複雑・ファジー小説
- 青 ( No.14 )
- 日時: 2016/09/22 10:01
- 名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: M0NJoEak)
『ね? だから言ったでしょう?』
ぞっとするほど美しい声が響いて、私は飛び起きる。青い蒼いステンドガラスの天井。
「あれ? ここはどこ。わたしは」
『あなたは気を失ってしまったの。あの男に会ったことで』
顔を上げると、私がいた。透き通るような水色のドレスに身を包んで、倒れる私の前で笑っている、プラチナブロンドの女の子。
「あのおとこ? だあれ、それ」
『また忘れてしまったの?』
いけない子ねぇ、と青い蒼い私がちろり、と舌を出す。なんだかわからないけど、とても綺麗だ。彼女は困ったように笑っていた。
『私を頼っていればよかったのに』
そう言って、彼女は私の肩を掴む。途端に、なにかが流れ込んできて、私は目を瞑った。
……なに? 黒い。なにか黒くて……おとうさん? 嫌だ嫌だいやだいやあだあああああ
あああああ
『思い出した?』
彼女が手を離すと、ぽん、と気持ち悪さが消える。それと同時に、いろいろなものが戻ってきた。
私はエルフ。そして今の私は、影山える。
嗚呼、そしてこの青い蒼い私は。
『あの男は確か、2回目の世界の、あなたの父親ね。いえ、私たちの、と言うべきかしら』
「……あなたはいつもこうやって見ていただけじゃない」
『あら、私はあなたの人生が上手くいくように、お手伝いしてあげているだけよ。かれこれ3度も』
「触らないで」
私の頬に伸ばそうとする彼女の手を、ぺし、と払い除ける。
「私はあなた無しでももう生きていける。今度こそ」
『随分と威勢が良いじゃない』
その言葉に背筋がヒヤリとして、私は思わず目を瞑る。次の瞬間、私は彼女の前に跪いていた。
私の目に映るのは、青い蒼い、どこまでも碧い、透き通った大理石と、彼女のガラスの靴。私と彼女の姿が朧げに浮かび上がった。
『あなたは私。私はあなた』
『ずっとずっと昔からそうだった』
『あなたがBad Endを迎える度、私はあなたを蘇らせてきた』
『あなたの苦しみも、感情も、全部私が引き受けてきたのよ?』
跪く私の髪を、彼女はぐぐぐ、と掴みあげ、獰猛に笑う。私の口から、苦しげな悲鳴が漏れた。
『さあ、私の靴にくちづけて。そうすれば、楽になれるわ』
ぱっ、と彼女が手を離すと、その反動で私はおでこを強く打ち付けた。額が燃えるように痛んだが、そのまま動かない。動きたくない。そのままの無様な姿勢で、私は歯ぎしりをする。
「私はもう、あなた無しで生きていける」
『戯言を』
そう吐き捨てて、再び私の肩に手を置いた。あの男の顔が浮かび上がる。脳の奥底に染み付いて離れない、あのクソッタレな父親の顔が。
「ああああああああああああああああああああああああああああっあああああああああああああ」
『あはははっ、苦しいでしょう? 痛いでしょう?』
またしても彼女が手を離した。すっ、とあの男の顔が消える。もう思い出せないほど遠くに。
だけど、痛い。いたい。くるしい。にくい。腸が引きちぎられるような、そんな感情。
気がつけば、私は彼女の靴にキスをしていた。唇が靴に触れた瞬間、すぅ、と冷たさが伝わり、私を覆う。
『そう、それでいいの。あなたの苦しみは全部、私が引き受けてあげる』
まるで聖母のように、彼女は微笑む。その姿にはっ、として、私はようやくガラスの靴から口を離した。
顔を上げると輝く白い歯が丸見えで、本当にこれは私だろうか、と思ってしまう。でも、今はそれどころじゃない。
「……私、私はっ」
『また失敗したいの?』
耳元で囁かれる。自分の声なのに、全然違う。いつものことながら、私は怒りを禁じえなかった。
『良いじゃない。私はそれでいいんだから』
「私は良くない!」
『あなたの言うことなんてどうでもいいわ』
本当に興味が無さそうだった。私は立ち上がり、彼女に詰め寄る。
「今度こそ、成功してみせるわ!」
そう叫んで彼女の胸倉を掴もうとするも、胸元がぐっ、と開いたドレスのため、その手は空を切った。
『あら、じゃあ期待しているわ。頑張って。でも』
そこで一旦言葉を切って、彼女は宙を掴んだ私の手を握る。ぐぐぐ、と力が込められ、私は思わず悲鳴を上げた。
『いいこと? チェシャ猫には気をつけなさい?』
そんなことわかってる、と言おうとした循環、彼女は笑いを残して掻き消えた。
くわっと、目を見開く。そこは、白い天井。有栖川家の、それも私の部屋の天井だった。
髪が汗でべとべとだ。ベッドで寝ていた自分の身体を見るとジャージを着ていて、そういえばいつ着替えたのか、と首を傾げる。ぽん、と湯気が立った。いや、そんな、アルがそんなことするはずがない。
今は何時だろうか。目覚まし時計を見ると、時刻は10時を示していた。窓の外を見る限り、AMだろう。どれだけ寝ていたのか。
それにしても、家の中がやけに静かだった。そりゃそうか。昨日も今日も平日で、アルもリンも学校だ。とりあえず、リビングに下りてみようと思った。
昨日の出来事で雫さんは怒っていないだろうか。階段を下りながら今更、そんなことを考えてみる。悪夢のような彼女との会話で、私は、自らの身体に起こった出来事をなんとなく思い出していた。急に叫び出してトイレに行って、きっと気持ち悪かっただろう。帰ってきたら殴られるかもしれない。
そういえば、私はなんで叫んでたんだっけ。
「っ」
喉からなにかがせり上がってきた。突然お腹がぎゅるぎゅるとしはじめて、壮絶に気持ち悪い。私は階段を急いで駆け下り、トイレにダイブした。
便器に顔を突っ込み、げえええ、と吐く。黄色い液体がぶちまけられ、喉が痛んだ。昨日から何も食べていないから、胃液だろう、なんてことはとても考えられなかった。
「……はあ」
ひとしきり嘔吐した後は、ただただ倦怠感が襲いかかってくる。空っぽのお腹が食べ物を欲しがるようにきりりと疼いたけど、そのままトイレの床に手を付く。
ガラスの靴にキスをしたのに。まだ足りないと言うのだろうか。
胸が締め付けられるように痛んで、私は自分の胸に手を当てた。まだまだ未成熟な、小ぶりな乳房。
どくんどくん、と心臓が力強く脈を打っていることを感じる。大丈夫。
「……痛くない」
そう声に出してみる。そうすると本当に痛みが消えて、私が私でいられるような気がした。
- 青 ( No.15 )
- 日時: 2016/09/22 10:35
- 名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: M0NJoEak)
「どうしたの? 具合悪そうだけど」
全身に鳥肌が立った。キッチンで水を飲んでいたところに、ねばちっこい声。あー確か現世では秀明だったか。なんてことを思い出したのは、すべてが終わったあとだったけど。
「昨日も様子がおかしかったよね。ゆっくり休めた?」
でっぷりとした丸顔に笑顔を浮かべながら、そいつは近づいてくる。まだ結婚していないのになんで家にいるんだろう、という余計なことは言わないでおく。きっと、怒らせてしまう。
おかしいのは体調じゃなくて、私の頭とでも言いたいの? そんな嫌味を考えられるくらいには、前回よりかはまだ私は落ち着いていた。
「……大丈夫です。昨日は少しびっくりしてしまっただけなので」
「ごめんね。急に近づいたりしちゃって」
「いえ……」
ふるふると首を振ることしかできない。ここで面倒を起こせば、雫さんを怒らせるだけだ。私は漏れ出そうになる吐き気を抑えながら、小太りのおじさんと対峙した。
見れば見るほど、やはりあの人に似ている。前世の父親に。
私が拒絶しているのにも関わらず、彼はどんどんこちらに寄ってくる。
「突然だと困っちゃうよね。だからさ、今度からはちゃんと言ってからにするよ」
「……言ってから?」
不思議なことを言うのね。言ってから? つまりは言ってから近づくということだろうか。昨日のことを思い出して、また吐きそうになる。あの日、彼は私の耳元で囁いたのだ。
「可愛いね」
そう、こんな風に。
「……っ」
酸っぱいような、苦いようななんとも言えない匂いがすぐそばで漂って、全身が膠着する。
恐怖で固まってしまって動けない私に手を伸ばし、彼は笑った。
「君の髪、とっても綺麗だねぇ」
薄汚れた指が、私の髪に触れる。不快感が喉元を通過し、吐きそうになる。
「……うん、良い香りだ」
そのまま彼が私の髪に豚のような鼻を近づけて、すん、と吸った。私の肩がびくり、と震える。限界だった。
「……やめて、くださ」
「ああ、ごめん。思わず触ってしまったよ」
次からはこれも言うようにするね、と彼は髪から手を離す。しかし、また私の耳元に口を寄せて、
「来月に、君のお母さんと結婚するんだ。だから、ずっと一緒にいられるね」
と言った。
嫌だ。嫌だ。なんでコイツが。這い登ってくる恐怖と蘇る過去の記憶。私は奇声を上げながら彼を突き飛ばし、トイレに駆け込んだ。
「っああぁああぁあああああぁああぁああああ!」
吐く。吐く。とにかく吐く。もはや喉でせき止めておけなくなった不快感が、黄色い胃液となって、私の身体から出る。全部吐き出すと喉が酷く痛んだが、私は止まらなかった。
「くそかくそがくそったれえええぃえぇえええええええええぇええ」
あの男の顔が離れない。むしろどんどん絡みついて、茨のように私のこころを刺す。
『ね? だから言ったじゃない』
シンデレラが微笑む。まだまだ足りないというのだろうか。
私はいつまで、ガラスの靴にキスをし続けなければならないの。
「……痛いよ」
心臓に手を当てて、呟く。まだ私のこころはあの時のように、冷たく戻らないのだった。
**
トイレから出ると後は自分の部屋でぼおっとしていた。幸いにして、男は私の部屋までは入ってこなかった。
窓からオレンジ色の光が射し込んでいる。ああ、もう夕方か。
下の方で、がちゃがちゃっと音がして、だんだんと恐竜が走っているかのような音とともに、部屋のドアが開く。
「……おかえり」
「ただいま……っ、エルフ、起きたのか!?」
どたどたと、アルが駆け寄ってきた。ベッドにただ座っているだけの私を見て、怪訝そうな顔をする。
「大丈夫だったか!?」
きっと、玄関の近くにあいつがいたのだろう。妙に心配そうに訊ねてくる。彼は前世でも現世でもいかにも変態、という顔をしているから、わかりやすい。
「大丈夫、何もされてないわ」
そう、今は。そんな無駄ことは呟かないでおいた。
「……そっか。よかったぁ」
アルの顔が、安心したように緩む。頬がほんのりと赤く染まり、赤髪がボサボサになっていたため、急いで帰ってきたことが伺えた。
「……ありがとう」
ベッドにうずくまりながらも、私はできるだけこころを込めて、頭を下げる。
「おうっ、良いってことよ。俺は……」
何故かそこで口篭った。彼の視線がさ迷う。しかしそれは一瞬のことで、アルはいつものように快活に笑って、こう言った。
「俺は、お前の弟だからな」
時間が止まったような気がした。もちろんそれは錯覚で、この世界の人はみんな普通に生きている訳で。……ショックだった。
「そうね」
嘘を吐く。喉元まで再び不快感が迫っていた。
妙な吐き癖がついてしまったな。まだ痛いよ。
- Re: ガラスの靴に、接吻を。 ( No.16 )
- 日時: 2016/09/25 00:05
- 名前: 亜咲 りん ◆1zvsspphqY (ID: AxOVp0E5)
「いってきます」
今日はきちんと弁当の中身をチェックして、家を出る。中身はもちろん入っていなかった。昨日の夜、雫さんは私をまるでゴミを見るかのような目で睨みつけていた。今日はもしかしたら殴られるかもしれないな、と思いながら、コンビニへ向かう。アルは珍しく寝坊したため、私1人で。
一瞬雑誌コーナーに行ってファッション雑誌を買いたいという欲に駆られるも、そんなお金も無いので諦める。私のお小遣いは月に2000円。お弁当が無い日は月に4回くらいあるため、とても他に回せそうにない。ちゃんと食べないと、アルに怒られてしまうから。
そんなことを考えていると、おにぎりコーナーに辿り着いた。私の大好きな梅が売り切れている。なんてこった。希望もクソもない。仕方なく、昆布のおにぎりとおかかのおにぎりを取ろうとしたら、
「やあ、奇遇だね。今日は1人?」
と気色の悪い声が聞こえて、思わず私はおにぎりを落としてしまった。
「……奇遇ね。じゃあ、私はこれで」
「待って。おにぎり落としたよ。はい」
いつものようににやにやと笑いながら、チェシャ猫がおにぎりを拾う。渡された2つのおにぎりが先ほどまでと違って、恐ろしく気持ちの悪い物に見えた。
「ありがとう。じゃあ、2度と会いませんように」
「わはは、キツい冗談だなぁ。ちょっと」
一体何が楽しいのか目を細めて、踵を返す私に近づいてくる。彼の目は細すぎて、黒目が見えない。というか、見えているんだろうか。そんな馬鹿げたことを考えていると、いつの間にかチェシャ猫が私の耳元に口を寄せていた。
「一昨日と昨日は大変だったね」
ぞくっ、と背筋が震える。
昨日。私が叫んだ日。
一昨日。私が吐いた日。
もしかして、こいつは知っているの?
「どうしてあなたがそのことを知っているの?」
「んー? 僕がチェシャ猫だからさ」
きききっ、と猫のように笑う。その姿はどう考えても気持ち悪かったけど、黙っておく。もしかしたわざとなのかもしれないから。
「そんなの理由になってないじゃない」
「仕方ないじゃないか」
そう言って、ポケットから突然青いイヤフォンを取り出して、私の耳にはめ込んだ。彼の手汗が付いたそれは、酷く温かい。
彼の突飛な行動はいつものことだ。でも、今まで、こんな風に触れてくることはなかったのに。
「……なに?」
「……いーや、やっぱりなんでもない」
しかし、種明かしはまた今度、と訳のわからないことを呟いて、すぐにそれを引き抜く。きゅぽっ、と音をたてて、青が抜けた。私の中のなにかも抜けていった心地がしたのは、気のせいだろう。
私は気色の悪い猫を振り払い、レジへと向かい始める。それも、高速で。
「では、おにぎりを買ったら僕と仲良く登校……」
「さよなら」
「ですよねー」
ははは、と力無く笑って、彼が遠くなっていく。押しが強いのか弱いのか、イマイチよく掴めない。
チェシャ猫とはそういうものよ、と、シンデレラが眉を顰めていた。
**
教室のドアを開けると一斉に視線が集まったが、気にせず自分の席に座る。
「今日は1人なんだ……」
「別れたとか?」
「やだ、やっぱり」
「チャンスじゃない?」
「狙っちゃう?」
ひそひそと、風に運ばれてそんな声が届けられる。別れるだなんて、私たちははじめから付き合ってなんかいないのに。まあ、同棲している、との噂は本当のことなんだけども。
アルは馬鹿だが、イケメンだ。当然、女子にモテる。中学生の頃に1度、どこからか一緒に暮らしているという情報が漏れ、私の体操服がトイレに捨てられていた。そんな感じだ。
もちろんアルにはそのことを言っていないため、今でもなぜ一緒の家に住んでいることを隠さなければいけないのか、とハテナマークを浮かべている。
早く出ていかなくっちゃ。あの優しい父親のいなくなった有栖川家を出て、全てをリセットするんだ。そして、全部忘れるの。この気持ちを。
ふいに、視線を感じた。好奇心でも悪意でもない、不思議な感情。
顔を上げて目線を泳がしていると、1人の女子と目が合った。木村杏奈だ。
窓際に1人でぽつん、と立ち、私を見つめている。その瞳は、どこか虚ろだった。
なんだろう。気味が悪いな。
しばらく見つめていると、はっ、と目を見開き、そそくさと自分の席に戻っていった。
変だな、と思いつつも、担任が入ってきたので、一旦思考を中断させる。
友人と喧嘩でもしたのだろう。きっとそうに違いない。