複雑・ファジー小説
- Elf? No, Cinderella. ( No.13 )
- 日時: 2016/10/23 16:45
- 名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: 2Ib.wHIE)
「今日から一緒に暮らす子だよ」
そう言って、父さんは、その少女を連れて家に帰ってきた。
「仲良くしてあげなさい」
穏やかな声で、父は囁く。出迎えた俺は驚きで玄関に立ち尽くすも、父はただ微笑んでいるだけだった。
抜けるように白い肌、プラチナブロンドの髪。少女は日本人ではなかった。長い前髪と、少女が下を向いているせいで顔立ちはよく見えなかったが、俺と同じ10歳くらいだろう、と感じた。
ただ、少女はひどく痩せていて、小さかった。まるで綺麗に仕立てられたワンピースの方に着られているみたいで、格好悪い。
そのとき幼かった俺は__何も知らなかった少年は、そんな風に感じた。
「おい、お前」
父に繋がれている左手がぴくりと震え、少女が少し顔を上げる。
「……私?」
「そうだよ。お前以外に誰がいんだよ」
「では、あなたは私に話しかけてくれたの?」
ぼそぼそと呟く少女は、繋いでいない方の手でワンピースの裾をぎゅっと握りしめる。その仕草にどこかデジャヴのようなものを感じて、俺は首をひねった。
「……なんで、呼ばれたのは自分じゃないと思ったんだ」
「……だって、私は」
けがらわしいものだから。少女は震える声で続けた。それまでずっと微笑みを崩さなかった父の表情が、ぴしゃりと歪む。
「……大丈夫。君は綺麗だよ」
父は少女の隣でしゃがみ、少女の頭を撫でた。その拍子に前髪が揺れ、おでこになにか紫色のものが見え、ぞっとした。
あれは、まさか……
「……おい、お前」
俺が呟こうとしたとき、少女がさらに顔を上げた。少女の瞳が覗き、こちらを見つめる。見開かれた大きな瞳は、透き通るほど青かった。
その瞳に吸い寄せられるようにして、息を吐く。そのままその奥へと意識を奪い去られる心地がして、思わず瞳を閉じた。
そのとき、突然少女が呟いた。
「あなた……アル?」
吐息混じりに吐き出されたその名前は自分の名ではなかった。しかしその名は、幼かった俺の胸に、不思議なほど深く染み込み、離れない。
そして俺も、なぜか心の奥底から溢れ出てくる名を呼んだ。
「エルフ……?」
その日から、俺は「アル」、えるは「エルフ」になった。
**
「おい母さん、再婚ってどういうことだよ!」
「言葉通りの意味よ。私、秀明さんとずっとお付き合いしていたから」
母さんは、白々しく嘯く。雨の中、急いで帰ってきたらこれだ。勘弁してほしい。
俺は母さんから違う香りがしていることに薄々は気がついていたけど、それは最近のことだった。あんまり息子を舐めないでほしい。
再婚は、考えていなかったわけじゃなかった。でも、まだその時じゃない。
俺はろくでなしの母親に叫んだ。
「でも、母さんずっと父さんのことを愛してるって言ってたじゃないか!」
「……ああ」
そんなこと、と母さんは面倒くさそうに長い前髪をかきあげる。
「あんなの、嘘に決まってるじゃない。死にゆく人に呪われたら嫌だもの」
「嘘……?」
俺は、これが本当に俺の母親だろうか、と首を傾げた。
父さんは、これ以上無いくらい優しい人だった。エルフを引き取り、忙しい中、休みがあればそれを必ず俺たちとの時間に費やしてくれた、とても子供思いの人だった。それなのに、そんな人をなぜそんな風に吐き捨てられるのか。
「……あんた、最低だな」
心から呟く。
「なんと言われようと、私はこの人と結婚します。死人に口無し、と言いますから」
「だから別に約束を破ってもいいって言うのかよ。ほら、エルフもなにか言ってやれよ」
あまりにもムカついたので、俺はエルフの方を振り返った。すると、エルフは件の彼に近づかれていて、何事か耳元に囁かれている。彼女は声を出すこともできないようで、固まっているようだ。頭にかあっ、と血が上って、思わず秀明、と呼ばれた男の肩を掴んで、エルフから引き剥がした。
「おい、あんた! うちの姉に何やってんだよ」
「あ、いや。少し挨拶をしようと思って……」
俺は男に拳を掲げて、威嚇する。俺のエルフに勝手な真似をするんじゃねぇ!
「だからといって、あんな近くで挨拶することないだろ!? エルフ、大丈夫か?……エルフ?」
そこで俺は、エルフの様子がおかしいことに気づいた。元々大きな目をさらに大きく広げて、ただただ一点を見つめている。必死に首を振るおじさんをその辺に投げ捨て、俺はエルフに近づいた。
「……ぁ」
俺がエルフの肩に手を置くと、彼女は何事か呟く。瞬き1つしない彼女を真っ直ぐに見つめて俺は、
「どうした?」
と、できるだけ優しく訊ねた。
「いやぁああああああぁぁああっっっぁああああぁああぁあぅあぁぁああああぁぁああぅぁぁああっ」
ものすごい叫び声だった。どこか悲しげで、悲痛な叫び。時間が止まってしまったかのように、誰も動けなくなる。エルフは自身の耳を両手で塞いで、奇声を発しながらリビングを出ていった。
「待てよ!」
急いで追いかける。エルフは足が遅い。どこに行ったのかはすぐにわかった。エルフはトイレのドアを開けっ放しにして、便器に頭を突っ込んでいる。しばらく掃除していなかったであろうトイレは、物凄い匂いがした。
「嫌だ嫌だ嫌だどうしてここここのせかいにあのひとがいるのいやだどうしておいかけてくるのやめてっていたのになんでやめてくれないのねえどうしてなんでわたしになにもしないでこわいのねえこわいよ」
ひたすら呪文のように、なにかを呟いている。いつもの冷静沈着な彼女とは大違いで、俺は頭がくらくらとした。
震える彼女を必死に便器から引き剥がし、その細い身体を抱きしめる。
「落ち着け、エルフ!」
骨ばった背中をぽんぽん、と撫でる。彼女はまるで子供のように喘いでいた。トイレの水とエルフの甘い香りが混ざりあって、凄まじい匂いがしたが、気にせず彼女を抱きしめ続ける。
「エルフ?????ちがうちがうわたしのなまえそんなじゃない????わたしのなまえちがうどうしてやめてわたしはあなたじゃない出ていって私から出ていけえぇえぇえぇぇ」
彼女は何かと格闘するかのように、俺の胸の中で暴れた。訳がわからない喚き声が、俺の耳にダイレクトに響く。手加減の一切無い音声は、イヤフォンの音量を間違って最大にしてしまったときと同じくらいのダメージだった。
エルフが俺の胸と腹に、爪をたてる。それが酷く痛んだが、俺はさらに強くエルフを抱いた。
その間も彼女は髪を振り乱して、叫び続ける。なんだ、エルフはどうしてしまったんだ。
「どうしてなんでどうしてなんどもなんどもだれなのわたしは
シンデレラ」
その言葉を最後に、彼女はぷつり、と糸が切れた人形のように目を閉じた。
「おいっ、エルフ!?」
必死に肩を揺らす。しかし、彼女は意識を失ってしまっているようだった。
ほっ、と力が抜ける。その瞬間彼女が後ろに倒れそうになり、慌てて受け止めた。そして、だらしなく彼女の口に垂れた唾液を拭う。
「……一体何があったんだよ、エルフ」
前にも1度こんなことがあったな、と、俺はエルフの背中と足を持ち、近くの階段を上り始める。俗に言うお姫様抱っこというやつだ。いつもなら思わず悶えてしまうシチュエーションも、今は何も感じられなかった。それほどまでにエルフの身体は軽く、心配になるくらい細かったのだ。
そういえばエルフの吐瀉物を処理していなかったな。あれだけ吐いていたら、もっと痩せててしまうだろう。欲を言えばもう少し肉付きが良くなってくれれば、なんて馬鹿なことを考えながら、エルフの部屋に入り、ベッドに寝かせる。乱れたピンクのシーツにどきりとしたが、今はまだいけないと自分を抑え、白い布団を華奢な肩までかけた。
端正な横顔をいつまでも見ていたいと感じたが、トイレを掃除しなければいけないので、俺はドアノブに手をかける。
「……ん、アル……」
それは小さな声だった。振り返ると、エルフは天井に手を伸ばし、苦しそうに息を吐いている。思わず駆け寄ってその手を握りたい衝動に駆られるも、近づけない。あの手に触れると、超えてはならぬ一線を超えてしまうような、そんな気がしたのだ。
俺は、弟。恋人では、ない。
「だから、せめて守らせてほしいと、誓ったんだ」
花の咲く、あの日に。
だからまだ、わからないままで良いのだと思う。エルフが今日叫んだ理由も、エルフのこころの中も。
「さあて、母さんに怒られにいきますか」
どう説明しようか。母さんにまた暴力をふるわれないようにしないとな。