複雑・ファジー小説

Re: ロストワンと蛙の子【短編集】 ( No.67 )
日時: 2020/05/31 19:51
名前: ヨモツカミ (ID: Whg7i3Yd)

♯50 だって最後までチョコたっぷりだもん

 今日、全てのテレビ番組がある話題について報道していた。
 居間にいる母が「どの番組も臨時ニュースだわ、なんなのよ」と愚痴を零しているのを聞き流しながら、僕は自分の表面のチョコレートを整えていた。
 きのこ・たけのこ戦争に終止符が打たれてから20年。僕らたけのこ達にこれといって脅威は無く、戦争による惨禍の事さえも忘れ、里のたけのこ達は平和に暮らしていた。
 きのこさえ滅ぼせば里の皆が安心して暮らせる。誰もがそれを信じて疑わなかったのに。母さんが見ていたテレビ画面の向こうで、ニュースキャスターが信じられない事を口にしていた。

「隣国のアルホート達が、武装して里に攻め込んで来ました」

 と。
 僕も母も、同じ顔をしていたと思う。なんとなく聞き流していた筈の僕も、耳を疑って、思わずテレビ画面に釘付けになった。いつも落ち着いた様子の男性ニュースキャスターも、今日は酷く口調が荒い。

「母さん、アルホートが……攻めてきたって」

 母に掛けた僕の声は震えていた。でも、母は返事もしなかったし、振り返りもしなかった。
 窓の外から聞き馴染みの無いサイレンがけたたましく鳴り響いて、思わず大きく肩を跳ねさせる。僕の額に植物油脂が滲む。外が気になったけれど、製造から1ヶ月を過ぎたばかりの幼い僕には、そちらに顔を向ける勇気はなかった。

「アルホートの国って、すぐ隣だし……避難したほうが」

 母はやっぱり返事をしなかった。僕の不安げな声など聞こえていないのか。
 ねえ、逃げようよ。もう一度声をかけるのに。母は頑なに振り返ろうともしないし、返事もしてくれない。一瞬苛立ちを覚えもしたが、母は無視をしているのではない、という事を悟った。明らかに様子がおかしいのだ。ニュースキャスターの繰り返す声にも余裕が無くなっていって、それに煽られるみたいに僕の身体を構成する小麦粉が、カカオマスが、膨脹剤が、粟立つのがわかった。
 外から響くサイレンの音に、たけのこの叫び声が交じる。里のたけのこ達が避難を始めているのだろう。
 僕は母の側に近寄って荒々しくその肩に触れる。

「ねえ、かあさ──」

 ドロッ、と。
 母さんの身体の表面は、僕が触れた部分のチョコレートが剥がれ落ちていた。そして自分の手に纏わりついている生暖かいものは、母さんのチョコレートで、

「あ、ああ、か……か、あさん」

 よく見れば既に母の身体の表面はドロドロとチョコレートが溶け始めていた。僕のクッキー生地は引き攣って、悲鳴を上げることさえできない。呼吸もままならず、立つことも困難になってその場に腰をぬかしてしまった。
 どうしてお母さんがこんなことに。どうしよう、どうしよう!
 怯え竦んで僕が動けないでいると、突然、窓を叩く騒音が響いた。

「何してんだたけ助! 早く逃げろ!」
 隣に住んでるおじさんが、すごい剣幕で叫んでいた。

「でも、かあさんが……」
「クソッ、たけ江はアルホート軍の熱戦にやられちまったか……! あいつら、特殊な熱の光線を里中に撃ち込んでいて、浴びたやつは表面のチョコが溶けてグズグズになっちまうんだよ!」
「なにそれこわい! ぼ、僕も逃げなきゃ」

 僕はおじさんと共に逃げ出すために、窓の鍵を開けて、飛び出した。
 里は大荒れで、逃げ惑う人々の甲高い悲鳴や、家から上がる炎、空を飛ぶ戦闘用飛行機のエンジン音や、けたたましいサイレンでごった返していて、幼いながらにこれが地獄なのだと悟った。
 里の上の方に逃げてくると、流石にアルホート軍も攻めては来なかった。上の方には、多くの避難してきたたけのこが集まっている。皆、悔しそうな顔をしていたり、泣いていたり。熱線を浴びてもなんとか逃げてきたのか、若干表面が溶けているたけのこもいた。僕も、お母さんを置いて逃げてきた。本当に、皆が悲しみの渦の中にいるのだと知った。
 僕の手を引いて逃げてくれたおじさんも、顔のチョコレートを歪めながらにぼやく。

「ひでえ有様だよな……これが、同じお菓子のやることかよ」

 灰と赤に染まる異様な空を眺めながら、僕らは地獄と化した里を見下ろしていた。そこら中の家から煙が上がり、焦げたチョコレートの甘い臭いがする。
 酷い。どうしてこんなことを。僕は歯を食いしばって、目元から麦芽エキスを溢した。お母さんを。里を。何もかもを奪ったアルホート達が憎くて。次から次へと麦芽エキスが溢れた。

「……してやる」
「え?」

 思わず声が漏れて、おじさんが聞き返す。
 僕は濁った空を睨み付けて、叫んだ。

「一袋残らず、アルホートのやつらを……駆逐してやる!」

 それは僕の、強い憎しみと深い悲しみの、復讐劇だった。


(続きます>>68

Re: ロストワンと蛙の子【短編集】 ( No.68 )
日時: 2020/06/05 19:12
名前: ヨモツカミ (ID: Whg7i3Yd)


***


 甘ったるい焦げたチョコレートの臭いに顔をしかめながら、俺はたけのこの里を征く。

「一体何が起こったって言うんだ……?」

 里のそこら中が、粉々になったビスケットと、溶けたチョコレート塗れになっている。一体いくつのたけのこが殺されたのだろう。予想もつかぬ程の犠牲。考えるだけでカカオマスがくらくらしそうだ。
 俺はしばらくの間、里を離れていて帰ってきたらこれだったのだ。何もわからない。きのこ・たけのこ戦争は20年も前に終戦して、たけのこ側が圧倒的な勝利を収めたはずだった。だから、きのこの奴らが今更戦争を仕掛けてきたなんてことはないだろう。だとすると、考えられるのは別のお菓子。
 一番考えられるのは隣国のアルホート達だろう。あいつらは味とかお菓子のコンセプトが似ているからって、昔から里の者たちに因縁をつけてきていたし、なにより恐ろしい支配欲があった。
 ならば考えられるのは、アルホート軍による一斉攻撃を受けて、殆どの里のものが塵と化したのではないだろうか。
 そう考えて歩いていると、不意に自分以外の足音が聞こえたので、民家の影に隠れた。
 現れたのは、ビスケットにオシャレな船の絵を描いたチョコレートを貼り付けている特徴的な姿のお菓子。アルホートだった。数は三個だ。がっちりと武装して、辺りを見回しながら歩いている。
 どうやら里を襲ったのはアルホート軍であると考えて間違いないようだ。我が物顔で里に踏み込み、きっと逃げ遅れたたけのこを探し回っているところなのだろう。許せない。
 俺は常日頃から身に着けているナイフを構えて、踏み込む準備をする。完全に奴らの背後を取って、暗殺してやろう。そう、俺の本職は暗殺チョコレートだった。
 アルホート達が背中を見せ、今だ、と思ったとき、別の民家の影から飛び出してくる、お菓子の姿があった。

「お母さんの仇だ!」
「なにっ」

 不意を付かれたアルホートは、攻撃を躱すことが出来ずに、棒状の物で強く殴りつけられて、ビスケットにひびが入ってその場に倒れた。
 やったのは、長くて丈夫な棒。それを両手に握りしめただけの、まだ幼いたけのこだった。
 残りのアルホート達が身構える。

「何だこのガキ! たけのこの残りか! この熱線銃で溶かしてやらぁ!」 

 アルホートが銃を発砲する前に、俺は動く。
 たけのこの少年がやられるよりも先に、ナイフでアルホートのビスケットとチョコレート部分の隙間にナイフを潜り込ませ、掻き切った。悲鳴も上げられずに、アルホートは絶命する。
 残り一個とはどう闘おうか。そう思って正面に構えたとき、また別のところから甲高い声が上がった。

「お願い! もう私のために争わないで!」

 アルホートたちが歩いてきた民家の角からだ。女性の声だろう。別にお前のために争っていた覚えは一切ないが、思わずそちらに視線を送る。

「きのこ……? 否、なんだ、お前のその姿は……」

 そうして、思わず声を漏らす。その女は独特な見た目をしていたのだ。きのこのようにビスケット部分は細長いが、チョコレート部分はたけのこの形をしている。これは、きのことたけのこ、両方の特徴をかけ合わせたようだ。
 女は怯えた面持ちを見せながらも歩いてきて、アルホートと俺の前に割って入った。

「わ、私は……きのこの父と、たけのこの母の間に産まれた……たきのこ」
「たきのこって何だよ! 変な造語作り出すなよ!」
「そんな言い方ないじゃない! 私だって、きのこにもたけのこにも成りきれない自分のこと、悩んで生きてきたのに!」

 知らんがな、と思いつつも俺はナイフを構えるのはやめた。アルホートの方も、銃を下ろす。両者の戦意が喪失したことを確認して、たきのこを名乗る女が、アルホートの方に向き直る。

「もう、こんな事やめましょうよ。山にも里にも居場所がない私は、アルホートの国に助けを求めたわ。でも、私は私の居場所が欲しかっただけなの。こんなふうに、里を滅ぼしてほしいなんて頼んだ覚えはないわ」

 悲しげに語るたきのこを一瞥して、アルホートはくっくっと笑い出す。何がおかしい、と俺が口にする前にアルホートはたきのこを蹴り飛ばした。

「なっ!?」

 倒れたたきのこに、たけのこの少年が駆け寄った。たきのこは特に大きな怪我をしたわけではなさそうだ。安心して、俺はアルホートを睨み付けてナイフを構える。

「どういうつもりだ?」

 アルホートはしばらく黙って肩を震わせていたが、急に決壊したように口角を吊り上げて、下品な笑い声を響かせる。

「ハハハハハッ! たきのこよ、そうだ、お前の存在を口実に、我々アルホートはたけのこの里を攻めたのだ。そうしたら、思いの外簡単に潰せてしまってなあ……! まったく、歯ごたえのない連中だよ!」
「な、なんですって?」

 動揺するたきのこと俺の事を嘲笑うように見据えてから、アルホートは銃をこちらに向ける。

「もうきのこの山もたけのこの里も我らアルホートの民が支配する!! 故に、貴様らには溶けてもらう! その身体も砕いて、新しいアルホート製造の材料にしてくれるわ!」
「させるもんか!」

 そう叫びながら前に飛び出してきたのは、たけのこの少年だった。アルホートも、ただの子供は眼中になかったのか、突然現れた刺客に僅かに隙を見せた。しかし、アルホートはたけのこの少年が殴りかかってくるのを綺麗に躱して、少年を蹴り飛ばす。やはり素人では歯が立たないのだろう。
 それでも、地面に倒れ伏しながらも少年は悔しそうに呻く。

「目的なんか知らない。どんな理由があっても、お前たちアルホートは、母さんを殺した! その事実は変わらないんだ! だから僕が、復讐してやるんだッ」
「ふん、ガキが。どれほど立派なことを唱えようとも、お前は無力だ。力のない者は、強者に蹂躙されるだけよ」

 アルホートが少年のチョコの表面に銃を突きつける。

「や、やめろ! 子供まで巻き込むことないだろ!」

 そう言って俺がアルホートに飛びかかっていっても、奴はサラリと避けて見せる。さっき倒したアルホートとは全然動きが違う。こいつは相当強い。
 フェイントをかけながら、ナイフをアルホートの喉笛に滑り込ませる。敵の表面のチョコレートが少し削れて、甘い香りが鼻を掠める。浅い。こんな攻撃では駄目だ。そう思考しながら距離を取ろうとした瞬間、アルホートの持つ銃が発砲された。それをナイフで防いだのが悪手だった。威力に負けて、ナイフが手元から離れてしまったのだ。

「丸腰で我に敵うとは思うまいな?」
「くっ……」

 勿論、ナイフを拾いに行く隙なんて無い。負けた。たきのこ女とたけのこの少年だって、何かができるわけではない。俺達は完全に、負けを確信してしまった。
 斜め後ろにいたたきのこを一瞥して、視線を交わすと、黙って頷いた。運命を受け入れるしか無いのだと、俺達は諦めるしかなかった。

「ああ。私達、最期まで、チョコたっぷりだったわ……」

 たきのこが口にした言葉は、遥か昔に滅んだとされる伝説の民族の矜持だった。チョコレートのお菓子である以上、誰もがその言葉を大切にしたと言われている。皆、どんなときもチョコレートのお菓子であることを忘れず、誇らしく思え、という意味の言葉だ。
 それを辞世の句に選ぶか。そう思うと、乾いた笑いが溢れる。

「……殺せよ」

 俺の言葉に、アルホートは不敵に笑い、銃口を突きつけてきた。
 そして、引き金に指をかける。














「その点トップォってすごいよな、最期までチョコたっぷりだもん!」

 そんな声が、銃声の代わりに突如戦場に響いた。
 驚いて、皆顔を上げる。

「なっ、貴様、貴様まさか、そんなっ……」

 アルホートが分かりやすく狼狽えた。当たり前だ。その姿を目にすれば、皆が同じ反応をするだろう。
 細長いプレッツェルに、上から下までたっぷりと詰まったチョコレート。
 そうだ。彼は伝説の民族トップォ! 高台の上から俺達を見下ろしている。彼を後ろから照らす太陽が、後光のように差していた。それがなんとも神々しくて、頼もしくて。
 トップォは飛び上がると、その細長い体躯を自在に振り回して、アルホートを粉々に砕いた。

「ぐあああ! なんて強さだ! やはり、伝説の民族……! しかし、貴様らは遠い昔に滅んだはずではーーッ」
「なんか知らないけど都合よく生きていたという話さ! ハハハッ! 邪な考えを持つお菓子は小麦畑からやり直しておいで!」

 俺は思わず拳を握って目を輝かせた。たきのこも、子たけのこも、皆同じ顔をしていた。
 やっぱり伝説の民族は強い。俺達を助けてくれたのだ。
 トップォは一通り暴れ回ると、俺達に流し目をして、そうして何も言わずに去っていった。

「かっこいい……やっぱり彼は、最後までチョコたっぷりね」
「ああ」

 その後も、トップォはアルホートの国に一人で乗り込んで、この争いを鎮めるために奮闘したという。
 何もかもを終わらせたあと、トップォはまた、どこか遠いところへと消えてしまった。戦を鎮めた英雄の名は広まれど、その消息を知る者は誰もいない。
 でも俺は、思うのだ。きっとこの世界のどこかで最後のときまでチョコたっぷりで暮らしているのだろう、と。

***
伝説の第一回氷菓子を添へて、に投稿した作品をリメイクして続きを書きました。色々と頭がおかしい。