複雑・ファジー小説
- 雨音に紛れて ( No.6 )
- 日時: 2016/09/18 21:12
- 名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: VhCiudjX)
きゅ、きゅ、と体育館の床を擦る心地よい音がする。それと同時にだん、だんとボールのよく弾む音が聞こえた。
男子バスケ部の練習だ。背の高い男子たちが、必死にボールを奪い合っている。
「こっち!」
赤髪の少年が乱暴にパスされたボールをキャッチし、離れたところからシュートする。ばしゅっ、と心地よい音をたてて、ボールが入った。
「よっしゃ!」
本当に楽しそうに、大声でガッツポーズをする。赤い髪から滴り落ちる汗が、きらきらと輝きながら落ちていった。少年の名前は有栖川 留衣。私の好きな人だ。
「お疲れ様!」
汗だくになっている男子たちにタオルとスポーツドリンクを渡していく。汗臭かったが、これもマネージャーの仕事。笑顔を欠かさない。
「ありがとう」
そう言って私の差し出したタオルを受け取ったのは、留衣くんだった。いつもは下ろしている赤みがかった髪を今はかきあげている彼は、とても綺麗な顔立ちをしていた。
「今日もばんばんシュート決めてたね」
「おう。今日は調子が良くってさ」
「いつもは調子悪いの?」
「俺はエースだから調子悪くても決められるのー」
そんなことを自信満々に言う彼は、全然嫌みったらしくない。むしろそれが当たり前で、思わず頷いてしまうような明るさを持ち合わせていた。にひっ、と笑う笑顔は快活で、こちらまで笑顔になってしまう。
スポーツドリンクを渡しながら、
「今度の試合、頑張ってね」
と激励の言葉をかけると彼は、
「もちろんさ。マネージャーもよろしく!」
と言って私たちに手を振って、部室へと帰っていった。そう、私たちに。結局私は彼にとってその他大勢と同じなんだな、と感じてちくり、と胸が痛んだ。
初めて彼を見たのは、入学式のとき。
桜の木の下で笑う留以くんは誰よりも輝いていて、格好良かった。
バスケ部に入ると聞いてマネージャーになったものの、彼は見た目通りの人当たりの良い明るい青年で、さらに好感が持てた。
誰とでも分け隔てなく話す彼はその容姿も相まって人気で、今までも何人かが告白している。しかし、
「ごめん。俺、そういうのあんまわかんなくて」
と申し訳無さそうに言って、いつも断っていたらしい。私はそんなことを聞く度に、彼女がいるんじゃないの? と思っていた。
彼が毎日とある女子と登校してきているのは知っている。いつでも一緒に登校してきていて、じつは同棲してるのでは? と噂になっているほど。
私も以前、彼と彼女が歩いている姿を目撃した。そうしたら、隣で歩いていたのは、クラスの無愛想な女だった。一目でハーフとわかる外見で、無駄に美人。正直、2人はお似合いのカップルだった。
でも、彼にひとめぼれしてその噂を聞きつけたねちっこい先輩が彼女に真相を迫ったところ、違う、とはっきり応えたらしい。ならなぜ一緒に登校してくるのか。彼女はそれについての一切を語らなかった。
悔しいけども、化粧を塗りたくって精一杯可愛く見せている私に勝ち目はない。それならせめて愛想だけでもと、私はバスケ部のマネージャーで、日々彼をサポートしている。
いくら美人とはいえど、あそこまで無表情で、彼の話をつまらなさそうに聞いていれば、いずれは私にもチャンスが出てくるだろう、なんて思いながら。
「ねえ、アナ」
教室でお弁当を食べながら、優月が話しかけてくる。アナは、私の名前、「杏奈」を文字ったニックネームだ。
「なに?」
口の中にまだご飯が残っているため、もごもごと返す。優月は遠慮が無い。
「留衣くん、まだ狙ってるの?」
ほら、また今日もこうやって私の心にダメージを与えてくるの。
「なにかいけない?」
「だって、もうチャンスが無いじゃん」
「そうとは限らないし」
やけくそで口に卵焼きを運びながらそうこたえる。こっちの気も知らないで……
「でもさ、今日だってすんごい親しげに『える』『留衣』って呼びあってたじゃん」
「そう? 留衣くんはともかく、影山さんの方はすごい不機嫌そうだったけど」
そう言って、今朝の光景を思い出してみる。楽しそうだったのはやはり彼だけだった。輝かんばかりの笑顔を彼女に向けていたのは。
「それに、あんな美人と付き合ってたら、その後の彼女なんて誰でも霞んじゃうよ」
「見た目だけがすべてじゃない。それから本人は付き合ってないって言ってるじゃん」
「わかんないよー。もしかしたらもう……」
その後に続く言葉があまりにも下卑じみていたので、私は優月の頬をむに、と挟む。やだー、やめてよ、と笑う彼女とは対照的に、私の手は震えていた。
「まあ、絶対乗り換えた方がいいよ。ほら、サッカー部の関口先輩とかさ……」
手を離すと、優月は再び嬉嬉として喋り出す。目を爛々と輝かせる彼女の姿は、恋する乙女というより、モンスターを追う狩人のように見えた。
みんなみんな、こうやって次々に男を変えていく。優月だって、はじめは留衣くんが好きだったはずなのだ。それなのに……
私は女子のこういうところが嫌いだった。
ずっと想っていたっていいじゃない。好きなんだから。
**
「あ、雨だ」
下駄箱に行く途中の廊下の窓から、しとしとと雨が降っているのが見える。朝に天気予報で雨が降ることを確認していたので、傘の準備は抜かりない。それに今日は体調が悪いので、帰ろうとしていたところだ。雨にまぎれて、さっさと帰ってしまおう。
と、下駄箱で靴を履き替えていたところだった。外から声が聞こえ、思わず外に出る。
留衣くんだった。傘からちらりと赤い髪が覗いている。1人、だろうか。今なら一緒に帰れるかもしれない。
そう思って、踏んでいたかかとを急いで真っ直ぐにし、傘をさして雨の中へ飛び出したとき。
彼の隣に誰かがいるのが見えた。背が高くて脚が長くて、白い。そして長いプラチナブロンドの髪……
「っ」
アイツだ。いつも彼の隣にいる、目障りで無表情な女。今朝、冷たい瞳で私を見ていた、影山える。なにか、すごくもやもやとしたものが体の奥を支配した。
留衣くんはいつも部活で、彼女と帰ることはなかった。彼女も待っている様子はなくって、やっぱり朝だけの関係なんだろうと思っていたのに。
遠ざかる距離。マネージャーになったことで近くなったと思った距離が、どんどん遠くなっていく。雨が彼らを包んでいて、私はどうしても近づけなかった。
ばしゃん、という音をたてて傘が手から離れ、小さな水たまりの上に堕ちる。大粒の雨が私に降りかかった。
「……うそつき」
そんな言葉がぽろん、と溢れて、雨滴になる。もう私はびしょ濡れだった。
「お困りですか」
気色の悪い声が後ろから私を呼ぶ。と同時に、私の体に何かが覆いかぶさった。
振り返れば黒い傘と、にやにや笑い。私よりも少し背の高い、まるで猫のような男子がいた。
「あんた、誰?」
呆然として、なにも考えられない。
私の間抜けなその声に、彼はさらに笑みを深めて、こう呟いた。
「協力してあげよう、君に」
- 雨音に紛れて ( No.7 )
- 日時: 2016/09/18 21:19
- 名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: VhCiudjX)
くるり、と差し出された真っ黒な傘が回る。傘に付いていた水滴が辺りに飛び散り、私の悲しみを吹き飛ばした。
「僕の名前は千代田千晶。そうだなぁ。チェシャ猫とでも呼んでよ」
にい、と口角を上げて、彼は囁く。薄い唇から大きな白い歯がちらりと覗いた。右耳のピアスが牙のように光る。……食べられてしまいそうだ。
「協力って?」
不信感を抱きつつも、尋ねる。彼のカッターシャツと茶色の髪が雨に濡れ、水が滴り落ちた。
「決まってるじゃあないか」
そう言って、くっくっくっ、と魚が呼吸できなくて飛び跳ねているみたいに彼は笑う。なにこの人。気持ち悪い。
彼は内緒話でもするかのように口元に手を添え、話し出した。
「君、アルくんのことが好きなんでしょ?」
「アル?」
「おっと失礼。有栖川くんのことさ」
口元を細い指で隠しながら、彼は微笑む。薄い唇の端が手からはみ出た様子がまるでピエロみたいで、本当に気色悪かったけれども、私はなぜだか彼から目が離せなかった。
「僕は知ってるよ。あの2人がどんな関係なのか、そして、彼女が何者なのかも」
「!?」
しかしその言葉で、私の態度は一変する。ぐわっ、と目を見開き、彼に近づいた。
「……本当に?」
「うん。僕は嘘をつかないよ」
疑い深い私は、笑みを崩さない彼の目をまっすぐ見つめる。彼の一重の目はどこか濁っていて、一切の感情を読み取れない。けど、私はその瞳の闇に吸い込まれそうになった。
「なら……」
その誘惑を必死に振り払い、ごくり、とつばを飲み込んで口を開く。
「おおっと、まだだよ」
言葉を続けようとする私の口元に彼は手を当てて遮る。彼の皮と骨だけのような指が私の唇に触れて熱を帯びた。
「僕は協力してあげよう、と言ったね。でも、僕は見返りも無しに協力してあげるお人好しでもない」
見返り、ときたか。協力して「あげる」と言いながら何たる言い草だ、と思ったけど、それはすぐに霧散する。逆に言えば、見返りを与えるだけで、協力してくれるのだ。でも、本当に信用できる? こんなやつに何がでこる? 再び見つめると、彼はますます笑みを深め、私の目の奥を覗いてきた。そのとき、私はぞくり、となにかが背筋を這い登るような感触を覚えて__
「……私はどうすればいい?」
気づけばそう呟いていた。彼のこころにぽっかりと空いた深淵。瞳の奥は果てしない闇が広がっている。どうやら私はもう、その闇に囚われてしまったようだった。
それに気づいているのか気がついていないのか、彼もまたぐっ、と顔を近づけて、
「僕と、付き合って?」
と、ニヤニヤ笑いを崩さず、私の耳元で囁いた。熱い吐息が耳元に吹き込み、またしても蛇のように、なにかが私の身体を這い回る。脳が痺れた。
「失恋した者同士、傷を舐めあおうよ、ねえ」
顔を離し、彼は舌なめずりをする。長い舌はまるで蛇のようで不快感がせり上がったが、不思議なほど美しく見えた。
「……失恋? あんたも?」
彼は失恋、いや、恋をするような人間にはとても見えない。
「うん、そうだよ。影山さんにあんなにアプローチしてるのに、なんでだろうなぁ」
口調はとても軽いのに、恐ろしいほど凄絶な笑みがその雰囲気をぶち壊す。
「そんなことよりも、雨はしばらく止まない。ほら、僕の傘に入ってよ」
しかしすぐに、歯を剥き出しにした獰猛な笑顔が嘘のようににやにや笑いへと戻って、彼は私を手招きした。ただ入って、と言われただけなのに、私の身体は勝手に動く。まるで機械のように彼の隣に並び、歩き始める。
「これで僕達も相合傘だよ」
何を言うのか。相合傘なんて、本当に好きな人としかやらなきゃ意味が無いじゃない。
私がなかなか同意しないので、にぃ、とまたしても笑みが変わる。
「ね、嬉しいよねぇ?」
まるで私が嬉しがるのが当然のように、彼は呟いた。いや、そう感じることを、強制しているらしかった。
「それにしても酷い雨だ。ここからなら僕の家の方が近いはずだよ。一休みしていくかい?」
そんな身勝手な申し出。いつもの私なら「嫌」と答えるはずなのだが、彼の暗い闇に包まれた目で見つめられると、
「……うん」
と頷くことしかできなかった。
**
「ほら、入って」
大きな家だった。急いで中に入りながらも、私は少し恐縮する。私の家はボロいアパートなのだ。この違いはなんだろう、とどうしても考えてしまうあたり、私は貧乏人だった。
しばらく歩くと、2つのドアが見えた。彼はそのドアを指さして、
「ほら、そっちのシャワー浴びてきなよ」
「そっち?」
「僕はこっちのシャワーを浴びるから」
驚いた。2つもシャワーがあるなんて。水道代とか大変なんだろうな、なんてことを考えてしまうのは、庶民の証。お金持ちはやっぱりすることが違うんだな。
とはいえ、すぐに中に入り、雨に濡れた服を脱いで、シャワー室に入る。脱衣所もシャワー室も広くてカビ1つなく、とても綺麗だった。
じゃー、と雨や汚れを落としながら、私は目を閉じる。
あれは魔性だ。猫なんて名乗っているけど、正体はきっと蛇。もちろん人間であるはずなんだけども、私の本能がそう告げていた。
一通り流しきったので、シャワーを止めて外に出る。テキトーにタオルを手に取って、身体を拭いた。しかし、髪をぱんぱん、と拭き始めたところで、やっと私は気づく。そうだ、服が無い。
貸してもらおうにも彼は今シャワーを浴びているし、制服を着ようにも、濡れていて着れない。おろおろとしていると、
「あ、そうじゃん。体操服がある」
と閃いた。私って天才。
意外と中までは濡れていなかったスクバから体操服を取り出し、着る。そこでブラジャーが無いのにも気づいたが、それはもう、諦めるしかなかった。
「シャワーどうもありがとう」
ブラが無いことを気にしつつも、先に出てきていた彼にお辞儀をする。
「服、それ着たの?」
「え、うん」
「……ふーん」
どこか不満げな様子ながらも、彼は私に「ついてきて」、と階段を上り始めた。
「あの、私、もう帰りたいんだけど……」
「帰る?」
階段を上りきったところで、ははっ、と彼は笑う。
「どうぞ?」
そして、近くにあったドアを開け、私を招き入れた。私はそれを躊躇して、1歩踏み込んだ地点で止まる。
彼の行動の意味がわからなくて、はあ、とため息を吐き、彼を見つめた。
「あのさ、本当に私……」
「帰れるとでも思ってるの?」
低い声で呟く。瞬間、腕を引っ張られ、私は部屋に引きずり込まれた。そのままドアが勢いよく閉められ、彼はガチャ、と鍵をかける。
「ここまで来たんだよ? もう拒否するなんて、言わないよね」
背中にはベッド。私はベッドに押し倒されていた。気持ちの悪い笑みを浮かべながら、彼は私の腕を掴む。
「やだっ、い、たい、やめ……」
腕が引きちぎられるほど強い力でぎゅっと握られ、私は悲鳴を上げた。頭が漂白されるほどの痛みが襲いかかる。それでも彼は腕を離さず、ニヤニヤと笑っていた。
「しょうがないよね」
全部、あの子のせいなんだから。
その言葉を合図に、彼は私にさらに顔を近づけはじめた。