複雑・ファジー小説
- Re: 失墜 【完結】 ( No.99 )
- 日時: 2018/01/12 13:51
- 名前: 三森電池 ◆IvIoGk3xD6 (ID: uDks5pC4)
【He Is】
何度見ても知らない電話番号である。
わけあって地元を離れて生活をしている僕に、わざわざ電話をかけてくる人間なんて家族くらいしか居ないので、最初は無視するつもりであったが、どうも一週間くらい前から、この相手から電話が頻繁に来ているようだ。不審に思い、業者だろうかと番号で検索をかけても心当たりはない。意を決して、僕はその番号に、電話をかけてみることにした。もしかしたら、なにか重要な用事かもしれないし、間違い電話だとしたら、何回もかけてきて迷惑なんだよ、殺すぞ、くらい言ってやりたいのだ。
受話器を手に当て、指で番号を辿り、しばしの間の後、電話特有の機械音が鳴り始める。相手は僕の電話を正座して待っていたかのように、すぐに出た。こっちが驚いてしまいそうだった。
「……もしもし?」
『もしもし』
女性だ。しかも、僕と同じくらいの歳の。わけあって、高校を辞めて一人暮らしをしている僕に、女性の知り合いなんて一人もいない。同年代の女と会話をしたのは、高校の時好きだった瀬戸さんが最後だと記憶している。やっぱり間違い電話じゃないか。あまり会話が得意ではない上に、電話はさらに苦手な僕は、相手がなにか切り出すのを待っていた。
待っていたのだが、相手もずっと僕の出方を待ち続けていた。電話特有の、居心地の悪い沈黙が流れる。
「……あの……」
『小南ですけど、矢桐さんですか?』
その、電話越しでもわかるような、単調で面白くない声は、思い返せば、どこかで聞き覚えがあった。
小南さんの名は知っている。高校の時、同じクラスだった女の子だ。ありえない話だが、僕は過去にクラスの男を殺害しようとしたことがあり、小南さんは、その男と恋人関係にあった女だ。そいつは、青山瑛太は、僕の持っているものを、例えば金なんかを全部奪い、さらには好きだった瀬戸さんまでも奪い、それでもクラスではちゃんと自分のポジションを確保していた、とんでもないクズなのだ。あいつを殺すためだけに生きていた、と言える時期さえあった。あいつが憎い、それは、今思い返しても変わらない。僕はあいつにそれだけの仕返しをしたと思っているし、あいつが人生のどん底まで落ちてくれたなら、僕なんてどうなってもいい。
嫌なことを思い出したな。最近、忙しくてゆっくり考えることもなかった。
「……久しぶり。何の用?」
『来年、成人式があるじゃない?』
「そうだね、僕は出ないけど」
『やっぱ、そうだよね。……でもうちはそこの所厳しくって、出ろって親もうるさくて』
振袖着たい気持ちはあるんだけどね、やっぱりあのクラスメイトたちには会いたくないよねえと、小南さんは笑う。そんな事で電話してくるなよと僕は思っている。
僕は青山瑛太を殺害未遂し、青山は僕から金を奪い取っていたため、二人揃って元々いた高校は退学になったが、もう一人、小南さんも転校という形であの高校を辞めていた。
最後の方の彼女は、もう僕にも見てられなかった。仲が良かったはずの女子達にもいじめられ、僕なんかに青山への仕返しでレイプされて、ついには、自殺未遂まで起こそうとしていたらしい。確か市内の女子校に転校したはずだったので、あとは平穏に暮らしていれば良いな、くらいに思っていたのだが、僕にこんな電話をかけてくるくらいだ、きっと元気なのだろう。僕は早く電話を切りたくて仕方ないけど。
「まあ、出たいんなら誰も止めないんじゃねえの、小南さんは友達多いし」
『なにそれ、嫌味? あはは』
小南さんは、楽しそうに笑っている。
電話を繋いだ時からの違和感が、とうとう顔を出した。はて、こんな笑い方ができる人だっただろうか。僕の知る小南さんは、黒髪で、色が白くて、異様に整った顔に、細い手足、と、なんだかラブドールみたいな造形で、人形だから感情にも乏しく、少し無愛想なイメージがあったのだが、今の彼女は、そのへんの普通の女と同じように笑っている。
別に僕は小南さんがどうなろうか、どうだっていいのだが、明らかに前よりは明るくなった。新天地で、平和に暮らしているのだろうという想像は、勝手に確信へとなり得ていた。
「……で、用事ってそれだけ?」
『ううん』
「早く話してくれないかなあ、僕も暇じゃないし……」
『……瑛太のこと。今もね、大学が近いから、なぜかよく会うけど、あ、付き合ってはないけどね。矢桐くんのこと、後悔してるって、本当は、あの時なんでも話せたのは矢桐くんだけだから、もっとちゃんと、友達になればよかったって』
「……切ってもいいかな」
『あ、ごめんね、ごめん。こんなの聞きたくなかったよね。久しぶりだったから、喋りすぎちゃって』
「でもさ、最後に一つだけ、聞いていい?」
うん、いいよ、なんでも聞いてと小南さんは言う。あの言い方では、彼女はまだ青山瑛太と仲良くしているらしい。僕の目標は、僕の生きがいは、青山をどん底に陥れる事。殺害を配信した、その動画はサイトをいくつも辿らないと見られないけれど、二年経った今でも、あいつだけ、僕にずっと謝り続けていたら良い。自分のしたことすべてを後悔し、死にぞこなった酷い顔で、醜態を晒して生き続けていたらいい。
どうか、あいつが、いまでも不幸でいますように。僕は小南さんに聞く。
「青山瑛太って、今何してんの?」
『瑛太はね、大学生してるよ、今。高校が四年制の通信だったから、卒業するのに余分に一年かかってるけど、ちゃんと大学は入れてるよ。お金は、もうモデルはできないけど、ちゃんとバイトで稼いでるみたい。矢桐くんとのことで反省したんだろうね、すごく真っ当に生きてるよ』
小南さんは、電話越しで、よかったねと言って笑った。
なにも良くない。僕は青山に反省してほしいわけじゃない。僕に謝って欲しいんだ。謝った上で、もう貧乏人が夢見るのはやめますと言って、地を這い、血を吐きながら生きてほしいんだ。
長いこと電話を繋いでいたらしい。小南さんは、長電話してごめんね、と謝ったあと、元気そうでよかった、じゃあまたね、と言い残して電話を切った。全然元気じゃないけど、僕も、じゃあねと言った。もう二度と会話しないかもしれないからだ。
「くっそ、結局、勝つのはいつもあいつかよ……」
ソファーに倒れこむ。僕の目の前には、数学、現代文、カラフルなテキストが広がっている。青山は大学生。僕は何もしちゃいない浪人生。今年も大学に入れるかどうかすら、わからない。全然勉強していないのだから、きっとだめなんだろうな、僕は何にだって負けてるから。
あいつだけは、幸せになって欲しくなかった。僕が全国民の前であいつにナイフを見せたじゃないか。あいつが死ぬべき人間だって証明してみせたじゃないか。のうのうと今、大学生として暮らしているあいつは、過去に僕を恐喝し、殴り、全てを奪った大悪人だ。ちょっと顔がいいだけで、ちょっとモデルをしているだけで、可愛い彼女がいるだけで、調子に乗りやがって、そして本性がバレて相手にされなくなると、さみしいからとか言って、都合のいい時だけ僕に擦り寄ってくるような、そんな奴だ。
あいつは僕に謝り続けてさえいればいい。どうして今僕がこんなに苦しんでいて、青山瑛太は幸せに笑っているんだ。
物置に、母さんが思い出だと言って卒業アルバムを詰めていたのを思い出す。高校は卒業できなかったからアルバムはないのだが、青山瑛太とは、中学が同じだったため、僕は迷わず中学のアルバムを手に取り、開いた。少しページを飛ばすと、クラスごとの個人写真が出てくる。僕が所属していた一組、知り合いも居なくなんの思い入れもない二組を飛ばして、三組の、名簿一番、青山瑛太を見つける。
青山は、写真の中で優しげに佇んでいる。モデルをやっていただけあって、表情も完璧だ。ぱっちりした二重の目も、透き通るような鼻筋も、薄く微笑む唇も、全て、周りの有無現象じみた生徒とはかけ離れていた。だけど、この頃から僕は、奴に金を取られ続けているのだ。こんな綺麗な顔をした悪魔に、僕は今でも、苦しめられている。バラバラになった、なにひとつ進んでいない教材の上に卒業アルバムを乗せる。
「どうして、死んでくれなかったんだよ」
マーカーペンで、その顔にバツ印を書き込んだ。罰が当たるなんて知ったことじゃない、僕は一度こいつに刃物さえ向けている。それでも写真の中の青山瑛太は、こっちを見て、僕を馬鹿にしたように笑っていた。
結局、未だ苦しんでいるのは僕だけだ。僕は卒業アルバムを閉じて、そのまま、ゴミ箱に捨てた。僕だけがいつまでも不幸だ。どうして、なにもかも、こんなにうまくいかないんだ。
「あいつが、いちばん不幸になりますように……」
意味のない祈りを捧げることしか、今の僕には、できない。しかしこんな祈りで叶うなら、僕はあいつをもう殺せている。外からは、楽しそうな大学生の声が聞こえてくる。うるさいな、死ねばいいのに。タバコに火をともした。みんなはだんだん大人になっていくのに、僕は、どうにかしてあいつを殺したいとわがままばかり、言うだけだ。
(お久しぶりです。完結一年を記念して、短編です。明日、対になる短編【She Is】を掲載します。)