複雑・ファジー小説

Re: 人喰症候群 ( No.3 )
日時: 2016/08/24 19:36
名前: 朝野青 ◆jodSh4MSQs (ID: SA0HbW.N)
参照: かなりのスローペース

「おい……!」

 目の前にいる待雪のその奥に立っていた待雪さんの様子がおかしいことに気付いた時にはすでに彼女は倒れ込んでいた。

「雫!」

 それまでずっと俺の胸倉を掴んでいた待雪がその手を放す。と、俺はそのまま後頭部を地面に打ち付けた。
 後頭部を抑えながら半身を起こし、待雪さんの様子を伺う。すでに彼女のそばにいる待雪が心配げに声を掛けている。

 立ち上がって、二人に近寄る。待雪さんの顔を覗き込むと、紙のように真っ白な色をしていた。

「大丈夫なのか?」
「あぁ……気を失ってるだけ……、貧血でよくこうなるんだ——って」

 話している相手が俺だということに気付いた待雪は苦虫を噛み潰したようなカオをして俺を睨んできた。

 怖いなぁと思いながら、たくさん殴られた左頬に手を当てると痛みが走ったのですぐ手を離した。

 待雪は気を失っている待雪さんのことをお姫様抱っこしようとしている。が、待雪には力が無いらしく、待雪さんを持ち上げることは出来ない。

「手伝おうか?」

 しかし、待雪には相変わらず怖い顔で睨まれるだけだった。

 今日から衣替えで夏服のセーラー服を着ている待雪さんはとても細い。今までも細いとは思っていたが、半袖の服になって肌の見える範囲が広がると、それは更に際立っていた。腕なんて、骨と皮しかないのではないかと思うくらいに無駄な肉が一切ついていなくて、ちょっと力を入れただけで簡単に折れてしまいそうだ。スカートから覗く太腿も、当然ながらに細い。太い腿だから太腿というのに、これでは細腿になってしまう。
 なんてこと考えているうちに、待雪は待雪さんをおんぶしてよろよろと危なげに歩いていた。手伝おうとも思ったが、どうせまた睨まれるだけだろうと苦笑いを浮かべた。

 二人のことは放っておいて、学校に行こうと考えた時、俺はある物に目を留めた。二つのスクールバッグ。先を歩く待雪を見ると、彼は待雪さんをおんぶしているだけで他の荷物は何も持っていなかった。
 俺は大きく溜め息を吐いて、それを拾い、乗ってきた自転車のカゴに入れたのだった。




 学校に着き自転車置き場に自転車を置いていると、ちょうど三限目の始業のチャイムが鳴った。
 今から教室に入ったら目立つなぁ嫌だなぁ、と思い、俺は自分の教室へは向かわず保健室へと足を運んだ。
 保健室のドアをガラリと開けると、中にいた一人の女性がこちらを見た。

「……山小菜君、また来たの?」

 歳は五十歳くらいでどこにでもいるおばちゃんといった感じの保健の先生。だけど、シワのある顔は整っていて、昔は美人だったんだろうと思わせる顔つきをしている。

「今日は本当に怪我してるんですよ」

 よく授業をサボって保健室に来るから疑惑の目を向けてくる先生に、先程待雪に殴られた頬を見せた。すると、先生は眼鏡の奥にある目を丸くした。

「どうしたの? まさか、感染者にやられたの?」
「違いますよ、ちょっと殴られただけです」

 心配げに訊いてくる先生に笑って答えながらドアを閉めて、保健室の中へ入る。三つのスクールバッグを床に置き、俺はソファへ腰掛けた。
 しばらくして、先生が湿布を持って近付いてきた。

「結構腫れてるけど、誰に殴られたの?」
「えーと……」

 俺の頬に湿布を貼りながら訊いてくる先生に、俺は言葉を濁した。すぐそばにある先生の目が問いただすようにじっと俺の目を見詰めてきて、俺は視線を空に彷徨わせた。
 どうしようか困っている俺を助けるように、保健室のドアが勢い良く開き、先生はそちらを見た。ほっと息を吐き、俺もドアの方を見ると、そこには俺を殴った張本人が立っていた。

「大丈夫……!? どうしたの?」

 大量の汗を流して、息を切らせて肩で息をする待雪に、慌てて駆け寄った先生に待雪はおぶっていた待雪さんを見せた。

「雫が、倒れて……」
「山小菜君、ちょっと手伝って!」

 それまでぼんやりと眺めていた俺は、先生に呼ばれて仕方なく立ち上がった。先生と二人で、まだ眠ったままの待雪さんをベッドへ寝かせ、息を吐いた。チラリと待雪を見ると、先程まで俺が座っていたソファに倒れ込んでいた。場所を奪われた俺はどうしようかと思い、眠っている待雪さんに目を落とした。
 睫毛が長いなぁ、とぼんやり思っていると、その目が開いた。視線を宙に彷徨わせてから、俺のことに気付きこちらを見た。

「あ……っ」

 目が合ってしまって慌てて目を逸らす。先生を見ると、待雪にスポーツドリンクが入ったペットボトルを渡しているところだった。

「待雪さん、起きたみたい」

 そう言うと、待雪がすぐさま飛んできて、待雪さんの顔を覗いた。

「良かった、雫……」

 心の底から安堵したような表情を見せる待雪。

「身体の調子はどう?」

 先生も近付いてきて、待雪さんに問いかける。待雪さんは半身を起こし、身体のあちこちを触った。

「大丈夫です」

 言い終わると同時に、ぐるるるる、とお腹の音が鳴った。それを鳴らした待雪さんは恥ずかしそうに顔を赤くして小さな声で付け加えた。

「お腹が、減りました」

 先生はくすりと笑って「その様子だと大丈夫そうね」と言った。

「お弁当とかは持って来てる?」
「今日は寝坊して時間がなかったから持ってきてません」

 待雪が答えると、先生は時計を見た。時計は十一時を指していた。

「じゃあ食堂に行って何か食べてきなさい」



「……で、何でお前まで一緒に来てるんだよ」

 コップに入った水を飲んでいたら、テーブルを挾んだ向かい側に座った待雪が不満たっぷりに言った。

「俺も腹が減ったから」

 努めて冷静にそれだけを言う。相変わらず睨まれたままだったから、俺は正面の待雪から目を逸らして待雪さんの方を見た。
 待雪さんは行儀良く手を合わせて「いただきます」と小さく言った。

「……って、待雪さんそれだけしか食べないの?」

 待雪さんの前に置かれているのはサラダが盛られた皿一つだけだった。
 思わず問い掛けると、待雪さんはサラダをじっと見詰めた後俺の方を見て答えた。

「サラダ、好きだから」
「……いや、だからってそれだけじゃ腹減るだろ」

 少しずれた回答に思わずツッコむ。すると、今度は待雪が口を開いた。

「雫は少食なんだよ」
「えぇ……」

 いくらなんでも少食過ぎないか。そんなだからすぐ倒れたりするんだ。という言葉は胸にしまっておく。あまり言い過ぎるとずっと俺を睨んできている待雪が何をしでかすか分からない。

「というか、お前が食い過ぎなんだろ」

 そう言って、待雪は俺の目線を動かした。その先にはきつねうどんとカレーライスが置かれている。ちなみに、待雪の前には唐揚げ定食がある。

「別にこれくらい普通だろ」
「普通じゃねーよ! つーか何だよ、その組み合わせ。カレーうどん食べればいいだろ!」
「俺はうどんとカレーが食べたい気分なんだよ! うどんはうどんでカレーはカレーで食べたいんだよ!」
「意味分かんねーよ!」

 ぎゃあぎゃあと言い合っていると、小さな笑い声が聞こえて押し黙った。それまで睨み合っていた待雪と、きょとんとして見詰め合ってから声のする方に同時に目を向ける。すると、待雪さんが口元を手でおさえて笑っていた。

「……雫——」

 待雪が小さく名前を呟くと、彼女は待雪を見てにこりと笑った。

「薺、楽しそうだね」
「……なっ、僕は別に——!」

 言い返そうとした待雪だったが、まだ笑っている待雪さんを見て、僅かに微笑んだ。

「さ、早く食べよう。山小菜君も」
「あ……うん」

 待雪さんが再び手を合わせる。待雪も手を合わせたのを見て、俺もそれに倣った。

「いただきます」

 待雪さんに続いて、俺達も「いただきます」と声に出して食事を始めた。