複雑・ファジー小説
- Re: たゆたえばナンセンス【短編集】 ( No.36 )
- 日時: 2019/04/08 00:09
- 名前: ヨモツカミ (ID: w9Ti0hrm)
- 参照: https://twitter.com/yomotsu_kami/status/1064132688888553472?s=19
♯27 知らないままで痛い
もしも、私に明日が来ないとしたら──と、ふとした瞬間に考えてしまうことが増えた。
肩で息をしながら、肌を伝う赤色をぼんやりと見つめた。手の甲の傷口から溢れ出て、色濃く線を残し、やがて薄まって朱色を引きながら、重力に従って落ちてゆく。
命の色に彩られた大地には、分厚い鋼に身を包んだ死骸が無数に横たわっている。それを避けることもせず、漆黒に身を包んだ人型は、少し歩きづらそうに踏みつけながら、私の側までやってきて、拍手を送った。
「いやあ、鮮やかな剣さばきだったよ。ばっさばっさと躊躇なく人を斬り付けて、薙ぎ倒してね。とどめを刺す瞬間のお前、ありゃあ悪魔と見間違うほどだったさ」
「悪魔はお前だろうが」
人に近い形をしているだけのそいつは、若い男の姿をしているくせに、老人のようにしゃがれた声で笑った。
悪魔の間で流行りのジョークだよ。と、楽しげに言うが、私にはあまり面白さが理解できない。彼ら悪魔と人間では、笑いのツボが少し違うらしい。
切っ先を地面に突き刺し、片膝を着いたままの私の手を引いて立たせると、悪魔は僅かに首を傾げてみせた。
「震えているな。俺達悪魔には気温とかよくわからないが、寒いのかい」
首を横に振ると、頬を伝っていた赤色がパタパタと地面に吸い込まれていった。
「怖いんだよ」
悪魔は目を瞬かせた。心を理解できない悪魔は、いつも私の感情の動きに興味を示す。
「剣が首筋を掠めて、でも、ほんの僅かに、ほんの一瞬でも私の反応が遅れていたら……どうなっていたのだろう、と。考えてしまうんだ」
「ほう。痛いのは、怖いことなのかい?」
「そうだな。深い傷を負うと、死んでしまうかもしれないから」
手の甲や、腕、肩。今回は浅い切り傷ができた程度だが、次に敵と相まみえたときにも、それで済むとは限らない。
震えた指先で、剣の柄を強く握る。震えは止まらなかった。
「死ぬのは、とても怖いことだよ」
当たり前に過ぎていく時間が終わる。そうすると、私はどうなってしまうのだろう。わからない。わからないから、怖い。
「わからんなあ。俺には分からんよ」
「そうだな。死という概念を持たぬお前にこんなことを話しても、意味などないか」
「でも、そうだなあ。俺は、寂しいよ」
今度は私が目を瞬かせる番だった。
悪魔は、本当に寂しそうな笑みを浮かべている。心を理解できないはずの悪魔が。どうして。
「お前が死んでしまえば、契約は終わり。お前との時間が終わっちまう」
「……そんなの、上級悪魔であるお前なら、またすぐに契約者が現れるだろう」
「お前みたいな楽しい奴にはもう、会えないよ」
悪魔は笑った。何処か、涙を堪えてる風にも見えた。
動揺を悟られないように、私も笑う。いつも悪魔が浮かべていた、嘲る顔を真似しながら。なんだかこれでは、私の方が悪魔みたいだ、とも思った。それでも構わないと思えた。国の裏切り者で、復讐のために悪魔に魂を売った私は、家族や仲間を殺してきた私は、もう既に悪魔と変わりないだろうから。
「なんだ。悪魔のくせに死を理解しているじゃないか。そう。死ねば時は止まる。もう明日は来ない。もう一緒に話せないし、一緒に笑えないし……一緒に、居られない」
言いながら、私は自分の胸元に手を当てた。痛む。傷はないのに、痛い。この痛みは苦手だ。どんな切り傷よりも真っ直ぐに、それでいて冷たく心臓を抉るから。
私は剣に付着していた汚れを指で拭き取って、鞘に収めた。知り合いの命の色は、私の指先をべっとりと汚して。なんだか、死して尚、すがりつくみたいに思えた。
国を裏切るのか? 我らを裏切るのか? 我が友よ、考え直してくれ、と。声もなく訴えかけてきている気がする。嫌な幻聴だ。それに手遅れなのだ。悪魔との契約は、もう私に帰る場所はいらないという意思表示なのだから。
指先から滴って、地に染み込んだ赤色を見つめながら、悪魔に語りかける。
「なあ、悪魔。お前が死なない存在でよかった。お前は、私を置いていったりしないからな」
「でも、お前はいつか死ぬから、俺を置いていくんだなあ」
しゃがれ声は、いつになくもの淋しげで、いやに私の心臓を冷たく突き刺してくる。
「……そんなの、寂しいな」
ぽつりと零れた悪魔の言葉に、私は思わず嘲笑の声を漏らした。
「おかしなことを言う。私が死ねば、私の魂が手に入る。お前の目的はそれだろう?」
私の心を弄んで楽しんでいるのだろう。悪魔には、感情なんてないのだから。
きっとこの性格の悪い悪魔は、私といるうちに覚えたその表情で、その仕草で、私を惑わせて楽しんでいる。そうに決まっている。
きっとそう。
悪魔の頬を伝う、色のない血の意味など、私にはわからなかった。
ただ、もう一度。傷もないのに胸が痛んだ。
***
誰よりも臆病な復讐者と、心を理解できないはずの悪魔の話。
「血」という言葉を使うのは最後の悪魔の涙だけで、血っていうのは、生物の生きてる証だと思うので、そう考えると悪魔という存在と私の関係がいとをかし。