複雑・ファジー小説

猫になりたい蛇のお話 ( No.8 )
日時: 2016/09/18 21:35
名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: VhCiudjX)

 
「千代田くん、プリントある?」

 突然、僕の席の前から話しかけられた。顔を上げれば、僕に怯えた目を向ける小柄な女の子。どうやら少し寝ている間に授業が終わっていたらしい。今は……周りのがやがやとした様子を見るからに、お昼休みだろう。

「んー、ごめん。何のプリント?」

 白々しく机の中を覗く。4時限目の授業が何だったかのかまったく思い出せず、僕はごそごそと引き出しを漁った。

「……数学1のプリントだよ」
「OK。あった」

 プリントは案外すんなりと見つかったので、すぐに取り出す。白い紙に記号のような、なんともいえない文字が見えた。いや違う。僕の字だ。相変わらず汚いなぁ、と思いながら、一応完成していたプリントを、彼女に手渡した。微笑みを浮かべて。

「どうぞ」

 彼女がプリントを受け取った瞬間、彼女の指が僕の指に触れた。

「あ、ありがとう」

 僕から目を逸らして、彼女は小さく呟く。その瞬間彼女は気丈に振る舞っていたが、明らかにびくびくとしていた。

「じゃあ、よろしくね」

 席を立ち上がると同時に僕が彼女の肩に触れると、彼女は顔を引き攣らせ、走り去っていく。その場から一刻もはやく離れたかったようで、彼女は途中でいくつか椅子を蹴飛ばしていった。
 僕はその姿を笑顔で見送る。騒がしいなぁ。そんなに怯えなくてもいいのに。食べてしまいたくなっちゃうから。


『いつでも笑顔でありなさい』

 母は幼い頃から僕にこう言った。僕の家はそれなりに由緒正しい家柄で、まあ要するに気高い1族らしい。だから母は、いつでも笑顔で厳しい困難でも乗り越えろ、という意味で僕に言ったんだと思うけど、僕はそういう風に捉えなかった。
 僕の笑顔が他の人と違うと気づいたのは、小学生のときだった。5年生の頃、僕に毎日のようにいたずらをしてきた女子がいた。それはとても軽いもので、僕はいつも笑っていて、怒らなかった。しかし、彼女はそれが気に入らなかったらしく、そのいたずらはどんどんとエスカレートしていった。その結果、彼女はついに僕を怒らせることに成功する。
 校庭にある花壇はいつも、美化係である僕が水やりをしていた。花は願いを込めれば込めるだけすくすくと育ち、綺麗な花を咲かせる。ばっ、と美しく咲き誇った小さなチューリップは、僕の宝物だった。
 それを彼女は、文字通りずたずたに切り裂いた。朝、登校してみれば無残に踏み潰されたチューリップ。中には球根を掘り出されたものもあり、嫌な匂いもした。僕は、チャイムが鳴るまでそこに立ち尽くしていた。
 僕は教室に入るなり、彼女に掴みかかり、窓に叩きつけた。がしゃん、とガラスの割れるものすごい音がして、教室中の視線が僕達に集まる。彼女は大きな目に涙をたたえながら、「ごめんなさい」と何度も訴えた。僕の頭は怒りで真っ白になっていて、とても彼女を許すことなんてできなかったけど。
 それでも、彼女の涙を見ると少し冷静になって、なんでそんなに怯えてるんだろう、と疑問に思った。しかしそのとき僕たちの足元に散らばったガラスの破片を見て、僕は戦慄することになる。
 僕は、笑っていたのだ。それも、歯を剥き出しにして、凶暴に。

 その後も何度かそういったことがあり、理解した。僕は笑うことしかできない人間なんだ、と。生まれつきなのかそれとも母の言葉のせいなのかはわからなかったけれど、僕が気色の悪い人間だということはよくわかった。
 寝るときも笑っていて、食事中も笑っている。まるで、呼吸をするように僕は笑うのだ。
 もちろんその笑みは表面上のもので、本当に楽しいから笑っているわけじゃない。だとしたら、なんで僕は笑ってるんだろう。
 チェシャ猫だからかな。
 最終的に、僕はそう結論づけた。



**

 僕は知っている。今日は、彼女のお弁当の中身がからっぽなことを。どうして知っているのか。それは、僕がチェシャ猫だからさ。
 彼女は昼食を我慢できる人じゃない。だから、必ずここに来るだろう。そう、購買に。貧しい公立高校である我が校には、食堂というものは存在しない。食料を確保することができるのはここしかないのだった。
 4時限目が終わるまで寝てしまっていたので彼女はもう来ないかもしれない、と思いながらも、購買のすぐそこの階段で待ち伏せる。学ラン……違う。黒髪……違う。彼女はとても綺麗なプラチナブロンドの髪をしている。それが目印だった。
 しばらくして、廊下の向こうから真っ白な脚が横切った。靡くプラチナブロンドの髪。彼女だった。
 彼女は黒い長財布を片手に、購買の前をうろうろとしている。それもそのはず、購買は今日も大盛況。とても入り込める余地はなかった。
 やがて、彼女ははあ、とため息をついた。どうやら諦めたらしい。そのままくるりと踵を返し、帰ろうとする。しめた、チャンスだ。僕は小走りで彼女に近づき、後ろから話しかけた。

「お困りですか、お嬢さん」

 彼女の足がぴたりと止まる。プラチナブロンドの髪がさらりと揺れた。
 ほんの少し覗き見た彼女の顔は、不快感が滲み出ていて。それはもちろん僕に対するものなんだろうけど、その表情は、今まで女子たちが僕に向けられていたものとはずいぶん違っていて、なんだかどきどきする。

 初めて会ったときもそうだった。僕のハンカチを拾ってくれた君は、僕の顔を見て、

『気持ち悪い』

 と言ったのだ。
 なんて素直な人なんだろう、と思った。女子たちはみんな、そう思っても僕の前では決して言わなかったのに。
 今もこうやって僕にゴミを見るかのような目線を送ってくる彼女は、素敵だだった。
 だから僕は、彼女のことが好きなんだ。食べちゃいたいくらいに。
 

猫になりたい蛇のお話 ( No.9 )
日時: 2016/09/18 21:28
名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: VhCiudjX)

 
 暑い部屋に、静けさが舞い降りる。もう全身汗だらけだ。顎を伝う滴が汗なのか涙なのか、僕にはわからなかった。
 息を整えて、僕は隣で泣いている彼女の方を見る。まだベッドから動けないようで、白い布団が彼女の裸体をかろうじで隠していた。

「どうだった?」

 ベッドから起き上がり、問いかける。怒られるかな、と思いつつ、僕はいつものように笑った。案の定、彼女はばっ、と起き上がると、ぼさぼさになった髪を振り乱しながら僕を睨みつけ、

「最悪」

 ぼそりと呟いた。
 しかし、彼女は痛むのか、すぐに顔を顰めた。優しくしたつもりなんだけどなぁ。ぼりぼりと頭をかきながら、僕はベッドから抜け出した。

「……ねえ」
「ん?」

 もそもそと下着と服を身につけていると、彼女が布団で肌を隠しながら、僕に呼びかけた。

「なんでこんなこと、したの」

 なんで、か。僕はふふっ、と笑う。

「食べたくなっちゃったから」

 今日は彼女に冷たくされて、いらついてたんだ。
 僕がそう言い放つと、彼女は口を開けて、もともと間抜けな顔をもっとあほ面にさせた。化粧がとれたら本当にブスだな。しかしすぐに、その表情は怒りに歪む。

「あんたは影山のことが好きなんじゃないの!?」
「もちろん好きだよ。あんな女の子、他にいないし」
「なら、どうして……!」

「だって、1番美味しいものは、最後に食べたいじゃないか」

 ぴし、と彼女の表情が凍りついた。胸元を隠していた布団がずるり、と滑り落ちる。意外と大きかったそれが露になって、僕はまた彼女を押し倒そうかと思ってしまった。
 にやにやと彼女の身体を見つめながら、僕は口を開く。

「僕は君に情報を提供して、君は僕に身体を提供する。すっごく良い条件でしょ? あ、それに君もストレスを発散できるじゃないか。どう? 協力して……」

 その言葉を言い終わる前に、ばしっ、と僕の頬で、心地の良い音がした。いや、僕自身は全然良くはないけど。
 彼女はいつの間にかベッドから起き上がっていて、涙と怒りでぐしゃくしゃになった顔を僕に近づけて言った。

「最低」

 そのまま布団で身体をぐるぐる巻きにして、床に散らばっていた体操服をすばやく手に取る。ぷい、と僕に背を向けた彼女は、鍵を乱暴に開けて、部屋を出ていった。

「そんなに怒らなくてもいいのになぁ……」

 階段を急いで駆け下りる音を聞きながら、僕はため息を吐く。
 服を全部着終わったため、僕は乱れた部屋を整頓していく。ベッドの上には血とかなんとかがこびりついていた。

「こんなに汚れちゃって……」

 汚い汚い。やっぱり汚い。まあ、顔面からして汚い女だったけど、ストレス発散にはなった。
 それでも、物足りない。僕のこころの深いところが、彼女を求めて疼いている。

「ああ、彼女はきっと、あんな女よりももっと美味しいんだろうなぁ」

 ふふふ、と舌なめずりをする。白い肌、華奢な身体、長い脚。いつもは分厚いハイソックスに覆われた脚にくちづけられたら、どんなに幸せなことだろう。そんなことを考えるだけで、ぞくぞくっと、身体が震えた。

「きっと、綺麗なんだろうなぁ……」

 にやにやが止まらない。こりゃ、まだ眠れそうもないな、とこころの中でため息を吐きながら、僕は快楽に目を閉じた。



**

 僕は猫なんだ。自由奔放で、誰にも囚われない。たとえ蛇だと言われようとも、僕は猫だ。猫なんだ。
 それに、アリスの隣にいるのはいつも猫じゃないか。それなら、シンデレラの隣にいるのも、きっと。だから僕は、猫じゃないといけないんだ。
 僕が猫になれば、君はきっと振り向いてくれる。そうだよね?