複雑・ファジー小説
- Re: 拝啓、黒百合へ訴う【短編集】 ( No.49 )
- 日時: 2019/10/29 18:03
- 名前: ヨモツカミ (ID: w9Ti0hrm)
♯37 銀と朱
獣臭さと月夜に煌めく銀色が、脳裏から離れないまま、俺は部室に向かっていた。
部室棟の階段を上がるとき、ふとテニスラケットを持った女子たちの噂話が耳に入る。
「うさぎ。全部死んでたんだって。野犬に殺されたのかもしれないって」
「でもうちの担任が、あれは野犬なんかの仕業じゃないって言ってたよ」
学校で飼われてるうさぎたちが死んでいた。その話なら俺も今朝教室で耳にした。うさぎ小屋の鍵は閉まっていて、フェンスには何処にも穴は空いてなかったらしい。密室殺人じゃん、なんて思ったりもした。うさぎだから殺人じゃなくて殺うさ? なんて、馬鹿なことを思考しながら部室の戸を開く。
戸を開けた瞬間、何故か男子用の部室なのに、制服姿の女子が両手で顔を覆いながら飛び出してきた。多分、泣いていたのだと思う。ちょっと驚きながら部室の中を覗くと、涼しい顔した俺の親友が突っ立っていた。
他に人の姿はない。彼女と親友で何か話していたのだろう。そして、彼女は泣かされた。
彼は俺に聞かれる前に肩を竦ませながら言った。
「部室まで押し掛けて来るなんてね。オレのこと、前から好きだったんだってさ。名前も知らない子だから、フッちゃったけど」
「泣かせるなんてサイテーじゃんか」
「まあ、涙の数だけ強くなれるよ。アスファルトに咲く花のようにね」
「何言ってんだか」
苦笑を浮かべながら靴を脱ぎ、荷物をロッカーの前に置く。多分他の部員はまだ来ないから、しばらくこの空間にこいつと二人きりだ。そう考えると、脳裏にあの鉄の臭いと赤色がちらついて、背筋がゾッとする。親友の顔を見ると、特になんの表情もなかった。ただ、それなりに精悍な顔立ちは、やはり女子からも人気が高いのだろう、と思う。だから今日も告られたんだ。
「勿体ないな。俺なんてこの学校来てから一度も告られたことねえのに」
「それは女子の見る目がないねえ。お前、結構いいとこあるのにさ」
「マジ? 照れるぅ。どの辺よ?」
「お菓子くれるところ」
そんなの、餌付けされている野良猫がなつくのと同じ理由じゃないか。この野郎。そう思ったが、鞄にクッキーが入っているのを思い出したので、親友に投げ渡した。彼は子供っぽく無邪気に喜んでクッキーを頬張っている。ここまで素直に喜ばれると、嫌な気はしないし、まあいいかという気分になる。
「今日は早かったな」
部室に来るの、と脳内で付け足す。
クッキーを咀嚼して、飲み込んでから彼が答える。
「飼育委員の仕事、無くなったから」
そういえば、彼は飼育委員だった。飼育すべきうさぎたちが死んでしまっては、することもないらしい。
そっか、と返すとうん、と短い返事が返ってきて、そのまま俺たちはなんとなく何も喋らなかった。
いつもは気にならない無言の間が、どうにも気まずく感じてしまった俺は、何か話題はないかと親友の様子を観察する。クッキーの包み紙をクシャクシャにして、自分のカバンの中に突っ込むと、そのままスマホを取り出して、操作し始める。制服のワイシャツは、夏用の半袖を買ってないのか、長袖のものを捲って着用しているらしい。俺は親に半袖のワイシャツも買ってもらったので、夏服に移行してからずっと半袖のを着用していたが、今日みたいに雨が降りっぱなしで肌寒い日には長袖のほうが良かったかと後悔するのだ。
そういえば、彼は腕を捲くっていて寒くないのか。気になって、訊ねてみる。
「なあ、今日寒くね?」
「ん、ああ、確かにそうかも」
親友は気温に鈍感なのかもしれない。俺に言われると、捲くっていた袖を元に戻して、腕のボタンを止め始めた。
そのとき、彼の右腕の辺りに赤黒い染みのようなものがあるのに気がついた。チョコレートって色ではない。そもそも腕にどうやってチョコがつくのか。血だ。時間が経って変色した血が付いている。家に帰って洗濯しても、なかなか落ちないだろう。
俺は自分の右腕を指差しながら袖、と短く言う。
「袖、血がついてるぞ」
「ホントだ」
「どっか怪我でもしたのか」
「別に……」
怪我じゃなかったらなんの血が付くのか。小さな疑問を抱えたまま、俺は黙り込む。
また、脳裏に暗がりで光る銀色が思い浮かんで、払拭しようと首を振る。
なんで。日中もそうだった。何度もフラッシュバックして、その度に背中に嫌な汗が滲んだ。今もそうだ。見間違い。そう思いたかった。
お前さ。不意に親友が呼び掛けてきたので、肩を跳ねさせる。彼の方を見ると、薄く笑みを浮かべていた。
「お前さ、オレに何か隠し事してない?」
俺は目を見張った。なんでそんなことを聞かれたのだろう。薄気味悪さすら感じる質問に、盛大に顔をしかめさせる。
「なんだよ、面倒な彼女みたいなこと聞きやがって。別にお前に全て包み隠さず話さなくちゃいけない関係じゃねえだろ」
「……そうだね。でも、そういうことじゃないんだよ」
じゃあどういうことだよ、とは聞かなかった。これ以上この話題が続くのが嫌だったから。
部室にはまだ誰も来ない。
「昨日さ、オレは飼育当番だった」
親友がつぶやくみたいに言う。
「だから、鍵はオレが管理してたんだよ」
うさぎたちが殺されているのが発見されたとき、うさぎ小屋は密室だった。でも、それは鍵を持った存在からしたら密室とは呼べない。
親友の横顔を見る。妙に真剣な顔をしていた。
「なんの話してんだよ」
親友は答えない。ただ黙って、俺の顔を見た。
嫌な沈黙が続く。俺は思わず目を逸した。
「ねえ、オレに隠し事してない?」
まただ。気持ちの悪い質問。俺は答えなかった。
俺が黙っていると、親友は突然立ち上がって、近付いてきた。
「昨日ね、鍵を失くしちゃったんだ」
「へえ」
俺が素っ気ない返事をすると、親友は制服のポケットに手を突っ込んで、何かの鍵を取り出した。
それを俺に見せながら、彼は優しく微笑んだ。
「だけどね、今日、知らないうちに鞄の中の鍵が戻ってきていたんだ」
「なんだよ、その言い方。誰かに盗まれたみたいな」
「盗まれたんだよ。ウサギ殺しに」
親友の顔から笑顔が消える。
そうして、冷たい声で言い放たれた。
「ねえ? ウサギ殺し」
俺は思わず親友の顔を凝視した。
***
どっちがやったか、わからない話を書こうとしていたはず。
仄暗い闇を抱えた男子高生っていいなと思って書いてました。