さんを、貸してもらうつもりだったんだ。それで、二度とお前から金を取らないって約束させる予定だったんだよ」
「ふざけんなよ」
気付いたら、口に出していた。自分とは思えないくらい高圧的で低い声に、僕も驚いてしまう。その言葉を兄さんに言ったのか、青山に言ったのかはわからないけれど、無性に腹が立っている。大嫌いな奴を二人も目の前にして、僕はついに、刃物みたいな言葉をぼろぼろ吐く。
「……青山のお姉さんを巻き込むなよ。これは僕と青山の問題であって、お前は関係ないんだよ」
「いつのまにそんなに仲良くなったのさ。青山くんは、晴のことなんて都合のいい財布としか思ってないんだよ。諦めなって、お前に友達なんかいないんだよ」
「うるさい、お前なんかに、僕らの事がわかるわけないだろ」
きっ、と僕は兄さんを睨みつける。そして、青山を引っ張って、歩き出した。行く予定だったツタヤとは逆の方向だった。でも、兄さんから逃げられるならどうでもいい。どうせなら青山もあの場に置いて来ればよかったけれど、あんな状態で放置して来たら、コンビニの店員に迷惑だ。僕はなんだかんだでお人好しな人間である。
人気のないところまで来たとき、やっと正気を取り戻した青山が、僕の腕を離した。そして、その場に座り込んでしまった。「僕、あの人苦手なんだよ」と言う瞳は真っ赤で、あんな奴でも人をここまで追い詰められるんだな、と思った。そして、青山も青山でメンタルが弱い。これまで幸せばかりの人生を送ってきたんだろう。だから、僕の兄のようなクソみたいな人間に少し何かを言われただけで、この世の終わりみたいに泣いたりするんだ。
「……別に、青山のためとかじゃないよ。僕もあいつ、嫌いなんだ」
吐き出した言葉が、通り過ぎていく車の音にかき消される。
お姉さんを引き合いに出されて、あんな顔をするってことは、きっと青山とお姉さんは仲がいい。僕がもし青山に、「もう金取るのやめるからお前の兄さん殺してもいい?」と言われたら、喜んで承諾するし、逆に一石二鳥だと思ってしまうかもしれない。僕も、もっと良い家族に恵まれていたら、もっと幸せになれたのかな。青山がこんな人間である時点で、良い家族を持った奴が良い人間になるとは限らないのだけれど、せめてあの兄さえいなければ、僕はもうちょっと真っ直ぐな人間になれたと思う。
僕は優しくはないから、青山を放って歩き出した。まだ女子バレーまでは時間がある。だけど、もう戻ろうと思った。僕が今まで従い続けていた青山は、思っていたよりすぐ崩れるし、その気になればここで殺せる。兄さんとか、小南さんに中途半端に崩されるよりは、僕が一気に突き落としてしまいたい。誰だって、僕の邪魔をすることは許されないのだ。僕の知らないところで、青山が失墜していくのが、どうしようもなく嫌だったんだ。