複雑・ファジー小説

Re: 失墜 ( No.49 )
日時: 2016/09/30 01:18
名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: 0K8YLkgA)

 二年後くらいには笑えていたらいい。瀬戸さんが優しくて頭のいい金持ちな男と幸せになって、小南さんは適当に不幸になって、兄さんは大学に落ち続けていればいい。青山を殺害した後の僕は、精神に異常が見られない限り、若い時のほとんどを刑務所で過ごすんだろう。僕は、青山瑛太さえこの世から抹消出来たらあとは幸せなので、きっと、二年後には心から笑えていると思う。怖くない訳じゃないけれど、正直このまま青山に金を取られ続ける方が怖い。
 幼いころから、いじめられて自殺する人間の気持ちがわからなかった。人間の屑みたいないじめっ子のために、人生をすべて投げ出すなんて勿体ないと思う。負け組の僕らにだって幸せになる権利はある。僕は絶対にあいつを殺してやる。そして、ニュースでも見た全国のいじめられっ子が、いじめっ子を殺してしまえばいい。そうでもしないといじめなんてなくならないのだ。サカキバラに憧れたアホが各地で犯罪を犯したみたいに、僕に憧れる少年少女がどこかに存在していればいい。

 「矢桐」

 後ろから呼ばれて、音もなく振り返る。少し顔色が良くなった青山は、まさか、僕にさっきの礼でも言うつもりなのだろうか。
 青山はいつもよりずっと疲れているように思えた。小南さんとのこともあって、いろいろと不安定になっているのかもしれない。まだ僕が何もしていないのに、確実に足場が崩れてきている青山に腹が立って僕は、聞きたくない、という意思表示を込めて目を逸らした。そして、青山が何か言い出すより先に、言わなきゃいけないことを言う事にした。

 「ごめん、あんな兄で。青山のお姉さんは、全然悪くないのに」

 お姉さんは、というところだけ強調して、謝る。僕は青山も兄も大嫌いだけど、身内が迷惑をかけたのだから、いくら青山でも謝罪しなければいけないと思った。それに、青山のお姉さんは、こいつと違って正真正銘の良い人そうである。僕の周りには基本的にクズしかいないから、心から善い人は、なんとなくオーラでわかるようになっていた。青山のお姉さんと、瀬戸さんだけは、善性だけでできた人間だと言えるだろう。

 「なんで謝るんだよ。悪いのは僕だよ」
 「……わかってんなら、ちょっとは直せばいいのに」

 今日は暑さにやられたのか、僕の口からは本音ばかり飛び出してしまう。ついでに「死ねばいいのに」と付け足してしまいそうになった自分が怖くなる。夏の魔物とかいうやつだろうか、それとも僕は、青山に気でも許してしまっているのだろうか。何度も何度も言ってきたけど、僕は青山が大嫌いだ。死んでしまえばいいと思う。でも、こんな風に金をせびらない時の青山は、僕の話を聞いてくれるし、すごくくだらない話を楽しそうに聞かせてくる。
 DV被害に遭っている女性が、「それでもあの人が好き」と言ってダメな男にしがみつく心理が、なんとなくわかった。青山のような人間は、人の気持ちをコントロールするのが上手い。飴と鞭の与え方が絶妙なのだ。いつも女の子相手に発動しているであろうそれを、無意識のうちに僕にも使っていて、だから僕は、変な情を青山に感じたりするんだ。僕らは間違っても友達ではないし、こんなことをするのもおかしい。今日の青山は金が欲しいわけでもなさそうだ。ただの暇つぶしに僕は使われたんだろうけど、それなら柏野でもいいし、他にも青山の友達はたくさんいる。
 きっと、小南さんに全部バレて、本格的に僕にしか頼れなくなってきたんだ。なんだかんだで、こいつは僕と仲良く話がしたいのかもしれない。僕の答えはもちろんノーで、今さら友達面されたって殺意は消えないのだけれど。誰にも頼れない青山と、誰にも頼りたくない僕は、認めたくはないけれどよく似ている。

 「……僕だって、やめれるんならやめてるよ」

 そうだった、青山くんはすごく弱い人間だから、晴からお金を盗らないとなーんにもできないんだもんね。兄さんならこう言っただろうか。対して僕は、「そっか」しか言えずに、また重たい沈黙が流れる。白の時計塔に表示されている時刻は十一の針を指していて、あと二時間くらいで女子バレーが始まる。僕も青山もさっきのサンドイッチだけじゃ昼食が足りないから、これから適当な店で食事を摂って学校に戻るのが賢い気がした。本当はすぐにでも帰りたかったけれど、たとえ偽りやそれ以下だとしても、横に友達がいるという感覚は、きっと今しか味わえないだろう。あまり深く考えずに、「飯食べに行こうか」と言うと、青山はなぜか嬉しそうに笑って頷いた。嫌な話題を逸らしてあげた僕に感謝してほしかった。
 どうせお互い金が無いから、安い定食屋に入った。テーブルから見える小さなテレビでは昼のニュースが放映されていて、いじめられていた中学生の男子が学校の屋上から飛び降りた、なんてことを無表情のアナウンサーが淡々と話していた。学校側は、いじめなどなかったの一点張りらしい。僕が青山を殺したときも、学校はこんな風に僕の事をかばってほしいものである。
 エプロンを付けたおばちゃんが注文を取りに来て、とりあえずカツ定食を二つ頼んで、氷の入った水を喉に流し込む。体の芯から冷えていくような感覚が気持ちよかった。青山はと言うと、さっきのニュースに何か感じるものがあったのか、「矢桐、自殺とかするなよ」と冗談交じりに笑っている。
 残念だな、死ぬのはお前の方なんだよ。勝手に上がる口角を誤魔化そうとして出た言葉は「するわけないじゃん」で、青山も、だよなあ、と言う。
 壁際の大きな本棚には、少年ジャンプや週刊誌が置いてある棚と、有名な漫画の単行本がずらりと並んだ棚があって、定食を食べに来たサラリーマンや土方のおじさんが何冊か借りていた。僕が定期的に購入している漫画の新刊もあったので、なんとなく目で追っていると、青山がこんなことを言った。

 「僕は、ああいうの読めないんだ。誰が触ったかわかんない本だよ、それも食事中に」
 「……細かいな。そういうこと言ってるから貧乏なんだろ。つまんないプライドばっかり翳しやがって」
 「うわ、毒舌。矢桐ってけっこう口悪いよね、お兄さん譲り?」

 テーブルに頬杖をついて、楽しそうに笑う青山と、兄に似ていることを指摘されてやや不機嫌になる僕。今日はこんな風に一緒にご飯を食べていても、明日には青山の金が足りなくなって、また僕に金を借りに来る。断れば殴られるし、首も絞められる。そんな日々に終止符を打ちたいのに、こうやって友達みたいに笑われると、調子が狂いそうになる。
 ちょうどいいタイミングで運ばれてきた定食に箸を付ける。青山は普段洋食店にばかり行くらしく、味噌汁や漬物を食べるのは久しぶりだと言った。昼食は購買で済ますとして、朝食や夕食はどうしているんだよと聞くと、朝はコンビニで済ませ、夜はほとんど外食をしているらしい。味噌汁も飲めないなんて、貧乏人は大変だなあ、と僕は小声でつぶやく。その言葉さえも青山はちゃんと拾って、「なりたくてなったわけじゃないよ」と笑って言いながら、割り箸をぱちん、と割った。