複雑・ファジー小説
- Re: 失墜 *キャラ設定集あげました ( No.82 )
- 日時: 2016/12/30 04:08
- 名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: cTS7JEeA)
20 非国民的ヒーロー
目を覚ましたら午後六時だった。カーテンの先にある大きな窓から差し込む橙の光が、つけっぱなしのテレビに映るニュースキャスターが、僕の事を嘲笑っている。慣れない病室の柔らかいシーツを剥がして、軽く伸びをすると、寝違えた時のような痛みが首元に走った。
全部夢だったら良かったのに、まだ手が震えて、枕元のスマホを触れない。僕は被害者のはずなのに、僕に残されたものは、最低な人間と言う烙印だけだった。
悪夢でも見ていたのか、いつもの癖で手に取ってしまう鏡に映る自分は酷い顔をしていた。目は真っ赤に腫れて、頬に貼られた大きな絆創膏は糸がほつれ、髪もぐしゃぐしゃで、こんな姿では、絶対に誰にも会いたくない。狭いところで寝るのに慣れているから、寝相はとてもいいはずなのに、シーツが乱れているのは、夢の中でもあいつにごめんなさいを言い続けていたからなのだろうか。鏡を床に投げつけ、僕はシーツを被った。もう一度眠ってしまいたかった。そして、二度と目覚めたくなかった。
矢桐は僕を殺せばよかった。恋人も友達も失って、怯えながら働いてきた悪事がみんなにバレて、僕なんてもう、死んだようなものなのに、あいつは中途半端に僕を生かしている。寝返りを打って、あいつが最後に言った言葉を思い返す。目頭と喉の奥が熱くなって、ぽたぽたと滴が落ちる。最悪だった。こんな人生を送るくらいなら殺してほしかったのに、あいつがカッターを向けてきた事を思い出すたびに、体の震えは止まらなくなるし、惨めに助けてと縋った僕が、まだ生かしてくれと言う。
「おはよ、どう? 十二時間寝た心地は」
どれくらい時間がたったのかは、わからない。
オレンジの光の向こう側、大きなドアを開いて、なにやら楽しそうな声色の姉さんが部屋に入ってきて、生ぬるく頭を支配していたあいつと僕が消えて、ゆっくりと我に返る。姉さんは、いつも通りだった。僕が警察に保護されたときも真っ先に駆け付けてくれたらしい。取り調べの時も、検査入院することになった時も、姉さんが保護者の代わりのような存在を受け持ってくれたみたいだ。母さんは事件の全貌を聞いて、あまりのショックに大きく体調を崩して、今はこの病院に入院している。そう言って、姉さんは困ったように笑っていた。笑い事じゃないよな、と僕は思った。
シーツで顔を拭って、姉さんの方へ向き直る。「全然寝た気がしない」という趣旨を伝える僕の声は曇っていた。こんなんじゃ、泣いたのがバレバレだけど、こんな状況だ、少しくらい泣いたって許してほしい。
「だろうね、うなされてたし。でも、お母さんはもっと大変よ、私にお金が無いから、愛情を注いであげられなかったから、あの子はああなったんだって、あたしに泣きつくの。朝からさっきまで、ずーっと」
同じ貧乏でも、あたしはこんなに真っ直ぐ育ってるのにねえ。姉さんは、冗談を言うような笑みを浮かべて、僕へのお土産らしきものをビニール袋から取り出して、病室の小さなテーブルに並べていく。母さんは優しいけれど、癇癪を起こせば面倒だから、ずっとその相手をしていた姉さんが僕に嫌味を言いたくなる気持ちはよくわかる。僕は何も言わずに、並べられていくいちごのクレープとチョコチップパンを見ていた。
姉さんはしばらく、いろんな話をした。聞きたくない話もあったけど、もう止める気力もなかった。
「全国ニュースになったのは驚いた。その日の午後に、タレントがバンドマンと不倫したニュースが飛び込んできたから、結局その日の朝しか大きなニュースにはならなかったんだけど。あ、ツイッターのトレンドからは一日で消えたから安心して。あとは……矢桐さんから貰う慰謝料の話ってしたっけ?」
してない、の意を込めて、僕は首を振る。慰謝料なんかどうでもよかったし、人ひとりの人生をぶち壊しておいて、金を払ってはい解決、という話ではないと思う。それに、散々矢桐から金を取っておいて、さらに金を貰う、そんなことをしたらまた刺されそうだ。
僕の内心など知らないで、姉さんは嬉しそうに、聞いたこともない額を口にした。
「……宝くじかよ。すごい大金」
「慎ましくすれば、この慰謝料とあたしの給料で、お母さんは仕事を辞めても暮らせるわ。でもね、お母さん、あんたを大学にやりたいってさ。せっかくお父さんに似て頭良いんだから、好きな事させてあげたいって」
「もう遅いのに」
矢桐と一緒に、全国に名前が知れ渡ってしまった僕が、これから普通に生活できるわけがない。姉さんは笑って、「こんな事件、三か月もすればみんな忘れてるわよ」と言うけれど、みんなが忘れても僕が覚えている以上、恐怖からは逃げられない。母さんも馬鹿だ、僕なんかにまだ期待をするくらいなら、汚いラブホテルの清掃員なんか辞めて、生活保護も辞めて、その慰謝料で暮らせばいいのに。あとで母さんに会う機会があったらそう話すことにしよう。僕は、もう生きる意味なんてないのだ。死ぬ勇気もないから、どうしようもないまま、底辺で蹲っているしかない。
姉さんは、浮かないままの僕を見て、「そういえばね」と、わざと明るいトーンで語りかける。
「さっき、柚寿ちゃんが来てたわ。ご愁傷さまですって花をくれたの。あの子もすごく疲れた顔してたのに、あたしのこと気遣ってくれてさ、良い子だよね」
「……あいつ、なんで今更」
長い夢の中で泣いていたような気がする、似合わない髪型をしている柚寿が頭をよぎる。あの艶やかなロングヘア—を、得意げに耳にかける仕草が好きだったのに、そんなことも出来ないくらい短くなってしまったし、どうしていきなりばっさり切ったのか、最後まで聞けなかったし。
僕は、最後の最後まで柚寿がわからないままだった。何が好きで何が嫌いで、僕に何をしてほしかったのか、この期に及んでも解らない。柚寿は、僕の瞳に映る自分自身を見ていた。僕の事なんか最初から興味が無くて、ただ、自分を飾るアクセサリーが欲しかっただけ。僕のスペックにだけ恋をしていたから、だから僕が矢桐から金を取っていると知った時、叱るでもなく泣くでもなく、無表情にさよならを告げたのだ。
僕と同じで、悲しいほど孤独な子だ。誰かが無条件に愛してあげないと、自分の存在価値すらわからなくなってしまう。僕と柚寿は似ている。もう一度、本音で語り合えたら、今度はうまくいくかもしれない。もう柚寿と会うことはないはずなのに、そんな事ばかり考えてしまうのは、一種の現実逃避のようだった。
「……あー、あとね、渋谷くんも来てた。金の事は心配しないでくださいって凄く嬉しそうに言ってたけど、あんたあの子にもお金借りてたの?」
「うん、そんな感じ」
姉さんの話に適当に相槌を打ちながら、薄いカーテンの先を見つめていた。それは矢桐の部屋から見た、花火大会の日の空に似ていた。
今僕が矢桐と話が出来たならば、「僕はこの先どう生きていけばいい?」と聞きたい。矢桐は僕を殺したかったみたいだが、こうやって、散々踏みにじってもなお生かすのは、死ぬよりも辛い。復讐と言う意味では矢桐の執った方法は大成功だ。僕はこんなにも辛いのに、慰謝料を払い終えた矢桐は、どこか知らないところで悠々と暮らす。
「反省なんかしなくても良いから、無様に僕を恨んで生きて、そして死んでいけって、言うんじゃないの?」
そんな声が、どこかから聞こえた。帰り支度を始めている姉さんが発したものではないことは確かだった。
それは、柚寿の声ようにも聞こえたし、瀬戸さんのようにも思えた。僕が踏みにじってきた人間たちが、今度は僕を指さして笑う。今まで悪いことをしてきたツケが一気に回ってきた、そう言われているようだった。
ついに幻聴まで聞こえるようになったか、と自分に自分で絶望しながら、僕はまた寝転んで壁際に向き直る。姉さんは、「これからまたお母さんのところに行くから」と言い残した。しばらくして、スリッパを鳴らす音が聞こえたかと思うと、すぐに遠くへ消えていった。
もう一度眠りにつきたかったのに、体はそれを許さない。結局、夜ご飯が運ばれてくるまで、矢桐がカッターを向けている、あの光景をフラッシュバックしては、シーツを被って震えていた。
- Re: 失墜 *キャラ設定集あげました ( No.83 )
- 日時: 2017/01/04 05:57
- 名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: cTS7JEeA)
- 参照: あけましておめでとうございます。
テレビをぼーっと見ながら、これからの事を考える。姉さんによると、僕と矢桐には退学処分が下されるらしい。僕が矢桐にただ暴行された完全なる被害者なら、これからも学校へは通えたのだが、僕も矢桐に対して犯罪行為を働いていた以上、残留は許されなかった。変なところで厳しい高校よねえ、と姉さんは困り果てていた。
ほんと、人間不信になりそうだな。膝を抱えて、番組がニュースになるたびに、汗ばむ手でリモコンを握ってチャンネルを変える。何の意味も無いバラエティ番組だけを見たかった。僕の家にテレビはないけれど、遠い昔に親戚の家に集まった時、大きなテレビに映っていた、とてもキラキラした世界で笑っている人たちのことは、心のどこかで覚えていたし、無意識化で憎んでいた。
ため息をついて、ベッドに倒れる。保健室とラブホテル以外でベッドを使うのは初めてだったが、当たり前だけど、いつも寝ていたソファーよりずっと寝心地が良い。十五時間近く眠ってしまうのも仕方のないことだし、なんならこの瞬間にまた眠れる。いっそここで死ぬまで寝て起きてテレビを見て、を繰り返したかったけれど、心臓が動いているうちは、僕は生かされ続ける。明後日には退院して、じゃあこれからどうしようか、って話になって、今までより何段階も堕ちた生活を送る。矢桐の事は一生ついて回るし、もう居ない柚寿のことも引きずるし、僕の目の前に敷かれていたレールは、外れてしまっても無理やりみんなと同じ場所を歩いていた僕は、これからどうしていけばいいのか、皆目見当のつかない状態にある。
やっぱりここで死んじゃったほうが楽だよ。僕の中の誰かがひっきりなしに囁く。姉さんが置いていったジャムパンに目を向けて、これを食べ終えたら窓から飛び降りようか、と考えてみる。そんなことが、できるわけないのに。
ご飯は喉を通らなかった。病院食はまずいと柚寿も言っていたが、その味のしない無機質な、栄養だけを考えて作られた食事は、僕の想像を上回った。気持ち悪くて吐きそうになったので、食べるのはすぐにやめた。ご飯を食べる代わりに、矢桐と行った定食屋で、カツ丼についてきた無意味なさくらんぼや、柚寿と最後にファミレスで食べたマルゲリータのことを考えて、時間を潰していた。全然食べていない僕を見て看護師さんは心配そうにしていたが、「さっきジャムパンを食べたんです」と嘘を吐くと、せっかくあなたのために作ってるんだから食べてよねえ、と笑われた。柚寿が僕に料理を振る舞ってくれたことはなかったので、その看護師さんが彼女だったらデートの時はお弁当を作ってくれたのだろうか、ということを、(暇だから)眠れるまで考えていた。もし柚寿が僕にお弁当を作ってくれたら、無理して高い店に連れて行ったりもしなかったんだろうな。しなかったに違いない。そんな事を何度も何度も反芻して、眠れたのは、日付が新しくなる少し前。眠りに落ちる前に、窓から見えた銀色の星が、やたらと幻想的で、だけど、もうあれに手は届かないのなら、やっぱり死んでしまいたいと思った。
その夜に夢を見た。やけにはっきりとした夢だった。
髪を切った柚寿と、何もない部屋の中にいた。やっぱり短いのは似合っていなかった。それを指摘すると、彼女はとても柔らかく微笑んで、きみのせいだよ、と言った。
「きみと一緒にいると、みんな不幸になるよね」
柚寿は何人かの名前を挙げる。瀬戸さん。矢桐。翔。僕とちゃんと目が合ったまま、疫病神か何かなのかなぁ、と、楽しそうに笑う目の前の女は、柚寿のようで、柚寿ではない気がした。だけど、どうしようもない僕は、そんな不確定な彼女に縋ることしかできない。ごめん、許してという自分の声は震えていて、透明に消えそうな柚寿の腕を掴んでも、すぐ透けて、どこかへ行ってしまいそうで。
僕と一緒にいることは、すごく緩やかに、破滅に向かっていくことと、同等だ。そう思った。柚寿も似たような事を言った。自分を偽るために他人を利用しすぎた人間の末路。柚寿は否定も肯定もせず、その不似合いなショートカットを、優しい風に揺らしていた。
「ねえ、私達、よく似てるじゃない。半端な孤独もダサい優越感も全部、共有できた仲じゃない。だから、私が堕ちたら、助けてよ、ねぇ」
ゆっくり、白い部屋が砂のように崩れていく。何もない空間で、大きな棺桶に腰かけている柚寿が、楽しそうに、僕が好きだった歌を口ずさんでいる。頭痛がする。めまいもして、倒れそうになる。その甘ったるい声が、膝の周りでひらひらするワンピースが、どうにもならないくらい愛おしかった過去を今になって思い出す。僕はいつも、手に届かないものばかり求めている気がする。
「……僕がここから這い上がれる、勝算は?」
いつか矢桐にも聞いたことがあるような台詞を放つ。柚寿は歌うのをやめて、僕の方を見て、「そうねえ」と、なんだか嬉しそうに、そしてそれと同じくらい悲しそうに、首を傾けた。
固唾を呑んで返事を待つ。柚寿は、いや、目の前にいる奇妙な女は、少しだけ口角をあげて笑った。そうして、また退屈なJ-popの歌詞をなぞりはじめた。
□
目が覚めたら午前十時だった。柚寿はどこにもいなかった。昨日よりは健康的な時間に起床したものの、十時間も寝てしまう自分の体が、いよいよわからなかった。
伸びをして、カーテンを開けて、よく晴れた六月の空を見る。やってきた看護師さんによると、うなされてはいなかったらしいが、よくわからない夢を見たせいで寝ざめは悪い。今更柚寿の夢を見たって、もう二度と会えないのに。今頃何をしているんだろう、今日は平日だろうから、学校で授業を受けているかな。
スマホを見るのが怖くて、まだ電源を付けられずにいるので、柚寿から連絡が来ていたとしても、わからない。柚寿だけではなく、瀬戸さんの事を丸投げしてしまった翔や、他の友達にも、近況報告くらいはしておかなければいけないのだが、そんな気にもなれない。空に浮かぶ雲を眺めて、変な形だな、とか思いながら、なんとなく終える一日が良いのだ。姉さんが置いていたままのジャムパンに手を伸ばす。チョコでもいちごでもどうでもいいけどな、と考えていた時、扉が開いた。
「……誰?」
「……どうも。なんか、意外と簡単に入れちゃうんだな、拍子抜け……」
見たことのない、学ラン姿の男が、適当な菓子折り片手にこっちに向かってくる。本当に知らない奴だったので、僕の記憶を全部引き出しても思い当たらなかったので、「誰ですか」と素直に聞くしかなかった。茶髪で、微妙に目つきが悪くて、僕よりも少し身長が高そうなその男は、「このたびはご愁傷さまです」と取ってつけたような前置きをした後、すごく簡潔に自己紹介をした。
「中川椿。小南柚寿の友達だよ。何回も連絡してんのに、無視されるから来たけど」
「……ああ、どうも。ごめん、スマホ見てないんだ」
その中川と言う男は、病室の床に荷物を置いて、備え付けの椅子に座る。なにか用事があるんだろうけれど、できれば早急に済ませてほしかった。事件のせいで、同年代くらいの人間に会うのがとてつもなく怖かったのだ。だから、来てくれた友達や知り合いは姉さんに頼んで帰してもらっていたのだが、この彼は姉さんが大学へ行っている今やってくるのだから質が悪い。学校はどうしたんだよ、平日だろ、と言いたい気持ちを抑えて、「お茶とか何も出せないけど」と僕は言う。
「……良いよ。大した用事じゃないし」
「じゃあ、出来るだけ早めに済ませてよ」
「……柚寿のこと、頼むって言いたくて」
まだ出会って数分なのに、頭が固くて誠実そうな奴だな、という印象を僕に植えつけた彼は、律儀に頭まで下げて、言った。
さっきまで夢の中で歌っていた柚寿の事を思い出す。僕らはもう付き合っていないのに、それもこんなに底辺まで落ちてしまったのに、なんでそんなこと頼むんだよ、と言いたい。僕らは他人だし、柚寿も僕に会いたくないに決まっている。というか、もう会えないことが確定しているのだから、頼むもなにもないのだ。僕が何を言おうか迷っていると、中川は、とても真面目な顔のまま、こう続けた。
「柚寿からは、よく青山くんの話聞いてたよ。君の事、最低だなって思った時もあった。……てか、今でもちょっと思ってるけど」
「……」
「柚寿とはもう三日も連絡が取れないんだ。家にもちゃんと帰ってないらしい。頼むよ、大事な友達なんだ。もう青山くんしか頼れないんだよ、俺はもう届かないけど、青山くんなら、救えるかもしれない」
あいつを探し出して、話をしてやってくれ。ずっと一緒に居なくても良い、君が嫌ならかまわない。中川は言う。
僕はうっすら気付いていた。柚寿の友達を自称しているこの男は、たぶん、柚寿のことが好きなのだ。「君が柚寿を見つけて、適当に慰めてあげてくれ」とは言えなかった。でも、やすやすと頷くことも出来なかった。柚寿をそこまで追い詰めてしまった自分が嫌で、もう彼女には会いたくないのだ。夢の中の悲しそうな柚寿が脳裏に浮かぶ。嫌な予感がするし、僕の嫌な予感はだいたい当たる。
「……勝算は?」
「そんなの、やってみないとわかんないだろ」
「……僕なんかが、柚寿を救えるわけ——」
「俺だって無理な願いを通そうとしてることくらいわかってるよ。お前みたいな奴に取られるのも実は気に食わないし。でも、柚寿のためだ。終わり良ければ総て良しっていうだろ、最後だけ、今までの事全部かき消すくらい、かっこよくぱーっとやってくれよ」
ヒーローはヒロインを救いに行くのが使命だろ、と中川は言って、そこまで言って急に恥ずかしさが来たのか、ふいと目を逸らされる、ならそんな大それたこと言わなくても良いだろ、と僕は笑う。そして、彼に言った。
「……いいよ、暇だし」
人間、色々と諦めると、少しだけ楽になる。どうせ死ぬのなら、最後に足掻いてみたい。柚寿に拒絶される未来は容易く想像できるけれど、今までみんなを不幸にしか出来なかった僕が、初めて誰かを幸せにできるのなら、その可能性に賭けてみたい。百パーセントの完全なる自己犠牲を、生まれて初めて行う。もう誰かを自分の道具にせず、僕だけの力で、彼女を助けに行くのだ。
中川と連絡先を交換し、なにか動きがあれば連絡してくれと頼んだ。スマホをやっと見ると、おびただしい数のLINEが入っていた。僕はアプリを消去し、中川へはショートメールを使うように頼んだ。ツイッターもフェイスブックも消した。すると、少し生きやすくなった気がした。
まちぶせた夢のほとり、驚いた君の瞳、そして僕ら今ここで、生まれ変わるよ。柚寿が口ずさんでいた歌詞を、自分で繰り返す。大事に取っておいたジャムパンを一口齧って、大きな窓を初めて自分で開いた。