複雑・ファジー小説
- Re: 失墜 ( No.78 )
- 日時: 2017/01/04 05:52
- 名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: cTS7JEeA)
20 13番目の彼女
矢桐くんが逮捕された。朝起きてテレビを見ると全国ニュースで私の高校が出ていて、まったく落ち着かない気持ちで登校したら、予想以上の事態になっていたらしく、真剣な面持ちで大きなカメラに向かって話すアナウンサーや、数えるのも大変なほど大勢のマスコミが詰めかけていた。クラスの柏野くんが生徒代表のインタビューに答え、私たちは混乱のまま、すぐに下校することになった。
矢桐くんと瑛太くんの間には、「知らなかった」では済まされない、重大な問題が発生していた。ふつう、こんな事件が起きると、学校側は事を穏便にするために、なるべく多くを語らないらしい。しかし、矢桐くんはツイッターのアプリを通して全国に瑛太くんとの確執をバラしてしまったのだから、臨時で開かれた全校集会で校長先生は、何も嘘をつかなかったし、私たちのクラスには他クラスや他学年の生徒が何人も野次馬に来ていた。だけどさすがに、瑛太くんの友達を自称する人はいなかった。柚寿は最初から学校に来ていなかった。
何が起きているかわからず、目まぐるしく状況が二転三転するなか、私たちは一斉に校舎から吐き出されるように下校した。それでも、帰りの電車で「早く帰れてラッキー、数学やりたくなかったんだ」と笑顔で話す男子二人組は見かけたし、近所のおばさんも、挨拶を交わしたとき事件には触れてこなかった。
「逮捕されたの、京乃のクラスの子でしょ? 気を付けなさいね、物騒な世の中なんだから」
帰宅すると、出かける準備をしているのか、洗面台に立って髪を結んでいるお母さんに、鏡越しに声を掛けられた。「おかえり」も言わずに飛んできたその言葉に返事をして、さっき腕を通したばかりの、制服のベストを脱ぐ。
お母さんはこれから、わざわざ仕事を休んだお父さんと、学校で開かれる保護者向けの説明会に出席するらしい。過保護だなあと思う。スーツ姿のお父さんが、新聞の一面を眺めながらコーヒーを飲んでいる、その横を抜けて私は自室を目指す。「出かけないほうがいい」と学校にも家族にも言われているけれど、私は今日、これから梓と会う予定がある。
昼ご飯を食べに行くことになっていたが、あまりにも早く帰されたので、まだ昼と言える時間ではない。梓もそう思ったらしく、私がベットに寝転んで通知を確認したら、梓からの連絡が入っていた。一時に駅で待ち合わせという約束を交わして、私はその時間まで仮眠をとることにした。しかし、事件のことが頭から離れず、目を閉じても大勢のマスコミとクラスに向けられる奇異な目線ばかりが瞼の裏に浮かび、眠ることは出来なかった。そして、その代わりにスマホを手に取り、事件について調べることにした。
久しぶりにツイッターを開く。さすがにトレンドからは消えていたが、検索にうちの高校の最初の一文字を打ち込むと、サジェストに「殺人未遂」と出てきた。ああ、やっぱりこれは現実なんだ。震える手でその文字をなぞる。架空の名前を持つ他人の、打ち出した無機質な文字が、瑛太くんと矢桐くんの話をしている。怖くなって、すぐに画面を閉じた。そして、個人の感情が絡まない、ニュースのサイトで直に確認することにした。ご丁寧に、高校名まできちんと掲載されていた、「恐喝被害を受けていた少年が殺人未遂」の見出しを開く。矢桐くんが配信した内容も記載されていて、瑛太くんの家は生活保護を受けていて、満足にご飯も食べられていないことが分かった。あんなに毎日綺麗に着飾っていたのに。あとで梓は、この件についてどんな対応を見せるのだろう。そして、梓は、どっちの肩を持つのだろう。
私は、この二人と、少なくとも友達以上の関係だった時期がある。瑛太くんとは何度も一線を越えて戻れなくなったし、矢桐くんは私の思い上がりでなければ多分、私の事が好きだった。配信では一切語られなかったらしいけれど、私はこの事件と、まったくの無関係ではないのだ。そう思うと怖くなって、ついに耐え切れずに梓に電話をかけた。梓は思っていたよりも冷静で、「わかった、じゃあ今から駅」と言ってため息をつく。梓が居てくれてよかったと思った。そして、急いで支度をして、もう出て行った両親の後に続くように、私は家を出た。
□
「……梓は、どっちが悪いと思う?」
喫茶店は昼時なのに空いていた。いつも賑わっているのになぜだろうかと考えて、今日が平日なことに気が付いた。私服姿の梓は、メニューも見ずに、運ばれてきた水にだけ、淡々と口を付けていた。だから私から話を振らなければいけなかった。午前十一時のゆっくり流れるまどろみの中で、とろけて無くなりそうになる前に、私は何か話さなければならない。そんな焦燥感があったのかもしれない。
梓は私の方を見たけれど、何も答えはしなかった。でも瞳は、「なんでそんな事訊くの?」と言いたそうにしていた。私が言葉に詰まると、梓はまた大きなため息をついて、ついに私に言った。
「青山が悪いに決まってんじゃん。あいつの金でディズニー行く予定だったのに。生活保護だって、笑っちゃった」
「……そういえば、お金渡してもらうの、今日だったね。瑛太くん、払ってくれるって言ってたけどな」
「払うわけないでしょ。矢桐も青山も退学確定だってさ、もう二度と会わないんじゃない? 京乃はそうじゃないかもしれないけど、私はせいせいした」
そう言って梓は、また冷たい水に口を付ける。
私は黙り込んで、それを見ていた。
私は梓を信頼しているし、梓も梓なりに私の事を思ってくれている。それはわかるのだけれど、梓の声の温度は、インターネットで事件を語る全くの他人のように冷めている。それが悪いことではないし、むしろ、私以上に動揺されると私もさらにパニックになってしまいそうなので、これくらいどっしり構えてもらった方が良い。だけど、やっぱり私はおかしいんだという疎外感は消えなかった。梓に、優しく慰められることを期待していた。そりゃあ私もディズニーランドには行きたかったけど、「妊娠した」という嘘をついてまでは行きたくなかったし、瑛太くんだって私の言う事なんて嘘だと思っているに違いない。それでも「払う」と言ってくれたのは、私に対する慰謝料のようなもので、私も瑛太くんもそれによって気持ちが軽くなるのなら、それでいいと思っていた。だけど、もうその慰謝料が払われることはない。一生このモヤモヤした気持ちと付き合わなければいけない。
めんどくさい事になったなあ。私はあきらめ気味に、スマホを手に取った。まだメニューも見ていないけれど、気にも留めなかった。喫茶店のカウンターでは、何も悩み事が無さそうな看板猫が早めのシエスタに入っていて、厨房では奥さんが呑気にフライパンを動かしている。急いで決める必要はないと梓も判断したのか、私の行動を止めることはしなかった。
知らない人からメッセージが届いていた。きちんと確認すると、それは中学時代同じクラスだった男の子だった。渋谷くんと言ったか、目立たない感じの、例えれば矢桐くんのような子だったと記憶していたが、この前会ったとき、彼は信じられないくらい垢抜けていた。あまり話したこともなかったはずだが、なんで今連絡してきたのだろうと思いながら、そこそこ長い文章を読み進める。「自分は青山瑛太の仲のいい友人だ、話は聞いているから、金を払わせてほしい。いつ合流できるだろうか」という内容の物だった。
- Re: 失墜 ( No.79 )
- 日時: 2016/12/26 02:34
- 名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: cTS7JEeA)
梓は嫌そうにしていたが、私は渋谷くんをこの場に呼ぶことにした。梓と居ると、私は更に自己否定感を募らせてしまう。この空気が変わるのならば何でもいい。
今日は平日で、渋谷くんは学校があるはずなのだが、これからすぐ来てくれることになった。そういえば、前会った時、「俺の学校は規則がゆるくて、休んでも支障はない」と言っていたっけ。うちの学校は、進学校と言う程でもないけれど、休めば授業や課題に支障が出るから、こんなに環境が違うんだと軽くショックを受けたことを覚えている。ついこの前まで同じ教室で過ごしていたのに、渋谷くんはいつの間にかモデルみたいにかっこよくなって、私は人並みのつまんない高校生になって。高校に合格したときは嬉しかったけれど、特にやりたいこともないし、私は英語以外に勉強ができるわけでもないので、渋谷くんのように好きなことだけをして過ごすのも良かったのかもしれない。矢桐くんや瑛太くんだって、勉強しか将来の道が無いと考えているから、あんなに追い詰められて他人を傷つけたりするんだ。梓が何も話してくれないから、私はずっとそんな事を考えていた。
かたん、と秒針が動く音が、静かな喫茶店に響いた。それを合図のようにして、やっと梓は口を開いた。
「……その渋谷って男は、信頼できるわけ?」
「しばらく会ってないし、仲が良かったわけじゃないからわかんないけど、瑛太くんの友達っていうのは確かだと思う。見た目、モデルさんみたいだし……」
「うっわ、一番嫌いなタイプ。あんたさ、また青山みたいな男に自分から引っかかろうとしてるの? そんな奴信頼しちゃダメに決まってんじゃん」
「……でも、わざわざお金渡してくれるっていうんだよ。会うだけでも会おうよ、ディズニー行きたいじゃん」
「……もう、わかったわよ。やばそうだったら、すぐ撤退するからね。荷物見ときなよ」
梓は心配性だなあ、という言葉を飲み込んで、私は笑う。ちょうど同時期に、渋谷くんらしき人が喫茶店に入ってきた。絶妙なタイミングである。学校は休んだのか、駅前のおしゃれなセレクトショップの店員のような恰好をしていて、それがとても似合っていた。典型的なモデルさんのようで、梓は嫌がりそうだなあ、と横目で見たら、案の定、梓は汚いものを見るかのような目をして彼を見ていた。渋谷くんはそんなことも気に留めずに、ドアを開き、壁側に座っていた私達に向かって手を振る。軽やかなベルの音と共にドアがゆっくり閉まっていき、厨房から出てきた奥さんが、珍しいお客さんに少し目を見開いて、いらっしゃいませと少し遅れた笑顔を浮かべる。
近くまでやってきた渋谷くんは、軽く私たちに挨拶をして、梓が座っている方の席に座ろうとした。梓は男嫌いの性質でもあるのか、さっきよりもさらに顔をゆがめて嫌そうにするので、こっちに座っていいよと私が渋谷くんを誘導した。ふわっと香水の匂いが漂う。いかにも地味な女子である私たちの輪に、ひとりだけモデルのように整った男子がいるのだから、周りも不思議なことだろう。渋谷くんは本当に外見が整っていて、纏うオーラも、瑛太くんと同じくらい、いやそれ以上に周りとは違っていて、この寂れた喫茶店でさえも、格式の高い場所のように思えてくる。中学生の時は地味で、女子の恋バナにも名前が出たことが無かったのに。高校デビューって凄いな、なんて、思わずにはいられなかった。
「瑛太の件、あれヤバいよね。俺、瑛太の家庭事情は知ってたけどさ、そのヤギリくんって子がまさか復讐するとは思わなかった。しかも配信って」
「そうだよね、クラスから恐喝犯と殺人未遂犯が同時に出るって、私ちょっとまだ頭追いつかないかも」
「俺らだって混乱してるよ。瑛太の事ネットでは大騒ぎになってるし、同じ雑誌のモデルとして恥ずかしいな」
横で渋谷くんは照れたように笑う。その時にぱっと視線が交わり、慌てて逸らされる。あ、中学校の頃と同じ。見た目はこんなに変わっても、中身は昔の渋谷くんのままだ。
梓の方は、まだじとっとした瞳で私たちを見ていた。渋谷くんは、「きょうちゃんの友達? はじめまして」と、丁寧にあいさつをして、時折話も振ってあげているのに、梓は不機嫌そうに二言三言返すだけだった。
渋谷くんと、「矢桐くんがクラスでどんな子だったのか」について話して、少し盛り上がってきたとき、梓は「ねえ」と氷のように冷たい声で言い放った。その空気を読まない冷めた声に、私はついにイライラしてきたのだけれど、梓は、そんな私を他所に、ふうっと息を吸って、渋谷くんに言った。
「お金、払ってくれるんでしょ。中絶費用。青山の代わりに、責任取ってくれるんでしょ?」
梓はじっと渋谷くんを見ている。渋谷くんから、さっきまでの笑顔が消えた。
「……もちろん払うよ」
「じゃあ、早く払って消えてよね。私、青山だいっきらいなの。京乃に酷い事してさ、許せないの。友達なんだったらあんたも同じよ」
「……あはは、ごめんって、梓ちゃん。こんなこと言っても信じてくれないだろうけど、俺も青山の事は心から軽蔑してるよ。正直ヤギリくんに刺されて死ねばよかったんじゃねって、思うもん」
「あんた、友達じゃないの?」
「好きだった女の子を、あいつに取られたことがあるんだ。初恋の子。他の女と付き合ってみたりもしたけど、ちゃんと好きになったのはその子だけなのに、あいつ簡単に取ってったし。好き勝手やって、妊娠させちゃうし、さいてーだよな」
「……ねえ、それってまさか」
梓が、私の方を見ている。渋谷くんは何も言わなかった。「あんたたち、中学でクラス一緒だったんでしょ? 初恋の子って京乃なの?」と、焦ったように、私と渋谷くんに交互に聞く。私も驚いている。渋谷くんが、私の事を? まさか、そんな訳はないと思いつつも、次の言葉を待ってしまう。
「……俺はもう、別に本気になれる子を探すけど、梓ちゃんみたいに心配してくれる子もいるんだから、きょうちゃん、もうあんな男に引っかかんないでよ。俺にできることは、金払うくらいだけど、今度はちゃんとした男と幸せになってよ。じゃあ」
この場に居づらくなったのか、渋谷くんは手書きのメニュー表に視線を泳がせながら言った。持っていた高そうなリュックから、札が数十枚は入っているであろう封筒を取り出して、テーブルに置き、これで足りるはずだから、と付け足して、渋谷くんは席を立つ。そのまま立ち去ろうとする。
「待って」
それを止めたのは、梓だった。
渋谷くんはその強気な声に、ぱっと振り向く。その時、初めてそのグレーの瞳をしっかりと捉えた。きれい。本能でそう思ってしまうほど、透明でまっすぐな視線に、私は何も言葉が出なくなる。
だけど、私よりずっと意志が強い梓は、とん、とテーブルに手をついて立ち上がる。そして、驚くことに、頭を下げて渋谷くんに謝った。
「ごめんなさい、京乃が妊娠してるなんて嘘。青山にムカついたから、金でもとってやろうって、思ったの」
今まで見たことのない、梓の真剣な声が、静かな喫茶店に響く。続くように、私も立ち上がった。梓にだけ謝らせるわけにはいかない。
「そう、瑛太くんはお金もあるだろうし、ちょっとならいいかなって思って。ごめんなさい」
また、かたん、と秒針の音が響いた。渋谷くんの、控え目な笑い声が聞こえて、私たちはゆっくり頭を上げる。
渋谷くんは、心から安心したような顔をしていた。
「よかった」
気が抜けるほど、ふやけた笑顔を浮かべた渋谷くんが、私たちを見ている。騙されたことに怒っているわけでは無さそうだった。梓が、テーブルの上の封筒を持って渋谷くんの元へ向かい、渡そうとしたけれど、「いいよ、瑛太からの慰謝料だと思ってよ。大丈夫、あとでちゃんと、あいつには金返してもらうし」と、無理やり押し付けられてしまった。
梓は封筒を持ったまま、酷く動揺していた。本当に貰っていいのか、と何度も渋谷くんに聞いていた。
渋谷くんは、無邪気に、子供のように笑う。さっきまでの張りつめたような笑顔ではなく、心からの笑顔に見えた。私の妊娠が嘘だったことが、よほどうれしかったのだろう。
「その金で、二人でディズニーでも行ってきなって。じゃあね、梓ちゃん、きょうちゃんをよろしく」
手を振って、渋谷くんは今度こそ店を出る。一緒にご飯でも食べていけばよかったのにな、と思う。
ぽすん、と梓が席に座った。まだ放心状態の私に封筒を差し出して、珍しく、柔らかい笑顔を浮かべている。
「……京乃って、あんたが思ってる以上に、周りに好かれてるのね。きっと、これからも、なんだかんだで幸せになるんだろうな」
私を羨ましがるその声が、少し寂しそうに思えた。だから、私は梓に笑いかける。
「何言ってるの、私、梓も幸せになってほしいよ。早く予定立てようよ、夏休みなんてさ、すぐに終わっちゃうんだから」
喫茶店は変わらず閑古鳥が鳴いていた。その一角で、私たちは笑い合う。
現状は悪くなる一方だ。瑛太くんと矢桐くんの事件は、今も頭の片隅にある。柚寿の事も心配だ。三人とも、今の自分の立ち位置を失ってしまった。それがどんな恐怖なのかはわからないし、この先彼らがどんな運命をたどるかなんて、私には知る由もない。
だけど、ここで私たちの、小さな夏が始まろうとしていること、それは確かに希望だった。