複雑・ファジー小説

Re: ロストワンと蛙の子【短編集】 ( No.65 )
日時: 2020/05/16 20:39
名前: ヨモツカミ (ID: Whg7i3Yd)

♯48 愛のない口付けを

 ある国に、誰からも好かれない王子がいました。何の努力もせず、ダラダラと生活をして、召使には時々意地悪をし、思い通りにならないことがあると癇癪を起こしました。彼には何もしなくても国を継ぐ権利があったので、好き勝手して生きていたのです。
 そんな彼を見かねて、とある魔法使いが、彼を醜い醜い蛙の化物に変えてしまいました。
 王子を見た城の者たちは皆、悲鳴を上げます。王子の寝台より大きなその体。沼色の皮膚にはイボが幾つもあって、見ているだけで人々は怖気立ちます。口を開けば、その大きな暗闇の中に吸い込んで、大人一人くらいなら簡単に丸呑みにしてしまいそうです。城の者たちは皆、王子から逃げてしまいました。
 王子は困って魔女に問いただします。どうすれば元の姿に戻れるのか、と。そうすると、魔女は答えました。

 ──想い人の口付けで、元の姿に戻してやろう。

 魔女のその言葉を聞くと、王子はすぐ様城を抜け出して、隣国の姫の元へ訪れました。
 しかし、隣国の城の者たちは王子の姿を見るなり、一目散に逃げ出します。自分が隣国の王子であると伝えても、誰も信じません。当然姫にも会わせてくれません。

「無礼な、僕は隣国の王子だぞ。いいから姫に合わせてくれ」

 城の兵隊たちは震えながらも槍を持って言い返します。

「こんなに醜い化物が王子なわけ無いだろっ」

 王子は怒って、兵隊たちを薙ぎ倒しました。その大きな体なら、兵士の数人くらい簡単に倒すことができます。向けられた長い槍も、あっさりと圧し折ってしまいました。巨大な蛙になった王子は一通り兵士たちを蹴散らすと、姫を探して城の中を這い回りました。
 やっと見つけた彼女は、侍女に匿われて物置の奥に隠れていました。必死で姫を守ろうとする侍女をも薙ぎ倒して、王子はようやく姫のもとにたどり着くことができました。
 そうして、姫が逃げられないように物置の奥へ追いやって、叫びます。

「ああ、大好きな姫よ、僕に口付けをしてくれ! そうすれば、僕の魔法は解けるのだからッ!」

 最初のうちは姫は怯えている様子でしたが、王子が何度も訴えかけると、まじまじと王子の顔を見つめました。左右の大きな琥珀の目玉、イボだらけの皮膚、水掻きのついた大きな手。姿だけではわかりそうもありません。姫は声をよく聞いて、それが確かに隣国の王子の声であると気付くと、冷たい目で見つめます。
 そうして、低い声で言いました。

「……嫌よ」
「な、どうして!?」
「口づけというのは、お互いに愛を誓いあった、愛しい人にだけするものよ。誰が、貴方なんかを愛するというの? 貴方にキスするくらいなら、死んだ方がましよ」

 王子は悲しくなって、姫を殺してしまおうとしました。でも、僅かに残った人間らしさが彼を邪魔します。殺すことは、できなかったのです。王子は確かに彼女のことが好きだったのでした。愛おしさ故に、怒りや憎悪よりも、ただ死んでほしくないという気持ちが勝りました。否、彼の臆病さが、命までは奪えなかったのかもしれません。
 蛙の化物は、悔しくて、悲しくて、遣る瀬無くなって、両目から涙を溢れさせます。それを冷めた目で見ていた姫が、ポツリと言います。

「憐れね。……いいわ、私のキス一つであなたは元の姿に戻れるのでしょう?」

 憐憫を孕んだその蒼穹の中に、蛙の化物が写りこんでいました。鏡のように美しい彼女の瞳の中で、僕はどこまでも、どこまでも醜い。それはけして、見た目だけの話ではないのだと。王子は、気付いてしまいました。
 今まで、誰にも好かれてこなかった。王子という立場に胡座をかいて、努力を怠り、怠惰な生活をしてきた。気に食わないことがあれば、横暴に振る舞い、権力の低い者たちには散々意地の悪いことをしてきた。
 隣国の姫は、その事をすべて知っていました。何度か王子に会ったことがあるので、実際に王子の性格の悪い一面を何度か目撃していたのでしたから。
 姫は、そういう王子のことを嫌っていましたし、このまま王子が蛙の化物のままだとしても、自業自得だと思っていました。でも、彼女は優しい女性でしたので、彼を憐れんで、その醜い蛙に口づけをしたのでした。
 人間の姿に戻った王子は、泣き続けました。そうして、口にします。

「ねえ、姫。僕を殺してくれないかい」

 と。姫は何も答えずに、冷たく王子を見つめます。

「僕は、醜い。人間に戻りたかったら、想い人の口づけを求めろって、魔法使いに言われて、その通りにした。でも君は最初、拒んだ。大好きな君の愛が、キスが手に入らないなら、いっそ殺してしまえばとすら思った。……君の口付けは、冷え切っていた。愛のないキスを手に入れて、でもそれじゃあ、意味がないんだ」

 王子は止まらない涙を拭いながら、姫を見つめ返します。

「僕はまだ、醜い蛙の化物のままなんだ。心が、醜悪だから……」
「だから、死にたいっていうの? 随分弱気ね」

 姫は薄く笑いながら言います。

「醜いままなら、変わる努力をしなさい。そうして奪ってみせなさいよ、私の心を」
「……駄目だ。こんな醜い僕を、誰が愛するというの」
「ええそうね。誰も愛さないでしょうね。それでも、死ぬことなんて許されないわ」

 俯きかけていた王子の顔を両手で挟むと、姫は自分の方を向かせます。

「楽になろうとするんじゃないわよ。だから貴方は醜いのよ」

 姫は王子から手を放すと、彼の横を通り抜けて、物置を出ました。

「もし本気で望むなら、いいわ。あなたを殺してあげる。でもね、私に愛されたいと喚くなら、生きなさいよ」

 王子は姫の顔をまじまじと見つめます。強気に笑む姫の姿は、とても眩しく見えました。

「私はあなたを愛することはないと思うわ。貴方は最低な人間だもの。でも、だからって、愛が手に入らないから死ぬの? ふん、悲劇のヒロイン気取ってんじゃないわよ」
「……君は、素敵な人だ。もう一度恋に落ちてしまいそうだ」
「そうでしょう? 何度でも恋をしなさい。それで生きられるならね」

 王子は姫の隣に歩み寄って、言います。

「ねえ、こんな僕を……誰かが愛してくれるように、なるかな」
「知らない。貴方次第でしょ、何もかも」

 そうだね、と王子は笑いかけます。きっとこれから、王子は変わっていけるのでしょう。

***
グリム童話のかえるの王様が結構好きでして、それをオマージュ? インスパイア? 的な話です。醜い化物×姫とか大好きなので。