複雑・ファジー小説
- 冷たい灰 ( No.2 )
- 日時: 2016/09/28 22:51
- 名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: hd6VT0IS)
ぱちり、と目が覚める。真っ白な天井が見えて、嗚呼、そうだここは有栖川家なんだった、と思い当たった。そんな当たり前のことを、今更だけど。
ベッドに腰掛けて壁の時計を見ると、長針は6を指していた。どうやら今日は少し早く起きすぎたようだ。
まだ夢現に時計をぼおっと見つめていたが、睡魔を振り切って部屋から出た。階段を下りて、洗面所へと向かう。明かりが点いているので、誰かか起きているのだろう、と私は思った。
「あ、おはよー」
先客が、洗面所で歯磨きをしながら私の方へ明るく笑いかける。168cmの私よりも身長が高い彼は、とても綺麗な顔をしていた。
「……おはよ」
「なんだよつれねぇなぁ」
ぼそっ、と呟く。すると、少し赤っぽい髪が揺れ、むっとした表情で洗面所に迎えられた。
「アルが朝から元気すぎるだけじゃない?」
「ちがーう。エルフがテンション低すぎなだけだって!」
しゃこしゃこと赤色の歯ブラシを動かしながら、アルは叫んだ。本当に朝から元気だ。だからだろうか。彼の明るい姿を見ていると、どこか胸がざわつく。私はアルの歯磨きが終わるのを待ちながら、足でたんたん、と床を鳴らし、もやもやとした気分を吹き飛ばした。
「というか私のこと、エルフって呼ばないでくれる? 毎日言ってるけど」
「えー」
ぐちゅぐちゅぺっ、と歯磨きを終えると、アルはこちらに振り返り、笑う。
「だって、エルフはエルフじゃん。俺がアルであるように」
何でもないことのように、彼は言った。
エルフなんて、柄じゃない。それでもこうやって受け入れてしまっているのは、アルがそう呼ぶからかもしれない。
私は誰もいなくなった洗面所で1人、水色の歯ブラシを手に取った。
「エルフお姉ちゃんおはよっ!」
「ぐえっ」
スマホを操作してリビングのソファに座っていると、小さな物体が私のお腹に衝突してきた。案の定みぞおちにクリーンヒットし、しばらく悶える。
「……お、はよ、リン……」
「うん! くまさんも、おはようって言ってるよ」
リンの手には、茶色いクマのぬいぐるみ。まだ小学1年生のリンは、いきいきとしていて、可愛らしい。私から1歩後ろに下がって、リンはクマと共にお辞儀する。アルによく似た赤茶の髪が、ゆらゆらと揺れた。
「おー、リン。今日ははやいな」
「あっ、アルお兄ちゃんもおっはよー!」
ひとっ走りしてきたようで、シャワーを浴びていたアルがリビングにやってくるなり、リンが突撃する。アルはぎょっとしたけど、時既に遅し。リンはアルの足に掴みかかった。
「ん!」
「うーん、わかったわかった」
リンがアルのお腹に乗っかって、くまさんを鼻元まで近づける。アルは仕方ないなぁ、というように、リンの頭を撫でた。その姿に、私は『笑った』。
「相変わらず、笑わない子ねぇ」
黒髪の女性が、リビングに来るなりため息を吐く。私を冷たい目で見下ろすこの女性は、アルとリンの母親である、雫さんだ。
「少しくらい、笑ったらどうなの?」
不機嫌そうに呟く。途端にアルは立ち上がり、雫さんを睨みつけた。
「おい母さん、そんな言い方っ」
「私はあなたをわざわざ引き取ってあげたんですからね」
「わざわざって……」
「アル」
今にも掴みかかりそうな勢いのアルを止める。アルはこちらを見て、くしゃりと顔を歪ませた。
「まったく。あの人ったら、とんでもない『お荷物』を残していったものだわ」
頭にかああ、と血が上る。しかし、雫さんはそれに気づかなかったようで、ぷい、と後ろを向き、着替えるために自分の部屋に戻り始めた。
「エルフ……ごめんな」
「別にいいのよ」
こころとは裏腹に、私の口からこぼれるのは、冷たく澄んだ声。こころは怒りの業火で煮えくり返っているというのに。
脳裏にガラスの靴がチラつく。嫌だ。絶対に、あなたの世話にはならないんだから。
**
有栖川家に、父親という存在はいない。2年前、彼は癌で亡くなった。
とても、優しい人だった。私の頭をその大きな手で、初めて撫でてくれたのが、彼だった。
『ずっとずっと愛してる』
『あなたのこと、忘れないわ』
病室で雫さんはしきりにそう言っていたけど、最近彼女は毎晩お酒と香水の香りを纏って帰ってくる。つまりはそういうことなんだろう。
酷い人じゃなければ良い。私は朝食を食べながら、そう思った。
- 冷たい灰 ( No.3 )
- 日時: 2016/09/18 20:04
- 名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: VhCiudjX)
- 参照: ガラスの破片が胸へと突き刺さる
時刻は8時。すっかり用意ができたため、私は家を出る。
「いってきます」
「え、やっべ」
ばたばたと騒がしい音をたててアルが階段から下りてくる。アルが後ろから走ってきていることは見なくてもわかったが、とりあえずまあ無視してそのまま歩いた。
「ちょ、待てよエルフ」
「キムタクみたいに言わないで」
持ち前の運動神経で、すぐに私の隣に辿り着く。まったく、一応6時起きのはずなのに、どうしていつもいつもこんなに準備に手間取るのか。
私ははあ、とため息を吐いた。
「家ではともかく、外でエルフって呼ぶのやめて」
「えー、だってもうだいぶ定着したし……慣れ?」
「慣れとかそういうものじゃないでしょ。万一学校でエルフなんて言ったら、迷惑を被るのは私なんだからね」
「エルフ」は何も知らない奴からすれば、私の「える」という名前と見た目でつけられたあだ名だ。彼がエルフと呼ぶ度に、私は奇異の目線にさらされる。
「はいはいわかりましたよエルフ」
アルは理解しているのか理解していないのか、制服のポケットに手を突っ込みながら、飄々と頷く。
私は眉をひそめて、
「アル!」
「ほら。エルフだって俺のことアルって呼んでんじゃんか」
「……私からあなたに話しかけることなんて無いからいいじゃない」
むーっ、と唸る私に、アルはかかかっ、と明るく笑う。こちらまで明るくなってしまうような、快活な笑みだった。思わず私の口元が緩む__はずもなく。ただ心にさざめきをもたらしただけで、表情にはなにも出なかった。
「お? なら俺が毎日話しに行ってやるよ」
「うるさいどっか行け」
それだけはやめてくれ。君は一応イケメンなんだから、いじめが起きそうだ。
「冷たーい」
「冷たくしたのは誰よ」
冷たくなるのは、あなただから。なんて、心の中で呟いてみた。
毎日毎日、こういった会話を繰り返しながら、私たちは登校する。アルと話していると、どこか心がざわめいた。
私は楽しい、のだろうか。アルと会話していて。
傍から見れば一方的にアルが話しかけているように見えるその光景を、私と同じブレザーを着ている周囲の少女たちは、どこか悪意のこもった目で見ていた。
***
「じゃあまた後でな、『える』」
「……絶対に来ないでちょうだい、『留衣』」
「『える』は恥ずかしがり屋さんだな」
「うるさいさっさと失せろ」
「おお、こわ」
にやにやと薄ら笑いを浮かべるアルと強制的に別れ、『1−8』の教室に入る。もちろん挨拶してくれる友だちもおらず、私は静かに窓際の1番後ろの席に座った。何人かの視線を感じたが、それはいずれも友好的なものとは言えない。いつもそうだ。私は協調性が無いから。
プラチナブロンドの髪、青い瞳、明らかに純日本人ではない顔立ち。なぜならば、私はハーフだから。
人は自分と違う者を受け付けないらしい。私はどこへ行っても異邦人。迫害の対象なのだ。もちろん、こんなに嫌われているのはこの容姿のせいだけではない。
「ねえ、ちょっとアンタ」
今日は珍しく、誰かが話しかけてきた。顔を上げれば、後ろに何人かを連れて私の机の前に仁王立ちしている、ケバい女子。確か、この自分がこのクラスのリーダーよ、という感じは、木村 杏奈だ。日本人特有の薄い顔立ちを気にしてか、ファンデーションやコンシーラーなどを使って無理やり立体的に見せようとしているのだろう。アイプチに失敗したのか、汚らしい二重瞼が重そうに瞬いた。
「……なに?」
ぶっきらぼうにそう返す。どこまでも冷たい私の声は、彼女の表情を歪ませるのに十分だ。
「なに、じゃないでしょ」
「……は?」
「少しくらい美人だからって調子にのらないでよ」
それは私のことを褒めてることになるけど? と嘲笑う。
しかし、滅多なことがない限り表情が変わらないように『作りかえられた』私は、よく心の中だけで感情表現を済ませてしまう。案の定表情が変わらなかったようで、目の前のケバい女子はむっ、とした顔をしていた。
「で、用件は?」
「……別になんでもないわよ」
いつまでも無表情の私にしびれを切らしたのだろう。彼女はくるりと踵を返し、配下の者と共に去っていった。
「まるであの人みたいね、あの子」
そっと呟いてみる。あまりにもその声は小さすぎたため、それが周囲に気づかれた様子は無い。
頭の中でそうね、と笑うシンデレラを振り払い、私はバッグから教科書を出す。
ふと窓の空を見ると、澄み渡るほど青の中に、黒い烏が見えた。