複雑・ファジー小説
- Re: 拝啓、黒百合へ訴う【短編集】 ( No.47 )
- 日時: 2019/08/03 17:44
- 名前: ヨモツカミ (ID: w9Ti0hrm)
♯35 夜に落ちた
「山田が夜に落ちた」
ある日、小林が僕に向かってそう言ってきた。
茜色も沈んだ空の下、淡い青の中にもう月が出ているから、帰ろうって言ったのは僕の方で。
直に夜が来る。その前に、まるで待ち受けていたみたいに空を見て、小林はそう言ったのだ。
「ちょっとよくわからない」
僕にはわからんかった。
山田は今日、学校を休んでいた。その理由は誰も知らなくて、サボりだろうって、皆が言っていた。バスケ部の顧問が特に怒っていた。山田はバスケ部のエースだったから。
僕も少し怒っていた。学校をサボるなら、僕も誘えと言いたかったのだ。
そういえば、小林だけは山田が学校に来なかったことについて、何の疑問も抱いてないようにみえた。夜に落ちたと、ちょっとよくわからないが、小林は山田の休んだ理由を知っているらしい。
「山田はもう、夜から帰ってこない気でいるらしいんだ」
「そっか……?」
夜っていうのは、これから来る暗い時間のことだ。大体二十時頃には夜と呼べる時間になるだろう。そこから帰ってこない、という不思議な言い回しのことを、僕には理解できなかった。
「おれも、夜に行ってみようと思う」
小林は確かな決意を持ってそう言った。わからない僕は、わからないなりに質問してみる。
「それ、死ぬっていうこと?」
「いや? 夜の一部になるんだよ。ほら、そろそろ来るぞ。星の光を引き連れて、月の明かりが迎えに来る」
小林はたまに変なことを言うが、今日は一段とわけが分からなかった。
でも、山田が学校に来なかったように、何処か知らないところへ行ってしまうのだと思った。
小林は童顔気味な顔で僕を見上げて、少し微笑んだ。
「長谷川はこないの?」
「馬鹿なこと言うなよ。親が心配するぞ。明日学校だってあるぞ。先生に怒られるぞ」
僕の言葉に、小林は目をパチクリさせた。それから肩を竦めて、呆れたみたいに笑う。
「長谷川は、見なくていいもんばっか見てるね」
また、小林の言ってることがわからなかった。いつもそうだ。小林は、僕の理解の範疇からはみ出したところで物を言う。山田も僕と同じように小林の言葉に首を傾げたり、理解した風な素振りを見せたりしていた。僕と山田は、小林に取り残されることが多々あった。
でも違う。今回は僕だけが二人に取り残されようとしている。
「夜で待ってるから。長谷川にも星が見えたなら、おいでよ」
そう言って、小林は何処かに行ってしまった。暮れていく空が青く透き通っていた。その向こうの、深い群青に小林は向かっていって。星の瞬きがすぐそこまで迫っていて。見え始めた月は、下弦の月。
次の日、小林は学校に来なかった。
山田と小林は、行方不明なのだという。
学校中で、僕だけが二人の居場所を知っていて、でも僕だけが二人の居場所を知らなかった。
夜に落ちるなんて、僕にはわからない。
そのまま、一週間が過ぎた。山田と小林は未だに見つかっていない。
二人は夜から帰ってこない気でいるらしい。
二人と一番仲良かった僕の家には、何度か電話がかかってきた。山田のお母さんは、泣きそうな声で「本当に知らないの?」と繰り返し聞いてきた。知らない、と答えることが正しいのか、よく分からなかったが、それ以外の答えも見つからなくて。
山田と小林がいなくなってから数週間が経って、夏休みに入った。
警察も二人を探し回ったが、未だに見つかってないらしい。学校では、もう死んだなんて噂が立っていた。そう考えるのが一番、現実味を帯びていたから。
でも、僕だけは知っている。彼らは夜に落ちたのだ。暮れの空の中で、瞬く星々の海。その海で大きく照る月。その中に、彼らはいるはずだ。死んだわけじゃない。かと言って、生きているという保証は無かった。
夏休みの課題に手を付けながら、僕も夜に落ちたなら、もう一度二人に会えるのだろうか、と考えた。
数学の問題をひたすらに解いて、解いていたら、本当なら山田と小林と僕の三人で、一緒に課題をしていたはずなのに、なんて思って、急に寂しくなってきた。
Xの正体を暴いても、夜の正体はわからない。一人、部屋で机に向かっていると、虚しくなってきた。
僕はシャーペンを机の上に投げ出すと、ベランダに向かった。
長谷川は見なくていいもんばっか見ている。小林の言った言葉をぼんやりと思いだした。学校とか、夏休みの課題とか。そういうものに真面目に取り組むことについて、小林は言っていたのだと思う。
そんなものは一切合切投げ出して、夜に落ちていった二人は今、何をしているのだろう。僕は、二人のようになりたいと思いながら模範生徒でもあり続けようとして、なんていうか、中途半端だったんだ。
カーテンを退けて、窓の鍵を開けて暗がりの中に出ていく。
クーラーの効いた部屋とは違って、夏の夜はむあっと湿気の強い熱が蔓延っていた。
街の灯の上、闇の中にポツポツと光を放つ星々を見つめる。宝石箱をひっくり返したみたいな光の粒の配列。そこに丸く輝く月が浮かんでいる。この中に、山田と小林がいるのだろうか。僕を置いて、二人、夜の中に揺蕩っているのか。
「ふざけんなよ……!」
手を伸ばした。星々に手は届かない。
筈だった。
「え」
夜空が迫ってくる。点々と瞬く光の粒が大きくなっていく。違う、近付いているのだ。どっちが。僕が。
ああ、こういうことか。
僕は夜に落ちていく。
***
夜に落ちる。なんとなく思いついたフレーズを文章にしたかっただけです。満足しています。
男子中学生の子供じみた友情っていうものもいいなと思って、そういうものも書いてみました。