複雑・ファジー小説

Re: 失墜 ( No.75 )
日時: 2016/12/07 04:02
名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: cTS7JEeA)

19 錯乱
 僕は青山瑛太を殺すつもりだ。それだけを目標に過ごしてきたようなものだった。
 夢や希望を根こそぎ奪われ、やっとできた好きな子さえ奪われてもなお、僕は生存意義を見失わなかった。こいつを殺す、僕はそのために生きている。だから、目の前で、「僕ら、友達だよな」と縋るように言われたって僕は、動じたりなんかしないのだ。
 友達になれて、青山は嬉しそうだった。僕も嬉しかった。わざわざ十二日まで待つ必要がなくなったからだ。青山が僕の家に行きたいと言い出したときからチャンスだと思っていた。こんな好機は二度とない。千載一遇のチャンスである。僕は今日、これから、青山を殺す。そう決めて家に通し、最期の花火大会を二人で眺めた。
 適当なタイミングで酒を飲もうと提案し、僕はキッチンまで降りて、冷蔵庫から取り出した缶チューハイを台に並べた。そして、透明なガラスのコップに移し替える。缶チューハイをわざわざコップに移し替えるなんて、おかしな話だが、僕はやらなければいけないことがあった。
 兄さんの部屋から持ち出した、粉末状の薬を手に取る。ネットで調べただけだが、これは精神を安定させるための薬で、副作用として強いめまいや、体に力が入らなくなる症状が出るらしい。なぜこんなものを僕の兄さんが持っているかと言うと、まだあいつは青山のお姉さんを諦めていないらしく、次に出会ったら飲食店に連れ込んで、この薬を飲ませて無理やり襲う予定だったみたいだ。本当に気持ちの悪い奴である。僕の知らないところで、勝手に死んでほしい。シンクに転がる缶チューハイの残骸に冷めた目を向けて、僕は青山の待つ部屋へ向かった。奴は酒をコップに移し替えた件について、驚いてはいたが詮索はしてこなかった。
 さて、青山は人の少ない、暗い路地を僕と歩いている。周りには誰も居なかった。誰も居ない道を選んだのだ。屋台がある方はこっちではないのに、青山はなぜか僕を止めない。まるで自分から殺してと言っているようなものだ。
 友達になってからの青山は、気味が悪いほど僕に引っ付いてきた。もう僕以外に何も頼れないからだと思う。
 僕は別に、友達が少ないからと言ってそのうちの一人に必要以上に絡んだりはしないので、青山はたぶん、ひとりになるのがとても怖いんだろう。今まで僕を物としてしか見ていなかった青山が、突然瞳の奥に「矢桐は僕から離れないよね」なんて言いたげな光を宿らせて、照れたように笑いながら僕に話しかけてくるのだから、僕はそれにもちろん拒否反応を起こして、その場でカッターを取り出したくもなった。僕らは仮契約の友達だ。そんな、数年来の友人のように気安く話しかけないでほしい。

 「……あのさ、屋台ってこっちじゃないよね? 散歩したいんなら付き合うけど」

 ほら、まただ。青山は小南さんにも見せないであろう、ふやけた笑みを向けている。僕は暗闇を見つめたまま、そんなんじゃない、と呟いた。そして、ポケットの中のカッターを、ついに引き抜いた。
 路地裏。周りには人ひとりとしていない。突然立ち止まった僕を、青山は不思議そうな目で見ている。その深く青みがかかるほど綺麗な瞳が、虚ろに揺れ動く妄想を何度もした。殺人のシュミレーションはばっちりだった。取り押さえて、まずは抵抗しないように脅して、それから僕の憎悪をたくさんたくさん吐き出して、ゆっくり時間をかけて殺してやる。今僕は、ありえない程興奮していた。僕の願いが、夢がやっとかなう。
 一番惨い人間の殺し方はね、と、兄が話していたことが頭をよぎった。まずは下半身はなくなったってどうってことないから、機械でどんどん削っていくんだ。ショック死するといけないから、チューブで繋いで栄養分は補給し続けるけれど。そして、心臓と脳だけ残して、上半身も削っていく。容赦なく栄養分は注がれるから、意識だけ残っている状態で、目も鼻も耳も削がれて、心臓は動き続け、意識だけは残るんだ。そんなことをしたり顔で僕に話して、あいつはやっぱり気持ち悪い笑顔を浮かべていた。
 残念なことに、僕にも同じ血が流れている。僕の兄が言う程、反吐が出る残忍な殺人は出来ないけれど、精神面でこれ以上ないくらいになぶってやる気は満々だった。いつか青山が僕にそうしたように、とつぜん、僕は青山をコンクリートの壁に押さえつけた。壁に手をついて僕は、驚いて目を開く青山と目を合わせる。

 「……何? 壁ドンの練習? 心臓に悪いなあ……」
 「なあ。まさか、僕ら本当に友達だって、思ってないよな?」
 「……え?」

 心配そうに瞳が揺らぐ。その中に映っているのはほかでもない僕だった。
 ここまで来て後悔などなかった。かちかちとカッターの刃を出す音を、わざと聞こえるように鳴らす。そんな暗い空間で、僕は青山だけを見ている。これから夢がかなう。僕の人生をめちゃくちゃに踏みにじった男を、僕の、この手だけで殺せる。

 「……な、なにするんだよ。冗談やめろって……」
 「冗談なんかじゃないよ。僕はずっと、この手でお前を殺してやろうって思ってた」

 きらりと光る銀色の刃を、青山の前でちらつかせると、いよいよやばいと感じたのか、夏なのに白い顔をこわばらせて、ついに何も言わなくなった。たぶん僕を突き飛ばして逃げようとしたんだろう。弱々しい力で、僕の体がとん、と押される。もちろん青山の力が僕に敵う事はないので、すぐにまた取り押さえて、青山はコンクリートの汚い床に転がるように倒れ込んだ。痛い、と声が漏れる。
 薬が効いてきたのか、青山は「なんで」と虚空に呟いた。せっかくだから全部話してやることにした。壁にもたれている青山の頬をカッターを優しくなぞりながら、混ぜた薬の事も、友達だよだなんて最初から嘘だったことも、僕がこいつに殺意を持ったきっかけも、小南さんの味でさえも、ひとつひとつ丁寧に話したかった。ただ、僕は青山に冥土の土産をやるほど優しくはない。薬のくだりだけをかいつまんで話すと、青山はこの期に及んでも僕の兄への嫌悪を丸出しにしていた。まあ、しょうがないことだと思う。僕の兄さんはこの世で一番気持ち悪いし。だけど腐っても身内だし、身内を馬鹿にされた僕の心情は穏やかではない。優しく頬に押さえつけていたカッターに力を込めると、耳に心地いい悲鳴がきこえた。白い頬を伝ってぽたぽた落ちる赤が、鮮やかで、汚くて、綺麗に思えた。
 今までにない心の高ぶりを感じていた。瀬戸さんと一緒に公園でソーダを飲んだ時よりも、小南さんを襲った時よりも、心拍数は上がり続けて止まらない。淡い青春に思いを馳せるより、初めてのセックスをするより、大嫌いな男を殺すことに心臓が高鳴るなんて、僕の青春って結局何だったんだろう。だけど、目の前で震えているこいつを散々痛めつけて消せるのなら、僕は自分の人生さえ投げたってかまわない。そう思える何かが出来たのなら、僕の青い春は、充分に人に誇れるし、恵まれている。

 「ごめん、こういうのやめようよ。謝るから……」
 「謝って辞めるほど安い殺意じゃない」

 綺麗な頬に浮かぶ一筋の切り傷からは、まだ艶やかな赤が流れていた。意外と深く切ってしまったらしい。そんな怪我をしたら、大好きな読者モデルの活動もできないだろう。
 狙う場所は決まっていた。夏という事もあって軽装だったので、首元に目を付けていた。だけど、僕はどうしても、最高にもったいぶった上で殺したい。さてどうしようかと悩みながら、傷口にまたカッターを差し込む。いたい、やめて、と喚くその声に嗚咽が混ざってくる。うるさいな、黙って殺されてろよ。舌打ちをして思いっきりその薄い腹を蹴ると、青山はげほげほと咳き込んで、光のない目で僕を見上げた。
 その拍子に、かたんと音を立てて、コンクリートに青山のスマホが転がった。ちょうど通知が来たみたいで、ツイッターのマークが表示されている。そんなことより面白かったのが、画面に映る壁紙がまだ小南さんとのツーショットなことで、なんだ、全然諦め悪いじゃないか、と僕は笑ってしまいそうになる。
 スマホを拾い上げる。隣でよくスマホを弄っていたから、ロック解除のパスワードは知っていた。難なくホーム画面を開き、通知が来ていたツイッターを見ると、プリクラアイコンと自撮りアイコンの女から「いいね」と「リツイート」を山ほど貰っていた。昨日、雑誌の撮影があったらしい。僕の目の前で転がっているこの哀れな男が、雑誌に載っているキラキラした上流階級の男どもと同類とはまったく思えないのだが、女と言う生き物は(瀬戸さんを除いて)馬鹿しかいないから、こんなクズにも騙されてしまうみたいだ。そう考えると馬鹿らしいし、こいつの本性を公にもばらしてしまいたい。

 「……そうだ。せっかくだから、お前の殺害現場を全国配信してやるよ。きゃす、だっけ?」
 「や、やめろよ、僕……」
 「いいだろ、死ぬんだし。僕もどうせ逮捕だし。最後に伝説残そうよ」

 配信のためのアプリは、すでにダウンロードされていた。青山は友達とかと日常的に配信を行っていたのかもしれない。僕もゲームの実況配信をする動画をよく見ていたから、扱いは慣れている。「読者モデル殺害配信」とタイトルを入力し、青山にカメラを向けて、配信開始。ひとりふたりと閲覧者が増えていく。あっという間に三十、五十と増えて、三百になっても増え続ける。青山につられた奴と、物騒なタイトルにつられた奴で、ちょうど半々くらいの割合だろうか。茶化すようなコメントも、瑛太くんがどうたらとかいうコメントも、同じくらい流れ込んできた。

 「……ま、まじでやってんの? ……やめろよ、最悪……」
 「別にいいだろ、お前なんかもう生きてる価値ないんだし。生活保護で家は貧乏だし、壁紙にするほど好きな彼女には振られるし、顔に傷ついたからモデルもしばらくできないし、終いには友達だと思ってたやつに裏切られてさ。死んだほうがマシだよ、僕が殺すからさ、大人しくしてなよ」
 「なんで、そんなこと言うんだよ。い、いやだ、助けて」
 「うるさい、僕の人生めちゃくちゃにしたくせに」

 携帯を青山に向けたまま、僕は言い放つ。無機質な画面越しに、ひっきりなしに嗚咽を零し、無様に生を乞う青山が映っている。流れるコメントは、これガチなの? とか、もっとやれとか、ちっとも追えない程大量に、小さな画面を埋めていく。僕がさっき、閲覧者のためにわざと説明口調で話してあげたのもあって、生活保護なんだ、彼女いたんだ、なんてコメントもちらほら見えた。
 こんなものかと思ってスマホを投げ捨てた。観客は音声だけ楽しんでいればいい。最後に見えた、「もしかして、仙台? 通報しました」とのコメントを見る限り、もう時間は少ない。カッターを再び向けて、「ま、そんなわけだから。さよなら、青山」と僕は、今までで一番きれいに、心から笑う。いやいやと首を振る、子供みたいな青山は、僕のシャツの袖を引っ張って、殺さないで、と震えた声で繰り返す。まるで壊れた機械みたいだった。
 もう時間はない。ついに首元にカッターを当てる。本当は何度も突き刺してやりたかったけれど、最後の最後で、僕は青山に言いたいことを見つけてしまった。僕の人生に現れてくれてありがとうなんて言ったら、こいつは最期、どんな顔をするだろうか。
 青山がいなければ、僕は目標も夢もなく、ただ人生を食いつぶしていただろう。僕は青山瑛太という絶対悪を消すために生まれた。その目的を気付かせてくれただけでも、感謝したいと思った。人間なんて大抵は、自分の生まれた意味など最後まで知ることが出来ず、なんとなく生きてなんとなく死んでいく。だけど僕は、ちゃんと目的を果たして死ぬ。僕の青春は、人生は、青山の物だ。
 さよなら瀬戸さん。小南さん、家族や先生、別に好きじゃないけどお世話になりました。僕は十七歳にして、人生の目的を果たせました。銀色の刃が、ゆっくりと深く刺さっていく。がたがたと震える青山の体はとても冷たくて、すでに死んでしまった人のようだった。目を閉じて、息を吸う。後ろから、けたたましいサイレンの音が聞こえてきた。

Re: 失墜 ( No.76 )
日時: 2016/12/11 03:56
名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: cTS7JEeA)

 暗闇に包まれていた僕らの空間に、金色の眩しい光が注がれている。警察だ。僕はこういう事が起きる可能性を考えていたけれど、青山の方は何が起きているか解らないという様子である。君たち、何してるんだ。警察官のよく通る声が、僕の完璧だった舞台を崩していく。ずがずがと、僕が何年も考えてきた、失墜劇に土足で踏み込んでいく。やめろと叫ぶ僕の声も、足もさすがに震えてくる。
 地面に転がっている青山のスマホに表示されている「閲覧者数」は、ゆうに万を超えていた。物騒なタイトルにつられた馬鹿が、まだコメント欄をにぎわせているのだろう。ただの読者モデルにそこまでファンがいるとも思えないし、きっと、ほとんどの奴が、ただの興味本位で僕と青山を見ている。今まで底辺だと見下していた男に脅迫されて、惨めに泣いて許しを乞う動画が、現在進行形で何万人にも配信されていて、これからも電子の世界に一生残る。もしかしたら、クラスの柏野とか小南さんも見ているかもしれない。僕らは伝説になった。そして、僕らの人生は終わった。僕は逮捕されるし、こんな動画を配信された青山が、これから普通に生きていけるとは思えないし、プライドだけはアホみたいに高い青山の事だ、下手したら自殺するかも。そう思うと笑えてきて、僕は、両腕を違う警察官に掴まれて、泣きながら笑っていた。さよなら青山、さよなら僕。どっちの人生もぶっ壊れた、これで完全におあいこだ。
 僕から解放されて、壁に寄りかかって座り込む青山の肩は震えていた。過呼吸を起こしているらしく、警察の人がなにか優しげな言葉をかけている。そのどれにも応えないで、僕だけ見上げて、壊れた機械みたいに、ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返している青山の、焦点のあわない目と、僕の目が合う。その瞬間、もう一度首にカッターをかけた時のような心臓の高鳴りを感じた。ああ、僕はずっと、青山のこんな顔が見たかったんだ。いつも女子どもにかっこいいだなんだと持て囃されて、瀬戸さんの純粋な恋心を奪って、ついでに小南さんまで不幸にした、この調子に乗っている男を、ここまで僕は堕とした。最高な気分だ。今この場で死んでもいいとさえ思った。
 当たり前だけど、警察は僕より力が強い。僕はすぐに取り押さえられて、近くにいたパトカーに強制的に乗せられた。一向に落ち着かない青山が、何もない場所に向かって謝り続けている光景も見たかった。動き出したパトカーと、僕の腕を掴んだままの警察官。「これから署まで行くからね。まったく、仕事増やさないでくれるかな」と愚痴を言う運転手を見て、こんなもんなのか、興ざめだなと、ただ思った。それ以外の事は考えらえなかった。
 暗闇の中で、僕のスマホの画面に光が灯る。僕の荷物は全部回収されてしまって遠くにあったのでよく見えなかったけれど、メッセージの差出人は小南さんで、「まさか本当にやるとは思わなかった」という文面には、絵文字も顔文字もなかった。動画を見てくれてありがとうと返信したかったが、生憎僕は、しばらく小南さんとは会えないし、メールの返事も出来ない。



 こういう場面でカツ丼が出てくるのは都市伝説だと思っていたが、今、僕の目の前にはおいしそうな匂いを放つカツ丼が置かれている。僕の前には二人警察官が座っていて、僕の方は黙秘権を行使していた。通っている学校や本名は、財布に入っていた学生証でバレてしまい、親は別室で違う警察と話している。「ここ、それなりに頭いい高校なのにな」と吐き捨てた警察は、まあ普通に学校にも連絡したし、ついさっき、いつも怒ってばかりいるのが嘘のように、腰が低くなった担任がやってきて警察に謝罪をし、なにか話した後、僕を睨みつけて帰っていった。こんな夜中に呼び出してしまったから、怒るのも仕方ない。ただでさえ忙しい教職だ、家に帰ったあとくらいは、生まれたばかりという娘と、奥さんと水入らずな時間を過ごしたいに決まっている。だけど、これはすべて、僕に殺意を抱かせた青山瑛太が悪いのだから、僕じゃなくて青山にあたってほしいものである。

 「うわっ、トレンド一位ですよ! 明日の朝には全国ニュースですねえ!」

 髪の茶色い、若い警察官が、黒いスマホをのぞき込んで、楽しそうにしている。その横の、三十代後半くらいの別な警察は、呆れてはいたが、それを止めることはしなかった。どちらも、何もしゃべらない僕に痺れを切らしているのだ。
 前島と呼ばれたその若い警察官は、ツイッターのトレンドを見ていた。読者モデル殺害配信、なんて言葉が、かれこれ五万件以上ツイートされているらしい。殺害未遂をインターネットで配信したこと、もとは僕がいじめられっ子で青山がいじめっ子の立場だったこと、青山のルックスのこと、家庭環境のこと、学校のことまで、とにかく話題性に溢れていたから、こうなるのも、前島に言わせると「仕方ない」みたいだ。面白がって少し見せてくれたが、ネットの意見は見事に賛否両論だった。これからの人生どうするんだ、この子はもう死んだようなものだと、青山を擁護する声もあれば、それだけの殺意があったんだ、加害者は悪くない、という意見もあった。最近、いじめに耐えかねて学生が自殺するニュースが多発していたから、よくやったと、僕を称賛する声さえあった。青山が泣いて僕の名前を呼ぶものだから、僕の名前ももうネットでは広まっていた。トレンドの三位にある「青山くん」も、その少し下にある「ヤギリくん」も、違う世界の出来事みたいに感じた。僕らは確かに伝説になった。
 僕は自由で幸せだった。警察を無視して、置いてあるカツ丼を食べるために箸を取る。この世から完全に消すことは出来なかったけれど、青山が今後僕の人生に関与してくることは、二度となくなるだろう。青山は学校を辞めるだろうし、僕は退学して留置所に入るか、それとも父さんが金を積んで、遠くの学校に転校するか。青山が居ないなら別にどっちでもいいし、それほど幸せなことはない。
 だけど、瀬戸さんに会えなくなることだけが、残念である。これからの僕は恋愛も出来ないから、たぶん、あの子に生涯最後の恋をした。最後があの子で良かったと、もそもそ、ふわふわした卵のカツ丼を食べながら思っている。瀬戸さんも少しは僕の事を覚えていてくれたらいい。トレンドから消えても、みんなが僕や青山を忘れて幸せに卒業していっても、矢桐くんっていう子が、自分の好きだった男を殺そうとした、という事実を、瀬戸さんだけは覚えていてほしかった。
 僕は面倒になって、カツ丼を一口食べて、水を飲んで、そして小休止を挟む、その時に少しずつ、警察に話をしはじめた。僕は青山瑛太に金を取られ続けていて、ずっと恨んでいた。あんな奴死ねばいいと思っていた。だから僕は、青山を最高に、この世で一番不幸にしてやりたいと思って、殺人を決行した。後悔も反省もしていない。これでよかったと思っている。僕は、僕の正義を僕の方法で遂行したのみだ。
 年な方の警察官は、やれやれと言いたそうに、僕を見ていたが、若い方の前島という男は、どこかキラキラした目をしていた。違う、幼いころから才能や人望に恵まれていて、運動もできて、社会的に充分勝っているであろう、警察官なんかには僕の気持ちがわかるわけがない。それ以上は話さなかった。取り調べって、こんなに面倒なんだなと思いながら、時間稼ぎのためにすごくゆっくりカツ丼を食べた。
 やっと、顔面蒼白になった両親が、僕と直接顔を合わせるころ、日付はすでに変わっていた。地獄のような時間がまだまだ続くのだろうと思うと億劫で、今病院で安静にしているという青山が、ここにきてもなお、恨めしく思えた。


Re: 失墜 ( No.77 )
日時: 2016/12/17 21:12
名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: cTS7JEeA)

 やはり全国ニュースにはなっていて、二時間だけ寝て目を覚ますと、朝のニュース番組で僕の学校が取り上げられている最中だった。被害者はどんな生徒でしたかと質問されているのはクラスメイトの柏野だった。柏野は青山を立てるようなことを言い、反対に僕を「目立たなくて大人しい奴」と評した。お調子者で目立ちたがり屋の柏野だが、この時ばかりは粛々と質問に応答していた。学校では今朝から保護者説明会が開かれており、僕のせいでいろんな人間が迷惑を被っているらしかった。
 僕はと言うと、非常に清々しい気分で満ちていた。
 少年法が適用されるのは十四歳までなので、僕にはなんらかの刑罰が下されるのだと思っていた。しかし、青山がほとんど軽傷だったこと、僕が未成年であることから、刑事裁判にならずに、家庭裁判所で裁判が行われ、保護観察処分になるらしいことがわかった。だけど、そんなにうまくいかないことは、公民を習っていれば知っている。十四歳を越えれば大人と同じように懲罰を受けなければいけないし、「殺害配信」なんてタイトルで全国に流してしまったのだから、今更殺すつもりはなかった、は通用しない。これから受けるであろう精神鑑定でも、僕は普通の人間と変わらない結果を出すだろう。
 つまりは、僕の親が金で解決したのである。この時ばかりは、金をたくさん持っている両親に感謝した。きっと、僕の親は青山家に、慎ましくすれば一生暮らせるかもしれないほどの慰謝料を払う。見たこともない金額に、これまで必死に働いて、それでも保護を受けて暮らしてきた青山のお母さんは、喜んでそれを受け取る。青山にまた金が行くのは嫌だったけど、僕が殺人未遂を犯したことをなんとかしてもみ消したい僕の両親と、人から奪う程金が欲しい青山家で、綺麗に利害が一致するのだから、仕方なかった。

 「……しばらく、お父さんの実家で暮らしましょう。気付いてあげられなくて、ごめんね」

 泣いている母が僕を抱きしめる。何に気付けなかったというのだろうか。青山の事も、瀬戸さんの事も、小南さんの事も、一度も話したことが無いのだから、気付かなくて当然だろう。僕は何も言わずに、立ったままでいた。ただ、この灰色の生活が終わることが嬉しかった。僕ら以外誰も居ない取調室で、しばらく母は昔の話をした。小学生の時の僕は、人並みまでとは言わないけど今よりはずっと明るくて、友達と放課後庭で走り回ったり、ゲームで遊んだりしていたらしい。友達のうちの一人が、家の庭で迷子になった時も率先して助けに行ってくれたし、当時は頭も良かったので、授業参観で難しい問題を答えるたびに、母は誇らしい気持ちになっていた。

 「私は、晴に期待をしすぎたのかもしれないわ。優秀じゃなくても、晴は晴らしくいてくれたら、それでいいのに」

 薄いピンクのハンカチで目尻を拭う母の姿をまじまじと見るのはいつ以来だろうか。気付けば随分老け込んだ気がする。兄さんが大学を辞めて、僕がこんな事件を起こして、迷惑をかけてばかりだ。ただ、これまでお手本通りの真面目な人生を歩んできた母に、僕の何が解るんだ。そんな風にいつも夢見がちなことばかり言うから、僕や兄さんのような人間ができるんだ。
 昔話はどれも退屈だった。早くその、お父さんの実家に行きたかった。担任と顔を合わせ、正式に退学処分を食らうまではこの街を出れないことを辛く感じる。僕はもう一秒たりとも、僕を苦しめた地にいたくない。瀬戸さんの存在だけが惜しいけれど、青山も小南さんも、もう顔も見たくないのだ。新しい場所で、誰にも殺意も好意も抱かず、静かに暮らせたら、今の僕にとっては、それが一番、この上ない幸せなのである。

 「……こんなこと言うと、警察が何言ってんだって感じだけどさ、君、大人しそうに見えてやるじゃん。かっこいいよ」

 署を出る数分前、同伴する予定の母が公衆電話でタクシーを呼んでいる間に、茶髪の警官が話しかけてきた。昨日の前島である。もう二度と会う事も無いかと思っていたが、わざわざ僕に会いに来てくれたらしい。勤務時間中だろうに、警察のくせに不真面目な奴だと思った。
 前島はにかっと白い歯を見せて笑った。屈託のない、子供のような笑顔だった。

 「いやあ、俺も昔、いじめられててさ。馬鹿高校だったから、先輩に目つけられてさぁ、何万取られたかわかんねーよ。復讐してやろうと思ったけど、足がすくんで出来なかったんだ。あの時の俺みたいな、弱い奴を助けるために警察目指してここまでやってきたけど、思えばあのいじめっ子たちにはなんの復讐もできてないんだよな。なんか、虚しくなったよ」

 まだ知り合ってから一日も経っていないのに、らしくもないセリフだと感じてしまう。それほど、彼はいじめや恐喝と言う単語からかけ離れた爽やかな外見と性格を持っていたのだ。
 また、退屈な話をされたな。青山に言わせれば僕は「聞き上手」らしいが、僕の立場からしてみると、興味のない話をされて、うざったいこと限りない。だから、僕は前島と目を合わせずに、こう述べることにした。

 「……人間って、いつもないものねだりばっかりですね。僕だって、足がすくんで何もできないほど弱気になりたかった」
 「ん? どういうこと?」
 「あいつは僕の人生をめちゃくちゃにしたクソ野郎で、そして僕の青春のすべてだった。これから一生苦しんでくれれば、僕はそれだけを糧に生きていけるんですよ」
 「へえ。 ……なんか、宗教みたいだね」

 やっぱり話しかけなければよかった。前島の微妙な表情がそう語っている。僕は踵を返して、その場を立ち去った。ちょうど母と合流して、こんなに早く警察署から解放される。昼のニュースでも少し僕らの話は出ていたけれど、大物タレントの不倫が発覚し、さらにはその相手との子供まで身ごもっているというニュースが飛び込み、世間の注目はおおかたそこへ流れていた。気持ちはいくらか穏やかになった。
 証拠としてスマホのデータをすべて引き抜かれ、返しては貰ったものの母に預けたままなので、タクシーの中で僕は何もせずぼうっとしていた。青山瑛太は何をしているのだろう。僕の事を思い出すたびに体の震えが止まらなくなって過呼吸を起こしていればいいのに。会いたくて震えるなんて歌詞のラブソングがあるくらいなのだから、会いたくない、思い出したくもないメーターが振りきれたら、あいつはどうなるんだろう。そう考えると幸せで、僕はふふ、と小さく笑いを零す。すると、横の母は、「やっと笑ってくれた」とつられたようににっこり笑った。今日は、晴の好きなものを食べようね。そして、荷造りを早めに済ませて、お父さんの実家でゆっくりしましょう。静かな車内で、母は優しく声を紡ぐ。
 外は雨が降り始めていた。六月十一日、ニュースをお送りしますと車内のラジオが告げている。一番最初に報道されたのは、その例のタレントのことで、家に着くまで僕らの事件には少しも触れなかった。所詮世の中と言うのはそんなものなのだ。
 タクシーを降りて、一日ぶりに家の敷地をまたぐ。どん底のはずなのに、これからの未来には一筋の希望があった。
 僕は、清々しい気分に満ちていた。